5 凡例 凡例 一、本書には芭蕉文集および芭蕉の俳論を伝える『去来抄』を収めた。芭蕉文集は、紀行・日記編と俳文編 とより成る。紀行・日記編には芭蕉の著した全作品六編を収め、俳文編には代表的な十二編を選び収めた。 本全集の『芭蕉句集』 ( 俳句編と連句編とより成る ) と合せ読むことによって、芭蕉の創作活動を巾広く理 解できるであろう。 一、個々の作品についての成立時期・底本などは、各編の扉裏に略述し、さらに「解説」で紙面の許す限り 詳説した。 一、本文は底本を忠実に活字化することを旨としたが、読解しやすいものとするため、次の諸点を考慮した。 なお、芭蕉文集と『去来抄』とでは、その性質上、本文校訂に若干の相異がある。 本文には、適宜、段落を設け、改行を施した。『おくのほそ道』には各段落毎に番号を付した。『去来 抄』には番号のほかに見出しを付して大意を示した。 2 句読点・濁点等を施し、会話・引用文には「」を付し、書名には『』を付した。 3 仮名づかいは底本通りとせず、歴史的仮名づかいに統一した。 底本の旧字・略字・俗字・異体字などは、原則として現行漢字に改めた。なお、底本の誤記・誤字・ 衍字と思われるものについては、校注者の考えによって正し、問題のあるものは脚注に示すようっとめ
241 解説 元禄六年四月の『許六離別の詞』、七月の『閉関之説』なども、芭蕉の胸中にあ 0 て、しかし俳諧では十分 言い尽せないことを盛りこんでいるといえよう。そのために、初期の俳文のような句文映発の妙味は薄れて いるとしても、芭蕉をま 0 て初めて書ける重厚な俳文のスタイルが確立していて、読者は芭蕉が風雅に沈潜 ( 井本農一 ) して行く、強い気息を感得することができるであろう。 参考文献 / 村松友次小学館昭四七 『芭蕉文集』 ( 日本古典文学大系 ) 杉浦正一郎 / 宮本三 『芭蕉』 ( 鑑賞日本古典文学 ) 井本農一角川書店昭 郎 / 荻野清岩波書店昭三四 『校本芭蕉全集』第六巻「紀行・日記篇俳文篇」井本農五〇 『芭蕉文集』 ( 新潮日本古典集成 ) 富山奏新潮社昭 一 / 弥吉菅一 / 横沢三郎 / 尾形仂角川書店昭三七 『芭蕉集 ( 全 ) 』 ( 古典俳文学大系 5 ) 井本農一 / 堀信夫 『芭蕉集』 ( 鑑賞日本の古典Ⅱ ) 井本農一尚学図書昭 集英社昭四五 五七 『松尾芭蕉集』 ( 日本古典文学全集れ ) 井本農一 / 堀信夫 へいかんのせつ
7 凡例 『おくのほそ道』については久富哲雄氏の協力を得た。 一、現代語訳は、できるだけ原文の味わいを忠実に伝えるよう留意し、ところによっては語順を変えて訳出 一、本書には、つぎの付録を付した。まず、芭蕉文集の巻末には、 紀行・日記編主要諸本異同表 : : : 主要な諸本間の異同を表示した。 また「校訂付記」については、底本を活字化する上での諸問題について略記した。これら二編は西村真 砂子氏を煩わした。 紀行・日記編地図 : : : 紀行・日記を読み解く便宜のために付した。次の『おくのほそ道』地名巡覧・主 要人物略伝ともども久富哲雄氏を煩わした。 『おくのほそ道』地名巡覧 : : : 本文中の地名・寺社名などにつき、順次、解説した。 『幻住庵記』『望月の残興』地名一覧 : : : 近江を舞台とする二作品の地名を解説した。 『幻住庵記』『望月の残興』出典解説 : : : 両作品の踏まえる典拠を解説した。 主要人物略伝 : : : 芭蕉と同時代の人物について、五十音順に配列し、解説した。登場するべージを付し、 索引としても利用し得るものとした。 初句索引 : : : 本文中の句について、初句を五十音順に配列した。 次に、『去来抄』巻末には、 主要俳人略伝 : : : 同門評を中心に、主要な俳人を選び、五十音順に配列し、主たる登場ページを付した。 初句索引 : : : 本文中の句について、初句を五十音順に配列した。
