てんしゃうちぎゃう さうもくちゅうぎよ 先師日く「気色はいかほど続けんもよし。天象・地形・人事・草木・虫魚・ てうじ - っ 鳥獣の遊べる、その形容みな気色なる」となり。 三五〕付くということ 支考日く「付句は付くるものなり。今の俳諧付かざる多し。先師の句、一句 六鑑賞する立場の人。 も付かざるはなし」。 0 ・赤雙紙」に芭蕉の言葉として 去来日く「付句は付かざれば付句にあらず。付き過ぐるは病なり。今の作者、「俳諧の連歌といふは、よく付く つけ といふ字意なり」とあり、また「付 しよしんわぎ といふ筋は、匂ひ・響・俤・移り 付くる事を初心の業のやうにおばえて、却って付かざる句多し。聞く人もまた、 ・推量などと、形なきより起る所 なり。心通ぜざれば及びがたき所 聞き得ずと人のいはむことをはちて、付かざる句をとがめずして、能く付きた なり」とある。蕉風の付合は形な かくべっ き所を捉えて付けるという匂付を る句を笑ふやから多し。わが聞けるとは格別なり」。 重んじたので、一見しては前句に 付かないように誤解されたのであ 三六〕物付と匂付 る。 つけもの こころづけ みち 行去来日く「付物にて付け、、い付にて付くるは、その付けたる道すぢ知れり。 じゃう ひびき 付物をはなれ、情を引かず付けんには、前句の移り・匂ひ・響なくしては、し 修 、一ころう づれの所にてか付かんや。心得べき事なり」。 これ 去来日く「蕉門の付句は、前句の情を引き来るを嫌ふ。ただ、前句は是いか せうもん けしき かへ ひ きた やまひ 六 よ 五天象は日月・風雨・晴曇など の天体の現象。地形は山川などの 地形。人事は人間生活の諸相 0 気色の句には多様の変化がある という考え方が示されている。気 色は景気ともいう。 セ「情を引く」とは前句の意味を 引き継ぐことで、、い付に同じ。
去来抄 3 さいぎゃうのういん くべし、と直し給ひ、いかさま西行・能因の面影ならん、となり。また、人を一『猿蓑』所収。元禄四年 ( 一六九 D おレ」′、に 作。前句は芭蕉。付句は乙州で くらのかみ 「内蔵頭かと呼ぶ声はたれ」とある。 定めていふのみにもあらず。たとへば、 前句は、出家して最初に伊勢の鈴 すずかやま ほっしん 鹿山を越えてゆく、の意。付句は、 発心のはじめにこゆる鈴鹿山 そなたは内蔵頭ではないかと呼び らのかみ ひと かける者がある、誰であろうか、 内蔵頭かと呼ぶ人はたそ の意。 おもかげ・ 先師日く、いかさまたそが面影ならん、となり。面影の事、支考も書き置かれニ『東西夜話』 ( 元禄十四年刊 ) そ の他 0 浪化宛の去来書簡にも「当流に たり。参考せらるべし」。 面影を以て句を付け申し候御座候 三三〕付ける場 これは古人の仕りたる事をその通 りに句に仕り候へば、故事にて御 つけく 支考日く「付句は一句に一句なり。前句付などは幾つもあるべし。連俳に至座候」とて、この句をあげている。 みあは せつ 一つの前句に対して幾つもの りては、その場・その人・その節の前後の見合せありて、一句に多くはなき物三 付句を試みるもので、初めは付合 の稽古として行われたが、後に。 なり」。 遊戯化した。 四長形式の連句。 去来日く「付句は一句に千万なり。故に俳諧変化極りなし。支考が一句に一 句といへるは、付くる場の事なるべし。付くる場は多くなきものなり。句は一 0 支考の一句一句説は『東華集』 ( 元禄十三年刊 ) に詳しい っ場の内にも、幾つもあるべし」。 三巴気色の句 けしき まへくづけ きはま しかう れんばい いた とうか
