303 巻第四 そうしているうちに、日はどんどん暮れて暗くなってし 講が終ったので、女が立ち上がって出て行くにつれて蛇も まったので、蛇の様子を見るべきてだてもなくて、この家 ついて出た。見ていた女も、蛇のしかけることを見ようと、 後について京の方へ出て行った。下京の方のはずれに一軒の主人と思われる女に、「こうしてお泊めいただいたかわ の家がある。その家に入ると蛇もいっしょに入った。これりに、麻がありますか、よって進ぜましよう。火をともし てください」と一言うと、「うれしいことを言ってくださる」 がこの女の家であったかと思うが、「蛇は昼間は何もしな いだろう。夜こそ何かすることもあろう。この蛇の夜の様と言って明りをともした。麻を取り出して渡したので、そ 子が見たいもの」と思うが、見るすべもないので、その家れをよりながら気をつけていると、この女は寝てしまった いなか に歩み寄って、「田舎から上って来たものですが、泊る所ようだ。今こそ蛇は寄って行くだろうと見ているが、近寄 このことをすぐにも知らせたいとは思 , つが、うつ もありませんので、今晩だけぜひ宿をさせていただけませらない。 かり知らせると、自分にも不都合なことになるかもしれな んか」と頼んだ。この蛇のついた女をこの家の主人と思っ いと思って、ものも言わず、どうするかと夜中過ぎまでじ ていたが、この女が、「ここにお泊りの方がおいでですよ」 っと見守っていたが、ついにどうにも見えないほどにとも と言うと、年とった女が出て来て、「どなたでいらっしゃ し火が細くなってしまったので、この女も寝てしまった。 いますか」と言う。さてはこの人がこの家の主人なのだと 夜が明けてから、どうしたろうと思ってあわてて起きて 思って、「今晩だけ宿をお借りしたいのです」と言う。「よ うございましよう。お入りなされ」と言う。うれしいと思見ると、この女はよい時分に起き出して、格別何ともなさ そうな様子で、家の主人と思われる女に、「昨夜はほんに って入って見ると、板の間のある所に上ってこの女が座っ ている。蛇は、板敷の下の柱のもとにとぐろを巻いている。夢を見ました」と言う。「どんな夢を御覧になりましたの」 気をつけて見ると、蛇はこの女をじっと見上げていた。蛇と聞くと、「私の寝ていた枕もとに人のいる気配がして、 見ると、腰から上は人で下は蛇の清らかな女がいて言うの のついた女は、「御殿の様子は : : : 」などと物語をしてい です、『私はある人を恨めしいと思ったために、こうして た。宮仕えをしている者と思われる。 いたじき
うりんゐんばだいかう一 この近くの事なるべし。女ありけり。雲林院の菩提講に大宮を上りに参りけ 10 京都市北区紫野大徳寺の東南 にあった寺。初め淳和天皇 ( 九世 はたち さいゐんへん 紀前期 ) の離宮、のち仁明天皇の る程に、西院の辺近くなりて石橋ありける。水のほとりを廿余り三十ばかりの 皇子常康親王の邸となり、さらに 女、中結ひて歩み行くが、石橋を踏み返して過ぎぬる跡に、踏み返されたる橋貞観 + 一年 ( 八究 ) 寺となし、僧正 げんけいじ 遍昭が付属されて住し、元慶寺の く . ちオよは まだらくちなは一四 の下に、斑なる蛇のきりきりとして居たれば、石の下に蛇のありけるといふ程別院となり、一時栄えた。ここで 毎年三月二十一日、菩提 ( 仏果 ) を 。しり・ く′わ・は に、この踏み返したる女の尻に立ちて、ゆらゆらとこの蛇の行けば、尻なる女得るために『法華経』を講説する法 会を「菩提講」という。現在は大徳 あ いだ の見るにあやしくて、「いかに思ひて行くにかあらん。踏み出されたるを悪し寺の南に「林完」の地名と、観音 堂一宇を残す。 はうたふ と思ひて、それが報答せんと思ふにや。これがせんやう見んーとて尻に立ちて = 大宮大路。朱雀大路を境に、 大内裏の東側の東大宮大路、西側 くちなは 行くに、この女時々は見返りなどすれども、我が供に蛇のあるとも知らぬげなの西大宮大路が南北に通じていた。 