納っておいたもの。兄の許しなしには手を触れてはなら背後からしつかり抱きついた。これを大蔵、「年寄りのカ かぎ ぬ」と牘の鍵をかけようとする。この時大蔵、いつものい 自慢、役にも立たぬわい」と片手で前へ引き回し、横倒 とら ためいけ おさ たずら心が頭をもたげ、母を捉えて抑えつけると、「声を しに投げつけると、狭い道だったから、父親は溜池の張り おやじ 立てなさるな。昼寝の親父殿が目を覚すわい」といいなが つめた氷の上に転倒した。兄が「親に向って何をする」と ありがね ら、片手で蓋を開けて有金二十貫文をみ出し、代りに母いって助け起そうとするうちに、大蔵は遠く逃げのびた。 たけだけ かっ 親を牘の中に押し込めると、銭を肩に担いでよろよろと蔵この父親も山男だったから心は猛々しく、濡れた衣服をま を出た。 くり上げるとまた追いかける。谷川を渡ったところで友達 に出会ったが、この男、大蔵の正面に立ちはだかり、カず 兄嫁これを見て、「その銭をどこへ持って行きなさる。 夫が数えて納っておいたもの。親父様起きてくだされ。大 くで捕えようとする。これは腕力ある男だったから、大蔵 なぐ ひる すき はばか わめ 蔵殿がまた良からぬ考えを起しました」と大声で喚き立て憚るところなく力を振るって顔を殴りつけ、怯んだ隙をみ ぬすっと る。父親、驚いて目を覚し、「おのれ盗人め、赦すものか」 て蹴とばすと、谷底むかって転び落ちて行った。水のひど てんびんう うしろ と天秤棒を掴んで庭に下りると、背後からびしりとばかり く冷たい季節だったので、気丈なこの男、さすがに這い上 ばくち こた がれないでいると、大蔵、「手前が、博奕の負けをうるさ に打ちつける。大蔵、打たれても骨が丈夫だったから応え あざわら く責めるゆえ、返そうとして親の銭を持ち出したのじゃ」 ない。嘲笑って門から出て行く。「憎らしい奴め」と追い けおと いだてん と、また岸にあった大石を蹴落すと、ちょうど這い上がろ かけたが、大蔵、韋駄天のように足が速く、たちまち逃げ つかま どな 上 去った。父親、「誰か、あ奴を掴えてくれ」と近所に怒鳴 うとする男の頭上に転んで行った。男は、石もろとも深い りながら、これを追いかける。兄も帰り路でこの騷ぎに会谷底に落ちて行ったが、今度は這い上がることもできない。 い、「おのれ、この銭取られてたまるか」と奪い返そうと兄と父は追い付きかねていたが、この間にやっと追い付き、 けたお ただ必死に銭を奪い返そうとする。大蔵、今は暴れに暴れ 四するが、相手にならぬうちに蹴倒された。父親足が弱って いだてん いて、兄に遅れて走って来たが、この時やっと追い付いて、 て父も兄も谷川の流れに蹴落すと、韋駄天走りの足に任せ かぞ しま ゆる
られずに過そうと、ただ想い合っていることを頼みとして、 でどうにもなるまい。五蔵殿さえおいでくださればーとい おろ 一年でも二年でも暮してみよう。そなたを愚かだというの うので、その旨使いをしたところ、その日の昼間過ぎて五 ふがい は、こんなわたしの気持を察せずに病などになって、母君 蔵がやって来た。五蔵、宗に向って、「まことに腑甲斐な しよぎよう やまい い。病になるなどとは、親の悲しみも考えぬ、罪深い所業からも兄上からも、わたしが罪ある者として責められるよ かっ うにしていることをいうのだ。そのようでは、わたしはっ というもの。来世では、どんなところに生れ、荷を担いだ らい。さあ今からは気持をはっきり持ち直しておくれ」と、 、夜も縄をなったり、なおどんなにか苦しい目をみるこ 心をこめて教えられて、宗は、「決して、私が病気をして とになるだろう。