一三 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄
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1. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

芭蕉文集 2 あ行 亠めか / , 、、レ」 秋風や 秋涼し 秋十とせ 秋の日の雨 あきをこめたる あけ 明ばのや あさがほや 足駄はく 暑き日を あつみ山や あの中に あふ 扇にて 海士の顔 あまや 蜑の家や 雨に寝て ぐさ あやめ艸 荒海や 初句索引 嵐山 あらたうと 八 0 有明に 一九有難や 八 0 いギ、もに いざ行む いざよひも 一一九石山の いちびと 一九市人よ = 0 一一偽せめて 三八命二つの 七六芋洗ふ女 うゑ 実 いも植て いもの葉や 四 0 うきふしゃ , つき我を うすひ 耄碓氷の峠 = 八宇津の山 六三卯の花に 大一大卯の花を 一、芭蕉文集の本文中に改行して掲げた俳句・連句 ( 長句五・七・五、短句 七・七 ) および和歌の初句を、歴史的仮名づかいにより、五十音順に配列 した。和歌は初句の下に ( 歌 ) と示した。 一、下の漢数字 ( 一一一三など ) は本文のページを示すものである。 八九馬に寝て 五三馬をさへ 空海くれて 七三梅こひて 一一三梅白し 三四梅の木に 哭送られつ おこらご 八一御子良子の おひ = 0 笈も太刀も 九五大峯や おもかげ 一一一一俤や 一六おり / 、に ( 歌 ) 一宅 か行 かきつばた 八九杜若 かけはし 九一桟や いのちをからむ 九四 九五 ー先おもひいづ 六九笠嶋は 夭かさねとは かし 一五樫の木の かたつむり = 0 蝸牛 語られぬ 一一三歩行ならば 一一 = 神垣や からさき 三七辛崎の 四九かりかけし かれしば 三七枯芝や か 六一香を探る きさがた 九七象潟や ー雨に西施が ー料理何くふ 木曾のとち きつつき 木啄も きめた 四三碪打て きゃうく 狂句木枯の 四八京までは 哭霧しぐれ 六一一霧晴て 五五草の戸も . . . 三 - 匕ツし 三四 . 五 . 四 、五 . 四 - 七 - ヒ

2. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

( 現代語訳一一〇九ハー ) らんかん 一三高い欄干。二階の手すりのこ とであろう。 一四夏の夜、かがり火を焚いて鮎 を寄せ、飼い慣した鵜を使ってこ れを捕る漁。 一五見物に値するもの。 一六「けるらし」の約。「けり」の婉 曲表現で詠嘆をこめる。 しよう 宅中国湖南省洞庭湖にそそぐ湘 しよら・すい すい 水のこと。はるか上流で瀟水が合 かしまうぢ すいろう みのゝくにながら川にのぞんで水楼あり。あるじを加嶋氏といふ。いなば山、流し、それ以降を瀟湘と称する。 しようしよう 一 ^ 前記湘水 ( 江 ) の八景。瀟湘 てらすぎひとむら うしろ へいさらくがん らんざん 後に高く、乱山、西に重りて、近からず、又遠からず。田中の寺は杉の一村に夜雨・平沙落雁・遠浦帰帆・山市 5 き晴嵐・江天暮雪・洞庭秋月・煙寺 めのところ みんか かくれ、きしにそふ民家は竹のかこみのみどりも深し。さらし布、所み、に引晩鐘・漁村タ照。 せつこう 一九西湖は中国浙江省杭州にある ぎよそんのき ぶね さとびとゆき はヘて、右にわたし船うかぶ。里人の往かひしげく、漁村、軒をならべて、あ湖。名勝古跡が多い。銭塘湖・上 湖・西子湖とも。 九 ニ 0 西湖十景 ( 十境 ) のこと。花港 みを引、釣をたるゝおのがさまみ、も、たゞ此楼をもてなすににたり。 ぶんおう 観漁・柳浪聞鶯・平湖秋月・雷峰 力し ばかりいりひ タ照・曲院風荷・南屏晩鐘・双峰 暮がたき夏の日もわするゝ計、入日の影も月にかはりて、浪にむすばるゝ 挿雲・蘇堤春暁・三潭印月・断橋 うかひ かうらん のかゞり火のかげもやゝちかう成りて、高欄のもとに鵜飼するなど、まことに目残雪。 ニ 0 ニ一ただこの涼風の一つの味の中 み とを せうしゃうや ざましき見ものなりけらし。かの瀟湘の八ツのながめ、西湖の十のさかひも、 LO 一三『笈日記』および諸本「思ひた もしこのろう りゃうふういちみ 涼風一味のうちにおもひこめたり。若此楼に名をいはんとならば、十八楼とめたり」と誤る。 くれ ひきつり じふはちろう 五みのゝくに ( 十八楼ノ記 ) かさナよ 六 このろう一 0 い九 四 あゆ

3. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

一四「うかれは西行の好んで用い た語。魂が風雅を求めて山川水沢 に浮かれ出ること。 一五現、東京都中央区東日本橋三 丁目。両国に接する所。彦右衛門 方に借家し、五月中旬、新築なっ た芭蕉庵に移るまでここに住んだ。 一六正月。「きさらぎ」は二月。 宅ここは俳諧。 ばせを 栖去之弁 一 ^ 詩情ぐらいの意。 一九何かわからないものが目の先 たちばなちゃう にちらっく。 こゝかしこうかれありきて、橘町といふところに冬ごもりして、睦月・き ニ 0 一切を捨てて。 ふうが これ ふぜいきよう さらぎになりぬ。風雅もよしゃ是までにして、ロをとちむとすれば、風情胸ニ一銭百文。穴あき銭百個。 ちゅぢゃう 一三正しくは「控杖」。ただし延宝 すみかさり ちゅう もの一九 ふうが ましん はうか て 中をさそひて、物のちらめくや、風雅の魔心なるべし。なほ放下して栖を去、八年 ( 一穴 0 ) 刊『節用集大銓よび 同年刊『合類節用集』に「柱杖」。ま ふぜいつひこも しゅぢゃういつばっ いのちむす ひやくせん れ腰にたゞ百銭をたくはヘて、柱杖一鉢に命を結ぶ。なし得たり、風情終に菰をた『書言字考節用集』 ( 享保二午宅 一七ー刊か ) には「杖」。柱は控に通 じて用いられた。杖は杖をつく こかぶらんとは。 こと。また、杖。一鉢は托鉢の時、 手に持って食物を乞う鉄鉢一つの ゝ 意。 ニ三我ながら、やりおおせたもの だなあ 一西風情は、風流、風雅。 193 せいきょのべん 九こゝかしこうかれありきて ( 栖去之弁 ) ( 芭蕉庵小文庫 ) ニ四 むつき

4. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

ふるさと 旧里や臍の緒に泣としの暮 宵のとし、空の名残をしまむと、酒のみ夜ふかして、元日寐わすれたれば、 二日にもぬかりはせじな花の春 初春 文 ここのか 一九たち の春立てまだ九日の野山哉 笈 かれ。しば 枯芝ややゝかげろふの一二寸 いでふるさといら あまり しはす 師走十日余、名ごやを出て旧里に入んとす。 たびね 旅寐してみしゃうき世の煤はらひ いふひなが 「桑名よりくはで来ぬれば」と云日永の里より、馬かりて杖つき坂上るほど、 おち 荷鞍うちかへりて馬より落ぬ。 かち 歩行ならば杖つき坂を落馬哉 いひいではべどもつひ と、物うさのあまり云出侍れ共、終に季ことばいらず。 よひ くはな を いちにすん っゑ のば 市 ) 。 ( 現代語訳一一六 一 0 伊賀国上野 ( 現、三重県上野 = 当時、十二月十三日の行事。 三「桑名よりくはで来ぬれば星 なり あさげ 川の朝気は過ぬ日永成けり」 ( 名所 方角抄 ) その他『国花万葉記』等、 地誌によく引用。 ひなが 一三三重県四日市市日永。 おごそ 一四四日市市小古曾町から鈴鹿市 石薬師町へ越える坂。「杖つき村 坂あり。饅頭を売也」 ( 国花万葉 己 ) 。 一五元来は荷物を載せるための鞍 だが、人と荷物を合せ載せる鞍に 【もい , っ 一六この句に脇句を付けた話が 『笈日記』『三冊子』などに載る。 宅除夜。大みそかの夜。 一〈『三冊子』に「二日には」を推敲 して「二日にも」とし「には、と、 きき ひては余りひら目に当りて聞なく いやし」と芭蕉が言ったことを記 す。 一九この年 ( 貞享五年 ) の立春は一 ふうばくてい 月四日。『初蝉』に「風麦亭にてと 前書。風麦は伊賀上野住の藤堂藩 士で蕉門

5. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

一 0 ここは健気でいじらしいの意。 らふほど、三尺ばかりなる桜の、つばみ半ばひらけるあり。ふり積雪の下に ばいずいかんさいのし = 「炎天ノ梅蘂簡斎詩」 ( 禅林句 うづもれ えんてん 埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花、爰にかほるがご集 ) 。珍しい物のたとえ。 三平安時代末期の天台宗寺門派 ぎゃうそん あはれここ なほ そうじてこの みさい おば とし。行尊僧正の歌の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覚ゅ。惣而此山中の微細、の大僧正。保延元年 ( 二三五 ) 没。 「大峰にて思ひもかけす桜の花の たごん ぎゃうじゃ 咲きたりけるを見て / もろともに 行者の法式として他言する事を禁す。仍て筆をとゞめて記さず。坊に帰れば、 あはれと思へ山桜花よりほかに知 あじゃり もとめト 6 り たんじゃくかく る人もなし」 ( 金葉 ) 。 阿闍梨の需に依て、三山順礼の句々、短冊に書。 一三湯殿山神社は谷間の岩頭から 温泉が湧き出ており、それがご神 涼しさやほの三か月の羽黒山 体で、その秘密を他一一 = ロすることは みね 固く禁じられていた。 雲の峯幾つ崩て月の山 一四三か月の「三」に「見」を掛けた。 ゅどの たもと をピっ 一五季語は「湯殿詣で」 ( 夏 ) 。「恋 語られぬ湯殿にぬらす袂かな の山しげき小笹の露わけて入りそ むるよりぬるる袖かな」 ( 新勅撰 湯殿山銭ふむ道の泪かな曾良 顕仲 ) 。 一六湯殿山神社では落ちている物 を拾うことが禁じられていたので、 さいせん 道 賽銭が道に散らばっている上を踏 そ んで参詣する。 たち ながやましげゆきいふもの さえもんのじよう の羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、誹宅酒井左衛門尉忠直 + 四万石 の城下町。現、山形県鶴岡市。 お いふくす かいひとまきありさきち 諧一巻有。左吉も共に送りぬ。川舟に乗て、酒田の湊に下る。淵庵不玉と云医天酒井藩士、長山五郎右衛門 一九伊東玄順。酒田俳壇の中心人 もとやど 「ーし 物。医師。元禄十年 ( 一六九七 ) 没。 師の許を宿とす。 「三六〕 くづれ なみだ よっ のり みなとくだ 一九 ゑんあんふぎよく

6. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

93 嵯峨日記 および 暮に及て去来京より来ル。 しゃうはく ぜぜしゃうばう 膳所昌房ョリ消息。大津尚白ョリ消息有。 とぶらひその かただ 凡兆来ル。堅田本福寺訪テ其〔夜〕泊。 凡兆京に帰ル。 廿五日 かへる せんな一ニ 千那大津一一帰。 ふみくにぢゃうさうとはる 史邦・丈艸被訪。 らくししやにだいす 題落柿舎 ふかくがほうにたいしててうぎよをともなふ 深対峨峯伴鳥魚 くわうにつきやじんのきょににたるをよろこぶ 就荒喜似野人居 しとういまかくせききうのらん 枝頭今欠赤乢卵 せいえふだいをわかちてしょをまなぶにたへたり 青葉分題堪学書 こがうのつかをたづぬ 尋小督墳 たってゑんじゃうをみだしてしんきゅうをいづ 強攪怨情出深宮 きた きた とまる ・ 0 あり ^ 蕉門。磯田氏。通称茶屋与次 兵衛。 九蕉門。江左氏。医師。 一 0 本福寺十一世住職千那。蕉門 おとられ = 「訪テ」とも読める。 三大津東颪町に本福寺の別院が あった。 一三蕉門。中村氏。このころ芭蕉 と親しかった。もと尾張犬山 ( 愛 知県 ) の人。京に出て仙洞御所等 に仕えた。 一四蕉門。内藤氏。元、尾張大山 とんせい 藩士。後に遁世して近江松本住。 けいくわうつ 一五「三径荒ニ就ク」 ( 陶淵明「帰去 らいのじ 来辞」 ) による。 一六軋は龍の子で角が二つある。 その卵が柿の実に似ていると考え、 赤乢卵といった。 宅『伊勢集』に「・ : かきの紅葉に 歌をなんかきつけける」と前書の ある歌があり、柿の葉に字を書い た例は多い。「分題」は、ここでは 諸種の詩歌を別々の葉に書く意。 一〈小督が不本意ながら強って宮 中を出て、峨に隠れ住んだこと をいう。「強」は「出」にかかる。 た

7. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

いでゆ むしろしき 其夜飯塚にとまる。温泉あれば湯に入て宿をかるに、土坐に莚を敷て、あや一 0 「飯坂」の誤記であろう。今の 飯坂温泉のこと。 ともしび ねどころ しき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。夜に入て、 = 曾良ともし火」。 三以下しばしば見られる五月雨 かみなり一ニ ふり ふせ 雷鳴、雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤・蚊にせゝられて、眠らず。持病に関する記述の最初 せんき 一三芭蕉の持病は疝気と痔疾。 きえいるばかり みじかよ あく だち さへおこりて、消入斗になん。短夜の空もやう / 、明れば、又旅立ぬ。猶、夜一四飯坂より東へ八奥州街 道の宿駅 なごり いづ はるか の余波、心すゝまず。馬かりて桑折の駅に出る。遥なる行末をかゝえて、斯る一五野垂れ死にするようなことが しかんわれたと あっても。『論語』子罕に「予縦ヒ あんぎやしやしんむじゃう やまひおばっか きりよへんど おまいなるはうむり 道病覚束なしといへど、羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路にしなん是天大葬ヲ得ズトモ、道路ニ死 ナンヤ」。 めい みちじゅうわうふんだておほきど やすひら 一六藤原泰衡の奥州軍が厚樫山に のの命なりと、気力聊とり直し、路縦横に踏で伊達の大木戸をこす。 設けた柵で、佐藤庄司敗軍の古戦 お 場。ここから北が伊達領。なお、 まちゃっこ 伊達は町奴の風俗、その語の縁で 「道縦横とした。 九 とす。 笈も太刀も五月にかざれ帋幟 ついたち 五月朔日の事也。 そのよ一 0 い著一一か さっき こをり かみのばり のみか どぎ ふ なほよる かか これ . の碑と名づけた ( 連集良材、類船 うづきついたち 九前出「卯月朔日」を受けて、月 の改ったことを示した。端午の節 句の近いことと五月雨の季節にな ることを知らしめる配慮。旅の事 実としては五月二日 ( 陽暦六月十 八日 ) 。 あっかし

8. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

しよく よしとも そのかみ ま - つづさねもりかぶとにしききれ 此所太田の神社に詣。実盛が甲・錦の切あり。往昔、源氏に属せし時、義朝曾義仲追討の戦に宗盛より下賜の ひたたれ 錦の直垂を着け、白髪を染めて出 まびさし たま たまふ ひらさむらひ 陣し、戦死。七十三歳。 公より給はらせ給とかや。げにも平士のものにあらず。目庇より吹返しまで、 かぶと ひキ一し 一三兜の前部の庇。 うち - じに きそのよし こがね たつがしらくはがたうつ まびさし 菊から草のほりもの金をちりばめ、龍頭に鍬形打たり。実盛討死の後、木曾義一四兜の目庇の両側から耳のよう に小さく立って後ろへ反っている ども はんべる ひぐち なかぐわんじゃう 仲願状にそへて、此社にこめられ侍よし、樋口の次郎が使せし事共、まのあ飾り。 一五菊と蔓草をあしらった図案。 えんぎ 一六兜の鉢の前面につけた龍の頭 たり縁起にみえたり。 の飾り。 宅源為義の次男義賢の子。義賢 むざんやな甲の下のきりみ、す が討たれた後、二歳の義仲は七日 間実盛に養育されたという。寿永 のり 三年、征夷大将軍となったが、 頼・義経の軍に敗れ、近江国粟津 〔四三〕 で討死した。三十一歳。 やまなか いでゆゆく しらねだけあと やまぎはくわんおんだう 山中の温泉に行ほど、白根が嶽後にみなしてあゆむ。左の山際に観音堂あり。天実盛追悼の願文を書いて奉納 たま あんぢ だいじだいひ くわさんほふわう かねみつ 花山の法皇、三十三所の順礼とげさせ給ひて後、大慈大悲の像を安置し給ひて、一九木曾四天王の一人。名は兼光。 ニ四 ニ 0 謡曲「実盛」の「あなむざんや はべり なちたにぐみ なたなづけ な斎藤別当にて候けるそや」の文 道那谷と名付給ふと也。那智・谷汲の二字をわかち侍しとぞ。奇石さまみ、に、 句取り。 うゑ まく * 一ん ニ一加賀の山。歌枕。 の古松植ならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也。 一 = 一自在山那谷寺。千手観音をま お つる。小松市那谷。 石山の石より白し秋の風 せいがんとじ ニ三紀州那智の青岩渡寺。 たにぐみけごんじ ニ四美濃谷汲の華巌寺。 このただ ニ 0 かや かぶと やしろ ふきかへ なり より

9. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

43 笈の小文 九惣七宛書簡にこの間の動静を 詳説する。四月十九日尼崎発、船 路にて、途中兵庫に一泊、翌日、 大坂にてある人のもとにて、 須磨着。須磨が秋を旨とすること かきつばた は『源氏物語』以来の文学伝統であ 杜若語るも旅のひとっ哉 り、夏は月が出ていても留守のよ ま す なかごろ うだ、の意。「卯月の中比須磨の 須磨 浦一見す。うしろの山は青ばにて るす なり うるはしく、月はいまだおばろに 月はあれど留主のやう也須磨の夏 て、はるの名残もあはれながら、 たゞ此浦のまことは秋をむねとす 月見ても物たらはずや須磨の夏 るにや。、いにものゝたらぬけしき 卯月中比の空も朧に残りて、はかなきみじか夜の月もいとゞ艶なるに、山はあれば / 夏はあれど留主のやう也 須磨の月ばせを」 ( 真蹟 ) 。 なき わか葉にくろみかゝりて、ほとゝぎす鳴出づべきしのゝめも、海のかたよりし一 0 暁方の景色であるから。 = 須磨寺のある一帯の高台の平 うへの ほなみ らみそめたるに、上野とおばしき所は、麦の穂浪あからみあひて、漁人の軒ち地。 三阿片等を取る芥子。虞美人草 ( ひなげし ) とは別種。 かき芥子の花のたえみ、に見渡さる。 一三「わくらばに問ふ人あらば須 まづ 磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へ 海士の顔先見らるゝやけしの花 よ」 ( 古今在原行平 ) 。 みところ 東須磨・西須磨・浜須磨と三所にわかれて、あながちに何わざするともみえ一四製塩の仕事。海辺の海藻に塩 水を何度もそそぎ、乾して焼いて ず。藻塩たれつゝなど歌にもきこえ侍るも、いまはかゝるわざするなども見え塩を採る。 一五きす ( 鱚 ) に同じ。 まさ ) とびきた をあみ ず。きすごといふうをゝ網して真砂の上にほしちらしけるを、からすの飛来り一六網で捕って。 うづきなかごろ おほざか おばろ えん

10. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

草枕 くたびれ 草臥て くまの路や 雲の峯 くれくれ くわんぶつ 灌仏の 今日よりや こがひ 蚕飼する あじか 腰の簣に このあたり このごろ 頃日の 此松の 此山の ごペう 御廟年経て さ行 桜がり 桜より 酒のみに さなへ 索早苗とる 句寂しさや 初さまみ、の さみだれ 五月雨の 五月雨や 五月雨を 一一 0 寒けれど 三八 さらしなや きくひと 九七猿を聞人 つの 七五鹿の角 しづか 一六九閑さや 四一一賤の子や 八一一しにもせぬ 七一しのぶさへ 九四しばの戸に 一七六時は 九七汐越や = 八しほらしき 三六白げしに 一八涼しさや 一六九涼しさを 須磨寺や 須磨のあまの ぜんまい 四 0 狗脊の そう 六三僧朝顔 そりすて 三九剃捨て 六 0 た行 八六 三六田一枚 六九鷹一つ 九八誰が聟そ 当竹の子や た くひ ー喰残されし をさなき 哭 ー稚時の たこつば 一四蛸壺や たてよこ 四一一竪横の ( 歌 ) たきね 七一一旅寐して = 八旅人と 一九ためつけて 一一 0 ちゝはゝの 一六七鎖あけて ぢゃうろく 五四丈六に 七七ちる花に 八 0 つかみあふ = 三塚も動け 七五月影や 七一月清し 四四月さびし 四四月はあれど 九一一月はやし 一七月見ても 五三月見んと 蔦植て 露とノ、 /. 、、 毛出替りや 三四手にとらば消ん 一一一寺に寐て 手をうてバ ったうゑ きえ と 九七磨なをす 九一一時は冬 四四年暮ぬ 五六 な行 三一夏草や なつごろも 一一一四夏衣 四 0 夏山に 一九一一猶みたし 一一一六波こえぬ なみ 四一浪の間や 八九何の木の 八 0 庭掃て 四九ぬぐはゞや ねぐら 会塒せよ のう = 八能なしの 四三野ざらしを のわき 四三野分より 一一九野を横に は行 九一一萩原や 一六箱根こす ばせみ・は 一一八芭蕉葉を 九一一裸には なほ 一九七 三四 六九 八三 . 五 . ツし - ヒ