219 巻第七 て取らせたりければ、侍、取り伝へて取らす。 ゅ 藁一筋が大柑子三つになりぬる事と思ひて、木の枝に結ひつけて肩にうち掛一四身分のある人。『今昔』は「品 不賤ヌ人」とする。 ぐ けて行く程に、故ある人の、忍びて参るよと見えて、侍などあまた具して徒よ三徒歩で。 一六歩き疲れて。 一六こう り参る女房の、歩み困じて、ただたりにたりゐたるが、「喉の渇けば、水飲ま宅底奎たてりゐたるが」。『今 昔』は「具垂ニ垂居タルヲ見レバ てまど せよ」とて消え入るやうなりければ、供の人々手惑ひをして、「近く水やある」とある。この訓の諸本が多い。こ の箇所、諸説あるが、『名義抄』に はた′一むま 。しかがせんずる。御旅籠馬にやもし「」の字を「タル」、さらに「ツカ と、走り騒ぎ求むれど、水もなし。「こま、 ル・サワク・ワッラフ」などとも はるかおく 訓ずるところから、この字を候補 ある」と問へば、「遥に後れたり」とて見えず。ほとほとしきさまに見ゆれば、 の一と推測する説 ( 大系本『今昔』 ) により、苦しみわずらう意にとっ まことに騒ぎ惑ひてしあっかふを見て、「喉渇きて騒ぐ人よ」と見ければ、や ておく。 はら歩み寄りたるに、「ここなる男こそ水のあり所は知りたるらめ。このあた一〈あわてふためいて。 一九食物など旅行用品を入れた籠 さぶら ニ四 り近く、水の清き所やある」と問ひければ、「この四五町が内には清き水候は ( 行李 ) を負って運ぶ馬。 ニ 0 息も絶え絶えな様子に のど さぶらふ じ。 いかなる事の候にか」と問ひければ、「歩み困ぜさせ給ひて、御喉の渇かニ一手の施しようもないようにし ているのを見て。 せ給ひて水ほしがらせ給ふに、水のなきが大事なれば、尋ぬるそーといひけれニニ知っているようです。 ニ三一町は約一〇九 ふびんさぶらふ ニ四清水はございますまい ば、「不便に候御事かな。水の所は遠くて、汲みて参らば、程経候ひなん。こ 一宝お気の毒なことでございます よろこ れはいかがーとて、包みたる柑子を三つながら取らせたりければ、悦び騒ぎてねえ。 一四 ゅゑ 一九 へ かち
さしめきばかますそひも = 指貫袴の裾の紐をしばって膝 往ぬべき少しの隙ゃあると見せけれども、「さやうの隙ある所には、四五人づ のあたりまであげてとめること。 わ . きばさ ももだち つくくりをあげ、稜を挟みて、太刀をはき、杖を脇挟みつつ、みな立てりけれ三袴の股立を帯に挟むこと。 一三誰一人として座ったり、しゃ するがのぜんじ がみ込んだりすることなく、即座 ば、出づべきゃうもなし」といひけり。この駿河前司はいみじうカぞ強かりけ に動けるように油断なく立ってい ひきいで る。いかがせん。明けぬとも、この局に籠り居てこそは、引出に入り来ん者とること。 一四『今昔』巻二三第一六話には のち のちわれ 取り合ひて死なめ。さりとも、夜明けて後、吾そ人そと知りなん後には、とも「此ノ季通思量リ賢クカナド呱齪 ク強力リケルニ」とある。なお、 同巻一一三第一五話では、季通の父 かくもえせじ。従者ども呼びにやりてこそ、出でても行かめと思ひたりけり。 つはもの の則光 ( 陸奥の前司 ) が「兵ノ家ニ わらは たた わこどねりわらは あら きはめ 非ネドモ、心極テ太クテ思量賢ク、 暁この童の来て、心も得ず門叩きなどして、我が小舎人童と心得られて、捕へ 身ノカナドゾ極テ強力リケルと ふびん めわらはいだ 縛られやせんずらんと、それそ不便に覚えければ、女の童を出して、もしゃ聞評されており、季通の剛力と思慮 深さは父親譲りのものであったよ きつくると窺ひけるをも、侍どもははしたなくいひければ、泣きつつ帰りて、 一五どうにもできなくなってしま かが うだろう。 