一句 - みる会図書館


検索対象: 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集
139件見つかりました。

1. 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集

懐紙二枚目 ( 名残ノ折 ) では、二ノ表十二句と二ノ裏六句といったように、四つの部分から構成されている。 一巻の中には春・夏・秋・冬の景物や人事・恋など、さまざまな題材をバランスよく配して折り込んでゆく じ・よ、つギ一 集のである。自然の景物の中では、特に月と花が重視され、月は表六句の中に一つ ( 定座は五句目 ) 、裏十二句 蕉の中に一つ ( 定座はおよそ八句目 ) 、二ノ表の中に一つ ( 定座は十一句目 ) 、また、花は初折の表・裏十八句中に おりはし 一つ ( ただし、初表四句目から折端までを除く。定座は初裏十一句目 ) 、名残ノ折表・裏十八句中にも一つ ( 定座は 二ノ裏五句目 ) をそれぞれ出す約束になっており、これらを二花三月と呼ぶ。もっとも、月は早く出すのも 遅く出すのも、定座を離れることがかなり自在であり、また、花は華やかさへの賞美をこめた万物の心の花 であり、そのため「桜」も特定の花として扱われるときは花でなく、逆に「花聟」「花嫁」は正花 ( 雑の花 ) として認められるのである。 歌仙の展開において、春・秋の句は三句以上五句まで続けてよいのに対し、夏・冬の句は三句までであり、 発句・脇・第三以外の平句の場合には一句で捨ててもよいことになっている。春・秋が重視されるのは、季 あいだ 節的な題材が豊富なためである。そして、季を移す場合は、原則として雑 ( 無季 ) の句を間に挟む約束であ るが、例外として、直接、他季へ移す場合があり、これを季移りという。また、人事句の中では、恋の句が 特に尊重され、一巻中ふつうには二箇所ぐらい出されるが、恋句が出たら、一句で捨てずに二句ぐらいは続 けるのがよいとされている。ただし、晩年の芭蕉の連句では、恋句を特に重視するがゆえに、かえって一句 で終えることも許されているのが注目される。なお雑 ( 無季 ) の句はーー・連句の場合、雑の続くところが、 最も変化に富んだ展開のできる、いわば活躍の場なのであるがーー一句で終えても、七、八句続けてもよい ことになっている。 ひらく

2. 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集

句 ( 発句もしくは付句 ) を出すとき、その他の連衆は読者の立場にあり、しかもそれらの作者は順次交替して ゆくのであるから、次には作者が読者になり、逆に読者は作者にかわってゆくことになる。つまり、メッセ ージの送り手と受け手が随時交替してゆくところに、他に類のない大きな特色をもっているのである。そし そうしよう て、この場合、連衆から提出された付句を適宜裁量しながら、一座を指導してゆくのが宗匠であり、宗匠の しゅひっ 命によって一句一句の作品を書き留める役が執筆であるが、一座の調和と統一をはかるためには、連衆はっ ねに宗匠の指示に従う必要があるわけである。 共同体文芸である連句においては、作者としての個の世界に固執することは許されない。それは、たえず 衆 ( 仲間 ) を意識する文芸であり、大切なのは一座における連衆心の交響である。衆と個の調和に重点があ り、個の主張が強すぎると、付合の多様性や響き合いのおもしろさを減じてしまう。したがって、付句の提 出に当っては、一句自体の巧拙のみにとらわれるのではなく、一巻全体の付け運びに気を配ることが肝要で あり、時には、一見、気の抜けたような軽い付句が、かえって光彩を放っ場合さえ見受けられるのである。 連句はしかし、一般にいう〈共同制作〉の文芸ではない。一つの主題を二人以上の複数の作者でまとめ上 げるといった意味での〈共同制作〉とは明らかに異なっている。一句一句の付句は紛れもなく個の制作にか かわっているのである。前句の詩情を受けついで、それを生かしながら、さらに付句の詩情を構成してゆく 説 のである。他者の立場を尊重しながら、自己を主張してゆくのである。 解連句におけるこうした付合の手法は、しばしばモンタージュの方法に擬せられる。映画の画面の展開はシ しようとっ ョット ( 場面 ) とショットの衝突であると説いたエイゼンシュティンのモンタージュ理論は、それ以前にお ける西欧流の理詰めの因果関係によるイメージの展開のしかたに対する挑戦であったとみられるが、連句の つけく

