[ 凡例 ] 断により、也での慣用に従ったものも若干 然記念物キ帛目録』によったが、編集部の判 3 . 天然記念物の名称は、文他ヤ編『史跡名勝天 基準」による区分も併用した。 ったが、分類し難いものは「天然記念物指定 2 . 重勿の分類は、主として分類学上の方法によ 報て告示されない限りは収録し、その旨を記 物て指定解除申請中のものか若干あるが、官 イ帛置のものは含まれていない。絶滅した動 「国指定」の天然記念物のみであり、地方自治 1984 ) 5 月現在の才帛褂勿件の全部である。 1 . 本書に収録した天然記念物は、昭和 59 年 ある。 ( 特天 ) = 特別天然記念物 ( 天 ) = 天然記念物 れたりしたことを示す。 ら才帛或が ; 川拡張されたり、解除縮小さ G 助ロ指定 ) ・← - 音 ; 解除 ) は、保護の要上か たことを示す。 合併その他やむをえない理由により改められ ( 名称変更 ) は、指定当初の名称を、市町村の むねー致する。 5 . 囮 = 才帛年月日。官報に告示された日とおお 合もある。 編集の都合により、多少頂序を入れかえた場 のへ、あるいは分類学上の順序によったが、 件の配列は、原則として北のものから南のも 4 . 各章および章内の同種グループ中の指定物 朝体 ) は才帛外のものを示す。 のものは国指定の天然記念物を示し、細字 ( 明 写真説明文の名称のうち、太字 ( ゴシック体 ) 6 . 所 = 所在上上或を才帛ゼす、全国的に特定 の重躱勿そのものを指定したものは、そのおも な生息地を ( ) て示した。 7 . = 理者または管理団体。 - ヨ殳に土地の所 有者か管理にあたるのか建て前であるが、所 有権が多数にわたっていたり、その他尼要な 事由がある場合には、管理団体か才帛され管 理することになっている。都道府県や市町村 など地方公共団体がこれにあたるのか普通で ある。 理者名・管理団体名のうち、 * 印のものは 指定物イ牛の所有者として明らかなもの。細字 ( 明朝体 ) のものは、『指定目録』では空白にな っているが、編集部の調査によって判明した 管理者または理団体を示す ( 従って、これは 公式のものではない ) 。なおかっ調べがつかな かったものは空白にしてある。 8 . 解説およひ特別記事中の動物の種名は各執 筆者による。その他写真説明など、執筆者名 のない言当主は編集部による。 9 . 特別天然記念牛辧旨定のものについては、名称 の欄にその旨を記した。 10. 第 6 巻の巻末に、天然記念物の所在地地図、 都道府県別目録および 50 音順索引を掲載し た。検索や観察旅行などに役立ては幸いであ る。
ウミウ / 久保敬親 125 ・大黒島空撮 / 伊東利明 コシジロウミッパメ / 久保敬親 工トピリカ / 田中光常 壁島ウ渡来地 / 西谷友一 照島ウ生息地 / 番匠倉勝 128 ・仲の神島海鳥繁殖地 / 久保敬親 クロコシジロウミッパメ / 遠藤公男 大貫茂 日出島クロコシジロウミッパメ繁殖地 137 ・アホウドリ / 長谷川博 カンムリウミスズメ / 青木保 136 ・アビ渡来群游海面 / 井手三千男 井手三千男 星神島オオミズナギドリ繁殖地 地 / 中俣正義 粟島のオオミズナギドリおよびウミウ繁殖 沖島オオミズナギドリ繁殖地 / 井手三千男 オオミズナギドリ繁殖地 ( 京都 ) / 岩合徳光 ミッパメ繁殖地 / 北條光陽 三貫島オオミズナギドリおよびヒメクロウ 鮫島淳一郎 133 ・オオミズナギドリ繁殖地 ( 北海道 ) 132 ・オオミスナギドリ / 田中光常 カツオドリの親子 / 久保敬親 カツオドリ / 久保敬親 129 ・セクロアジサシ / 久保敬親 工リグロアジサシ / 八代洌和 家畜・家禽 141 ・岬馬およびその繁殖地 / 森田敏隆田 / 竹内敏信 ( イイ 142 ・見島ウシ産地 / 西谷友一 144 ・北海道大 / 飯島正広 秋田大 / 吉野信 145 ・柴大 / 宮崎学 柴大の子 / 西村豊 秋田大 / 岩合徳光 148 ・甲斐大 / 岩合徳光 越の大 / 撮影者不明 149 ・土佐大 / 岡崎禎広 紀州大 / 吉野信 紀州大親子 / 田中光常 152 ・土佐のオナガドリ / 立松光好 黒柏鶏 / 大高成元 153 ・東天紅鶏 / 立松光好 地頭鶏 / 熊副穣 藤摩鶏 / 立松光好 156 ・声良鶏 / 千葉克介 157 ・蓑曳矮鶏 大高成元 ・ 165 小国鶏 比内鶏 / 大高成元 河内奴鶏 / 大高成元 真黒矮鶏 / 久保田義久 桂矮鶏 / 久保田義久 碁石矮鶏 / 久保田義久 161 ・逆毛白色矮鶏 / 久保田義久 軍鶏 / 立松光好囲 / 吉野信囿 160 ・烏骨鶏 / 大高成元囲 / 吉野信囿 地鶏 / 立松光好 鶉矮鶏 / 久保田義久 蜀鶏 / 中俣正義 猩々蓑曳鶏 / 久保田義久 白笹蓑曳鶏 / 立松光好
文化遺産としての家畜・家禽 わが国の自然を記念するものて、、学術上貴重なものが天 然記念物として指定されている。その中に「日本に特有な 畜養重加勿」という指定基準があるが、これは明らかに自然 を記念するものて、はない。自然を、広い意味て、の生きもの と解釈すればよいのて、あろうか。 ところて、文化財保言去は、古く明治 4 年 ( 1871 ) の「古器 旧物保存方」にさかのぼる。やがて古社寺保存法となり、 名勝・旧跡等はこの法律の準用によって処理されたが、「史 蹟名勝天然記勿保存法」へと進み、一方、国宝保存法、 重要美術品等の保存に関する法律も制定された。それらは 日罸にと共に不備カ甘商され、また文イオの定義を拡大して、 現行の文化財保護法に一括された。この流れの根底には、 文イオとは人間の文イヒ活動が生みだしたものて、あるという 訒識が根強くあったことは否めない。生活の中て、つくりあ 川じ、ロ げてきた家畜・家禽は、まさにこの文イオに当たるといえ 家畜・家禽の中て次然記念物に指定されているものは 26 みさき 件に及ぶが、岬馬と黒柏鶏以外が、すべて現行制度以前の 責名勝天然記念物保存法によって指定されたものて、ある のは、 E に述べたことと関連して興味が深い それにしても、秋田大や . 上佐犬、尾長鶏や声良鶏あるい ちやば は矮鶏のようなものを生みだした日本人の生活の中には、 何かしら不思議なものがあるのをかいま見る思いがする。 日本の文化の特異なーっの姿なのて、あろうか。岬馬と見島 の牛はやや趣を異にするが、家畜て、あることに違いはない その起源は明らかて、はないが、貴重な在来種て、ある。 ともあれ、これらの家畜・家禽は、文化の遺産として、 その系統は厳密に維持しつづけていかなければならないて、 あろう。 それはそれとして、日本人の生活がっくりあげた重勿の 中て、貴重なものはこれだけなのて、あろうか。例えば金魚な どの中には、これらに匹敵するものはないのて、あろうか。 くろかしわ とうてんこう ながどり 長鶏および東天糸工鶏と近縁関係にある ことが示され、これらの鶏種が現存の みのひき 蓑曳鶏の復元に交配種として採用された 可能性が孑商されてきている。 ( 花井正光 ) 地鶏 指昭和年一月 27 日 所 ( 岩手県・三重県・岐阜県・高知県 ) 三重県・岐阜県・高知県 現存の在来鶏のうちもっとも古くから やよい 姿をみせた鶏て、、弥生日罸にの」齠亦から出 土した鶏の骨もこの鶏に近いものと考え られている。