( 現代語訳四三〇ハー ) いものであり、それだけにすぐれ た句も多いとされている。恋の句 と並んで月・花の句が最も重要な 句座とされたことは前述した。こ たびたび かくいふも、何とぞ巻面のよく、恋句も度々出でよかしと思ふゅゑなり。勅のことは『万葉集』以来の和歌の伝 統を継承していることにもなる。 の上をかくいふは恐れあるに似たれど、それは連歌の事にて、俳諧の上にあら四満月以後、月の出が遅くなり、 宵のうちは闇夜であること。 そむ しか われ ねば背き奉るにもあらず。然れども、我古人の罪人たる事をまぬかれす。ただ五元禄五年 ( 一六九 = ) 十月三日、江 戸在勤中の許六の旅亭で行われた : つがくさく 句会。初裏七句目に出る「宵闇は 後学の作してよからん事を思ひ侍るのみなり」。 うつ あらぶる神の宮遷し芭蕉」の付 よいやみ 句をさす。『韻塞』所収。 〔 0 宵闇の句 四 六毎月の名で、月の句としては うしち しやだう せうもんよひやみ 卯七日く「蕉門に宵闇を月に用ひ侍るや」。去来日く「この事あり。洒堂日扱わない。初裏九句目の「八月は 旅面白き小服綿洒堂」をさす。 ふかがは く、深川の会に宵闇の句出でたり。先師日く、宵闇は句中に月あれば、外に月セ元禄七年冬、去来・風国の両 吟歌仙 ( 初蝉 ) の初裏十句目「蚊の く、く ったな たかりたる宵闇の空去来」。 の句作せんは拙かるべしと、直に月に用ひ、さて、表に月を見せざらんもいか ^ 許六・李由共編『宇陀法師』 ( 元禄十五年刊 ) 。 こ、この句に触れ 実がと、月次の月の字を入れらるる、といへり。さもあるべき事と思へり。 て、たまたま宵闇の句が月秋 ( 月 ふうこく すで その後、風国が会に宵闇の句出づ。予日く、先師已にこの式を立てらるる上を含む秋で、月を含まない秋は素 あき 故 秋 ) の句の出るべき位置に出たの で、これを月の句として扱ったの は、いざその法にならはん、と是を月に用ひ侍りぬ。 であり、いつの場合も宵闇が月の きよりく 句になるのではないと論じている。 この頃、許六の書を見るに、先師の宵闇を月にし給ふは故ありての事なり。 句もすべし。付けがたからん時は、しひて付けずとも、一句にても捨てよとい へり。 つきなみ まきづら すぐ ほか
一雌を求めて鳴く雉子の様子が 〔三九〕句の姿 せつなげである。底本には頭書に み 「句姿の処」と注記。この条を後の 妻呼ぶ雉子の身をほそうする去来 句姿の条に移したい、との意。 抄 初めは、雉子のうろたへてなく、なり。先師日く「去来、かくばかりの事を 0 初案は外面的な写生で、風情は 来 あっても風姿なく、改案は外面的 去しらずや。凡そ、句には姿といふ物あり。同じ事をかくし。 、へま、姿出で来る物な写生とともに雉子の心情まで捉 え、風情・風姿ともに備わる。 ニ池の蓮の実が熟して子房から をとなり。 ばんと飛び出した。花見をしよう と担ぎ出した縁台の脚が壊れて傾 〔四 0 〕季移り いている。 はす 0 前句は秋の句。付句は枯蓮と見 前ばんとぬけたる池の蓮の実 立てて春の景となし、桜を詠む。 だ 三樫木の森が、くろずんで高々 咲く花にかき出す縁のかたぶきて芭蕉 とそびえている。そばに桜が咲い まへく ている小さな門を出入りしている。 この前句出でける時、去来日く「かかる前句をのがさず付けんこま、 0 芭蕉の句は初裏十一句目で花の しょまう 定座だが、前句の情景に花の句は と、先師の付句を所望しければ、かく付け給ふなり。 付けにくい。『去来抄評』は前句を 塀に囲まれた邸内と解し、付句を 〔四一〕花の座 小さな裏門のそばに咲く桜とする。 