3. 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集

えいじ 一嬰児の臍の緒がとれたのを ふるさと 保存しておく風習が、今も各 盟旧里や臍の緒に泣としの暮 地にある。『蕉翁句集』には臍に 集 「ホソ」と振り仮名がある。しかし、 歳暮 真蹟懐紙に「へその緒」とあるので、 蕉 これに従うべきであろう。ニ『蕉 芭 ふるさとや臍の緒なかむとしの暮芭蕉若水 翁句集草稿』に「此句、臍の緒泣む 久しぶりに故郷の生家に帰った。兄たちとの尽きせぬ思い出話のついでに、自とも有」と注記。 分の臍の緒を手に取って見たが、折から老いの年をまた一つ重ねようという年 の暮のことでもあり、遠い昔の父母の面影が懐かしく、急に胸が熱くなったこ とである。「旧里や」という上五の大胆な句の切り方に、旧里のありがたさを したたかに味わった者の感懐がよく出ている。季語は「としの暮ーで冬。 一元日に前年をさして、宵の はつむかし 年、また初昔という。除夜。 ニ『三冊子』に「此句の時、師のい 貞享五年 ( 一六公 ) はく、等類気遣ひなき趣向を得た 戊辰 ( 四十五歳 ) 九月三十 り。このてに葉は、二日にはとい 元禄元年 日改元 ふを、にも、とは仕たる也。には、 よひ といひては、余りひら目に当りて、 宵のとし、空の名残おしまむと、酒のみ 聞なくいやしと也」とある。一句 夜ふかして、元日寐わすれたれば の意味は「も」を除いて「二日にぬ 笈の小文 ( 曠野・ 柱暦・泊船集・三かりはせじな花の春」とすればよ 二日にもぬかりはせじな花の春 冊子・若水・真蹟 くわかる。三初春を賞美してい 懐紙 ) う言葉。 0 『若水』に「そらの名残 二日とて花の春であることに違いはないし、だいいち二日の日の出を拝むといおしまんと旧友の来りて酒興じけ とうるい うのが、等類を免れていて珍しい趣向であろう。さあ二日の朝に初春の気分をるに、元日のひるまでふし、明ば のみはづして」と前書。 十分味わうことにしよう。久しぶりの故郷の旅寝を楽しみながら、二日に日の 128 ふつかニ を な」り なく くれ 蹟草泊笈 懐稿船の 紙・集小 千・文 鳥蕉 掛翁曠 ・句野 真集・ きき 128

