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検索対象: 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)
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1. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

ある、績みて奉らん。火とばし給へ」といへば、「うれしくのたまひたり」と = うれしいことをおっしゃいま て火ともしつ。麻取り出してあづけたれば、それを績みつつ見れば、この女臥三寝入ってしまったらしい 一三蛇が女のそばに寄って行くだ しぬめり。今や寄らんずらんと見れども、近くは寄らず。この事やがても告げろうと。 一四女の身に何も起らないうちに、 あ ばやと思へども、告げたらば我がためも悪しくやあらんと思ひて、物もいはで、蛇につきまとわれていることを早 く知らせて用心させてあげようか、 という思い しなさんやう見んとて、夜中の過ぐるまでまもり居たれども、遂に見ゆる方も 一五自分にとっても具合の悪いこ うら たた とになろう。蛇から怨みや祟りを なき程に火消えぬれば、この女も寝ぬ。 こうむることになるかもしれない 明けて・、 彳いかがあらんと思ひて惑ひ起きて見れば、この女よき程に寝起きとの気持。 一六あわてて急いで、の意。 宅何事もなさそうな様子で。 て、ともかくもなげにて家あるじと覚ゆる女にいふやう、「今宵夢をこそ見つ まく、らがみ ね れ」といへば、「いかに見給へるそ」と問へば、「この寝たる枕上に、人の居る一〈人が座っている。 しもくちなは と思ひて見れば、腰より上は人にて下は蛇なる女、清げなるが居ていふやう、 した 一九くちなは 四『おのれは人を恨めしと思ひし程に、かく蛇の身を受けて、石橋の下に多くの究このように蛇身とな。て畜生 道に堕ちて。仏教の輪廻転生観に わび すぐ 第 よる考え。 年を過して佗しと思ひ居たる程に、昨日おのれが重石の石を踏み返し給ひしに ニ 0 つらく苦しい 巻 助けられて、石のその苦をまぬかれてうれしと思ひ給へしかば、この人のおは = 一思いましたので。「給ふ」は謙 譲の意を添える補助動詞。 ばだいかう し着かん所を見置き奉りて悦も申さんと思ひて、御供に参りし程に、菩提講の = = お礼を申したいと。 かみ よろこび ね おもし つひ かた

2. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

221 巻第七 るるはよき事かは」などいひて、やがて幔引き、畳など敷きて、「水遠かんな三幔幕を張り。 一四今の蓆、薄縁の類。 れど、困ぜさせ給ひたれば、召し物はここにて参らすべきなり」とて、夫ども一 = 「遠くあるなれど」の約。遠い ようだけれど。 やりなどして、水汲ませ、食物し出したれば、この男に清げにして食はせたり。一六供の人夫たち。 宅『今昔』には、以下「・ : よもむ なしくてはやまじと、思ひ居たる 物を食ふ食ふ、ありつる柑子何にかならんずる。観音計らはせ給ふ事なれば、 程に」までの心中描写はない。 めの 一 ^ まさか何のよいこともなくて よもむなしくてはやまじと思ひ居たる程に、白くよき布を三疋取り出でて、 すむはずはあるまい よろこび 「これ、あの男に取らせよ。この柑子の喜は言ひ尽すべき方もなけれども、か一九『今昔』では、主人が男に直接 「清キ布」を三段与えて礼を述べた ニ三はじめ ことになっている。 かる旅の道にては、うれしと思ふばかりの事はいかがせん。これはただ志の初 ニ 0 一一反分を一巻きにした織物を を見するなり。京のおはしまし所はそこそこになん。必ず参れ。この柑子の数える語。「ひき」とも。 わらすぢ よろ・ ) むら よろこび 喜をばせんずるそ」といひて布三疋取らせたれば、悦びて布を取りて、藁筋 = = あなたが満足に思うだけのこ とはど , っしてでキ、しょ , つ。 むら ニ三感謝の思いの一端。 一筋が布三疋になりぬる事と思ひて、脇に挟みてまかる程に、その日は暮れに ニ四これこれという所です。 一宝道端にある人家。『今昔』は 道づらなる人の家にとどまりて、明けぬれば鳥とともに起きて行く程に、日「道辺ナル人ノ小家ニ宿リヌ」とす さしあがりて辰の時ばかりに、えもいはずよき馬に乗りたる人、この馬を愛し = 六午前八時。 毛道を先へ進みもせず、乗りま つつ道も行きやらず、ふるまはする程に、まことにえもいはぬ馬かな、これをわしているのを見ながら。 こう ニ四 まん かた ニ 0 むら る。

3. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

しれものぐるひ ぬ。左京の大夫の日く、「このをのこをば、かくえもいはぬ痴者狂とは知りた一愚かで気違いじみている者。 「痴者」の意を強めた言い方。 きむつ つかさかみ りつれども、司の大夫とて来睦びつれば、よしとは思はねど、追ふべき事もあ = 好ましい人物だとは思ってい 語 るわけではないが。 三黙って見ていたが。そのまま 遺らねば、さと見てあるに、かかるわざをして謀らんをばいかがすべき。物悪し 来るにまかせて、とやかくも言わ 。、かに世の人聞き伝へて、世の笑ひずにいたこと。 ~ 于き人ははかなき事につけてもかかるなり 四運の悪い、ついていない者は、 かぎり なげ ちょっとしたことでもこんなふう ぐさにせんずらん」と、空を仰ぎて歎き給ふ事限なし。 にみじめな思いをする。自身を、 ちら にへどのあづかりよしずみ もちつね 用経は馬に乗りて馳せ散して殿に参りて、贄殿の預義澄にあひて、「このうだつの上がらない老公卿と思い とっていた左京大夫には、客人の あらまき おば 荒巻をば惜しと思さば、おいらかに取り給ひてはあらで、かかる事し出で給へ前で恥をかかされたことがこたえ 。し力にの五人騒がせにならないような穏 る」と、泣きぬばかりに恨みののしる事限なし。義澄が日く、「こま、ゝ 便なやり方で。 たまふことそ。荒巻は奉りて後、あからさまに宿にまかりつとて、おのがをの六何ということをおっしやるか。 七ほんのちょっと。 かみめし こにいふやう、『左京の大夫の主のもとから、荒巻取りにおこせたらば、取り〈自分の下で働いている男。 九義澄が用経の意向を知ってい てそれに取らせよ』と、言ひ置きてまかでて、只今帰り参りて見るに、荒巻なるはずはなく、『今昔』のように 「左京ム鄧〕すなわち用経とあ るべきところ。すでに校注本に指 ければ、『いづち往ぬるぞ』と問ふに、『しかじかの御使ありつれば、のたまは 摘がある。 せつるやうに取りて奉りつる』といひつれば、『さにこそはあなれ』と聞きて一 0 どこへやったのか。 = 「なるほど、そういうことだ あづ ったか」と聞いて納得したのです。 なん侍る。事のやうを知らず」といへば、「さらばかひなくとも、言ひ預けっ はか つかひ 六

4. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

さしめきばかますそひも = 指貫袴の裾の紐をしばって膝 往ぬべき少しの隙ゃあると見せけれども、「さやうの隙ある所には、四五人づ のあたりまであげてとめること。 わ . きばさ ももだち つくくりをあげ、稜を挟みて、太刀をはき、杖を脇挟みつつ、みな立てりけれ三袴の股立を帯に挟むこと。 一三誰一人として座ったり、しゃ するがのぜんじ がみ込んだりすることなく、即座 ば、出づべきゃうもなし」といひけり。この駿河前司はいみじうカぞ強かりけ に動けるように油断なく立ってい ひきいで る。いかがせん。明けぬとも、この局に籠り居てこそは、引出に入り来ん者とること。 一四『今昔』巻二三第一六話には のち のちわれ 取り合ひて死なめ。さりとも、夜明けて後、吾そ人そと知りなん後には、とも「此ノ季通思量リ賢クカナド呱齪 ク強力リケルニ」とある。なお、 同巻一一三第一五話では、季通の父 かくもえせじ。従者ども呼びにやりてこそ、出でても行かめと思ひたりけり。 つはもの の則光 ( 陸奥の前司 ) が「兵ノ家ニ わらは たた わこどねりわらは あら きはめ 非ネドモ、心極テ太クテ思量賢ク、 暁この童の来て、心も得ず門叩きなどして、我が小舎人童と心得られて、捕へ 身ノカナドゾ極テ強力リケルと ふびん めわらはいだ 縛られやせんずらんと、それそ不便に覚えければ、女の童を出して、もしゃ聞評されており、季通の剛力と思慮 深さは父親譲りのものであったよ きつくると窺ひけるをも、侍どもははしたなくいひければ、泣きつつ帰りて、 一五どうにもできなくなってしま かが うだろう。 屈まり居たり。 一六『今昔』は「若シャ来ルト」。 あかっきがた 宅ロぎたなくののしったので。 かかる程に、暁方になりぬらんと思ふ程に、この童いかにしてか入りけん、 一九 第入り来る音するを、侍、「誰そ、その童は」と、けしきどりて問へば、あしく天気配を察して。 一九底本「あらく」。書陵部本によ 巻 どきゃう いらへなんずと思ひ居たる程に、「御読経の僧の童子に侍り」と名のる。さ名り改める。『今昔』は「悪ク答へテ ムズ」。きっとまずい返事をする のられて、「とく過ぎよ」といふ。かしこくいらへつる者かな、寄り来て例呼に違いないと。 ずんぎ ひま た たち あし ひぎ

5. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

は男子に変生し、天に生れ、やがて成仏した。そこで清徳は母を埋葬して山を下り、西の京へ出る。と、な ぎが一面に生えている所にさしかかる。以下、本文を引こう。 語 ①この聖困じて物いと欲しかりければ、道すがら折りて食ふ程に、 物 ぬし たふと 遺 ②主の男出で来て見れば、いと貴げなる聖の、かくすずろに折り食へば、あさましと思ひて、 デ ( 男 ) 「いかにかくは召すぞ」といふ。 ③聖、「困じて苦しきままに食ふなり」といふ時に、 ( 男 ) ④「さらば参りぬべくは、今少しも召さまほしからん程召せ」といへば、三十筋ばかりむずむずと折 なぎ り食ふ。この水葱は三町ばかりそ植ゑたりけるに、かく食へばいとあさましく、食はんやうも見ま ほーし / 、て、 ( 男 ) ⑤「召しつべくま、、 。しくらも召せ」といへば、 たふと ( 聖 ) ⑥「あな貴」とて、うちゐざりうちゐざり、折りつつ、三町をさながら食ひつ。 主の男、あさましう物食ひつべき聖かなと思ひて、 ( 男 ) ⑦「しばし居させ給へ。物して召させん」とて、白米一石取り出でて飯にして食はせたれば、 としごろ ( 聖 ) ⑧「年比物も食はで困じたるに」とて、みな食ひて出でて往ぬ。 ロ語りの世界で育まれてきたかに思われる右の会話文は、二人の人物相互のやりとりにいかにも生動感が あり、さながらセリフ劇を思わせるが、その文辞の骨格を見ると、 ① = ーてーーば、ーー食ふ程に、 ②ーーーば、 と思ひて、 はぐく すぢ

6. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

ゃうにて立ち騒ぐ所あり。この馬京に率て行きたらんに、見知りたる人ありて一不都合である。 -4 ニそっとこの馬を売ってしまい たいものだ。「ばや」は、自己の希 盗みたるかなどいはれんもよしなし。やはらこれを売りてばやと思ひて、かや 望の意を表す。 語 物うの所に馬など用なる物そかしとて、おり走りて寄りて、「もし馬などや買は = 馬がほしいな。「がな」は、希 望の意を添える。直接体言にも接 治せ給ふ」と問ひければ、馬がなと思ひける程に、この馬を見て、「いかがせん」続する。 四物々交換に用いるための絹布。 と騒ぎて、「只今かはり絹などはなきを、この鳥羽の田や米などにはかへてん五京都市南区上鳥羽と伏見区下 鳥羽に分れているが、『和名抄』に は「山城国紀伊郡鳥羽」と見え、鳥 や」といひければ、なかなか絹よりは第一の事なりと思ひて、「絹や銭などこ 羽田とも称したとある。平安末に そ用には侍れ。おのれは旅なれば田ならば何かはせんずると思ひ給ふれど、馬なって鳥羽殿 ( 白河・鳥羽両上皇 の離宮 ) が造営されてから、その したが おほせ の御用あるべくは、ただ仰にこそ随はめ」といへば、この馬に乗り試み、馳せ地を下鳥羽というが、以前の鳥羽 は上鳥羽だけをさしたらしい などして、「ただ思ひつるさまなり」といひて、この鳥羽の近き田三町、稲少六換えてはもらえまいか。 セかえって。むしろ。 のば し、米など取らせて、やがてこの家を預けて、「おのれ、もし命ありて帰り上 ^ 以下、本心とは逆の、馬の値 をつりあげるためのかけひきのロ かぎり一 0 りたらば、その時返し得させ給へ。上らざらん限はかくて居給へれ。もしまた上。 九思ったとおりのすばらしい馬 わ 命絶えて亡くもなりなば、やがて我が家にして居給へ。子も侍らねば、とかく 一 0 そのまま居続けておられよ。 くだ 申す人もよも侍らじ」といひて預けて、やがて下りにければ、その家に入り居 = そのまま自分の家にして。 ひとり て、得たりける米、稲など取り置きて、ただ一人なりけれど、食物ありければ、 な のば くひもの ( 現代語訳三四八ハー )

7. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

うかが 妻には、「遠く物へ行きて今四五日帰るまじき」といひて、そら行きをして窺一もう四、五日は帰れないだろ ニ出かけたように言っておいて。 ふ夜にてそありける。 語 三『今昔』巻一一六第四話は、この ふ しらず 遺家あるじの男、夜更けて立ち聞くに、男女の忍びて物いふ気色しけり。され前に「其事ヲモ不知シテ、此ノ明 きたりうちとけ 衡ハ来テ打解テ寝タルニ、夜打深 わねどころ かくしをとこ デばよ、隠男来にけりと思ひて、みそかに入りて窺ひ見るに、我が寝所に、男、更テノ程ニ、という説明がある。 四やはり思ったとおりであった いびきかた六 女と臥したり。暗ければ、たしかに気色見えず。男の鼾する方へやをらのばりわい こっ挈、り・と。 五ひそかに。 て刀を逆手に抜き持ちて、腹の上とおばしき程を探りて、突かんと思ひて腕を六そっと静かに。 九 セ普通は刀の切先を上にし、刃 さしぬき 持ち上げて、突き立てんとする程に、月影の板間より漏りたりけるに、指貫のを外側に向けて持つが、ここは、 切先を下に、刃を内側に持ったさ・ ま。刀を突き立てる時の持ち方。 くくり長やかにて、ふと 〈月の光が板と板とのすきまか ら漏れ入っているのに ( 照らし出 見えければ、それにきと っ されて ) 。 ひも 寄 九指貫袴の裾の括りの紐。『今 び 思ふやう、我が妻のもと 忍 昔』は「指貫ノ扶ノ、長ャカデ物ニ と ル寺 ~ り う懸タルニ」と、寝ている男が指貫 には、かや、 , つに指貝胸わ ~ 刺 を脱いで何かに懸けておいたのが を 目に入ったことになっており、状 男 る人はよも来じものを。 間 態がよく分る。 ひとたがヘ 男一 0 はっとして思うには。 もし人違したらんは、い 主 家 とほしく不便なるべき事 さかて ふびん をとこ いたま けしき かひな

8. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

はづ ひたちのかみうへ 一こちらが恥すかしくなるほど かに恥かしげによかりけり。常陸守の上を、「昔の人に似させ給ひたりける」 四 気品があり、容貌も美しかった。 あひだみやうもん ようじ とて、いみじく泣き合ひたりけり。四年が間、名聞にも思ひたらず、用事などニ奥方、すなわち伯の母。 語 三亡き母に似ていらっしゃいま す。 物 . もいはギ、り・け・り % 四叔母の夫が常陸守として、自 分たちの国に赴任しているという 治任果てて上る折に、常陸守、「無下なりける者どもかな。かくなん上るとい ことを格別名誉な自慢になること のばよし とも思っていない様子。 ひにやれ」と男にいはれて、伯の母、上る由いひにやりたりければ、「承りぬ。 五頼み事。 さぶら あさてのば 六四年の任期が終って。 参り候はん」とて、明後日上らんとての日、参りたりけり。えもいはぬ馬、 セまったくひどい者たちだわい。 ふたり かはごお 一つを宝にする程の馬十疋づつ、二人して、また皮籠負はせたる馬ども百疋づ都から下って来ていた血のつなが る叔母とその夫に対する無沙汰ぶ りにあきれた気持。 つ、二人して奉りたり。何とも思ひたらず、かばかりの事したりとも思はず、 ^ 上京が明後日に迫った日。 あひだ 九一頭一頭が財産になるはどの うち奉りて帰りにけり。常陸守の、「ありける常陸四年が間の物は何ならず。 名馬。 よろづくどくなに その皮籠の物どもしてこそ万の功徳も何もし給ひけれ。ゅゅしかりける者ども一 0 中に絹布などのおみやげのつ まっている。 の心の大きさ広さかな」と語られけるとぞ。 = たいへんな贈物をしたとも思 わぬ様子で。娘たちのけたはずれ たいふ この伊勢の大輔の子孫は、めでたきさいはひ人多く出で来給ひたるに、大姫の富裕ぶりを物語る。 三まったく物の数に入らない。 ゐなか あはれこ、 ) ろう 問題にもならない。 君のかく田舎人になられたりける、哀に心憂くこそ。 一三豪勢な者たち。 のば びき のば

9. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

123 巻第 三はたして思ったとおりだ。予 さて十日ばかりありて、この雀ども来たれば、悦びて、まづ口に物やくはヘ 想していたとおりだった場合に用 いる語。 たると見るに、瓢の種を一つづつみな落して往ぬ。さればよとうれしくて取り 一三顔いつばいに笑みをたたえて おほき みところ て三所に植ゑてけり。例よりもするすると生ひたちて、いみじく大になりたり。見て。 一四まことにそうあってほしいも これはいと多くもならず、七つ八つぞなりたる。女、笑みまけて見て、子どものだ。未然形に接続する「なん」は 他にあつらえ望む意を表す終助詞。 冫しふやう、「はかばかしき事し出ですといひしかど、我は隣の女にはまさり一五なるほど、それもそうだ。大 系本は「さしゝ」 ( そういえば隣の なん」といへば、げにさもあらなんと思ひたり。これは数の少なければ米多く婆さんはそうした ) 。 一六底本は「おほらかにて」。書陵 取らんとて、人にも食はせず、我も食はす。子どもがいふやう、「隣の女房は部・陽明文庫本に従い改めた。た くさんに煮て食ったところ。隣の 婆さんのためしにならって気前よ 里隣の人にも食はせ、我も食ひなどこそせしか。これはまして三つが種なり。 く人々にふるまうことにした。 我も人にも食はせらるべきなり」といへば、さもと思ひて、近き隣の人にも食宅山地に生ずる落葉喬木。高さ 二五に達する。樹皮は黄色の染 レが料とし、また漢方では黒色の実と はせ、我も子どもにももろともに食はせんとて、おほらかににて食ふに、こ、ゝ ともに胃薬・火傷の薬とする。味 きはだ は苦い 三き事物にも似ず。黄蘗などのやうにて心地惑ふ。食ひと食ひたる人々も子ども 天胸がむかっく。 一九 一九吐き出して苦しがっていると。 も我も物をつきて惑ふ程に、隣の人どももみな心地を損じて、来集りて、「こ ニ 0 「けぶり ( 煙 ) 」で、煮た瓢から っゅ はいかなる物を食はせつるそ。あな恐ろし。露ばかりけふんのロに寄りたる者出る湯気の臭い、の意か。 三きつく文句を言ってやろうと。 も、物をつき惑ひ合ひて死ぬべくこそあれ」と、腹立ちていひせためんと思ひ「せたむ」は、責めさいなむ。 さとどなり ひさご ゑ ひン一

10. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

191 巻第 のぞ 「さらに道も覚えず。またおはしたりとも、底ひも知らぬ谷にて、さばかり覗いまでも、その遭難の現場を見に 行きたいと思ったけれども。 き、よろづに見しかども、見え給はざりき」といへば、「まことにさぞあるら一五あれほど懸命にのぞき。 一六さて一方、谷では、鷹取りの 男は、の意。 ん」と人々もいへば、行かずなりぬ。 宅岩の稜、角。 さて谷にはすべき方なくて、石のそばの、折敷の広さにてさし出でたる片そ一〈へぎ ( うすく削った板 ) で作っ た角盆ほどの広さに。 ばに尻をかけて、木の枝をとらへて、少しもみじろくべき方なし。いささかも一九ちょっとでも動けば。 ニ 0 『法華経』巻八第二十五「観世 たかがひ いかにもいかにもせん方なし。かく鷹飼を音菩薩普門品」。観世音菩薩を讃 はたらかば、谷に落ち入りぬべし。 嘆しその功徳・利益を説く。 すぐ やく 役にて世過せど、幼くより観音経を読み奉り、たもち奉りたりければ、助け給三何度となく。 一三『観音経』の偈の一句。「弘誓 へと思ひ入りて、ひとへに頼み奉りて、この経を夜昼いくらともなく読み奉ノ深キコト海ノ如シ」の意。「弘 誓」は、衆生を救って悟りを得さ ぐぜいしんによかい る。弘誓深如海とあるわたりを読む程に、谷の底の方より物のそよそよと来るせようという広大な誓願。 ニ三そろそろと、おもむろに。 おほきくちなは 心地のすれば、何にかあらんと思ひて、やをら見れば、えもいはず大なる蛇な = 四一丈は約三。 ニ五指しに指して。自分をめがけ 、りけり。長さ二丈ばかりもあるらんと見ゆるが、さしにさして這ひ来れば、我て、ずんすんと。 ニ六観世音菩薩。菩薩の一。菩薩 ニ六 はこの蛇に食はれなんずるなめり、悲しきわざかな、観音助け給へとこそ思ひ中最も広く崇拝される。大慈大悲 に富み、三十三身に姿を変えて つれ、こはいかにしつる事そと思ひて念じ入りてある程に、ただ来に来て、我人々の苦悩を除く。阿弥陀如来の 左脇侍で忍辱柔和の相を有し、観 が膝のもとを過ぐれど、我をのまんとさらにせず。ただ谷より上ざまへ登らん自在菩薩とも呼ばれる。 ひぎ 」しめ・ ニ四 ニ 0 をしき 一八 かた 一九 わ