親の許しがないことは初めからわかって いるなどとはお考えくださいますな。自分のわがままから、 いたことではないか。わたしは父に背いても、一度交した わずら 起きたり寝たりしていたのでございます。お心を煩わせて 約束は決して違えたりはしない。山里に這い隠れてでも、 一一人一緒に暮らせたら本望と思っておくれ。この家の母君、申し訳ございません。すぐにちゃんといたしますから見て おぐし いてください」といって、挿していた小櫛をとって髪の乱 兄上がお許しくだされたのだから、罪の報いはないだろう。 たくわ れを整え、着ていた衣服も脱いで新しいものに着替え、そ わたしの家は財宝も十分蓄えてあるうえ、少々のことでは えがお とこ 崩れぬよう父が守っているから心配はない。良い養子でもれまで休んでいた床は振り向こうともせず、母に兄に笑顔 を見せながら、かいがいしくふき掃除を始める。五蔵、 とって財宝をふやされているうちには、わたしのことなど 忘れて百年も長生きをなされよう。人間、百年の寿命を保「気分が晴れやかなのを見て、こんなうれしいことはない。 たい あかし まれ これは、明石の浜でとれた鯛を、漁師が今朝、舟で届けて 咲っことはむずかしい。たとえ稀にいても、半分の五十年は おおやけ 首夜の睡眠に費やされ、そのほかに病気で寝たり、公の仕事来たものだよ。これを菜に食事をするのを見て帰るとしょ わらづと 死 に駆り出されたり、くわしく数えてみるなら、やっと二十う」といって、きれいに包んだ藁苞を差し出す。宗はにつ たい ゅうべ 年ばかりが本当に自分のものだといえようか。たとえ山深こり笑 0 て、「昨夜の夢見がよかったのは、めで鯛という しらせ すだれ い里に隠れ住もうと、海辺のあばら屋の簾の陰で世間に知魚をいただく兆だったのでしよう」というと、さっそく庖 つい むね たが そむ さい にう
しき事、いつよりおそろし。母とりさへて、「先づ、我がところにこよ。よん一「取り支ふ」。仲裁して。 ニ昨夜。「よべ」に同じ。 べよりのたまひし事、つばらかに云ひきかせて後、ともかうもなるべし」。曾 = くわしく。底本「委細」と傍書。 五ロ 四心こ・もるさ士 一イロ 物二いかりにらみたるも、さすがに子とおもひて、おのが所へ人る。母なくなく = 若く、考えの足りない私は。 六生死の分別も簡単で、後悔す かしら 春意見まめやか也。五曹頭を上げ、「いかにも申すべき様ぞなき。若き身は生死ることもありません。 七「割り」は道理。道に背くこと。 のさたもすみやかにて、かなしからず。財宝もほしからず。父ははにつかへず〈意志「む」を襁調したいい方。 九「給へよ」の訛った形。 して出でゆかんが、わりなき事とおもへば、ただ今、心をあらためてん。罪い一 0 嘘とは思えない。五蔵の微妙 な心事を記す。 ゆる九 かにも赦したうべよ」と云ふつらっき、まこと也。母よろこびて、「神のむす = 結局は結ばれる機会もあろう。 一ニ嘘をつく者。ここは考え方の びたまふ縁ならば、つひのあふせあるべし」と、なぐさめつつ、父にかくと申まちがった者の意を含む。 かしらとうじ 一三酒造りの頭。杜氏。 こと 一三をさ す。「いつはり者めが言、聞き人るべからねど、酒の長が腹やみして、よべよ一四底本「ままこりやれ」 ( 「やれ」 二字に「すーと傍書 ) 。西荘文庫本 ら たび こめさけ り臥したり。蔵々のくまに小ぬす人等が、米酒とりかくす事、あまた度ぞ。ゅ「ままこかす」。