4. 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集

251 鳶の羽もの巻 苔むしたままの石の手水鉢を、咲く桜のもとに並べ置くさまである。前句、朧並べ置く意。三「てうづ」は「てみ 夜の閑かな庭の、もう一つ周辺の景を付けたまでである。苔の付いたままの手ず」の音便。手洗いの水をたたえ ておく鉢。 水鉢を、桜花咲くあたりに置き添えることによって生ずる朧月夜の興趣は、挿 つけ 木を楽しむ閑居の生活にふさわしい。一句、景気の付であるが、前句の風景を 拡大して、その中に前句をとり込んでくるような付け方である。ここは花の定 座であるが、花の華麗さに重点を置かず、さりげなく詠まれている。 なほり 来 ひとり直し今朝の腹だち けさがた 今朝方の腹立ちも、なにやら物にまぎれて、いつの間にか自然におさまってし まった、というのである。前句の「並ぶる」を庭いじりする人の動作とみて起 つけ 情した付で、庭いじりなどしているうちに今朝方の不機嫌が直ってしまったと いったところであろう。庭いじりの好きな老人などの気性として、いかにもあ りそうなことである。一句、そうした人情の機微をうがっていて、風狂の笑い が感じられる。 く、つ ふつか ニ二日分の食物。三オキ ( 連 ちどきに 二日の物も喰て置 用形 ) 、オク ( 終止形 ) 、いずれと もよめるが、オキの言い残したか 一度に二日分の食物を食っておくというので、いわゆる食いだめをするわけで たちのほうが、句調もくだけて、 ある。前句を、感情の起伏の激しい気まぐれ者ーー気ままな生活をしているわ 前句の笑いを含んだ句趣にふさわ ひとりもの がままな独身者などとみて、その風変りな生活の一端を食いだめと句作したのしい。 0 『猿みのさがし』は、二 おうせい であろう。前句の笑いに応じたおかしみもあり、人物も若々しい元気旺盛な男日ぶりの物を食いだめして走る日 雇飛脚などを連想する。 へと一転させている。 おき 雑。一ひとりでになおった。 自然におさまった。ニ立腹。 不機嫌。

5. 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集

連句編 244 ももひき に時雨に濡れているのである。前句の「はっしぐれ」に「一ふき風」、「鳶」に った落葉を含めていう。「木の葉」 うちそえ 「木の葉」、「刷ぬ」に「しづまる」とそれぞれ応じていて、みごとな打添の脇と「落葉」のニュアンスの相違を指 摘する説もある。『歌林鋸屑集』十 になっている。発句の荒涼とした余情をうけて、その場の景を添えたのである。 月の項に「落葉木のは」とみえる。 発句はやや遠景、脇は眼前の景色で、二句合せると発句の画面は鮮やかに拡大 雑。一両の股を通してはく のち されてくる。『三冊子』 ( 赤 ) が「木の葉の句は、発句の前をいふ句なり」と説 ズボンのようなもの。後の半 ぎやくづけ しわゆる逆付 ( 前後付 ) のことで、木の葉の静まったあと、時雨に濡股引 ( 猿股引 ) 。およそ膝下一、二 れた鳶の羽がかいつくろわれたという、時間の推移の関係を説明しているわけ寸 ( 約三 ~ 六 ) どまりで、その下 きやはん に脚絆をはく。色は浅黄が多い であるが、むしろこの場合は、時間的にも発句・脇同時一体のものとみるべき ・股ーと「川渡」は付合 ( 類船集 ) 、 カハワタリ であろう。特に発句の「刷ぬ」、脇の「しづまる」は、ともに動から静への移 「股曳」に「川渉」も付合 ( 小傘 ) 。 りとなっており、その風韻にひびき合うものが感じられるのである。 『猿みのさがし』は「川の浅みを里 人の渡り行さま」とし、『秘註』は 「旅行ノサマ」とする。 こえて 3 股引の朝からぬるゝ 雑。一「おどす」の仮名違い 威す。こわがらす。ニ篠 ( 小 はじきゅみ 早朝から股引を濡らして浅い川を渡ってゆくさまである。前句を、風のよく吹 竹・女竹 ) で作った弾弓。地に生 き通る谷川沿いの場などと見込んで場を定め、その辺りを通る人を出したので えたままの篠竹を曲げたわめて、 あろう。発句・脇の景に人事を見出して転じた付である。「朝からぬるゝ」に、 とめて置き、獣がこれに触れると 何かよんどころない用事のあることが推量されるが、その人物が旅人であるか弾き打つようにした仕掛け。一種 しようじよう のわなであるが、おどすのがおも ともかく、蕭条たる冬枯れの景色の中を歩みゆく 里人であるかはわからない。 な目的ともいう。一説に、篠をた 人物が現れるのである。ここは一句としては雑 ( 無季 ) でありながら、「朝から わめて作った弓のこととする。 ぬるゝ」がはたらいて、前句に寄せると冬の気分をもってくるという、巧みな 秋 ( 宵の月 ) 。一「まひら戸」 移り方である。第三の転の役割を十分に果したよい付である。 の仮名違い。舞良戸。表面に さん 細い桟を横に密に並べて取り付け た板戸。多く、寺・邸宅の玄関に つけ

