寺院に七日ばかりかたらひ、此のついでに「いまだ高野山を見ず。いざーとて、の数を重ねた修辞に注意。 一七 一四別荘。 こえ てん 夏のはじめ青葉の茂みをわけつつ、天の川といふより踰て、摩尼の御山にいた一 = 在して何かと語り合い、旧 交をあたためること。 さか 一六呼びかけの感動詞。「さあ」。 る。道のゆくての嶮しきになづみて、おもはずも日かたふきぬ。檀場、諸堂、 てんかわ 宅奈良県吉野郡天川村。大蜂ロ みたまや とも七度半道ともいう。高野山東 霊廟、残りなく拝みめぐりて、「ここに宿からん」といへど、ふつに答ふるも 谷に人る人口。 たより おきて 入高野山の山の一つに摩尼山が のなし。そこを行く人に所の掟をきけば、「寺院僧坊に便なき人は、麓にくだ あるが、ここでは広く高野山をい とそっ う。山の中心の金堂が兜率の内院 りて明かすべし。此の山すべて旅人に一夜をかす事なし」とかたる。いかがは 摩尼殿を表す所から呼ばれた。 せん。さすがに老の身の嶮しき山路を来しがうへに、事のよしを聞きて大きに一九行き悩んで、の意。 ニ 0 正しくは「壇場」。高野山では、 み 東塔より西塔にかけて、金堂、御 心倦つかれぬ 影堂の一帯をいう。 作之治がいふ。「日もくれ、足も痛みて、いかがしてあまたのみちをくだら = 一その他もろもろの堂塔 一三奥の院にあって、弘法大師の むぜん やみ ふす だいしびよう ん。鶸き身は草に臥とも厭ひなし。只病給はん事の悲しさよ」。夢然云ふ。「旅霊を祀。た建物。大師廟とも。 ニ三絶えて、ちっとも。 こよひあし うみ ニ四実際、江戸時代まで、縁者信 法はかかるをこそ哀れともいふなれ。今夜脚をやぶり、倦つかれて山をくだると 徒以外は泊れなかった。 れいちゃう あす 三もおのが古郷にもあらず。翌のみち又はかりがたし。此の山は扶桑第一の霊場、 = = 老体で野宿し、病気になるこ とを気づかった。 こと くわうとく 大師の広徳かたるに尽ず。殊にも来りて通夜し奉り、後世の事たのみ聞ゅべき = 六「日本」の異称。 こうなう 毛弘法大師。高野山開祖の空海 したみち さいはひをり みたまや ふせ しようぶつ に、幸の時なれば、霊廟に夜もすがら法施したてまつるべし」とて、杉の下道夭死後の成仏。 うみ ふるさと 0 おいみさか しげ つき いと ニ四 いた ごせ まに 一八 だぢゃうニ一 おやま ふもと 0 0
ぶつばんぶつばん みべう 毛現在でも御影堂の前に実在。 御廟のうしろの林にと覚えて、「仏法、仏法となく鳥の音、山彦にこたへ 穴前世から二世にわたる。 ぶつふそう てちかく聞ゅ。夢然目さむる心ちして、「あなめづらし。あの啼鳥こそ仏法僧一九作者の体験。「仏法僧は高野 山で聞いたが、ブツ。ハン / 、、と鳴 すみ いた。形は見へなんだ」 ( 胆大小心 といふならめ。かねて此の山に栖つるとは聞きしかど、まさに其の音を聞きし 録 ) 。 しゃう めざいしゃうぜんしるし といふ人もなきに、こよひのやどりまことに滅罪生善の祥なるや。かの鳥は清 = 0 現世の罪障を消滅し、未来の しるし 善を作り出す、そのよい吉兆。 ふたらさん じゃうち かせふざんしもづけ 浄の地をえらみてすめるよしなり。上野の国迦葉山、下野の国二荒山、山城の = 一群馬県沼田市池田の鞦寺。 一三栃木県日光市の日光山の古称。 だいご みね しながさんなかんづく ニ三京都市伏見区醍醐寺の山。 