屈まり居たり。 一六『今昔』は「若シャ来ルト」。 あかっきがた 宅ロぎたなくののしったので。 かかる程に、暁方になりぬらんと思ふ程に、この童いかにしてか入りけん、 一九 第入り来る音するを、侍、「誰そ、その童は」と、けしきどりて問へば、あしく天気配を察して。 一九底本「あらく」。書陵部本によ 巻 どきゃう いらへなんずと思ひ居たる程に、「御読経の僧の童子に侍り」と名のる。さ名り改める。『今昔』は「悪ク答へテ ムズ」。きっとまずい返事をする のられて、「とく過ぎよ」といふ。かしこくいらへつる者かな、寄り来て例呼に違いないと。 ずんぎ ひま た たち あし ひぎ
めわらは 一呼ぶであろうと。 ぶ女の童の名や呼ばんずらんと、またそれを思ひ居たる程に、寄りも来で過ぎ ニ近寄って来もせずに。童は て往ぬ。この童も心得てけり。うるせきやっそかし。さ心得てば、さりともた次々と主人季通の予想をこえた意 語 外な対応ぶりをみせる。 遺ばかる事あらんずらんと、童の心を知りたれば頼もしく思ひたる程に、大路に三さては、この童もうつかり主 人に近づいては危険だということ ・治ごゑ を承知しているのだ。とすれば察 ~ 于女声して、「引剥ありて人殺すや」とをめく。それを聞きて、この立てる侍ど しのよい賢いやつだわい。 も、「あれからめよゃ。けしうはあらじ」といひて、みな走りかかりて、門を四一応は黙って通りすぎて行き はしても、なにか計略を考えてう いづかた くづれ まくやってくれるかもしれない。 もえあけあへず、崩より走り出でて、「何方へ往ぬるぞ」「こなた」「かなた」 五「ひきはぎ」の約。追いはぎ。 はか 六不都合はあるまい。守りの場 と尋ね騒ぐ程に、この童の謀る事よと思ひければ走り出でて見るに、門をばさ を離れるのはやむを得まい、の意。 くづれ セ門を開けて通るいとまもなく。 したれば、門をば疑はず、崩のもとにかたへはとまりて、とかくいふ程に、門 侍たちのあわてふためいた動きを のもとに走り寄りて錠をねぢて引き抜きて、あくるままに走り退きて、築地走物語る。 門には錠をかけてあるので、 邸内にいる男が門から逃げるとは り過ぐる程にぞこの童は走りあひたる。 疑ってみることもせず ( したがっ てそこには見張りの者もおかず 具して三町ばかり走りのびて、例のやうにのどかに歩みて、「いかにしたり つる事そ」といひければ、「門どもの例ならずさされたるに合せて、崩に侍ど九侍どもの一部はとどまって見 張りを続けながら。 さぶら・ ふたが もの立ち塞りて、きびしげに尋ね問ひ候ひつれば、そこにては、『御読経の僧一 0 「築地」は、その邸の周囲にめ ぐらされているもの。したがって、 の童子』と名のり侍りつれば、出で侍りつるを、それよりまかり帰って、とかその邸から離れたあたりへ来てか ぐ ひはぎ の くづれ さぶらひ
