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検索対象: 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄
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1. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

をもれて月の光がさし、光はわすかな風にもちらちらと揺れ る。折しも藪の上を、ほととぎすが鳴きながら飛び去った ) また羽紅尼も俳諧をたしなむので、次のような発 句を作った。 又やこん覆盆子あからめさがの山 ( 芭蕉老師の御滞在中にまたこの地に参りましよう。その時 は嵯峨の山いちごよ、赤らんでいてくれよ ) 去来の兄の夫人から、菓子や副食物などを贈与された。 今晩は、羽紅・凡兆の夫婦を泊めたので、五人みんなが 一張りの蚊帳の中に寝たため、狭くて寝苦しく、夜中過 ぎにはみんな起き出して、昼の菓子や酒などを取り出し、 朝方まで話し明かした。去年の夏、凡兆の家に寝た時、 二畳釣りの蚊帳にそれそれ生国の違う四人の人が寝た。 よくさ そこで「思ふ事四つにして、夢もまた四種」と書き捨て た事などを言い出して笑い合った。夜が明けると、羽 紅・凡兆の二人は京都にもどって行った。去来はなお滞 日 峨留する。 嵯 二十一日 昨夜寝なかったので気分がすぐれず、それに空模様も昨 日と変って、朝から曇り、時々雨さえ降る有様なので、 1 三ロ 一日中眠って過した。夕方になって、去来は京都に帰る。 今晩は人もなく、昼間寝たので夜になっても眠られない ままに、去年、幻住庵で書いた草稿を取り出し清書する。 さび 二十二日朝の間、雨降る。今日は人もなく淋しいままに、 無駄書きをして遊ぶ。その言葉。 「喪にいる者は悲しみをあるじとし、酒を飲む者は楽し みをあるじとする」。 「さびしさなくばうからまし」と西行上人が詠んだのは、 淋しさを自分の主人とする心持からであろう。また西行 上人は、こんなふうにも詠んでいる ひとり たれ 山里にこハ又誰をよぶこ鳥独すまむとおもひしものを ( 山里に独り淋しさを主人として住もうと思っているのに、 あの呼子鳥はだれを呼ばうとして鳴きたてるのだろう ) なんにしても、独り住むほどおもしろいことはない。木 ちょう。ししうし 下長嘯子がこう言っている、「客は半日の清閑の時を過 し得たといって喜ぶが、おかげで主人であるわたくしは 半日の閑を失ってしまった」と。わが友素堂は、常にこ の言葉を口にして同感している。わたくしもまた、 うき我をさびしがらせよかんこどり ( 物憂い気分でいるわたくしを、さらに淋しがらせてくれよ、 ひま

2. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

去来抄 398 ほたる 田のヘりの豆ったひ行く蛍かな 花を愛して夜の明けるのを待ち、日の暮れるのを惜しみ、 うね ( 田の畝に植えられた豆を伝いながら、蛍が飛んでゆく ) 花にことよせて人の世のはかなさを恨んだり、花を尋ねて これはもと先師が添削された凡兆の句である。『猿蓑』 山野に行き迷ったりしたが、いまだかってそのために命を みどころ 編集の時、凡兆は「この句は見所がないから除いたほうが捨てたということは聞かない。だから、上に桜と置けば、 よし」といっこ。 かえって、年の敵哉、というところが露骨になろう」と賛 やみよ 私は「田のヘりの豆を伝ってゆく蛍の光は、闇夜の景色成しなかった としては趣がある」といって入集を乞うたが、凡兆は許さ 信徳はそれでも納得しない。 このことを重ねて先師に語 . な、かつわ ~ 。 ると、先師は「そういう点は信徳には理解できないこと 先師は「凡兆がもし捨てるなら私がそれを拾おう。さい だ」といわれた。 わい伊賀の作者に似た句があるから、それを直してこの句 その後、凡兆が「大歳を」と上五を置いた。すると先師 まんこ にしよう」といわれて、ついに万乎の句ということにした。 は「まことにこの一日は千年も命がちぢむようなものだ。 一四〕本情を生かす よくもうまく置いたものだ」と大笑いされた。 おほとし かたき 大歳をおもへばとしの敵哉凡 〔一五〕詞の作 おおみそか さんせん ( 大晦日にはさまざまなことが重なって、それを思うと命も 散銭も用意がほなりはなの森去来 やしろ ちちむ。まったく命にとっては敵のようなものだ ) ( 花の森を見に来た人が、ついでに森の社に参詣するつもり さいせん で賽銭の用意もしている様子だ ) もとは上五を「恋すてふ」と置いた私の句である。私が 「この句には季がない」というと、信徳は「それなら上五 先師は「花の森、とは聞きなれない言葉だ。名所なので に、恋桜、と置くがよい。花は風流人の切に心をとめるも あろうか。古人も、森の花、とはいっている。言葉を無理 のであるから」といった。 にこしらえて、このようなまずいことをいってはならぬ」 私は「物には釣合ということがある。なるほど、古人は と評された。

3. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

るさず。 先師日く「兆もし捨てば我ひろはん。さいはひ伊賀の句に似たるあり。それ を直し、この句となさん」とて、終に万乎が句となしけり。 〔一四〕本情を生かす 五 . おほとーし おおみそか 五大晦日にはいろいろのことが 大歳をおもへばとしの敵哉凡 重なって、それを思うと命がちち 元の五文字は、恋すてふ、と置きて、予が句なり。去来日く「この発句当季む。まったく命にとっては敵のよ 六 うなものだ。「大歳」は大晦日。 、うじん こひぎくら 六「桜を切に思う」と「恋や桜」の なし」。信徳日く「恋桜と置くべし。花は騒人の思ふ事切なり」。 両説があるが、前者に従う。 一うおう 去来日く「物には相応あり。古人花を愛して明くるを待ち、暮るるををしみ、 0 この句では「年の敵哉」が本情で あり、上五はその本情にふさわし しんみやう いものが望まれる。信徳はその点 人をうらみ、山野に行き迷ひ侍れど、いまだ身命のさたに及ばず。桜と置かば、 に理解が及ばなかった。凡兆の改 ところ 作も芭蕉は秀吟と認めたのではな 却って、年の敵哉、といへる処あさまに成りなん」。 、凡兆の意外な機知に感じて大 評信徳猶心得ず。重ねて先師に語る。先師日く「そこらは信徳が、しる処にあ笑いしたのである。 師 らずーとなり。 先 かむり その後、凡兆、大歳を、と冠す。先師日く「誠に、この一日千年の敵なり。 いしくも置きたる物かな」と、大笑ひし給ひけり。 かへ なほ なほ さんや われ はべ 、」じん つひまんこ かたきかな せつ せんねん ほくたうき

4. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

すで 汝が句も已に落付く処においてはきづかはず。そこに尻をすゅべからず」と一『猿蓑』所収。去年の古雛は新 しい雛に座を譲って、下座に直っ ている、の意で、そうした身の処 し方はあたかも人の心の移ろいや 抄 すさを表しているようだ、との寓 〔三〕観相の句 来 意がこめられていよう。 しもぎ ふるまひ ひな ニ伊藤氏。貞門・談林を経て蕉 去振舞や下座になほる去年の雛去来 門とも交渉があった。 さく ところ この句は、予思ふ処ありて作す。五文字、古ゑばし・紙ぎぬ等はいひ過ぎた三「誰も見よ満つればやがてか く月のいざよひの空や人の世の けいぶっしたごころ かむり り。景物は下心徹せず。あさましゃ・ロをしゃの類ははかなしと、今の冠を置中」の歌により「人の代や懐にます 若ゑびす」 ( 団袋 ) という句がある。 うかが 0 「思ふ処」というような世相を観 きて窺ひければ、 ずる観相の句は、意図があらわで しんとく なく、また不明瞭でなく詠むこと 先師日く「五文字に心をこめて置かば、信徳が、人の代や、なるべし。十分 のむずかしさが語られている。 かんにん うね 四『猿蓑』に上五「田の畝の」とし、 ならずとも、振舞にて勘忍あるべし」となり。 作者を「伊賀万乎」として収む。田 〔一三〕改作について の畝に植えられた豆を伝いながら、 蛍が飛んでゆく。 ゅ まめ 0 凡兆の句の「へり」を「畝」と直し 田のヘりの豆ったひ行く蛍かな ただけで万乎の句としている。こ ふせい ばんてう もとは、先師の斧正ありし凡兆が句なり。猿蓑撰の時、兆日く「この句見るれに似た例は『去来抄』に他にもあ る。撰集に入句することは名誉で ところ あり、一句程度の入句者には特に 処なし、のそくべし」。 配慮がなされている。万乎は伊賀 けしきふうし 去来日く「へり豆をつたひ行く蛍の光、闇夜の景色風姿あり」と乞ふ。兆ゅの分限者であった。 ( 現代語訳三九七ハー ) なんぢ 四 た よ ふるまひ ところ ほたる やみよ さるみのせん ふる たぐひ しり かみ など み

5. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

あさばたけ 凡兆日く「この麦畠は麻畠ともふらん」。去来日く「麦は麻になりても、よをつかみあふ子どものたけ」が一 句の実で、その取合せとしての季 物は他に換えてもよいという凡兆 もぎになりても苦しからず」と論ず。 らの論である。この「ふる・ふら 抄 先師日く「また、ふる・ふらぬの論かしがまし」と、制し給ふなり。見る人、ぬ」の論は、むしろ蕉風以前のも 来 のであり、芭蕉の立場からすれば、 凡兆らの論も低度のものとして、 去察せよ。 これを嫌悪する気持を表明したも のであろう。 〔 = 三〕はしりとねばり 一『猿蓑』所収。沖で時雨にあっ いそがしゃ沖のしぐれの真帆かた帆去来 た船が、風向きが変るので真帆や さるみの しぐれ 去来日く「猿蓑は新風の始め、時雨はこの集の眉目なるに、この句仕そこな片帆と忙しい。「真帆」は帆を船と 直角に張って、全体に風を受け、 ありあけかたほ ひとしぐれ 「片帆」は帆を一方に片寄せて風を ひ侍る。ただ、有明や片帆にうけて一時雨、といはば、いそがしやも真帆も、 はらまオ % ニ面目の意。『猿蓑』には巻頭に その内にこもりて、句のはしりよく、心のねばりすくなからん」。 時雨の句十三句を収めている。 ひと 先師日く「冲の時雨といふも、また、一ふしにてよし。されど、句ははるか全はしり」は句の勢いや拍子であ り、「ねばり」は理に落ち、説明的 になることをいう。 におとり侍る」となり。 三『俳諧曾我』 ( 元禄十一一年刊 ) 所 〔三三〕物語の俳諧化 収。曾我兄弟が討入の夜、これが きゃうだい かほみ やみ ほととぎす 最後の別れと顔を見合せた折、時 兄弟の顔見る闇や時鳥去来 鳥が鳴いた。 そがきゃうだいたがひ 去来日く「この句は、五月二十八日夜、曾我兄弟の互に顔見合せける比、時四建久四年 ( 一一九三 ) のことで、 ( 現代語訳四〇五ハー ) ばんてう おき 四 びもく し ころ

6. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

芭蕉文集 一「もる月そ」 ( 芭蕉庵小文庫 ) 。 ニ去来の長兄向井元端の妻。 三芭蕉・去来・凡兆・羽紅・屋 尼羽紅 よへい ぶんかん 敷守りの与平か。『本朝文鑑』所収 「落柿舎制札」の支考注によれば与 又やこん覆盆子あからめさがの山 平は屋敷の隣に住んでいたらしい てうさい あにしつ ので、芭蕉の誤記とも考えられる。 去来兄の室より菓子・調菜の物など送らる。 四前年 ( 元禄三年 ) の夏、凡兆宅 こぞふし 今宵ハ羽紅夫婦をとゞめて、蚊屋一はりに上下五人挙リ臥たれバ、夜もいねへ行き、四条河原の納涼をした。 たたみ 五畳二畳釣りの広さの蚊帳。 さかづき すぎ がたうて夜半過よりおの / 、起出て、昼の菓子・盃など取出て暁ちかきまで六芭蕉は伊賀国、去来は肥前国 いぬやま 四 長崎、丈草は尾張国犬山、凡兆は あか ばんてう はなし明ス。去年の夏凡兆が宅に臥したるに、二畳の蚊屋に、四国の人臥た加賀国金沢。丈草の死を悼んだ去 じようそうのるい 来簍・丈草誄」に「一一畳の蚊屋の内 ども よくさかきすて いひいだ に頭おし並べ」の語があり、二畳 り。おもふ事よっにして夢もまた四種と書捨たる事共など、云出してわらひ 釣りの蚊帳に四人が寝たことは、 あく 当時語り草だったか。 ぬ。明れバ羽紅・凡兆京に帰る。去来猶とゞまる。 セ「如善見律云、夢ニ四種有リ 一、四大 ( 地・水・火・風 ) 和マザ 廿一日 ル夢。二、先見夢。三、天人夢。 うち 昨夜いねざりければ、心むつかしく、空のけしきもきのふに似ズ、朝より打四、想夢」 ( 諸経要集・巻二十 ) 。 ^ 『笈の小文』の材料の短文類か。 くも および をりをりおとづる あるじ たのしみ 曇り、雨折 / 、音信れバ、終日ねぶり臥たり。暮ニ及て去来京ニ帰る。今宵九「酒ヲ飲ム者ハ楽ヲ以テ主ト あはれみ かきすて たづね げんぢゅうあん 為シ、喪ニル者ハ哀ヲ以テ主ト ハ人もなく、昼臥たれバ夜も寝られぬまゝに、幻住庵にて書捨たる反古を尋為シ、親ニ事フル者ハ適 ( 親の意 にかなうこと ) ヲ以テ主ト為ス」 いだ せいしょす よま ( 荘子・漁父篇 ) 。この文、初め「愁 出して清書。 こよひ ほとゝぎす大竹藪をもる月夜 、一う かや おきいで いね ふし かや とりいで ふし

7. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

407 先師評 ( 原文三二〇ハー ) この前句が出た時、私は「このような前句の趣を見のが 〔三〈〕尿糞のこと にな さずに付けるには、どうすればよいでしようか」と、先師 でっちが荷ふ水こばしけり凡 でっち ( 丁稚が担う桶の水をこばしてしまった ) の付句をお願いしたら、この付句を示された。 こえ 〔四一〕花の座 初めは「水」が「糞」となっていた。凡兆が「尿や糞の かしのき 前くろみて高き樫木の森 ことを詠んでもよいでしようか」とお尋ねすると、先師は ( 樫木の森が、くろずんで高々とそびえている ) 「きら , っことはない。 しかし百韻 ( 百句 ) でも二句以上はい 咲く花に小さき門を出っ入りつ芭蕉 けな、。まして三十六句の歌仙では一句もなくてよかろ ( そばに桜が咲いている小さな門を出入りしている ) う」といわれた。そこで、凡兆は「水」に改めた。 〔三九〕句の姿 この前句が出た時、私は「この前句はすべて樫木の森の ことばかりをいっている。その景趣を失わずに花の句を付 妻呼ぶ雉子の身をほそうする去来 けようとするのはむずかしいことでしよう」と先師の付句 ( 雌を求めて鳴く雉子の様子がせつなげである ) をお願いしたら、このように付けてお見せになった。 初めは「雉子のうろたへてなく」となっていた。先師は 〔四ニ〕修練各別 「去来よ、お前はこれくらいの事を知らないのか。およそ、 あや 前綾のねまきにうつる日の影 句には姿というものがある。同じ事でも、身をほそうする、 ( 朝遅く起き出た女の綾織の寝巻に日の光が映えている ) といえば、姿が出てくるものを」といわれた。 わらぢ 泣く泣くも小さき草鞋もとめかね去来 〔四 0 〕季移り ( 泣きながらも足に合う小さな草鞋を捜しているが、適当な 前ばんとぬけたる池の蓮の実 のがない ) ( 池の蓮の実が熟して子房からばんと飛び出した ) この前句が出て、一座の人々はしばらく付け悩んでいた。 咲く花にかき出す縁のかたぶきて芭蕉 ( 花見をしようと担ぎ出した縁台の脚が壊れて傾いている ) 先師は「この句の趣は身分の高い婦人の旅であろう」とい おけ

8. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

401 先師評 ( 原文三一〇ハー ) こういう場合には、こうした真情が動くものであろう。 っているようだ。先師の解釈によれば、いささか風狂人の 特別な感興を求めたり、景趣を探るような心の余裕などあ 感じもあるのだろうか ( 後になって考えると、自称の句として見ると、風狂人のさま るまいということを、私はこの時つくづく思い知ったこと である。 も浮んできて、最初の趣向より十倍もまさっている。まことに 〔一三〕実と花 作者の私はその考えには思いも及ばなかった ) しもぎゃう 『笈の小文集』は先師自撰の集である。その名は聞いていても、 下京や雪つむ上のよるの雨凡 ( 下京の夜、雪の上に雨がやわらかに降ってきて、なんとな その書はまだ見ていない。きっと草稿半ばで亡くなられたので く暖かい感じがする ) あろう。先師がこの書を口にされた時、「私の発句は何句ほど 御集にはいっていましようか」とお尋ねすると、先師は「わが この句は、初め上五がなかった。先師を初め門人たちも いろいろと置いてみて、結局この五文字に決定された。凡 門人で、『笈の小文』に三句入集している者はまれであろう。 お前は分に過ぎたことをいったものだ」といわれた。 兆は「はい」と答えたものの、まだ十分得心しないふうで あった。 三一〕場を知ること やくわんもと 先師は「凡兆よ、お前の腕前を示すためにこの五文字を うづくまる薬罐の下のさむさ哉丈草 せん ( 師の病を案じつつ、薬を煎じる薬缶のそばにうすくまって置いてみよ。もしこれよりもまさるものであれば、私は二 いると、寒さが骨身にしみるようだ ) 度と俳諧はロにしないつもりだ」といわれた。 よと なにわ この五文字のよいことは誰でも知っているが、この外に 先師が難波で重病の床につかれた時、人々に夜伽の句を 作るようすすめて、「今日からはもう自分の死後の句と考はないということはどうしてわかろう。このことを他門の 人が聞いたら、笑止にも幾つも五文字を置いてみることだ えよ。一字の相談もしてはならぬ」といわれた。 ろう。しかし、他門の人がよしとして置いたものは、蕉門 人々はいろいろの句をたくさん作ってお見せしたが、た からみれば、逆におかしなものだろう、と私は思うのであ だこの一句だけを「丈草、よくできた」とおっしやった。

9. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

二重に引く長点で、高点に当る。 ず」となり。 ひらてん ややよい句には一筋引きの平点 ところ じゃうきゃう ^ あらかじめ用意し、手帳に記 かって上京の時、問ひて日く「この句いかなる処手帳に侍るや」。 した句。体験しない作為による句。 先師日く「船の中にて馬の煩ふ事はいふべし。西国の馬とまでは、能くこし 0 この句の前句は「見しり置く舞 台小袖のなっかしく米巒」。京 で見た舞台小袖を懐かしみつつ、 らへたる物なりーとなん。 帰国の船上にある場面を描くが、 しいて西国大名の馬と限定するの 〔毛〕同じく 九 は作り事になるという。 く。も いだ ゆみはり つの 九弓張月 ( 弦月 ) 。弦月に雲がか 弓張の角さし出す月の雲去来 かり、その雲の切れ間から弓の角 去来問ひて日く「この句も手帳なるべきや」。先師日く「手帳ならず。雲ものような月の端がのぞいている。 0 雲も角も弓張月もすべて必要だ ゆみはりづき というのは実見によるもので、手 角も弓張月もし。 、、まねば一句きこえず」。 帳の句ではないというのである。 でっち 一 0 丁稚が担う桶の水をこばして 〔三 0 尿糞のこと しまった。『猿蓑』の歌仙「市中は」 みづ の巻に出る付句で、下五「こばし でっちが荷ふ水こばしけり たり」。前包・追立てて早き御馬の ねうふん 評初めは糞なり。凡兆日く「尿糞のこと申すべきか」。先師日く「嫌ふべから刀持」。 0 俳諧では詩・和歌・連歌が取り ひやくゐん 師 あげなかった題材をも扱うという ず。されど、百韻といふとも二句に過ぐべからず。一句なくてもよからん」。 先 態度で一貫している。しかし醜を ただ醜として詠むのではなく、そ 凡兆、水に改む。 れを全体の美意識の中に取り込む というのが蕉風の行き方である。 こえ つき ばんてう

10. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

1 三 の本来の素質を表したのだ」と。 な句でもない」といわれたので、「冬の月」として『猿蓑』 につしゅう これより前、越人の俳名はすでに四方に高く聞え、人々 に入集した。 の推賞する発句も多い。しかるに、師は、この句にいたっ その後、大津からの先師の手紙に「あの句は、柴戸では て初めて越人が本来の素質を表した、といわれたのである。 なく此木戸である。このようなすぐれた句は、一句でもた しゆっぱん 〔六〕体格優美と珍物奇巧 いせつであるから、たとえすでに出板していても、すぐに こがらし 凩に二日の月のふきちるか 荷兮 改めよ」と記してあった。 ばんちょう ( 吹き荒れる木枯しのために、細い三日月は吹き散ってしま 凡兆がいうには「柴戸でも此木戸でもたいして変りはな いそうだ ) いではないか」と。 凩の地にもおとさぬしぐれ哉去来 私は凡兆には反対で、「この月を柴の戸に配して見れば、 きど しぐれ ( 折から降ってきた時雨を、木枯しが横なぐりに吹き散らし ごくありふれた景色になる。この月を城戸にうっして見る て、地面まで落さないほどだ ) と、その風情には深い趣があってもの凄く、その美しさは この二句について、私は「荷兮の句は、二日の月を出し、 しいようもないほどである。其角が冬・霜の選択に迷った 吹きちるかと巧みに表現した所など、私の句よりはるかに のも当然である」といった。 まさっていると思います」といった。 〔五〕風雅か俗情か ねこ 先師は「荷兮の句は二日の月という素材の珍しさで句を うらやましおもひ切る時猫の恋越人 ( 騒がしく鳴いている恋猫も、思い切る時はさつばりとして仕立てている。その二日の月という物の名を除くと、それ うらや 師 いる。それが、執着を断ち切れない人間には羨ましい ) ほどの句ではない。お前の句は、格別な素材によって作っ まで 先 たとも見えないが、 全体として好句である。ただ、地迄と 先師が伊賀上野からこの句を書き送っていわれるには 限定した迄の字が気品をおとしている」とて、「地にも」 5 「、いにまことの詩心をもっている者は、いっか一度はロに と訂正された。 出さないことはない。彼の俳諧はこの句において初めてそ けしき えつじん