醍醐の峰、河内の杵長山。就中此の山にすむ事、大師の詩偈ありて世の人よく 品大阪府南河内郡太子町の杵長 山叡福寺の背後の山。 しれり。 ニ五仏法教法の理を述べた詩。 かんりんどくざさうだうのあかっき さんなうのこをいってうにきく へんしよう ニ六出典は弘法大師空海の『遍照 寒林独坐草堂暁三宝之声聞 = 一鳥一 につきしようりようしゅう 発揮性霊集』巻十の「高野山竜光 せいしんうんすいともにれうれう いってうこゑありひとこころあり 院ニ於テ後夜ニ仏法僧島ヲ聞ク」。 一鳥有レ声人有レ心性心雲水倶了々 ぶつなうそう 毛仏・法・僧という鳴声。 穴鳥の声、人の心、雲、水。こ 又ふるき歌に、 の山ではすべて悟りの境にある。 しづかあけをの ニ九 ニ九『新撰六帖』藤原光俊の歌。松 松の尾の峰静なる曙にあふぎて聞けば仏法僧啼く 尾山は京都市西京区の松尾神社の えらうにふし さいふくじ つけしゃ わけいかすち 三むかし最福寺の延朗法師は世にならびなき法華者なりしほどに、松の尾の御神、後ろの山。一名、別雷山。 三 0 天台宗の高僧。承元一一年 ( 一二 0 えんらう 此の鳥をして常に延朗につかへしめ給ふよしをいひ伝ふれば、かの神垣にも巣 0 没。七十九歳。京都松尾山麓に あった最福寺開基。 こま きめう おおやまくいのかみいちきしまひめのみこと よしは聞えぬ。こよひの奇妙、既に一鳥声あり。我ここにありて心なからん = = 大山咋神と市杵島姫命。 む ニ四 かんづけ すむ
ニ一世の中を憂しと思わないで。 らす。「所につけてよめ」とおほせたうぶ。薬子先づよむ。 さだめ 「定なき世を宇治河の滝っ瀬に」 ( 続千載・巻十六 ) のほか「朝川わた 朝日山にほへる空はきのふにて衣手さむし宇治の川波 る」「よど瀬なく」「吾は仕へむ」 ニ 0 と申せば、「河風はすずしくこそ吹け」とて、打ちゑませたまふ。左中将藤原を『万葉』の諸歌から得て構成。 一三兵部省の次官。 ニ三『万葉集』巻十九「眛に似る草 の惟成よむ。 と見しより我が標めし野辺の山吹 たれた 誰か手折りし」の歌をさす。 君がけふ朝川わたるよど瀬なく我はつかへん世をうぢならで 品山吹の瀬をいう。宇治橋北西。 ひやうぶたいふ ニ五「味に似る草」と歌ったのは。 兵部太輔橘の三継よむ。 ニ六歌枕。「今もかも咲きにほふ いも ニ四やまぶき らむ橘の小島のさきの山吹の花ー 妺に似る花としいへばとく来ても見てまし物を岸の山振 ニ七 ( 古今巻一一・一一一一 ) 。『八雲御抄』は宇 く」かべ みこ みやゐ あすか うちぎき 「それは橘の小嶌が崎ならずや。飛鳥の故さとの、草香部の太子の宮居ありし治とし、秋成は『古今集打聴』 ( 真 あすか 淵 ) に従って飛鳥とする。このあ たり考証の遊びを混人している。 所よ」とおほせたまふ。猶多かりしかど忘れたり。奈良坂にて、御ゅふげまゐ ひなみしの 毛天武の第一皇子。日並皇子。 三 0 ならそま る。「この手がし葉はいづれ」ととはせ給ふ。「それは二おもてにて、心ねじけ ll< 島の宮 ( 楢の杣 ) 。 ニ九山城、大和の国境。 いみ そうなく そくはく 三 0 「側柏という叢木也」 ( 金砂四 ) 。 らたる人にたとへし忌こと也。御供つかうまつる臣達、いかで二おもならん」と このてかしはふたおも び 三一「奈良山の児手柏の両面にか ふるみや かだひと にもかくにも佞人が伴」 ( 万葉・巻 申す。