6. 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集

257 鳶の羽もの巻 しーも 秋 ( 秋 ) 。一ここは近江 ( 滋賀 湖水の秋の比良のはっ霜 県 ) の琵琶湖をさす。ニ湖西 びわこ の比叡の北に連なる山。「比良の 琵琶湖水辺の秋もようやく闌けて、かなたにそびえる比良の高嶺には、もう初 暮雪」は近江八景の一つとして有 霜を見る時節である、といった意である。ここは遠景であり、「はっ霜」は実 名。三高峰比良に、冬を待たず 際に見えるわけではないが、想像の眼に映るのである。しかも、この「はっ に初霜が降りるのをいう。 0 『三 霜」の一語によって、磨ぎ澄まされた秋冷のころの季感が生き生きと感じられ冊子』 ( 赤 ) に「前句の初五の響堅き に心を起し、湖水の秋、比良の初 るのである。前句の暁天残月の清澄の気分を、琵琶湖上の秋の景と定め、その す一ま 初五「青天に」の語勢に応じて付けた句であろう。それを琵琶湖と直接出さず霜と、清く冷じく、大きなる風景 を寄す」とみえる。『標注』には「湖 に、「比良のはっ霜」と置いたところも絶妙である。一句としては「の」の字 水の句三ッノのノ字心ヲ付・ヘシ」 を連ねた新古今風の歌体構成に特色があるが、『標注』にいうごとく、こうし い , っ た語調のもたらす効果を見逃してはなるまい 秋 ( 蕎麦 ) 。一柴でつくった 。柴門、柴庵、柴屋など、 と いずれも粗末な住居・草庵の意。 引柴の戸や蕎麦ぬすまれて歌をよむ 邦 ニここは畑の蕎麦。蕎麦そのもの は無季、新蕎麦は秋季。『類船集』 たちこうじん 粗末な柴庵を結んで住む隠逸の人は、畑の蕎麦を盗まれても、歌を詠じてすま に「五穀を断し行人 ( 旅人 ) も蕎麦 している、というのである。前句、湖上晩秋の景を詠嘆する人ありとみて、そは用るとかや」とみえる。三古注 くづくり には、『古今著聞集』巻十一一に出る の人物を隠逸の歌詠みと趣向し、その風狂ぶりを句作したもので、前句の叙景 しも から起情した付句である。前句は、一句としても和歌の下の句のごとくみえる澄恵僧都の逸話で、坊の隣の畑に 植えてあった蕎麦を、夜、盗人が が、この句はそれをうけて歌人を趣向し、上五文字「柴の戸や」も歌体で応じ ぬすんで行ってしまったことを聞 ながばかま ているようなところがある。蕎麦は遁世者にふさわしいもの、しかも古来盗人 ここんちよもんじゅう いて、僧都が「ぬす人は長袴をや に出会って歌を詠んだ話も多い。『古今著聞集』の澄恵僧都が狂歌を詠んだと 着たるらむそばをとりてそ走り去 おもかげ いう逸話などもその一例である。むろん、特にこの話に俤を定めなくても、こ りぬる」 ( 袴の「衣端」と言いかけた しやしやらくらく し。し力にもふさわしいことなのである。ある狂歌 ) と詠んだという話の俤とみ うした洒々落々とした人の境涯こま、、 つけく ひら た たかね 蕉