たか 四朝遅く起き出た女の綾織の寝 前くろみて高き樫木の森 巻に日の光が映えている。『俳諧 はな ちひ かど やえぎくら 八重桜集』 ( 元禄五年刊 ) 所収。中 咲く花に小さき門を出っ入りつ芭蕉 七は「寝巻に匂ふ」。作者は示右。 ぜんたい この前句出でける時、去来日く「前句、全体樫の森の事をいへり。その気色五泣きながらも足に合う小さな ( 現代語訳四〇七ハー ) つまよ まへく およ つけく えん で かしのき ・もめ・ み きた けしき
のざらし 紀行の名称は、草枕・のざらし紀行・野ざらしの紀行・芭蕉翁道之記・芭蕉翁野佐らし紀行・野晒紀行・ のぎらし ワ」 野曝紀行・芭蕉翁甲子の記行・芭蕉翁甲子吟行・甲子記などがあるが、いずれも芭蕉自身の命名によるもの かっしぎんこう 集ではなく、今日では「野ざらし紀行」が広く用いられているので、これに従った。「甲子吟行」の名称も用 文 蕉いられている。 鹿島詣 ( 鹿島紀行 ) 芭蕉が数え年四十四歳の、貞享四年 ( 一六八七 ) 八月、江戸の芭蕉庵から、鹿島へ月見に出かけた小旅行を素 ギ一ようとく みつまた 材にした紀行である。当時、隅田川の三股の右岸から今の千葉県の行徳へ行く定期船があった。芭蕉たちは、 ふなほり びんせん その便船で、芭蕉庵に近い小名木川をさかのばり、中川を横切り、船堀川にはいり、さらに江戸川を経て行 ふさ 徳に着き、行徳から陸路三〇キロを歩いて利根川の船だまりの布佐に着いたのは日暮れ時である。布佐から 鹿島へは夜船の便船がある。「鹿島へ水路十四里 ( 約五四キロ ) 」 ( 『鹿島詣』寛政十二年刊 ) だったという。鹿島 ぶっちょうおしよう こんばんじ 神宮へ詣でるとともに、根本寺の前住職で、芭蕉の禅の師仏頂和尚を同寺に訪ねて一泊し、その夜半、雨後 の月見をした。 しようらいあんしゅうか 諸本の系統を二大別すると、一つは曰宝暦一一年 ( 一七五 = ) 刊『鹿島詣』 ( 松籟庵秋瓜が本間家伝来の芭蕉真蹟を模 刻出板したもの。以下、秋瓜本と呼ぶ ) ・文化十年 ( 一八一三 ) 刊『鹿島詣』 ( 本間家の自準亭五代松江が秋瓜本と同じ芭 蕉真蹟または秋瓜本そのものを底本にして、一部手を加え、白字刷折本にして模刻出板したもの ) ・佐藤家蔵、芭蕉真 蹟写し『鹿島詣』等である。もう一つの系統は、元菊本直次郎氏蔵 ( 現在、天理図書館蔵 ) 芭蕉真蹟『かし ま紀行』 ( 以下、菊本本と呼ぶ。『俳人真蹟全集芭蕉』『芭蕉図録』書善本叢書『芭蕉紀行文集』等に写真収録 ) ・ 寛政二年 ( 一七九 0 ) 刊『かしま紀行』 ( 菊本本を白字刷にして模刻出板したもの ) 等であり、本文としてはどちらも おなぎ おりほん
芭蕉文集 52 そうこっ いふしゆく そのひやうやうさうか さだめ 定なき頼の末をかけ、其日漸草加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝ いでたちはべるかみこいちえ ただ れる物先くるしむ。只身すがらにと出立侍を、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・ はなむけ 雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がた ろしわづらひ くて、路次の煩となれるこそわりなけれ。 あまぐすみ 一底本「早」と誤記。江戸から二 つ目の宿駅。今の草加市。 かきしぶ ニ厚い白紙に数回柿渋を塗って、 日で乾かした後、一晩、夜露にさ らして揉み柔らげた紙製の衣服。 