漆山本「儘こかす」。 原文は不明。大系本を参考に、時 きて見あらためて後に、長が腹やみをもままとひやれ。この男なくては、一日時見舞ってやれ、の意にとる。 いか 一五「何ばかり」と読ませるか。 に何ばかりの費あらん。今ただいまぞ」と追ひはしらす。承りて履だにつけず、『名義抄』に「何イカニソ」。 一六諸本「し」を欠く。 ただ片時に見めぐりて、「まう候」と申す。「渋ぞめの物似あひしは、福の神の宅→ ( 約一一時間 ) の半分。ここ ニ 0 は短時間の意。 御仕きせなり。けふをはじめに、くる春のついたちまでは、物くふとも、用へ穴「まゐり候」の略。 ( 現代語訳三七四謇 ) つひえ 一八 五 し六 う
411 樊下 「そのあたり、縄でもないかーという。見ると、麻縄の太 いってここから中にはいる。かの金蔵と思われる建物は、 いものが束ねて置いてある。「こういう物がござる」とい まことに厳重にこしらえてあって、さて、どこからどうや おのれ う。樊喰が、「その縄、貴様らのどちらか一人、己の体に ってと思案する。しばらくして樊噌、「うまい考えがある ぞ」というと、廊下の柱に取りついてよじ登り、その廊下よくくくりつけ、物を伝って上って来い」と指図する。 はしご のきば の軒端から鳥獣でも飛ぶように蔵の屋根に飛び移った。上猿、わが身に麻縄をよく結びつけ、月夜に梯子一一階まで引 き上げさせ、これを壁に立てて這い上る。「もう少しだ」 から、「貴様たち二人もその柱伝って上がって来い。この あせ しやくじよう 屋根までは移れまい。この錫杖にしがみつけ」といって錫と小猿焦るところを、樊噌また、錫杖差し伸べて引き上げ る。「この綱を使って、金箱くくり上げろ」と下の月夜に 杖を差し下ろす。この両人も、盗人だったから身は軽い。 の いう。「心得た」と金箱を二つしつかり縛りつけ、「さあ」 するすると廊下の屋根に上ると、錫杖をたよりに上に引き という。樊噌これを、釣瓶で水汲むようにいともやすやす 上げられた。瓦を四、五枚剥ぎ取り、屋根の棟のあたりの と引き上げた。開けてみると、二つの箱に黄金二千両が納 折板を、紙でも破るように引きはがすと、「さあ、誰もは えり いってはならぬぞ。帰れ、帰れ」といいながら、二人の襟めてある。月夜が更に一つ引き上げたあと、今度は縄で縛 ぎようぎよう くび 首をつかんで中に投げ降ろす。夜ふけて物音仰々しく響って蔵から降ろしにかかる。村雲が待ち構えていて、抱え きわたるが、家の者たちがやすむ所には遠く、気がついて降ろす。さて樊噌、二人の者をまた廊下の屋根に渡してお おのれ いて、己は気が急かれたか、蔵の屋根から一気に飛び降り 起きて来る者もいない。上から、火を切り出して火縄につ にな け、また放り込んだ。二人の者が見まわすと、確かに金蔵た。かすり傷一つ負わず、金箱を荷わせ石垣の穴から這い はしど にちがいない。二階から梯子を伝わって降りてみると、金出すと、皆、口々に言った。「樊噌殿のおん働きぶり、何 えとく 銀を納めた箱が、小山のごとくに積み重ねてある。「目当回も修練を重ね、会得し尽した人のようでござる」。樊喰、 ては黄金」と、一箱、二箱肩にかつぎ、二階まで這い上っ箱の金を取り出して村雲にいう。「冷や飯食わせ、金百両 たが、「さて、これからどうしたものか」という。樊噌、 恵んだ恩を、仰々しくも『命助けてくれた』などとぬかし むね つるべ かか