7. 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集

よすてびと よすてぎけ すする世捨酒でもあろうか。「桑門」という言葉にあやかって「桑酒」という「世捨人の飲む侘しい酒」と見たの - 一・しう くくぜん 造語をしたところが自慢の作意。栩々然と舞う胡蝶に変身したという白昼夢をであろう。 そうしゅう 見たのは、至楽の人荘周、桑の実にすがる蝶に世捨人の境涯を見たのは、反俗 たで 一「草の戸に我は蓼くふほた みなしぐり の詩人芭蕉である。季語は「桑の実」で夏。 る載其角」 ( 虚栗 ) 。句意は 「世に蓼食う虫といふ諺があるが、 スガたでほたる / ニ 和 = 角蓼蛍句一 私も俳諧者であるから、草庵に住 み、蓼を食って夜飛びあるく蛍の われ ような反俗的生活をしている」と あさが 我は食くふおとこ哉芭蕉船集・去来抄 ) 、 いったところ。なるほど俳諧には みちにあら十 - みちをなす 「非レ道してしかも成レ道」 ( 奥儀抄 ) 其角よ、私はあなたと違い、むしろ早寝早起きをして、朝顔に対して閑かに飯 という反俗的性格があるが、其角 を食うような男です。私はかえってそのほうが本当の俳諧者だと思うのだが、 の句は、それを露骨にてらったき あら いかが。其角の句が俳諧の反俗的性格をあまり露わに誇示しすぎているところらいがあるので、それは小隠のす みとが ること、大隠は市中に隠れるもの を見咎め、それをそっくり打ち返して、武骨な平凡さの中に俳味はあるものだ だよと、軽くいなして新しい俳諧 と、其角の気負った俳諧論に軽く唱和した句。季語は「あさがほーで秋。 性を示したのである。 フらうとプ 憶 = 老ー杜一 一杜甫。ニ「風髭を吹い下 年 の倒置表現。杜甫の「秋興詩 ひげ ましうたん 虚栗 ( 泊船集・蕉八」中の有名な倒装法の詩句「香 " 髭風ヲ吹て雀ー秋歎ズルハ誰ガ子ゾ芭蕉 稲啄ミ余ス鸚鵡ノ粒、碧梧棲ミ老 しようしつ そぜん 編 ュ鳳凰ノ枝」による。 = 甫の 蕭瑟たる秋色の中に立ち尽し、粗髯を風の吹くにまかせながら、暮秋を嘆じて あかざっゑっ 「白帝城最高楼」中の詩句「藜ヲ杖 いるのは一体だれなのだろう。一句には、われと我が身に「藜ヲ杖イテ世ヲ嘆 イテ世ヲ嘆ズルハ誰ガ子ゾ、泣血 めぐ ズルハ誰ガ子ゾ」と問いかける杜甫の孤独な詩魂に、ふたたび「誰ガ子ゾ」と空一「ラシメテ白頭ヲ回ラス」を 遠く呼びかけている気味合いがある。言ってみれば、一句は杜甫の「秋興詩」裁ち入れたもの。 きかく ふい めし かな 4 ・