嵐蘭作。付句は芭蕉。元禄五年の 尼に成るべき宵の衣々 作。前句の「ふすまは小麦を粉に みすか よろひ つきかげ ひいた時に出る皮屑で、洗い粉と 月影に鎧とやらを見透して して用いる。付句は、節季に売掛 さましか 金を取りに来た男に、無情に取り 前句、いか様然るべき武家の妻と見よ。 立てないように恋心を持たせたい あら ものだ、の意。 ふすまっかうで洗ふあぶらけ 0 付合のさまざまな手法の中、こ こひ こは位付について述べている。多 乞に恋の心をもたせばや くは芭蕉の作例を引いているが、 ッ ) しもと これ さすがに人情の機微を捉えている。 前句、町家の腰元などいふべきか。是を以て他をおさるべし」。 ^ 故事や古歌などによって句を おもかげづけ 付ける時、直接それを表に出さず、 三ニ〕面影付 漠然と匂わすように付ける手法。 . お - もかげ 。しカカ」去来日く「移り・響・匂ひは付け「俤」とも書く。 牡年日く「面影にて付くるとま、 : ゝ。 九程合い。付合によって生する ぢき ゃうのあんばいなり。面影は付けやうの事なり。昔は多くその事を直に付けた情調的な付け味。 一 0 『猿蓑』所収。元禄三年作。前 たと おもかげ 句は、草庵にしばらくいたが、ま り。それを俤にて付くるなり。譬へば、 たそこを捨てて立ち去る、の意。 さうあん 、しばら 付句は、命ながらえたおかげで、 へんさん 行草庵に暫く居てはうち破り芭蕉 勅撰集編纂の便りに接した、の意。 あずまかがみ せんじふ いのちうれ = 『吾妻鏡』文治二年 ( 一一八六 ) 八月 命嬉しき撰集の沙汰去来 の条に、西行が鎌倉で頼朝に謁見 修 さいぎゃうのういんきゃうがい あうぎ した折、和歌の奥旨を問われて 初めは、和歌の奥儀を知らず、と付けたり。先師日く、前を西行・能因の境界 「全ク奥旨ヲ知ラズ」と答えた記事 と見たるがよし。されど、直に西行と付けむは手づつならん。ただ面影にて付が見える。 ばねん . て、け ひ 六 あま よ ゐ よひ ゃぶ きぬぎめ た ひびき らんらん
先師は「付句では、景色はどれほど続けてもよい。天は、何を手がかりとして句が付くだろうか。よく考えてみ る必要がある。 象・地形・人事・草木・虫魚や鳥獣の遊んでいるさまなど、 蕉門の付句は、前句の情をそのまま付句に持ち込むこと それらの様子はみな景色である」といわれた。 をきらう。ただ、前句はどのような場で、どのような人か 三五〕付くということ と、その情況や品位をよく見定め、前句にとらわれないで 支考は「付句は前句に付けるものである。ところが、今 の俳諧は付かない句が多い。先師の句は一句も付かないも付けなければならぬ。 ただし、先師が「物付で付けることは、現在は一般に好 のはない」といっこ。 まないようであるが、物付で付けにくい所を、さつばりと 私は「付句は、前句に付かなければ、付句とはいえない しかし、付きすぎるのもよくない。今の作者は、前句に付物付で付けたのは、また作者の手柄であろう」といわれた ことも考慮すべきである。 けることを初心者のすることのように思って、そのため付 〔毛〕付句十七条 かない句を作る者が多い。他人の句を鑑賞する人も、理解 うろく 宇鹿が「先師が十七条の付け方を路通に伝授されたと聞 力のない人だといわれることを恥じて、前句に付いていな いていますが、しかがでしようか」と問うた。私は「遠く い句を非難せず、かえってよく付いた句を笑う連中が多い に住む門人からの願いで、付け方を書き出されたことがあ これは、私が先師から教えられたところとは、大きな相違 る。しかし後々になって、芭蕉の付け方はこれだけである であるーと考える。 行 三六〕物付と匂付 として人が迷ってはいけないというので、これを捨てられ たということである。その書き出されただけでは十七条と 貞門のように物付で付け、また談林派のように心付で付 修 か聞いている。けれども、これを伝授されたということは けるのは、その付け方の道筋がはっきり分る。その物付を 5 はなれ、また前句の情をそのまま付句に持ち込まないよう知らない。それは大津でのこととかいうから、あるいは路 に付けようとすれば、前句の移り・匂い・響によらなくて通がその反古を拾い取って人に教えているのではあるまい けしき ろつう
