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検索対象: 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)
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1. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

こどのとしごろさぶら 侍参りたりけり。「故殿に年比候ひしなにがしと申す者こそ参りて候へ。御一以下、取次の言葉。亡き殿様 に長年お仕えしていた、これこれ 1 げんぎん と申す者が。 見参に入りたがり候といへば、この子、「さる事ありと覚ゅ。しばし候へ。 ニしばらくお控えください。ご 語 物御対面あらんずるそ」といひ出したりければ、侍、しおほせっと思ひてねぶり対面なされましようそ。 三うまくいった。「頼み込むき つかけはできた」とのほくそえみ。 治居たる程に、近う召し使ふ侍出で来て、「御出居へ参らせ給へ」といひければ、 四目をつぶっていると。これか よろこ たか らのかけひきを前に昂ぶる心をし 悦びて参りにけり。この召し次ぎしつる侍、「しばし候はせ給ヘーといひて、 ずめているさま。 五寝殿造の邸宅で、中央の母屋 あなたへ行きぬ。 の外、廂の間にある客間。 みき一う 見参らせば、御出居のさま、故殿のおはしましししつらひに露変らず。御障六間仕切り。ここでは襖障子。 唐紙。 子などは少し古りたる程にやと見る程に、中の障子引きあくれば、きと見あげセしやくりあげておいおい泣く。 〈 ( 侍のそばに寄り ) 片膝をつい たるに、この子と名のる人歩み出でたり。これをうち見るままに、この年比のて座って。 九「とは」は「こは」の誤写か。 いかにかくは一 0 「違はせおはしまさぬ」のは 侍さくりもよよと泣く。袖もしばりあへぬ程なり。このあるじ、 「出居へ出た時の烏帽子の真っ黒 なさま」。それを若主人は「自分が 泣くらんと思ひて、つい居て、「とはなどかく泣くそ」と問ひければ、「故殿の 生前の故殿そのままだとこの侍は おはしまししに違はせおはしまさぬがあはれに覚えて」といふ。さればこそ我言っている」と受け取って喜んだ。 一一「しかあらぬ」の意。そうでな 故殿には似ていない。 も故殿には違はぬゃうに覚ゆるを、この人々の、あらぬなどいふなる、あさまい。 一ニおまえ。目下の者に言う対称 、」とほか 代名詞。 しき事と思ひて、この泣く侍にいふやう、「おのれこそ殊の外に老いにけれ。 さぶらひ ふ たが 九 でゐ っゅ

2. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

取りのけこばちて、そこに埋みて高々と塚にてあり。家の人々もさてあひゐて一そのようにして同居するとい , つよ , つなことは。 あらん、物むつかしく覚えて、みな外へ渡りにけり。さて年月経にければ、寝 = 薄気味悪く思って。 三移ってしまった。 = ロでん 物殿もみなこばれ失せにけり。 四寝殿造の中央南面の建物。主 人が起居し、また表座敷とする。 かたはら 治 いかなる事にか、この塚の傍近くは下種などもえ居つかず。むつかしき事五まったく人も住みつけなかっ 宇 たので。 おほかた たか 六高辻通りに面した土地。 ありと言ひ伝へて、大方人もえ居つかねば、そこはただその塚一つぞある。高 まっ セ「斎ふ」は謹んで祀る意。その むろまち おもて 辻よりは北、室町よりは西、高辻表に六七間ばかりが程は、小家もなくて、そ塚の言い伝えを聞いた近隣の人々 たた が、祟りを恐れて建てたものか。 の塚一つそ高々としてありける。いかにしたる事にか、塚の上に神の社をそ一現在、この地には繁昌神社が鎮座 はんじよやしろ する。同社は班女の社とも呼ばれ、 ごろ 社の北西にある石とは本話の事 っ斎ひ据ゑてあなる。この比も今にありとなん。 跡をしのばせる。ただし、『雍州 府志』は、もと針才女 ( 弁財天 ) を 祀った社とする。 ^ 「あるなる」の約。あるという 十六雀報恩の事 ことだ。 今は昔、春つかた、日うららかなりけるに、六十ばかりの女のありけるが、 しらみ 九諸注、虱と推考している。 わらはべ 虫打ち取りて居たりけるに、庭に雀のしありきけるを童部石を取りて打ちたれ一 0 びよんびよん跳び歩いていた のを。 ば、当りて腰をうち折られにけり。羽をふためかして惑ふ程に、烏のかけりあ = ばたっかせて。 六 やしろ 四 しん

3. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

ゃうにて立ち騒ぐ所あり。この馬京に率て行きたらんに、見知りたる人ありて一不都合である。 -4 ニそっとこの馬を売ってしまい たいものだ。「ばや」は、自己の希 盗みたるかなどいはれんもよしなし。やはらこれを売りてばやと思ひて、かや 望の意を表す。 語 物うの所に馬など用なる物そかしとて、おり走りて寄りて、「もし馬などや買は = 馬がほしいな。「がな」は、希 望の意を添える。直接体言にも接 治せ給ふ」と問ひければ、馬がなと思ひける程に、この馬を見て、「いかがせん」続する。 四物々交換に用いるための絹布。 と騒ぎて、「只今かはり絹などはなきを、この鳥羽の田や米などにはかへてん五京都市南区上鳥羽と伏見区下 鳥羽に分れているが、『和名抄』に は「山城国紀伊郡鳥羽」と見え、鳥 や」といひければ、なかなか絹よりは第一の事なりと思ひて、「絹や銭などこ 羽田とも称したとある。平安末に そ用には侍れ。おのれは旅なれば田ならば何かはせんずると思ひ給ふれど、馬なって鳥羽殿 ( 白河・鳥羽両上皇 の離宮 ) が造営されてから、その したが おほせ の御用あるべくは、ただ仰にこそ随はめ」といへば、この馬に乗り試み、馳せ地を下鳥羽というが、以前の鳥羽 は上鳥羽だけをさしたらしい などして、「ただ思ひつるさまなり」といひて、この鳥羽の近き田三町、稲少六換えてはもらえまいか。 セかえって。むしろ。 のば し、米など取らせて、やがてこの家を預けて、「おのれ、もし命ありて帰り上 ^ 以下、本心とは逆の、馬の値 をつりあげるためのかけひきのロ かぎり一 0 りたらば、その時返し得させ給へ。上らざらん限はかくて居給へれ。もしまた上。 九思ったとおりのすばらしい馬 わ 命絶えて亡くもなりなば、やがて我が家にして居給へ。子も侍らねば、とかく 一 0 そのまま居続けておられよ。 くだ 申す人もよも侍らじ」といひて預けて、やがて下りにければ、その家に入り居 = そのまま自分の家にして。 ひとり て、得たりける米、稲など取り置きて、ただ一人なりけれど、食物ありければ、 な のば くひもの ( 現代語訳三四八ハー )

4. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

すす あり。妻戸に明り障子立てたり。煤け通りたる事いつの世に貼りたりとも見え三張りのない、 くたくたの衣。 一四腕組みをして。 ず。 一五ちょうど勤行の時刻になりま すみぞめ した。「相手が黙っていても依頼 しばしばかりありて、墨染着たる僧、足音もせで出で来て、「しばしそれに する祈疇の内容を知ってこれを行 おこなひ おはしませ。行の程に候」といへば、待ち居たる程に、とばかりありて、内よない、祈疇をしたので、宜しくな りました」の意とする説 ( 大系本 ) かう り、「それへ入らせ給へ」とあれば、煤けたる障子を引きあけたるに、香の煙もある。 たくはっ 一六托鉢・廻国修行をせず、籠居 な くゆり出でたり。萎え通りたる衣に袈裟なども所々破れたり。物もいはで居らして修行する人。 宅大和国 ( 奈良県 ) 吉野郡にある 一四 れたれば、この人もいかにと思ひて向ひ居たる程に、こまぬきて少しうつぶし修験場の霊場で、北は金峰山より えんの 南は玉置山に至る険しい山地。役 おこなひ おづめ 小角難行の故地とされ、山上が岳 たるやうにて居られたり。しばしある程に、「行の程よくなり候ひぬ。さらば ( 一七一九 ) を中心に信仰登山が 行われる。 とく帰らせ給へ」とあれば、いふべき事もいはで出でぬれば、また門やがてさ 一 ^ 馬のように四足のある竜。 ゐおこなひ 一九尋常でない苦行を重ねたこと。 しつ。これはひとへに居行の人なり。 ニ 0 ここは田楽法師、猿楽法師を いう。田楽は、田植の折の囃し事 五一乗寺僧正は大嶺は二度通られたり。蛇を見る法行はるる。また竜の駒など に由来し、のち社寺の行事となる。 どびようし 第 を見などして、あられぬ有様をして行ひたる人なり。その坊は一二町ばかりよ腰鼓・笛・銅跋子・ささらなどを 巻 用い、高足に乗りなどする遊芸。 でんがくさるがく りひしめきて、田楽、猿楽などひしめき、随身、衛府のをのこどもなど出で入三禁裏の警備をつかさどった役 所で、左右の近衛府・兵衛府・衛 ものうり くらたち 門府の総称。 りひしめく。物売ども入り来て、鞍、太刀、さまざまの物を売るを、かれがい 一一一しゃうじ ずいじんゑふ しわだらけで、

5. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

225 巻第七 かたはらへん 三居つき、住みついた。 傍その辺なりける下種など出で来て使はれなどして、ただありつき、居つき 一三自分の家の分として。 一四富、財産が付き集って。 三音沙汰がなくなってしまった 二月ばかりの事なりければ、その得たりける田を半らは人に作らせ、いま半ので。 一六『今昔』には、この後に「其ノ かた 後ハ、長谷ノ観音ノ御助ケ也ト知 らは我が料に作らせたりけるが、人の方のもよけれども、それは世の常にて、 テ常ニ参ケリ」とあり、さらに観 ぶん ことほか 音霊験の讃辞が続く。 おのれが分とて作りたるは殊の外多く出で来たりければ、稲多く刈り置きて、 一セ藤原実頼 ( 九 00 ~ 九七 0) 。関白忠 とくにん それよりうち始め、風の吹きつくるやうに徳つきて、いみじき徳人にてそあり平の長男。左右大臣を経て関白、 太政大臣、摂政となる。諡号は清 ける。その家あるじも音せずなりにければ、その家も我が物にして、子孫など慎公。日記『水心記』の著者。 天平安時代、宮廷や貴族の邸で 行われた大饗宴。恒例のものには 出で来て殊の外に栄えたりけるとか。 一一宮 ( 中宮・東宮 ) の大饗と大臣の 大饗があった。 一九藤原師輔 ( 九 0 八 ~ 九六 0) 。実頼の をののみやだいきゃう にしのみやどのとみのこうぢ 弟。検非違使別当、右大臣、右大 六小野宮大饗の事、西宮殿富小路大臣大饗の事 将。早世によって摂関職を経なか った。九条殿・坊城右丞相と称し た。道長の祖父。 一うぞく 今は昔、小野宮殿の大饗に、九条殿の御贈物にし給ひたりける女の装束に添 = 0 砧で打。て駅を出した絹製 おおくび の女子の衣服。袿に似て大領 ( 首 やりみづ くれなゐ ほそなが ごぜん へられたりける紅の打ちたる細長を、心なかりける御前の取りはづして遣水にを囲むような前えり ) のないもの。 三「御前駆」の略。 すなは 落し入れたりけるを、即ち取り上げてうち振ひければ、水は走りて乾きにけり。一三庭先に引いた流水。 一三れう 一セ 一九 なか

6. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

こと′ ) と 言い争った。 べき」とあらがひけり。僧正、「勝ち申しなば、異事あるべからず、戒壇を築一 ニ他のことはしていただかなく て結構です。 きて給へ」とありければ、「やすき事」とて炒大豆を投げやるに、一間ばかり 語 三驚嘆しないという者はない。 物退きて居給ひて、一度も落さず挟まれけり。見る者あさまずといふ事なし。柚 0 落してしまうことはなく。 さね 『古事談』二七七話の「オトシモハ 治の実の只今しばり出したるをまぜて、投げてやりたるをそ挟みすべらかし給ひテズ」に従うべきか。 五一族縁者の多い者だったので。 たりけれど、落しもたてず、またやがて挟みとどめ給ひける。郡司一家広き者一必要な人数を遣わして。『古 事談』は「引 = 卒人数こ。 なれば、人数をおこして不日に戒壇を築きてけりとそ。 セ何日もかからすに。 六 ふじっ い五 け

7. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

時かはさず持て来。外に寄るな。とく走れーとてやりつ。さて、「まな板洗ひ一四料理人。『荘子生主篇に 「庖丁、為二文恵君一解レ牛」とあり、 はうちゃう こゑ 元来は料理人の固有名詞。転じて て持て参れ」と、声高くいひて、やがて、「用経、今日の庖丁は仕らん」とい ほうちょうがたな 料理すること、または庖丁刀の意 まう まなばしけづ さや となる。時代は下るが、「園の別 ひて、真魚箸削り、鞘なる刀抜いて設けつつ、「あな久し。いづら来ぬや」な 当入道は、さうなき庖丁者なり。 ど心もとながり居たり。「遅し遅し」と言ひ居たる程に、やりつる童、木の枝 : ・皆人、別当入道のを見ばや と思へども」 ( 徒然草二百三十一 に荒巻二つ結ひつけて持て来たり。「いとかしこく、あはれ、飛ぶがごと走り段 ) の例は参考になる。 一五魚の料理時に用いる木の箸。 てまうで来たる童かな」とほめて、取りてまな板の上にうち置きて、ことごと料理人は直接魚を手でおさえては ならない作法があった。 ゅ かたひぎ しく大鯉作らんやうに左右の袖つくろひ、くくりひき結ひ、片膝立て、今片膝一六どこにひっかかって帰って来 ないのか 伏せて、いみじくつきづきしく居なして、荒巻の縄を押し切りて、刀して藁を宅使いにやった少年が。 ひも ニ 0 天括り紐を結んで袖口をきりり ひらあしだふるしきれふるわら 押し開くに、ほろほろと物どもこばれて落つるものは、平足駄、古尻切、古草としめて。 一九いかにも大鯉の料理に似合わ うづふるぐっ 鞋、古沓、かやうの物の限あるに、用経あきれて、刀も真魚箸もうち捨てて沓しいように大げさに構えて。 ニ 0 下駄。高足駄の対。 三「しりきれ」の略。藁で作った もはきあへず逃げて往ぬ。 ぞうり 草履の類。 まらうど 一三「わらぐっ」の音便。「わらづ」 第左京の大夫も客人もあきれて、目も口もあきて居たり。前なる侍どももあさ 「わらぢ」とも。 巻 ニ三沓をはくこともできないほど ましくて、目を見かはして居なみゐたる顔ども、いとあやしげなり。物食ひ、 にあわてふためいて。 ふたり ひとり 酒飲みつる遊も、みなすさまじくなりて、一人立ち、二人立ち、みな立ちて往 = 四興ざめになって。 かみ 一九 あそび かぎり わら くっ

8. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

宇治拾遺物語 3 もちつねうぢどの さかりおはし にへどの あはぢ かみみなもとよりちか ( 而ル間、 ) 茂経、宇治殿 ( ノ盛ニ御マシケル時 ) ニ参テ、執火殿ニ居タル程ニ、淡路ノ守 ( 源ノ ) 頼親ノ もと たひあらまき たてまつり にへどのおほくとりおき あづかり よしずみ ( 朝臣ノ ) 許ョリ鯛ノ荒巻ヲ多ク奉タリケルヲ、殿ニ多取置ケルニ、執火殿ノ預ロノ義澄 ( ト云フ者 ) みまきこひとり しきだいぶきみ こたてまつりおこつまう ニ、 ( 茂経其ノ荒巻ヲ ) 三巻乞取テ、「我ガ職ノ大夫ノ君ニ、此レ奉テ棍リ申サム」トテ、 ( 此ノ荒巻三 まぎ ささげおき たてまっ いひおき 巻ヲ ) 間木ニ捧置テ、義澄ニ云、「此ノ荒巻三巻、人ヲ以テ取リニ奉ラム時ニ遣ハセ」ト云置テ、 ( 義澄 との さきゃうだいぶもとゆき だいぶ いでゐ まらうどふたりみたりばかり ハ殿ヲ出テ、 ) 左京ノ大夫ノ許ニ行テ見レバ、大夫ハ出居テ、客人二三人許来タリ。 ( 『今昔』巻二八第三〇話の冒頭部 ) ※ ( ) 内は『宇治拾遺』 ( 話 ) にない。傍線部は『宇治拾遺』では単に「これ」とする。 りゅうちょう というふうに、説明語的表現の無用な重複をできる限り省いた流暢な和文体であろうとする一貫性に揺るぎ けいちよく はなく、「古本説話集の温和・優雅、今昔の勁直・鮮烈・整斉に対し、平易・軽快・明朗・洒脱」と、『宇治 拾遺』全体の色調を要約した国東文麿 ( 「宇治拾遺物語の評価についての一考察」早大大学院文学研究科紀要昭和 年月 ) の評は正しい。おそらく『宇治拾遺』の採話者は老練な文筆力を持った特定の個人であったと思 われる。複数の人物による共同作業とは到底考えがたいほどの文体の均整が認められるからである。『源氏 物語』の「蛍」巻の中で、「よきもあしきも、世に経る人のありさまの、見るにも飽かず、聞くにもあまる ことを、後の世にも言ひ伝へさせまほしき節ぶしを、心に籠めがたくて、言ひおきはじめたるなり」と光源 氏の口から述べられた「語りの動機」は、そのまま『宇治拾遺』編者のものでもあったはずだが、彼が録し たまかずら よがたり たのは、「蛍」巻の同じ場所で、玉鬘が、「さらずとも、かくめづらかなることは、世語にこそはなりはべ よがたり りぬべかめれ」と言っている、その「世語」的な伝承であった。しかし、それらの多くは書承となった二次 伝承を承けたものであったかと思われ、編者はそれらを自らの文体にのせて再話したのである。その統一的 あそむ ふ

9. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

一四荒れはてている、荒廃してい 旅人の宿求めけるに、大きやかなる家の、あばれたるがありけるによりて、 る、の意。 「ここに宿し給ひてんや」といへば、女声にて、「よき事、宿り給へ」といへば、一五泊めてはくださるまいか。丁 寧な問い方。 ゐ 皆おり居にけり。屋大なれども人のありげもなし。ただ女一人ぞあるけはひし一六一同は ( その家に入って ) 落ち 着いた ナる。 かくて夜明けにければ、物食ひしたためて出でて行くを、この家にある女出宅 ( 朝の ) 食事をし終えて。 天このままお出しするわけには まいりません。 。しかに」と問へば、 で来て、「え出でおはせじ。とどまり給へ」といふ。「こま、 一九借りていらっしやるでしよう。 こがね ニ 0 わきま ニ 0 その返済をすませてから。 「おのれが金千両を負ひ給へり。その弁へしてこそ出で給はめ」といへば、こ ニ一そんなはすはないでしよう、 ずんざ の旅人従者ども笑ひて、「あらじゃ、ざんなめり」といへば、この旅人、「しば言いがかりにきまっています。 一三旅行用の行李。本来は皮張り まく 第し」といひて、またおり居て皮籠を乞ひ寄せて幕引きめぐらして、しばしばかの籠。後には紙張りや竹で編んだ ものをもいう。 巻 ぜいちく ニ三易判断。易占い。算木と筮竹 りありて、この女を呼びければ、出で来にけり。 をもって吉凶などを判断する中国 伝来の占い 旅人問ふやうは、「この親はもし易のうらといふ事やせられし」と問へば、 うらなひ 八易の占して金取り出す事 お おほき かはご えき いだ

10. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

折りぬ ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ー 名・竜 ) ーうけ給事たるによりて ー逆則是順 ワ 1 うちぬ 7 その程に ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) いひまはされけり ( 書・陽・吉 ) ーみ 9 さも ( 書・陽・九・吉・竜 ) ーさしし ーその程 士はされけ・り けに . ん 貶行きて ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ー 圏 1 化人 ( 蓬 ) ー他人 語おほらかににて ( 書・陽 ) ーおほらか 物 て 5 おそはれ ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) Ⅷ貶相人の ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ー ーおそはせ 6 立てたりけるに ( 書・陽・九・蓬・名・ 治吉・竜 ) ーたてりけるに 相人も 7 由を聞きて ( 書・陽・名・吉・竜 ) ーよ しききて 6 何しにか ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) 4 夜も昼も ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ほふもん ーよるもるも 9 法文の事 ( 書・陽・九・蓬・吉・竜 ) ー Ⅱからうじて ( 書・陽・九・蓬・名・吉・ 7 世は ( 書・陽・名・吉・竜 ) ー世 法文 ぐばう 竜 ) ーかうして 2 するを ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ー 1 具房僧都実因 ( 書・陽・名・吉・竜 ) ー 3 引目 ( 意改 ) ーひきへ すなを 奥房僧都実圓 4 射ん ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ー射 6 ごとし ( 書・九・名・竜 ) ーごとく 9 何しに ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ー ほふしゃうじどの 9 つけ果ててければ ( 書・陽・九・蓬・ ょにーし・も 7 法性寺殿の御時 ( 意改 ) ーほうさうし 名・吉・竜 ) ーっけはてければ 殿御時 3 居給ひて ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ・一とやう 7 異様 ( 書・陽・吉・竜 ) ーっとやう “居給て ) ーゐ給へて ごぶつゐん 巻第四 6 護仏院 ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜・ 巻第五 古事談 ) ーくはんふつゐん 屬 6 来たるぞ ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ーむきたるぞ 9 式部 ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ー民 6 程経にければ ( 書・陽・九・蓬・名・ むかへ 7 迎 ( 書・陽・名・吉・竜 ) ーむかひ 部 吉・竜 ) ー程経ければ しゆりのだいぶ 4 Ⅷ 2 と思ふに ( 書・陽・九・名・吉・竜 ) ー 一称 ( 書・陽・九・蓬・名・吉・童 ) ー一矚 6 修理大夫の許へ ( 意改 ) ー修理大夫許 へ Ⅷ 3 するかた ( 書・陽・蓬・名・吉・竜 ) ー 6 法談の事 ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) 2 かざりたりけり ( 書・陽・九・蓮・名・ 吉・竜 ) ーかざりたりける ー法談 3 これが ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ー 7 下向 ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ー下 6 給う ( 音便表記 ) ー給ふ もりかね 迎 7 盛兼 ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) ーも やくそくぜじゅん 1 うけたまはりたるによりて ( 書・陽・ 8 逆即是順 ( 書・陽・九・蓬・名・吉・竜 ) 思ふに すかた たれか りかぬ へ