者 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語
451件見つかりました。

1. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

は、遠く旅をせぬという教えは、東国の者でも知っておろ に、学び習う道などがあろうはずもない。東国の者は、心 いなかもの 猛々しく田舎者で、素直な者は愚直であり、賢げに見える う」といって盃をすすめる。自分では「魚類は生臭くてか かぶら かんねい 者は奸佞であってたいして頼みにはならないが、故郷に帰なわぬ」と、袋の中から大きな蕪を干し固めたものを取り 五ロ 一三ロ 物って隠れ住むよい師匠を探し出し努め励むがよい。ものの出して齧り始めたが、その顔つき、童顔であるのもまた恐 さと 雨 深みを体得してこそ己の芸というものじゃ。酒を飲め、夜ろしい。「どなた様も同じお考えでお諭しくださるからに の寒さ、身にしむわい」と仰せられる。 は、明日は都にと考えておりましたが、もう上りますまい。 やしろ 社の後ろから、法師が一人出て来て、「酒は、戒律を破お教えに従って、書物も読み、歌の道に励むことにいたし こゆるぎ らせやすいが、また、醒めるのも早い。今夜は一杯いただ ます。小余綾の漁夫にすぎぬ私も、志す道に道しるべを得 すわ くとしよう」といって、神の左隣に高あぐらをかいて坐る。 ることができました」と若者、喜んでいう。盃、幾回かま わるうち、「そろそろ夜も明ける頃でございます」と誰か 顔は丸く平べったく、目鼻つき輪郭がはっきりしている。 たずさ かんぬし が申し上げる。神主も酔っているのであろうか、矛取り直 携えた大きな袋を右脇に置いて、「さあさあ、盃を持って のりと まいれ」という。女房が取って差し上げる。この女房、扇 して立ち上がり、祝詞を読み始めたが、老人のことなので を取って「から玉や、から玉や」と謡い始めたが、その声、いかにもおかしく聞える。 いとま つや こんごうづえ 女らしく艶があるのが、これまたかえって薄気味が悪い。 修験者、「さて、お暇をいただくとしよう」と金剛杖取 法師がいう。「いくらおまえが扇で飾っても、太くて長い り上げ、若者に向って、「これにつかまれ」という。神は いちもくれん しつ 尻尾そのままでは、誰ぞ袖など引くものか」。「若者よ。神扇を取り直して、「一目連がここにおって、手をこまねい ぬすっと あお ておるわけもあるまい」と、若者を空に向って扇ぎ上げる。 の教えに従って早く帰るがよい。山にも野にも盗人がおっ こずえ て、たやすくは通してくれぬ。ここまで来られたことが優猿と兎は手を打って、げらげら笑っている。修験者、梢の どんげ こわきはさ しゅげんじゃ あたりで待ち受けていて、飛んで来たこの男を小腋に挟ん 曇華の幸いというものじゃ。修験者が関東に使いに下るか で飛び去って行く。法師は、「あの男め、あの男めーと笑 ら、その衣の裾にでもっかまって早く帰れ。親のあるうち 370 すそ おのれ かしこ

2. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

( 原文一一六一一第ー ) あしだ っている。袋を取って背に負い、低い足駄をはいてよろめ海に響きわたって海神を驚かせるほどであった。ひとり息 - こぞう き立ち上がったその姿、確かどこかの絵で見たことがある。子がいて、名を五蔵といった。父に似ず、生来風雅を好む 神主と法師は人間である。人間でありながら妖怪と交わっ優しい人柄で、手跡も見事なうえ、和歌や学問を好んで学 しらが まど び、また弓を取っては飛ぶ鳥を射落すほどで、優しい姿に て惑わされず、また人を惑わすこともなく、白髪になるま 似合わぬ雄々しい心を持っていた。常々、少しでも人のた で生きをした。すっかり夜が明けて、それぞれ森陰の自 めに位立っことを考えて、交わりも礼儀正しく、貧しい者 分のねぐらに帰って行った。女房と童女は、神主が「ここ あわ を憐れんで力を貸すことを身の勤めとしていたので、里人 に泊れ」といって連れ立って行った。 あだな は、父が無慈悲であるのを渾名して鬼曾次と呼び、子の五 この夜のことは、神主が百年も長生きして日課の手習い ぶつぞう をしたものの中に書き残したものがある。墨黒々とぶつき蔵を仏蔵殿と呼んで尊敬していた。出人りの者も、まずこ くつろ くず らぼうで、誰が見ても読むことができない。文字の崩し方の五蔵のところに立ち寄って寛ぐことを楽しみにして、同 じ家の中でも、自然、曾次のところには寄り付かぬように もおおかたは間違っている。自分ではよく書けたと思って なったが、父の曾次はこれを怒って、「無益な人間には茶 いたのであろう。 はりがみ を飲ませぬ」と書いて門の壁に貼紙し、訪れる者に注意を 配ってロやかましく追い返していた。 また、同じ一族に元助という者がいたが、長い間に家衰 死首の咲顔 すきくわ え、田畑わずかに所有しているだけで、主人みずから鋤鍬 咲 ゆた せつつのくにうイらのこおりうなご 首摂津国、兎原郡、宇奈五の丘は、昔から一村豊かに住みを取って耕し、母一人、妹一人をやっと養っていた。母は はたお さばえ 死 まだ五十にもならず、女の仕事の機織りや、麻を績み、糸 着いてきたが、鯖江姓を名のる者が特に多かった。酒造を ごそうじ 生業とする者が多かったが、なかでも五曾次という者の家を紡ぐ仕事にかいがいしく精を出し、自分のことは忘れて むね こめつ はことに豊み栄えて、秋になると、米搗き歌の歌声が前の立ち働いていた。妹は宗といって、またとない美人で、母 しくびえがお

3. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

うきだいせん もない。山の坊主が、人を威そうとでたらめをいったにち参った。怪しい男じゃ」と尋ねる。大蔵、「伯耆の大山に みのかさ さいせんばこ わし 3 がいない」と、折から雨も晴れたので、蓑笠投げ捨て火を登ったが、神のお咎めを受け、この賽銭箱と一緒に俺をこ たばこ こに投げ捨てて神は帰ってしまわれた」と答える。「なん 切り出して煙草をのむ。いよいよ暗くなると、大蔵ますま 五ロ おちば かみやしろ 物す図にのって、それでは上の社までと、茂みの中を落葉踏とも不可思議なことじゃ。その方また、つまらぬことをす 雨 る馬鹿者めじゃ。命いただいたこと、ありがたく思え。こ み分け踏み散らかしてどんどん上る。この間十八丁という。 おきのくにたくひごんげんみやしろ ここまで来て、さて何をしるしに置いて帰ろうかと見て回こは隠岐国の焼火権現の御社であるぞ」というのを聞いて、 ふたおや さいせん ると、賽銭をあげる大きな箱がある。「これを担いで帰っ大蔵、目口をむき出して驚き、「二親ある者でござる。海 を渡って里に帰らせてくだされ」という。「他国の者が理 てやれ」と、重い箱を軽々と打ち担ごうとしたところ、こ しようこく 由もなく渡って参った時は、規則によって、生国在所を問 の箱ゆらゆらとひとりでに動き始め、手足が生え出したか ただ やすやす い糺したうえ、送り返されることになっておる。しばらく と思うと、大蔵を易々と引っさげ空に向って飛び上がった。 そうしておれ。これを奉った後、わしの家へ参るがいい」 こうなってはさすがの大蔵も心ひるみ、「許してくれ」、 もと わめ といって、更に詳しく問い尋ねた後、神主、代官の許へ行 「助けてくれ」と喚き立てるが、返事はなくて飛び翔って ゆく。そのうち、波の音が恐ろしく鳴るのを聞くと、大蔵って申し上げるには、「今朝がた、神に供物を奉ろうと声 のりと 悲しくなり、この海に投げ込まれでもするのかと、今は精高く祝言を申し上げていたところ、何やらはらはらと手の いつばい箱にしがみついて頼りにする。やっと夜が明けた。上にこぼれるとみて、御戸を閉てて帰る夢を見まして・こざ る。驚き、急ぎお供物用意いたし、御殿に参りましたとこ 神は箱を地上に投げ降ろして帰って行った。 こうごう やしろ ろ、果して、松の木の陰に見知らぬ者が立っており申す。 目を開いて見ると海岸で、ここにも社があって松杉神々 いずこ うきのくに しらか かんぬし 『何処の者か』と糺しましたところ、『伯耆国の者である。 しく茂る中に立っている。神主であろうか、白髪まじりの ま けさ くもっ これこれのことをして、知らぬ間にここに参った』と申し 頭に烏帽子を着け、着古した白衣に、手には今朝の供物を せったく みとが まする。そのまま拙宅にとどまらしめ、訴え上げた次第で 台の上に捧げ持って歩いて来た人が見咎めて、「どこから おどか かっ かっ かけ た わ

4. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

完訳日本の古典第五 + 七巻雨月物語春雨物語 昭和年 9 月日初版発行 定価一九〇〇円 校注・訳者高田衛中村博保 発行者相賀徹夫 印刷所大日本印刷株式会社 発行所株式会社小学館 〒期東京都千代田区一ッ橋一一ー三ー 振替口座東京八ー一一〇〇番 電話編集 ( 〇三 ) 一一三〇ー五六六九製作 ( 〇三 ) 一一 三〇ー五三一一一三販売 ( 〇三 ) 二三〇ー五七六八 ・造本には十分注意しておりますが、万一、落丁・乱丁 などの不良品がありましたらおとりかえいたします。 ・本書の一部あるいは全部を、無断で複写複製 ( コピー ) することは、法律で認められた場合を除き、著作者およ び出版者の権利の侵害となります。あらかしめ小社あて 許諾を求めてください。 Printed in Japan ◎ M. Takada H. Nakamura 1983 ( 著者検印は省略 ISBN4 ・ 09 ・ 556057 ・ 6 いたしました )

5. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

367 目ひとつの神 ( 原文二五六 ) つの 馬に劣らず忙しく走り廻りながら、なおつらい世の中を渡心優しく生れ育ち、何事につけても風雅の思いを募らせて みやこ いた者がいたが、どうにかして京に上り、歌の道を学んで っている。「呆れ果てたことだ。仏に祈願しても、浄土に ・しきじき ゆくことはむずかしいこととみえる。生きているうちに努みたい、身分高いお方について直々に教えを受けたなら、 いこ 「花の陰に憩う山の民よ」と人にいわれるほどにはなれる めるべきことは、この世で身に付いた家業じゃ」と、この うぐいす おさ であろうと、西を志す気持が抑えられないでいる。「鶯は 一件を見聞した者たちは語り合い、子供にも教え聞かせて 田舎の谷の巣にいても、濁った声では鳴かぬと聞きます」 いる。また、「あの人定の定助がこうしてこの世にとどま といって親に旅立ちの許しを乞うた。「近頃は、文明享禄 っているのは、前世で定められた二世の縁を結んだにちが などり ゆきみちすじ の戦乱の名残で、往き来の路筋は断ちふさがれ、便が悪い いない」と笑っていう者もある。その妻となった女はとい いさ うわさ と噂をしておる」などと、親も一度は諫めてみたが、「ど えば、「どうして、こんな腑甲斐ない男を後夫に持ったの おち うしても思い込んだ道ですから」といって従わない。母親 だろう。落穂を拾いながらひとり暮していた昔が懐かしい。 先の夫よ、もう一度帰って来てくだされ。そうなれば、米も、戦乱の世に生きる人らしく、鬼のように無情でこそな こわ いが、気持強く、「早く行って、早く帰れ」と止めもせず、 麦はもちろん、身に着けるものにも事欠かぬであろうに」 別れを悲しむ様子もなく旅立ちをさせた。 と、人さえ見れば愚痴をこぼして泣いているということで とが たくさんある関所の手形も手に人れ、途中咎められるこ ある。なんとも不思議な世の中であることだ。 おうみのくに ともなく近江国にはいって、明日はいよいよ都だと思う心 おいそ がはやるせいからか、宿を取り遅れて、老曾の森の木立に まぎ 紛れ込んだ。今夜はここに野宿と覚悟して、松の根の枕を 目ひとつの神 探しに森深く分け人ってみると、風に折られた様子もない いなかもの のに大木が朽ち倒れている。踏み越えてはみたものの、さ 東国の人は情趣を解さぬ田舎者である。歌などどうして さがみのくにこゆるぎ 詠むものかと世間ではいう。相模国小余綾の浦に住む者で、すがに薄気味が悪く、しばらくは足も止った。落ち葉、 あき ふがい ごふ やさ

6. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

この剣、常に腰に着けておけ。守り神ともなるだろう」と 者が住んでいたが、東国の果てのこの地方には、並ぶ者も いただ いって剣を与えた。捨石丸これを押し戴き、「熊や俍など ない財産家であった。父の長者は、財産一切を子の小伝次 とよ のんき に任せ、終日酒を飲んで暢気に暮していた。姉娘に豊とい手捕りにしてくれ申す。鬼でも出て食いついたならば、そ の時は鬼去丸と名づけてくれますわい」といって、自分の う者がいたが、夫に先立たれてひとり暮すうち、親に許さ わき にうえんびくに れて尼となり、豊苑比丘尼と名を改めて仏道の修行に専念左脇に置くと、長者がまた祝いだといって酒をすすめるの で、酌をする童女「もう、升三つにもなります」と笑って していた。母親は既にいなく、この姉娘が家事一切を取り いつく 仕切っていたが、下の者を慈しむ心が深かったので、出人いる。 すずかぜ 「これは良い気分じゃ。野の涼風にでも吹かれようわい」 りの者たちもたいへんありがたく思って仕えていた。 ちどりあし たけ すていしまる と、捨石丸、千鳥足で席を立つ。長者これを見て、「これ 捨石丸と呼ばれる男、身の丈は六尺を越え、肥え太り、 くら 人にすぐれて酒を飲み、ものもよく食った。長者の気に人では与えた剣も失うであろう。帰り着くを見とどけよう」 あしもと と立ち上がったが、これも足許がおぼっかない。小伝次、 られて、酒を飲む時は必ず呼ばれて相手をしていた。ある 時、長者酒興のついでに、「おまえは酒をよく飲むが、酔父を心配して跡についてゆく。果して、捨石丸小さな流れ ひた のある所まで来て打ち倒れ、流れに足を浸したまま、剣は うと、野でも山でも所選ばず寝込むゆえ、石を捨てたよう あだな 頭の近くに打ち捨てて寝込んでしまった。「こんなことだ だという渾名で呼ばれておる。深く眠り込むならば、熊・ つるぎ 俍に食われないとも限らぬ。これなる剣は、五代目の先祖と思ったわい」といって長者が剣を取り上げると、捨石気 はびろ 丸 が力量を自慢して特に刃広に作らせたものじゃ。山野に狩がついて、「いったん与えた物をまた奪うおつもりか」と、 たけ 石 りするを好まれたが、ある時荒熊に出会い、猛り狂う牙む主人であることも忘れてつかみかかった。父は捨石の力に あおむ 捨 はかなわなかったので、剣を持ったまま仰向けに倒れると、 き出して立ち向って来たのを、この剣を抜いて腹を刺し、 四首を切 0 て帰られてから、熊切丸という名で呼ばれてお捨石がその上に馬乗りになる。小伝次遠くからこれを見て、 走り寄って捨石を引き倒し、父を助けようとしたが、カ弱 る。おまえはきっと酔いつぶれて食われてしまうだろう。

7. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

暮せることがうれしい」と、時々まわりの者に話をして満近いというのにまだ考えが稚く、とても心配でなりませぬ。 さと 足そうであった。 時々は意見して、家運を衰えさせるなとお諭しくだされ」 しらがあたま この掘り出された男はといえば、時々腹立ち顔に目をむという。息子の里長は、「白髪頭になりましてもいっこう 五ロ 1 三ロ じよう 物いて、小言ばかりいっている。定にはいった者だからとい賢くなりません。私が稚いとお心にかけてくださることを にゆうじようじようすけ 雨 うので人定の定助と名を呼ばれて五年ほどこの家にいた ありがたく思って、一所懸命家業に精を出しましよう。今 ごけ が、この里に住む貧しい後家のところへ人婿にはいってい は念仏を唱えて心静かに臨終を迎えられることだけ願うて った。年はどれほどか自分で知らなくても、このような男おります」というと、母親は「あれをお聞きくだされ。あ 女の交わりだけはするものとみえる。「やれやれ、仏法が のように愚かなのでございます。私は、仏に祈って浄土に ちくしようどう いう仏因の結果がどんなものか、目の前に証拠のほど見せ生れたいとも思いません。また、畜生道とかに堕ちて苦し うわさ られた」と、その里はもちろん、隣の里でもひそひそ噂し んだとてどうしましよう。考えてみるに、牛も馬も苦しい 合うので、土地の法師は怒って、「偽り事だ」とロ悪くあ ことばかりではなくて、また楽しい嬉しいと思うことも、 ざけって説教したが、耳を傾ける者はしだいに少なくなつ見たところありそうでございます。人間だとて楽しいばか りではなくて、生きてゆく有様は牛馬よりもかえってあく また、この里の里長の母が、八十の歳まで長生きして、 せくしております。正月が来るからと申して、染めたり洗 まぎわ わん 今は重い病で死のうとする間際に医師に話していった。 ったり衣類の準備に気を配るのも大層なことであるし、年 「やっと物事が悟れるようになりましたが、いっ死ぬとも貢を大切なっとめとしながら、納めるはずの者が家に来て しれませぬ。今日まで長生きできたのは、ただただいただ 愁嘆申すのも、たいそういやなものでございます。もう目 いたお薬のおかげでございます。あなたには長年ご懇意に をつむってものも申しますまい」といって、臨終を自分か 交際していただいてまいりましたが、これからもお元気で ら知らせて死んだということである。 おられるかぎり、変りなくお訪ねくだされ。息子は六十に かの入定の定助は、駕籠舁き人足や荷担ぎとなって、牛 さとおさ かごか おさな にかっ お

8. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

て女の命乞いをする。致し方もない。その事件はそのまま そのような訳がありまして、客僧を見誤ったのでございま すと言った。 打ち棄てて、その家から出発したのだが、後日、またつい たんな でがあって、その村里を通り過ぎた時に、田圃の中で人だ 快庵褝師はこの話を聞かれて、「世には奇怪至極な話も あるものですな。およそ人の身と生れながら、仏菩薩の広かりがして何かを見ている。僧も立ち寄って、『何事であ るかな』と尋ねると、村人が答えて、『鬼に化けた女を捕 大な教えも知らず、愚かなまま、そして心のねじけたまま よこしま に死んでゆく者は、その愛欲や邪な心の悪業に引きずられえて、たった今、土中に埋めたところだ』と語ったという て、ある場合は、そのものの過去の本来の形・獣の姿を暴ことである。 たた じゃ しかしながら、これらは全部、女子の話であって、男た 露して怨みを報い、ある場合は鬼と化し蛇と化して祟りを むかし したりする、そんな例は往古から現在に至るまで数えきれるものがこうなったという例はまだ聞いておらぬ。およそ、 いや ないほどに多い。また、生きながらにして鬼に化した例も女にはねじ曲って賤しい本性があるために、このようにあ そおう やしゃ ある。たとえば楚王の女官は大蛇となり、王含の母は夜叉さましい鬼・悪霊にも変身するのである。また、男性の場 しように ましゆくをう ずいようだい ごせい となり、呉生の妻は蛾になった。また、これも昔のことだ 合でも、隋の煬帝の臣下の麻叔謀という者は、小児の肉が が、ある僧が旅の途中、みすぼらしい家に泊った時、その好物で、人に隠れて庶民の子供を盗み、これを蒸焼きにし て食べたということがあるが、これは異国人のあさましい 晩は雨風が烈しく、灯火ひとつないわびしさに寝つくこと 頭ができないでいると、夜ふけに羊の鳴く声が聞えたが、し野蛮な風習であり、ご主人のお話しになったのとは違うよ 青 ばらくして僧の眠りをうかがいながら、しきりににおいを それにしても、その住職が鬼になったのこそ、過去の因 之嗅ぐ者がいた。『奇怪な』と僧はみてとり、枕許に置いた ひごろ 〕んじよう 禅杖を取って強く一撃すると、その者は大声で叫んでその縁というのであろう。そもそも平常、修行・人徳に秀でて 場に倒れた。この物音で、あるじの老女が出て来て、灯火いたのは、仏への奉仕に真心をこめて勤めたのであるから、 その少年を引き取りさえしなければ、あわれ立派な高僧で で照らしてみると、若い女が倒れていた。老女は涙を流し おうがん ねん ひい いん

9. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

( 原文一二三三謇 ) あるじ 夜もすがら話でもお聞きしたい。この主、わたしの甥に当者、恨みがないと思うてか。公儀には、さような不心得者 る者。病がちにて気力も乏しい。飯炊くことは拙者の小者取り押えんため、しかとした用意がある。人を殺し盗み多 むく つかまっ く働きながら、その報いの命、百年を保つことあろうはず が仕る。分ち合って食べてはいかがじゃ。別にお求めなさ おのれ たばこ らぬがよい」という。親切な言葉に両人安心して煙草を吹がない。わし、聞くに、『盗人と申す者、己の罪を知って かえ かし、湯を飲んで世間話をする。武士が、「貴僧はたいそ良民に還ることもならず、若くして罪を正され、殺される ことよく覚悟しておる』と申すぞ。おまえたちこれとは異 う強そうで目つきも恐ろしい。大男殿は、どうなされたか、 かたなきず なるのか。乱世ならば、英雄ともいわれたであろう。しか ひたいに二か所刀疵が見受けられる。わずかの米の価に小 しながら、太平の治世既に久しく、公儀の威光も行きわた 判一両出されたが、金持殿が旅するとも見えぬ。血気に ばくち っておるゆえ、おまえたちも盗賊の罪によって獄にかけら 任せて博奕打つか、あるいは盗み働いて暴れ歩く方々か」 ゅうべ れるであろう。今更やめたところで、既に大罪を犯した身 と尋ねる。村雲、「いかにも盗人でござる。昨夕、うまい こがね わらづと ならば、ついには捕えられるはず。無駄ロたたいてふざけ 仕事に恵まれ、黄金たつぶり藁苞の中にござる。多過ぎる にら からだあふ おるか」という。樊噌これを睨みつけ、「カは身体に溢れ も邪魔ゆえ、どうして使おうかと思案していたところじ おって ておる。これまでも、追手から逃れおおせたことたびたび や」という。武士、「先ほどより、そのように察してはおっ た。その男ぶり、僧の様子、いかにも一廉の悪党と見て取じゃ。運強く寿命あるなら、罪などあっても逃れられるわ ちりあくた い」という。村雲、そばから「老いぼれめが。念仏唱えて った。命を塵芥に思いなして暴れ歩く。乱世ならば、あっ 下 ばれ豪傑の評判をとり、国を奪って敵を恐れさせたであろ極楽参り願うがいい。ここの坊主、甥子と聞いたが、一子 ちょうだい うに。勇ましい限りじゃ」という。樊喰がいう。「盗人だ出家すれば九族幸いを得るとやらの利福のおこぼれ頂戴し あざけ ようと、ここに泊って念仏なされるか」と嘲り笑う。武士 からとて、命は惜しいぞ。財宝得るはたやすいが、命保つ がいう。「老いたりといえども武士。主君に仕えて忠誠を ことはむずかしい。百年の寿命を盗む法、知っておったら かす 教えてくれ」。武士からからと笑って、「財宝掠め取られた尽すほかに願いはない。寿命も天の命ずるまま、長くても やまい ひとかど せっしゃ おい おいご

