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検索対象: 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄
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1. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

『幻住庵記』『望月の残興』地名一覧 : 『幻住庵記』『望月の残興』出典解説 主要人物略伝 : 初句索引 : 去来抄 去来抄 先師評 : 同門評 : 校訂付記 : 解説 : 主要俳人略伝 : 初句索引 : : 三一一四 : ・ : 三九三故実 : ・ ・ : 四 0 九修行 : ・ 栗山理一校注・訳 ・ : 三五 0 ・ : ・ : 四五八 ・ : 三八九 ・ : 四三四

2. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

ろそかに置くべからず。俳諧もさすがに和歌の一体な り。一句にしをりのあるやうに作すべし、となり。 ( 去来抄・修行↓本文三七一ページ ) こういう例は他にも拾い出せるが、実作指導としてはむ 栗山理一 しろ当然のことであり、かならずしも矛盾とはいえない。 りゅうきよりく うだのほうし これらは実作の場に即しての発言であるが、一般的な俳諧 李由・許六編の『宇陀法師』には芭蕉について次のよう かもく 理論に関しては、きわめて寡黙であったように思われる。 な一節をしるしている。 その 先師一生人の尋ねぬ事をもて出でて語らぬ人也。其人『去来抄』や『三冊子』は芭蕉の言説に整序を与えようと まなこ の眼に見えざれば尋ぬる事を知らず。尋ねざれば教への試みはあったとしても、その理論を体系的に改変し、理 ず。一生知らずして果てたる、残り多し。 論に構造を与えようとしたのではない。芸術観としての芭 さんぞうし とほう 李由・許六は『去来抄』の去来や『三冊子』の土芳など蕉の俳諧美論は、そのすぐれた芸術体験に裏打ちされたも 7 ぜあみ とともに、門人の中でもよく見える眼をもち、進んで芭蕉のだけに、その独創性と深さにおいては世阿弥の能芸論に の教示を仰いだからこそ、芭蕉の言説を書き留めえたとい比肩するものがあるが、その理論の体系化という点におい うことになろう。しかも『去来抄』などでも知られるようては、世阿弥にはあっても芭蕉にはなかった。 、芭蕉の指導法は人によって法を説く対機説法であった『去来抄』や『三冊子』の記述も、芭蕉の言説の年次を明 記したものは少ない 。したがって、その理論の生成過程を ため、門人の間には理解の食い違いを生ずることにもなっ た。たとえば去来はつぎのように語っている。 年代的に追跡することは困難である。おそらく、芭蕉の文 あるい 先師は門人に教へ給ふに、或は大いに替りたる事あり。学体験、さらには生の思想が熟成する過程において、さま ねん 譬へば、予に示し給ふには、句々さのみ念を入るるもざまに交錯し流動する思念が相互に結合を求めながら次第 たし しゅうれん のにあらず。また、一句は手強く、俳意慥かに作すべ に収斂されていったものであろう。けれども、芭蕉に体系 ばんてう し、となり。凡兆には、一句僅かに十七字、一字もお的な叙述がないことや、直接に書き残した言説がきわめて たと 寡カ 黙を の 人 わづ かは さく

3. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

作品解説 きようたい 本書は、芭蕉の門人である向井去来の著になる俳論書で、「抄ーは注釈書の意。加藤暁台の序、井上士朗の跋を付し、安 永四年 ( 一七七五 ) 三月、京都の書肆井筒屋庄兵衛らによって刊行された。この板本は「上、先師評」「中、同門評」「下、修行 さびしおり 教」の三部から成るが、翌年に刊行された一音編『左比志遠理』の凡例には「去来抄合四篇」とあり、また、夏目成美の いかなる子細ありてや、故実の篇を除きて上木 『随斎諧話』 ( 文政一一年刊 ) にも、安永板『去来抄』について「板行のをり、 す。故に流布の本には故実の篇なし」とあるように、なんらかの事情により「故実」を省いたのであろう。今日伝来する写 本で善本と目されるものは、すべて「先師評」「同門評」「故実」「修行」の四部から成っている。 去来の没後七十年を経て本書が刊行されているため、その伝来について疑問視されたこともあるが、近来諸家の考証によ って、疑問は解消されたといってよい。特に大東急記念文庫蔵の『去来抄』写本は、「先師評」「同門評ーの二部のみを収め るが、去来の自筆草稿であることが確実視されている。本書が刊行された安永期前後は「芭蕉に帰れ」という運動の波が高 さんぞうし たびね まった俳諧中興期に当り、それまで写本として伝えられた蕉風俳論の主文献と考えられる『三冊子』 ( 安永五年刊 ) ・『旅寝 論』 ( 安永七年刊 ) ・『孵諧青根が峰』 ( 天明五年刊 ) などが相次いで刊行されている。本書の刊行もまた、そのような機運 答 を背景としていると考えてよかろう。 宝永元年 ( 一七 0 四 ) 五月一一十七日付の半残・土芳宛の去来書簡に「内々申上候落柿舎集、名目を去来抄とあらため、この比取 もん ねがひたてまつり もっレ」も つかまつるべきその まうすべく かならずノ、 いだし申し候。御句参候はば集にいだし可申候条、必々ちと早く奉願候。尤出板可仕も其段は不定に候」という文 らくししゃ ごん 言がある。この日付は去来が没する三か月ほど前に当る。これによれば、去来にはそのころ『落柿舎集』と仮題した自撰集 の企画があり、それは句集の性格を合せもつものとして、半残や土芳にも出句をうながしていることになる。 ふよく わたりどり 大東急記念文庫本は、『渡鳥集』と『不玉宛去来論書』の草稿反古の裏面を利用して書かれているが、『渡鳥集』は長崎 の卯七を助けて去来が編集したもので、元禄十五年 ( 一七 0 一 l) に成り、翌々年の宝永元年に刊行されている。内容は芭蕉および 蕉門諸家の作品集である。したがって『去来抄』の執筆は元禄十五年以後ということになる。 しろう

4. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

芭蕉文集去来抄 6 5 底本の漢字には、できるだけ読み仮名を付けることにし、その仮名づかいは歴史的仮名づかいによっ 底本における本文の片仮名は、特に意識して使用したと思われるもののほかはすべて平仮名に改めた。 送り仮名の不足は、芭蕉文集では読み仮名をつけて補い、『去来抄』では活用語尾を送った。 8 近世の慣用的な用字法で、現在それに対応するものがない場合はすべて仮名に改めた。例えば「梦 は「より」に改めたごときである。 9 芭蕉文集では、底本の漢字・仮名は前記 2 ・ 3 ・ 4 ・ 8 のほかは底本通りにしたが、『去来抄』では、 一部、改めたところがある。 底本の脱字は、芭蕉文集では〔〕内に入れて補った。その他、底本と翻刻との校異は「校訂付記」 こ日匂デ . こ。 芭蕉文集紀行・日記編の本文翻刻については、西村真砂子氏の協力を得た。 一、脚注執筆については以下の原則に従った。 本文の校異は、脚注では作品の理解に必要な最小限にとどめ、多くは付録の「主要諸本異同表」およ び「校訂付記」に譲った。 ゝ、こよる書下し文に改めて示した。 2 引用の漢詩文は、原則として、片仮名・歴史的仮名づ力しし 鑑賞上の要点は 0 印をつけて説明した。 4 芭蕉文集の中、『野ざらし紀行』については西村真砂子氏、『笈の小文』については綱島三千代氏、 より

5. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

5 凡例 凡例 一、本書には芭蕉文集および芭蕉の俳論を伝える『去来抄』を収めた。芭蕉文集は、紀行・日記編と俳文編 とより成る。紀行・日記編には芭蕉の著した全作品六編を収め、俳文編には代表的な十二編を選び収めた。 本全集の『芭蕉句集』 ( 俳句編と連句編とより成る ) と合せ読むことによって、芭蕉の創作活動を巾広く理 解できるであろう。 一、個々の作品についての成立時期・底本などは、各編の扉裏に略述し、さらに「解説」で紙面の許す限り 詳説した。 一、本文は底本を忠実に活字化することを旨としたが、読解しやすいものとするため、次の諸点を考慮した。 なお、芭蕉文集と『去来抄』とでは、その性質上、本文校訂に若干の相異がある。 本文には、適宜、段落を設け、改行を施した。『おくのほそ道』には各段落毎に番号を付した。『去来 抄』には番号のほかに見出しを付して大意を示した。 2 句読点・濁点等を施し、会話・引用文には「」を付し、書名には『』を付した。 3 仮名づかいは底本通りとせず、歴史的仮名づかいに統一した。 底本の旧字・略字・俗字・異体字などは、原則として現行漢字に改めた。なお、底本の誤記・誤字・ 衍字と思われるものについては、校注者の考えによって正し、問題のあるものは脚注に示すようっとめ

6. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

去来抄

7. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

芭蕉文集去来抄 小学館

8. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

去来抄 栗山理一校注・訳

9. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

完訳日本の古典 55 芭嘛文集去来抄 、農ー・村松友 .000 一 後注・訳 0 0 D0 0 小宀 子館

10. 完訳日本の古典 第55巻 芭蕉文集 去来抄

一『去来抄』の内容と特質 き、よら・いしよう 『去来抄』は「先師評」「同門評」「故実」「修行」の四部構成となっている。 尸人同士の論議であっても芭蕉の言葉が交 「先師評」は芭蕉が自句および門人の句に加えた評語を中、いに、 じるものは収めている。「同門評」は門人たちが師および同門の俳人の句について批評したものであり、「故 実」は去来が卯七や魯町ら長崎の俳人と交した蕉風の法式に関する問答を収め、「修行」は不易流行など俳 諧の本質にわたる論や俳諧修行に関することに多く触れている。 はんし 俳論に類するもので芭蕉がみずから書き残したものは、紀行・日記・句合判詞・歌仙評注・俳文・書簡な 。したがって、本書や『三冊子』のように芭 どに断片的に見られるだけで、体系的な論述があるのではない 説 蕉生前の語録を正確かっ豊富に書き留めたものが残されたことは、芭蕉の俳諧認識を全体的に理解するため 解の重要な鍵を与えられることになる。もとより本書も草稿のまま伝えられたものであるだけに、誤記や欠字 もままあり、また自賛に傾いたり、作為の跡も皆無とはいえない点も認められる。しかし、篤実な去来の人 柄からみても、師説の祖述にはおおむね中正な態度が守られていると考えてよかろう。 刀牛〉兄 一三ロ