かくれがみえき うたがひがこと じんつうじざい なり。されど今の御疑ひ僻言ならぬは、大師は神通自在にして隠神を役して道の高野玉川が知られていた。 一三「高野の玉川が毒じゃという をろちいま けてうまろへ いはゑる なきをひらき、巌を鐫には土を穿よりも易く、大蛇を禁しめ、化鳥を奉仕しめことはあるまい事じゃ。清ければ こそ玉川といふなれ」 ( 胆大小心 いさをし はしことば一一 あめ 給ふ事、天が下の人の仰ぎたてまつる功なるを思ふには、此の歌の端の詞ぞま録 ) 。 一四「旅人があまりきよさに玉川 といふ名水ともしらず、くんでの ことしからね。もとより此の玉河てふ川は国々にありて、いづれをよめる歌も んだといふのじゃ」 ( 胆大小心録 ) 。 どく あげ 一五まちがった説。 其の流れのきよきを誉しなるを思へば、ここの玉川も毒ある流れにはあらで、 一 ~ 〈平安朝初期の歌風。宣長もこ まう こころ わす 歌の意も、かばかり名に負河の此の山にあるを、ここに詣づる人は忘るわするの歌を「空海のころの歌のさまに 一四 あらず」 ( 玉勝間 ) とする。 きょ めぞ むす 宅古代の髪飾り。 も、流れの清きに愛て手に掬びつらんとよませ給ふにゃあらんを、後の人の毒 一五 穴簾の美称。 まがこと はしことば ありといふ狂言より、此の端詞はつくりなせしものかとも思はるるなり。又深一九美しい衣。 ニ 0 「玉川、玉水、玉ノ井、皆き しらべ一六みやこはじめくちぶり く疑ふときには、此の歌の調、今の京の初のロ風にもあらず。おほよそ此の国よき水を玉といふたのじゃ」 ( 胆大 一九 一七 小心録 ) 。 むことば かたち しみ・つ たまかづらたまだれたまぎぬたぐひ ふること の古語に、玉蘰・玉簾・珠衣の類は、形をほめ清きを賞る語なるから、清水を = 一どうして。「てふ」は「といふ」 の約。 ことばかうむ 法も玉水・玉の井・玉河ともほむるなり。毒ある流れをなど玉てふ語は冠らしめ = = 仏教狂信者。人名は出ていな いが、秋成はこの歌の「端詞」の作 こころくはし あやまり あながちとけ 三ん。強に仏をたふとむ人の、歌の意に細妙からぬは、これほどの訛は幾らをも者を阿一上人と考えていた。 ニ三歌に対する平生の心構え。 巻 しいづるなり。足下は歌よむ人にもおはせで、此の歌の意異しみ給ふは用意あ品道理。紹巴のロを借りた、玉 川の歌の考証はこの一編のモチー めぞ あつめぞ フの一つ。 る事にこそ」と篤く感にける。貴人をはじめ人々も此のことわりを頻りに感さ あふ おふ うがっ やす こころあや ニ四 しき ようい すだれ
滝ハ檜の薄板で作った曲げ物の弁 如くなれど、手足いと健や 当箱。「打ち散し」は、一面に広げ おきな 野 て、の意。 吉 かなる翁なり。此の滝の下 九大きな岩そのものをいう。 れ 一 0 長く撚りつないだ麻糸。「わ にあゆみ来る。人々を見て 破 看 がねる」は、巻いて輪のように束 体ねる意。 あやしげにまもりたるに、 正 = 「目守るーで、見つめること。 に 翁一ニ災いをもたらす神。邪霊。後 真女子もまろやも此の人を に「祟ります御神」とある。 一三どうして。 背に見ぬふりなるを、翁、 一四このままいるつもりか。「も」 は強意。 渠二人をよくまもりて、 一五「一翻シテ両個都テ水底ニ翻 をは あしきかみ一三 下シ去リ了ンヌ」 ( 白娘子 ) 。蛇神 「あやし。此の邪神、など人をまどはす。翁がまのあたりをかくても有るや」 は水神であり、翁の霊カから逃れ 一五をど とつぶやくを聞きて、此の二人忽ち躍りたちて、滝に飛び人ると見しが、水はて水界に飛び込んだのである。 一六大空。「湧あがり」は水神のカ 一七 しの するすみ ぞらわき を現して滝を奔騰させたのである。 婬大虚に湧あがりて見えずなるほどに、雲摺墨をうちこぼしたる如く、雨篠を乱 毛「摺墨」は墨汁。