189 巻第 一九鷹を捕えて飼い、それを国守 または郡司に献上するのを職業と たかやく していた者 今は昔、鷹を役にて過ぐる者ありけり。鷹の放れたるを取らんとて、飛ぶに ニ 0 ①逃げた鷹、②人に飼われた はるか したが 随ひて行きける程に、遥なる山の奥の谷の片岸に、高き木のあるに鷹の巣くひことのない野生の鷹、の両義があ るが、ここは後者であろう。 のち たるを見つけて、いみじき事見置きたるとうれしく思ひて、帰りて後、今はニ一断崖絶壁に。 にて師の僧呼びて事の由申させて、「二千度参りつる事、それがしに双六に打九願ってもない愚か者にあたっ たものだ。『古本説話集』下五十七 しれもの ち入れつ」と書きて取らせければ、請け取りつつ悦びて伏し拝みまかり出でに話は「烏滸の白癡、とする。 一 0 連れだって。 = 本尊の観世音菩薩の御前で。 一ニだれそれに。 まけさぶらひ のち その後、いく程なくして、この負侍、思ひかけぬ事にて捕へられて人屋に居一三双六の賭け物として譲渡した。 一四『古本説話集』は「この打ち入 つかき、 にけり。取りたる侍は思ひかけぬ便ある妻まうけて、いとよく徳つきて、司なれたる侍」。 一五牢屋。獄舎。左右の京にそれ それ一か所すつあった。 どなりて、頼もしくてそありける。 一六世を渡るうえで意外な好手蔓 あはれおば を持った妻。 「目に見えぬものなれど、まことの心を致して請け取りければ、仏、哀と思し 宅たいそう運にめぐまれて。 天官職を得て。 めしたりけるなめり」とぞ人はいひける。 五観音蛇に化す事 たより かたぎし ひとや てづる
来集りにけり。あるじ、常よりも引き繕ひて出であひて、御酒たびたび参りて一御覧にいれましようか。 0 ニ酒で顔を赤くしながら。 としごろお さぶらふ わ 三いかにも。当然至極なこと。 後、いふやう、「吾が親のもとに年比生ひ立ちたる者候をや御覧ずべからん」 四かたがた懐かしく思います。 語 物といへば、この集りたる人々、心地よげに顔さき赤め合ひて、「もとも召し出 = 誰かいないか。誰それまいれ。 六目つきなどからすれば、正直 こどの 治さるべく候。故殿に候ひけるもかつはあはれに候」といへば、「人やある。なそうで嘘など言いそうにもない者 が。後出の「これは賜りたる衣と びんは ひとり にがし参れ」といへば、一人立ちて召すなり。見れば、鬢禿げたるをのこの六覚ゅ」などとともに、招かれた 人々の皮肉な観察ぶり。 そら′一と かりぎめ きぬた 十余ばかりなるが、まみの程など、空事すべうもなきが、打ちたる白き狩衣にセ砧で打って光沢を出した絹で 作られた狩衣。狩衣は平安時代以 ねりいろきぬ きめ いだ 来、公家の略服。 練色の衣の、さる程なる着たり。これは賜りたる衣と覚ゆる。召し出されて、 ^ 淡黄色で、かなり上等なもの 一 0 しやく を。老侍に対する若主人の厚遇ぶ 事うるはしく扇を笏に取りてうづくまり居たり。 りを物語る。 てて 家主のいふやう、「やや、ここの父のそのかみより、おのれは生ひたちたる九端然と行儀正しく。 一 0 扇を笏のように持ち構えて。 = 呼びかけの語。ゃあやあ。こ 者ぞかし」などいへば、「む」といふ。「見えにたるか、いかに」といへば、こ れこれ。 さぶらひ の侍いふやう、「その事に候。故殿には十三より参りて候。五十まで夜昼離れ三 ( 亡き父上に ) お仕えしていた のか、以」 , つじゃ。 むげ 参らせ候はず。故殿の故殿の、小冠者小冠者と召し候ひき。無下に候ひし時も一三書陵部本は単に「故殿の」。そ れに従うべきか おほっぱ 一六あとふ 御跡に臥せさせおはしまして、夜中、暁、大壺参らせなどし候ひし。その時は一四冠者よ冠者よ。「小」は美称。 「冠者」は、元服して冠をつけた少 のち わび 佗しう、堪へがたく覚え候ひしが、おくれ参らせて後はなどさ覚え候ひけんと、年の称。 きあつま 九 たまは
