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検索対象: 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語
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1. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

寺院に七日ばかりかたらひ、此のついでに「いまだ高野山を見ず。いざーとて、の数を重ねた修辞に注意。 一七 一四別荘。 こえ てん 夏のはじめ青葉の茂みをわけつつ、天の川といふより踰て、摩尼の御山にいた一 = 在して何かと語り合い、旧 交をあたためること。 さか 一六呼びかけの感動詞。「さあ」。 る。道のゆくての嶮しきになづみて、おもはずも日かたふきぬ。檀場、諸堂、 てんかわ 宅奈良県吉野郡天川村。大蜂ロ みたまや とも七度半道ともいう。高野山東 霊廟、残りなく拝みめぐりて、「ここに宿からん」といへど、ふつに答ふるも 谷に人る人口。 たより おきて 入高野山の山の一つに摩尼山が のなし。そこを行く人に所の掟をきけば、「寺院僧坊に便なき人は、麓にくだ あるが、ここでは広く高野山をい とそっ う。山の中心の金堂が兜率の内院 りて明かすべし。此の山すべて旅人に一夜をかす事なし」とかたる。いかがは 摩尼殿を表す所から呼ばれた。 せん。さすがに老の身の嶮しき山路を来しがうへに、事のよしを聞きて大きに一九行き悩んで、の意。 ニ 0 正しくは「壇場」。高野山では、 み 東塔より西塔にかけて、金堂、御 心倦つかれぬ 影堂の一帯をいう。 作之治がいふ。「日もくれ、足も痛みて、いかがしてあまたのみちをくだら = 一その他もろもろの堂塔 一三奥の院にあって、弘法大師の むぜん やみ ふす だいしびよう ん。鶸き身は草に臥とも厭ひなし。只病給はん事の悲しさよ」。夢然云ふ。「旅霊を祀。た建物。大師廟とも。 ニ三絶えて、ちっとも。 こよひあし うみ ニ四実際、江戸時代まで、縁者信 法はかかるをこそ哀れともいふなれ。今夜脚をやぶり、倦つかれて山をくだると 徒以外は泊れなかった。 れいちゃう あす 三もおのが古郷にもあらず。翌のみち又はかりがたし。此の山は扶桑第一の霊場、 = = 老体で野宿し、病気になるこ とを気づかった。 こと くわうとく 大師の広徳かたるに尽ず。殊にも来りて通夜し奉り、後世の事たのみ聞ゅべき = 六「日本」の異称。 こうなう 毛弘法大師。高野山開祖の空海 したみち さいはひをり みたまや ふせ しようぶつ に、幸の時なれば、霊廟に夜もすがら法施したてまつるべし」とて、杉の下道夭死後の成仏。 うみ ふるさと 0 おいみさか しげ つき いと ニ四 いた ごせ まに 一八 だぢゃうニ一 おやま ふもと 0 0

2. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

ぶつばんぶつばん みべう 毛現在でも御影堂の前に実在。 御廟のうしろの林にと覚えて、「仏法、仏法となく鳥の音、山彦にこたへ 穴前世から二世にわたる。 ぶつふそう てちかく聞ゅ。夢然目さむる心ちして、「あなめづらし。あの啼鳥こそ仏法僧一九作者の体験。「仏法僧は高野 山で聞いたが、ブツ。ハン / 、、と鳴 すみ いた。形は見へなんだ」 ( 胆大小心 といふならめ。かねて此の山に栖つるとは聞きしかど、まさに其の音を聞きし 録 ) 。 しゃう めざいしゃうぜんしるし といふ人もなきに、こよひのやどりまことに滅罪生善の祥なるや。かの鳥は清 = 0 現世の罪障を消滅し、未来の しるし 善を作り出す、そのよい吉兆。 ふたらさん じゃうち かせふざんしもづけ 浄の地をえらみてすめるよしなり。上野の国迦葉山、下野の国二荒山、山城の = 一群馬県沼田市池田の鞦寺。 一三栃木県日光市の日光山の古称。 だいご みね しながさんなかんづく ニ三京都市伏見区醍醐寺の山。 醍醐の峰、河内の杵長山。就中此の山にすむ事、大師の詩偈ありて世の人よく 品大阪府南河内郡太子町の杵長 山叡福寺の背後の山。 しれり。 ニ五仏法教法の理を述べた詩。 かんりんどくざさうだうのあかっき さんなうのこをいってうにきく へんしよう ニ六出典は弘法大師空海の『遍照 寒林独坐草堂暁三宝之声聞 = 一鳥一 につきしようりようしゅう 発揮性霊集』巻十の「高野山竜光 せいしんうんすいともにれうれう いってうこゑありひとこころあり 院ニ於テ後夜ニ仏法僧島ヲ聞ク」。 一鳥有レ声人有レ心性心雲水倶了々 ぶつなうそう 毛仏・法・僧という鳴声。 穴鳥の声、人の心、雲、水。こ 又ふるき歌に、 の山ではすべて悟りの境にある。 しづかあけをの ニ九 ニ九『新撰六帖』藤原光俊の歌。松 松の尾の峰静なる曙にあふぎて聞けば仏法僧啼く 尾山は京都市西京区の松尾神社の えらうにふし さいふくじ つけしゃ わけいかすち 三むかし最福寺の延朗法師は世にならびなき法華者なりしほどに、松の尾の御神、後ろの山。一名、別雷山。 三 0 天台宗の高僧。承元一一年 ( 一二 0 えんらう 此の鳥をして常に延朗につかへしめ給ふよしをいひ伝ふれば、かの神垣にも巣 0 没。七十九歳。京都松尾山麓に あった最福寺開基。 こま きめう おおやまくいのかみいちきしまひめのみこと よしは聞えぬ。こよひの奇妙、既に一鳥声あり。我ここにありて心なからん = = 大山咋神と市杵島姫命。 む ニ四 かんづけ すむ

3. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

ニ一世の中を憂しと思わないで。 らす。「所につけてよめ」とおほせたうぶ。薬子先づよむ。 さだめ 「定なき世を宇治河の滝っ瀬に」 ( 続千載・巻十六 ) のほか「朝川わた 朝日山にほへる空はきのふにて衣手さむし宇治の川波 る」「よど瀬なく」「吾は仕へむ」 ニ 0 と申せば、「河風はすずしくこそ吹け」とて、打ちゑませたまふ。左中将藤原を『万葉』の諸歌から得て構成。 一三兵部省の次官。 ニ三『万葉集』巻十九「眛に似る草 の惟成よむ。 と見しより我が標めし野辺の山吹 たれた 誰か手折りし」の歌をさす。 君がけふ朝川わたるよど瀬なく我はつかへん世をうぢならで 品山吹の瀬をいう。宇治橋北西。 ひやうぶたいふ ニ五「味に似る草」と歌ったのは。 兵部太輔橘の三継よむ。 ニ六歌枕。「今もかも咲きにほふ いも ニ四やまぶき らむ橘の小島のさきの山吹の花ー 妺に似る花としいへばとく来ても見てまし物を岸の山振 ニ七 ( 古今巻一一・一一一一 ) 。『八雲御抄』は宇 く」かべ みこ みやゐ あすか うちぎき 「それは橘の小嶌が崎ならずや。飛鳥の故さとの、草香部の太子の宮居ありし治とし、秋成は『古今集打聴』 ( 真 あすか 淵 ) に従って飛鳥とする。このあ たり考証の遊びを混人している。 所よ」とおほせたまふ。猶多かりしかど忘れたり。奈良坂にて、御ゅふげまゐ ひなみしの 毛天武の第一皇子。日並皇子。 三 0 ならそま る。「この手がし葉はいづれ」ととはせ給ふ。「それは二おもてにて、心ねじけ ll< 島の宮 ( 楢の杣 ) 。 ニ九山城、大和の国境。 いみ そうなく そくはく 三 0 「側柏という叢木也」 ( 金砂四 ) 。 らたる人にたとへし忌こと也。御供つかうまつる臣達、いかで二おもならん」と このてかしはふたおも び 三一「奈良山の児手柏の両面にか ふるみや かだひと にもかくにも佞人が伴」 ( 万葉・巻 申す。「よし」とのたまひて、古宮に、夜に人りて人らせたまひぬ。 血 十六 ) 。両面が表のように青い。 かすがたかまどみわ みす ふたごころ あした、御簾かかげさせて、見はるかさせたまへり。東は春日、高円、三輪 = 三禁句。「ふたおも」は、二心。 三四 三三以下、奈良市東方の山々。 かづらき 2 やま 山、みんなみは鷹むち山をかぎり、西は葛城やたかんまの山、生駒、ふた神の = 四以下、大和、河内の境の山々。 一八 こじま おみ ふた 三三 いこま し

4. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

あるじ まえはわたしの教えを聞く気があるかどうか」。あるじの路の旅の帰り道に再びこの土地を通られ、かの荘主の家に 僧は答えた。「師僧は真実の生仏でいられる。ここまであ立ち寄って、山の法師の消息をお訊きになった。荘主は喜 さましい悪業をすぐにも捨て去り得る教理があれば、ぜひ び迎えて、「お坊様のご高徳によって、あの鬼は二度と山 五ロ きロ 物お教え願いたい」。襌師は言った。「おまえが聞くというのを下りて来ませぬから、皆、浄土に生れ変ったように喜ん おそ 月 であれば、ここに来なさい」。そう言って、あるじの法師 でおります。しかしながら山へ行くことは怖ろしがって、 すのこえん すわ を簀子縁の前にある平らな石の上に坐らせ、自分のかぶつ誰ひとり上る者はいません。ですからあの法師の消息は何 あおぞめずきん も知りませぬが、どうして今まで生きていましよう。今夜 ていた紺染の頭巾を脱いで、法師の頭にかぶらせ、二句の しようどうか をだい 証道歌をお授けになった。 のお泊りには、あの法師の菩提を弔ってください。皆で回 こう かうげつてらししようふうふく えいやせいせうなんのしょゐぞ 向いたしましよう」と言った。 江月照松風吹永夜清宵何所為 ( 秋の澄んだ月は川の水を照らし、松を吹く風は爽やかであ 禅師は、「あの法師が善行の報いで成仏したのなら、わ せんだっ る。 しにとって住生の道の先達・師匠といってよい。また、も この永い夜、清らかな宵の景色は何のためにあるか。それは し生きているならば、わしにとっては一人の弟子である。 何のためでもなく、天然自然にそうなのである ) いずれにしても彼の様子を見とどけぬわけにはいかぬ」と ゆきき 「おまえはこの場を動かず、じっくりとこの句の真意を考言って、再び山に上られた。なるほど人の往来が絶え果て えぬくのだ。真意を理解できたその時、おまえは自ら本来たとみえて、その山道は去年踏み分けて歩いた道とも思わ れぬ荒れようである。 の仏心にめぐり逢うのであるぞ」と、懇ろに教えさとして わざわい おぎすすき 山を下られた。それからは、村人たちも恐ろしい危害にあ 寺域にはいってみると、荻・薄が人の背丈よりも高く生 しぐれ うことはなくなったが、なお法師の生死のほども知れず、 い茂って、草木の上に置く露は時雨のように降りこぼれ、 こみち 疑心暗鬼で、皆々山へ上り寺へ近づくのを戒め合っていた。寺内の三径さえ見分けられない中で、本堂や経閣の戸は右 あく に左に朽ち倒れて、方丈や庫裏をとりまく廻廊も、朽ちた 一年は早く過ぎ、翌る年の冬十月初旬、快庵褝師は奥州 ( 原文一二一第 おのずか さわ せたけ

5. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

一四 はうじゃうくどく わたづみみことのり ひていふ。『海若の詔あり。老僧かねて放生の功徳多し。今江に人りて魚の賀の大わだ」 ( 万葉・巻一 ) 。 ニ 0 着物の。「裳」は上古の女子 かん あそび カりきんりふくさづ 遊躍をねがふ。権に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせ給ふ。只餌の香正装の時、腰から下を覆うもの。 ニ一琵琶湖西方にあり、比叡山東 うしな ばしきに眛まされて、釣の糸にかかり身を亡ふ事なかれ』といひて去て見えず北に並ぶ連峰。「比良の暮雪」は、 近江八景の一。 一三「かくれがたし」と「堅田」をか なりぬ ける。堅田は琵琶湖西南岸の町。 うろこきんくわうそな ニ三「夜」の枕詞。 不思議のあまりにおのが身をかへり見れば、いつのまに鱗金光を備へてひと ニ四地名と深夜の両意。「さ夜ふ せうえう りぎよけ をふりひれうご つの鯉魚と化しぬ。あやしとも思はで、尾を振鰭を動かして心のままに逍遥す。けて夜中の潟に」 ( 万葉・巻九 ) 。 ニ五琵琶湖東南岸の山。歌枕 わだみぎは ながら ニ六多くの湊、の意。「近江の海 まづ長等の山おろし、立ちゐる浪に身をのせて、志賀の大湾の汀に遊べば、 たづ ニ 0 八十の湊に鶴さはに鳴く」 ( 万葉・ みなそこ かち人の裳のすそぬらすゆきかひに驚されて、比良の高山影うつる、深き水底巻二 l) をふむか。「八 + 隈もなく」 は、隅々まで照らし出されて。 がた よなか いさりび かただ に潜くとすれど、かくれ堅田の漁火によるぞうつつなき。ぬば玉の夜中の潟に毛沖津島、竹生島はともに琵琶 ニ七 湖中の島。竹生島は弁財天を祀る。 おきっしま すみ やそみなとやそくま 魚やどる月は、鏡の山の峰に清て、八十の湊の八十隈もなくておもしろ。沖津島夭「かくとだにえやは伊吹のさ ニ九 しも草」 ( 後拾遺・巻十一 ) をふんだ あさ あけかき のやまちくぶしま 応山、竹生島、波にうつろふ朱の垣こそおどろかるれ。さしも伊吹の山風に、旦表現。「伊吹」は、ここでは湖東の 三 0 伊吹山。 さを あしま み やばせ づまぶねこぎ ニ九歌枕の朝妻の湊から出た舟。 妻船も漕出づれば、芦間の夢をさまされ、矢橋の渡りする人の水なれ棹をのが あさ 之 「旦」に「朝」をかける。 巻 れては、瀬田の橋守にいくそたびか追はれぬ。日あたたかなれば浮かび、風あ = 0 湖南の町。今の草津市内。 「矢橋の帰帆」は、近江八景の一。 ちひろそこ 三一瀬田は湖南、大津市の対岸。 らきときは千尋の底に遊ぶ。 かづ 0 くら せた つり おど い / 、 さり ニ四 をせつ

6. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

くつおと 一五白江備後守。秀次の臣。京四 る 音聞ゆる中に、沓音高く響 え 条貞安寺で自刃。 ゑしなし だいぜんのすけ 、カ 一六熊谷大膳亮。秀次の臣。嵯峨 て、鳥帽子直衣めしたる貴 列 二尊院で自刃。以上、行列に遅れ みとも たのは、皆、秀次と別な場所で自 3 人堂に上り給へば、従者の の 刃した人々。 みぎひだり もののべ 主 毛「骰」は「肴」と同意。 武士四五人ばかり右左に座 次 秀穴不破万作。秀次の寵臣として 景有名な美少年。高野山で主に先 をまうく。 って殉死。十七歳。 の 右 一九貴人に近づく正式な作法は膝 かの貴人人々に向ひて、 行であった。「瓶子」は酒徳利 たれたれ や夜鳴く鳥、仏法僧の声。そして 「誰々はなど来らざる」と 秘密の山の茂みかな」の一句。こ むれ お 課せらるるに、「やがてぞ参りつらめ」と奏す。又一群の足音して、威儀あるれが契機となって、この高野山で 恨みをのんで自害した秀次主従の のな ゐや にふだうら かしら 武士、頭まろげたる人道等うち交りて、礼たてまつりて堂に昇る。貴人只今来亡霊行列を呼び出すという構想が 一四 おもしろい。本来、高野山は顰域 ひたち として罪人の駆込みを許し、生命 りし武士にむかひて、「常陸は何とておそく参りたるぞ」とあれば、かの武士 だけは救う政権不人の地であった きみおみき くまがヘ が、秀次主従はその聖域で切腹に 渕いふ。「白江・熊谷の両士、公に大御酒すすめたてまつるとて実やかなるに、 追い込まれた。そういう歴史を前 まう みともおく あさらけ しゅてう 三臣も鮮き物一種調じまゐらせんため、御従に後れたてまつりぬ」と奏す。はや提に、この日本第一の霊場ですら、 一八 一七 昼はともかく、夜の世界では、ま お ばんさくしやく しゆらとうしよう さかな 巻 こ修羅闘諍の冥界がひそむことを、 く酒般をつらねてすすめまゐらすれば、「万作酌まゐれ」とぞ課せらる。恐まだ 聖なる夜の鳥、仏法僧が暗示して ささ さかづき びさうわかさふらひゐざり いるのである。 りて、美相の若士膝行よりて瓶子を捧ぐ。かなたこなたに杯をめぐらしてい 一五 しらえ ひびき わ当マス まう まめ かしこ

7. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

おそ わりをいう「雲雨」を二つに分ける。 りて、只あひあふ事の遅きをなん恨みける。 宅暁方の鍗に雨がおさまって。 やよび 三月にもなりぬ。金忠、豊雄夫婦にむかひて、「都わたりには似るべうもあ男女の交わりが暁方まで続いたこ とを、美しい修辞で婉曲に表示。 きぢ なぐはしよしの 一九 らねど、さすがに紀路にはまさりぬらんかし。名細の吉野は春はいとよき所な穴夫婦としての契りがもっと早 かったらと。 あか みふね なつみ り。三船の山、菜摘川、常に見るとも飽ぬを、此の頃はいかにおもしろからん。一九すぐれているはずですよ ニ 0 「吉野」の枕詞 み いざ給へ、出で立ちなん」といふ。真女児うち笑て、「よき人のよしと見給ひ = 一吉野川上流の歌枕。 なつみ 一三吉野町菜摘あたりでの吉野川 うら をさな ある し所は、都の人も見ぬを恨みに聞え侍るを、我が身稚きより、人おほき所、或の名称。 ニ三「よき人のよしとよく見てよ ニ四ながて みとも やまひ しと言ひし吉野よく見よよき人よ は道の長手をあゆみては、必ず気のぼりてくるしき病あれば、従駕にえ出で立 ニ七 く見」 ( 万葉・巻一 ) をふむ。 やまづと みちのながて ち侍らぬぞいと憂たけれ。山土産必ず待ちこひ奉る」といふを、「そはあゆみ品長い道中。「道之長手長途 也」 ( 綾足『歌文要語』 ) 。 くる ふま なんこそ病も苦しからめ。車こそもたらね。いかにもいかにも土は踏せまゐら = 五血がのぼって。 ニ六お供の意。「従駕」は本来は行 とどま ニ九 婬せじ。留り給はんは豊雄のいかばかり心もとなかりつらん」とて、夫婦すすめ幸などの随行をいった。 の 毛山からのおみやげ。 三 0 蛇たつに、豊雄も「かうたのもしくの給ふを、道に倒るるともいかでかは」と聞 = 〈持たないが。「山」は打消「ず」 の已然形。「車」は牛車。 すずろ 之ゆるに、不慮ながら出でたちぬ。人々花やぎて出でぬれど、真女子が麗なるに = 九不安に思うだろう。 巻 三 0 反語。どうして行かないわけ にいこうか は似るべうもあらずぞ見えける。 三一「院」は寺院。 なにがしゐん あるじ 三ニ気持よく交際していたので。 何某の院はかねて心よく聞えかはしければここに訪らふ。主の僧迎へて、 一八 うれ うら たふ とむ あて

8. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

すざま たたず に持ちて、停みたるが恐し。かん人申す。「修験はきのふ筑石を出でて、山陽一 = 「妻しく」 ( 仏法僧 ) 。 一四荒々しく。 おんめ なにがし 道へ、都に在りしに、何某殿の御使してここを過ぐるに、一たび御目たまはら一 = 古怪な山野の神。百鬼夜行説 話にも目一つの鬼が現れる。 にびいろ しし ニ 0 すずき のうし 一九 一六直衣の下に着た平服。鈍色は ばやと申して、山づとの宍むら油に煮こらしたる、又出雲の松江の鱸二尾、是 濃ねずみ色。「調ずる」は調製する。 なます やから はしたがひし輩にとらせて、けさ都に来たりと。あさらけきを鱠につくりてた一七鳥の羽で作製。天狗の心象。 一 ( 九州。天理冊子本「筑紫の彦 ひこさん の山より」。筑紫彦山、四国白峯、 いまつる」と。修げん者申す。「みやこの何がし殿の、あづまの君に聞えたち、 うきだいせん 伯耆大山には天狗が住むと伝えら あたご 申し合さるべきにて、御つかひにまゐる也。事起りても、御あたりまでは騷がれていた。「何某殿」は京都愛宕山 の太郎坊。天狗飛行説話の心象。 し奉らじ」。神云ふ。「此の国は無やくの湖水にせばめられて、山の物、海のも一九山の土産。「宍むら」は肉塊。 ニ 0 島根県松江市。鱸は宍道湖の のも、共に乏し。たま物いそぎ、酒くまん」とおほす。わらはめ立ちて、御湯名産 ( 出雲風土記 ) 。 ニ一「鮮き」。新鮮なのを。 さがみおおやま かまど たいまつりし竈のこぼれたるに、木の葉、小枝、松笠かきあつめて、くゆらす。 = = 相模大山の伯耆坊をさすか。 桜山本「鎌倉の君に心合せて」。 くま めらめらとほの火の立ち昇るあかりに、物の隈なくみわたさるる。恐しさに、 = = 申し上げ。「言ふ」の謙譲体 品関東、東海の戦乱。『太平記』 の笠打ち被きねたるさまして、いかに成るべき命ぞと、心も空にてあるに、「酒に天狗が争乱をはかる記述がある。 ニ五湯立の神事を行った。 っ にな さる おい ひとくあたためよ」とおほす。狙と兎が、大なる酒がめさし荷ひて、あゆみくる実猿と同義。このあたり『鳥獣 戯画』のイメージ。怪奇にして瓢 目 - め ニ七 しげ也。「とく」と申せば、「肩弱くて」と、かしこまりぬ。わらは女、事ども味ある心象。「疾く」は、早くの意。 毛酒盛りの準備 おんまへ 執り行ふ。大なるかはらけ七つかさねて、御前におもたげに擎ぐ。しろき狐の夭手で高く持ち上げる意。 かづ びと ひと ささ てう

9. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

4 ときはかきはに ( 意改 ) ーときはかき 肥ゐろり ( 意補 ) ーゐろ はは べしとぞ ( 意補 ) ーへしそ 6 男ぶりよりして ( 桜・補 ) ー男ふりし て 肥となふる人多し ( 意補 ) ーとなふ人多 腰かけたる ( 意削 ) ー腰こしかたける し 6 一人すかさず ( 意削 ) ー一人すかさか さす 期 3 土佐 ( 桜 ) ー土左 6 手とりたるを ( 意削 ) ー手とりたるる 歌のほまれ を 繝 4 と云ふ歌は ( 桜・補 ) ーと歌は 3 1 加賀 ( 意改 ) ー賀々 3 とどまりたまふ ( 西・削 ) ーと、まり 繝 9 汐干の潟 ( 意改 ) ー汐干の瀉 たりたまふ 9 じん通川 ( 意改 ) ーしん堂川 肥月夜等 ( 意改 ) ー月夜に 7 さらずば ( 桜・補 ) ーさらす 7 ふみはららかして ( 天冊・補 ) ーふみ 3 と問へば ( 意補 ) ー問へは はらかして 6 見ゆるは ( 西・補 ) ー見るは 6 廊 ( 意改 ) ー廓 肥おどろきて ( 意補 ) ーおろきて 繝 3 舟にのせ ( 桜・補 ) ー舟に 3 身をくくりからめ ( 意削 ) ー身ををく 、りからめ 2 あつまり来て ( 意補 ) ーあつま来て 肥かうむりたり ( 意補 ) ーかうむたり 4 奪ひかへさんとすれど ( 意補 ) ー奪ひ かへさんと 錫杖にて ( 意補 ) ー錫杖に きロ 付 築紫 ( 意改 ) ー築砦 4 おとせしぞ ( 西 ) ーおとせしに 訂 9 何にても出だせ ( 意削 ) ー何にても何夜とは ( 西 ) ー夜 , 、は 校 にても出せ 2 かへりみもせず ( 意補 ) ーかへりもせ 6 山の峯 ( 意削 ) ー山の山の峯 6 門出にぎはしくす ( 意削 ) ー門出すに きはしくす 000 す

10. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

あるじ ふ。荘主よろこび迎へて、「御僧の大徳によりて鬼ふたたび山をくだらねば、人一極楽。鬼のいない平安な世界。 ニそれゆえ。 三どうして今まで生きているこ 皆浄土にうまれ出でたるごとし。されど山にゆく事はおそろしがりて、一人と 五ロ とがありましようか。「など」は、 きロ せうそこ 「どうして、であろうか、、ない」 物してのぼるものなし。さるから消息をしり侍らねど、など今まで活ては侍らじ。 月 という意味の反語の副詞だから こよひ とま ずいえん 「侍らん」で終るのが普通。 雨今夜の御泊りにかの菩提をとふらひ給へ。誰も随縁したてまつらん」といふ。 四冥福を祈ってください。 かれぜんくわもとづきんげ せんだち 禅師いふ。「他善果に基て遷化せしとならば道に先達の師ともいふべし。又五誰も彼も、の意。皆で。 六善行の報い。 ひとり とてい せうそこ 活きてあるときは我がために一個の徒弟なり。いづれ消息を見ずばあらじ」と七僧侶の死去を尊んでいう語。 八仏道の上で、悟りの先輩とい たえ ふたた うべきである。「先達」は先行者。 て、復び山にのぼり給ふに、いかさまにも人のいきき絶たると見えて、去年ふ 九まだ成仏できていないとき。 一 0 弟子。 みわけし道ぞとも思はれず。 = いずれにしても。 をぎ おひしげ 寺に人りて見れば、荻・尾花のたけ人よりもたかく生茂り、露は時雨めきて一 = 見届けないわけにいかぬ 一七 一三なるほど、たしかに た - つかく みつみち みぎひだりたふはうちゃうく 降りこぼれたるに、三の径さ ( わからざる中に、堂閣の戸右左に頽れ、方丈庫一 0 一八 一五時雨のように。「なほ秋の時 を らう こけ くちめ 裏に縁りたる廊も、朽目に雨をふくみて苔むしぬ。さてかの僧を座らしめたる雨めきてうちそそげば」 ( 源氏・蓬 生 ) 。 ひげかみ 一九 簀子のほとりをもとむるに、影のやうなる人の、僧俗ともわからぬまでに髭髪一六「いづれか、このさびしき宿 にも必ず分けたる跡あなる三つの なく むぐらニ 0 もみだれしに、葎むすぼほれ、尾花おしなみたるなかに、蚊の鳴ばかりのほそ饉 ( 源氏・蓬生 ) 。『河海抄』に「三 径は門にゆくみち、井へゆくみち、 とな 厠へゆくみち也」とある。 き音して、物とも聞えぬゃうにまれまれ唱ふるを聞けば、 ( 現代語訳二〇四 ) 122 九 すのこ めぐ だい 一四 いき 一五 はべ