8. 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集

芭蕉句集 18 ひ え ねこ 一一休禅師が叡山の衆徒に、 ・ 6 読みやすい大文字を書いて賜 れと請われ、麓の坂本に届くまで 延宝五年 ( 一六七七 ) 丁巳 ( 三十四歳 ) 長く継がせた紙の上に、七、八尺 の大筆でまっすぐにしの字を書い ひとかすみ て駆け下った、という逸話による 江戸広小路 ( 六百 炻大比叡やしの字を引て一霞桃青 ( 一休咄・巻二の九 ) 。 0 『泊船集』 番発句合 ) には「此句は翁の吟なるよし、あ る人にきゝぬ。実否はしらすしる ひき 泊船集 ( 彼これ 大比枝やしを引すてし一かすみ しぬ」と付記。参考「横にひく霞や やま ひえいぎんひとはけ 天下一文字安明」 ( 崑山集 ) 、「山 まゆ 比叡山に一刷毛霞がたなびいているが、これは言ってみれば、かの一休が縦に 眉はただ一はきかうす霞政之」 引き捨てた「し」の大文字を、今度は横一文字に書いたようなものである。一 ( 毛吹草 ) 。 ばなし たん 休咄に叡山の霞を思い寄せた奇抜さが談林的。ただし、その連想には色紙・短 一春の発情期にある猫。 冊などの霞 ( 上方にある藍色のばかし ) が少し関係しているか。「大比叡」「一霞」 かったっ ニかまど。へつつい。猫が灰 の措辞が、闊達な談林俳諧の味をよく出している。季語は「霞」で春。 に残ったぬくもりを楽しんでいた くづ 江戸広小路 ( 六百りする。三「むかし、男ありけり。 猫の妻へついの崩れより通ひけり桃青番発句合・焦尾東の五条わたりに、い と忍びて いきけり。みそかなる所なれば、 きさき なりひらついじ その昔、業平は築地の崩れから二条の后のもとに忍んで通ったというが、これかどよりもえ入らで、わらはべの かまど 踏みあけたるついひちの崩れより はまた恋に思い乱れる猫のこと、宵々ごとに竈の崩れから通うのであった。 ありはら 通ひけり」 ( 伊勢物語・五段 ) を卑俗 『六百番発句合』に「右のへついの崩れより通らば在原ののらにや、よひノ、 なく からね - ) な猫の恋に読みかえた作意。 ごとにうちもねう / 、とこそ啼らめ。いづれもおとらぬ唐猫なれども、妻恋の六百番発句合』に「猫妻恋」の題 物語につきて、右をかちとす」とあるとおり、優美な平安朝の恋物語に卑俗な下、左「妻恋ゃねしみをあげて猫 つが 猫の恋を思い寄せたところが一句のおもしろさである。季語は「猫の妻」で春。の皮ーと番えられている。 おほひえ ぎく かよ

9. 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集

ニ花虻。好んで草木の花に集る。 笈日記 ( 泊船集 ) 花を吸ふ虻なくらひそ友すゞめ 大小数種あり。大きいものは大黄 余念なく花に遊んでいる虻は、虻相応の天地に安んじて、自らの境涯を楽しん蜂の形に似て、髭やとげがなく黄 色を呈す。 0 『元禄風韻』に「花 でいるのだ。だからそこにいる二、三羽の雀たちょ、心して虻を捕え食うこと 園貞享四江戸」と前書し、岩 なかれ。「花にあそぶ」その自得の世界は、しかしまた破れやすく、侵されや 松・古益・炉方との四吟歌仙を掲 すい。その意味で、一句における二、三羽の無心な友雀の存在は、自得の世界出。岩松の脇は「猫和らかにゆる をやなぎ の構造的不安を、実に的確に象徴していると言えよう。季語は「花」で春。 ゝ緒」。『蕉翁句集草稿』には「此 句、笈日記に花を吸と有。違也。 ぢきにきく さうあん 直聞、はじめは、虻なっかみそ也。 なは 草庵 後直るか _J と注記。 続虚栗 ( 浪化宛去 かね うへの 来書簡・小文庫・ 花の雲鐘は上野か浅草歟芭蕉枯尾花・土芳筆全 一深川の芭蕉庵。ニ江戸上 伝・あつめ句・真旧 蹟短冊 ) 野の寛永寺。三浅草の金龍 のどかな春日和に誘われ、草庵の縁側から対岸の上野・浅草あたりを眺め渡し山浅草寺。を土芳筆全伝』は真 蹟によるとして、謡曲「西行桜」の てみると、一帯は、花が雲と見まがうほど咲きほこっている。そのせいか、響 一節「しかるに花の名高きは、ま このゑどの いてくる鐘の音まで、上野の鐘とも浅草の鐘とも聞き分けがっかない有様だ。 おばろ づ初花を急ぐなる、近衛殿の糸桜。 花も朧、鐘も朧の大江戸の春景色である。「観音のいらかみやりつ花の雲。見渡せば柳桜をこき交ぜて、都は たいとう さんらん 年 ( ↓八 0 と一連二句の格をなす句で、駘蕩たる大江戸の春を外にした閑居の気春の錦、燦爛たり」に譜点をつけ 四 かんどころ 享 て前書とする。 味を読み取るのが、一句の勘所である。季語は「花の雲ーで春。 貞 続虚栗 ( 破暁集・ きくあこう はらなか なくひばり 一字幽蘭集・泊船 0 『桃の杖』所収「発句菊阿ロ 集書入・蕉翁句集 玽原中や物にもっかず鳴雲雀 義」に「西行の哥に、心性さだ ・桃の杖・あつめ 句・真蹟短冊 ) まらずと云事を題にて、人へよみ ゅうきゅう ひばり はてしなくひろがる春の野原、その春光あふるる悠久の天地の間を漂いながら、やり侍る / 雲雀たつあら野におふ さえず 雲雀が一切を放下して、ただひたすら無窮に遊ぶがごとく、無心に囀り続けてる姫ゆりの何につくともなき心か す はるびより あ一くさか ひげ うた