「よし」とのたまひて、古宮に、夜に人りて人らせたまひぬ。 血 十六 ) 。両面が表のように青い。 かすがたかまどみわ みす ふたごころ あした、御簾かかげさせて、見はるかさせたまへり。東は春日、高円、三輪 = 三禁句。「ふたおも」は、二心。 三四 三三以下、奈良市東方の山々。 かづらき 2 やま 山、みんなみは鷹むち山をかぎり、西は葛城やたかんまの山、生駒、ふた神の = 四以下、大和、河内の境の山々。 一八 こじま おみ ふた 三三 いこま し
あるじ まえはわたしの教えを聞く気があるかどうか」。あるじの路の旅の帰り道に再びこの土地を通られ、かの荘主の家に 僧は答えた。「師僧は真実の生仏でいられる。ここまであ立ち寄って、山の法師の消息をお訊きになった。荘主は喜 さましい悪業をすぐにも捨て去り得る教理があれば、ぜひ び迎えて、「お坊様のご高徳によって、あの鬼は二度と山 五ロ きロ 物お教え願いたい」。襌師は言った。「おまえが聞くというのを下りて来ませぬから、皆、浄土に生れ変ったように喜ん おそ 月 であれば、ここに来なさい」。そう言って、あるじの法師 でおります。しかしながら山へ行くことは怖ろしがって、 すのこえん すわ を簀子縁の前にある平らな石の上に坐らせ、自分のかぶつ誰ひとり上る者はいません。ですからあの法師の消息は何 あおぞめずきん も知りませぬが、どうして今まで生きていましよう。今夜 ていた紺染の頭巾を脱いで、法師の頭にかぶらせ、二句の しようどうか をだい 証道歌をお授けになった。 のお泊りには、あの法師の菩提を弔ってください。皆で回 こう かうげつてらししようふうふく えいやせいせうなんのしょゐぞ 向いたしましよう」と言った。 江月照松風吹永夜清宵何所為 ( 秋の澄んだ月は川の水を照らし、松を吹く風は爽やかであ 禅師は、「あの法師が善行の報いで成仏したのなら、わ せんだっ る。 しにとって住生の道の先達・師匠といってよい。また、も この永い夜、清らかな宵の景色は何のためにあるか。それは し生きているならば、わしにとっては一人の弟子である。 何のためでもなく、天然自然にそうなのである ) いずれにしても彼の様子を見とどけぬわけにはいかぬ」と ゆきき 「おまえはこの場を動かず、じっくりとこの句の真意を考言って、再び山に上られた。なるほど人の往来が絶え果て えぬくのだ。真意を理解できたその時、おまえは自ら本来たとみえて、その山道は去年踏み分けて歩いた道とも思わ れぬ荒れようである。 の仏心にめぐり逢うのであるぞ」と、懇ろに教えさとして わざわい おぎすすき 山を下られた。それからは、村人たちも恐ろしい危害にあ 寺域にはいってみると、荻・薄が人の背丈よりも高く生 しぐれ うことはなくなったが、なお法師の生死のほども知れず、 い茂って、草木の上に置く露は時雨のように降りこぼれ、 こみち 疑心暗鬼で、皆々山へ上り寺へ近づくのを戒め合っていた。寺内の三径さえ見分けられない中で、本堂や経閣の戸は右 あく に左に朽ち倒れて、方丈や庫裏をとりまく廻廊も、朽ちた 一年は早く過ぎ、翌る年の冬十月初旬、快庵褝師は奥州 ( 原文一二一第 おのずか さわ せたけ