次の「西院の辺」や雲林院の位置か くちなは ら、ここは西大宮大路とみておく。 り。また同じゃうに行く人あれども、蛇の女に具して行くを見つけいふ人もな 三『拾芥抄』に「四条北、西大宮 し。ただ最初見つけつる女の目にのみ見えければ、これがしなさんやう見んと東」とあるが、現在の西院淳和院 町は、昔の西大宮大路の西。この 辺に淳和帝の離宮があったという。 四思ひて、この女の尻を離れず歩み行く程に、雲林院に参り着きぬ。 一三遠出などの際、着衣が足にま くちなはのば いたじきのば 第 オつわりつかないように、少し引き 寺の板敷に上りて、この女居ぬれば、この蛇も上りて傍にわだかまり伏しこ 上げて帯で結い止めること。 れど、これを見つけ騒ぐ人なし。希有のわざかなと、目を放たず見る程に、講高とぐろを巻いているさま。 くちなは 果てぬれば、女立ち出づるに随ひて蛇もっきて出でぬ。この女、これがしなさ したが わ ぐ かたはら かう
うりんいんばだい この食 近ごろのことのようだ。一人の女がいた。雲林院の菩提 うもない。かといって、命を捨てるべきではない。 第一う べ物のあるうちは、少しずつでも食べて何とか生きられま講に大宮大路を上って行くうちに、西院のあたり近くなっ しよう。しかしこれがなくなったら、生きられなくなりま て石橋があった。川 のほとりを二十はすぎた三十くらいの 語 物しよう。さあ、この苗の枯れないうちに植えてしまいまし女が、腰帯をしめて歩いていたが、石橋を踏み返して通り 過ぎたあと、その踏み返された橋の下に、まだらの蛇がく 拾よう」。そう一言うと、もう一人も「いかにも」とうなずい 宇て、水の流れがあり、田に作れそうな所を捜し出して、鋤、るくるととぐろを巻いていた。「まあ、石の下に蛇がいた 鍬はあったので耕して植え、木を伐り出して小屋などを作わ」と思ううちに、踏み返した女の後ろにによろによろと った。季節ごとに果実のなる木が多かったので、それを取この蛇がついて行く。後の方の女はこれを見て怪しみ、 って食べ暮すうちに、、 しっしか秋にもなった。そうした前 「何と思ってついて行くのかしら。踏み現されたのを憎い と思って、その仕返しをしようとするのかしら。とにかく 世の因縁でもあったのか、作った田がよく実って、本土で よりもずっとよいできであったので、たくさん刈って収め この蛇の様子を見よう」と、後ろについて行くと、この女 おきなどし、いつまでもそのままではいられないので、二 は時々ふり返ったりするが、自分のお供に蛇がいるとは気 づかぬ様子である。また同じように道を行く人はいるが、 人は夫婦になった。そして男の子、女の子をたくさん産み 続けて、またそれらが次々に夫婦になっていき、大きな島蛇が女について行くのを見つけて口にする人もない。たた だったので、田畑も多く作って、このごろは、この兄妹の最初に見つけた女の目にだけ見えたので、この蛇のしかけ 子孫が島にあふれるほどになっているという。これは妺背ることを見ようと思って、この女の後を離れず歩いて行く うちに雲林院にたどり着い 島といって、土佐国の南の沖にあると人が語った。 寺の板の間に上ってこの女が座ると、この蛇も上って脇 でとぐろを巻いてうすくまっていたが、これを見つけて騒 五石橋の下の蛇の事 ぐ人もない。「珍しいことだ」と、目を離さず見ていると、
