草枕 くたびれ 草臥て くまの路や 雲の峯 くれくれ くわんぶつ 灌仏の 今日よりや こがひ 蚕飼する あじか 腰の簣に このあたり このごろ 頃日の 此松の 此山の ごペう 御廟年経て さ行 桜がり 桜より 酒のみに さなへ 索早苗とる 句寂しさや 初さまみ、の さみだれ 五月雨の 五月雨や 五月雨を 一一 0 寒けれど 三八 さらしなや きくひと 九七猿を聞人 つの 七五鹿の角 しづか 一六九閑さや 四一一賤の子や 八一一しにもせぬ 七一しのぶさへ 九四しばの戸に 一七六時は 九七汐越や = 八しほらしき 三六白げしに 一八涼しさや 一六九涼しさを 須磨寺や 須磨のあまの ぜんまい 四 0 狗脊の そう 六三僧朝顔 そりすて 三九剃捨て 六 0 た行 八六 三六田一枚 六九鷹一つ 九八誰が聟そ 当竹の子や た くひ ー喰残されし をさなき 哭 ー稚時の たこつば 一四蛸壺や たてよこ 四一一竪横の ( 歌 ) たきね 七一一旅寐して = 八旅人と 一九ためつけて 一一 0 ちゝはゝの 一六七鎖あけて ぢゃうろく 五四丈六に 七七ちる花に 八 0 つかみあふ = 三塚も動け 七五月影や 七一月清し 四四月さびし 四四月はあれど 九一一月はやし 一七月見ても 五三月見んと 蔦植て 露とノ、 /. 、、 毛出替りや 三四手にとらば消ん 一一一寺に寐て 手をうてバ ったうゑ きえ と 九七磨なをす 九一一時は冬 四四年暮ぬ 五六 な行 三一夏草や なつごろも 一一一四夏衣 四 0 夏山に 一九一一猶みたし 一一一六波こえぬ なみ 四一浪の間や 八九何の木の 八 0 庭掃て 四九ぬぐはゞや ねぐら 会塒せよ のう = 八能なしの 四三野ざらしを のわき 四三野分より 一一九野を横に は行 九一一萩原や 一六箱根こす ばせみ・は 一一八芭蕉葉を 九一一裸には なほ 一九七 三四 六九 八三 . 五 . ツし - ヒ
( 現代語訳一一〇九ハー ) らんかん 一三高い欄干。二階の手すりのこ とであろう。 一四夏の夜、かがり火を焚いて鮎 を寄せ、飼い慣した鵜を使ってこ れを捕る漁。 一五見物に値するもの。 一六「けるらし」の約。「けり」の婉 曲表現で詠嘆をこめる。 しよう 宅中国湖南省洞庭湖にそそぐ湘 しよら・すい すい 水のこと。はるか上流で瀟水が合 かしまうぢ すいろう みのゝくにながら川にのぞんで水楼あり。あるじを加嶋氏といふ。いなば山、流し、それ以降を瀟湘と称する。 しようしよう 一 ^ 前記湘水 ( 江 ) の八景。瀟湘 てらすぎひとむら うしろ へいさらくがん らんざん 後に高く、乱山、西に重りて、近からず、又遠からず。田中の寺は杉の一村に夜雨・平沙落雁・遠浦帰帆・山市 5 き晴嵐・江天暮雪・洞庭秋月・煙寺 めのところ みんか かくれ、きしにそふ民家は竹のかこみのみどりも深し。さらし布、所み、に引晩鐘・漁村タ照。 せつこう 一九西湖は中国浙江省杭州にある ぎよそんのき ぶね さとびとゆき はヘて、右にわたし船うかぶ。里人の往かひしげく、漁村、軒をならべて、あ湖。名勝古跡が多い。銭塘湖・上 湖・西子湖とも。 九 ニ 0 西湖十景 ( 十境 ) のこと。花港 みを引、釣をたるゝおのがさまみ、も、たゞ此楼をもてなすににたり。 ぶんおう 観漁・柳浪聞鶯・平湖秋月・雷峰 力し ばかりいりひ タ照・曲院風荷・南屏晩鐘・双峰 暮がたき夏の日もわするゝ計、入日の影も月にかはりて、浪にむすばるゝ 挿雲・蘇堤春暁・三潭印月・断橋 うかひ かうらん のかゞり火のかげもやゝちかう成りて、高欄のもとに鵜飼するなど、まことに目残雪。 