黒雲があっと の あや あわてまど 一九 いう間に空を覆う形容。 蛇してふり来る。翁人々の慌忙惑ふをまつろ ( て人里にくだる。賤しき軒にかが 穴「篠は小竹。雨がにわかに激 つらつら いけ 之まりて生るここちもせぬを、翁、豊雄にむかひ、「熟そこの面を見るに、此のしく降る形容。 一九統率して。 〕ニ 0 すく 隠神のために悩まされ給ふが、吾救はずばつひに命をも失ひつべし。後よく慎 = 0 姿の見えない邪神。正統的な 00 神仏に対して異端的な悪神 ぬかづき み給 ( 」といふ。豊雄地に額着て、此の事の始よりかたり出でて、「猶命得さ そがひ かれ すこ もと 0 うしな 製、ヾ おもて つつし んとう
雨月物語 78 たの まうぞ 一頼りにした人。夫または主人 御許にもさこそましますなるべし」。女いふ。「かく詣つかうまつるは、憑みつ のことをいうが、ここでは後者。 はうむ ニあと る君の御跡にて、いついつの日ここに葬り奉る。家に残ります女君のあまりに = 御墓 三奥方様 なげ 四はかばかしくない、重い。 歎かせ給ひて、此の頃はむつかしき病にそませ給ふなれば、かくかはりまゐら 0 五冒され かうげ せて、香花をはこび侍るなり」といふ。正太郎云ふ。「刀自の君の病み給ふも六奥様。「家の内第一の女をさ して、戸主といへり。それより転 いづち ふるびとなにびと じて女の通称となれり」 ( 雨夜物語 いとことわりなるものを。そも古人は何人にて、家は何地に住ませ給ふや」。 九 たみことば ) 。 さかしら ゅゑ たの 女いふ。「憑みつる君は、此の国にては由縁ある御方なりしが、人の讒にあひ七故人。 一 0 八筋目正しい名家の方。 しるところ うしな くまわび て領所をも失ひ、今は此の野の隈に侘しくて住ませ給ふ。女君は国のとなりま九「さかしら」とあるので、人の 謀略にかかって、の意。 かよびと 一 0 領地。所領。 でも聞え給ふ美人なるが、 = 「隈」は奥まった所、片隅をい しよりゃう 此の君によりてぞ家・所領 一ニ女君をさす。美しい妻を持っ たために、陥れられ、家や所領を をも亡し給ひぬれ」とかた 失った故人のことが、示唆されて いる。 る おもと 此の物がたりに心のうつ 一四 るとはなくて、「さてしも その君のはかなくて住ませ 0 なく 四 と六 をんなぎみ る す 神 失 は 太 正 に たは ーし 一三心が惹かれて。正太郎の「 恐 たる性」が、また、よび起された こ と解したい。 そ ほ 一四それにしても。 一 = 共に愛する者を失った嘆き。 0 おか 0 0
かれまど ことっき 言尽ずして帰り来る。金忠にむかひて、「此の年月畜に魅はされしは己が心の一三「かれ」は真女児。蛇の精なの で「畜」の字をあてた。 つかへ ほだし ただ 正しからぬなりし。親兄の孝をもなさで、君が家の羈ならんは由縁なし。御当麻の酒人によって明らかにさ れたのは、真女児の本体だけでは めぐみ なく、この物語の異類交婚の主題 恵いとかたじけなけれど、又も参りなん」とて、紀の国に帰りける。 であった。そしてこの災難を招い あやまち た原因の一つが、豊雄の心の持ち 父母太郎夫婦、此の恐しかりつる事を聞きて、いよよ豊雄が過ならぬを憐み、 方にあることも指摘されている。 もののけしふ つま かつは妖怪の執ねきを恐れける。「かくて鰥にてあらするにこそ。妻むかへさ高男らしい雄々しい心。 一八 一五雄々しい気性をもって。 しば むすめ せん」とてはかりける。芝の里に芝の庄司なるものあり。女子一人もてりしを、 = 〈追い払うには。 ャム 9 宅「鰥夫釈名ニ云フ。無妻ヲ おにうちうねめ 大内の采女にまゐらせてありしが、此の度いとま申し給はり、此の豊雄を聟が鰥ト曰フ」 ( 和名抄 ) 。 