そうじゃ おおみわ 三栃木市惣社町の大神神社。歌 枕。元来、かまどの神か。 四蕉門で、この旅の同行者 工四面を土で塗りふさいだ、出 入り口のない家。 ににぎのみことき一き 六瓊々杵尊の后となった木花開 〔四〕 耶姫が、一夜の契りで懐妊したの まうし どうぎゃうそら むろやしまナい 室の八嶋に謌す。同行曾良が日「此神は木の花さくや姫の神と申て、富士を疑われたので、無戸室に入り、 あだしかみこ さいはひ 「若し他神の子ならば必ず幸なけ ほほでみ いったいなりうつむろいりやけたま 一躰也。無戸室に入て焼給ふちかひのみ中に、火々出見のみこと生れ給ひしょん」と言って無戸室に火をつけ、 ひこ 火の中で火酸芹命・火明命・彦 いはれ はた七 よみならははべる ままでみの り、室の八嶋と申。又煙を読習し侍もこの謂也」。将、このしろといふ魚を禁火出見尊を出産したという神話 ( 日本書紀・巻第一 l) による。 、 ) とはべり むね ・一はだ セ中型のものは小鰭として知ら ず。縁起の旨、世に伝ふ事も侍し。 れる。 ^ 社寺のいわれ。 九旅の事実としては四月一日。 紀行構成上の配慮から、旅の事実 を前後させたもの。 ほとけござゑもんいふよろづ 卅日、日光山の梺に泊る。あるじの云けるやう「我名を仏五左衛門と云。万、一 0 当時、西行作と考えられてい せんじゅうしよう た『撰集抄』所収の「正直房」の話 まくら うちとけ まうしはべる 正直を旨とする故に、人かくは申侍まゝ、一夜の草の枕も、打解て休み給に基づくか。 みそか えんぎ たのみ まづ まうす ふもと この わがな つき うちすて や 第一のはなさく
去来日く「風は千変万化すといふとも、句体は新しき・軽き・慥かなる・厚 0 平明な付句をよしとするのは去 来の考えというだけではなく、連 すみや つよ き・閑かなる・和かなる・剛き・解けたる・懐しき・速かなる、かくの如きは句の会席で難解な付句が出ること は禁物とされたことは極めて自然 しぶ なことである。 よし。鈍き・濁れる・弱き・重き・薄き・渋りたる・したたるき・堅き・騒が あ どん しき、かくのごときは悪し。堅き句と鈍なる句は善悪あり」。 0 支考は付句の場を重視し、去来 三九〕付句の新古 もそれは否定しない。ただし、支 支考日く「付句は句に新古なし。付くる場に新古あり」。去来日く「古風の考の説は極端に走り、去来はゆる やかである。 し。しカカ古体のうち、 句を用ゆるも、場によってよし。されど、古風のままこま、ゝ。ゝ。 四連句の完結したものを一巻と いまや、つ、 今様をすべし」。 五連句は懐紙に書きつけるが、 懐紙の一枚目の表から最後の紙の 〔三 0 〕一巻の変化 四 裏まで、の意。 ひとまきおもて 先師日く「一巻、表より名残まで一体ならんは見苦しかるべし」。去来日く六懐紙の一枚目の表 ( 歌仙なら 六句、百韻なら八句 ) 。 きよく しょをりうら 六ぶじ 行「一巻、表は無事に作すべし。初折の裏より名残の表半ばまでに、物ずきも曲セ一枚目の裏 ( 歌仙なら十二句、 百韻なら十四句 ) 。 ^ 最後の紙 ( 歌仙なら二枚目、 もあるべし。半ばより名残の裏にかけては、さらさらと骨折らぬゃうに作すべ 修 百韻なら四枚目 ) の表 ( 歌仙なら十 なほかうく し。末に至りては、たがひに退屈出で来り、猶好句あらんとすれば、却って句二句、百韻なら十四句 ) 。 九最後の紙の裏 ( 歌仙なら六句、 ぎんせき ふでき しぶり、不出来なる物なり。されど、末々まで吟席いさみありて、好句の出で百韻なら八句 ) 。 しかう しづ にぶ ふう やはら さく たいくっ すゑずゑ きた くたい なっか たし かた かへ