ニ 0 ニ一ただこの涼風の一つの味の中 み とを せうしゃうや ざましき見ものなりけらし。かの瀟湘の八ツのながめ、西湖の十のさかひも、 LO 一三『笈日記』および諸本「思ひた もしこのろう りゃうふういちみ 涼風一味のうちにおもひこめたり。若此楼に名をいはんとならば、十八楼とめたり」と誤る。 くれ ひきつり じふはちろう 五みのゝくに ( 十八楼ノ記 ) かさナよ 六 このろう一 0 い九 四 あゆ
芭蕉文集 2 あ行 亠めか / , 、、レ」 秋風や 秋涼し 秋十とせ 秋の日の雨 あきをこめたる あけ 明ばのや あさがほや 足駄はく 暑き日を あつみ山や あの中に あふ 扇にて 海士の顔 あまや 蜑の家や 雨に寝て ぐさ あやめ艸 荒海や 初句索引 嵐山 あらたうと 八 0 有明に 一九有難や 八 0 いギ、もに いざ行む いざよひも 一一九石山の いちびと 一九市人よ = 0 一一偽せめて 三八命二つの 七六芋洗ふ女 うゑ 実 いも植て いもの葉や 四 0 うきふしゃ , つき我を うすひ 耄碓氷の峠 = 八宇津の山 六三卯の花に 大一大卯の花を 一、芭蕉文集の本文中に改行して掲げた俳句・連句 ( 長句五・七・五、短句 七・七 ) および和歌の初句を、歴史的仮名づかいにより、五十音順に配列 した。和歌は初句の下に ( 歌 ) と示した。 一、下の漢数字 ( 一一一三など ) は本文のページを示すものである。 八九馬に寝て 五三馬をさへ 空海くれて 七三梅こひて 一一三梅白し 三四梅の木に 哭送られつ おこらご 八一御子良子の おひ = 0 笈も太刀も 九五大峯や おもかげ 一一一一俤や 一六おり / 、に ( 歌 ) 一宅 か行 かきつばた 八九杜若 かけはし 九一桟や いのちをからむ 九四 九五 ー先おもひいづ 六九笠嶋は 夭かさねとは かし 一五樫の木の かたつむり = 0 蝸牛 語られぬ 一一三歩行ならば 一一 = 神垣や からさき 三七辛崎の 四九かりかけし かれしば 三七枯芝や か 六一香を探る きさがた 九七象潟や ー雨に西施が ー料理何くふ 木曾のとち きつつき 木啄も きめた 四三碪打て きゃうく 狂句木枯の 四八京までは 哭霧しぐれ 六一一霧晴て 五五草の戸も . . . 三 - 匕ツし 三四 . 五 . 四 、五 . 四 - 七 - ヒ
一 0 ここは健気でいじらしいの意。 らふほど、三尺ばかりなる桜の、つばみ半ばひらけるあり。ふり積雪の下に ばいずいかんさいのし = 「炎天ノ梅蘂簡斎詩」 ( 禅林句 うづもれ えんてん 埋て、春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花、爰にかほるがご集 ) 。珍しい物のたとえ。 三平安時代末期の天台宗寺門派 ぎゃうそん あはれここ なほ そうじてこの みさい おば とし。行尊僧正の歌の哀も爰に思ひ出て、猶まさりて覚ゅ。惣而此山中の微細、の大僧正。保延元年 ( 二三五 ) 没。 「大峰にて思ひもかけす桜の花の たごん ぎゃうじゃ 咲きたりけるを見て / もろともに 行者の法式として他言する事を禁す。仍て筆をとゞめて記さず。坊に帰れば、 あはれと思へ山桜花よりほかに知 あじゃり もとめト 6 り たんじゃくかく る人もなし」 ( 金葉 ) 。 阿闍梨の需に依て、三山順礼の句々、短冊に書。 