穴諸説あるが、道成寺伝説の舞 いる なかだち おやもと やがてちな 台である古代の熊野道に沿う芝村 ねにとて、媒氏をもて大宅が許へいひ納る。よき事なりて即因みをなしける。 なかへし であろう。和歌山県中辺路町。 むかひ のを とみこ かくて都へも迎の人を登せしかば、此の采女富子なるものよろこびて帰り来る。一九宮廷。「寀女」は、古代、諸国 の郡領官以上の家の娘から選ばれ かたち まさ としごろ なれ よろづふるまひ て奉仕した後宮の女官。 婬年来の大宮仕へに馴こしかば、万の行儀よりして、姿なども花やぎ勝りけり。 の ニ 0 芝の庄司家。 たら とみこ ニ一「おろおろ」は物事の不十分な 蛇豊雄ここに迎へられて見るに、此の富子がかたちいとよく万心に足ひぬるに、 形容。お、ほろげに真女児を思い出 をろちけさう したわけで、怪異再登場の伏線。 之かの蛇が懸想せしこともおろおろおもひ出づるなるべし。 巻 ニニ王朝小説の筆法だが、典拠の カカ はじめの夜は事なければ書ず。二日の夜、よきほどの酔ごこちにて、「年来一つ「楊思温燕山逢故人」 ( 『古今小 説』収録。以下「楊思温」と記 ) にも ゐなか うちずみ の大内住に、辺鄙の人ははたうるさくまさん。かの御わたりにては、何の中将、「当夜 ( 事無シ、次ノ日・ : 」とある。 づか よろづ おの あはれ むこ としごろ
一妻を持たず独身で過している て、「男子のひとり寝し給ふが、兼ねていとほしかりつるに、いとよき事ぞ。 ことをさす。 さいはひ おろかなり 愚也ともよくいひとり侍らん」とて、其の夜太郎に、「かうかうの事なるは幸 = 説得してあげましよう。 五ロ 一三ロ 三白話小説の語。庄屋、里の長 をいう。「一箇ノ保正」 ( 『水滸伝』 物におぼさずや。父君の前をもよきにいひなし給 ( 」といふ。 訓訳本 ) 。 まゆひそ したづかさあがたなにがし 雨 太郎眉を顰めて、「あやし。此の国の守の下司に県の何某と言ふ人を聞かず。四「おほいどの」は大臣の敬称。 五大願成就して。 なく をさ 我が家保正なればさる人の亡なり給ひしを聞えぬ事あらじを。まづ太刀ここに六新宮速玉神社をさす。古くか ら熊野権現といわれていた。 ためいき たづさ とりて来よ」といふに、刀自やがて携へ来るを、よくよく見をはりて、長嘘を七突然、にわかに。 五 四 ハ神社の神官の長。 ちかごろ おいどのごぐわん すりよう つぎつつもいふは、「ここに恐しき事あり。近来都の大臣殿の御願の事みたし九国の支配官。受領。 すけ 一 0 正しくは「介」。国司の次官。 かんだから みたからぐら たから ごんげん 「文室」は古代官僚に多い姓。 め給ひて、権現におほくの宝を奉り給ふ。さるに此の神宝ども、御宝蔵の中に 一一消失した神宝の探索。 かみぬすびとさぐとら 九 かみうったへい だいぐじ て頓に失しとて、大宮司より国の守に訴出で給ふ。守此の賊を探り捕ふため一 = どうみても。 一三「あるなる」の約。あります。 たち もつばら一一 すけきみふんやひろゆき に、助の君文室の広之、大宮司の館に来りて、今専に此の事をはかり給ふよ高全く盗みをしないことのたと え。「許宣ハ日常、一毛モ抜カズ した・つかさ しを聞きぬ。此の太刀いかさまにも下司などの帯べき物にあらず。猶父に見せ ( 白娘子 ) によったか。 一五他人の口から知られたら。 奉らん」とて、御前に持ちいきて、「かうかうの恐しき事のあなるは、いかが一六罪を連座して一家断絶にされ るだろう。神社に対する盗み・破 はか 計らひ申さん」といふ。父面を青くして、「こは浅ましき事の出できつるかな。壊は大罪で、罪は家族に及んだ。 一七豊雄をさす。豊雄の釈明は親 ひごろ一四もう にも信じられないのである。大宅 日来は一毛をもぬかざるが、何の報にてかう良らぬ心や出できぬらん。他より とみうせ をのこど一 おもて むくひ