( 現代語訳四一四ハー ) し・よがく つつし ) うしゃ ( 元禄十一年刊 ) で「近年の秀逸」と 失ふといふ。角が功者すら、時にとって過ちあり。初学の人慎むべし」。 その着眼の新しさをほめている。 素行の句も大津の人々が感賞した ニニ〕等類と同巣 という ( 旅寝論 ) 。しかし、去来は 珍物新詞に魂を奪われて物の本意 桐の木の風にかまはぬ落葉かな凡 を失った句として難じたのである。 かしのきとうるい 其角日く「是、先師の樫木の等類なり」。凡兆日く「しからず。詞つづきの セ桐の葉が風もないのにはらり と散っている。 似たるのみにて、意かはれり」。 ^ 「樫の木の花にかまはぬ姿か どうさう レ」ド ) ゆけい な」 ( 吐綬難 ) をさす。 去来日く「等類とはいひがたし。同巣の句なり。同巣を以て作せば、予今日 九表現法や発想の型が類似して あられ たきがはそこ しぐれかな こがらしち いることで、趣向・作意の類似を の吟、凩の地にもおとさぬ時雨哉、といふ巣をかりて、滝川の底へふりぬく霰 いう等類とは区別する。 うままさ てがら ′」んか かな 哉、と一言下にいふべし。いささか作者手柄なし。されど兄より生れ勝りたらん一 0 「先師評」 ( ↓三〇〇注 = ) に 既出。 = 前に作られた句。 は、また各別なり」。 0 等類については「先師評」に出る 「清滝や」 ( ↓三〇一ハー注六 ) の条で 〔一三〕手筋を尊ぶ どうそう 触れた。同巣は同竈とも書き、等 や でむか こまかひ 類とは区別されており、後出の 評駒買に出迎ふ野べの薄かな野明 「修行」 ( ↓三七四ハー注四 ) にも触れ ふぜい すぐ 去来日く「駒買ひに人の出迎うたる野べの薄にや。または直に薄の風情にている。 ありそうみ や」。野明日く「薄の上なり」。来日く「初めよりさは聞き侍れど、吾子の俳諧三『有磯海』所収。野べの薄が、 駒買いの人を出迎える風情でなび のかく上達せんとは思はざりし。ただ驚き入り侍るのみ」。支考日く「句の秀いている。 一口 きかく きり かくべっ き かぜ の おちば すすき あやま ばんてう さく 、と・は よ
ソハタッ 事也 ( 柿 ) Ⅱ且ー ( 曾 ) 「且」と朱にて振り仮名。聞 8 欹ものー欹もの ( 曾 ) 笈も太刀も五月にかされ帋幟ー 6 東人之ー東人也 ( 柿 ) 8 匍匐 ( 圃周 ) ー圃周 ( 曾 ) ( 曾 ) 初め「弁慶か笈をもかされ帋幟」と図 7 朝臈 ( 猫 ) ー ( 曾 ) 「猫」と朱で振り聞雄嶋か礒はー ( 曾 ) 初め「雄」を し、のち「弁慶か」と「を」を削り、「か仮名。 「小」とし、のち「小」を「雄」に改む。 集 文され」の脇に「太刀も五月に」を補って事のみをー ( 曾 ) 初め「事のみ」と聞出たるー成出たる ( 曾 ) 蕉本文の形とす。 し、のち「を」を補う。 ( 柿 ) 「をなし。 1 将ー ( 曾 ) 「将」と朱にて振り仮名。 芭 3 也ー ( 曾 ) 初め「也とし、のち消 2 はねをかハしー ( 曾 ) 不明な一字を 3 江上ー ( 曾 ) 初め「江山」とし、朱 して「にや」と改む。 消し、朱にて「か」を補う。 にて「山」を「上」に改む。 礙 5 温泉ー ( 曾 ) 初め「出湯」とし、の 2 終ハー終にハ ( 曾・柿 ) 6 身をかれー身をかす ( 柿 ) ち消して「温泉 , と改む。 3 入相ー入逢 ( 曾 ) 9 濁子かー ( 曾・柿 ) 「か」なし。 