は、遠く旅をせぬという教えは、東国の者でも知っておろ に、学び習う道などがあろうはずもない。東国の者は、心 いなかもの 猛々しく田舎者で、素直な者は愚直であり、賢げに見える う」といって盃をすすめる。自分では「魚類は生臭くてか かぶら かんねい 者は奸佞であってたいして頼みにはならないが、故郷に帰なわぬ」と、袋の中から大きな蕪を干し固めたものを取り 五ロ 一三ロ 物って隠れ住むよい師匠を探し出し努め励むがよい。ものの出して齧り始めたが、その顔つき、童顔であるのもまた恐 さと 雨 深みを体得してこそ己の芸というものじゃ。酒を飲め、夜ろしい。「どなた様も同じお考えでお諭しくださるからに の寒さ、身にしむわい」と仰せられる。 は、明日は都にと考えておりましたが、もう上りますまい。 やしろ 社の後ろから、法師が一人出て来て、「酒は、戒律を破お教えに従って、書物も読み、歌の道に励むことにいたし こゆるぎ らせやすいが、また、醒めるのも早い。今夜は一杯いただ ます。小余綾の漁夫にすぎぬ私も、志す道に道しるべを得 すわ くとしよう」といって、神の左隣に高あぐらをかいて坐る。 ることができました」と若者、喜んでいう。盃、幾回かま わるうち、「そろそろ夜も明ける頃でございます」と誰か 顔は丸く平べったく、目鼻つき輪郭がはっきりしている。 たずさ かんぬし が申し上げる。神主も酔っているのであろうか、矛取り直 携えた大きな袋を右脇に置いて、「さあさあ、盃を持って のりと まいれ」という。女房が取って差し上げる。この女房、扇 して立ち上がり、祝詞を読み始めたが、老人のことなので を取って「から玉や、から玉や」と謡い始めたが、その声、いかにもおかしく聞える。 いとま つや こんごうづえ 女らしく艶があるのが、これまたかえって薄気味が悪い。 修験者、「さて、お暇をいただくとしよう」と金剛杖取 法師がいう。「いくらおまえが扇で飾っても、太くて長い り上げ、若者に向って、「これにつかまれ」という。神は いちもくれん しつ 尻尾そのままでは、誰ぞ袖など引くものか」。「若者よ。神扇を取り直して、「一目連がここにおって、手をこまねい ぬすっと あお ておるわけもあるまい」と、若者を空に向って扇ぎ上げる。 の教えに従って早く帰るがよい。山にも野にも盗人がおっ こずえ て、たやすくは通してくれぬ。ここまで来られたことが優猿と兎は手を打って、げらげら笑っている。修験者、梢の どんげ こわきはさ しゅげんじゃ あたりで待ち受けていて、飛んで来たこの男を小腋に挟ん 曇華の幸いというものじゃ。修験者が関東に使いに下るか で飛び去って行く。法師は、「あの男め、あの男めーと笑 ら、その衣の裾にでもっかまって早く帰れ。親のあるうち 370 すそ おのれ かしこ
く」とお止め申し上げた。一夜、帝、夢をご覧になったが、 00 その夢の中で、先帝が御製を声も高々と、 けさの朝け鳴くなる鹿の其の声を聞かずばゆかじ夜の 血かたびら 五ロ 11 = ロ ふけぬとに 物 一雨あめおしくにたかひこのすめらみことかいびやく ( 今日の朝は、鳴く鹿の声を聞かなければ去らぬであろう。 天推国高彦天皇、開闢より数えて五十一代の帝として、 どう き まつりごとえいらん 夜がふけても ) 親しく政事を叡覧あそばされてから、五畿七道の海の内、 おうか かんばっ はらつづみ 水害干魃ともになく、民は腹鼓をうって豊年を謳歌し、賢とお詠みになった。しばらく考えられ、御歌の意味を、鹿 りようきん つど 臣また良禽の木を選ばず巣くうがごとく集うたが、この佳の声とはご譲位のことと思い当られた。