芭蕉文集去来抄 6 5 底本の漢字には、できるだけ読み仮名を付けることにし、その仮名づかいは歴史的仮名づかいによっ 底本における本文の片仮名は、特に意識して使用したと思われるもののほかはすべて平仮名に改めた。 送り仮名の不足は、芭蕉文集では読み仮名をつけて補い、『去来抄』では活用語尾を送った。 8 近世の慣用的な用字法で、現在それに対応するものがない場合はすべて仮名に改めた。例えば「梦 は「より」に改めたごときである。 9 芭蕉文集では、底本の漢字・仮名は前記 2 ・ 3 ・ 4 ・ 8 のほかは底本通りにしたが、『去来抄』では、 一部、改めたところがある。 底本の脱字は、芭蕉文集では〔〕内に入れて補った。その他、底本と翻刻との校異は「校訂付記」 こ日匂デ . こ。 芭蕉文集紀行・日記編の本文翻刻については、西村真砂子氏の協力を得た。 一、脚注執筆については以下の原則に従った。 本文の校異は、脚注では作品の理解に必要な最小限にとどめ、多くは付録の「主要諸本異同表」およ び「校訂付記」に譲った。 ゝ、こよる書下し文に改めて示した。 2 引用の漢詩文は、原則として、片仮名・歴史的仮名づ力しし 鑑賞上の要点は 0 印をつけて説明した。 4 芭蕉文集の中、『野ざらし紀行』については西村真砂子氏、『笈の小文』については綱島三千代氏、 より
のざらし 紀行の名称は、草枕・のざらし紀行・野ざらしの紀行・芭蕉翁道之記・芭蕉翁野佐らし紀行・野晒紀行・ のぎらし ワ」 野曝紀行・芭蕉翁甲子の記行・芭蕉翁甲子吟行・甲子記などがあるが、いずれも芭蕉自身の命名によるもの かっしぎんこう 集ではなく、今日では「野ざらし紀行」が広く用いられているので、これに従った。「甲子吟行」の名称も用 文 蕉いられている。 鹿島詣 ( 鹿島紀行 ) 芭蕉が数え年四十四歳の、貞享四年 ( 一六八七 ) 八月、江戸の芭蕉庵から、鹿島へ月見に出かけた小旅行を素 ギ一ようとく みつまた 材にした紀行である。当時、隅田川の三股の右岸から今の千葉県の行徳へ行く定期船があった。芭蕉たちは、 ふなほり びんせん その便船で、芭蕉庵に近い小名木川をさかのばり、中川を横切り、船堀川にはいり、さらに江戸川を経て行 ふさ 徳に着き、行徳から陸路三〇キロを歩いて利根川の船だまりの布佐に着いたのは日暮れ時である。布佐から 鹿島へは夜船の便船がある。「鹿島へ水路十四里 ( 約五四キロ ) 」 ( 『鹿島詣』寛政十二年刊 ) だったという。鹿島 ぶっちょうおしよう こんばんじ 神宮へ詣でるとともに、根本寺の前住職で、芭蕉の禅の師仏頂和尚を同寺に訪ねて一泊し、その夜半、雨後 の月見をした。 しようらいあんしゅうか 諸本の系統を二大別すると、一つは曰宝暦一一年 ( 一七五 = ) 刊『鹿島詣』 ( 松籟庵秋瓜が本間家伝来の芭蕉真蹟を模 刻出板したもの。以下、秋瓜本と呼ぶ ) ・文化十年 ( 一八一三 ) 刊『鹿島詣』 ( 本間家の自準亭五代松江が秋瓜本と同じ芭 蕉真蹟または秋瓜本そのものを底本にして、一部手を加え、白字刷折本にして模刻出板したもの ) ・佐藤家蔵、芭蕉真 蹟写し『鹿島詣』等である。もう一つの系統は、元菊本直次郎氏蔵 ( 現在、天理図書館蔵 ) 芭蕉真蹟『かし ま紀行』 ( 以下、菊本本と呼ぶ。『俳人真蹟全集芭蕉』『芭蕉図録』書善本叢書『芭蕉紀行文集』等に写真収録 ) ・ 寛政二年 ( 一七九 0 ) 刊『かしま紀行』 ( 菊本本を白字刷にして模刻出板したもの ) 等であり、本文としてはどちらも おなぎ おりほん