くらゐよ なる場、いかなる人と、その業・その位を能く見定め、前句をつきはなして付 0 蕉風の付合は、貞門の物付や談 林派の心付とは異なる匂付であっ た。ただし、芭蕉は物付をすべて くべし。 否定したのではなく、一巻の中で 抄 つけもの 先師日く、付物にて付くる事、当時好まずといへども、付物にて付けがたか物付の効用も認めていた。そのこ 来 とは「一巻、表より名残まで一体 ならんは見苦しかるべし」という 去らんを、さつばりと付物にて付けたらんは、また手柄なるべし」。 芭蕉の言葉によっても理解されよ 〔毛〕付句十七条 つけかたろつうでんじゅ 宇鹿日く「先師、十七の付方を路通に伝授し侍ると承る。いかが」。去来日一西田氏。長崎の蕉門。『付句 十四体』『発句十六篇』の著がある。 いだ のちのち 「遠境の門人の願ひに依りて、付方を書き出し給ふ。されど、後々芭蕉が付ニ『旅寝論』にも名古屋の野水が この伝授の実否を尋ねたのに対し、 方は是に限りたりと、人の迷ひとならんと、是を捨てられしとなり。その書き芭蕉が答えた記事が見える。 かただ 三近江堅田にある本福寺の住職 出し給ふ分、十七条とやらん聞きたり。是を伝授し給ふ事をしらず。大津にて蕉門 0 北枝関係の『芭蕉真伝書』なるも ひろ ほ ) っ′ ) のに「俳諧十七体」として「情・俤 の事とやらんなれば、路通、もしその反古を拾ひて、人に教ゆるにや」。 ・場・景・会釈・観想・時節・天 きよりく 象・其人・時分・逃ゲ・走・対句 許六日く「この事を願ひたるは千那法師なり」。 ・向ヒ付・匂ひ・心の響・二句一 意」をあげているが、真偽は不明。 三 0 句体の善悪 つけく 去来日く「付句は何事もなく、さらさらと聞ゆるをよしとす。巻を読むに、 しあんくふう 思案工夫して付句を聞かんは苦しき事なり」。 うろく ゑんきゃう ぶん よ わぎ せんなほふし この てがら うけたまは まき おほっ ( 現代語訳四四六ハー )
去来抄 444 くらのかみ おもかげづけ 〔一三〕面影付 内蔵頭かと呼ぶ人はたそ 牡年が「面影で付けるというのは、どういうことです ( そなたは内蔵頭ではないかと呼びかけるのは、誰であろう か ) か」と問うた。私は次のように答えた。移り・響・匂いは、 付ける時の程合いである。面影というのは、付け方そのも という付句に対して、先師は「いかにもこれは誰かの面影 のをいうのである。昔は多くその事を直接に付けたが、今 であろう」といわれた。面影のことは支考も書いているか はその事をばんやりと想像されるように付けるのである。 ら、参考にされるがよい、と。 たとえば、 三三〕付ける場 、しばら 草庵に暫く居てはうち破り芭蕉 支考は「付句というものは、一つの前句に対して一つの ( 草庵にしばらくいたが、またそこを捨てて立ち去る ) 付句があるだけである。前句付などは、一つの前句に対し うれ せんじふ た 命嬉しき撰集の沙汰去来 て幾つもの付句があってよい。しかし連俳になると、前句 へんさん ( 命ながらえたおかげで、勅撰集編纂の便りに接した ) に詠まれた場所や人物や時節などの前後の関係をよく見合 この付句を、初めは「和歌の奥儀は知らず候」というふう せる必要があるので、一つの前句に対して多くの付句はで さいぎようのういん に付けた。先師はこれに対して、「前句を西行や能因の境きないものである」といった。 涯と見たのはよい。しかし、直接に西行と分るように付け 私の考えでは、付句は一つの前句に対して千万でもあり るのは拙劣であろう。ただ面影で付けるがよい」といって うる。だから、俳諧は変化極りないものである。支考が一 今の句形に直され、「いかにも西行や能因の面影であろう」句に一句といったのは、最もふさわしい場面は一つしかな といわれた。また、面影というのは、特定の人の面影を詠 いという意味であろう。なるほど付ける場面は多くはない むとは限らない。たとえば、 ものである。しかし、付句はその一つの場面の内にも幾つ ほっしん すずかやま もあり , つると思 , つ。 発心のはじめにこゆる鈴鹿山 ( 出家して最初に伊勢の鈴鹿山を越えてゆく ) 三四〕気色の句 けしき