またある夜、夢に さわら みささぎ 運に際し、紀伝の博士、文字を精選して大同の年号を奏上先帝のお使いが現れて、「早良親王の霊が柏原の御陵に参 おんたいていかみの わ した。即位されて幾程もなく、御太弟神野親王を、東宮御って罪を詫びた。ただ、自分の血筋が絶えて供養がないこ ちょう かんむのみかど 所を造られて遷し給うたが、これは先帝桓武帝の厚いご寵とを訴え嘆いていた」と申し上げて帰っていった。これも あいこた そうめい かみ 愛に応えられたことであった。太弟の聡明なること、上に お気持の気弱なゆえの、取るに足らぬ夢とお考えにはなっ ぎようつう ためし ある君として例がなく、広く和漢の書物に暁通され、草書たが、皇太子の悲運を、あってはならぬ何かの暗合のよう すどう れいたい 隷体の書にも秀でられ、唐人すら嘆賞して筆跡を乞い求め に解されて、崇道天皇と尊号を贈られた。僧侶、巫覡たち、 けんそう はら て帰ったという。この時、唐は憲宗の世であって、徳はお祭壇に上ってご祈疇申し上げ、悪霊を祓い清めた。近侍の しらぎ ふじわらのなかなり くすこ のずから隣国に通じ、交わりを求めて通って来たが、新羅臣、藤原仲成、妹の薬子の二人、「占うに、夢に六つの別 なら あいそうおう そうみつぎもの の哀荘王また、古例に倣って数十艘の貢物を献上して来た。 があると申しますが、その吉凶によって、天地運行の理が みかど みこころ いちず 定まりましようか。御心のあまりの素直さに、悪霊が寄り 帝は善良一途な柔和なご性格でいらせられたので、早く っ みくらい いずものひろなり 東宮に御位を譲りたいと考えられ、内々にご沙汰があった 憑くのでございましよう」と言って、出雲広成に命じ、御 はか が、大臣、参議の臣たち、「そのようなこと、いましばら薬調製させて差し上げた。一方、参議の廷臣たちは謀り合 ( 原文一三一 ) うつ はかせ みかど よ
もろこし ばんばんまつりごと て通ってお仕え申し上げる者もあり、まして民は新都に移 ばされた。万般の政事行われるにも、唐土の律法からすぐ ろうとしなかったから、この奠都、誤りであったと考えら れた先例をとって試みられたので、世の中まるで国土まで せんと が唐風に改ったようだと、人々皆噂し合った。皇女のお慰れ、今の平安京を作られて、再びご遷都なされたのである。 とよいわまどくしいわ いしずえ 土を平らにし、礎高く築き上げ、豊石窓、櫛石窓の神々 みの歌にさえ、「木でもなく、草でもない竹のよの」とか、 のりと よみぶり こわごわ きず また、「毛を吹いて疵を求める」などと剛々しい詠風の歌に祈願の祝詞捧げてお移りになられたが、人心華美を追う くにぶり があって、国風の和歌を詠む人はおのずと口をとざしがち時の習い、いっかまた、廷臣の家も宮殿の大きさも、奈良 へいい の昔に帰ることになった。年寄の物知りたちは、「漢の賈 であった。平城上皇わずか四年でご退位あったのを、内心 まつりどと いにしえ いんしゅう ひとたびみくらい 嘆かわしく思った者も少なくなかった。「いま一度、御位誼が、夏、殷、周三代の古を慕い、『政事を古制に復せら かんし ひたい れよ』と進言申し上げたのを、当時の賢臣たちご諫止申し に復せられたくお考えなられたであろう」などと、額をつ もっとも さがのみかど け合い、ひそかに語り合ったという。嵯峨帝も、上皇の胸上げたのはまことに尤ななされ方であった」と、漢書の賈 たた おおとものみこ はか のうちを量られ給い、弟君、大伴皇子を皇太子に立てられ誼伝の巻を探し出し、今の御代をありがたく讃えたという ことである。 