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検索対象: 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語
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1. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

読み、かっ読ませるように書いていた当時の書き方のルー 昭和七年、東京都生れ。昭和三十一年、早稲田大学卒。 ル ( 趣向 ) ーーーもちろん、小説の表層ではなく、深層を読 近世小説専攻。現在、静岡大学教授。主著は『雨月物語 むわれわれ近代の読者は、このルールに拘束される必要は評釈』 ( 共著 ) 『春雨物語他 ( 日本古典文学全集 ) 』 ( 共著 ) 。 ないーーにおいて、挿絵も小説的な修辞の一部をなしてい付属静岡中学校長としてもご多忙な毎日である。 たわけで、題材としての『懐硯』が暗示されていたと同時〈編集室より〉 に、その題材からの脱化、つまり俳諧的な転換といったも☆第十回配本『雨月物語・春雨物語』をお届けいたします。 のも、この図によって示されていたと想像されるのである。三十五歳で書かれた『雨月』、六十九歳の折に出来た『春 俳諧的な転換があったとすれば、もちろん、相似よりは相雨』と、三十五年の隔りを持って成った二大代表作です。 ☆次回 ( 五十八年十月 ) 配本は、お待たせしておりました 違を示すためのものであった。 それにしても、「二世の縁」を書いた時の秋成の頭のな『源氏物語二』 ( 阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出 かにこの詐欺僧説話の記憶があったとすると、また新しい男校注・訳定価千七百円 ) です。 醜女末摘花を誤って手折ってしまうが、同情を持って見 読み方を求められていたことになるようである。 せいがいは 守る光源氏 ( 末摘花 ) 、青海波を舞い人々の注目を一身に 集める晴がましさの陰に、永遠の人藤壺が不義の子を出産 〈著者紹介〉 ( 紅葉賀 ) 、春の夜に朧月夜と契ってしまう多情な源氏 ( 花 高田衛 ( たかだまもる ) 昭和五年、富山県生れ。昭和二十八年、早稲田大学卒。宴 ) 、正妻葵の上と想い人六条御息所の車争いに端を発し、 中近世文学専攻。現在、都立大学教授。主著は『上田秋長男タ霧を生んだ葵の上は、御息所の生霊にとり殺される 成年譜考説』『上田秋成研究序説』『雨月物語他 ( 日本古 ( 葵 ) 、源氏の思慕を退けるために藤壺は出家、朧月夜尚侍 典文学全集 ) 』 ( 共著 ) 『八大伝の世界』。主に関八州を中との秘かな逢瀬は発覚する ( 賢木 ) 、そして五月、源氏は 昔逢った花散里を訪問する ( 花散里 ) 。 心とした絵馬の収集を趣味とされている。 光源氏十八歳から二十五歳までを描く六帖を収めました。 中村博保 ( なかむらひろやす ) しこめ

2. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

いなみのこりらゐ ここに播磨の国印南郡荒井の里に、彦六といふ男あり。渠は袖とちかき従一兵庫県高砂市荒井町。庭妹か ら東方約八〇キロ。 ちなみ ちなみ 弟の因あれば、先これを訪らうて、しばらく足を休めける。彦六、正太郎にむ = 「因」にかかる。「因」は血縁、 五ロ きロ 縁故。従弟という近い血縁 とどま みやこ 一つ釜の飯を分け合って。 物かひて、「京なりとて人ごとにたのもしくもあらじ。ここに駐られよ。一飯を = 四 四身すぎの計を立てよう。 わたらひ 雨 五安心して。 わけて、ともに過活のはかりことあらん」と、たのみある詞に心おちゐて、こ 六「もののけ」は本来は疫神をさ ーしりト 4 ういを」りトっ す語。病気は死霊生霊が取りつい こに住むべきに定めける。彦六、我が住むとなりなる破屋をかりて住ましめ、 たものとする日本固有の考え方か よろこ たた ら、平安朝頃には人に取りつき祟 友得たりとて怡びけり。 る死霊・生霊をさし、さらに妖怪 もののけ なや もの しかるに袖、風のここちといひしが、何となく悩み出でて、鬼化のやうに狂などをさす語になった。「御物の 怪めきていたうわづらひたまへ わざはひかか かな はしげなれば、ここに来りて幾日もあらず、此の禍に係る悲しさに、みづからば」 ( 源氏・葵 ) 。 七むせび泣くだけで。このあた むねせまたへ いだたす りは「ただ、つくづくと音をのみ も食さへわすれて抱き扶くれども、只音をのみ泣きて、胸窮り堪がたげに、さ 九 泣きたまひて、をりをりは胸をせ ふるさとすて むれば常にかはるともなし。窮鬼といふものにや、古郷に捨し人のもしやと独き上げつついみじうた〈がたげ に」 ( 源氏・葵 ) の修辞を利用。 えき くる なや むね苦し。彦六これを諫めて、「いかでさる事のあらん。疫といふものの悩ま八他人に取りついて祟る、生き ている人の怨念。「認どいふ ゅめ あっ もの」 ( 源氏・葵 ) 。表記の「窮鬼」は しきはあまた見来りぬ。熱き心少しさめたらんには、夢わすれたるやうなるべ 『和名抄』に見える。 みる し」と、やすげにいふぞたのみなる。看みる露ばかりのしるしもなく、七日に九磯良をさす。 一 0 流行性の熱病。 たた むな なきかな そらあふ して空しくなりぬ。天を仰ぎ、地を敲きて哭悲しみ、ともにもと物狂はしきを、 = みるみるうちに。「みる」の反 こ もの まづ いさ とふ いきすだま あれや かれ ひとり いと くる 0

3. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

の 一六連れていってください。 給ふはここちかきにや。訪 手 る 宅便りとする人のない、心細い れ指身の上でいらっしゃいますから。 らひまゐらせて、同じ悲し を 穴茅ぶきの粗末な家。 なぐ 我 一九竹で編んだ戸。貧家または草 みをもかたり和さまん。倶 の そ庵ふうな住いをいう。 ニ 0 七日過ぎの上弦の月。 霊 し給へ」といふ。「家は殿 あ ニ一明るく。「月明かくさし出で の たるに」 ( 源氏・蓬生 ) 。 の来らせ給ふ道のすこし引 一三広くはない庭。「ほどなき庭 くれたけ 現に、されたる呉竹」 ( 源氏・タ顔 ) 。 き人りたる方なり。便りなみ 出 ニ三洩れて。 をりをりとは 品本来は「あおるーの意。「あふ くませば時々訪せ給へ。待 っ扇ぎ搏つの訓義なるべし」 ( 倭 さき 訓栞 ) 。ここでは吹きあおられて、 ち侘給はんものを」と前に立ちてあゆむ。 と受身に転じて用いている。 二丁あまりを来てほそき径あり。ここよりも一丁ばかりをあゆみて、をぐら = 五黒漆を塗った三重の違い棚。 もともと、貧家などにはあるはず のない家具で、住む人の元の高い 釜き林の裏にちひさき草屋あり。作の扉のわびしきに、七日あまりの月のあかく 身分を思わせる。 まど ともしび 津 たはけ 備さし人りて、ほどなき庭の荒たるさへ見ゅ。ほそき灯火の光り窓の紙をもりてや磯良の生霊が、正太郎の「た 吉 る性」につけこんで、正太郎を草 こけ うらさびし。「ここに待たせ給へ」とて内に人りぬ。苔むしたる古井のもとに深い野の中の一軒屋におびき寄せ 之 たのである。このような話の形式 巻 ひま かげ からかみ 立ちて見人るに、唐紙すこし明けたる間より、火影吹きあふちて、黒棚のきらは『古今小説』二十四の「揚思温燕 山逢故人」からヒントを得たと思 われる めきたるもゆかしく覚ゅ わび や八 とふ ぐ あれ

4. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

なが おそまうぞ 「此の春は遅く詣給ふことよ。花もなかばは散り過ぎて鶯の声もやや流るめれや持病を口実に吉野行を避けよう とした真女児も、ついに吉野に連 くは かた ゅふげ ど、猶よき方にしるべし侍らん」とて、夕食いと清くして食せける。明けゆくれ出された。以下の本文は、注に 示したように『源氏物語』の文章を 利用して、比類なく美しい吉野の 物空いたう霞みたるも、晴れゆくままに見わたせば、此の院は高き所にて、ここ 月 景を述べる。それはまた、妖女真 そうばう 雨かしこ僧坊どもあらはに見おろさるる。山の鳥どももそこはかとなく囀りあひ女児がそこにいるがゆえに美しい 吉野なのだが、この美が頂点に達 したところで、物語は意外な転換 て、木草の花色々に咲きまじりたる、同じ山里ながら目さむるここちせらる。 四 をとげるのである こひ かなた かた みどころ うひまうぞ ばんおう 「初詣には滝ある方こそ見所はおほかめれ」とて、彼方にしるべの人乞て出一晩鶯で声が乱れるのである。 ニ「明けゆく空はいといたう霞 いぞまし めぐ みて、山の鳥ども、そこはかとな でたつ。谷を繞りて下りゆく。いにしへ行幸の宮ありし所は、石はしる滝っ く囀りあひたり。名もしらぬ木草 の花どもいろいろに散りまじり、 せのむせび流るるに、ちひ 錦を敷けると見ゆるに」 ( 源氏・若 」か 紫 ) の文をふんでいる。 さきどもの水に逆ふなど、 雄 三「高き所にて、ここかしこ、 僧坊どもあらはに見おろさるる 目もあやにおもしろし。檜 驚 ( 源氏・若紫 ) 。「僧坊ーは僧の住居。 くひ わりご や 四豊雄・真女児の初めての人山。 破子打ち散して喰つつあそ ろ ま 五上代、たびたび行幸のあった みやたき ご児吉野離宮。今の吉野町宮の辺り な女 といわれる。 る 六「いははしる」。「滝」の枕詞。 び セ「」は正しくは「はや」。ここ 飛 では春先の小さな鮎。 に 寺一口 102 岩がねづたひに来る人あ り。髪は績麻をわがねたる 0 ちら ・ノッソン さへづ さへづ

5. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

あるじ ふ。荘主よろこび迎へて、「御僧の大徳によりて鬼ふたたび山をくだらねば、人一極楽。鬼のいない平安な世界。 ニそれゆえ。 三どうして今まで生きているこ 皆浄土にうまれ出でたるごとし。されど山にゆく事はおそろしがりて、一人と 五ロ とがありましようか。「など」は、 きロ せうそこ 「どうして、であろうか、、ない」 物してのぼるものなし。さるから消息をしり侍らねど、など今まで活ては侍らじ。 月 という意味の反語の副詞だから こよひ とま ずいえん 「侍らん」で終るのが普通。 雨今夜の御泊りにかの菩提をとふらひ給へ。誰も随縁したてまつらん」といふ。 四冥福を祈ってください。 かれぜんくわもとづきんげ せんだち 禅師いふ。「他善果に基て遷化せしとならば道に先達の師ともいふべし。又五誰も彼も、の意。皆で。 六善行の報い。 ひとり とてい せうそこ 活きてあるときは我がために一個の徒弟なり。いづれ消息を見ずばあらじ」と七僧侶の死去を尊んでいう語。 八仏道の上で、悟りの先輩とい たえ ふたた うべきである。「先達」は先行者。 て、復び山にのぼり給ふに、いかさまにも人のいきき絶たると見えて、去年ふ 九まだ成仏できていないとき。 一 0 弟子。 みわけし道ぞとも思はれず。 = いずれにしても。 をぎ おひしげ 寺に人りて見れば、荻・尾花のたけ人よりもたかく生茂り、露は時雨めきて一 = 見届けないわけにいかぬ 一七 一三なるほど、たしかに た - つかく みつみち みぎひだりたふはうちゃうく 降りこぼれたるに、三の径さ ( わからざる中に、堂閣の戸右左に頽れ、方丈庫一 0 一八 一五時雨のように。「なほ秋の時 を らう こけ くちめ 裏に縁りたる廊も、朽目に雨をふくみて苔むしぬ。さてかの僧を座らしめたる雨めきてうちそそげば」 ( 源氏・蓬 生 ) 。 ひげかみ 一九 簀子のほとりをもとむるに、影のやうなる人の、僧俗ともわからぬまでに髭髪一六「いづれか、このさびしき宿 にも必ず分けたる跡あなる三つの なく むぐらニ 0 もみだれしに、葎むすぼほれ、尾花おしなみたるなかに、蚊の鳴ばかりのほそ饉 ( 源氏・蓬生 ) 。『河海抄』に「三 径は門にゆくみち、井へゆくみち、 とな 厠へゆくみち也」とある。 き音して、物とも聞えぬゃうにまれまれ唱ふるを聞けば、 ( 現代語訳二〇四 ) 122 九 すのこ めぐ だい 一四 いき 一五 はべ

6. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

雨月物語 84 れば陰陽師が占のいちじるき、御釜の凶祥もはたたがはざりけるそ、いともた ふとかりけるとかたり伝へけり。 雨月物語一一一之巻終 うら みかまあしきさが 一近世では、陰陽師の重要な そうしんこうしん 割は竈神Ⅱ荒神様 ( かまどの神 ) の しゅうばっ 修載であった。正太郎の惨死が御 めまど 釜 ( 竈 ) の凶兆の表れと考えるなら ば、この災厄の予言者が高僧名僧 の類ではなく、陰陽師であった理 由がうなずけるのである。 おろらさがみだり ニ「かれ ( 地 ) が性は婬なる物」の 文が本文一〇四二行にある。そ こから採った題名。 三いつの時代のことか。「いづ おむとき れの御時にかー ( 源氏・桐壺 ) 。 四今の新宮市三輪崎。歌枕 五「大宅」姓は『新撰姓氏録』に見 おんようし 0

7. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

びて、力をそふる事をつとめとするほどに、父がおにおにしきを鬼曾次とよび、一恐ろしげで、無慈悲なこと。 ニ立ち寄ってくつろぐ。 子は仏蔵殿とたふとびて、人このもとに先づ休らふを心よしとて、同じ家の中三「快心ヨシ」 ( 名義抄 ) 。 あらが 五ロ 四「制」のあて字。「諍ふ」は言い 一三ロ 物に、曾次が所へはよりこぬ事となるを、父はいかりて、無ようのものには茶も争う意。追い返したことをいう。 雨 五同じ鯖江氏の一族。 春飲ますまじき事、門に人る壁におしおきて、まなこ光らせ、征しあらがひけり。六家運が衰え。後文から土地の 旧家であったことがわかる。 うちびともとすけ 又、同じ氏人に元助と云ふは、久しく家おとろへ、田畑わづかにぬしづきて、セあるじ自ら。 いそち 八五十路。五十歳にもならず。 あさを 手づから鋤鍬とりて、母一人いもと一人をやうやう養ひぬ。母はまだいそぢに。麻苧を績んだり、綿やを糸 に紡いだりして。 はた たらで、いとかひがひしく、女のわざの機おり、うみつむぎして、おのがため一 0 己を顧みないで忙しく働く。 = 世に稀な美人。「ありがたき ならず立ちまどふ。妹を宗といひて、のかたち人にて、母の手わざを手がた御容貌人」 ( 源氏・桐壺 ) 。 一ニ手伝いの相手。 きなし、火たき飯かしぎて、夜はともし火のもとに、母と左き物がたりをよみ、一 = 王朝時代の物語。 ・つか 高筆遣いも下手ではならないと。 一五常づね親しく往き来して。 手つたなからじと習ひたりけり。同じ氏の人なれば、五蔵糴にゆきかひして、 一六生涯をかけた夫。将来を約束 交り浅からぬに、物とひ聞きて、師とたのみて学びけり。いっしか物いひかはしたことをいう。 ぞう 宅「族」。一族の意。 穴「医師」。 して、たのもし人にかたらひしを、母も兄もよき事に見ゆるしてけり。 一九『豊後風土記』に「斯に因りて ゆきおひ 同じぞうの人、くすし靫負といふ老人あり。是をさいはひの事とて、母兄に名を靫負の村といひき」。 ニ 0 事情をきいて内諾を得。 おきな ニ 0 問ひただして、酒つくる翁が所に来たり、「鶯はかならず梅にすくひて、他に = 一五曾次をさす。 ぶつざう 五 すきくは おに おのれ これ

8. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

すまかづか ころうつつ かうそらあけ 約するかのように、リアルで同時 更の天明ゆく比、現なき心にもすずろに寒かりければ、衾被んとさぐる手に、 に幻想的であり、幽明境を異にし さやさや た男女の情が主題化されている。 何物にや籟々と音するに目さめぬ。面にひやひやと物のこぼるるを、雨や漏ぬ 一 0 風の吹き込む表現。 ありあけづき ながて るかと見れば、屋根は風にまくられてあれば有明月のしらみて残りたるも見ゅ。 = 「道之長手長途也」 ( 歌文要 語 ) 。旅の長い道のり。 と ひま すがきくちくづれ をぎすすき 家は扉もあるやなし。簀垣朽頽たる間より、荻・薄高く生出でて、朝露うちこ一 = 午前四、六時頃。 一三夜具。「被」は「被ーと同じ。 ぐらうづも ったくずはひ すのこ すがき ぼるるに、袖湿てしぼるばかりなり。壁には蔦・葛延かかり、庭は葎に埋れて、一四「簀掻」のあて字。簀子状に竹 ・板を並べた床。 秋ならねども野らなる宿なりけり。さてしも臥たる妻はいづち行きけん見えず。一五「葎」はあかね科の草で八重葎 などの総称だが、ここでは雑草一 狐などのしわざにやと思へば、かく荒れ果てぬれど故住みし家にたがはで、広般をさす。 一九 実野。「ら」は接尾語。「庭もま いなぐら つくなせ一八 く造り作し奥わたりより、端の方、稲倉まで好みたるままの形なり。 がきも秋の野らなる」 ( 古今・巻四 ) 。 毛「もし狐などの変化にやとお すゼまかり あきれ ふみど わす つらつら 呆自て足の踏所さへ失れたるやうなりしが、熟おもふに、妻は既に死て、今ぼゆれど」 ( 源氏・蓬生 ) 。廃屋の描 写には「蓬生巻」 ( 源氏 ) の文章の影 け あや は狐狸の住みかはりて、かく野らなる宿となりたれば、怪しき鬼の化してあり響を受けた修辞が多い。 宿 穴奥の間あたり。 したたま かたち 茅し形を見せつるにてぞあるべき。若又我を慕ふ魂のかへり来りてかたりぬるも一九稲を収める倉庫。 ニ 0 「鬼の化」はここでは妖怪。妖 - もと 二のか。思ひし事の露たがはざりしよと、更に涙さへ出でず。我が身ひとつは故怪が化けて。 ニ一幽魂。「鬼」と区別している。 っち ふしど 巻 めぐ の身にしてとあゆみ廻るに、むかし閨房にてありし所の簀子をはらひ、土を積 = = 「月ゃあらぬ春や昔の春なら ぬわが身ひとつはもとの身にし よべれい みて朧とし、雨露をふせぐまうけもあり。夜の霊はここもとよりやと恐しくもて , ( 古今・巻十一 ) 。 一七 つか ひぢ あめつゆ やど 一四 かべ - もし J おひい すのこ さま もり・

9. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

上田氏は、源氏の流れをくむ武士の出で、養父も教養のあるしつかりした人であったらしい。この養父と、 五歳の時病没した養母のあとに迎えられた第二の義母の、きびしいが慈愛にみちたしつけのもとで愛育され た。秋成の育った大阪堂島は、日本の米仲買いの中心地で、「堂島の気概」と呼ばれる独自な気風もあった。 にんなう ふき うし」う のらもの この堂島育ちの若者として、青年時代には浮浪子 ( 道楽者 ) としての放蕩もあったらしい。奔放にして不羈 な個我と才気を育てるに十分な恵まれた環境であった。 「自伝」がしるす次の一節は、この頃の秋成を知る意味で興味深い。「我わかき時は文よむ事を知らず、た だ酒飲までもすみかを野とかなして宿にはいぬ事なり、父は物よく書きて度々いましめ給へば、時々机に かゝりて手習はじむ、友どちのよくもあらぬ男来て、これは何事ぞ、学文とやらをするか、無分別なりとて、 あぐら せんじもん 机のむかふに胡座くみて、机にありし、左り板の文徴明が千字文を開き見てくり返しつゝ、さてもさてもむ つかし、此終りにある年号と本屋の名となりと、すつばりと読みたしと云しなり」。この「我わかき時」が いっ頃をさすかははっきりしないが、秋成が「千字文」も読めぬ友達と重なりあう生活をもちながら、「物 よく書きて、度々いましめ」を与えた父の導きと影響によって、すでに友達とは別の途を歩みはじめていた ことが伝えられている。その途とは、嶋屋東作が上田秋成に成長してゆく途であった。ここにはまた、無学 な友の四角い文字 ( 漢字 ) に対する素朴な畏敬と驚きが生き生きと映し出されていたが、この四角い文字 ( 文字言語 ) はやがて秋成の内面の形成にかかわりあい、その資質を花開かせ、個性を形成することになる。 解文人出現の当時は、町人が蓄財に専念した元禄期と異なって、町人みずから学問を好み、教養を重んずる風 かいとくどう 時代を生じていた。そうした時代の空気のなかで、町人学校懐徳堂に通学、学問の素地を与えられて たかいきけい おり、また二十歳を過ぎた頃から高井儿圭について俳諧の指導を受けている。秋成の資質は実業よりは文事

10. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

たはむ そひ 一参議の唐名。前ハーの「中将」は 宰相の君などいふに添ぶし給ふらん。今更にくくこそおぼゆれ」など戯るるに、 近衛府の次官。いずれも宮廷の貴 四 とみこやがておもて 三ちぎりわす 公子で特定の人ではない。 富子即面をあげて、「古き契を忘れ給ひて、かくことなる事なき人を時めか 五ロ ニ側に寄り添って寝ること。 1 三ロ にく かたち まさ 物し給ふこそ、こなたよりまして悪くあれ」といふは、姿こそかはれ、正しく真 = 「おのがいとめでたしと見た 月 てまつるをば尋ね思ほさで、かく こ 雨女子が声なり。聞くにあさましう、身の毛もたちて恐しく、只あきれまどふを、ことなることなき人を率ておはし て時めかし給ふこそいとめざまし ちか わが あや 七ちか 女打ちゑみて、「吾君な怪しみ給ひそ。海に誓ひ山に盟ひし事を速くわすれ給くつらけれ」 ( 源氏多顔 ) の有名な えんさ 「もののけ」怨嗟の文をふんでいる。 あだ ふとも、さるべき縁にしのあれば又もあひ見奉るものを、他し人のいふことを四特に美しくもない人。富子を さす。「時めかす」は、寵愛する。 あながち まことしくおぼして、強に遠ざけ給はんには、恨み報ひなん。紀路の山々さば秋成は工夫をこらして、『源氏 みやすんどころ 物語』タ顔巻の六条御息所の言葉 九ち を真女児の言葉に造りかえた。優 かり高くとも、君が血をも 雅な文章でありながら、怖ろしく 現 そそ 出不気味な効果を出している。 て峰より谷に灌ぎくださん。 や 五「こなた」は、富子、豊雄のど ろ ちらにも解せるが、この語が中世 ま あたら御身をいたづらにな 以降一一人称であることから、豊雄 一」児 はて な女 をさすと考えたい。 し果給ひそ」といふに、只 る 六「身ハ是レ劉氏 ( 愛人 ) 語音ハ な是レ鄭夫人 ( 怨霊 ) ノ声気」 ( 楊思 わななきにわななかれて、 を 温 ) 。 情 一 0 薄七いつまでも変るまいと固く約 今やとらるべきここちに死 そ束した愛。「海ニ誓ヒ山ニ盟ヒ」 ( 剪灯新話・翠々伝 ) 。 て に人りける。屏風のうしろ さいしゃう びやうぶ 1 うらむく きち はや