五ロ 一口 物 月 ワ」 あまぐ みたまや とうろうだうすのこ のをぐらきを行くゆく、霊廟の前なる灯籠堂の簀子に上りて、雨具うち敷き座一大師廟の拝殿にあたる。昔か ら、灯明が絶えたことはない。 しづかねぶつ ふけ すのこえん 、今夜 ニ簀子縁。「ヨシサラ・ハ をまうけて、閑に念仏しつつも、夜の更ゆくをわびてぞある。 四 、御堂ノ傍ニテ明カセカシト思ヒ ひら はら ふくぞん よ テ、本堂ノ縁ニ倚リ居ツツ : ・」 ( 太 方五十町に開きて、あやしげなる林も見えず。小石だも掃ひし福田ながら、 五 六 平記・巻三十五 ) 。 こだち だらにれいしやくこゑ 三五十町四方。高野山の寺域は さすがにここは寺院遠く、陀羅尼鈴錫の音も聞えず。木立は雲をしのぎて茂さ 山頂部ながら東西約五十町 ( 約五 すみ む毯ん ・四キし南北十余町の平坦地。 び、道に界ふ水の音ほそぼそと清わたりて物がなしき。寝られぬままに夢然か 四本来は、善根を植えるの意の ひら じんくわどせきさうもくれ や たりていふ。「そもそも大師の神化、土石草木も霊を啓きて、八百とせあまり仏教語。秋成は聖地の意で用いる。 しんどん なんご 五真言ともいい、梵語のままで ゐはうれきそう の今にいたりて、いよよあらたに、いよよたふとし。遺芳歴踪多きが中に、此読誦する呪文。 しやくしよう 六鈴と錫杖。読経の際、用いる。 もろこし だうちゃう の山なん第一の道場なり。大師いまそかりけるむかし、遠く唐土にわたり給ひ、七枝葉が繁茂すること。 ハ区切る。 めぞ あぐれいち あの国にて感させ給ふ事おはして、『此の三鈷のとどまる所我が道を揚る霊地九神のごとく大いなる徳化。 一 0 聖霊が宿って。 なげ だんちゃう なり』とて、杏冥にむかひて抛させ給ふが、はた此の山にとどまりぬる。檀場 = あらたかであって。 一ニ弘法大師の遺業と遺跡。 ところ の御前なる三鈷の松こそ此の物の落ちとどまりし地なりと聞ゅ。すべて此の山一 = 仏道修行の霊場。 一四生きておられた昔。 さうもくせんせきれい ふしぎ の草木泉石、霊ならざるはあらずとなん。こよひ不思議にもここに一夜をかり一五真言宗で用いる仏具。金属製 きね で、両端が三つまたに分れた杵の ぜんえん なんぢわか ゅめゅめしんじん たてまつる事、一世ならぬ善縁なり。彌弱きとて努々信心おこたるべからず」ようなもの。 一六「杏冥」は奥深く暗いこと。こ すみ こでは「そら」と読み、天空の意。 と、小やかにかたるも清て心ぼそし。 ( 現代語訳一六八 ) はう ささ さカ 一七こ つ八 のを しみ
ふなをさあきびと 此の泊りに日をへる船長商人等、岸に上りて、酒うる家に人りて、遊びに酌一船の停泊する所。港。 あそび 四 ニ「遊女 : 阿曾比」 ( 和名抄 ) 。 五 ちゃうもと たは とらせ、たはれ興ぜし也。何がしの長が許に、宮木と云ふ遊びめは、色かたち = 戯る。男女相戯る意に用いた。 五ロ 二 = ロ 四遊女屋の主人。説経浄瑠璃 うた 『をぐり』に「よろづ屋のちゃう殿」。 物より心ざまたかく、立ちまひ、哥よみて、人の心をなぐさむと云ふ。されど、 九 五古くは『後拾遺集』巻一一十や大 こやのさと 春多くの人にはむか〈られず。昆陽野の郷に富みたる人あり、是がながめ草にし江叫房『遊女記』にみえる遊女の名。 おとぎ彦うこ 『伽婢子』の「遊女宮木野」 ( 「愛郷 て、ほかに行く事をゆるさず。此のこや野の人は、河守十太兵衛と云ひて、津伝、の翻案 ) の心象も吸収されてい る。名妓宮木伝承に虚構を織りま なら の国の此のあたりにては、井び無きほまれの家也けり。年いまだ廿四にて、かぜながら実在の宮木に托した設定。 六容色はもとより、心の持ち方 もは も高雅で。「愛郷伝」 ( 剪灯新話 ) や たちよく、立ちふるまひ静に、文よむ事を専らに、詩作りて都の博士たちに行 「遊女宮城野」と共通する設定。 