見ると、ほころびは縫わずに、陸奥国紙に書いた手紙を、 やろう」と言ったので、郡司も、「つまらぬ女をいたわっ とが そのほころびのもとに結びつけて、投げ返してよこしたの て置いて、そのおかげでしまいには、お咎めをこうむると であった。変だと思って広げて見ると、こう書いてある。 いうことになるのか」と言ったので、あれこれ重なって女 語 物 は恐ろしくつらい思いであった。 われが身は竹の林にあらねどもさたが衣を脱ぎかくる 遺 、刀子′ こうして腹を立てて叱りつけて、帰って来てから侍所で、 宇 ( 自分の身は竹の林ではないのに、どうしてだかさたが着物「どうにもむしやくしやする。わけも分らぬ腐れ女に、ひ さったたいし を脱ぎかけてきた。これがあの薩陲太子なら、脱ぎかけるの どいことを言われた。国守様でさえ、『佐多』と言ってお も当然でしようけれど ) 召しになる。それなのにこの女め、『佐多が』と言うべき これを見て、殊勝なことよと感じ入るなら、それこそあっ法があるか」と、ただもうぶんぶん腹を立てているが、聞 ばれというべきであろうが、佐多は見るやいなやかんかん く人たちはわけが分らなかった。「さてまたどんなことを に腹を立てて、「この目のつぶれた女め。ほころびを縫い されてこうは言うのか」と問うと、「聞いてくだされ、申 にやったら、ほころびの切れた所を見つけることさえでき しあげよう。こんな許しがたい侮辱は、誰も自分と同じ気 おそ ず、『佐多の』と言うべきものを、まったく申すも畏れ多持になって国守様にも申しあげてくれ。あなたがたの名折 い国守様でさえ、この長い年月まだそうはお呼びにならなれにもなる」と言って、ありのままのことを話すと、「そ いのだ。なんだっておまえなんかが、『佐多が』と言うべ れはそれは」と言って苦笑する者もあり、佐多をいやなや き法があるか。思い知らせてくれよう」と言って、まった つだと思う者も多かった。人々は女をば、みな気の毒がり、 く言うも恥ずかしいところについてまでも、なんだかんだ 奥ゆかしく思った。このことを為家が聞いて、佐多を前に と悪口雑言したので、女は気もそそろになって泣いてしま呼んで尋ねたので、佐多は、自分の愁訴がかなえられたも った。佐多は腹立ちまぎれにあたりちらし、郡司までもの のと喜んで、仰々しく得意気に語ったところ、為家はよく のしって、「さあ、このことを国守様に申しあげて罰して聞いてから、この男をば追い出してしまった。女をばかわ みちのくにがみ
( 原文二一〇ハ -) きりかけぺい 従者は、「殿のいらっしやった傍らに切懸塀がありました。 はりまのかみためいえさむらい それを隔ててその向こう側に女がおりましたので、御存じ 二播磨守為家の侍佐多の事 のはずとばかり思っておりました」と言うと、「今度はし ばらくの間行くまいと思っていたが、お暇をいただいてす 今は昔、播磨守為家という人がいた。その身内に、たい ぐに行って、その女をかわいがってやろう」と言った。 したこともない侍がいた。通称を佐多といったので、主人 それから二、三日ほどして、為家に、「指図をすべきこ も同僚も正式の名を呼ばずに、ただ佐多とばかり呼んでい た。これといったとりえはないが、まじめに奉公をして長となどがありましたが、それを中途半端にして来てしまい ました。お暇をいただいて下向したいと存じます」と申し 年になっていたので、小さな郡の税の取立て役などをさせ たところ、喜んでその郡に行って、郡司の所に宿をとった。 あげると、「仕事の指図を中途にして、なんでまた帰って さーし そして必要な事務の処理などあれこれ指図して、四、五日来たのだ。早く行ってこい」と言ったので、佐多は喜んで 下って行った。 ほどして帰って来た。 郡司の家に行き着いたが、そのまま女には何の言葉もか この郡司のもとに、京からさまよい出て人にだまされて もとから馴れそめているような間柄でさえ、まだ 来た女がいたが、その女を気の毒に思って養いおいて、縫けない。 さほどにうちとけてもいない間はそんなふうにしてよいは い物などをさせて使ってみると、そういうことなどにも心 ずはないのに、まるで従者などにでもするように、着てい 得があるので、いとしく思って置いてやっていた。さて、 すいかん たそまつな水干の縫い目の切れたのを、切懸塀の上から投 この佐多に従者が、「郡司の家に京の女だという、器量が 第 よく、髪の長い女をこっそり住まわせて、殿にもお知らせげやって、声高らかに、「このほころびを縫ってよこせ」 巻 と言うと、間もなく投げ返してきた。「縫い物をさせてい 申しあげずに置いてございましたよ」と語ると、「しやく ると聞いていたが、なるほどこれは手早く縫ってよこす、 1 なことかな。こいつめ、向こうにいた時には言わず、今に なってそんなことを言うとは気の利かないやつだ」と言う。手の利く女かな」と、荒々しい声でほめたてて取り上げて くだ