ちら て来たれば、主の女を始めて子どももみな物覚えず、つき散して臥せり合ひた たれたれ り。いふかひなくて、共に帰りぬ。二三日も過ぎぬれば、誰々も心地直りにた一文句の持。て行き場もなくて。 ニ誰もかれも。みんな。 語 物り。女思ふやう、みな米にならんとしけるものを、急ぎて食ひたれば、かくあ = こんなおかしなことにな 0 た ものに違いない の、 ) り 治やしかりけるなめりと思ひて、残をば皆つりつけて置きたり。 四 ( 瓢の中の米を ) 移し入れよう ぐ れうをけ がための桶 さて月比経て、「今はよくなりぬらん」とて、移し入れん料の桶ども具して、 三歯もない口を大きく開けるこ 部屋に入る。うれしければ、歯もなきロして耳のもとまで一人笑みして桶を寄と自体が見られた図ではないのに、 それをなんと耳の下あたりまでロ くちなは 裂けんばかりに開けに開けて。 せて移しければ、虻、蜂、むかで、とかげ、蛇など出でて、目鼻ともいはず、 自然にこみ上げてくる笑いに身を ひとみ 委せている様子。 一身に取りつきて刺せど 六体一面。体じゅう。 七この時、女は、欲に憑かれ、 も、女痛さも覚えず。た る有頂天な喜びにひたりきった無我 当夢中の心境にあった。 だ米のこばれかかるそと ち 打 を 思ひて、「しばし待ち給 石 雀 ぶ へ、雀よ。少しづっ取ら 庭 んーといふ。七つ八つの 部 童 瓢より、そこらの毒虫ど ひさご つきごろ あぶ 四 ひとりゑ ふ まか 〈たくさんの毒虫どもが。
九陰嚢。きんたま。 れたり。さらば異事をこそせめ。かしこう申し合せてけり」といひける。 一 0 それもおもしろいでしよう。 おほせうけたまは てんじゃうびと 殿上人など、仰を奉りたれば、今夜いかなる事をせんずらんと、目をすま = 天皇や皇后。 三不都合ではないでしようか。 にんぢゃう 一三話をしてみてよかったよ。 して待つに、人長、「家綱召す」と召せば、家綱出でて、させる事なきゃうに 一四 ( 期待して ) 目をこらして。 おば 一五宮中の神楽の舞人の長。近衛 て入りぬれば、上よりもその事なきゃうに思し召す程に、人長また進みて、 の舎人が勤めた。 けしき ひざもも 「行綱召す」と召す時、行綱まことに寒げなる気色をして、膝を股までかき上一六たいしておもしろくもないよ うに演じて。 ふ 宅声をあげて大いにわいた。喝 げて細脛を出して、わななき寒げなる声にて、「よりによりに夜の更けて、さ 采をおくってどよめいた。 りにさりに寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん」といひて、庭火を天あいつめに。 一九いまいましくも。無念にも。 しも 十まはりばかり走りまはりたるに、上より下ざまにいたるまで大方どよみたりニ 0 こうして仲違いのままでいる のはよくないだろう。 なかたが けり。家綱片隅に隠れて、きやつにしう謀られぬるこそとて中違ひて、目も = 一賀茂神社の臨時の祭は十一月 下の酉の日に行われた。例祭は四 ニ 0 見合せずして過ぐる程に、家綱思ひけるは、謀られたるは憎けれど、さてのみ月、中の酉の日。 一三賀茂・石清水などの神事が終 ってから、参列者が宮中に帰って 五やむべきにあらずと思ひて、行綱にいふやう、「この事さのみぞある。さりと 催す神楽・宴会。 