き交はりて、上手の名とりたる人也。此の宮木が色よきに目とどめて、しばしセ舞も上手、和歌にも巧みで。 八文化五年本には「人のこ、ろ とろ ばかよひしほどに、今はおもひ者にして、外の人にはあはせずぞありける。宮を蕩かしむ」とあって、『遊女記』 の「能蕩 = 人心一」と対応。 材も、「この君の外には酌とらじ」とて、いとよくつかへたり。 十太は黄がね九伊丹市昆陽。山陽道の宿駅。 一 0 活花。寵女の比喩。『遊女記』 に、神崎の遊女を妻妾とする者の にかへてんとて、よく云ひ人れたるに、「いとかたじけなし。人には見えじ」 多かったことが記されている。 とて、長はうべなひぬ。 一一風采もよく、挙止も上品で 「遊女宮木野」に「藤井清六といふ なごん 宮木が父は、都の何がし殿と云ひし納言の君也しが、いささかの罪かうぶり者あり。 : ・富裕の人といはれ。こ と更清六は風流を好む」。 つめさ ざき て、司解け、つひに庶人にくだされしかば、めのとのよしありて、此のかん嵜一 = 学問の読書。 一八 しょにん 一四 しづか 八 はかせ ぐさ しやく
かきしぶ と出づるはしにせよ。あらいそがしのたからの山や。ふくの神たちに追ひっき一九柿渋で染めて強くした仕事着。 ニ 0 盆正月に奉公人に与えた衣服。 福の神に気に人られた証拠、の意。 たいまつらん」とて、ほかの事云ひまじへずぞある。「此のついでにいふぞ。 ニ一新春元旦。新酒の用意をいう。 あぶらび おのれが部屋には、書物とかいふものたかくつみ、夜は油火かかげて無やくの = = 大小の用便のついでにせよ。 ニ三金儲けに忙しいの意。 品「無益」の意。「つひえ」は浪費。 つひえする。是も福の神はきらひたまふと云ふ。反古買ひには損すべし。もと 孟古紙買いに売ったのでは。 あたひ ニ七 ニ六代金を取りかえせ。 の商人よびて価とれ。親のしらぬ事しりて何かする。まことに似ぬをおに子と 毛親が必要としないこと。実利 のち いふは、おのれよーとののしる。「なに事も此の後うけたまはりぬ」とて、日一点ばりの人間像を示すとともに、 親の子に対する反感を描く。 ニ九 来渋ぞめのすそたかくかかげて、父の心をとるほどに、「今こそふくの神のみ tl< 諺の「親に似ぬ子は鬼子」をい う。自分を忘れた鬼曾次の言。 ニ九機嫌をとる。「ほどに」は、原 心にかなふらめ」と、よろこぶよろこぶ。 因・理由を示す接続助詞。 三 0 三 0 音信。この場合は訪問。 かのむすめのかたには、おとづれ絶えぬるままに、やまひおもく成りて、 三一絶えたままであるのにつれて 「けふあすよ」と母兄はなげきて、五曹にみそかの使してきこゅ。兼ねて思ひ = = 今日か明日までの命であると みそ 「兼ねて」は、本来は「予ねて」。 顔し事とて、ことみねどもあはれにえた ( ずして、つかひのしりに立ちていそぎ 三四はっきり様子を見たわけでは 咲 うしろ ないが。「しり」は、後の意。 首来たり、おや子にむかひて云ふは、「かからんとおもふにたがはざりし事よ。 三五こういうことになるだろうと。 死 後の世の事は、い ' つはりをしらねばたのまれず。ただ此のあした、我がいへに昊真偽のほどが分らないので当 てにならぬ。「此のあした」は明朝。 おくりたまへ。千秋よろづ代也とも、ただかた時といふとも、同じ夫婦なるぞ。毛底本「 0 。「也」の誤写か。 のち ごろ 三四 三七 つかひ ニ四 むやく