になりましたので、きっと金を借りられた人だと思って申 この旅人は、「ちょっと待て」と言って、また腰を下ろし ・」うり しあげるのです」と言う。旅人は、「金のことは本当です。 て行李を取り寄せ、幕を引きめぐらし、しばらくしてから おっしやることは確かでしよう」と言って、女を片隅に連 この女を呼ぶと、女は出て来た。 語 たた 物旅人が問うには、「こちらの親御さんは、もしゃ易の占れて行き、人にも知らせずに柱を叩かせると、うつろな音 拾いということをなさいましたか」と聞くと、女は、「さあのする所があったので、「そら、この中におっしやる金は 宇どうですか、そうだったかもしれません。今あなたのなさありますぞ。あけて少しずっ取り出してお使いなさい」と っているようなことはしておられました」と一 = ロう。旅人は、教えて出て行った。 この女の親は易の占いの名人で、この女の運勢を判断し 「そうでしよう、そのはずです」と言って、「それにしても たところ、あと十年たっと、貧しくなるだろう。その年の どうして私に千両の金を借りている、その弁償をせよと言 うのです」と聞くと、「私の親が亡くなりました時に、一某月某日に易の占いをする男が来て、泊ることになるだろ うと調べ出して、もし今このような金があると告げれば、 応暮していけるだけの物などを私に与えておいて申します まだ貧しくならないうちに取り出して使ってしまい、貧し には、『今から十年たってこれこれの月に、ここに旅人が くなった時には、使う物もなくて途方に暮れるだろうと思 来て泊ることになる。その人はわしの金を千両借りている って、さきのように言って教え、死んだ後にも、この家を 人だ。その人にその金を返してもらうとして、それまでは 売り払わずに、今日という日を待ちうけて、この人をこの 暮しがたたないようなら、売り食いをして過しなさい』と ように責めたのである。この旅人も易の占いをする者で、 いうことでしたので、今までは親の与えてくれた物を少し よく心得て占い出して女に教え、立ち去って行ったのであ ずつ売り使ってきましたが、今年になってからは、売るべ き物もなくなりましたので、いっときも早く、親の言って たなごころ 易の占いは将来のことを掌の中の物を指すように指し いた月日がどうぞ来ますようにと待っておりましたが、そ 示して知ることのできるものなのであった。 の日の今日にあたって、あなた方がおいでになってお泊り
ある、績みて奉らん。火とばし給へ」といへば、「うれしくのたまひたり」と = うれしいことをおっしゃいま て火ともしつ。麻取り出してあづけたれば、それを績みつつ見れば、この女臥三寝入ってしまったらしい 一三蛇が女のそばに寄って行くだ しぬめり。今や寄らんずらんと見れども、近くは寄らず。この事やがても告げろうと。 一四女の身に何も起らないうちに、 あ ばやと思へども、告げたらば我がためも悪しくやあらんと思ひて、物もいはで、蛇につきまとわれていることを早 く知らせて用心させてあげようか、 という思い しなさんやう見んとて、夜中の過ぐるまでまもり居たれども、遂に見ゆる方も 一五自分にとっても具合の悪いこ うら たた とになろう。蛇から怨みや祟りを なき程に火消えぬれば、この女も寝ぬ。 こうむることになるかもしれない 明けて・、 彳いかがあらんと思ひて惑ひ起きて見れば、この女よき程に寝起きとの気持。 一六あわてて急いで、の意。 宅何事もなさそうな様子で。 て、ともかくもなげにて家あるじと覚ゆる女にいふやう、「今宵夢をこそ見つ まく、らがみ ね れ」といへば、「いかに見給へるそ」と問へば、「この寝たる枕上に、人の居る一〈人が座っている。 