一三湯殿山神社は谷間の岩頭から 温泉が湧き出ており、それがご神 涼しさやほの三か月の羽黒山 体で、その秘密を他一一 = ロすることは みね 固く禁じられていた。 雲の峯幾つ崩て月の山 一四三か月の「三」に「見」を掛けた。 ゅどの たもと をピっ 一五季語は「湯殿詣で」 ( 夏 ) 。「恋 語られぬ湯殿にぬらす袂かな の山しげき小笹の露わけて入りそ むるよりぬるる袖かな」 ( 新勅撰 湯殿山銭ふむ道の泪かな曾良 顕仲 ) 。 一六湯殿山神社では落ちている物 を拾うことが禁じられていたので、 さいせん 道 賽銭が道に散らばっている上を踏 そ んで参詣する。 たち ながやましげゆきいふもの さえもんのじよう の羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、誹宅酒井左衛門尉忠直 + 四万石 の城下町。現、山形県鶴岡市。 お いふくす かいひとまきありさきち 諧一巻有。左吉も共に送りぬ。川舟に乗て、酒田の湊に下る。淵庵不玉と云医天酒井藩士、長山五郎右衛門 一九伊東玄順。酒田俳壇の中心人 もとやど 「ーし 物。医師。元禄十年 ( 一六九七 ) 没。 師の許を宿とす。 「三六〕 くづれ なみだ よっ のり みなとくだ 一九 ゑんあんふぎよく
いでゆ むしろしき 其夜飯塚にとまる。温泉あれば湯に入て宿をかるに、土坐に莚を敷て、あや一 0 「飯坂」の誤記であろう。今の 飯坂温泉のこと。 ともしび ねどころ しき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。夜に入て、 = 曾良ともし火」。 三以下しばしば見られる五月雨 かみなり一ニ ふり ふせ 雷鳴、雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤・蚊にせゝられて、眠らず。持病に関する記述の最初 せんき 一三芭蕉の持病は疝気と痔疾。 きえいるばかり みじかよ あく だち さへおこりて、消入斗になん。短夜の空もやう / 、明れば、又旅立ぬ。猶、夜一四飯坂より東へ八奥州街 道の宿駅 なごり いづ はるか の余波、心すゝまず。馬かりて桑折の駅に出る。遥なる行末をかゝえて、斯る一五野垂れ死にするようなことが しかんわれたと あっても。『論語』子罕に「予縦ヒ あんぎやしやしんむじゃう やまひおばっか きりよへんど おまいなるはうむり 道病覚束なしといへど、羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路にしなん是天大葬ヲ得ズトモ、道路ニ死 ナンヤ」。 めい みちじゅうわうふんだておほきど やすひら 一六藤原泰衡の奥州軍が厚樫山に のの命なりと、気力聊とり直し、路縦横に踏で伊達の大木戸をこす。 設けた柵で、佐藤庄司敗軍の古戦 お 場。ここから北が伊達領。なお、 まちゃっこ 伊達は町奴の風俗、その語の縁で 「道縦横とした。 九 とす。 笈も太刀も五月にかざれ帋幟 ついたち 五月朔日の事也。 そのよ一 0 い著一一か さっき こをり かみのばり のみか どぎ ふ なほよる かか これ . の碑と名づけた ( 連集良材、類船 うづきついたち 九前出「卯月朔日」を受けて、月 の改ったことを示した。端午の節 句の近いことと五月雨の季節にな ることを知らしめる配慮。旅の事 実としては五月二日 ( 陽暦六月十 八日 ) 。 あっかし
