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検索対象: 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)
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1. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

219 巻第七 て取らせたりければ、侍、取り伝へて取らす。 ゅ 藁一筋が大柑子三つになりぬる事と思ひて、木の枝に結ひつけて肩にうち掛一四身分のある人。『今昔』は「品 不賤ヌ人」とする。 ぐ けて行く程に、故ある人の、忍びて参るよと見えて、侍などあまた具して徒よ三徒歩で。 一六歩き疲れて。 一六こう り参る女房の、歩み困じて、ただたりにたりゐたるが、「喉の渇けば、水飲ま宅底奎たてりゐたるが」。『今 昔』は「具垂ニ垂居タルヲ見レバ てまど せよ」とて消え入るやうなりければ、供の人々手惑ひをして、「近く水やある」とある。この訓の諸本が多い。こ の箇所、諸説あるが、『名義抄』に はた′一むま 。しかがせんずる。御旅籠馬にやもし「」の字を「タル」、さらに「ツカ と、走り騒ぎ求むれど、水もなし。「こま、 ル・サワク・ワッラフ」などとも はるかおく 訓ずるところから、この字を候補 ある」と問へば、「遥に後れたり」とて見えず。ほとほとしきさまに見ゆれば、 の一と推測する説 ( 大系本『今昔』 ) により、苦しみわずらう意にとっ まことに騒ぎ惑ひてしあっかふを見て、「喉渇きて騒ぐ人よ」と見ければ、や ておく。 はら歩み寄りたるに、「ここなる男こそ水のあり所は知りたるらめ。このあた一〈あわてふためいて。 一九食物など旅行用品を入れた籠 さぶら ニ四 り近く、水の清き所やある」と問ひければ、「この四五町が内には清き水候は ( 行李 ) を負って運ぶ馬。 ニ 0 息も絶え絶えな様子に のど さぶらふ じ。 いかなる事の候にか」と問ひければ、「歩み困ぜさせ給ひて、御喉の渇かニ一手の施しようもないようにし ているのを見て。 せ給ひて水ほしがらせ給ふに、水のなきが大事なれば、尋ぬるそーといひけれニニ知っているようです。 ニ三一町は約一〇九 ふびんさぶらふ ニ四清水はございますまい ば、「不便に候御事かな。水の所は遠くて、汲みて参らば、程経候ひなん。こ 一宝お気の毒なことでございます よろこ れはいかがーとて、包みたる柑子を三つながら取らせたりければ、悦び騒ぎてねえ。 一四 ゅゑ 一九 へ かち

2. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

さしめきばかますそひも = 指貫袴の裾の紐をしばって膝 往ぬべき少しの隙ゃあると見せけれども、「さやうの隙ある所には、四五人づ のあたりまであげてとめること。 わ . きばさ ももだち つくくりをあげ、稜を挟みて、太刀をはき、杖を脇挟みつつ、みな立てりけれ三袴の股立を帯に挟むこと。 一三誰一人として座ったり、しゃ するがのぜんじ がみ込んだりすることなく、即座 ば、出づべきゃうもなし」といひけり。この駿河前司はいみじうカぞ強かりけ に動けるように油断なく立ってい ひきいで る。いかがせん。明けぬとも、この局に籠り居てこそは、引出に入り来ん者とること。 一四『今昔』巻二三第一六話には のち のちわれ 取り合ひて死なめ。さりとも、夜明けて後、吾そ人そと知りなん後には、とも「此ノ季通思量リ賢クカナド呱齪 ク強力リケルニ」とある。なお、 同巻一一三第一五話では、季通の父 かくもえせじ。従者ども呼びにやりてこそ、出でても行かめと思ひたりけり。 つはもの の則光 ( 陸奥の前司 ) が「兵ノ家ニ わらは たた わこどねりわらは あら きはめ 非ネドモ、心極テ太クテ思量賢ク、 暁この童の来て、心も得ず門叩きなどして、我が小舎人童と心得られて、捕へ 身ノカナドゾ極テ強力リケルと ふびん めわらはいだ 縛られやせんずらんと、それそ不便に覚えければ、女の童を出して、もしゃ聞評されており、季通の剛力と思慮 深さは父親譲りのものであったよ きつくると窺ひけるをも、侍どもははしたなくいひければ、泣きつつ帰りて、 一五どうにもできなくなってしま かが うだろう。 屈まり居たり。 一六『今昔』は「若シャ来ルト」。 あかっきがた 宅ロぎたなくののしったので。 かかる程に、暁方になりぬらんと思ふ程に、この童いかにしてか入りけん、 一九 第入り来る音するを、侍、「誰そ、その童は」と、けしきどりて問へば、あしく天気配を察して。 一九底本「あらく」。書陵部本によ 巻 どきゃう いらへなんずと思ひ居たる程に、「御読経の僧の童子に侍り」と名のる。さ名り改める。『今昔』は「悪ク答へテ ムズ」。きっとまずい返事をする のられて、「とく過ぎよ」といふ。かしこくいらへつる者かな、寄り来て例呼に違いないと。 ずんぎ ひま た たち あし ひぎ

3. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

めわらは 一呼ぶであろうと。 ぶ女の童の名や呼ばんずらんと、またそれを思ひ居たる程に、寄りも来で過ぎ ニ近寄って来もせずに。童は て往ぬ。この童も心得てけり。うるせきやっそかし。さ心得てば、さりともた次々と主人季通の予想をこえた意 語 外な対応ぶりをみせる。 遺ばかる事あらんずらんと、童の心を知りたれば頼もしく思ひたる程に、大路に三さては、この童もうつかり主 人に近づいては危険だということ ・治ごゑ を承知しているのだ。とすれば察 ~ 于女声して、「引剥ありて人殺すや」とをめく。それを聞きて、この立てる侍ど しのよい賢いやつだわい。 も、「あれからめよゃ。けしうはあらじ」といひて、みな走りかかりて、門を四一応は黙って通りすぎて行き はしても、なにか計略を考えてう いづかた くづれ まくやってくれるかもしれない。 もえあけあへず、崩より走り出でて、「何方へ往ぬるぞ」「こなた」「かなた」 五「ひきはぎ」の約。追いはぎ。 はか 六不都合はあるまい。守りの場 と尋ね騒ぐ程に、この童の謀る事よと思ひければ走り出でて見るに、門をばさ を離れるのはやむを得まい、の意。 くづれ セ門を開けて通るいとまもなく。 したれば、門をば疑はず、崩のもとにかたへはとまりて、とかくいふ程に、門 侍たちのあわてふためいた動きを のもとに走り寄りて錠をねぢて引き抜きて、あくるままに走り退きて、築地走物語る。 門には錠をかけてあるので、 邸内にいる男が門から逃げるとは り過ぐる程にぞこの童は走りあひたる。 疑ってみることもせず ( したがっ てそこには見張りの者もおかず 具して三町ばかり走りのびて、例のやうにのどかに歩みて、「いかにしたり つる事そ」といひければ、「門どもの例ならずさされたるに合せて、崩に侍ど九侍どもの一部はとどまって見 張りを続けながら。 さぶら・ ふたが もの立ち塞りて、きびしげに尋ね問ひ候ひつれば、そこにては、『御読経の僧一 0 「築地」は、その邸の周囲にめ ぐらされているもの。したがって、 の童子』と名のり侍りつれば、出で侍りつるを、それよりまかり帰って、とかその邸から離れたあたりへ来てか ぐ ひはぎ の くづれ さぶらひ

4. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

九陰嚢。きんたま。 れたり。さらば異事をこそせめ。かしこう申し合せてけり」といひける。 一 0 それもおもしろいでしよう。 おほせうけたまは てんじゃうびと 殿上人など、仰を奉りたれば、今夜いかなる事をせんずらんと、目をすま = 天皇や皇后。 三不都合ではないでしようか。 にんぢゃう 一三話をしてみてよかったよ。 して待つに、人長、「家綱召す」と召せば、家綱出でて、させる事なきゃうに 一四 ( 期待して ) 目をこらして。 おば 一五宮中の神楽の舞人の長。近衛 て入りぬれば、上よりもその事なきゃうに思し召す程に、人長また進みて、 の舎人が勤めた。 けしき ひざもも 「行綱召す」と召す時、行綱まことに寒げなる気色をして、膝を股までかき上一六たいしておもしろくもないよ うに演じて。 ふ 宅声をあげて大いにわいた。喝 げて細脛を出して、わななき寒げなる声にて、「よりによりに夜の更けて、さ 采をおくってどよめいた。 りにさりに寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん」といひて、庭火を天あいつめに。 一九いまいましくも。無念にも。 しも 十まはりばかり走りまはりたるに、上より下ざまにいたるまで大方どよみたりニ 0 こうして仲違いのままでいる のはよくないだろう。 なかたが けり。家綱片隅に隠れて、きやつにしう謀られぬるこそとて中違ひて、目も = 一賀茂神社の臨時の祭は十一月 下の酉の日に行われた。例祭は四 ニ 0 見合せずして過ぐる程に、家綱思ひけるは、謀られたるは憎けれど、さてのみ月、中の酉の日。 一三賀茂・石清水などの神事が終 ってから、参列者が宮中に帰って 五やむべきにあらずと思ひて、行綱にいふやう、「この事さのみぞある。さりと 催す神楽・宴会。 よろこ むつ なかたがひ 第 ニ三清涼殿の東庭にある竹を植え て兄弟の中違果つべきにあらず」といひければ、行綱悦びて行き睦びけり。 巻 た台。石灰壇の東のものを河竹の かへりだち 賀茂の臨時の祭の還立に御神楽のあるに、行綱、家綱にいふやう、「人長召台、仁寿殿の西側のを呉竹の台と ちくだい 一西ざわざわと音をたてる時に。 したてん時、竹台のもとに寄りてそそめかんずるに、『あれはなんする者そ』 ニ三 ・一と′ ) と ニ四 かみ おほかた一七 とり

5. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

こどのとしごろさぶら 侍参りたりけり。「故殿に年比候ひしなにがしと申す者こそ参りて候へ。御一以下、取次の言葉。亡き殿様 に長年お仕えしていた、これこれ 1 げんぎん と申す者が。 見参に入りたがり候といへば、この子、「さる事ありと覚ゅ。しばし候へ。 ニしばらくお控えください。ご 語 物御対面あらんずるそ」といひ出したりければ、侍、しおほせっと思ひてねぶり対面なされましようそ。 三うまくいった。「頼み込むき つかけはできた」とのほくそえみ。 治居たる程に、近う召し使ふ侍出で来て、「御出居へ参らせ給へ」といひければ、 四目をつぶっていると。これか よろこ たか らのかけひきを前に昂ぶる心をし 悦びて参りにけり。この召し次ぎしつる侍、「しばし候はせ給ヘーといひて、 ずめているさま。 五寝殿造の邸宅で、中央の母屋 あなたへ行きぬ。 の外、廂の間にある客間。 みき一う 見参らせば、御出居のさま、故殿のおはしましししつらひに露変らず。御障六間仕切り。ここでは襖障子。 唐紙。 子などは少し古りたる程にやと見る程に、中の障子引きあくれば、きと見あげセしやくりあげておいおい泣く。 〈 ( 侍のそばに寄り ) 片膝をつい たるに、この子と名のる人歩み出でたり。これをうち見るままに、この年比のて座って。 九「とは」は「こは」の誤写か。 いかにかくは一 0 「違はせおはしまさぬ」のは 侍さくりもよよと泣く。袖もしばりあへぬ程なり。このあるじ、 「出居へ出た時の烏帽子の真っ黒 なさま」。それを若主人は「自分が 泣くらんと思ひて、つい居て、「とはなどかく泣くそ」と問ひければ、「故殿の 生前の故殿そのままだとこの侍は おはしまししに違はせおはしまさぬがあはれに覚えて」といふ。さればこそ我言っている」と受け取って喜んだ。 一一「しかあらぬ」の意。そうでな 故殿には似ていない。 も故殿には違はぬゃうに覚ゆるを、この人々の、あらぬなどいふなる、あさまい。 一ニおまえ。目下の者に言う対称 、」とほか 代名詞。 しき事と思ひて、この泣く侍にいふやう、「おのれこそ殊の外に老いにけれ。 さぶらひ ふ たが 九 でゐ っゅ

6. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

( 現代語訳一一四五ハー ) かる金あると告げては、まだしきに取り出でて使ひ失ひては、貧しくならん程 = きっと困りはてるに違いない。 三事態を賢察して。書陵部本は、 に使ふ物なくて惑ひなんと思ひて、しか言ひ教へ、死にける後にも、この家を「心を見て」とする。 も売り失はずして今日を待ちつけて、この人をかく責めければ、これも易の一三中御門の南、堀川の東、南北 一一町に及ぶ桓武天皇の皇子賀陽親 うらないだ うらなひ 王の旧邸。治安元年 ( 一 0 一一一 ) 藤原頼 占する者にて、心を得て占ひ出して教へ、出でて往にけるなりけり。 通が改築して私邸とし、後冷泉・ たなごころ 後三条帝の皇居ともなった。諸大 易のうらは、行く末を掌の中のやうに指して知る事にてありけるなり。 夫を動員した造営で、作山立石な ど、その高大壮麗ぶりは無比と称 された ( 小右記 ) 。 ~ 一 0 七四 ) 。道長 一四藤原頼通 ( 究一一 九宇治殿倒れさせ給ひて の長子。摂政、関白、大政大臣。 じっさうばうそうじゃうげんぎ 氏の長者。宇治に閑居し、永承七 実相房僧正験者に召さるる事 年 ( 一 0 五一 D 自邸を寺として平等院と 称す。 一五気分がお悪くなられた。 あひだ おんのりうま かやのゐん ~ 一 0 = 九 ) 。藤原重 一六実相房 ( 九四一 これも今は昔、高陽院造らるる間、宇治殿御騎馬にて渡らせ給ふ間、倒れさ 輔の子。治安一一年 ( 一 0 = 一 D 法成寺執 しんよそうじゃう 一五たが しまだ務、長元元年 ( 一 0 一一 0 園城寺長吏。 せ給ひて心地違はせ給ふ。、い誉僧正に祈られんとて召しに遣はす程に、、 一七 験力にすぐれた高僧として知られ 一八 ものつ べち つばね 第参らざる先に、女房の局なる女に物憑きて申して日く、「別の事にあらず。き ものけ 宅霊物。物の怪。 巻 と目見入れ奉るによりてかくおはしますなり。僧正参られざる先に、護法先だ一〈ちょっと注視申しあげたので。 一九護法童子。仏法やその使者を すなは ちて参りて追ひ払ひ候へば、逃げをはりぬ」とこそ申しけれ。則ち、よくなら守護する童子姿の善神。 さぶら 一四 ′ ) ほふ 一九

7. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

( 現代語訳一一六九ハー ) あ くやせましと思ひ給へつれども、参りたりと知られ奉らでは悪しかりぬべく覚ら、の意。 いれ = 『今昔』には「入テ候ヒッレバ」 めらは え侍りつれば、声を聞かれ奉りて帰り出でて、この隣なる女童のくそまり居てとあり、よく通じる。 一ニ謙譲の意を表す補助動詞。も きぬは つばら会話や消息文に用い、多く 侍るを、しや頭を取りてうち伏せて衣を剥ぎ侍りつれば、をめき候ひつる声に 「見る」「聞く」「思ふ」につく。 一三さきに「御続経の僧の童子」と つきて人々出でまうで来つれば、今はさりとも出でさせ給ひぬらんと思ひて、 名のったことをさす。 こなたざまに参りあひつるなり」とぞいひける。童子なれども、かしこくうる一四そいつの頭を。「しや」は卑し めののしる意を添える接頭語。 せき者はかかる事をぞしける。 一五伝未詳。俗に袴垂保輔といわ れ、本朝第一の強盗の張本とされ た藤原保輔のことともいうが、不 はかまだれ 審。『今昔』巻二五第七話では「心 十袴垂保昌にあふ事 はやく 太クカ強ク、足早、手聞キ、思量 賢ク、世ニ並ビ無キ者」と説明さ れる。 昔、袴垂とていみじき盗人の大将軍ありけり。十月ばかりに衣の用なりけれ一六『今昔』の「衣の要有ケレバ」の ほうが分りやすい うかがあり ば、衣少しまうけんとて、さるべき所々窺ひ歩きけるに、夜中ばかりに、人皆宅『今昔』は「衣ノ狩衣メキテナ ョ、カナルヲ着テ」。「狩衣」は、 のち きめ さしめきそば おばろ 第しづまり果てて後、月の朧なるに、衣あまた着たりけるぬしの、指貫の稜挟み狩猟着から平安時代には貴族の略 装服となり、鎌倉時代以後は公家 〕一七かりぎめ ひとり ねゅ ・武家ともに用いた。 て絹の狩衣めきたる着て、ただ一人笛吹きて、行きもやらず練り行けば、あは 一 ^ 急ぐ様子もなく悠然とそそろ れ、これこそ我に衣得させんとて出でたる人なめりと思ひて、走りかかりて衣歩きをしているので。 きめ きぬ きめ さぶら きぬ

8. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

「いさ、さ侍りけん。そのし給ふやうなる事はし給ひき」といへば、「さるな一さあ、どうでしようか。ちょ っと答えかねることを問われたと わきま る」といひて、「さても何事にて千両の金負ひたる、その弁へせよとはいふそ」きの、さしあたっての返事の表現。 語 この場合ーさるなり」 ( 書陵部 よのなか 遺と問へば、「おのれが親の失せ侍りし折に、世中にあるべき程の物など得させ本など ) のほうが自然だが、「さる なること」の略ともとれる。「そう 五 であろう」とうなずく意。 ~ 于置きて申ししゃう、『今なん十年ありてその月にここに旅人来て宿らんとす。 三それにしても。 その人は我が金を千両負ひたる人なり。それにその金を乞ひて耐へがたからん 0 世の中を渡る、すなわち暮し ていくことのできるだけのもの。 五これこれの月に。 折は売りて過ぎよ』と申ししかば、今までは親の得させて侍りし物を少しづっ 、」とし いっとキトも阜・ / 、。これから起 ~ 、つしか我が親の六 も売り使ひて、今年となりては売るべき物も侍らぬままに、し ることの実現を待ち望む意を表す いひし月日の、とく来かしと待ち侍りつるに、今日に当りておはして宿り給へ語。「とく来かし」 ( 早く来てほし い ) に呼応する。 れば、金負ひ給へる人なりと思ひて申すなり」といへば、「金の事はまことな たた かたすみ り。さる事あるらん」とて、女を片隅に引きて行きて、人にも知らせで柱を叩七中が空洞であることを示す反 響音。ばんばん。 かすれば、うつほなる声のする所を、「くは、これが中に、のたまふ金はある〈ねえ。ほら。相手の注意を促 す・とキ、に一一一一口 , っ。 九この娘の将来の運勢を占って ぞ。あけて少しづっ取り出でて使ひ給へ」と教へて出でて往にけり。 みたところ。「勘ふ」は、勘考する、 かんが この女の親の、易のうらの上手にて、この女の有様を勘へけるに、今十年あ判断するが原義。 一 0 「いまだし」の略。まだその時 うらなひ りて貧しくならんとす。その月日、易の占する男来て宿らんずると勘へて、か期にならないうちに。 ゅ

9. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

しゅぎゃう しゆりようごんいん 昼夜に仏の物を取り使ふ事をのみしけり。横川の執行にてありけり。政所へ行る首楞厳院、講堂、元三大師堂な どがあった天台浄土教の中心地。 あり くとて、塔のもとを常に過ぎ歩きければ、塔のもとに古き地蔵の物の中に捨て三伝未詳。『元亨釈書』巻二十九 に「役夫賀能」とあり、類似の説話 置きたるをきと見奉りて、時々きぬかぶりしたるをうち脱ぎ、頭を傾けて、すが載る。 三戒律を破って心に恥じない者。 こしすこし敬ひ拝みつつ行く時もありけり。かかる程に、かの賀能はかなく失一四僧綱の下で寺務をとりしきる 一九 僧職。役僧中の上首。 そうづ せぬ。師の僧都これを聞きて、「かの僧、破戒無慚の者にて、後世定めて地獄延暦寺全体の所領その他の経 営事務を取り扱う所。 、 : 」ろ、つ かぎり うたがひ 一六『元亨釈書』では、般若谷の一 に落ちん事疑なし」と心憂がり、あはれみ給ふ事限なし。 破宇の中にあった地蔵像とする。 かかる程に、「塔のもとの地蔵こそこの程見え給はね。いかなる事にかと宅ちらっと。 一 ^ 僧や婦人が外出時に用いた被 院内の人々言ひ合ひたり。「人の修理し奉らんとて、取り奉りたるにや」などり衣。きぬかずき。 一九僧正に次ぐ僧位。 いひける程に、この僧都の夢に見給ふやう、「この地蔵の見え給はぬはいかな あび ニ 0 阿鼻地獄ともいう。八大地獄 かのう ぢざうばさっ かたはら る事そ」と尋ね給ふに、傍に僧ありて日く、「この地蔵菩薩、早う賀能ち院がの一。間断なく苦を受ける地獄の 。父殺し、母殺し、聖著殺し、 むげんごう むげん 五無間地獄に落ちしその日、やがて助けんとて、あひ具して入り給ひしなり」と教団破壊、仏身損傷の五無間業を 犯した者、寺塔破壊者、衆僧誹謗 第 いふ。夢、い地にいとあさましくて、「いかにしてさる罪人には具して入り給ひ者などがここに堕ちる。 ニ一すぐさま。 たるそ」と問ひ給へば、「塔のもとを常に過ぐるに、地蔵を見やり申してニニまことに意外で。 ニ三ああいう破戒無慚の者に同行 のちみづか ゅゑ 時々拝み奉りし故なり」と答ふ。夢覚めて後、自ら塔のもとへおはして見給ふして。 ニ 0 かたぶ まんどころ

10. 完訳日本の古典 第40巻 宇治拾遺物語(一)

来集りにけり。あるじ、常よりも引き繕ひて出であひて、御酒たびたび参りて一御覧にいれましようか。 0 ニ酒で顔を赤くしながら。 としごろお さぶらふ わ 三いかにも。当然至極なこと。 後、いふやう、「吾が親のもとに年比生ひ立ちたる者候をや御覧ずべからん」 四かたがた懐かしく思います。 語 物といへば、この集りたる人々、心地よげに顔さき赤め合ひて、「もとも召し出 = 誰かいないか。誰それまいれ。 六目つきなどからすれば、正直 こどの 治さるべく候。故殿に候ひけるもかつはあはれに候」といへば、「人やある。なそうで嘘など言いそうにもない者 が。後出の「これは賜りたる衣と びんは ひとり にがし参れ」といへば、一人立ちて召すなり。見れば、鬢禿げたるをのこの六覚ゅ」などとともに、招かれた 人々の皮肉な観察ぶり。 そら′一と かりぎめ きぬた 十余ばかりなるが、まみの程など、空事すべうもなきが、打ちたる白き狩衣にセ砧で打って光沢を出した絹で 作られた狩衣。狩衣は平安時代以 ねりいろきぬ きめ いだ 来、公家の略服。 練色の衣の、さる程なる着たり。これは賜りたる衣と覚ゆる。召し出されて、 ^ 淡黄色で、かなり上等なもの 一 0 しやく を。老侍に対する若主人の厚遇ぶ 事うるはしく扇を笏に取りてうづくまり居たり。 りを物語る。 てて 家主のいふやう、「やや、ここの父のそのかみより、おのれは生ひたちたる九端然と行儀正しく。 一 0 扇を笏のように持ち構えて。 = 呼びかけの語。ゃあやあ。こ 者ぞかし」などいへば、「む」といふ。「見えにたるか、いかに」といへば、こ れこれ。 さぶらひ の侍いふやう、「その事に候。故殿には十三より参りて候。五十まで夜昼離れ三 ( 亡き父上に ) お仕えしていた のか、以」 , つじゃ。 むげ 参らせ候はず。故殿の故殿の、小冠者小冠者と召し候ひき。無下に候ひし時も一三書陵部本は単に「故殿の」。そ れに従うべきか おほっぱ 一六あとふ 御跡に臥せさせおはしまして、夜中、暁、大壺参らせなどし候ひし。その時は一四冠者よ冠者よ。「小」は美称。 「冠者」は、元服して冠をつけた少 のち わび 佗しう、堪へがたく覚え候ひしが、おくれ参らせて後はなどさ覚え候ひけんと、年の称。 きあつま 九 たまは