と。 ある。語呂は盤上を玉が走るようなもので、停滞しないの あかひと はつがすみ 4 がよい。また、柳の枝が風に吹かれるように、優しさのあ 赤人の名はつかれたり初霞史邦 みぞ るのもよい。ただ、溝の水が泥土の中を流れるように、あ ( 東山の辺に朝霞がたなびき、空はほんのりと紅に染まって 抄 . ちこちに行き当り、さらさらと流れないのをきらうのであ いる。山部赤人とはよくも名づけられたものだ ) 来 さへづ がてん る。 鳥も囀る合点なるべし去来 去 ( 鳥もそれに応じて囀り出すようだ ) その外、連句一巻の中に一句や二句は珍しい技巧を用い た句があるのはよい。 それとても語呂がっかえるようなの この付合について、先師は「移りといい、匂いといし このような句はたとえ珍しい技巧があっても、本当に去年じゅうお前が厳しい指導を受けて苦心した効果 一つのわざとしては認められない があらわれた」といわれた、と。 つけく 三 0 〕付句の三変 これについて説明を加えると、「つかれたり」とあるので「な 先師が付句について次のようにいわれたことがある、 るべし」と付けたあたり、前句の余情が付句に移ってゆく跡を 見るがよい。もし発句に「名は面白や」とあれば、脇は「囀る 「発句は昔からさまざまに変化してきたが、付句は三変し ものづけ こころづけ 気色なりけり」というべきである。 ただけである。昔は物付を専らとし、中ごろは心付を専ら ひびきにお とした。今は、移り・響・匂い・位でもって付けるのがよ 響というのは、打てば響くように前句に付けるのである。 たとえば、 い」と。 ばねん えん ぎんかはらけ 牡年が問うて「どういうのが響・匂い・移りというもの 前くれ縁に銀土器をうちくだき ですか」といった。私は次のように答えた、これについて ( くれ縁に、銀泥を引いた素焼の杯を打ちつけて砕いた ) たち は支考が大体のことを書いている。これらについて具体的 身細き太刀の反ることを見よ ( 刀身の細い太刀の反り具合を見よ ) に分りやすく説明することは困難である。今日は先師の評 をあげて説明するが、その他のことは推量して察するがよ という付合を例にして、先師は右の手で土器を打ちつけ、 ( 原文三七六ハー )
7 凡例 『おくのほそ道』については久富哲雄氏の協力を得た。 一、現代語訳は、できるだけ原文の味わいを忠実に伝えるよう留意し、ところによっては語順を変えて訳出 一、本書には、つぎの付録を付した。まず、芭蕉文集の巻末には、 紀行・日記編主要諸本異同表 : : : 主要な諸本間の異同を表示した。 また「校訂付記」については、底本を活字化する上での諸問題について略記した。これら二編は西村真 砂子氏を煩わした。 紀行・日記編地図 : : : 紀行・日記を読み解く便宜のために付した。次の『おくのほそ道』地名巡覧・主 要人物略伝ともども久富哲雄氏を煩わした。 『おくのほそ道』地名巡覧 : : : 本文中の地名・寺社名などにつき、順次、解説した。 『幻住庵記』『望月の残興』地名一覧 : : : 近江を舞台とする二作品の地名を解説した。 『幻住庵記』『望月の残興』出典解説 : : : 両作品の踏まえる典拠を解説した。 主要人物略伝 : : : 芭蕉と同時代の人物について、五十音順に配列し、解説した。登場するべージを付し、 索引としても利用し得るものとした。 初句索引 : : : 本文中の句について、初句を五十音順に配列した。 次に、『去来抄』巻末には、 主要俳人略伝 : : : 同門評を中心に、主要な俳人を選び、五十音順に配列し、主たる登場ページを付した。 初句索引 : : : 本文中の句について、初句を五十音順に配列した。