たま このしゆく あすかゐまさあき 飛鳥井雅章公の此宿にとまらせ給ひて、「都も遠くなるみがたはるけき海を潟」は掛詞。 一三『如行子』に「鳴海寺島氏言 みづから あすかゐあさう に飛鳥井亜相の御詠草のかゝり侍 中にへだてゝ」と詠じ給ひけるを、自かゝせたまひて、たまはりけるよしをか りし歌を和す」と前書付で収録。 一四渥美半島の先端の地。 たるに、 一五坪井氏。蕉門、名古屋の人。 貞享一一年 ( 一六会 ) 罪を得て御領分追 京まではまだ半空や雪の雲 放。三河国畠村 ( 現、渥美町福江 ) ところ みかは 三川の国保美といふ処に、杜国がしのびて有けるをとぶらはむと、まづ越人に閉居。後、保美に移る。芭蕉に すこぶる愛された。 そのよ あと たづね なるみ 一六名古屋の蕉門俳人。 に消して、鳴海より後ざまに二十五里尋かへりて、其夜吉田に泊る。 宅「桃青老越人昨夜宮より又御 まゐられ 越。今朝三州へ被参候」 ( 知足斎日 寒けれど二人寐る夜そ頼もしき 々記・十一月十日 ) 。吉田は愛知県 一 ^ つなはて 豊橋市。 あま津縄手、田の中に細道ありて、海より吹上る風いと寒き所也。 一 ^ 杉山村天津 ( 現、豊橋市 ) 。縄 かげばふし ばしゃう 手は田の中のまっすぐな道。当時、 冬の日や馬上に氷る影法師 湾岸で冬は西風が強かった。 いらごぎきい ちりばかりある ほび 保美村より伊良古崎へ壱里斗も有べし。三河の国の地っゞきにて、伊勢とは一九初案「冬の田の馬上にすくむ 影法師」。 えらび 、いかなる故にか『万葉集』には伊勢の名所の内に撰 = 0 渥美半島西端の伊良湖岬 海へだてたる所なれども 文 「麻続王伊勢国の伊良虞の島に流 いふ このすさぎ さるる時」 ( 万葉・巻一 ) 。 入られたり。此洲崎にて碁石を拾ふ。世にいらご白といふとかや。骨山と云は の 三「伊良期の碁石貝」 ( 毛吹草 ) 。 笈たかうっところ 鷹を打処なり。南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所といへり。いらご鷹な = = 「巣鷹渡る伊良胡が崎を疑ひ てなほ木に帰る山帰りかな」 ( 山家 なほ ど歌にもよめりけりとおもへば、猶あはれなる折ふし、 一九 ほび ニ 0 1 ) いし なかぞら あり ふきあぐ じろ なり ゑつじん
ふるさと 旧里や臍の緒に泣としの暮 宵のとし、空の名残をしまむと、酒のみ夜ふかして、元日寐わすれたれば、 二日にもぬかりはせじな花の春 初春 文 ここのか 一九たち の春立てまだ九日の野山哉 笈 かれ。しば 枯芝ややゝかげろふの一二寸 いでふるさといら あまり しはす 師走十日余、名ごやを出て旧里に入んとす。 たびね 旅寐してみしゃうき世の煤はらひ いふひなが 「桑名よりくはで来ぬれば」と云日永の里より、馬かりて杖つき坂上るほど、 おち 荷鞍うちかへりて馬より落ぬ。 かち 歩行ならば杖つき坂を落馬哉 いひいではべどもつひ と、物うさのあまり云出侍れ共、終に季ことばいらず。 よひ くはな を いちにすん っゑ のば 市 ) 。 ( 現代語訳一一六 一 0 伊賀国上野 ( 現、三重県上野 = 当時、十二月十三日の行事。 三「桑名よりくはで来ぬれば星 なり あさげ 川の朝気は過ぬ日永成けり」 ( 名所 方角抄 ) その他『国花万葉記』等、 地誌によく引用。 ひなが 一三三重県四日市市日永。 おごそ 一四四日市市小古曾町から鈴鹿市 石薬師町へ越える坂。「杖つき村 坂あり。饅頭を売也」 ( 国花万葉 己 ) 。 一五元来は荷物を載せるための鞍 だが、人と荷物を合せ載せる鞍に 【もい , っ 一六この句に脇句を付けた話が 『笈日記』『三冊子』などに載る。 宅除夜。大みそかの夜。 一〈『三冊子』に「二日には」を推敲 して「二日にも」とし「には、と、 きき ひては余りひら目に当りて聞なく いやし」と芭蕉が言ったことを記 す。 一九この年 ( 貞享五年 ) の立春は一 ふうばくてい 月四日。『初蝉』に「風麦亭にてと 前書。風麦は伊賀上野住の藤堂藩 士で蕉門
