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検索対象: 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)
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1. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

297 巻第 なる。御容貌をはじめとして、心づかいなども立派で、学 解いて開いてみると、その香りの高いことといったら じんちょうじ 一うばく たとえようもない。見ると、沈、丁子などの香木を濃く煮識やふるまいもすぐれておられたが、また一面色好みらし あ ねり一、う く、何人の女ともお逢いになり、お戯れになっておられた。 つめて入れてある。また練香をたくさん丸めて、いつばい 入れてある。こんなふうだからその香ばしさは推し量られそれを少し軽々しいことだとお考えになられたので、お名 あぜん 前をお隠しになり、身分の高くない女のもとへは、大蔵丞 よう。平中はそれを見て唖然とする思いである。「もしこ とよかげ の女が本物の大小便を汚くし散らしておいてくれていたら、豊蔭と名のって、お手紙をも遣わされ、思いをもかけられ たり、またお逢いにもなられたが、人はみなその辺のこと それを見て愛想もっきて、かえって気持も安まるかと思っ たのだ。これはいったいどうしたことだ。こんなに行き届を心得、承知していた。 その一条摂政が高貴で由緒ある人の姫君のもとへ、お通 いた心配りをする人がいようか。ただの人とも思われない いになり始めた。姫君の乳母や母などを味方にして父には ふるまいだ」と、ますます死ぬほどにせつなく思うが、ど お知らせなさらぬうちに、父が聞きつけて、ひどく腹を立 , っしょ , つもない。「・目分がこ、つして見よ , っとは、まさか思 て、母を責めさいなみ、さんざんに非難されたので、母は、 うはずもあるまいに」と、こういう心づかいを見てからは、 「そんなことはありません」と言い争い、一条摂政に、「ま いよいよ心がうっとりするほど恋しく思ったけれど、つい だ逢っていない由の手紙を書いてください」と困って申し に契りを結ばずに終ってしまった。 あげたので、 「自分ながら、あの女にはまことに恥すかしく、いまいま 人知れず身はいそげども年を経てなど越えがたき逢坂 しかった」と、平中はこっそりと人に語ったとか の関 ( ひそかに、一刻も早くわが身は逢いたいと急ぐのに、長い 十九一条摂政の歌の事 間どうして逢坂の関は越えがたいのであろうーなぜに契りを 結ぶことができないのであろうか ) 今は昔、一条摂政という方は東三条殿の兄君でおいでに

2. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

たらよいのか ) 三度ばかり振り回して、鰐がくたくたとなってから、それ を肩にうちかけて、手を立てたような絶壁の五、六丈もあと詠んだので、山番は返し歌をしようと思って、「ううう う」とうめいたが、何もできなかった。それで手斧を返し る所を、三本の足で、まるで下り坂を走るように登って行 語 てくれたので、木こりはよかったと思ったという。だから 物く。舟中の者たちはこのしわざを見て、半分死んだように 人は常々心にかけて歌が詠めるようになっていなくてはな 拾茫然となっていた。あの虎が舟に飛びついていたならば、 らないのだと思われる。 宇どんなに鋭い刀剣を抜いてたち向ったとて、これほど力が っこ、どうすることができただろう 強くすばやくてま、、 九伯の母の事 かと思うと、もう気も遠くなって、舟を漕ぐのもうわの空 の思いで筑紫に帰って来たという。 ひたち たけたいふ 今は昔、多気の大夫という者が常陸より上京して訴訟を えちぜんのかみ していたころ、向いの家の越前守という人の所ではよくお 八木こりの歌の事 じ , ルギ一はく 経を読んでいた。この越前守は、神祇伯康資王の母といっ 今は昔、木こりが山の番人に手斧を取りあげられて、困て世に知られた歌よみの親である。妻は伊勢大輔で、姫君 った、弱ったと思って、ほおづえをついていた。山番が見たちがたくさんいるという。多気の大夫は退屈でしかたが ないので、お経を聞きに参上しところ、風が御簾を吹き上 て、「何か気のきいた歌でも詠んでみよ。返してやろう」 ひとえ げた折に、並一通りでない美しい人が紅色の一重がさねを と言ったので、 よのなか 悪しきだになきはわりなき世間によきを取られてわれ着ているのを見て、それからは、この人を妻にしたいと、 はげしく思いこがれた。そこでその家の召使いの童女を口 いかにせん ( 悪い物でさえ物が無いというのは何かと困る世の中である説いて、聞きただすと、「紅の着物を召しておいでなのは よき のに、よい物ー斧を取りあげられてしまって、自分はどうし大姫御前です」と語ったので、その童女をうまく手なずけ ておの ど せのたいふ

3. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

櫃などに御飯を入れて、いくつもいくつも並べおいて食べ れるものなら、いくらでも召しあがれ」と一言うと、「ああ、 させられたので、聖が後ろに続いている者どもに食わせる ありがたい」と言って、膝で進み進み折り取りながら、三 と、集って来て手にささげ持って、すっかり食べてしまっ 町の畑の水葱をすっかり食べてしまった。畑主の男は、あ 語 ひじり 聖は少しも食べず、喜んで出て行った。「さてこそ、 物きれた底なしの大食いの聖だわいと思って、「しばらくお やつばりただ人ではなかったのだ。仏などが身を変えてお 拾待ちください。何か食べ物を用意して差しあげましよう」 宇と言って、白米一石を取り出して、御飯にして食べさせた歩きなさっているのではないか」とお思いになった。他の ところ、「このところ、物も食わずに体が弱りはててしま人の目には、ただ聖が一人で食べるとばかり見えたので、 なおなおあきれたことに思った。 って」と言って、みな食べて出て行く。 さて聖が出て行くうちに、四条の北の小路で糞をたれた。 この男は、まったくあきれはてて、これを人に語ったの もろすけ を聞いて、ある人が藤原師輔卿にお話し申しあげたところ、実はこの後ろに連れている者どもがたれ散らしたのだが、 「どうしてそんなことがあろう。合点のいかぬことだ。呼まるで墨のように黒い糞を、すきまもなくすうっとたれた んで物を食わせてみよう」とお思いになり、「仏道に御縁ので、下人たちもきたながって、その小路を糞の小路と名 づけたのを天皇がお聞きになって、「その四条の小路の南 を結ぶためにお食事を差しあげてその様子をみよう」とい あや を何と言うか」とお尋ねになったので、「綾の小路と申し うことで、お呼びになられると、いかにも尊げな聖が歩い にしき ちくしよう て来る。その後ろに、餓鬼、畜生、虎、狼、犬、烏、数万ます」と申しあげると、「それでは、ここは錦の小路と呼 の鳥獣などが、それこそ幾千万と続いて歩いて来たが、他ぶがよい。糞の小路ではあまりきたない」などと仰せられ たことから、錦の小路と呼ぶようになったのだそうだ。 の人の目にはまったく見えない。人々はただ聖一人だけと 見たが、この大臣はこのさまを見つけられて、「さてこそ、 じようかんそうじよう ほ、つげ・ん 尊い聖であったのだ。ありがたいことかな」と思われて、 一一静観僧正が雨を祈る法験の事 白米十石を御飯にして、新しい菰の敷物の上に、折敷、桶、 がき ひざ 、一も おしきおけ ひっ

4. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

れたと見て、はっと目が覚めた気持は、なんとももの憂く た。やはり神仏には気長にお参りすべきものである。 うら悲しい。「あちらこちらとお参りして歩いたのに、そ しなののくにつくま もくく の揚句はこの程度の仰せである。今さら散米のかわりぐら 七信濃国筑摩の湯に観音が沐浴する事 語 物い頂戴したとて何になろう。もとの山へ帰り登るのも人目 拾恥ずかしいし 、っそ賀茂川にでも飛び込んで死のうか」な 今は昔、信濃国筑摩の湯という所に、誰もが湯治をする 宇どと思うが、またさすがに身を投げることはできない。ど薬湯があった。そのあたりの人がこんな夢を見た。「明日 んなふうにお取り計らいくださろうとするのかと、一方の正午に観音様が御入浴なさるであろう」。そこで、「どん で知りたい気持もあるので、もとの山の坊舎に帰っている な様子でおいでになるのでしようか」と聞くと、答えるに ひげ あやいがさ と、知合いの所から来たとて、「御免ください」と言う人は、「年のころ三十ばかりの鬚の黒い男が、綾藺笠をかぶ ながびつ ゃなぐい がいる。「誰です」と出て見ると、白木作りの長櫃を背負って、節ぐろの胡に皮を巻いた弓を持って、紺の狩衣を むかばき っていて、縁側に置いて帰った。なんとも様子がおかしい 着て、鹿の夏毛の行縢をはき、葦毛の馬に乗って来るはず ので、使いの者を捜したがまったく人の姿はない。これを だ。それを観音と承知するがよかろう」と言うと見て夢が 開けて見ると、白い米と質のよい紙とが長櫃いつばいに入覚めた。びつくりして、夜が明けてから人々に告げてまわ れてある。「これはまさしく前に見た夢のとおりである。 ったので、人々はそれからそれへと聞き伝えて、数限りも まさかと思っていたが、これつばっちのものを本当にくだ なくその湯に集ってくる。湯を入れかえ、周りを掃除し、 しめなわ さったのだ」と、実に情けない思いであったが、まあ、し注連縄を張り、花や香をお供えして、集った人々は座って かたがなかろうと、この米をあれこれと使ってみるが、た お待ち申していた。 だ同じ量で、尽きることがない。紙も同じように使ったが、 ようやく正午を過ぎ二時になるころに、まったくこの夢 なくなることがなくて、それほど格別に目立っというほど に見えたのと寸分違わぬ格好の男が現れたが、それこそ顔 ではないが、たいへん裕福な法師になって暮しをたててい をはじめとして、着ている物、馬、そのほかなにからなに

5. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

お知らせしては、私にとっても具合の悪いことになるかも 蛇の身に生れ変り、石橋の下に長い年月を過して、つらい おもし しれないと恐ろしくなって申しあげられませんでした。そ と思っていました、昨日私を押えつけていた重石の石をあ ういえば、講の席にもその蛇はおりましたが、誰も見つけ なたが踏み返してくださったおかげで、石の苦しみをのが 語 ることができなかったのです。講が終ってお出になると、 物れて、ほんとうにうれしい思いでした。それでこの人のお 拾着きになる所を見届けてお礼を申しあげようと思ってお供またあなたの後についているので、どうなることか見届け 宇 たくて、思いもかけず昨夜はここで夜を明かしたのです。 いたしましたところ、菩提講の席においでになりましたの この夜中過ぎまでは、この蛇は柱のもとにおりましたが、 で、そのお供にまいったおかげで、人と生れてさえ出会う ことがむずかしいとされる仏法を承ることができ、多くの夜が明けてから見ますと、蛇も見えませんでした。それと 罪障までも消滅して、その法のカで人間に生れ変ることの符牒を合せたようにこういう夢のお話をなさいますので、 できる功徳も近くなりましたので、いよいようれしく存じ驚きもし、恐ろしくもなってこうして打ち明け申すのです。 これからはこれを御縁に何でもお話し申しましよう」など まして、こうしてまいったのです。このお礼には運が開け との′一 と語り合って、その後は常に行き来をして知合いになった。 るようにしてさしあげて、よい殿御にめあわせてさしあげ ところでこの女はたいそう幸せになって、このごろは何 ましよう』と一言うように見たのです」と語った。これを聞 しもげ・いし とかいう、大臣家の下家司でまことに裕福な人の妻になっ いて大いに驚いて、この宿を借りた女が言うには、「本当 いなか て万事思いのままに暮している。尋ねてみたら、それが誰 は私は田舎から上って来たのではありません。これこれの かはすぐにも分るだろうということである。 所に住んでいる者です。それが昨日菩提講にまいりました 道で、その途中であなたにお会いしましたので、後につい ばだいこうひじり 六東北院の菩提講の聖の事 て歩いてまいりましたが、大宮のあの辺の川の石橋を踏み 返された下から、まだらの小蛇が出て来てお供について行 きますのを、これこれとお知らせしようと思ったのですが、 東北院の菩提講を始めた聖はもとはひどい悪人で、牢屋 ( 原文一四三ハー ) のり ふちょう

6. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

うれしいこと」と言うと、女の顔をちらっと見て、ロから米が入っていたのであった。思いもかけず、これは驚いた 露ほどの小粒のものを落し置くようにして飛び去って行っ と思って、大きな入れ物に全部を移してみたが、瓢の中に た。女が、「何かしら。雀の落して行ったものは」と近寄は移し入れる前と同じように入っているので、「これは確 語 物って見ると、瓢の種をただ一粒落して置いてある。「持っ かにただ事ではない。雀が恩返しにしたのだろう」と、び 拾て来たのには、わけがあろう」と思って、拾って持ってい つくりもし、またうれしくもあったので、物に入れて隠し 宇た。「まああきれた、雀のくれた物をもらって宝にしてい て置いて、残りの瓢を見てみると、みな最初の瓢と同じよ らっしやる」と子供たちが笑うと、「とにかく植えてみよ うに白米がつまっている。これを入れ物に移し移し使うと、 う」と植えると、秋になるにつれて、まことに繁く生え広どうしようもないほどどっさりある。こうして女は、本当 がって、普通の瓢にも似ずに大きく、たくさんの実がなっ に裕福な人になってしまった。隣村の人も見てびつくりし、 た。女はえらく喜んで隣近所の人にも食べさせ、どんどんたいしたものだと羨ましがった。 取ったが、瓢は取りきれないほど限りもなくたくさんあっ この隣にいた老女の子供が言うには、「同じ年寄でも、 た。今まで笑っていた子や孫たちも、これを明け暮れ食べ お隣さんはあんな調子だ。うちの婆さんたら、これという ていた。村じゅうに配ったりして、しまいには、「格別に ことはなにもおできにならない」。そんなふうに言われて、 すぐれて大きい七つ八つは、ひょうたんにこしらえよう」 隣の女はこの女のもとに来て、「さてもさても、これはど と思って、家の中にぶらさげておいた。 うしたわけです。雀がどうとかしたなどと、うすうすは聞 それから幾月かたって、「もう今はよい具合になったろ いたが、よくはどうも分らないので、初めからありのまま う」と思って見ると、 いかにも程よくなっていた。取り下 にお話しくだされ」と言うので、「雀が瓢の種を一つ落し ろして、ロを開けようとすると、少し重たい。変だと思い て行ったのを植えてみたら、こうなったのです」と、細か ながらも、切り開いてみると、何やらいつばい入っている。 にも一一 = ロわない。するとまた、「ありのままに、もっと細か 「何だろう」と中のものを他の入れ物に移してみると、白 にお話しくだされ」と、しきりに尋ねるので、「心狭く隠 ひさ一

7. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

241 巻第 こわづく いかにも尊げに声作りをして、「これは随求陀羅尼を籠め もろとき 六中納言師時が法師の玉茎を検知する事 6 てあるのですぞ」と答えた。侍たちは、「これはえらい たいしたことじゃ。足や手の指などを切り取ったのはいく これも今は昔、中納言師時という人がおいでになった。 らも見たけれども、額を破って陀羅尼を籠めたのを見ると そのお屋敷に、ことのほかに色の黒い墨染の衣の短いのに、 は、ほんに思いもかけない」と言い合っていた。そのうち じゅず もくれんじ ふどうげさ 不動袈裟という袈裟をかけて、木欒子の数珠の大きいのを に、十七、八ばかりになる若い衆が、ふと走り出て来て、 ひょいと見て、「あら、笑止千万な坊主よ。なんで随求陀手にさげた修行僧が入って来て立った。中納言が、「そな ごうかんじゃ 羅尼なんかを籠めるもんか。あの坊主は七条町で、江冠者たはどういう僧侶か」と尋ねられると、ことのほかに哀れ の家の真東に住む鋳物師の妻を、かねがねこっそり忍び込げな声を出して、「この仮の世にいたずらに生きておりま すことが堪えられませぬ。人が悠久の大昔からこのかた生 んでは寝とっているうちに、去年の夏、入り込んで寝てい ばんのう りんね るところに、夫の鋳物師が帰り合せたので、取る物も取り死の苦海に浮き沈みして輪廻するのは、つまるところ煩悩 に引き止められて、いまだにこうして浮世を離れられない あえずあわてて逃げて、西の方へ走ったものの、冠者の家 からです。これを無意味なことだと思い悟って、煩悩を切 の前あたりで追いつめられて、鍬で額を打ち破られたとい り捨てて、ひたすらこのたび生死輪廻の境を出離しようと うわけさ。冠者も見ていたわ」と言うのを、あきれた話だ ひじり 決心した聖であります」と言う。中納言が、「さて煩悩を と人々は聞いて、山伏の顔を見ると、これは面倒なことに 切り捨てるとはどういうことかな」とお聞きになると、 なったというそぶりを少しもみせず、いささかまじめくさ 「ほれ、これを御覧あれ」と言って、衣の前をかき上げて って、とばけた顔つきをして、「そのついでに籠めたのよ」 いちもっ とそ知らぬふうに言ってのけた。その時に、集っていた見せると、まことにあるべき一物はなくて、毛ばかりであ 人々が一度に「わっ」と笑った。その紛れに山伏は逃げ去る。 「これは不思議なことかな」と御覧になっているうちに、 ったとい、つ くわ わ たまくき

8. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

一大宰大弐高階成章の子 ( 一 0 三八 ~ 一一 0 六 ) 。備中守、近江守、正四 位ド。法勝寺造営の功により承暦 元年 ( 一 0 七七 ) 十一一月、播磨守重任の あぎな 治今は昔、播磨守為家といふ人あり。それが内にさせる事もなき侍あり。字佐宣旨を賜り、永保元年 ( 一 0 〈 l) 三月 まで在任。 多となんいひけるを、例の名をば呼ばずして、主も傍輩もただ佐多とのみ呼びニどうということもない。 三通り名。通称。 ける。さしたる事はなけれども、まめに使はれて年比になりにければ、あやし四まじめに労苦をいとわず、実 直に使われて。 の郡の収などせさせければ、喜びてその郡に行きて、郡司のもとに宿りにけ = ( 国内の ) 小さな郡の。 六勘定方。租税取立ての役。 セ徴税についての必要な処置。 り。為すべき物の沙汰など言ひ沙汰して、四五日ばかりありて上りぬ。 〈指図して。 この郡司がもとに、京よりうかれて人にすかされて来たりける女房のありけ九①色に引かれて、②あてもな くさまよい出て、の両義にとれる。 るを、いとほしがりて養ひ置きて、物縫はせなど使ひければ、さやうの事など『今昔』巻二四第五六話は、「京ョ うかれ かどは リ淫タル女ノ人ニ勾引サレテ来タ リケルヲ」とする。 も心得てしければ、あはれなる者に思ひて置きたりけるを、この佐多に従者が 一 0 かわいそうに思って。 さぶらふ いふやう、「郡司が家に、京のめなどいふものの、かたちよく、髪長きが候を = 『今昔』は「此ノ佐太ガ館ニ返 リタリケルニ従者ノ云ケル様」。 さぶらふ 三しやくにさわることかな。 隠し据ゑて、殿にも知らせ奉らで置きて候そ」と語りければ、「妬き事かな。 一三対称の代名詞。おまえ。こい わ男、かしこにありし時はいはで、ここにてかくいふは、憎き事なり」といひつめ。 ( 現代語訳三四一ハー ) な はりまのかみためいへさぶらひさた 二播磨守為家の侍佐多の事 さた としごろ のば ねた 五

9. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

おきな の翁は、何かがのり移ったためか、それともそのように神 黒い色の体には赤い物をふんどしにしめて、さてまた目一 2 つある者もあり、あるいはロのない者など、まったく何とや仏が思わせなさったのか、「ようし、走り出て舞いたい いぎよう も言いようのない異形の者どもが、百人ばかりわいわい集ものだ」と思ったが、とにかく一度は思い返した。それで 語 物って、火を日輪のように真っ赤にともして、自分のいる洞も、鬼どもが打ちあげる拍子が調子よく聞えたので、「え 、ままよ、ただ走り出て舞うてやろう。死んだら死んだ 拾穴の木の前に、ぐるりとまるくなって座った。まるで生き ほらあな でいいさ」と心を決めて、木の洞穴から、烏帽子を鼻のあ 宇た心地もない。 おの 首領と思われる鬼は上座に座っている。左右に二列に居たりまでたれかけた翁が、腰に斧という木を伐る物をさし て、上座の鬼の座っている面前に飛び出した。この鬼ども 並んだ鬼は、数知れぬほどである。その姿はどれもこれも 言葉では言い尽しがたい。酒を勧めて遊ぶ有様は、この世は飛び上がってびつくりし、「これは何じゃ」と騒ぎ合っ の人間そのままである。たびたび杯が交されて、首領の鬼た。翁は伸び上がったり、かがんだり、舞える限りの手を はしたたかに酔った様子である。末座から若い鬼が一人立尽し、体をひねり、くねらせ、「えい」とかけ声を張りあ おしき ち上がって、折敷を頭にのせて、何と言うのか、わけの分げて、その場所いつばいに走りまわって舞った。上座の鬼 をはじめとして、集っていた鬼どもは、びつくりしておも らぬことを言って、上座の鬼の前にゆらゆらと歩み出て、 くどくどからんでいるようである。上座の鬼が杯を左の手しろがった。 上座の鬼が、「長年の間、この遊びをしてきたが、まだ、 に持って笑い崩れている様子は、まるでこの世の人間のよ こんな者には会ったことがない。今から翁よ、こういう宴 うである。若い鬼は舞い終って退いた。次々と下座から出 じようず て舞う。下手なのもいれば上手に舞うのもいる。驚いて見遊の席にはきっとまいれ」と言う。翁が申すに、「仰せに ているうちに、上座に座っている鬼が、「今夜のわが酒盛も及びません。まいりましよう。このたびは突然のことで、 りは、いつもよりずっとおもしろい。ただ、このうえはい 舞納めの手も忘れてしまいました。このようにお目にかな いますならば、この次はじっくりと舞って御覧に入れまし かにも珍しい舞を見たいものじゃ」などと言った時に、こ へた

10. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

たかなと眺めているうちに、中の襖障子が引き開けられた子を合せていた。昨日今日仕えたような者がこんなふうに 引ので、ふと見上げると、この子と名のる人が歩み出て来た。 言うのでさえうれしいのに、まして、亡き父上に長年仕え これを見るやいなや、この長年仕えていた侍は、しやくり た者が言うものだから、主人はにこにこ顔で、「この男は 語 物上げておいおいと泣きだした。まったく袖もしばりかねる長年暮しに困っていたようだが、気の毒なはなしだ」と、 拾ほどである。この主人は、どうしてこんなにひどく泣くの後見役を呼び出して、「これは亡き父上が目をかけておら 宇かと思って、つと座って、「これはまたなんでそのようにれた者だ。まずこうして京に上って来たのだ。相談にのつ 泣くのか」と尋ねると、「亡き殿のご生前にまったくその て面倒をみてやれ」と言うと、控え目な低い声で「は」と ままでいらっしやるのが、じいんと胸にこたえまして」 答えて立って行った。さて、この老侍は嘘はつかないとい と言う。だからこそ自分も、亡き父上には似なくはないよ うことを、仏に誓っていた。 うに思っているのに、世の人々が似ていないなどと言って そこでこの主人は、自分のことを実子でなさそうに言っ いるらしいのは、まことに心外なはなしなのだという意を ているという人たちを呼んで、この侍に事の子細を話させ 強くして、この泣いている侍に向って言うのであった。 て聞かせてやろうと、後見役を呼び出して、「明後日、こ 「おまえもことのほかに年をとったなあ。今はどうして暮 こへ客人たちがおいでになるそうだから、しつかり準備を しているのか。自分はまだ幼くて母のもとにいたから、亡して、もてなしに手落ちのないようにせよ」と言ったので、 き父上の様子はよくも覚えてはいないのだ。今後はおまえ 「は」と申して、いろいろと手配をしてととのえた。この を亡き父上と思って頼りにしようぞ。何事でも申せ。また主人と心安い友達が四、五人ばかり集って来た。主人はい わたしもおまえをひたすら頼みにしようぞ。まずさしあた つもよりも一段ととり澄して対面し、お酒をたびたび汲み って寒そうだ。この着物を着よ」。そう言って綿のふつく 交してから、「私の父のもとに長年奉公した者がおります ら入った着物を一枚脱いでお与えになり、「何も遠慮はい が、お会いになられますか」と言うと、この集った人々は らない。当家へ来るがよい」と言った。この侍はうまく調気持よさそうに顔を赤くしあって、「いかにもお呼びにな うそ