各地にそれぞれ特徴のある 体形や羽色をもった在来の鶏として保存 されてきたが、いつばんによく知られて いるものに、岐阜地鶏、三重地鶏、土佐 地鶏がある。このほかにも新潟県の芝鶏、 ひげ 佐渡簽也鶏、山口県の féJ 也地鶏などカ覡 存する。地鶏とはこれらをふくむグルー じ ( 加藤陸奥雄 ) プの総称て、ある。したがってグループ内 て、のⅷ縁関係も複雑て、、血液タンパク質 の型にも変異が多い 現存の鶏の起源は、インドや東南アジ アに生息するセキショクャケイ ( 赤色野 鶏 ) と考えられつつあるが、地鶏のうち にはこの野生種に共通する形質をもった ものが少なくない。しかしながら、血液 タンパク質の型から調べた結果て、は、 れらの地鶏がセキショクャケイから直接 由来したものとは考えにくいとの孑商が されている。 ( 花井正光 ) 家畜・家禽・ 159
も知られている。しカ : しながら、生息数 が少ないことや猛毒をもっハプもすんて、 いることが原因て、、ケナガネズミととも にトゲネズミの系統的な研究は遅れてお り、今後の課題となっている。 トゲネズミの重はセレベスに産す ヤマネは本州・四国・九州の山地に分 げつし るが、別の属種て、あり、工剏衣産の本種は 布する小型の齧歯類て、、一属一種て、ある。 一属一種の珍奇種て、、重丿 'J 地理学」 :. 貴重 体長は 8 センチほどて、あるが、体つきは な重勿て、ある。染色体の数や型による最 ずんぐりと太っている。 5 センチ位の尾 近の分類研究て、は、奄美・徳之島・沖縄 の先は毛が房状になっている。また、背 の 3 島て別々の種に分化している様子が にそって 1 本の濃い色の筋模様が入って 夋され、進化学的にも注目されつつあ いるなど、ひと目て、判別て、きる特徴を ( 花井正光 ) もっている。 森林にすみ、樹にて、きた虚に柔らかい コケ類を集めて巣をつくることが多い が、ときには岩の上や岩の割れ目を利用 することもある。食べものは果実・種子・ 昆虫などをとっている。夜間に活動する が、フクロウの仲間に捕食されることも 多い ヤマネは冬眠することて、もよく知られ 剏衣列島のうち奄美大島・徳之島・沖 ている。気温の変化にほば平行して品 縄島にのみ分布する固有種て、大きさは が低下し、摂氏零度近くにまて下がるの 子猫ほどもあって、わが国て、はもっとも 大きなネズミとして知られている。 を測定した報告例がある。イ翁が下がる につれ生理機能全体も低下し、ついには シイ・カシの樹が多い亜壯生の常緑 昏叫大態になる。このような冬眠を完全 広葉樹林にすみ、おもに樹上て生活する。 冬眠といい、クマなどのように、仮眠中 同を巣にして夜間に活動し、ドングリ えさ も生理機能がほとんど正常に保たれ、刺 類などの木の実を餌にしている。出産時 激を与えるとすぐに活動を始めるタイプ には樹洞内に枝葉や枯れ枝て、直径 30 セ の冬眠と区別される。 ンチほどの球状の巣をつくり、一腹 2 ~ ヤマネは、日本列島が大陸と陸続きて、、 5 頭の仔を産む。ケナガネズミはからだ 今よりもっと温暖な気候の時代に渡来 より 10 センチほども長い尾、大きな足と し、その後の島嶼化によって取り残され 鋭くて大きな爪をもつ。これらの形態上 たものと考えられる遺存動肋のひとって、 の特徴は、いずれも樹上生活に通芯した 後肢 首月支 あり、生きた化石とみることがて、きる。 からだのつくりを示すものて、ある。 