よろこ むつ なかたがひ 第 ニ三清涼殿の東庭にある竹を植え て兄弟の中違果つべきにあらず」といひければ、行綱悦びて行き睦びけり。 巻 た台。石灰壇の東のものを河竹の かへりだち 賀茂の臨時の祭の還立に御神楽のあるに、行綱、家綱にいふやう、「人長召台、仁寿殿の西側のを呉竹の台と ちくだい 一西ざわざわと音をたてる時に。 したてん時、竹台のもとに寄りてそそめかんずるに、『あれはなんする者そ』 ニ三 ・一と′ ) と ニ四 かみ おほかた一七 とり
( 現代語訳一一四五ハー ) かる金あると告げては、まだしきに取り出でて使ひ失ひては、貧しくならん程 = きっと困りはてるに違いない。 三事態を賢察して。書陵部本は、 に使ふ物なくて惑ひなんと思ひて、しか言ひ教へ、死にける後にも、この家を「心を見て」とする。 も売り失はずして今日を待ちつけて、この人をかく責めければ、これも易の一三中御門の南、堀川の東、南北 一一町に及ぶ桓武天皇の皇子賀陽親 うらないだ うらなひ 王の旧邸。治安元年 ( 一 0 一一一 ) 藤原頼 占する者にて、心を得て占ひ出して教へ、出でて往にけるなりけり。 通が改築して私邸とし、後冷泉・ たなごころ 後三条帝の皇居ともなった。諸大 易のうらは、行く末を掌の中のやうに指して知る事にてありけるなり。 夫を動員した造営で、作山立石な ど、その高大壮麗ぶりは無比と称 された ( 小右記 ) 。 ~ 一 0 七四 ) 。道長 一四藤原頼通 ( 究一一 九宇治殿倒れさせ給ひて の長子。摂政、関白、大政大臣。 じっさうばうそうじゃうげんぎ 氏の長者。宇治に閑居し、永承七 実相房僧正験者に召さるる事 年 ( 一 0 五一 D 自邸を寺として平等院と 称す。 一五気分がお悪くなられた。 あひだ おんのりうま かやのゐん ~ 一 0 = 九 ) 。藤原重 一六実相房 ( 九四一 これも今は昔、高陽院造らるる間、宇治殿御騎馬にて渡らせ給ふ間、倒れさ 輔の子。治安一一年 ( 一 0 = 一 D 法成寺執 しんよそうじゃう 一五たが しまだ務、長元元年 ( 一 0 一一 0 園城寺長吏。 せ給ひて心地違はせ給ふ。、い誉僧正に祈られんとて召しに遣はす程に、、 一七 験力にすぐれた高僧として知られ 一八 ものつ べち つばね 第参らざる先に、女房の局なる女に物憑きて申して日く、「別の事にあらず。き ものけ 宅霊物。物の怪。 巻 と目見入れ奉るによりてかくおはしますなり。僧正参られざる先に、護法先だ一〈ちょっと注視申しあげたので。 一九護法童子。仏法やその使者を すなは ちて参りて追ひ払ひ候へば、逃げをはりぬ」とこそ申しけれ。則ち、よくなら守護する童子姿の善神。 さぶら 一四 ′ ) ほふ 一九
しれものぐるひ ぬ。左京の大夫の日く、「このをのこをば、かくえもいはぬ痴者狂とは知りた一愚かで気違いじみている者。 「痴者」の意を強めた言い方。 きむつ つかさかみ りつれども、司の大夫とて来睦びつれば、よしとは思はねど、追ふべき事もあ = 好ましい人物だとは思ってい 語 るわけではないが。 三黙って見ていたが。そのまま 遺らねば、さと見てあるに、かかるわざをして謀らんをばいかがすべき。物悪し 来るにまかせて、とやかくも言わ 。、かに世の人聞き伝へて、世の笑ひずにいたこと。 ~ 于き人ははかなき事につけてもかかるなり 四運の悪い、ついていない者は、 かぎり なげ ちょっとしたことでもこんなふう ぐさにせんずらん」と、空を仰ぎて歎き給ふ事限なし。 