上皇をお慰めになられたが、これは貴いご思慮によるもの 嵯峨上皇、ご隠棲の御所に、若く、はなやかに住わせら と世人皆申し上げた。 すす もろこし しこう さがの れ、伺候する者に、ただ「唐土の書物を読め」と勧め給う やがて帝も御位を降りられ、嵯峨野という山陰の里に、 なくせき そうしよれいしょ そろ なら ぎよう かやいにらき た。草書、隷書、ともに習熟され、更に多くの墨跡を唐土 帝堯の例に倣い、茅茨剪り揃えぬ質素な宮殿を造らせて くうかい かん 女 移り住われた。このことについていえば、そもそも先帝桓に渡る船便に求められたが、ある時空海を召されて、選ば しんびつ おうぎし 津武天皇、奈良の都の唐風の構えをわが国の古例にそわぬもれた書の一つを「これを見よ。王羲之の真筆である」とお みずがきふしがき おな 天 示しになった。空海、これを手に受けて拝し、「これは、 のと思し召され、瑞籬、柴籬の簡素な宮殿に還されようと、 山城に奠都召されたものと思われる。しかしながら、新都空海がかの国にありました時、手習いに模筆した筆の跡で ながおか ございます。これをご覧くださいませ」といって紙の裏を の長岡あまりに狭く、廷臣たちの中には私宅を奈良に置い ていしん うわさ かえ いんせい
しているのである。例えばこの両図、僧の頭と両足を三角 この詐欺僧譚、 絵「青頭巾」に関連形で結んでみると、その位置に一致が認められるばかりで のがあったとすれば、なく、図の左下の人物群と同じような形で対置しあってい 楽話者が荒廃した草て、仮に『懐硯』の僧の背景に右上から左下への斜線を一 ろうぜき イ獄庵の狼藉の由来を本補ってみると、たちまちに一致してしまうことが分るの である。そうした基本的な構図の類似のほかに、岩と濯木 ′る村の翁にたずね、 て翁がそれにこたえを配した構図にも類似があって、両図のあいだに関連があ るという話の形式ったことは疑うことができないようである。この「青頭 のが「青頭巾」の構巾ーの挿絵を描い たとされる桂眉 巻成と重なっていた 仙、さすが見事に 硯点にあったが、こ 『うした構成の類似緊張した図に書き 以上に具体的なか変えていたが、一 西 たちで両話の関連存でこの図柄を選 んでいたとは考え の深さを語っていたのが、挿絵同士の関係であった。 『懐硯』の挿絵は、空楽が象頭山の頂から飛翔するところられない。そこに が描かれていて、いかにも不安定な図柄である。これにくは作者秋成の指示 らべると「青頭巾」の方は、僧の足が大地についていて安があったと考える 定しているばかりでなく、図柄としてもしつかりしている。のが自然である。 つまり、題材の しかしこの二つの絵、図柄としてまったく異なっていたに もかかわらず、個々の部分は奇妙といっていいほどに対応共有を前提にして 『懐硯』と構図の酷似した「青頭巾」の挿絵。 かんく
て、黄金五枚あったのを頼みに旅人に姿を変えて長崎の港 てどことも知らず逃げ失せた。父親と兄とは、深みにとも にさまよって来た。この土地で淋しく貧乏暮しをしていた 4 に沈んだまま上がることができないで、凍えに凍えて死ん ころ ごけ でしまった。村じゅう大騒ぎになって大蔵を追いかけたが、後家のところに転がり込み、また博奕の修業に励むうちに、 五ロ 一三ロ なりきん おれ 物手並みのほどは見たとおりだったから、代官所へ駆けつけ、勝運に乗ってとんだ成金になった。「俺は金持だ」とい 雨 っては酒を出させ、朝から晩まで酔っぱらって無茶苦茶な これこれでございますと訴え出た。