五蔵 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語
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1. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

すわ は軽い。これも家に籠っておれ。五蔵の気持だけは解しが もできません」といって、父親の前に坐って顔色も変えな たい。しかしながら、問責すべきほどのことではない」と い。曾次、「おのれはどこまで貧乏神がついておる。財宝 かせ いってまた獄舎に追い人れた。五十日ばかりたって、「国はなくしたが、もう一度稼げば元のごとくになるだろう。 五ロ 一三ロ なにわ 物守のご裁定をよく承れ。このたびの一件、すべて五蔵と曾難波に出て商人になろう。おのれは勘当じゃ。わしの後に あやま さと 雨 次の過ちから起ったことである。この郷におること許さぬ。 ついて来るな」といって、面をふくらませながら村を出て、 只今、直ちにここから追放する」といわれて、代官所のご いずこにか立ち去って行った。 門から、厳しく取り囲まれ、親子ともに隣領との境まで追 五蔵は、間もなく髪を落して僧侶となりその里の寺には い立てられて行った。「元助は、母ともども、世間を騒が いったが、ありがたい高僧として名を残した。元助は、母 たす はりま すきくわ せる事件を起したゆえ、この村に置くわけにはゆかぬ。西親を扶けて播磨の親族の所に落ち着き、鋤鍬取って昔どお の境界まで追放せよ」ということで事件は落着した。曾次 りの百姓に戻った。母親も毎日機織りに精を出し、そのさ たくはたちぢひめ の家の財宝は、福の神とともにお上によって没収されるこ まは栲機千千姫の神の姿にも似ていた。曾次の妻は実家に とになった。 帰って、これも尼になったという。妹の首が、切られてな あしず はげ 鬼曾次が、足摺りし、手を振って泣き喚くさまはなんと お笑みほほえんだままであったのは、さても気性烈しいこ も見苦しい。「五蔵め、おのれのために、こんな罰も受け とであったと、人々はみな語り伝えた。 ちょうちゃく るわ」といって五蔵を引き倒し、打擲する。いくら打って も五蔵は去ろうともせず、「お気の済むようにーといって いる。「憎い、憎い」と罵って、ここあそこ、血まで流さ せる。村人たちが集って来て、普段憎んでいた相手だった ので、無理に曾次を引き離し、五蔵を助け出した。五蔵は、 「助けていただける命とは思いませんが、勝手に死ぬこと ののし わめ すていしまる 捨石丸 みちのく 「陸奥の山に黄金の花が咲く」と古歌にうたわれているの ふもと は本当である。その小山田の麓の里に、小田の長者という ( 原文一一七五ハー ) こがね

2. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

外はロにもしない。「このついでにいい渡しておく。おぬ からには、明日の朝、私の家に送り届けてください。千年 いっとき しの部屋には書物とかいうものが積んであって、夜も油火万年の永い仲でも、またただ一時連れ添う仲であっても、 燃やし、役にも立たぬ無駄をしておるそうな。こういうこ同じく夫婦でございます。両親の目の前で、婚社の形だけ とも福の神はお嫌いになるという。紙くず買いに売っては でも整えることができるなら、それがせめてもの願いです。 損になる。買った商人呼んで、元の金、返してもらえ。親兄上のお考えにお任せしますから、よろしく取り計らって おにご の知らぬことを知りおって何になる。親に似ぬ子は鬼子と ください」という。元助答えて、「何事も、おっしやるとお ののし いうが、まことおぬしのことじやわい」といい罵る。五蔵、 りに行いましよう。お家のほうの用意よくなさって、待っ 「これからは、何事も、おいい付けどおりにいたします」 ていてくだされ」といって喜び顔である。母親も、「嫁人 すそ といって、それ以来毎日、渋染の仕事着のを高くまくり りはいつの頃かと待ちあぐねておりましたが、明日と聞い ふるまい 上げ父の気にいるように働いたので、父親は、「これで福てほっとしましたーといって、これも喜びを振舞に表して の神のお心にもかなうことだろう」としきりに喜んでいる。 いそいそと立ち働き、茶を煮、酒に燗をつけて五蔵にすす とだ 一方娘の家では、五蔵の訪問が途絶えたままであるのに める。五蔵、盃に一くち口を付けると宗に注す。宗はうれ しゅうげん つれて、また病が重くなり、「今日か明日までの命」とい しそうにそれを受け、三三九度の夫婦固めを祝って、祝言 しょこう うまでになった。母親や兄はそのことを嘆いて、五蔵にも の謡を元助が謡う。初更を告げる夜の鐘を聞くと、「例の むねひそ ように、門を閉められますから」といって五蔵は帰って行 その旨、密かに使いして来た。五蔵、前々から覚悟してい った。親子一二人は、今夜の月の光の下でしみじみと心隔て 咲たことだったので、はっきり様子を見たわけではないが哀 なく語り明かしている。 首れさに堪えられず、使いの後に付いて急いでやって来た。 こそゼ 死 五蔵、元助親子に向って、「こうなるのではないかと心配 一夜明けると、母は白絹の小袖を取り出して娘に着せ、 していたとおりになりました。来世のことは本当かどうか髪の乱れに櫛の目を人れて、「わたしも、若かった昔の嫁 さきさま わからないので当てにすることはできません。こうなった人りのうれしさは少しも忘れられぬ。先様に参ったならば、 うたい かん

3. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

や ただただ父君の情が剛いことを心得て、ご機嫌を損じない殿が情けをかけられてきた者でござる。長らく病み衰えて ようにいたせ。母君は必ずそなたをかわいがってくださる おり申したが、五蔵殿が輿人れ急ぎたいと願われるによっ かご けしようみじたく ひがら であろう」といいながら、化粧身支度に気を配り、駕籠に て、連れて参り申した。日柄もよいこと、婚礼の盃を与え 五ロ きロ づか あさがみしも 物乗るまでさまざまな心遣いを教えている。元助、麻上下に てくだされ」という。曾次は鬼のような大口を広げて、 せがれ 雨 身を正し、正式に大小を腰につけて、「また五日には里帰「何を馬鹿なことをいう。おぬしの味に悴めが目をかけた りをして来るものを、あまりに話が長すぎます」といいな と聞いて、きつく改めさせ、今は悴も心にかけておらぬ。 たひざ がらも、この母を止めかねている。宗は、ただ晴れやかに おぬし等、狐でもついて気が狂ったかーと、立ち膝になり、 ぎようそうにら ほほえんで、「すぐにまた、こちらにも参ります」といっ恐ろしい形相で睨み付け、「帰りおれ。帰らぬならば、お て駕籠に乗せられて出てゆく。元助が付き添って門を出る のれが手を下すまでもない。男たちに棒持たせて、追っ払 かどびた と、母は、習わしどおりに門火を焚いてうれしそうである。 ってくれるぞ」と、まことに恐ろしげな様子である。元助、 こもの 召し使われている二人の小者たち、ひそかに「これでもお大きく笑って、「五蔵殿を呼ばれよ。そもそも五蔵殿が、 輿人れといえるのだろうか。わしらも付き添って行って、 早く迎えたいといわれながら、月日経つうちにこうして病 ちょうだい ぞうに もちはらつづみ 銭を頂戴し、振舞の雑煮の餅に腹鼓を打とうと思っておっ になり、死ぬばかりにもなったのだが、せめてこの家の庭 たのに、まるで大違いじゃ」と語り合っているが、今朝の にて死にたいと願うによって連れて参った。ここで死なせ、 ものおし 朝食の煙まで、いかにもしぶしぶと燃え立っている。 五蔵殿と並べてこの家の墓に葬ってもらいたい。例の物悋 曾次の家では、予期しなかったことなので、「いったい みの性質は心得ておるゆえ、この家の負担にはさせぬ。 むすめご 誰が、病気になって来たのだろう。お娘御がいたとはこれ判三枚、ここに持って参った。これにて、たとえ粗略にで いぶか まで聞いたこともないが」と、使われる者たち訝りながら も葬ってやってもらいたい」という。曾次、躍り上がって こがね たまもの 立ち並んでいる。元助、主人の曾次に向って作法どおり対怒りながら、「黄金はわが福の神の賜物だが、貴様の家に 座し、「これにいる妹、宗なる者、かねてよりご子息五蔵あって穢された物など欲しくもない。もちろんこの娘、嫁 こしい こわ けが おど

4. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

丁を取って料理し、煮たり焼物に作ったりして、母にも兄き死にの分別も簡単で後悔することもありません。財宝も にもすすめ、そのあとは五蔵の右隣に付いていろいろ世話ほしくはありません。ただ、ご両親にお仕えせず出て行く をしている。その様子に母親はいかにも満足そうである。 こと、人の道にかなわぬことと思いますので、只今、心を 五ロ きロ ゆる 物兄は、わざとそ知らぬ顔をしている。五蔵、宗の気持を察改めてみせます。今までの不孝の罪、どうぞお赦しくださ おさ はしづか 雨 して涙を抑えながら、「おいしい、おいしい」と箸使いが い」というが、その顔にはいかにも真情がこもっている。 はずみ、普段よりも食が進む。「今夜はここに」といって、 母親は喜んで、「まこと神様が定めてくだされた縁ならば、 泊ることになった。 やがて夫婦になれる時もあるであろう」と息子を慰めなが たろこうろ いつわもの 翌朝早く起きて、「多露行路」の詩を口ずさみながら帰ら、一方、父親にもこのことを詳しく話した。「詐り者の さかとうじ はらいた って来ると、曾次が待ち受けていて、迎えざまに立ち上が いうこと聞く耳もたぬが、酒杜氏が腹痛で昨夜から伏せつ しんしようつぶ り、「この身上潰しめ。家のことを忘れ、親を馬鹿にして、 ておる。蔵々の片隅に、こそ泥どもが米や酒を隠したこと、 ろな ぎん おのれの身を滅すことがそんなに良いことか。代官殿に吟これまでもたびたびじゃ。見回って調べたあとで、時々、 み 味していただいて、親子の縁を絶ってくれるわ。言訳はい 杜氏の腹痛を見舞ってやれ。あの男がいなくては一日どれ ぎようそう らぬ」と険悪な形相がいつもよりも恐ろしい。母、仲には ほど損になるやらわからぬわい。さあ、すぐ参れ」といい はきもの いって取りなし、「まあ私のところに来なさい。父上が昨付けて酒蔵に追い立てる。五蔵はいい付けを聞いて、履物 夜からおっしやっていたことをくわしく言って聞かせたな もはかず小半時のうちに見回って来て、「行ってまいりま しぶぞめ ら、何とかなるでしよう」という。曾次、怒って睨みつけ した」という。父親は、「渋染の着物が似合うのは、福の がまん ついたち ていたものの、自分の子であると思えば我慢しておのれの神のお仕着せだと思え。今日をはじめとして正月の朔日ま 部屋にはいってしまった。母親は泣きながら、心をこめて では、かかりつきりで仕事をして、物を食べるのも用を足 意見をする。五蔵、下げていた頭を上げると、「本当に、 しに行くついでにせよ。さあさあ大切な宝の山じゃ。福の かねもう 申し上げる言葉もございません。若く考えのない私は、生神たちに追い付き申すのじゃ」といって、金けのこと以 ( 原文一一六八 ) ちょう にら

5. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

庄屋これを聞いて、「なんという気違い沙汰じゃ。元助 などではない。死にかけの病人ならばなおさらのこと、と けが っとと連れて帰れ。五蔵はどこにおる。この穢らわしい病の母は知るまい」と、離れた家でもないのですぐ走って行 き、「これこれじゃ。元助は気違いになった」と息せき切 人めを、わしが承知しなかったらどうしたつもりじゃ。う はただい っていった。母親、いつものとおり機台にのぼって布を織 まく取り計らわぬと、おのれも一緒にたたき出してくれる たてつ っていたが、これを聞いて、「では、そのようにいたしま ぞ。親に楯突く罪のほど、代官殿に訴え上げて処分してい ただくわい」といって、やって来た五蔵をそのまま立ち蹴したか。かねて覚悟していたことゆえ、驚くこともござり ませぬ。よくお知らせくださいました」と降りて来て礼を に庭に蹴落した。五蔵、「どうなりとお気の済むようにし てください。この娘は私の妻でございます。追い出された述べる。庄屋、母親のこの態度にもまた驚いて、「鬼とは、 かねて曾次のことだとばかり思っていたが、この母も鬼じ ら、この場から手を引いて出て行こうとかねがね考えてま つの ゃ。よくこれまで角を隠してきたものよ」と、家を逃げ出 いりましたが、今朝はそのとおりになりました。さあ」と して代官に訴え出た。さっそく、関係者一同召し捕られ、 いって宗の手を取って出て行こうとする。元助それを止め、 「その方たち、なんということをして里を騒がせる。元助 「この体、一足引くだけで倒れるであろう。おぬしの妻じ は、眛とは申せ人を殺したからにはここにとどめおく。五 ゃ。この家にて死なせてやるが当然」といったかと思うと、 ただ 刀を抜き放って妹の首を切り落した。五蔵、首を取り上げ、蔵も、問い糺すべき筋があるによってここに捕えおく」と 申しわたされ、二人ともに獄舎につながれた。 袖に包んで、涙も見せずに門を出て行こうとする。父親、 ひかず 日数十日ほどたって、代官はまた関係者を召し出して問 咲驚いて、馬の背にはね上り、「おのれ、その首持ってどこ ただ い糺したが、「曾次は、罪なきように見えて罪は重い。汝 首へゆく。わが先祖の墓に納めること、このわしが許さぬ。 かみ 死 の良からぬ欲心から、みすみすかかる事態をしでかした。 今はそれどころではない。兄めは人殺しじゃ。お上の手で うけたまわ 行捕えられるがいい」といって、急ぎ村庄屋のところに知ら家に籠り謹慎せよ。いずれご裁断を承ったうえ、罰を加 えよう。元助は、母が許したことゆえ、罪はあるがその罪 せに行く。

6. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

五蔵このことを聞いて、「二人のことは、たとえ父母の の仕事の相手を勤め、煮炊きの仕事に精を出しながら、夜 ともしびもと お許しがなくとも、想い合う真心がある限り必ず、私がう は灯火の下で母と二人、古物語を読んで楽しみ、文字書く ことも下手ではならないと習字にも励んでいた。同じ一族まくやってみせる」といって、それからも絶えず娘の家を 五ロ きロ たず 物のことなので、五蔵は常に往き来して交わりも浅くなかっ訪ねていた。そのことを曾次が耳にして、「おのれは、ど きら っ 雨 んな迷わし神に取り憑かれて、わざわざ親が嫌う貧乏人と たが、宗は五蔵にいろいろ物も尋ね、師匠とも頼んで学ん でいた。いつの頃からか、気持を打ち明け合い、将来を約深い仲になりおった。今すぐあきらめてしまえ。親のいう すはだか ことが聞けぬなら、素裸になってどこへでも出て失せろ。 束する仲になったが、母も兄も、似合いの間と黙認してい 不孝がどんな罪か、おのれが読む書物には書いてないか」 しか かたわら と、声を荒だてて叱りつける。母親、傍で聞きかねて、 同じ一族の人に、医師の靫負という老人がいた。二人の こうむ 「まあどうであれ、父上の憎しみを蒙っては立っ瀬もある 仲を知って、結構な話と、母親や兄の承諾も得たうえで、 うぐいす まい。あの貧しい人の家には、これ以上決して行ってはな 酒造りの曾次のところへやって来て、「鶯は必ず梅の木に さと むすめご るまい」と諭し、夜ともなれば、自分のところに連れて来 巣を作り他には宿らぬもの。ご子息のために、あの娘御を て物語などを読ませ、そばから放そうとしない。 娶られるがよろしいでしよう。貧しいとは申せ兄は志操高 宗は、五蔵の来訪が途絶えても、これまでの誠ある心を 潔な大丈夫、たいへん良い縁と思います」というと、鬼曾 次せせら笑って、「わしのところでは、福の神のお宿を申考えて恨み一言もいわずにいた。ところが、つい仮に床につ いたつもりが本当になって、物もろくにロにせず、夜も昼 し上げておるゆえ、あの貧乏人の娘を家に人れたのでは、 えんぎ も寝間に籠ってばかりいるようになった。兄の元助は、若 神様のお気に召すまい。とっとと帰ってくだされ。縁起で ひごとやおとろ もない、今いた所を掃き出して清めろ」という。その言葉いせいで気にもかけない。母は、日毎に瘠せ衰え、顔色も まなこ に老人は驚いて逃げ出し、それからは、重ねて話を持ち出青白く、眼のあたりに隈ができたのを見て、「恋に病むと は、このようなことをいうのであろう。薬を与えたところ し、取り持とうとする者がなかった。 めと ゆきおい とだ

7. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

( 原文一一六一一第ー ) あしだ っている。袋を取って背に負い、低い足駄をはいてよろめ海に響きわたって海神を驚かせるほどであった。ひとり息 - こぞう き立ち上がったその姿、確かどこかの絵で見たことがある。子がいて、名を五蔵といった。父に似ず、生来風雅を好む 神主と法師は人間である。人間でありながら妖怪と交わっ優しい人柄で、手跡も見事なうえ、和歌や学問を好んで学 しらが まど び、また弓を取っては飛ぶ鳥を射落すほどで、優しい姿に て惑わされず、また人を惑わすこともなく、白髪になるま 似合わぬ雄々しい心を持っていた。常々、少しでも人のた で生きをした。すっかり夜が明けて、それぞれ森陰の自 めに位立っことを考えて、交わりも礼儀正しく、貧しい者 分のねぐらに帰って行った。女房と童女は、神主が「ここ あわ を憐れんで力を貸すことを身の勤めとしていたので、里人 に泊れ」といって連れ立って行った。 あだな は、父が無慈悲であるのを渾名して鬼曾次と呼び、子の五 この夜のことは、神主が百年も長生きして日課の手習い ぶつぞう をしたものの中に書き残したものがある。墨黒々とぶつき蔵を仏蔵殿と呼んで尊敬していた。出人りの者も、まずこ くつろ くず らぼうで、誰が見ても読むことができない。文字の崩し方の五蔵のところに立ち寄って寛ぐことを楽しみにして、同 じ家の中でも、自然、曾次のところには寄り付かぬように もおおかたは間違っている。自分ではよく書けたと思って なったが、父の曾次はこれを怒って、「無益な人間には茶 いたのであろう。 はりがみ を飲ませぬ」と書いて門の壁に貼紙し、訪れる者に注意を 配ってロやかましく追い返していた。 また、同じ一族に元助という者がいたが、長い間に家衰 死首の咲顔 すきくわ え、田畑わずかに所有しているだけで、主人みずから鋤鍬 咲 ゆた せつつのくにうイらのこおりうなご 首摂津国、兎原郡、宇奈五の丘は、昔から一村豊かに住みを取って耕し、母一人、妹一人をやっと養っていた。母は はたお さばえ 死 まだ五十にもならず、女の仕事の機織りや、麻を績み、糸 着いてきたが、鯖江姓を名のる者が特に多かった。酒造を ごそうじ 生業とする者が多かったが、なかでも五曾次という者の家を紡ぐ仕事にかいがいしく精を出し、自分のことは忘れて むね こめつ はことに豊み栄えて、秋になると、米搗き歌の歌声が前の立ち働いていた。妹は宗といって、またとない美人で、母 しくびえがお

8. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

一嫁として正式に認めることを しなんとねがふままに、つれ来たる也。ここにてしなせ、此の家の墓にならべ つひえ さがりんしよく ニ「性」。吝嗇な性質。 てはうぶれ。れいの物をしきさがはしりたる故に、此のいへの費にしはせじ。 五ロ 三小判一二枚。「ひら」 ( 枚・片 ) は、 ロ三 六 物金三ひらここに有り。是にてかろくともとりをさめよといふ。をどり上りて、薄く平らなものを数える語。 雨 四金は足らぬであろうが簡略に。 春「かねは我がふくの神のたま物なれど、おのれが家にけがれたるは何せん。も = 始末する意。葬る。 六西荘文庫本「を取上て」。怒っ とよりよめ子にあらず。死人ならば、とくつれいね。五曹いづこにをる。此のて躍り上がる意に読んでおく。 たまもの 七「賜物」。五曾次は、己の信条 けがらはしき、きかずばいかに。よくはからずば、おのれも追ひうたん。親にを軽んぜられて激怒している。 けが ^ この穢らわしい病人を、わし たち さかふ罪、目代どのにうたへ申して、とり行はせん」とて、来たるをすぐに立が承知しなかったらどうするつも りだった。 蹴に庭にけおとしたり。五蔵、「いかにもしたまへ。この女、我がつま也。追九上手に処置しないと。 一 0 「逆ふ」。逆らい背く罪。 ひ出さるれば、ここより手とりて出でんと、兼ねて思ふにたがはざるこのあし = 処罰していただこう。 一ニ足蹴にかけること。 た也。いざといひて、手とりて出づべくす。兄がいふ。「一足ひきては、た一三前から心配していたとおりの 事態になった。事態を予見しなが ふるべし。汝がつま也。この家にてしぬべし」とて、刀ぬきていもうとが首切ら、とどめえなかった五蔵の苦悩 を示す。 りおとす。五蔵取り上げて、袖につつみて、涙も見せず門に出でんとす。父お一四「べし」は当然を示す。 おやおや 一五「祖々」。先祖。 一五 どろき、馬にはね上がり、「おのれ、其の首もちていづこにか行く。我がおや一六お上によって誅せられるがい つみな、 おきて い。「罰ば罪を在せずー ( 推古紀 ) 。 おやの墓にをさめん事ゆるさじ。それまでもあらず。兄めは人ごろしぞ。おほ宅庄屋をいう。 四 いう。

9. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

られずに過そうと、ただ想い合っていることを頼みとして、 でどうにもなるまい。五蔵殿さえおいでくださればーとい おろ 一年でも二年でも暮してみよう。そなたを愚かだというの うので、その旨使いをしたところ、その日の昼間過ぎて五 ふがい は、こんなわたしの気持を察せずに病などになって、母君 蔵がやって来た。五蔵、宗に向って、「まことに腑甲斐な しよぎよう やまい い。病になるなどとは、親の悲しみも考えぬ、罪深い所業からも兄上からも、わたしが罪ある者として責められるよ かっ うにしていることをいうのだ。そのようでは、わたしはっ というもの。来世では、どんなところに生れ、荷を担いだ らい。さあ今からは気持をはっきり持ち直しておくれ」と、 、夜も縄をなったり、なおどんなにか苦しい目をみるこ 心をこめて教えられて、宗は、「決して、私が病気をして とになるだろう。親の許しがないことは初めからわかって いるなどとはお考えくださいますな。自分のわがままから、 いたことではないか。わたしは父に背いても、一度交した わずら 起きたり寝たりしていたのでございます。お心を煩わせて 約束は決して違えたりはしない。山里に這い隠れてでも、 一一人一緒に暮らせたら本望と思っておくれ。この家の母君、申し訳ございません。すぐにちゃんといたしますから見て おぐし いてください」といって、挿していた小櫛をとって髪の乱 兄上がお許しくだされたのだから、罪の報いはないだろう。 たくわ れを整え、着ていた衣服も脱いで新しいものに着替え、そ わたしの家は財宝も十分蓄えてあるうえ、少々のことでは えがお とこ 崩れぬよう父が守っているから心配はない。良い養子でもれまで休んでいた床は振り向こうともせず、母に兄に笑顔 を見せながら、かいがいしくふき掃除を始める。五蔵、 とって財宝をふやされているうちには、わたしのことなど 忘れて百年も長生きをなされよう。人間、百年の寿命を保「気分が晴れやかなのを見て、こんなうれしいことはない。 たい あかし まれ これは、明石の浜でとれた鯛を、漁師が今朝、舟で届けて 咲っことはむずかしい。たとえ稀にいても、半分の五十年は おおやけ 首夜の睡眠に費やされ、そのほかに病気で寝たり、公の仕事来たものだよ。これを菜に食事をするのを見て帰るとしょ わらづと 死 に駆り出されたり、くわしく数えてみるなら、やっと二十う」といって、きれいに包んだ藁苞を差し出す。宗はにつ たい ゅうべ 年ばかりが本当に自分のものだといえようか。たとえ山深こり笑 0 て、「昨夜の夢見がよかったのは、めで鯛という しらせ すだれ い里に隠れ住もうと、海辺のあばら屋の簾の陰で世間に知魚をいただく兆だったのでしよう」というと、さっそく庖 つい むね たが そむ さい にう

10. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

一不可解である。矛盾が一身に 事なれば、罪あれど罪かろし。是も家にこもりをれ。五蔵が心いといとあやし。 集中する悲劇的設定を、距離をお いた眼で描いている。 五十日ばか されどせめとふべきにあらず」とて、またひと屋に追ひ人れたり。 五ロ ニ前例のない異常な事件の審理 きロ 物りありて、「国の守のおほせうけたまはれ。此の事ことごとく五曹と曾次が罪に時間がかかったことを示す。 三ここは封建時代の領主。 四二人が原因。責任の所在をい 春におこる。此の里に居らせじ。ただ今ただ追ひはらふぞ」とて、この御門より 五即刻、この場から追放する。 いかめしく取りかこまれ、親子は、となりの領ざかひまで追ひうたれて行く おさだめがき 『御定書百箇条』は、追放刑として、 「門前払、所払、江戸払、江戸十 「元助は母ともに、事かはりし事を仕出でたれば、このさとにはをらせじ。西 里四方追放、軽追放、中追放、重 のさかひまで追ひやらへ」とて、事すみぬ。曾次が家のたからは、ふくの神と追放」を定める。軽追放か。当然、 田畑、家屋敷は没収された。 六世間を騷がせるようなこと。 ともにおほやけにめし上げられたり。 異常を許さぬ、封建時代の法のあ り方を示す。 鬼曾二足ずりし、手を上げておらびなくさま、いと見ぐるし。「五蔵、おの 七所払いになったことをいう。 八これまでの家運を象徴。 れによりて、かく罪なはるるはーとて、引きふせてうつ。うてどもさらず。 九足をもがき、手を舞わせて。 おら 「御こころのままにーといふ。「にくしにくし」とて、ここかしこに血はしらせ一 0 「哭ぶ」。泣き叫ぶさま。 = 底本「はら、せ」。「はららか 里人等つどひ来て、兼ねてにくみしものなれば、曾次はとり放ちて五蔵せ」の「か」の脱とも考えられるが、 「はしらせ」の誤写と解しておく。 をたすけたり。「いのちたまはるべくもあらねど、わたくしには死すべからず」一 = 前々から。普段 一三親の許しなしに とて、父のまへにをりて面もかはらず。「おのれはいかで貧乏神のつきしよ。 274 四