10. 完訳日本の古典 第54巻 芭蕉句集

連句編 302 ウおかしら 7 御頭へ菊もらはるゝめいわくさ 秋 ( 菊 ) 。一組頭。頭領。配 野坡 下の者が統率者に対していう せつかく丹精して咲かせた自慢の菊を、ほかならぬ組の頭領から、気安く所望呼称。ここは足軽などの軽い身分 の者とみておく。ニ貰われる。 されて、ありがた迷惑なことだ、というのである。「めいわくさ」には、よ、 懇望される。俗語調だが敬意を含 ば誇らしげな面もうかがえないではない。前句、隣同士で話す人を足軽などのむ。 身分の者と見替え、その対話の内容に、なにか愚痴つばいものを感じとって付 雑。恋 ( 句意 ) 。一物堅く おや の意。ニ他人に会わせない。 けたものであろう。会話体の付句である。菊づくりなどを趣味とする律義な親 ここでは男の人に会わせないこと。 爺は、市井のどこにでも見られる人物像なのである。一句は、類型的なとらえ 過失のないように箱入り娘にして 方ながら、そうした平凡人の生態と人情の機微を具象化して、まさしく『炭 おくのである。 0 『打聴』に「菊ハ 俵』調になっている。 隠逸ナルモノニテ、コレヲ愛スル ハ廉直 ( 廉潔・正直 ) ノ人ナル・ヘシ。 かた サレバ軽薄ナラヌ家風也」とみえ にあはせぬ 8 娘を堅う人 芭蕉 る。恋の句は元来一一句以上続ける まなむすめ 習慣であったが、芭蕉最晩年にお 年頃になった愛娘をめったに人の前に出さないのである。前句、菊づくりに励 いては目立って一句で捨てた巻が む人を、昔かたぎの潔癖で堅気の老人などとみて、その人の気性を付けたので 多くなり、それも淡々とした恋に あろう。丹精こめた菊に対する愛惜の情を、大切な箱入り娘の上に移してきた なっている。『去来抄』『続五論』 ともみられる。物堅い親爺の性格には、隠逸花と異称のある菊の花からの連想 にも、もし付けなずむときは恋句 を一句で捨ててもよいと伝えてい もはたらいているだろう。また、娘をめったに人前に出さないところには、 る。 すかに恋の心が匂っている。晩年かるみを重んじた芭蕉の恋句の扱い方として 雑。一奈良へ往復してする 注目されるところである。 商売。奈良の名産としては サイミ サラシヒラスノチ′ミコョミュエンノ 「細美・瀑・平布・縮・暦・油煙 イロスミシプウチハ ッケカウモノ 墨・色墨・渋団扇・漬香物」 ( 毛吹 9 奈良がよひおなじつらなる細基手 野坡 草 ) などがあるが、最も著名なも むすめ しせい つけく ホソモトで