( 現代語訳一一一一三ハー ) ^ 『風俗文選』に「器」に「ウッハ モノと読みがな。 九『風俗文選』に「好み」。 一 0 俳諧をさす。 = 『芭蕉翁文集』に「為に」と「に」 を送っている ( 以下同じ ) 。今、そ の読みに従う。 一ニ『風俗文選』に「一一」に「フタッ」 四 と読みがな。 きよりくりべつのことば 一三同、「一」と音読のしるし。 許六離別詞 一四『論語』の「子罕」に「吾、少ウ ひじ 六 シテ賤シ、故ニ鄙事ニ多能ナリ さっきはじめしんせつわかれ 去年の秋、かりそめに面をあはせ、ことし五月の初、深切に別ををしむ。其君子多ナランヤ。多ナラザル也 ( 自分ー孔子ーは若い時貧しかっ そのうつはものゑ ひねもすかんだん さうひ わかれにのそみて、ひとひ草扉をたゝいて、終日閑談をなす。其器、画を好たので、つまらぬ事に多能なのだ。 君子は多能でないものだ ) 」、およ ためにこのむ ゑ なんためにこのむ あり む。風雅を愛す。予こゝろみにとふ事有。「画は何の為好や」、「風雅の為好」び『徒然草』百二十二段に「多能は 君子の恥づる処なり」。 その ふたっ ゑためにあいす なんためにあい といへり。「風雅は何の為愛すや」、「画の為愛」といへり。其まなぶ事二にし一五徹底しているの意。『風俗文 選』に、「徹と音読記号。以下、 くんし たのうはづ て、用をなす事一なり。まことや、「君子は多能を恥」と云れば、品ふたつに「妙、・「衆」にも。 一六無益な言論や芸のこと。『論 よ ゑ よう かんずべき 六して用ひとつなる事、可レ感にや。画はとって予が師とし、風雅はをしへて予衡』の「逢遇」に「夏ヲ以テ炉ヲ進メ、 冬ヲ以テ扇ヲ奏ス・ : 禍ニ遇ハザレ し そのいうゑん ゑ いりひったんめう バ幸ナリ」。 が弟子となす。されども、師が画は精神徹に入、筆端妙をふるふ。其幽遠なる 宅さからう。『平家物語』巻四に もちふ よ しゅう一七 かろとうせん 所、予が見る所にあらす。予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用る所「片言耳にさかふれば」。 よう ふうが きよりくりべっことば さいもんじ 一一許六離別の詞 ( 柴門の辞 ) よ 五 おもて よ し その この か
87 おくのほそ道 ^ 「小萩ちれますほの小貝小盃」 を改案したもの。 九本隆寺に「越前ふくゐ洞哉書」 の一軸が伝存している。 一 0 路通が正しい。創作上の仮名 いん・ヘ であろう。斎部氏。蕉門 〔五 0 〕 = 芭蕉の大垣着は八月二十一日 ( 陽暦十月四日 ) ごろ。 ろつう おほがき 露通も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて大垣三越智氏。名古屋蕉門。貞享五 年 ( 一六 ^ 0 秋『更科紀行』の旅に随伴。 しゃういれ きたあひゑつじん じよかっ いりあつま の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。