大きくて鋭い爪は、樹上生活に 適応する 剏衣産のケナガネズミは一属一種て、、 ( 花井正光 ) その近縁属はセレベス地方に分布するこ とが知られている。沖縄島北部の森林に 背面は 6 センチほどの剛毛に は、ケナガネズミとやはり一属一種て貴 おおわれている 重なトゲネズミがすむが、いずれもその ケナガネズミ 生態は究明されていない。この地方て、の 近年の急激な開発は両種の生活圏を著し く狭めるものと予測され、その生存が懸 念されている。 ( 花井正光 ) ヤマネ 指昭和 50 年 6 月 26 日 所 ( 本州・四国・九州 ) 2 センチほどの堅い 針状の体毛が全身に はえている トケネズミ うろ ケナガネスミ 指昭和 47 年 5 月馬日 所 ( 鹿児島県・沖縄県 ) あまみ 哺乳類・ 39
一貫島は、ヒメクロウミッパメの繁殖 られていた。 星神島の繁殖コロニーはもともと小規 分布域の最も北の部分にあたる。以前に 模て、あったらしく、その数は数百羽と推 はかなり多く繁殖していたが、丘て、は 定されていた。近年、磯釣りの渡り船や ごく少なくなり、繁歹靦大況も明らかにさ 観光周迎合の回航により、生息数は減少 れてはいない。減少の原因もはっきりし した。また沖ノ島て、は、戦後、燈台が設置 ないが、営巣地の土壌が肥料に利用され され、観光船が京馗朮するようになって、 繁殖の場を奪われたこと、あるいは捕食 周辺の自然環境が変化し、このために生 獣が移入されたことなどが考えられる。 息数カ墸しく減少した。隠岐諸島て、は、 ( 長谷川博 ) このほかに島前南端の大波加島に約 3000 羽が繁殖し、島前と島後の中間にあ る大森島などて、もオオミズナギドリが繁 ( 長谷川博 ) 殖している。 オオミズナギドリ繁殖地 指大正年月 9 日 所京都府舞鶴市冠島 闇舞鶴市 まいづる 若狭湾の西部、舞鶴湾の沖合いに浮か ぶ無人の冠島は、面績 23 ヘクタールて、、 全島シイ・タブノキ・ヤブッパキなどの暖 地照葉樹におおわれている。この島に は全島にわたって、推定数 20 万羽のオオ ミズナギドリが繁殖している。 若狭湾沿岸漁民は、古くからこの鳥を 粟島は、新潟県村上市の海岸から約 20 「サバドリ」とよび、魚群の位置を知らせ キロ沖の日本海に浮かぶ小島て、、人が生 活している。この島の西岸は、冬季に吹 る鳥として保護し、その繁歹也て、ある冠 島の環境保護のために努力してきた。冠 く強い李節風によってひきおこされる大 島にはまた、魚祈願・海上安全を祈っ 波て侵食され、複雑な海岸線を形づくっ おいとじま て、老人画鴃申社が建てられ、日べ毎沿岸 ている。突き出した岬と岩島とが連続す る西海岸のほば中央部に高さ 184 メート 漁民の信仰の対象となっている。 かいしよくがい ルの丸山があり、その周辺の海食崖や ( 長谷川博 ) 岩島はオオミズナギドリとウミウの営巣 地となっている。 この或のオオミズナギドリの繁殖個 体数は、近年くわしく調査されてはいな いが、褪数て、 1 万羽を下らないと推定さ れている。ウミウは、日本列島とその近 海の沿岸て、繁殖する特産種て、ある。粟島 て、は 10 ~ 15 つがいが繁殖し、冬季には北 から渡ってくるものが加わり、数が増す。 ( 長谷川博 ) わかさ あわしま 粟島のオオミズナギドリ およびウミウ繁殖地 指昭和 47 年 7 月に日 所新潟県岩船郡粟島浦村 かんむり オオミズナギドリの飛翔 崖に突出した木の根元に集まり、順番 に木に登る飛び降るときに揚力をつ けて海上へ飛びたっ 強い風 ほしがみじま 星神島オオミズナギドリ繁殖地 指昭和年 5 月 30 日 所島根県隠岐郡西ノ島町 闇西ノ島町 沖島オオミズナギドリ繁殖地 指昭和年 2 月田日 所島根県隠岐郡西郷町 置白島神社 どうぜん 艮沖日本海の隠岐には、島前西ノ島 しらしまさき の北東端沖の星神島、変北端白島崎沖 の沖ノ島にオオミズナギドリの繁殖地が ある。どちらも無人の小島て、、古くから オオミズナギドリの集団繁殖地として知 波の抵抗で 風が弱まる の 上昇、 滑空、、 、滑空宿 オオミズナギドリの帆翔 主昇 ど 鳥類・ 135