6 ゐろりー ( 曾 ) 初め「ゆるり [ と 4 わかっ声 / 、ーわかっ声 ( 柿 ) 3 人跡ー人跡 ( 曾 ) 。のち朱にて「ヒ し、のち「ゆる」を消し「ゐろ」と改む。新 5 かなしもとー ( 曾 ) 初め「かなし ト」を「シン」に改む。 7 臥る上よりもりー ( 曾 ) 初め「ふし も」とし、のち朱で「と」を補う。 8 一夜をー ( 柿 ) 「を」なし。 たる上に雨もりて」とし、のち消して 5 よみけん心ー ( 曾 ) 初め「よみけむæ 3 夷ー ( 曾 ) 初め「ゑそ」とし、のち 「ふせる上よりもり」と改む。 哥のこゝろ」とし、のち「哥の」の二字「夷」とする。 礙 9 余波ー名残 ( 曾 ) 。後出の句中の用 を消す。 æ 4 叢 ( 叢 ) ー草村 ( 曾 ) 。後出も同じ。 字も同じ。 新 5 目盲ー盲 ( 柿 ) æ 4 草青みたりとー ( 曾 ) 初め「草」な 1 よ 0 《 0 1 再興せられてー ( 曾 ) 初め「再興改 羇旅ー羈旅 ( 曾 ) 。後出も同じ。 く、のち朱にて「草」を補う。 2 過ー ( 曾 ) 初め「過て」とし、のち られて」とし、のち「改」を消して「せ」æ 6 兵ともかー ( 柿 ) 「か」を「の」。 に改む。 「て」を消す。 æ 9 朽てー ( 曾 ) 初め「摧て」とし、の 4 ありー ( 曾 ) 初め「侍るーとし、の貶貴けれー ( 曾 ) 初め「貴シ」とし、 ち「摧」を消して「朽」に改む。 ち消して「あり」と改む。 のち「シ」を消して「けれ」と改む。 貶五月雨の降のこしてや光堂ー ( 曾 ) 9 岩沼に宿るー ( 曾・柿 ) 「岩沼宿」と 2 義を守へしー ( 曾 ) 初め「義を守て初め「五月雨や年 / 、降て五百たひ」と し、本文より下げて注記の体裁をとる。 佳命をおもふへし」とし、のち「て佳命 し、「て」を「も」に改め、次に本文の句 1 とゝのほひてーとゝのひて ( 曾・柿 ) をおもふ」を消す。 形に改む。また ( 曾 ) 初め「五月雨や」 8 思ひやらるゝー ( 曾・柿 ) 「やらる 5 雄嶋ー ( 曾・柿 ) 「雄」を「小」。 の句の次に、「蛍火の昼は消っゝ柱かな」 セッ ゝ」を「やらる」。 7 浙江ー浙江 ( 曾 ) の句を書き、のちに棒抹す。 カッ
7 修造也ー修造而 6 奥浄るりー奥上るり 寄進ー奇進 集聞 8 匍匐ー圃圄 文大伽藍ー大伽監 蕉æ 4 叢ー叢。後出も同じ。 芭æ 8 予てー兼て 肥 9 種〔落〕こばれてー種こほれて 肥 一巻〔を〕残しぬー一巻残しぬ 8 阿闍梨ー阿闍利 昭「黒」の字を〔誤て〕「里山」とー 黒の字を里山と 4 霊山ー炅山 石 5 阿闍梨ー阿闍 間 6 亦ー又。後出も同じ。 7 苫屋ー笘屋 其影ー其陰 市ぶりー一ふり 1 ・ 3 実盛ー真盛 5 縁起ー縁記 谷汲ー谷組 記 2 其効有馬ー其功有明 7 むかし「物〕語ーむかし語 8 先立て〔旅立〕行にー先立て行に 別 4 臨みてー望みて 別 6 邦畿ー邦機 別 昭・はゝキ、ゞ・ー・、はゝ・木・ゝ 消して右横に「対」と書く。 圏 3 っゞくりー初め「はり替」とし、消 2 昔年ー昔季 して右横に「つゝくり」と書く。 貶碓氷ー日井 圏 8 松の尾〔の〕里ー松の尾里 簣ー簀 圏 3 巫女廟ー普女廟 % 5 ゴ〔ト〕クーコク 6 落〔柿〕舎ー落舎 % 5 小キー少キ 6 京より来ー初め「京より帰」とし、 三度飛脚の行哉らんー初め「三度飛 「帰」の上に「来」と書き改める。 脚や行ぬらん」とし、「や」の右横に 6 臥ー伏。後出も同じ。 「の」を書き、「ぬらん」は見せ消ちにし 1 大竹藪ー大竹籔 て、右横に「哉らん」と書く。 