三一〕付句の位 一『炭俵』所収。前句は野坡、付 8 句は芭蕉。飯の上に置いて炊く大 くらゐ まへく 牡年日く「付句の位とはいかなる事にや」。去来日く「前句の位を知りて付根の干をうわのそらで刻んでい 抄 る、との前句に、馬子が仕事に出 たと くらゐ くる事なり。譬へば、好句ありとても、位応ぜざればのらず。先師の恋句をあぬ日は、内で下女などといちゃっ 来 いている、と付けたもの。 去げて語る。 一一商品の運搬や卸売りを扱う店。 三目が細く下ぶくれの頬をした うはおき 前上置の干菜きざむもうはの空 女が花を眺めている、との前句に 輪が重なり合った模様の菜種色 うち ひ こひ ( 黄色 ) の衣装を着ている、と付け 馬に出ぬ日は内で恋する たもの。 まちやげぢよ やどやとひやなど この前句は人の妻にもあらず、武家・町屋の下女にもあらず、宿屋・問屋等の四役者好みの模様。袖に香をた きしめている派手好きの女性を描 下女なり。 五「今様」は当世風。「ばしやら ほそ は軽薄でだらしがない意。 前細き目に花見る人の頬はれて 六『桃の白実』 ( 天明八年刊 ) 所収。 なたねいろ そで わ 前句は路通、付句は芭蕉。元禄一一 菜種色なる袖の輪ちがひ 年 ( 一六八九 ) の作。前句は、尼になら ねばならぬ女が最後の宵を男と過 前句、古代めかしき人のありさまなり。 し、別れを惜しんでいるさま。 したぢ 「衣々」は、男女の別れの意。付句 前おしろいをぬれど下地が黒い顔 は、出陣する武家の妻と見定めた ゃう そで やくしやも もの。 役者模様の袖の薫もの セ『深川』 ( 元禄六年刊 ) に「ふす いまやう ま掴むで洗ふ油手」として収む。 前句、今様ばしやらの女と見ゅ。 ばねん う め つけく ほしな で はなみ カう・く ひと たき くろ そら
0 正秀が酷評したのは、時雨の閑 めたる上の俳諧なるべしと、作し侍るのみなり」。 寂味と紅の小袖との取合せを不調 和と解したのであろうか 〔三六〕いい尽すな 一『初蝉』 ( 元禄九年刊 ) 所収の去 抄 ちゃう 来・風国両吟歌仙の付句で、風国 前はつの亥の子に丁どしぐるる 来 作。亥の子は陰暦十月初めの亥の いけだひ 日、餅を食べて万病をはらい、 子 去生鯛のびちびちするを台にのせ 孫繁栄を祈った。初の亥の日に、 うら さんすけ 折も折とて時雨が降ってきた。 どこへ行くやら裏の三介 ニ亥の子の祝儀に生鯛を人に贈 ところゐ しうぎ つけく 去来日く「この付句、台にのせ、といへる処、亥の子の祝儀と極めて、このるさま。去来の句。 三三介は小者や下男などの名。 分過ぎたり。やはり、びちびちとしてはねかへり、などあらまほし。しからば生鯛の贈物を持って、裏の三介が 出かけてゆくさま。風国の作。 と、一ろ そう 次の付句までもよからん。かかる処より手おもくなれり。惣じて一句にいひ尽 0 去来の付句で、亥の子の祝儀と 決り、次の付句は拘束されて自由 な展開ができなくなるという。 したるは、あとあと付けがたき物なり」。 四『惟然坊句集』所収。「は・な」 ぜん は詠嘆の助詞。惟然は広瀬氏。美 〔一毛〕惟然の句風 濃の人で蕉門。ロ語調の句が多い。 かたみのだい 五『記念題』 ( 元禄十一年刊 ) 所収。 梅の花あかいはあかいはあかいはな惟然 句集には「若葉ふくさらさらさら ふう たぐひ これら ゐぜんばう と雨ながら」「水鳥やむかふの岸 去来日く「惟然坊がいまの風、おほかたこの類なり。是等は句とは見えず。 へつういつうい」などがある。 と物 ) ろ 先師遷化の歳の夏、惟然坊が俳諧を導き給ふに、そのロ質の秀でたる処よりす六惟然編『藤の実』 ( 元禄七年刊 ) 。 セ「妻呼ぶ雉の身をほそうする あるい なみ すめて、磯際にざぶりざぶりと浪うちて、或は、杉の木にすうすうと風の吹き去来」をさす。 ( 現代語訳四二四ハー ) ぶん せんしせんげ 四 つめはナよ い」ギ一は ) く ゐぜん くちぐせひい きは