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検索対象: 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集
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1. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

やく俳諧の、心のままなる世界を知ることができた。 広く諸集にあって簡単に見ることができない。そこでこれ そこで今、私が門下に示すところは、宋阿翁の万事にこ を書き抜いて、これを簡略にし、俳諧の道に志あるものが だわらない作風にならわず、もつばら芭蕉翁のさび・しおあればすぐに与える。門下の一人がついに出版して、書き りを慕って、昔の蕉風に帰そうと思う、ということである。写す手間を省くというわけである。 こう ) ) しこあん 野これが外面は虚にそむき、内面では実に応するということ 安永甲午中秋 平安紫狐庵蕪村誌 句だ。これを俳諧禅と いい、以心伝心の法という。それを心 しゅんでいくしゅうじよ い、などと 春得ない人は、師宋阿の句法にそむく罪が恐ろし 『春泥句集』序 言いふらしたりする。そうは思うが、い まここにできあが 野 第れ・一ま しようは 集った二巻の歌仙は、かの芭蕉翁のさび・しおりを離れて、 黒柳維駒は父召波の遺稿を編集して私に序を乞うた。私 合 付ひたすらに宋阿翁の口調にならったもので、これを翁の霊は序を与えて次のように言った。 蕉にささげて、三十三回忌の遠い昔を慕い、強いて師の御在「私はかって春泥舎召波と洛西の別荘で会った。召波はす 世のときと同じように見守っているということを、門人と ぐさま私に作句の法について質問した。答えていうのに、 』ともに弁明することとした。 『俳諧は日常の語を用いながら、高雅な句を得ることが大 今 を 切である。俗を離れて俗を用いる、つまり離俗の方法が最 ばしようおうつけあいしゅうじよ ぜんじ せきしゅ 『芭蕉翁付合集』序 も困難である。かの何とか禅師が隻手の声を聞けと言われ む たが、それが俳諧禅であって離俗の法則である』。召波は はっと悟った。 文俳諧の連句を学ばうとするには、まず芭蕉翁の句を暗記 つけあい し、付合三句の運びぐあいを考え知ることが必要である。 またあらためて問いかえして、『師翁の示すところの離 とな いばら 三日のあいだ翁の句を唱えないでいると、ロの中に茨が生俗の説は、その主旨は深遠であるけれども、やはりいろい えるように詩想がかれてしまうだろう。しかし翁の句々は、 ろと工夫をして、みずから求めるものではありますまいか

2. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

つまど きごとがあったのを、まあ、下男たちを起そうともなさら主人の寝ている居間と思われる部屋の妻戸をどんどんとた 2 ないで、ひとりでじっとがまんされていたのですか。見か たいて、「さあさあ、起きてください」と声の限りどなっ けによらず剛胆でいらっしやることですね」と言うと、 たので、召使たちが目をさまして、「それつ、賊がはいっ 集 「いえいえ、少しも恐ろしいとは思いませんでした」と語 てきたそ」と、大騒ぎになった。その物音に晋我もやっと 村 おぎ りきかせてくれた。ふだんは窓を打っ雨、荻を吹く風の音 心がおちついて、目を開いてよく見ると、便所の戸を打ち 蕪 さえも恐ろしいと、夜具など引きかぶっていられるそうだ たたいて、「ご主人、早く起きて助けてください」と、ど のに、その夜ばかりそのように思われなかったというのは、 なっているのであつな。「自分ながらたいへん興ざめなこ まったくもって不思議なことである。 とであった」と、のちになって話してくれたことであった。 しらかわ まつだいらやまとのかみ しんがかいが また、晋我 ( 介我の門人 ) という老翁があった。ある夜 また白河の城主松平大和守殿の家臣に、秋本五兵衛と ふうこう 風篁の所に泊って、座敷に休んでいた。九月十八日の夜で いう剣術にたけた人があった。少しばかり主君のお気持に すいげつ あった。月は清く照り、露もひややかで、庭の植込みの そむくことがあって官をしりぞき、国を去って、名を酔月 やそう 草々にはしきりに虫が鳴いているなど、感にたえないので、 と改め、俳諧を好んで、野総の間をめぐって、あちらこち よもぎ 雨戸は開いたまま、障子だけ閉めて寝ていた。午前二時ご らの豪族にまじわり、浮草が水にただよい、蓬が風に吹か ろになって、ふと枕から頭をもちあげて向こうを見やると、れて飛ぶような放浪生活をして、住む所も定めず、実に風 ふう - 一う 月が明るく照って、あたかも真昼のような所に、多くの狐流の翁であった。この翁も、風篁の家の奥の間に寝ていた ひろえん ひろえん がふさふさした尾をふりたてて、広縁の上に並んでいた。 ときに、広縁の下で老婆が三人ばかり集っている様子で、 その影がはっきりと障子に映って、恐ろしいといったら言夜通し小声で話す声がする。何事を話しているのだろうか いようもない。晋我も今はどうしてがまんしていることが と、耳をそばだてていたが、一つとしてはっきりと聞きと できようか。台所の方へただひたすらに走り出ていって、 ることができなかった。いたずらに夜がひどくふけてゆく

3. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

いる。そのあいだだけが母親は息抜きのできるときと思っ にいても、いそがしげに這いよってきて、早春に萌え出た うちわ て、飯をたき、そこらを掃きかたづけて、団扇をひらひら 蕨のような小さい手を合せて、「なんむなんむ」ととなえ ねま かれん と使って汗をしずめていると、寝間の方で泣き声がするの る声が、可憐で深く心がひかれ、けなげなことである。そ ひたい れにつけても、自分は頭にはやや霜をいただき、額には波で、それを目のさめた合図と思い、手早く抱き起して、裏 しわ みだ が打ち寄せるように皺がふえる年齢で、弥陀にすがる方法の畑におしつこをさせてから、乳房をあてがうと、すわす わと吸いながら、母親の胸板のあたりをたたいて、にこに も知らないで、、つか、つかと月日を費やしていることは、二 たいない こと笑い顔をするにつけ、母親は長い間の胎内の苦しみも、 つの小さな子の手前も恥ずかしいと思うのであるが、その 場をしりぞくと、もう地獄に行く原因をつくって、膝にむ毎日のおしめを取り替えるきたならしさも、すっかり忘れ ぜん て、この世にまたとない宝を得たようになでさすって、い らがる蠅を憎み、膳のあたりを飛びまわる蚊をそしりなが っそう喜んでいるらしい様子である。 ら、そのうえに仏の戒めた酒を飲んだりする。 あと そへぢ のみ かどぐち 蚤の迹かぞへながらに添乳哉一茶 ちょうど門口に月の光がさして、たいへん涼しく、外で わん ( 母はわが子かわいさに、子の身体の蚤の跡をかぞえさすり 子供の踊りの声がすると、すぐに小さな椀を投げ捨てて、 てまね つつ、添乳することだ ) 片膝いざりに這い出てきて、声をあげ手真似をして、うれ 抄 春しそうな様子をするのを見るにつけても、いっかはこの子 ふりわけがみ 供を、振分髪のできる背丈にまで成長させて、踊らせてみ ばさっ ) 」らいごう お たら、あの二十五菩薩御来迎の時の音楽よりも、はるかに 文まさって心の慰むことであろうと、わが身につもる老いを 忘れて、心のうさを晴すことである。このようにして一日 中、ちょっとの間も手足を動かさないということがないの っ 0 で、遊び疲れるものだから、朝は日が高く上るまで眠って わらび かたひぎ はえ ひぎ 露の世 楽しみがきわまって悲しみが起るというのは、この世の 常とはいえ、まだ人生の楽しみも半ばにもならない、千代 おさなご ふたば の小松の二葉ともいえる笑いざかりの幼子が、まったく思 すいのう ほうそう いもかけず荒々しい疱瘡の神にとりつかれて、いま水膿の っゅ

4. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

まさっていると思われます。ただただこのそまつな小屋こ 「男の子一人持っていましたが、いついつの年、故郷をよ ほんじよ そ、比べようもない宝なのです。たとえ命を断たれても、 そに出ていってしまって、今は江戸の本所とかいう所で、 髪結いの仕事をしているということを、風の便りに聞いて他の所へは行きません」と、手足をすりあわせ、べそをか いて、泣きそうな顔で申し出ると、奉行の人の慈悲心もこ おります」とばかり、涙を流しながら答えた。「それなら かえち うなっては施すべき方法もなくて、「お婆さん、後悔する ば、その男を呼び返しなさい。よい替地に、住みよい家を 与えよう。そればかりでなく、その男にはながく髪結職の なよ」と言って、ふたたび縄張りして、ついにその家を避 ににんぶち けて地どりができた。ああ、月日の照らす限り、露霜のお 許可書を与えて、おまえには生涯二人扶持ということを請 りる所に生きとし生けるものはすべて、だれが、国命をそ うて、身を安楽に過させてあげよう。麻糸をつむぐような たてまっ 、い細い商いをやめて、日の永い春の日には、散りかう花をむき奉ることができようか。強情な愚か者であることだ。 月さへもそしられ給ふタ涼み一茶 見て無常を悟り、さむざむとした秋の夜には、傾く月に西 まだい ( 月奉行 = までも、頑固な老婆のためにそしられなさるタ 方極楽浄土を願い、明け暮れ心のままに替提の種をまいた 涼みだ ) ら、どれほど楽しいことであろう。おまえのこの家この構 さいわ そうはいうものの、育ちざかりの田畑をしごき捨てられ えが邪魔になるのは、天からおまえに幸いを下したもうた て、悲しむのももっともである。 抄のであろう。早くここを引き払い、あちらに移りなさい」 なぎたふ 青稲や薙倒されて花の咲く 春と奉行の人が言うと、老婆はむかむかと腹だたしいそぶり とうしんたば 我 ( まだ実らない青稲が、なぎ倒されて花を咲かせている、し をして、灯心を束ねたような細く筋ばった首を打ちふりな ぶといことだ ) 文がら言うのに、「よくもおだましなさることです。これは 私が先祖から何代ともなく住みふるして、大事な大事な住 居ですから、移るわけにはまいりません。たとえ黄金を星 っ 0 むぎめし に届くほどくださっても、私の目には一杯の麦飯のほうが 一口

5. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

て、あたりのすみずみまで探し求めたが、影すら見えない。 みやづけんしようじ 昔、丹後宮津の見性寺という寺に三年ほど滞在していた こうやって毎夜続けて五日に及んだので、心も疲れてし お - 一り まって、もう住んでいられそうになく思われたころ、丈羽ことがあった。秋のはじめから瘧の病で苦しむこと五十日 ひとま ほどであったが、奥の一間はたいへん広い座敷で、いつも の家の召使の長がやって来て言うのに、「その狸は今宵は ゃぶした もう来るはずがありません。今日の明けがた藪下という所障子をびたりと閉めてあったから、風の通るすきますらも で、土地の者が年をとった狸をうちとりました。思うに数ない。その次の一間に病床をしつらえて、部屋の境のふす 日来悪く驚かせ申しましたのは、疑いもなくそいつのしわまを閉めきってあった。ある夜、四更ごろ ( 午前二時ごろ ) になって、いくらか熱もおさまっていたので、便所に行こ ざです。今夜は安心してゆっくりとおやすみください」な おとさた うと思って、ふらふらしながら起き上がった。便所は奥の どと話してくれた。はたしてその夜から音沙汰がなくなっ ともーしび一 くれえん 間の榑縁をまわって、北西の方のすみにある。灯火も消え た。憎らしいとは思うものの、このほど旅のわび寝の寂し てたいそう暗いので、隔てのふすまを押しあけて、まず右 さを慰めようとたずねてくれた彼 ( 狸 ) の心がたいそうあ の足を一歩さし入れたところ、何かしらないがむくむくと われで、前々からの浅からぬ因縁なのだろうと悲しく思わ ふせ れた。そこで善空坊という坊さんに頼んで、お布施を渡し毛の生えたものを踏みあてた。恐ろしいのですぐに足をひ っこめて様子をうかがっていたが物音もしない。不思議で みて、一晩念仏して彼の冥福を祈ってやったことである。 っ もあり恐ろしいが、胸をたたき心をきめて、こんどは左の 秋のくれ仏に化る狸かな 花 新 ( 狸はよく化けるものだが、この秋の夕暮は、死んで仏に化足で、ここだろうと思う所をばっと蹴った。しかし少しも 編 けたことだ。その冥福を祈ってやろう ) さわるものがない。ますます不可解で、身の毛もよだつほ 文 ど恐ろしかったので、ふるえながら庫裡の方へ立って行っ 狸が戸の所にたずねてきて音をたてるのは、尾をもって て、坊さんや召使たちがすっかり眠ってしまっているのを 7 たたくのだと人はいうようだが、そうではない。一尸に背中 起して、これこれと話すと、みな起き出してきた。灯火を を打ちつける音である。 ぜんくうばう ひとま

6. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

茶集 366 な名医の奇才でもなおすことは不可能であろう、仏法守護火を失った気持がして、まったく頼みとするところもない 明けがたであった。無常の春の花は風に吹かれて散り、こ の神々の力も及ばないであろうと、ただもう念仏を申すよ の世の秋の月は雲にともなって隠れてしまう。まして生あ りほかに頼みとするものはなくなってしまった。 るものはかならず死に、会うものはかならず別れるという 寝すがたの蠅追ふもけふがかぎり哉 ( 頼み少ない父の寝姿だが、こうして蠅を追うのも、今日が 世のならい、だれしも一度は行く死出の旅路ではあるが、 最後となることだ ) 父の寿命がまさか昨日や今日とは知らなかったのもおろか なことだ。毎夜毎夜、眠りもしないで誠心こめて看病した こうして日も暮れたので、枕もとの器の水で、どうしょ くちびる のも、ひとときの水の泡と消えてしまわれた。一昨日まで うもない唇をぬらしてさしあげるばかりである。 は父と争いあい、言いあった人たちも、なきがらにとりつ 二十日の月は窓を照らし、隣近所は寝静まってしまって、 いて涙をはらはらと流して、念仏の声もくもりがちなのは、 夜明けがたに鳴く鶏の声も遠く聞えるころは、目立って息 たん さすがに夫婦仲のむつまじさがまだ尽きてしまわなかった づかいもかばそくなり、はじめから気にかかっていた痰は、 のだなあと、今はじめて思い知られたことであった。 しばしばのどにつまる。ああ、とても生きられない命なら ば、せめて痰をとってさしあげたいと思うけれど、名医の かだ 二十二日近親の者は寄り集り、悲しい亡骸は棺に納め 花陀ではないから霊妙な方法もいっこうに知らない。 おもかげ て、今ではむなしい俤すらも、後のうわさとなってしまっ んばりと手をむなしくして、臨終を待つばかりの胸の苦し た。情けないつらい世のありさまであった。ああ、自分は み、悲しみを、天地の神々もあわれむことなく、夜はほが この家の長男として生れながら、どのような前世の因縁な らかに明けかかって、朝の五時すぎのころ、眠るように急 のであろうか、親につきそって、お仕えすることもかなわ が絶えてしまわれた。 ない。だからといって、ばくちや道楽を好んで、親の財産 ああ、むなしいなきがらにとりついて、夢ならば早くさ ともし うつつ めてくれ、夢だとしても現であるとしても、闇のなかに灯を損なったのでもないのに、前の世で世の人を悪しざまに ( 原文三四九ハー ) び なきがらひつぎ

7. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

よ 杖の没後は結城に帰った。安永二年 り。さて余にはかりて、「毫 ぐきようじ 七月没。同地の弘経寺に葬る。 このしょ 首 を = 佐久間氏。幕府旗本の武士。 釐もたがはず、此書をうっし せんとく ′一しき 袋 はじめ沾徳門、長水と号し『五色 陀 おっゅう 得させよ」といへるを、容易 墨』の一人として活躍、のち乙由 門。延享五年 ( 一七四 0 没。 に , つけ・、がひっゝ、 いまだ業も 三筑波山権現に参詣すること。 装一三常盤氏。下野 ( 現、栃木県 ) 烏 はじめずありけるほどに、し 、を第蜘旅山の人。医を業とし、其角門。延 村享元年没。 ゅゑ と 一四いまの群馬県。 さゝか故ありて余は江戸をし 一五『おくのほそ道』に「松島は扶 潭 りそきて、しもっふさゆふき 桑第一の好風にして」とある。「好 風」はすぐれた風景。「おもてをは がんたう にちゃ りうきょ一ニば の雁宕がもとをあるじとして、日夜はいかいに遊び、邂逅にして柳居がつく波らふ」は目をみはる、の意。 一六陸奥国北端の海辺。青森県津 あ あるたんほくかうづけ まうでに逢ひて、こゝかしこに席をかさね、或は潭北と上野に同行して、処軽地方海沿いの地。 宅昔、中国の合浦郡の太守が貪 かうふう そとはま み処にやどりをともにし、松島のうらづたひして好風におもてをはらひ、外の浜欲であったため、その海の明珠が もう・ー ) トでつ 一セ 他へ移ってしまったが、孟嘗が代 ~ 化たびねがつば って太守となると、明珠がふたた 新の旅寝に合浦の玉のかへるさをわすれ、とざまかうざまとして既に三とせあま び還ってきたという故事 ( 後漢 せいさ・つ 文りの星霜をふりぬ。さればかの百万、いかで我帰江を待つべき。やがて亀成な書・孟嘗伝 ) 。「帰る」の序詞。 ぞんぎ 一 ^ 江戸の人。山本氏。存義門 とうしゃ るものに謄写せしめ、木にゑりてつひに世にひろうせり。すなはち今の世に行宝暦六年 ( 六 ) 没。 一九 一九少し、わずか。秋には獣類の これ しうが・つ はるゝ五元集是なり。原本と引きあはせ見るこ、、 レしさゝか秋毫のたがひもあら毛の先が細くなることからいう。 どころ りん が ^ う 九 わが かいこう すでみ きせい ところ ずみ どん

8. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

こにめぐり来て、父の病いの始終を見守るというのは、親 譏った報いとして、天が拙い身のさがをお与えになったの であろうか。ほんの少しの親孝行をしようとすると、大き子の縁がまだ切れないでいるということであろう。柏原の ちんじゅすわ な魔のうらみを力し ゝ、、まんの少しの間も、家の中で平和で鎮守の諏訪の御神の引きあわせであろうかと、こればかり は、父の生前に面目をたてたことであった。 あったことはない。父は私を、ひとたび故郷から遠ざける にこしたことはないと思われたのであろうか、十四歳のあ 今日も午後の四時ごろに、木立に降りそそぐ村雨がしば むれ る朝、しょんばりと家を出たとき、父は牟礼まで送ってく らくやんで、草のしずくにタ日がうすく射すころ、ようや ださって、「毒になるものは食べるなよ。人から悪く思わ く塩崎の導師の僧が来られて、いまは葬送の時とはなった。 れるなよ。早く帰って、元気な顔をまたこの私に見せてお 父の縁つづきの女どもは、白い木綿をかぶり、途中もいっ くれ」という、たいへんに親切な言葉を聞くと、思わず涙そう露つばいのに、泣くばかりで思いをはらし、私はロに ぐんだが、もしも末練の心がおこったなら、つれの人に笑も出さない悲しみを隠そうとするけれど、涙はこらえきれ あふ われるだろうし、自分の弱々しい歩きぶりを父に見せまい なくて溢れてくるし、道も遠くないので、棺は草の茂った ゅめまばろし ) と、無理に勇気を出して父と別れたことであった。 高い所にすえて、香をたむける手の力さえも、夢幻のよ カんいしくどく うに思われた。導師の唱える「願以此功徳」の声とともに、 改そうしてから今まで、私は諸国を渡り歩く俳諧師生活を 1 三ロ てんべん きさがた おはっせ 焉して、東は松島、象潟の月に句を吟じ、西は吉野や小初瀬棺は煙となってしまった。まことに有為転変のありさまで ある。 のの花に句をよんで、住みかも定めず、稲妻のようにわたり 父 歩き、私も頭髪が白くなるまで、ありとあらゆる山々や しなの こっ 二十三日明け方、お骨拾いということで、おのおの卯 文浦々に、宿りをもとめて日を送る境遇で、もしも信濃のは はき木のように、あるかないかというような山奥や、道も木の枝を折ってつくった箸をもって、火葬場に向った。今 わからない山里にいたならば、父の最期の日は夢にも知る朝は火葬の煙さえも消えてしまって、ただもうほんとうに、 ことができなかっただろう。このたび不思議なことに、 松風がものすごく吹くばかりである。三月のタベには父に そし しおざき うつ

9. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

69 俳句編秋 152 151 かや とったのであろうか、の意。「びいどろのうをおどろきぬ」とイ列音とオ列音 かな を多用した韻律は、複雑な交響を奏でながら、下五の力行音による固く澄んだ 音調に収束されている。季語は「今朝の秋」。 むち 一『蕪村遺稿々本』には上五 ( 五車反古 ) 幗ごしに鬼を笞うつ今朝の秋 「病起て」とある。『安永五年 発句集』に「題秋思」と前書した「下 おき 蕪村の没年に当る天明三年 ( 一天一 (l) の作で、立秋のころはすでに「病起て」ともの句をつぐ鬼いづこ秋の空」の句 があり、「鬼」は詩魂と解したい。 あるように病気がちであった。炎暑の中に病臥してきたが、寝苦しい一夜から 目ざめてみると、をそよがす朝風にふと秋の気配を感じた。そうだ、今日は もう立秋なのだ。衰老とともにすっかり涸れようとする詩魂にもう一度笞打っ おか て、残した仕事をやりとげよう、の意。病熱に冒されながらも、なお詩的幻想 にとりつかれた老俳人の面影がこの句には浮び出てくる。季語は「今朝の秋」。 」しト -- つりよう 秋夜閑窓のもとに指を屈して世になき友 一精霊を迎えて供養する盂 - ) らばんえ を算ふ 蘭盆会の灯籠。七回忌までは、 とも ついたち みそか 七月朔日から晦日まで毎夜点した ( 蕪村句集 ) ので、七月灯籠と称した。ニ露 とうろうを三たびかゝげぬ露ながら に濡れるままに。露には涙の意も な 含まれていよう。「露ながら」や 亡き友のために門先に高灯籠を立てた。夜も更けるにつれて灯籠の光も湿って 「あまたゝび」 ( 次句 ) などの修飾語 きたが、思えば、亡友のために灯籠をかかげるのもすでに三たびになった、の を下五にすえる叙法は共通してお 意。「三たび」は厳密な意味の数ではなく、たびたびの気持を印象的に叙した り、客観的な描写でありながら悲 までであろう。親しい友をつぎつぎに失う老齢の感懐はこまやかである。季語傷の感を深々とこもらせる点も似 ている。 は「とうろう」。 かぞ かどさき

10. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

父はいつもより顔色も晴れやかで、微笑さえももらして と手に入れたくて、あらゆる乾物店や青物店をかけずり回 いられるにつけても、梨を手に入れることができなかった ってみたが、悲しいことにたった半分の梨さえ知らせてく ことを話すと、また機嫌をそこねるであろう、どうしたも れる人もなかった。その昔、雪の中で竹の子を掘り出し、 のかとためらっていると、父がお聞きになるので、ありの 氷の上で魚を得たためしもあるのに、私は梨一つ得ること ままを答えた。「あすこそは高田へ行って、必ず探し出し ができないのは、天帝が私をお見捨てになったのであろう てさしあげましよう」と、空に浮ぶ白雲のように、あても か、仏や神も私をお見限りになったのであろうか。これは ないでたらめを言って、父をなだめてさしあげるのは、ま この世だけの不孝ではなく、来世までの不孝ともなろう。 ことに不本意なタベであった。 父はさそかし梨を待ちこがれていられるにちがいない のまま手ぶらで帰って、なんと言って父を慰めたらよいか 二十日熱はしだいに高くなって、朝は粟粉を一杯ばか と思うと、胸がつまり、人知れず落ちる涙は大道を濡らす りもお食べになったが、昼ごろからお顔の様子は青くなっ ほどで、往来の人が見て気違いではないかと笑われるのも てきて、目は半分ほどふさがれて、物ばかりを言いたそう 恥ずかしく、しばらくじっと手を組み、頭をたれて、心を 抄 くちびる に唇を動かしておられるばかりで、出る急、引く息に痰が 改静めるようにした。このように繁華な土地にさえ無いもの 一三ロ ころころと鳴って命を責めたて、それさえもしだいにお弱、 焉が、どうして他のところにあろう。こうなったら、ただ一 りになって、窓からさしこむ日の光もタ刻になって、いよ の足も早く戻って、薬だけでもお進めしようと、手ぶらで吉 父 いよ死期の近づいたころ、人の姿も見分けることができな 田という里まで来ると、木立の枝にとまっている山烏が三、 文四、五羽、私を見つけて鳴き出したので、何となく父の身くなられ、万事おばっかないありさまである。ああ、自分 が命に替えても、一度は元気な父にしてみたいと思って、 の上が心配になって、息もっかないようにして足を早めて、 何か食べたいとおっしやったときも、よくないでしようと 山の日かげも少し傾きかけた午後二時ごろ、家に帰りつい ぎばへんじゃく お止めしたのであったが、今となっては耆婆や扁鵲のよう っ ) 0 あわこ たん