10. 完訳日本の古典 第57巻 雨月物語 春雨物語

ふもと て勤め明かすということである。その麓の里に、毎晩若い 難波がた汐干にたちてみわたせば淡路の島へたづ鳴き ばくち ぶらい わたる 無頼どもが集って酒を飲み、博奕を闘わせて遊ぶ宿があっ ( 難波潟の干潟に立って遠く見わたすと、淡路島に向って鶴た。今日は雨が降って野山の仕事を許され、昼頃から集っ が鳴きながら渡ってゆく ) て、ほら話に打ち興じていた者のなかに、腕力を頼んでロ なまいき という歌がある。これもまた、同じ眺めを、同じ趣旨によ生意気な男がいた。皆は憎らしがって、「おまえはロでは のな って詠んだものである。昔の人は心が素直で、人の歌を盗強そうなことをいうが、お山に夜上ってしるしの品を置い きもたま て来てみせろ。できぬというなら、カはあっても胆っ玉は むという気持はなく、感慨を正直に述べたのである。歌に たいしたことがないーと大勢の中で恥をかかせた。「そん 詠まれた内容は、自分の感動のままであり、また、対象と なった海岸や山の様子、花の色や鳥の声も、いつ、誰に対なことはなんでもない。今夜にでも上ってしるしの品、確 かに置いて来てみせる」というと、たらふく酒を飲み腹に しても、違いがあったはずはない。ただただ、心に感動を みのかさ こさめ 覚えたことを、素直に詠んだのである。これをこそ、歌の も詰め込んで、小雨の中を、蓑笠を着けてすぐに出て行っ としかさふんべっ 誠の道というのである。 た。仲間の中に年嵩の分別有る者がいて、「つまらない争 きやっ 彼奴、きっと神に引き裂かれて殺され い事をしたものだ。 , まゆ 上 るであろう」と眉をひそめて注意したが、ことさら出て行 はん って止めるわけでもない。 樊噌上 れ この大蔵という男、足もたいそう速かった。まだ日が高 ま まわ 椴うきのくにだいちだいごんげんみ いつの世のことかは知らない。伯耆国、大智大権現の御いうちに御堂のあたりまで登り着いてあたりを見て回るう の 歌 - やまだいせん ちに、しだいに陽も傾き、恐ろしげな風が吹き始めて、檜 山、大山には、恐ろしい神が住んでいて、夜はもちろん、 ひと さる 昼でも申の頃 ( 午後四時頃 ) を過ぎると、寺の僧でさえ下の森、杉の林もざわざわと音を立てる。暮れ果てて人けが ごんぎよう ないのをかえって得意に、「このあたり、別に変ったこと るべき者は御山を下り、勤行に励むべき者は御堂に籠っ かい ひのき