一四 はうじゃうくどく わたづみみことのり ひていふ。『海若の詔あり。老僧かねて放生の功徳多し。今江に人りて魚の賀の大わだ」 ( 万葉・巻一 ) 。 ニ 0 着物の。「裳」は上古の女子 かん あそび カりきんりふくさづ 遊躍をねがふ。権に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせ給ふ。只餌の香正装の時、腰から下を覆うもの。 ニ一琵琶湖西方にあり、比叡山東 うしな ばしきに眛まされて、釣の糸にかかり身を亡ふ事なかれ』といひて去て見えず北に並ぶ連峰。「比良の暮雪」は、 近江八景の一。 一三「かくれがたし」と「堅田」をか なりぬ ける。堅田は琵琶湖西南岸の町。 うろこきんくわうそな ニ三「夜」の枕詞。 不思議のあまりにおのが身をかへり見れば、いつのまに鱗金光を備へてひと ニ四地名と深夜の両意。「さ夜ふ せうえう りぎよけ をふりひれうご つの鯉魚と化しぬ。あやしとも思はで、尾を振鰭を動かして心のままに逍遥す。けて夜中の潟に」 ( 万葉・巻九 ) 。 ニ五琵琶湖東南岸の山。歌枕 わだみぎは ながら ニ六多くの湊、の意。「近江の海 まづ長等の山おろし、立ちゐる浪に身をのせて、志賀の大湾の汀に遊べば、 たづ ニ 0 八十の湊に鶴さはに鳴く」 ( 万葉・ みなそこ かち人の裳のすそぬらすゆきかひに驚されて、比良の高山影うつる、深き水底巻二 l) をふむか。「八 + 隈もなく」 は、隅々まで照らし出されて。 がた よなか いさりび かただ に潜くとすれど、かくれ堅田の漁火によるぞうつつなき。ぬば玉の夜中の潟に毛沖津島、竹生島はともに琵琶 ニ七 湖中の島。竹生島は弁財天を祀る。 おきっしま すみ やそみなとやそくま 魚やどる月は、鏡の山の峰に清て、八十の湊の八十隈もなくておもしろ。沖津島夭「かくとだにえやは伊吹のさ ニ九 しも草」 ( 後拾遺・巻十一 ) をふんだ あさ あけかき のやまちくぶしま 応山、竹生島、波にうつろふ朱の垣こそおどろかるれ。さしも伊吹の山風に、旦表現。「伊吹」は、ここでは湖東の 三 0 伊吹山。 さを あしま み やばせ づまぶねこぎ ニ九歌枕の朝妻の湊から出た舟。 妻船も漕出づれば、芦間の夢をさまされ、矢橋の渡りする人の水なれ棹をのが あさ 之 「旦」に「朝」をかける。 巻 れては、瀬田の橋守にいくそたびか追はれぬ。日あたたかなれば浮かび、風あ = 0 湖南の町。今の草津市内。 「矢橋の帰帆」は、近江八景の一。 ちひろそこ 三一瀬田は湖南、大津市の対岸。 らきときは千尋の底に遊ぶ。 かづ 0 くら せた つり おど い / 、 さり ニ四 をせつ
くつおと 一五白江備後守。秀次の臣。京四 る 音聞ゆる中に、沓音高く響 え 条貞安寺で自刃。 ゑしなし だいぜんのすけ 、カ 一六熊谷大膳亮。秀次の臣。嵯峨 て、鳥帽子直衣めしたる貴 列 二尊院で自刃。以上、行列に遅れ みとも たのは、皆、秀次と別な場所で自 3 人堂に上り給へば、従者の の 刃した人々。 みぎひだり もののべ 主 毛「骰」は「肴」と同意。 武士四五人ばかり右左に座 次 秀穴不破万作。秀次の寵臣として 景有名な美少年。高野山で主に先 をまうく。 って殉死。十七歳。 の 右 一九貴人に近づく正式な作法は膝 かの貴人人々に向ひて、 行であった。「瓶子」は酒徳利 たれたれ や夜鳴く鳥、仏法僧の声。そして 「誰々はなど来らざる」と 秘密の山の茂みかな」の一句。こ むれ お 課せらるるに、「やがてぞ参りつらめ」と奏す。