一人に取りついて災いをもたら 漸して来りぬ。しかじかのよしを語れば、此の法師鼻を高くして、「これらの つきもの す憑物 とら かた しづ 蠱物らを捉んは何の難き事にもあらじ。必ず静まりおはせ」とやすげにいふに、 = 心配せず静かにしていらっし 五ロ ゃい。 一三ロ せきおう 三石黄とも。砒素の硫化物で邪 物人々心落ちゐぬ。 月 霊や邪気、悪鬼、毒虫等を殺す薬 こがめたた ゅうわう 物であった。「一瓶ノ硫黄ノ薬水」 雨法師まづ雄黄をもとめて薬の水を調じ、小瓶に堪へて、かの閨房にむかふ。 ( 白娘子 ) による。 をろち わらは あざみ おちかく 四開けたとたんに 人々驚隠るるを、法師嘲わらひて、「老いたるも童も必ずそこにおはせ、此の地 = 白蛇の姿は「看見ス、ガ是 をろちかしら しトり - おそ 只今捉て見せ奉らん」とてすすみゆく。閨房の戸あくるを遅しと、かの蛇頭をレ一条ノ大白蛇ナルヲ」 ( 白娘子 ) をヒントにしたのであろう。 みちみち いか まなこ さし出だして法師にむかふ。此の頭何ばかりの物ぞ。此の戸口に充満て、雪を六たとえば「二ッノ眼 ( 朱ヲト そそぎ イテ鏡ノ面ニ洒ケルガ如ク、 ごとみたけ まなこかがみ つのかれき 七 さけ 積たるよりも白く輝々しく、眼は鏡の如く、角は枯木の如、三尺余りのロを開脇耳ノ根マデ広ク割、 : ・五寸・ハカ こうしつのいろこ リナル犢ノ角、鱗ヲカヅヒテ生ヒ さけ いき くれなゐしたはい のみのむ き、紅の舌を吐て、只一呑に飲らん勢ひをなす。「あなや」と叫びて、手にす出デ」 ( 太平記・巻一一十一一のように、 鏡の眼、枯木の角等は、鬼神の姿 こいまろ たふ の伝統的類型的表現であった。 ゑし小瓶をもそこに打ちすてて、たっ足もなく、展転びはひ倒れて、からうじ 七「血紅ノ大口ヲ開キ、雪白ノ たた 歯ヲ露出シテ、来リテ先生 ( 捕蛇 てのがれ来り、人々にむかひ、「あな恐し。祟ります御神にてましますものを、 師 ) ヲ咬ム」 ( 白娘子 ) 。 たえ など法師らが祈奉らん。此の手足なくば、はた命失なひてん」といふいふ絶人八蠱物どころか、霊威おそるべ き祟り神でいらっしやるのに。 ごと あっ もてはだへくろあかそめ たすおこ りぬ。人々扶け起すれど、すべて面も肌も黒く赤く染なしたるが如に、熱き事九「モシコノ双脚生サズ・ ( 、性 命連ネテ没了セン」 ( 白娘子 ) 。 あしきいき のち たきび 焚火に手さすらんにひとし。毒気にあたりたると見えて、後は只眼のみはたら一 0 道成寺伝説では、清姫の蛇が 0 一 、 1 まじもの やや こがめ いのり きらきら てう ねや 四 うし ねや め 五 ひら ましもの 0
まこと の人をくるしめ、此の横死をなさしむるは友とする信なし。経久強てとどめ給一非業の死。 ひさ まじ ニ丹治が叔座のように信義の人 ひそかしゃうあうしゆくざまこと えいり であれば、宗右衛門は死ぬことは ふとも、旧しき交はりを思はば、私に商鞅・叔座が信をつくすべきに、只栄利 五ロ きロ 四 なかった、と左門はいっている。 物にのみ走りて士家の風なきは、即尼子の家風なるべし。さるから兄長何故此 = 利益栄達。 四真の武士。 われ きた なんじ 雨 の国に足をとどむべき。吾今信義を重んじて態々ここに来る。汝は又不義のた = 気風。 六そうであるからには。接続詞。 ぬきうちきり ひとかたな めに汚名をのこせ」とて、いひもをはらず抜打に斬つくれば、一刀にてそこにわざわざ。この場合は、信義 を全うするためにのみ。 倒る。家眷ども立ち騷ぐ間にはやく逃れ出て % なし。尼子経久此のよしを伝 ( 抜きざまに斬ること。 九家来。 しんぎ 一 0 行方不明になった。 聞きて、兄弟信義の篤きをあはれみ、左門が跡をも強て逐せざるとなり。咨、 けいはく むす 一一感動を表す語。「咨ハ嗟歎之 軽薄の人と交はりは結ぶべからずとなん。 辞ー ( 康熙字典 ) 。 一ニ冒頭の「交はりは軽薄の人と 結ぶことなかれ」に呼応した結尾 の文。内容は義兄弟の信義の篤さ を主題としながら、不信の徒であ った丹治への憤りを反語的に託し、 訓戒的なリフレインで本編をしめ くくったのである。 雨月物語一之巻終 をめい あっ おも しひおは しひ ああ