にみじめな思いをする。自身を、 ちら にへどのあづかりよしずみ もちつね 用経は馬に乗りて馳せ散して殿に参りて、贄殿の預義澄にあひて、「このうだつの上がらない老公卿と思い とっていた左京大夫には、客人の あらまき おば 荒巻をば惜しと思さば、おいらかに取り給ひてはあらで、かかる事し出で給へ前で恥をかかされたことがこたえ 。し力にの五人騒がせにならないような穏 る」と、泣きぬばかりに恨みののしる事限なし。義澄が日く、「こま、ゝ 便なやり方で。 たまふことそ。荒巻は奉りて後、あからさまに宿にまかりつとて、おのがをの六何ということをおっしやるか。 七ほんのちょっと。 かみめし こにいふやう、『左京の大夫の主のもとから、荒巻取りにおこせたらば、取り〈自分の下で働いている男。 九義澄が用経の意向を知ってい てそれに取らせよ』と、言ひ置きてまかでて、只今帰り参りて見るに、荒巻なるはずはなく、『今昔』のように 「左京ム鄧〕すなわち用経とあ るべきところ。すでに校注本に指 ければ、『いづち往ぬるぞ』と問ふに、『しかじかの御使ありつれば、のたまは 摘がある。 せつるやうに取りて奉りつる』といひつれば、『さにこそはあなれ』と聞きて一 0 どこへやったのか。 = 「なるほど、そういうことだ あづ ったか」と聞いて納得したのです。 なん侍る。事のやうを知らず」といへば、「さらばかひなくとも、言ひ預けっ はか つかひ 六
宇治拾遺物語 18 ひらたけ一 。いかにもいかにも平茸は食はざらんに事欠くまじきものとそ。 されま、 三鬼に瘤取らるる事 ニ大きなみかん。「かうじ」は古 おほき かむし これも昔、右の顔に大なる瘤ある翁ありけり。大柑子の程なり。人に交るに名「柑子あ音便。 三「子・ : 過ぐる程に」は底本にな し。書陵部本などにより補う。 及ばねば、薪をとりて世を過ぐる程に、山へ行きぬ。雨風はしたなくて帰るに 四頬の瘤に対するひけめから、 及ばで、山の中に、いにもあらずとまりぬ。また木こりもなかりけり。恐ろしさ他に交じって労働することができ ないので。 すべき方なし。木のうつほのありけるにはひ入りて、目も合はず屈まり居たる五ひどくはげしくて。 六空洞。ほらあな。 はるか 程に、遥より人の音多くして、とどめき来る音す。いかにも山の中にただ一人セ体をのばせない窮屈な格好で いるのと暮れきった山中にたった 居たるに、人のけはひのしければ、少しいき出づる、い地して見出しければ、大一人でいる恐怖から、まんじりと もできないでいた。 かた 方やうやうさまざまなる者ども、赤き色には青き物を着、黒き色には赤き物を〈生き返ったような気持。ほっ とすること。 たふさぎ 九さるまた・ふんどしの類。 襌にかき、大方目一つある者あり、ロなき者など、大方いかにもいふべきに 「犢鼻褌、襌タフサキ」 ( 字類抄 ) 。 わ てん あらぬ者ども百人ばかりひしめき集りて、火を天の目のごとくにともして、我一 0 日輪すなわち太陽のこと。 ともしびてんのめ ひゅづくし 「灯火日輪の如し」 ( 譬喩尽一 ) 。 = 円を描くようにして座ること。 が居たるうつほ木の前に居まはりぬ。大方いとど物覚えず。 ( 現代語訳一一三七ハー ) かた こぶ おきな ニかうじ 五 みいだ カカ 四 おほ 一 ( 食べなくても、どうという こともなかろう、の意から ) 口に することもあるまい