又一群の足音して、威儀あるれが契機となって、この高野山で 恨みをのんで自害した秀次主従の のな ゐや にふだうら かしら 武士、頭まろげたる人道等うち交りて、礼たてまつりて堂に昇る。貴人只今来亡霊行列を呼び出すという構想が 一四 おもしろい。本来、高野山は顰域 ひたち として罪人の駆込みを許し、生命 りし武士にむかひて、「常陸は何とておそく参りたるぞ」とあれば、かの武士 だけは救う政権不人の地であった きみおみき くまがヘ が、秀次主従はその聖域で切腹に 渕いふ。「白江・熊谷の両士、公に大御酒すすめたてまつるとて実やかなるに、 追い込まれた。そういう歴史を前 まう みともおく あさらけ しゅてう 三臣も鮮き物一種調じまゐらせんため、御従に後れたてまつりぬ」と奏す。はや提に、この日本第一の霊場ですら、 一八 一七 昼はともかく、夜の世界では、ま お ばんさくしやく しゆらとうしよう さかな 巻 こ修羅闘諍の冥界がひそむことを、 く酒般をつらねてすすめまゐらすれば、「万作酌まゐれ」とぞ課せらる。恐まだ 聖なる夜の鳥、仏法僧が暗示して ささ さかづき びさうわかさふらひゐざり いるのである。 りて、美相の若士膝行よりて瓶子を捧ぐ。かなたこなたに杯をめぐらしてい 一五 しらえ ひびき わ当マス まう まめ かしこ
おそ わりをいう「雲雨」を二つに分ける。 りて、只あひあふ事の遅きをなん恨みける。 宅暁方の鍗に雨がおさまって。 やよび 三月にもなりぬ。金忠、豊雄夫婦にむかひて、「都わたりには似るべうもあ男女の交わりが暁方まで続いたこ とを、美しい修辞で婉曲に表示。 きぢ なぐはしよしの 一九 らねど、さすがに紀路にはまさりぬらんかし。名細の吉野は春はいとよき所な穴夫婦としての契りがもっと早 かったらと。 あか みふね なつみ り。三船の山、菜摘川、常に見るとも飽ぬを、此の頃はいかにおもしろからん。一九すぐれているはずですよ ニ 0 「吉野」の枕詞 み いざ給へ、出で立ちなん」といふ。真女児うち笑て、「よき人のよしと見給ひ = 一吉野川上流の歌枕。 なつみ 一三吉野町菜摘あたりでの吉野川 うら をさな ある し所は、都の人も見ぬを恨みに聞え侍るを、我が身稚きより、人おほき所、或の名称。 ニ三「よき人のよしとよく見てよ ニ四ながて みとも やまひ しと言ひし吉野よく見よよき人よ は道の長手をあゆみては、必ず気のぼりてくるしき病あれば、従駕にえ出で立 ニ七 く見」 ( 万葉・巻一 ) をふむ。 やまづと みちのながて ち侍らぬぞいと憂たけれ。山土産必ず待ちこひ奉る」といふを、「そはあゆみ品長い道中。「道之長手長途 也」 ( 綾足『歌文要語』 ) 。 くる ふま なんこそ病も苦しからめ。車こそもたらね。いかにもいかにも土は踏せまゐら = 五血がのぼって。 ニ六お供の意。「従駕」は本来は行 とどま ニ九 婬せじ。留り給はんは豊雄のいかばかり心もとなかりつらん」とて、夫婦すすめ幸などの随行をいった。 の 毛山からのおみやげ。 三 0 蛇たつに、豊雄も「かうたのもしくの給ふを、道に倒るるともいかでかは」と聞 = 〈持たないが。「山」は打消「ず」 の已然形。「車」は牛車。 すずろ 之ゆるに、不慮ながら出でたちぬ。人々花やぎて出でぬれど、真女子が麗なるに = 九不安に思うだろう。 巻 三 0 反語。どうして行かないわけ にいこうか は似るべうもあらずぞ見えける。 三一「院」は寺院。 なにがしゐん あるじ 三ニ気持よく交際していたので。 何某の院はかねて心よく聞えかはしければここに訪らふ。主の僧迎へて、 一八 うれ うら たふ とむ あて