しもくちなは と思ひて見れば、腰より上は人にて下は蛇なる女、清げなるが居ていふやう、 した 一九くちなは 四『おのれは人を恨めしと思ひし程に、かく蛇の身を受けて、石橋の下に多くの究このように蛇身とな。て畜生 道に堕ちて。仏教の輪廻転生観に わび すぐ 第 よる考え。 年を過して佗しと思ひ居たる程に、昨日おのれが重石の石を踏み返し給ひしに ニ 0 つらく苦しい 巻 助けられて、石のその苦をまぬかれてうれしと思ひ給へしかば、この人のおは = 一思いましたので。「給ふ」は謙 譲の意を添える補助動詞。 ばだいかう し着かん所を見置き奉りて悦も申さんと思ひて、御供に参りし程に、菩提講の = = お礼を申したいと。 かみ よろこび ね おもし つひ かた
ゅ んやう見んとて、尻に立ちて京ざまに出でぬ。下ざまに行きとまりて家あり。 0 くちなはぐ その家に入れば、蛇も具して入りぬ。これぞこれが家なりけると思ふに、昼は 語 物するかたもなきなめり。夜こそとかくする事もあらんずらめ。これが夜の有様 = 何をすることもないようだ。 人目のある昼の間は何もせずにじ ゐなか っとしているらしい 、との推測。 治を見ばやと思ふに、見るべきゃうもなければ、その家に歩み寄りて、「田舎よ 三見たいものだ。 さぶら 四宿泊させていただきたいので り上る人の、行き泊るべき所も候はぬを、今宵ばかり宿させ給はなんや」とい すが。「なん」は、他にあつらえ望 くちなは へば、この蛇のつきたる女を家あるじと思ふに、「ここに宿り給ふ人あり」とむ意を添える終助詞。 六 五蛇のついている女が、その家 たれ いへば、老いたる女出で来て、「誰かのたまふぞーといへば、これそ家のあるの主人に取り次いでくれな一日葉。 六お泊りになりたいといわれる のはどなたですか。 じなりけると思ひて、「今宵ばかり宿借り申すなり」といふ。「よく侍りなん。 セよろしゅ , っ」、い士ましよ、つ。 いたじき 入りておはせーといふ。うれしと思ひて入りて見れば、板敷のあるに上りて、 ^ じっと目を離さずに見上げて。 しも くちなは この女居たり。蛇は板敷の下に柱のもとにわだかまりてあり。目をつけて見れ「まもる」は「目守るあ意。 九宮仕えぶりを語り聞かせてい 九 くちなは くちなは る様子。「殿」は勤め先の御殿。 ば、この女をまもりあげて、この蛇は居たり。蛇つきたる女、「殿にあるやう からむし 一 0 麻・苧 ( 麻の別種の草の名 ) みやづかへ を「を」という。麻や苧の繊維。ま は」など物語し居たり。宮仕する者なりと見る。 たそれを紡いで糸としたものをも くちなは いうが、ここは前者。「績む」とは、 かかる程に、日ただ暮れに暮れて暗くなりぬれば、蛇の有様を見るべきゃう 紡ぐ作業で、繊維を細く裂いてよ り合せて糸を作ること。 もなく、この家主と覚ゆる女にいふやう、「かく宿させ給へるかはりに、麻や のば こよひ 四 のば を 一下京の方面に
ところだった。あそこには身分の高いお方が、今夜だけと が住んでいたが、日に一度、その山の峰にある塔婆を必す 言ってお借りになったので、お貸し申して、私はこの所に見るのであった。高く大きな山なので、麓から頂上に登る 寝ていたのさ。ほんとうにまああきれたことをする男だ」途中は、高く険しく急で、道は遠かったが、雨が降り、雪 語 あきひら 物と騒いでいる時に、明衡も驚いて、「どうしたのだ」と尋が降り、風が吹き、雷が鳴り、かたく凍りつく日にも、ま ぞうしき 拾ねたので、男が出て来て、「私は甲斐殿の雑色でなにがし た暑く苦しい夏にも、この女は一日も欠かさず必ず登って この塔婆を見た。 宇と申す者です。お身内のお方がいらっしやるとは存じませ こういうふうにしているのを、人はまったく知らなかっ んで、もう少しでまちがいをしでかそうとするところでし たが、たまたま御指貫の括りの紐を見つけて、あれこれ考たが、ある時、若い男どもや子供たちが、夏の暑い時分に、 えまして、伸ばした腕を引っ込めたようなわけでございま 山に登って塔婆のもとで涼んでいた。