芭蕉文集 2 あ行 亠めか / , 、、レ」 秋風や 秋涼し 秋十とせ 秋の日の雨 あきをこめたる あけ 明ばのや あさがほや 足駄はく 暑き日を あつみ山や あの中に あふ 扇にて 海士の顔 あまや 蜑の家や 雨に寝て ぐさ あやめ艸 荒海や 初句索引 嵐山 あらたうと 八 0 有明に 一九有難や 八 0 いギ、もに いざ行む いざよひも 一一九石山の いちびと 一九市人よ = 0 一一偽せめて 三八命二つの 七六芋洗ふ女 うゑ 実 いも植て いもの葉や 四 0 うきふしゃ , つき我を うすひ 耄碓氷の峠 = 八宇津の山 六三卯の花に 大一大卯の花を 一、芭蕉文集の本文中に改行して掲げた俳句・連句 ( 長句五・七・五、短句 七・七 ) および和歌の初句を、歴史的仮名づかいにより、五十音順に配列 した。和歌は初句の下に ( 歌 ) と示した。 一、下の漢数字 ( 一一一三など ) は本文のページを示すものである。 八九馬に寝て 五三馬をさへ 空海くれて 七三梅こひて 一一三梅白し 三四梅の木に 哭送られつ おこらご 八一御子良子の おひ = 0 笈も太刀も 九五大峯や おもかげ 一一一一俤や 一六おり / 、に ( 歌 ) 一宅 か行 かきつばた 八九杜若 かけはし 九一桟や いのちをからむ 九四 九五 ー先おもひいづ 六九笠嶋は 夭かさねとは かし 一五樫の木の かたつむり = 0 蝸牛 語られぬ 一一三歩行ならば 一一 = 神垣や からさき 三七辛崎の 四九かりかけし かれしば 三七枯芝や か 六一香を探る きさがた 九七象潟や ー雨に西施が ー料理何くふ 木曾のとち きつつき 木啄も きめた 四三碪打て きゃうく 狂句木枯の 四八京までは 哭霧しぐれ 六一一霧晴て 五五草の戸も . . . 三 - 匕ツし 三四 . 五 . 四 、五 . 四 - 七 - ヒ
芭蕉文集去来抄 小学館
芭蕉文集 井本農一 村松友次 校注・訳
去来抄 434 れど忘れてしまった。私はもともと文台など持ってはいな その後、門人の中にはそれを模造した者が多い」と答 えた。 三一〕俳書の名 〔一〕不易と流行 せんざいふえき 先師は「俳諧書の名は、和歌・詩文・歴史記録・物語な 蕉門に、千歳不易の句と一時流行の句というのがある どと違って、俳味があるべきだ」といわれた。だから先師先師はこれを二つに分けて教えられたが、その根本は一つ である。 が名づけられたものを見ると、虚栗・三日月日記・冬の くずまつばらおい もとい 日・ひさご・猿蓑・葛の松原・笈の小文など、みなその趣 不易を知らなければ俳諧の基が確立しないし、流行を知 を表している。 らなければ俳風が新しくならない。不易というのは過去に ろうかしゅう ありそうみ 『浪化集』が編まれた時、上巻を『有磯海』、下巻を『と おいてもすぐれており、後世になっても価値が変らぬもの なみ山』と名づけた。すると先師は「それはみな和歌の名であるから、千歳不易というのである。流行はその時その 所であるから歌集とまぎれやすい浪化集と名づけたらよ時に応じて変化することで、昨日の俳風が今日はよくなく、 い」といわれた。 今日の俳風が明日には通用しにくいので、一時流行という 魯町は「浪化集というような俳書の名では、詩集・歌のである。つまり、はやることをするのである。 〔ニ〕俳諧の基 集・史書・文集と区別しにく、 し」といった。私は「その通 ろち・よう りだ。浪化が詩人ならば詩集となるだろう。しかし浪化は 魯町が「俳諧の基とはどういうものですか」と問うた。 俳人であるから、見ればすぐに俳諧書ということは明らか 私は次のように答えた、「それは言葉では説明しにく、 である」と答えた。 しオい、詩歌レ冫 こまさまざまな種類がある。和歌はその根 本である。その和歌の中にもさまざまな種類がある。俳諧 はその一つである。和歌のさまざまな種類を判別できれば、 ( 原文三六四ハー ) みなしぐり こぶみ 修行
完訳日本の古典 55 芭嘛文集去来抄 、農ー・村松友 .000 一 後注・訳 0 0 D0 0 小宀 子館