鹿児島県 - みる会図書館


検索対象: 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ
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1. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

0 幸島サル生息地 ( 宮崎 ) 幸島は亜 帯性の海岸樹林がしげる周囲約 4 キロ メートルの小島て、島内には古くから野生 のサルが生息し、猿島ともよばれている。 幸島の全景。 たかごやま 0 高宕山のサル生息地 ( 千葉 ) 8 群カ寉認 されており、房総半島の代表的サルの生息地 となっている。 0 牛山のサル生息地 ( 岡山 ) 臥牛山は びっちゅう 備中松 L 助 ; として亦にも指定されている。 ばうそう 幸島のサル ニホンザルの社会を調べる目的 て、、日本て最初に餌づけされた記 念碑的な群れ。餌のサツマイモを : ルトに浸して食べる行動が、群れ のサルの間に波及するのが観察さ れ、「イモ洗い文化」として世界に 広く知られることとなった。ま た、ニホンザルの社会を解明する うえて、、初期の日本のサル学に大 きく貢献した。現在て、は、京都大 哮長業 f 究所の研究施設も開設 されていてヾ多くの研究者に格好 のフィールドを提供している。 哺乳類・ 29

2. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

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3. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

高崎山のサル 「只今〇〇匹」の速報掲示板に迎 えられて、高崎山自勿園てニ ホンザルを目にした経験を持つ人 は少なくなかろう。餌づけされた サルを目の前にして、ニホンザル の社会のしくみについて説明を聞 くこともて、き、ふつうの重勿園て、 は味わえないサルとのふれ合い に、訪れる人は満足する。

4. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

: 0 を : 三み 0 / : 第ツ 、一み義 たかさきやま ている。 べつぶ 0 高崎山のサル生息地 ( 大分 ) 別府湾に面した高崎山に生息するニホンザルの群れはわが国最大て、、観光・生態観察の両面から注目をあび のおやま ①面山のサル生息地 ( 大阪 ) 箕面山は渓谷美とモミジの名所として親しまれているが、古来、野生のサルのすむ山としても知られている。

5. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

・ / 1 、す′、 - 立第ィ こ第、它ミ 、 ~ い子 しもきた 下北半島のサルおよびサル生息北限地 ( 青森 ) 下北半島はニホンザルの分布北限て、 あると同時に、世界におけるサル類の自然分 布の最北限て、もある。群れをなして凍りつく ような雪の中て、冬をすごす姿は、サルの生態 としてはきわめて特異て、、 ! 判付十 . もたいへん 貴重て、ある。 の物を 第イ【ッ第 をイ , ノを・を 翁しいな 下北半島の元箔港をのぞむ。

6. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

カモシカの年齢を調べる ー第は第 野生重丿肋の年齢を正確に知ることは、産まれた時点て標 識 ( バンディング ) を付けておく以外、容易て、ない。野鳥 て、はこの標去を取り入れた調査て、、移重丿督路や社会構造 をはじめ、生活史全般にわたる観察に成果をあげた研究例 力す多い 孵し類て、は、歯・骨・角といった硬い組織からなる部位 を使って年齢を決める方法が、丘になって採用されだし た。原理は樹木に形成される年輪と同じて、、季節による生 理・栄養条件の違いが原因となって互層が形成されるのを 利用するものて、ある。日本の研究て、も、クマ・キツネ・タ ヌキなどの肉食類、シカ・カモシカ・イノシシなどの偶蹄 類て、すて、にこの方法が採用されている。 カモシカて、は、歯のセメント質に年輪が認められること から年齢の査定がて、きるほか、描丘になって、角に形成さ れる輪状の節 ( 角輪 ) も年齢に対応していることカ寉認さ れた。 野生のカモシカの年齢を知ることにより、ある或に生 息するカモシカ個体群の増減の動向を明らかにするのに必 要な年齢構成や、繁殖および死亡のおこり方などの情報を 得ることがて、きる。このほか生息密度、分布状況、栄養状 態などについても、同時に調査することて、、特定』或のカ モシカの生息状況をより正確に把握することがて、きる。 ( 花井正光 ) 1 2 4 5 第一大臼歯のセメント質 (B) にみられるカモシカの年輪。黒く染 められた層が冬季に形成され、その数が個体の越冬回数となる。 この個体の寿命は 7 歳 3 カ月であった。 A の部分は象牙質 ぐうてい 角を縦に切り、薄い切片にして 漂白すると写真のような成長線 がみられる。成長線は一歳半の 冬に最初に形成され、以後毎年 冬に一本すつつけ加わる。した がって、成長線の数に一をプラ スすると個体の年齢がわかる。 成長線の V 字形は、角の内側か ら角をつくっている物質 ( ケラ チン ) がつけ加わっていった跡 を示している。 鵞 ( 写真・文 三浦慎悟 ) さつま らいき 来言山には、 17 世紀前半に薩摩より持ち ; ま孑刎旨定による保護が急がれている。 くば 込まれ、慶良間列島の久場島に放飼され 大正の初期まて、は慶良間列島のほとん た旨の記載があるからて、ある。 ど全域に分布していたが、畑イ信勿への食 生息数は少なく、三つの島を合わせて 害防止が主たる理由て、次つぎに駆逐され もせいぜい 50 ~ 60 頭にすぎないと推定 たという。人の生活する慶留間島と阿嘉 島て、は、今も畑作物への食害を防除する されてきたが、近年て、はわずかながら増 加する傾向にあるとみられている。現在、 オめ ( 、局さ 2 メートルほどの金網柵が ~ 3 歳 無人島て、ある屋嘉比島の生息数が 30 頭 山ぎわに設置され、シカとの共存が図ら : ・ 2 以上て一番多いが、生息地としての天然 れている。 ( 花井正光 ) 記念孑刎旨定はこの島だけて、、残り二つの ~ 4 歳 島は指定されていない。生息数が少なく、 3 しかも相互に離れていて、ふつうて、は移 出入がそうそう起きるものて、はない から、絶威の危険匪も大きく、これら二 角の枝数と年齢 シカの角の成長 つの島のシカに対しても生息地の天然記 くちく 1 ~ 2 歳 夏 ↓ ↓ イ % 々 哺乳類・ 21

7. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

開発に斃る にぎにぎ マスコミがカモシカの食害問題を賑々しく取り上げて大 生きて保護されたカモシカの末路はあわれて、ある。極度に きな反響を呼んだが、一方同じ頃、北アルプス山中て、はど 衰弱し、立ち上がる力さえなく、保護現場て、生命を落とし あかし すべ こへ訴える術もなく、やせ衰えた体を唯一の証に、ひっそ たものい頁かある。収容されても、いままて、に 1 頭を除 りと斃れていった多くのカモシカがいたことを知る人は少 いて再起した例はなく、全て短時日て死亡してしまった。 これら収容されたカモシカの死因て最も多いのは衰弱死 たかせ なだれ て、あり、次いて、雪崩による圧死、転落死の順て、ある。雪崩 北アルプスの高 ~ 日渓谷は、槍ヶ岳に源を発して、全長 さい 約 47 キロ、信濃川上流の犀川の主要主流のひとって、ある。 により圧死するのは、嶮しい山岳地帯の、積雪量が多い場 国有林内の山岳部上 ~ 或は、中部山岳国立公園にも指定さ 所て、ある。餌不足に悩むカモシカにとって、雪崩跡に出現 れている。この高 ~ 或て、カモシカが初めて発見された するクレバスの中からのぞく常緑草本や小灌木の冬芽は大 のは昭和 39 年 ( 1964 ) 4 月のことて、、山菜採りの人が川原て、 きな魅力なのだ。これらのカモシカはクレバスて採食中に 死体をみつけたのて、ある。その年は 5 頭の死体が収容され 第二の雪崩に襲われたものと推測された。本来なら危険を 避けて通る野生動物が、あえてそれを冒してまて採食せざ た。それ以来、昭和 58 年 ( 1983 ) 末まて、に同流域て、発見され るを得なかった事情があるからて、あろう。 たカモシカは、生体・タ本をあわせて 51 頭にのばる。 食害防止のための捕獲以外て、、同一 ~ 或あるいは同一山 さらにカモシカの転落死は、鑿掘工事によってて、きた人 塊て、このように数多くのカモシカが発見・収容されたこと 工的な崖が原因て、ある。発破音や重機音に驚いて逃げる途 はイし或て、は例をみない。収容数も年によってかなりの違 中、急に出現した崖から転落し死亡したのて、ある。これら いがあるが、昭和 47 ~ 49 年の 3 ヵ年に 23 頭 ( 生体 13 頭、死 はいずれも、ダムエ事による環境破壊がもたらしたことは 体 10 豆印と集中して発見されている。そしてその大半は、 言うまて、もなく、これ以外にも人の目にふれる事なく朽ち 餌不足の冬から春にかけて収容されているのて、ある。この 果てたカモシカが一頁もいることて、あろう。 ( 千葉彬司 ) 3 ヵ年に収容された頭数は、高 ~ 創或て発見・収容され たカモシカの総数の 4 ヾーセントを占めている。なぜ、 No. 収容月日 生死年齢性別 死亡年月日 生存日数死 ◇ 早 の期間にこのように集中して発見され、収容されたのて、あ 4. 0 圧 死 ◇ 早 2 . 39 . 5 . 圧 死 ろうか。 ◇ 早 3 . 39. 圧 死 4 . 39. ◇ 早 6 . 圧 死 この ~ 或に生息するカモシカが璃昜として最も多く利用 ◇ 舎 5 . 39 . 6. 23 0 圧 死 ◇ 舎 田 0 23 8 年 6 7 . 49 . 肺 炎 していたのは、川に並行して帯状に広がる広葉落葉橦材木帯 ◆ 早 7 . 42 . 3. 幻 0 42. Ⅱ . 老 235 ◆ 8 . 44. 7 . 20 0 44. Ⅱ . 30 老 ロ 3 て、ある。それが昭和 46 年 ( 1971 ) に着工された 2 ヵ所のダム ◇ 舎 9 . 47 . 4 . 圧 死 47. ◇ 舎 4 . 23 0 建設工事によって消え去り、急峻な崖に変わったのて、ある。 圧 死 ◆ 早 4 . 30 0 47 . 衰 弱 昜を失ったカモシカは固のホームレンジの中に僅かに 47. ◇ 舎 24 0 圧 死 ◇ 早 48. 圧 死 残された餌を食べて細々と生きのびていたのて、あろうが、 ◆ 舎 48 . 2. 幻 0 48. 3 老 48. かん一てく それも雪がくるまてて、ある。降雪が続くと小灌木や常緑の 48. 3 . 22 0 老 48. ◆ 早 3 . 29 0 48. 3. 29 老 草本類は雪の下になり、極端な餌不足となる。生きのびて 48 . 4 . 7 48. ゆくためには餌を石何呆しなければならない。そのためには 20 . 48. ◇ 24 0 生 存 もっと条件の良い場所に移るか、現在のホームレンジを拡 49 . ◇ 早 0 49. 22. 49. 0 ◇ 49 . 29 寄生虫 大するしかない。だが条件の良い所は既に他のカモシカが ◆ 早 23 . 49 . 2 . 7 0 49. 24 . 49. ◆ 早 2. 田 0 49. 2 老 利用しているて、あろうことは想像にかたくない。そこて起 ◆ 早 25. 49. 2 . ロ 0 49 . 2 衰 弱 26. 49 . 2 . 20 0 衰 弱 きるのが、ホームレンジ奪町の争いて、あろう。 27 . 49 . ◇ 舎 3 . 8 0 49. 衰 弱 28 . 49. ◆ 早 3 . 0 49 . 6 衰 弱 力の強いものが弱いものを駆逐する。このように孑則し ◆ 早 29 . 49 . 4 0 4 . 49 . 衰 弱 5 たのは、この 3 ヵ年間に収容されたカモシカは 1 例を除い 30 . 49 . ◆ 早 4 . 4 0 49. 5 袰 弱 49 . 4 . 28 0 圧 死 て、全てカの衰えた老獣か幼獣て、あったからて、あり、また、 高瀬川流域で収容されたカモシカ その大半の収容時期が餌不足の季節て、あったからて、ある。 ( 0 死体、◆転落死体、 0 生体◇幼年、◇壮年、◆老年 ) お さっくっ えさ 2 . 23 つっっ」 一 0 4- 4- くちく 哺乳類・ 17

8. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

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9. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

特別記事目録 開発に斃る・・ カモシカの年齢を調べる 局限された森・・ 私のコウモリ体験 消えた鷺山・・ 白鳥の給餌・・ 鶴千年・・・ 模索続く ツルと人間の共存・共栄・ キツッキのくちばしと舌・・・ ライチョウの 「なわばり」とあぶれ雄 声のブッポウソウと 姿のブッポウソウ 探島地ミニガイド・・ ウミネコと菜の花・・ コロニーの持性・・ 保護の成果を左右する制限要因・・・ 司 27 鳥盟ルを飲めるか ? ・・ 鳥の渡り・・ 滅びゆく日本在来馬・・・ 日本人と日本大の起源 土佐の四国大・・・ 尾長鶏の飼育・・・ 文化産としての家畜・家禽・・ シャモの渡来期 っ 0 4 5 こっ 0 4 LO C-D 「ー 司 43 司 55 装幀・レイアウト・ S Ⅸ

10. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

沖島オオミズナギドリ繁殖地 粟島のオオミズナギドリ およびウミウ繁殖地 3 アピ渡来群游海面ロ 6 カンムリウミスズメロ 6 アホウドリ 7 日出島クロコシジロウミッパメ 繁殖地ロ 7 ■家畜・家禽 3 岬馬およびその繁殖地図 0 ーⅢ 見島ウシ産地Ⅲ 北海道大 ( アイヌ大 ) 図 4 秋田大図 4 コ 45 柴大図 5 甲斐大図 8 越の大図 8 上佐大図 9 紀州大図 9 上佐のオナガドリ 黒柏鶏 2 東天紅鶏 2 ー 3 地頭鶏 3 薩摩鶏丐 3 声良鶏 6 蓑曳矮鶏馬 7 蜀鶏 7 鶉矮鶏 7 蓑曳鶏 7 地鶏 7 島骨鶏田 0 軍鶏田 0 矮鶏刪 比内鶏 河内奴鶏 小国鶏 巧 2