清書ー初め「慰」、左横に「清書」。 3 心神ー初め「神気」とし、「気」を 喪に居る者ハ悲をあるじとし、酒を見せ消ちにして「心」を補う。 飲ものハ楽〔を〕あるじとすー初め「愁 5 妙をつくさずー初め「妙つきす」、 に住スル物は愁をあるしとし喪に住スル 「つきす」を消して右横に「をつくさす」。 ものはもをあるしとス」と書き、見せ消 6 妄想ー忘想 ちにして本文のように改める。また「愁 % 6 夜陰夢又しかりー初め「心に闘ふ」 をあるしとし」の「し」は、初め「ス」 とし、消して右横に「夜陰・ : 」と書く。 とし、それを消して、その右に書く。 % 8 百日が程かげのごとくにともなふー 初め「百日片時も離れす」とし、「片時も 9 手をうてバ木魂に明る夏の月ー初め 「夏の夜や木魂に明る下駄の音」と書き、 離れす」を見せ消ちにして、右横に「か 消して「手をうてハ」の句を右横に書く。 程かけのことくにともなふ」と書く。 李由ー李田 竹〔の子〕ゃー竹や 一日 / 、麦あからミて啼雲雀ー初め 8 はな〔し〕ー底本「はな」の下は紙 がすれたか、字は見えない 「麦の穂や泪に染て啼雲雀」、消さずに、 その左に「一日 / 、麦あからミて啼」。 9 くまの路やー初め「大峯」、見せ消 3 其〔夜〕泊ー其泊 ちにして右横に「くまの路や」。 9 深対ー初め「深入」とし、「入」を
芭蕉文集 176 もいはまほしゃ みなすず このあたりめにみゆるものは皆涼し じゃうきゃうごちうか 貞享五仲夏 ばせを ( 伝真蹟 ) 一題名「銀河ノ序」は『風俗文選』 編者許六のつけたものであろう。 ニ文字と文字の間の、中心部に あるハイフンは、この二字を音読 せよとの符号。以下同じ。従って 「ぎんが」。ただし、『風俗文選』巻 一の曻には「銀ー河ノ序」とあり、 銀の右よこに「アマノ」と振りがな がある。 三日本海側の、北から越後・越 中・能登・加賀・越前・若狭、そ れに海上の佐渡の七か国をいう。 『日葡辞書』に「 Focurocudöホク ロクダウ」。 四新潟県三島郡出雲崎町。『曾 良旅日記』によると七月四日ここ に泊った。「出と「雲」の間に左に 寄せてハイフンのあるのは、この 一一字を訓読せよとの符号。以下同 じ。底本、「崎」に濁点あり。 五佐渡と出雲崎とは海上十八里 ( 約七〇しと俗称されていた。 西鶴の『好色一代男』 ( 天和一一ー一六八一一 ー年刊 ) 三の五にも「佐渡の国かな
ふう . しばら し侍らんや」。先師日く「暫く今の風なるべし。五、七年も過ぎ侍らば、また 変あらん」となり。 抄 そだうじゃうらく ↓三四七ハー注九。 今年、素堂上洛の人に伝へて日く「蕉翁の遺風天下に満ちて、漸くまた変ず一 来 ニ同輩に対する敬称。あなた。 ぎんくわい ひと 去べき時いたれり。吾子志あらば、我も共に吟会して、一つの新風を興行せん」 0 前半は風体の変化を予期した芭 蕉の言葉を記し、後半は新風を興 そうとの素堂のすすめを辞退した となり。 去来の身辺の事情が述べられる。 去来日く「先生の言葉悦び侍る。予も兼ねてこの思ひなきにもあらず。幸ひ おそ ひとたび に先生をうしろだてとし、二、三の新風をおこさば、恐らく一度天下の俳人を しか 驚かさん。然れども、世の波、老の波日々打ち重なり、今は風雅に遊ぶべきい おのこり とまもなければ、ただ御残多く思ひ奉るのみ」と申す。 - もと はくらんけんさい 素堂子は先師の古友、博覧賢才の人なり。本より世に俳名高し。近年、この みち 道打ち捨て給ふといへども、またいかなる風流か出で来らん。いと本意なき事 へん よろこ よ ひび ゐふう きた ゃうや