2 メートル、天井の高さが海面から 3 ~ いわいずみわっくつ 岩泉湧窟およびコウモリ 4 メートルて、あるが、内部は幅 3 ~ 10 メ 指昭和年月図日 ートル、天井の高さ 3 ~ 6 メートルと広 所岩手県下閉伊郡岩泉町 がり、奧行きは約 40 メートルに達する。 岩泉町 この洞穴は、南北方向に発達する鉛直 性の節理と小断層面に沿って海食が進ん 岩泉湧窟は、岩泉という地名が示すよ て形成されたものて、ある。洞穴の内部に うにこの町の起源となっている泉がある わきくち わくつ は昔からヒナコウモリ科のユビナガコウ 洞穴て、、古くから湧ロあるいは湧窟の名 モリがすんて、いることて有名て、あるが、 て、知られてきた。町の北部に位置する宇 現在て、も天井や側壁に多数生息してお 霊羅山 ( 625 メートル ) の東裾に洞口を開 たっくち り、舟べりを叩くと静まりかえった洞内 いたこの鍾乳洞は、その後、龍のロと名 りゆうせんどう が一斉にざわめき、所狭しと乱舞する。 が改められ、現在て、は龍泉洞の名て、公開 大吼谷の名は、冬季、物灘から打ち寄 されている。 せる大皮が洞穴に激突して発する大音響 岩泉地方には古生代の石灰岩層に 60 ほうこう が、獣の劬孝に似ていることに由来する。 以 - ヒの鍾乳洞群が知られているが、洞穴 せきじゅん の大きさや鍾乳石・石筍・石柱などの発 この或一帯に分布する花崗岩は、粗粒 くろうんも の黒雲母花崗岩て、、中生代白亜紀の後期 達程度において、天然記念物に指定され あっかどう に貫入したものと考えられている。 ている安家洞とともに、龍泉洞はこの地 方の代表的な鍾乳洞て、ある。 ( 田附治夫 ) 龍泉洞には 5 種のコウモリが分布して いて、多くの支同のうちコウモリ穴と称 こうもりあな 西湖蝙蝠穴およびコウモリ される支洞て、は 5 種全部が認められ、立 指昭和 4 年に月ロ日 入禁止措置がとられている。 5 種のコウ 所山梨県南都留郡足和田村 モリとは、キクガシラコウモリ科のキク 山梨県 ガシラコウモリとコキクガシラコウモ リ、ヒナコウモリ科のモモジロコウモリ、 西湖虫融品穴は、富士五湖のひとつ西湖 の西岸に位置し、青木ヶ原溶岩流の北端 ウサギコウモリおよびテングコウモリて、 にある。富士山の北麓にある溶岩洞穴の ある。龍泉洞にはこれらコウモリ類の排 うちて、、最大の規模の洞穴として名高い。 泄物を餌にする洞穴性の昆虫類がすんて、 支同の多い洞内の形状は複雑て、、総延長 いることも知られており、洞穴学の研究 は 350 メートル余りにおよんて、いる。 フィールドとしての価値を高めている。 この洞穴は冬て、も温暖て結水をみない ( 花井正光 ) ことから、冬眠場所に利用するコウモリ 類が多く、蚕種の貯蔵に利用されたこと もあった。キクガシラコウモリ科のキク ガシラコウモリとコキクガシラコウモ おおごうやこうもりどう 大吼谷蝙蝠洞 リ、ヒナコウモリ科のアプラコウモリと 指昭和 3 年 3 月 24 日 ウサギコウモリの 2 科 4 種のコウモリが 所山口県豊浦郡豊浦町小串 求されている。しかしながら、周辺環 闇豊浦町 境の変化のせいか、て、はいずれのコ ひびきなだ ウモリも姿を見せなくなっている。 大吼谷蝙蝠洞は、小串集落の北、響灘 ( 花井正光 ) に突出する岬の北側の断崖にある。花崗 岩からなる海同て、、ほば北に開口する。 この洞穴の観察には通常小舟が利用され る。洞穴の大きさは、入り口付近て、は幅 う さい 一言ロ 42 ・哺乳類