一三近藤氏。元、大垣藩士。蕉門 つめがしら 一四津田氏。大垣藩士で詰頭の要 ぜんせんし 前川子・荊ロ父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがご職にあった。「子」は敬称。蕉門 三宮崎太左衛門。大垣藩士。蕉 かつよろこ ながっき しきん せんせん 門。長男宮崎此筋、次男岡田千川 とく、且悦び、且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれ ぶんちょう 三男秋山文鳥、いすれも蕉門。 せんぐう ば′、い・れ ば、伊勢の迂宮をがまんと、又舟にのりて、 一六谷木因・浅井左柳・深田残 香・高岡斜嶺・高岡怒風等の大垣 ゆく 俳人。 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ 宅九月六日。 一 ^ 元禄二年の遷宮は内宮九月十 日、外宮十三日に挙行された。 一九大垣船町の船問屋、谷木因宅 前から船に乗り、水門川・揖斐川 を下った。 ニ 0 蓋と身に二見が浦をかけ、別 れ行くと「行く秋」を掛けた技巧。 はぎ 浪の間や小貝にまじる萩の塵 とうさい 九 其日のあらまし、等栽に筆をとらせて寺に残す。 その ニ 0 はま・ぐめ・ なみ この そのほか 一九 ちり ともな そせい び
杜国におくる 白げしにはねもぐ蝶の見哉 あり とうえふし 二たび桐葉子がもとに有て、今や東に下らんとするに はち な」り わけいづ 牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉 行 甲斐の山中に立よりて ら行駒の麦に慰むやどり哉 野 卯月の末、庵に帰りて旅のつかれをはらすほどに しらみ 2 なつごろも 夏衣いまだ虱をとりつくさず 一セ しら ばたんしペ をはり 蕉を追って来た同郷の後輩土芳。 て、草の枕の道づれにもと、尾張の国まで跡をしたひ来りければ、 = 「年たけてまた越ゅべしと思 ほむぎくら ひきや命なりけりさやの中山」 ( 新 いざともに穂麦喰はん草枕 古今西行 ) による。 たま むつきはじめせんげ ゑんがくじ : らやま 此僧予に告ていはく、円覚寺の大潁和尚、今年睦月の初、迂化し給ふよし。三伊豆の黽山付近の地。 一三畠の穂麦でも食べる覚悟で、 もとまうしつかは まづ 乏しい旅を共にしよう。 まことや夢の心地せらるゝに、先、道より其角が許へ申遣しける。 一四鎌倉円覚寺の住職で其角参禅 うのはな げんく の師。俳号幻吁。貞享一一年 ( 一六会 ) 梅こひて卯花拝むなみだ哉 正月寂。 一五大顛和尚は梅咲く頃に遷化さ れたが、その梅に比える高徳を慕 たむけぐさ 、折から咲く卯の花を手向草と して涙する。季語は卯の花で夏。 一六坪井氏。芭蕉の愛弟子。 宅白芥子 ( 杜国 ) にとまっていた 蝶 ( 芭蕉 ) は、惜別の情に耐えず、 自分の羽をもいで形見とすること だ。季語は白芥子で夏。 天林氏。熱田の郷士。前号木示。 一九牡丹の蘂深く入り、甘い蜜を 吸った蜂が花から去るような思い で、名残惜しい。季語は牡丹で夏。 ニ 0 馬が麦の馳走に安らいでいる。 私も厚いもてなしに心慰むことだ。 三旅の疲れも抜けす、現実にも なじめす、旅の余韻を懐かしむ。 一九 ふた か うづき ・ ) のよ まくら たち てふ た み だいてん あづま きた はたけ しべ たく