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検索対象: 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集
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1. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

瓢 泰平と天下の菊が咲たちて やまじぐさ 菊は一名山路草ともいうところから、前句の「山」との縁で付けたもの。太平 おうか の世を謳歌するかのように、山路には、至る所に菊が咲き誇っている、の意で、 ゆさん 前句の平和な遊山気分を受けた付け方である。ここで秋季に転じたのは、次句 の月の定座への用意である。 だな 茶 三百店もわが月夜かな しがない借家暮しでも、この月夜はおれだけのものだ、と開き直った付句であ る。「三百店」はいかにも一茶らしく、前句の「天下の菊」に「わが月夜」で 応じ、市井生活の自足感をユーモラスに表現している。季語は「月夜」で秋。 のぞ 一「やや寒」「そぞろ寒」など 瓢 うそ寒の腰かけ将棋覗くらん と同じく、秋になって少し寒 さを感じること。ただし「うそ寒」 うらだな の 前句の裏店住いから、庶民の楽しむ縁台将棋を点出したもの。すでにタ涼みのの場合は、心理的なものも含まれ ろ よ 時節は過ぎて、うそ寒い秋の宵にも、縁台を持ち出し、将棋に熱中している姿る。「うそ寒に」 ( 茶翁聯句集 ) 。 ひ ニ縁台将棋に同じ。 、庶民生活の気楽さが活写されている。季語は「うそ寒」で秋。 編 おなり こつづみ 一将棋の成り駒をいう。「将 茶 句炻すはや御成とふれる小鼓 棋」と「御成」は付合語 ( 類船 集 ) 。ニ初案「鉄棒」 ( 茶翁聯句集 ) おかめはちもく いわゆる岡目八目で、傍から何かと口をはさんでいた連中が、「それ、成り駒を「小鼓」に改めたもの。 はや だ」とやかに囃したてるさまである。初案の「ふれる鉄棒」の場合は、鉄棒 た さむ わき さき な 一月額三百文の低家賃の借家。 ニ月夜をひとり占めにしたよ うな気分。ここは初裏の八句目で、 月の定座である。 一菊は一名、山路草ともいい、 「山」と「菊」は付合語 ( 類船集 ) 。 なお『茶翁聯句集』には「菊の」と ある。

2. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

茶集 334 めかした旅心を、現実に引きもどしたおかしさがある。雑の句。 しわ ぐすり 一顔によった皺をのばすこと。 白 ( の皺のばし薬の花咲て 葉 転じて、老人の気晴しゃ慰め になること。ニ初裏十一句目で 前句の頼母子講などを楽しみとする人物を老人と見定めて、老人にとって最良花の定座。 の気晴しとなる花見時を付けたのである。花を、皺のばしの良薬と表現したと はげわ、・ - 一役に立たぬ雑木山や禿山。 ころがおもしろい。花の定座であるが、一茶のきにふさわしく、人間臭い花 「花」と「山」は付合語 ( 類船集 ) 。 の句である。季語は「花」で春。 なお「むだー」は一茶の常用語で、 「むだ草も穂に穂が咲くぞ三ケの さあ / 、かすめ / 、むだ山 茶 月」 ( 七番日記 ) 、「むだ雲やむだ山 作る又作る」 ( 同 ) 、「むだ山も脇よ おういっ ほととギ、す - 花は開き、春気横溢する前句に対して、さあ山も霞めと軽く興じた付句である。れ脇よれ時鳥」 ( 同 ) など、作例が じようごしたて 畳語仕立による軽快な句調といし 、「むだ山」という用語と、 茶らしい句作りである。季語は「かすむ」で春。 おとも 甫 円うぐひすに御供の衆もひと鼾 前句の霞む山から、貴人の野遊びの体を付けたのである。ただし、野外の春色 を賞するあるじの風流心よりは、春眠をむさばる従者の方に焦点を当てたとこ ろがおもしろい。季語は「うぐひす」で春。 火の用心の鐘がなるなり 茶 いびき やま ・一く 4 っト - よ′ 一江戸では石町のほか、上 野・浅草など八か所で時の鐘 すそ をついた。川柳に「石町の裾分け をする番太郎」とあるように、 の時の鐘を聞いて、市中の木一尸番 が拍子木を打ち、時を知らせたり、 火の元の見回りなどをした。 一「山里ーと「鶯」は付合語 ( 類 船集 ) 。ニ春眠をむさばるさ

3. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

茶集 324 おほわらぢ あし 一三句目は変化の場であるが、 3 大草鞋小草鞋足 にくらべ見て 瓢 末尾は「て留め」にするという 神の旅を人の旅に転じた付け方。前句を旅の安全を神に祈る人物と見込み、出規約がある。 発にあたり、足に合う草鞋を選んでいるさまを付けたのである。雑の句。 一番ぶねにはふるぶちねこ 茶 前句の陸路の旅立ちに対して、大坂から新綿を積み出す一番船の、船出の情景 むかいづけ ぶちねこ を付けたもの。一種の向付である。斑猫を船中に放り込むのは、船荷の綿を食 ほんばう い荒らす鼠の駆除用であろう。一茶らしい奔放な付句である。季語は「一番ぶ ね」で秋。 び あくた火もそれ名月そ名月そ 茶 あま たあくたき 海路の夜景である。船上から眺めると、闇に包まれた浜で海人の焚く芥火も美 しく、中天には名月が皎々と照っているさまである。「あくた火」と「名月 との対照も、いかにも一茶らしい 。ここは表五句目で、月の定座である。季語 は「名月」で秋。 みよ 一里芋。月見には新芋を供え 芋喰ふわらは御代を贔屓か 瓢 る。「名月」と「芋」は付合語 ( 類船集 ) 。ニ童児。子供。 ごちそう おうか 月見の御馳走の芋に満腹した子供らは、今の治世を謳歌しているようだ、の意。三『茶翁聯句集』では「御名ーと誤る。 こふくげき 2 し・ろ・ 鼓腹撃壌して太平を楽しんだという古代中国の故事なども連想されるが、芋に - 一う・一う ひいき 一今年できた新綿を大坂から 江戸へ積み出す回船を番船と 、抽選で順番を定め、同日に 出帆し、江戸着岸の速さを競った。 俳諧では秋季。ニ放り込む。 あま 一海人が藻芥を焚く火。 ニ陰暦八月十五日の月。いわ ゆる中秋の名月。

4. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

蕪村集一茶集 小学館

5. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

茶集 336 かど 四うそも商ふ の市立 士英 てくだ ものうり 恋の手管として、時に嘘も必要であるが、市の物売も嘘をまじえ、巧みな口上 で客の心を引くさまを「うそも商ふ」と言ったのであろう。『類船集』に「色 好み」と「市」を付合語にあげてあるように、恋の句に門前市を配したのは、 古例に従った案じ方である。ここは恋離れで雑の句。 ちり ふろや えのきニ 一銭湯。浴場。ニ「かっ散 タぐれの風呂屋の榎かっ散て 葉 る」については、早く散る、 少しずつ散る、褐色になって散る、 しおりぐさ 前句の門前市に対し、同じく人の集る場所として、風呂屋を思い寄せたもの。 などの諸説があるが、『栞草』 ( 嘉 日中に人出で賑わう市場と、夕刻から浴客で賑わう風呂屋との対照がおもしろ永四年刊 ) に「かっ散るといへるは、 。しばらく人事を主とする雑の句が続いたので、「榎かっ散て」で秋の叙景盛りに染まりたる紅葉の、片っ方 は散り始むるをいふとあるのが 句に転じたのである。 よい。秋の季語。 子息上手に茶をしひる月 茶 一強いる。無理にすすめる。 風呂屋の二階はまた庶民の社交場でもあった。湯あがりの茶飲み話に興じてい ると、息子が上手に茶を進めてくれる。付句は、その取りなしを喜ぶ親心を描 いている。月の定座は、名残の表十一句目であるが、前句が秋なので、引き上 げてここに月を出した。季語は「月」で秋。 ・カり きかく にちなく はっ鴈も其角が忌日啼やらん むすこ あきな うそ いちたっ 一初めて渡来した雁。雁は秋 分のころ、北地から渡来する。 「月」と「雁ーは付合語 ( 類船集 ) 。 ニ死んだ日。命日。其角は宝永四 年 ( 一七 0 七 ) 二月三十日没。 一寺社の門前に開かれる市。 門前市。「色好み」と「市ーは付 合語 ( 類船集 ) 。ニ西島氏。通称、 次郎次。長沼の酒造家で、問屋・ 名主を勤めた。一茶門。禾堂と号 し、書もよくした。

6. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

つけあい じいん 其角」 ( 次韻・鷺の足の巻 ) という付合をふまえた句作りである。脇句の句案は、 うた くっ 別に「沓音寒き柴門の外」、「杜詩を諷へば寒き唇」があり、几董に選択をゆだ ねた結果、この句に定まったのである。 集 いっしや三 雑。一中国の一里は日本の 村 3 五里に一舎かしこき使者を労て 六町 ( 約六五〇 ) 。ニ『春秋 蕪 左氏伝』に「一宿ヲ舎ト為シ、再宿 おも 前句を詩の諷詠と見立て、その場を付けた。「五里に一舎」は前句の杜甫の面ヲ信ト為ス」とある。休息のため 影よりの連想で、五里すなわち日本道にして一里にも達しない距離ごとに茶店の宿舎。蕪村も几董宛書簡で「休 み茶店」と述べている。三高貴な を設けた、ねんごろな応接の体。中国王侯の外交使節の交歓風景である。蕪村 使者。勅使など。 は書簡で「右二句 ( 脇句と第三をさす ) 共に尋常の句法にてはなく」と自信のほ どを語っている。脇句の悲壮な漢詩調を穏やかな句境へ転じて、自在に中国的 イメージをくりひろげていることを言ったものであろう。 董 茶にうとからぬあさら井の水 前句の使者のもてなしに対し、場を見定めてその情景を付けた。「茶にうとか らぬ」ののびやかな曲節に、茶の水を吟味し珍重している、明るい気分がある。 おもむき 「あさら井」は雅語で、一句に清雅平明な趣を添えている。煎茶を愛した文人 くむ 好みの詩趣である。蕪村に「みじか夜や浅井に柿の花を汲」 ( 落日庵句集、安永 おき 五年句稿 ) の秀吟があり、連句でも次の付合をものしている。「起いでゝ落首よ みくだすをかしさよ几董 / 茶に汲水の浅くてに澄ム蕪村」 ( ↓一四一ハーの三三、 三四 ) 。几董の付句は、あきらかに蕪村のこの付合の濃密な影響下に成ったもの とい , んよ , つ。 ふうえい くむ ネギラヒ 雑。一茶に適した。ニ浅ら 井。「ら」は形容詞「浅しーの語 幹に付いた接尾語で、雅語。

7. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

蕪村集一茶集 日本の古典学 日本の古典 定価 1 , 700 円 I S B N 4-0 9-5 5 6 0 5 8-4 C 1 5 9 5 \ 1 7 0 0 E

8. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

茶集 330 ぐるま 綿の実は秋に摘み取り、これを綿繰り車にかけて新綿を作る。農村を巡回して もの * 、し 新綿を買い付ける商人が、綿荷に大きな物指を突きさして、その品質や量を確 かめているさまであろう。前句の叙景を巧みに人事句に転じた付け方だが、若 さいこくあんや いころの西国行脚で、綿の産地の河内を歩き回った一茶の体験が物を言ってい る。第三句なので、末尾は「て止め」にしてある。季語は「木綿買」で秋。 あひ 甫 まんまとこえしのり合の船 先を急ぐ木綿買が、首尾よく乗合船こ司こ合、 日を越える体である。その商 おおものさし 売道具の大物指に、乗合客が好奇の目を向けるさまが、言外に感じられる。雑 の句。 そゝくさと茶漬の膳をあつらへる 葉 乗合船から降りた旅人が、茶店などで、あわただしく腹ごしらえをするさま。 「まんまとこえし」といし 、「そゝくさとあつらへるーと、 ししいずれも先を急 ぐ旅の気分で通じ合う。雑の句。 6 しだれ柳の仰 に一しき 茶 しだ 前句を受けて、茶店の傍らに立っ枝垂れ柳を点出したもの。茶漬飯をかきこみ ながら、顔をあげると、風に揺れる枝垂れ柳がいかにも涼しげである。しばら く人事句が続いたので、ここで叙景に転じた。季語は「涼し」で夏。夏は一句 ち け のけ わたく 一蕪村の「春風馬堤曲」にも 「一軒の茶見世の柳老にけり」 ( ↓一一九ハ -) とあるように、茶店 に柳は付きもの。ニあおのけに。 一「うまうまと」の転。うまく。 首尾よく。ニ木綿で帆布を 製するので、「木綿」と「船」は付合 語 ( 類船集 ) 。 一落ち着かす、あわただしい さま。ニ注文する。

9. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

ていとくはいかいき 『貞徳誹諧記』 ( 寛文三年 ) には「世俗に仏事をなすは、茶を立つると云ふ也」 とある。前句を、仏事に参集した客に茶を進める体とみて、親しい俳友などを 招いて其角忌を営むさまを付けたもの。「はっ鴈」は、前句の「月」に対する 時節のあしらいで、秋。 すげがさ 葉 四石にかぶせてかへる菅笠 初雁の鳴き渡るころ、其角の墓に詣でた旅人が、墓石に菅笠をかぶせて去って 行くさまである。「石にかぶせて」に、其角に対する敬慕の情が示されている。 雑の句。 おもしろ 一普通とかわって。並みはす 茶 酒にさへ酔へバ奇妙に面白き れて。 じようき 前句の、やや常軌を逸した奇行を、酔余の戯れとみた付け方である。ここでは 一養老の滝。美濃国 ( 現、岐 「石ーは、村はずれに立っ石地蔵などと解すればおもしろい。雑の句。 阜県 ) 養老の滝付近で、樵夫 巻 の が孝行の徳により醴泉 ( 酒の泉 ) を 発見し、汲み帰って老父を慰めた。 鹿ちょろ / 、水も滝にこそなれ その事が上聞に達し、元正天皇が わ ようろうたき 行幸し、「美泉以テ老ヲ養フ・ヘシ」 前句の「酒」から、養老の滝伝説を思い寄せた付句である。ちょろちょろと湧 編 として滝に命名し、年号も養老と き出る泉も、孝行の徳によって美酒と化し、かの有名な養老の滝となった、と 改めた。この伝説を脚色した祝言 連 いう意。「孝の徳美濃は生酔ひばかりなり」などの川柳に比べると、この付合能として、世阿弥作「養老」がある が、これには雄略天皇の時代とさ はさすがに俳諧の体を失っていない。雑の句。 れている。 一前句との関連では、其角の 墓石と解される。江戸の芝二 ほんえのき 本榎の上行寺に墓があり、また深 川長慶寺境内にも墓碑が建てられ れいせん

10. 完訳日本の古典 第58巻 蕪村一茶集

茶集 326 しゆっが ると寒さが去り、出芽も害を受けずに育っからである。前句の家普請の好期か ら、朝顔の種まきを思い寄せた時節の付である。季語は「あさがほまく」で春。 ゃぶいり 一「種」と「子」は付合語 ( 類船 子をかりて来てさわぐ藪入 茶 集 ) 。ニ陰暦正月十六日、奉 公人が暇をもらって親もとに帰る 前句の「いそがしや」の余勢を受けて、藪入りの日に子を連れて里帰りした女こと。また、他家に嫁いだ女が親 を迎え、親里では大騒ぎするさまを付けたのである。久し振りに娘や孫に会う里に帰る日でもあり、ここは後者 うれしさが、「さわぐ」の一語に示されている。「子をかりて」としたのは、婚であろう。 しカ 家に対して憚る気持を表したもの。季語は「藪入」で春。 るす かげろふ 。わうばくじ 日留主 / 、と陽炎もゆる黄檗寺 瓢 おやぎと しんせき 藪入りの期間は、親里で休息したり、親戚を訪問したり、あるいは寺社に詣で るなどして、心のままに遊んだ。この付句は、黄檗宗の寺に詣でたところ、あ しんかん うち - 一し いにく寺僧は留守で、森閑とした境内には陽炎が燃えている情景である。打越 からのややざわっいた気分を鎮静化する働きがある。季語は「陽炎」で春。 ちらりほらりとうれる山の図 茶 かげろう 陽炎の燃える好時節となって、参詣客も姿を現し、ばつばっ案内図なども売れ 始めたさまである。「山の図」の売行きに着目したところが、いかにも一茶ら しくおもしろい雑の句。 つけ 一禅宗臨済派に属する黄檗宗 の寺院。 0 『年中行事大成』 ( 文化三年刊 ) に「藪入り、今日よ り農工商の奴婢、主家の暇を得て、 およそ日数一両日、あるいは四五 日の間、親里に帰り休息し、ある いは神社仏閣に詣し、随意に逍遥 す」とある。 一ちらほら。少しすつ。 ニ山内の案内図。