すざま たたず に持ちて、停みたるが恐し。かん人申す。「修験はきのふ筑石を出でて、山陽一 = 「妻しく」 ( 仏法僧 ) 。 一四荒々しく。 おんめ なにがし 道へ、都に在りしに、何某殿の御使してここを過ぐるに、一たび御目たまはら一 = 古怪な山野の神。百鬼夜行説 話にも目一つの鬼が現れる。 にびいろ しし ニ 0 すずき のうし 一九 一六直衣の下に着た平服。鈍色は ばやと申して、山づとの宍むら油に煮こらしたる、又出雲の松江の鱸二尾、是 濃ねずみ色。「調ずる」は調製する。 なます やから はしたがひし輩にとらせて、けさ都に来たりと。あさらけきを鱠につくりてた一七鳥の羽で作製。天狗の心象。 一 ( 九州。天理冊子本「筑紫の彦 ひこさん の山より」。筑紫彦山、四国白峯、 いまつる」と。修げん者申す。「みやこの何がし殿の、あづまの君に聞えたち、 うきだいせん 伯耆大山には天狗が住むと伝えら あたご 申し合さるべきにて、御つかひにまゐる也。事起りても、御あたりまでは騷がれていた。「何某殿」は京都愛宕山 の太郎坊。天狗飛行説話の心象。 し奉らじ」。神云ふ。「此の国は無やくの湖水にせばめられて、山の物、海のも一九山の土産。「宍むら」は肉塊。 ニ 0 島根県松江市。鱸は宍道湖の のも、共に乏し。たま物いそぎ、酒くまん」とおほす。わらはめ立ちて、御湯名産 ( 出雲風土記 ) 。 ニ一「鮮き」。新鮮なのを。 さがみおおやま かまど たいまつりし竈のこぼれたるに、木の葉、小枝、松笠かきあつめて、くゆらす。 = = 相模大山の伯耆坊をさすか。 桜山本「鎌倉の君に心合せて」。 くま めらめらとほの火の立ち昇るあかりに、物の隈なくみわたさるる。恐しさに、 = = 申し上げ。「言ふ」の謙譲体 品関東、東海の戦乱。『太平記』 の笠打ち被きねたるさまして、いかに成るべき命ぞと、心も空にてあるに、「酒に天狗が争乱をはかる記述がある。 ニ五湯立の神事を行った。 っ にな さる おい ひとくあたためよ」とおほす。狙と兎が、大なる酒がめさし荷ひて、あゆみくる実猿と同義。このあたり『鳥獣 戯画』のイメージ。怪奇にして瓢 目 - め ニ七 しげ也。「とく」と申せば、「肩弱くて」と、かしこまりぬ。わらは女、事ども味ある心象。「疾く」は、早くの意。 毛酒盛りの準備 おんまへ 執り行ふ。大なるかはらけ七つかさねて、御前におもたげに擎ぐ。しろき狐の夭手で高く持ち上げる意。 かづ びと ひと ささ てう
4 ときはかきはに ( 意改 ) ーときはかき 肥ゐろり ( 意補 ) ーゐろ はは べしとぞ ( 意補 ) ーへしそ 6 男ぶりよりして ( 桜・補 ) ー男ふりし て 肥となふる人多し ( 意補 ) ーとなふ人多 腰かけたる ( 意削 ) ー腰こしかたける し 6 一人すかさず ( 意削 ) ー一人すかさか さす 期 3 土佐 ( 桜 ) ー土左 6 手とりたるを ( 意削 ) ー手とりたるる 歌のほまれ を 繝 4 と云ふ歌は ( 桜・補 ) ーと歌は 3 1 加賀 ( 意改 ) ー賀々 3 とどまりたまふ ( 西・削 ) ーと、まり 繝 9 汐干の潟 ( 意改 ) ー汐干の瀉 たりたまふ 9 じん通川 ( 意改 ) ーしん堂川 肥月夜等 ( 意改 ) ー月夜に 7 さらずば ( 桜・補 ) ーさらす 7 ふみはららかして ( 天冊・補 ) ーふみ 3 と問へば ( 意補 ) ー問へは はらかして 6 見ゆるは ( 西・補 ) ー見るは 6 廊 ( 意改 ) ー廓 肥おどろきて ( 意補 ) ーおろきて 繝 3 舟にのせ ( 桜・補 ) ー舟に 3 身をくくりからめ ( 意削 ) ー身ををく 、りからめ 2 あつまり来て ( 意補 ) ーあつま来て 肥かうむりたり ( 意補 ) ーかうむたり 4 奪ひかへさんとすれど ( 意補 ) ー奪ひ かへさんと 錫杖にて ( 意補 ) ー錫杖に きロ 付 築紫 ( 意改 ) ー築砦 4 おとせしぞ ( 西 ) ーおとせしに 訂 9 何にても出だせ ( 意削 ) ー何にても何夜とは ( 西 ) ー夜 , 、は 校 にても出せ 2 かへりみもせず ( 意補 ) ーかへりもせ 6 山の峯 ( 意削 ) ー山の山の峯 6 門出にぎはしくす ( 意削 ) ー門出すに きはしくす 000 す
あるじ ふ。荘主よろこび迎へて、「御僧の大徳によりて鬼ふたたび山をくだらねば、人一極楽。鬼のいない平安な世界。 ニそれゆえ。 三どうして今まで生きているこ 皆浄土にうまれ出でたるごとし。されど山にゆく事はおそろしがりて、一人と 五ロ とがありましようか。「など」は、 きロ せうそこ 「どうして、であろうか、、ない」 物してのぼるものなし。さるから消息をしり侍らねど、など今まで活ては侍らじ。 月 という意味の反語の副詞だから こよひ とま ずいえん 「侍らん」で終るのが普通。 雨今夜の御泊りにかの菩提をとふらひ給へ。誰も随縁したてまつらん」といふ。 四冥福を祈ってください。 かれぜんくわもとづきんげ せんだち 禅師いふ。「他善果に基て遷化せしとならば道に先達の師ともいふべし。又五誰も彼も、の意。皆で。 六善行の報い。 ひとり とてい せうそこ 活きてあるときは我がために一個の徒弟なり。いづれ消息を見ずばあらじ」と七僧侶の死去を尊んでいう語。 八仏道の上で、悟りの先輩とい たえ ふたた うべきである。「先達」は先行者。 て、復び山にのぼり給ふに、いかさまにも人のいきき絶たると見えて、去年ふ 九まだ成仏できていないとき。 一 0 弟子。 みわけし道ぞとも思はれず。 = いずれにしても。 をぎ おひしげ 寺に人りて見れば、荻・尾花のたけ人よりもたかく生茂り、露は時雨めきて一 = 見届けないわけにいかぬ 一七 一三なるほど、たしかに た - つかく みつみち みぎひだりたふはうちゃうく 降りこぼれたるに、三の径さ ( わからざる中に、堂閣の戸右左に頽れ、方丈庫一 0 一八 一五時雨のように。「なほ秋の時 を らう こけ くちめ 裏に縁りたる廊も、朽目に雨をふくみて苔むしぬ。さてかの僧を座らしめたる雨めきてうちそそげば」 ( 源氏・蓬 生 ) 。 ひげかみ 一九 簀子のほとりをもとむるに、影のやうなる人の、僧俗ともわからぬまでに髭髪一六「いづれか、このさびしき宿 にも必ず分けたる跡あなる三つの なく むぐらニ 0 もみだれしに、葎むすぼほれ、尾花おしなみたるなかに、蚊の鳴ばかりのほそ饉 ( 源氏・蓬生 ) 。『河海抄』に「三 径は門にゆくみち、井へゆくみち、 とな 厠へゆくみち也」とある。 き音して、物とも聞えぬゃうにまれまれ唱ふるを聞けば、 ( 現代語訳二〇四 ) 122 九 すのこ めぐ だい 一四 いき 一五 はべ