「さてさて、憎つくき もと まるやま あしばや ついぶ 大罪人である。追捕のうえ、重罪に処してくれるわ。足速のがこわくなって、この後家、大蔵の許を逃げ出し、丸山 な奴ゆえ、今は既にこの国にはおるまい」といって、姿絵の遊廓に裁縫に雇われていたのを頼って、「隠してくださ なぬし れ」と頼み込んで隠れていた。大蔵、酔いから醒めて、 に書いて触れ回して捕えることにした。村の名主がいう。 すがたかたち 「どこにおる」と呼んだが姿が見えない。「さては、俺が我 「この山里には、絵を書く者などおりませぬ。ただ姿形を きら まましうだい 説明書に書いて、触れ回してくださりませ」。代官、「それ儘の仕放題なのを嫌って逃げ出したか。いつも丸山の何と めんう かいう家へ行くと話していたから、きっとそこにおるにち もそうだ」と、「身のたけ五尺七寸ばかり、面貌恐ろしく、 くわ がいない」と追いかけて行き、「俺の女を返せ」と荒々し 肥満の体、ロもよく立つ」と精しく書きつけて、その旨、 く喚き立てる。店の主人も、家の者も、また、ここに泊り 諸国へ伝えさせた。 のが 合せていた客たちも、「どうした、どうした、鬼でも来た 大蔵、追手をうまく逃れたが、かくなるうえはと遠く筑 しようじ ばくち とうりゅう はかた 紫に渡り、博多の港にしばらく逗留するうちに、また博奕か」と大騒ぎする。大蔵、部屋の障子を蹴払い、此処彼処 打ちの仲間にはいり、どうした運のめぐり合せか勝負に勝えらぶところなく乱人したが、まず酔いが醒めたからと、 さかなけち しカ・しカ って銭を多く得た。そのうちここにも、「これこれ然々の散らばっていた盃を取り上げてがぶがぶ飲む。肴の鉢や何 さか ぶらい や手当りしだいに取って食ううちに、気力ますます旺んに 大罪人を捕えよ」との触れが回って来た。仲間の無頼ども なって、「俺の女を出せ」と踊るがごとく暴れ狂う。奥座 大蔵のことにちがいないと目くばせするのを見て、大蔵い もと しき ち早くここを逃れ出し、「銭は重い」と木立の下に投げ捨敷に唐人が泊って遊んでいたが、大蔵そこにも乱人して、 ( 原文三一〇ハー ) てい ゅうかく わめ こがね さび さ おくざ わか
ロ 一口 物 月 ワ」 羅子撰水滸。而三世生唖児。紫媛著源語。而一旦堕悪趣者。蓋為業所 偏耳。然而観其文。各奮奇態。喩哢逼真。低昂宛転。令読者心気洞 越也。可見鑑事実于千古焉。余適有鼓腹之閑話。衝ロ吐出。雉竜戦。 自以為杜撰。則摘読之者。固当不謂信也。豈可求醜唇平鼻之報哉。明 和戊子晩春。雨霽月朦朧之夜。窓下編成。以界梓氏。題曰雨月物語。 云。剪枝畸人書。 一一千年前の古事も目前に見るよ うである。 一ニ自分には。 一三太平の世の無駄話。「鼓腹」の げを、にし、 4 うか 出典は中国の「撃壌歌 一四口からほとばしって。 かなえ 一五雉が庭の鼎に鳴き、竜が野に せんとうしんわ 戦う ( 『剪灯新話』序 ) ような怪談と なった、の意。 一六根拠のない話とする 宅真実というはずのないものだ。 一ハ「醜唇平鼻」は兎唇と鼻欠。人 を迷わすことはないから、子孫に 障害者が出るわけはない、の意。 一九明和五年 ( 一七六 0 。 しよし ニ 0 板行する書肆。 きばさみ 一 = 著者の戯号。「剪枝」は木鋏で、 秋成の手指の障害をさすと考えら れている。 一三「子虚」は『文選』巻七の「子虚 賦」に載った人で、いたずらに変 ったことをいう人、「後人」はその 子孫、の意。 ニ三虚実人り混じった小説の執筆 ござっそ を「遊戯三昧之筆」 ( 五雑俎 ) といっ た。そこから創られた戯印。