そこへこの女が汗を す」と言って、ひどく身をすくめていた。 ふき腰を二重に曲げて杖にすがりながら、塔婆のもとに来 て塔婆の周囲を巡りだしたので、拝もうというのかと思っ 甲斐殿という人は、この明衡の妹の夫であった。思いが けない指貫の括りのおかげで、かろうじて危ない命を拾う て見ていると、塔婆を回ってはすぐに帰ってしまう。それ ことになった。こうい , っことがあるから、人は忍び歩きと が一度や二度ではない。何度もこの涼む男たちは女に出会 ったのだった。「この女は、どんなつもりで苦しいめにあ はいっても、下賤の所には立ち寄ってはならないというの である。 いながらこんなことをするのか」と不思議がり、「今日来 たらこのことを聞いてみよう」と話し合ったところへ、 もろ , 一しそと - ば つものことなので、この女は這うようにしながら登って来 十二唐の卒都婆に血が付く事 た。そこで男どもは女に向って、「あなたは、どんなつも 昔、唐に大きな山があった。その山の頂上に大きな塔婆りで登って来るのです。私たちが涼みにやって来るのでさ ふもと が一つ立っていた。その山の麓の村里に年八十ばかりの女え、暑く、苦しい、難儀な道なのに、涼もうと思って登っ ( 原文八一一ハー )
をお連れになって食べ物をください。舟はみな破損したの海をわたり歩いていたが、悪風に吹き飛ばされてこの島に 着いたら、世にも愛らしい女たちにだまされて、帰ること で、帰るすべもないのです」と言うと、この女たちは、 も忘れて住むうちに、産む子も産む子もみな女だ。限りな 「それでは、さあ、おいでください」と言って、先に立っ くいとしく思って住むうちに、また別の商人舟が寄って来 て案内して行く。家に着いて見ると、白く高い塀を遠くま ると、もとの男をこんなふうにして、日々の食料にあてる で築きめぐらして、門をいかめしく立てている。その中に のだ。あなたがたもまた別の舟がやって来たら、きっとこ 連れて入ると、門の錠をすぐにさした。中に入って見ると、 ういう目にお遭いになる。何とかして、一刻も早く逃げら いろいろな建物が離れ離れに作ってある。男は一人もいな 商人たちは、皆めいめいに女を妻にして住んだ。そしれよ。この鬼は、昼六時間ほどは昼寝をする。この間にう て互いにこのうえもなく愛し合った。片時の間も離れられまく逃げれば逃げられるだろう。この四方に高くめぐらさ れた塀は鉄で固めてある。そのうえ私たちは、膝の後ろの ないような気持で住んでいたが、この女たちは毎日長いこ と昼寝をする。顔はかわいらしいが、寝入るたびになんと筋を切られてしまっているので、逃げるすべもないのだ」 と、泣く泣く語った。そこで、「どうも変だとは思ったが」 なく気味悪く見える。僧伽多はこの気味悪い顔を見て合点 と、帰って残りの商人たちにこのことを語ると、皆びつく がいかず、不思議に思ったので、そっと起き上がって方々 を見ると、数々の別棟の建物があった。近づいて見た一つり仰天して、女の寝ているすきに、僧伽多を先頭にして浜 へ出た。 の別棟は、塀を高く築きめぐらしている。戸には錠をかた ふだらくせかい 一同がはるかに補陀落世界の方へ向って、いっしょに声 くさしてある。塀の角から登って中を見ると人が大勢いる。 第 をあげて観音を祈っていると、沖の方から大きな白馬が波 あるいは死に、あるいはうめき声をあげている。また白い 巻 の上を泳いで、商人たちの前に来て、うつぶせに伏した。 死骸や赤い死骸がたくさんある。僧伽多は一人の生きてい これこそお祈りした効験であると思って、その場にいた者 肪る男を招き寄せて、「これはどういう人たちが、こうして なんてんじく は一人残らず取りすがってこれに乗った。一方、女たちは いるのか」と問うと、「私は南天竺の者だ。商売のために ひぎ