鶴千年 くな アムー 越冬と繁殖の場所も、近くは数キロ、遠くても 130 キロ ( 国 後島 ) ほどしか離れていない。大陸のタンチョウが最長て、 2000 キロほどの回帰移動 ( 渡り ) をするのに較べて、日本の は留鳥性個体群と呼ぶべきものて、ある ( 図参照 ) 。しかし、 どちらのタンチョウも、繁歹也と越冬地の往復の実態はっ かめていない。外国研究者のなかには、大陸と日本のタン チョウが交流していると考える人もいるほどて、ある。 このことを明確にし、それをもとにして生息地の保全を 行うために、標識付けは欠かせない方法て、ある。ソ連と中 国て、はすて、に実施または準備中なのに、日本て、はまだなに も予定はない。たしかに、日本人とタンチョウの文化的か かわりは深く、生物学的観点のみて、すべてを律すべきて、は ない。しかしながら、標識付けの間題に限らず、記念牛刎旨 定により保護のための基礎自司査すら阻害されるのて、は、 ・繁殖地 大陸の個体群の冬地 冐海道貰 ) 本末転倒といわざるを得ないだろう。 近年のタンチョウ布 標周査は、ほかにも多くの情報をもたらしてくれる。 ( 筆者による ) 本の個体群の越冬地 たとえば「ツルは千年」といわれるが、野生状態て、本当は 東北地方の民話に、動牛﨨長恩譚のひとっとして鶴女房や どれほど生きるのだろう。いまのところ、死んだツルを前 鶴の . 恩退しがある。不運なツルを助けるのは若い男とか老 にして、「今日がちょうど 1000 年目 ! 」などと茶化すほかに 人て、あるが、どの場合も、ツルの化身は若く美しく上品な 手はないが、標識が付いていれば明確に生態的寿命を教え 女ときまっている。そしてこの娘から連想されるツルは、 てくれる。 なぜかタンチョウのことが多い。しかし、これはむしろ逆 もっとも、中国起源の鶴寿千年という言い方にも、それ て、、タンチョウのもつ気品と姿態に、若い女を憶うという なりの理由はつけられる。まず、タンチョウをはじめツル のが本来なのて、あろう。 類は、一ヨ殳に飼育がわりと易しく、飼い方しだいて、人にも もちろん、民話のツルがタンチョウだという証しはない よくなっく。古代中国にも、あるいはタンチョウをサロル 東北地方には、現在て、もタンチョウをはじめナベヅルやマ ン ( 葦原の ) カムイ ( 神 ) とあがめた北海道アイヌにも、 ナヅルがまれに現れるし、アネハヅルなどの記録もある。 人がツルを飼っていたという伝説が残っている。しかも、 それて、も中国文化の景彡響、民話のなかの織物、人に一学える 飼われたツルが 40 ~ 50 年生きる例もあるから、人の平均寿 印象などいろいろの点から、このツルをタンチョウとみな 命の短かった古代て、は「数世代前から居ついているツル」 しておかしくはない。これらの民話が東北内陸部て求さ があっても不思議て、はない 恐らくそのことが、白髪三千 れ、民話に出るツルも 1 羽て、、ある期間留まってのち飛び 丈式の表現や神仙譚などと結びつき、前 2 世紀末の中国の 文献に「鶴千年」が現れるまて、にいたったのて、あろう。 去るという筋書きも、タンチョウの生態と矛盾しない。む 個体は 1000 年生きられないにしても、野生種としてタン ろん、ツルの生活と民話の構成を直ちに対応させるつもり チョウはあとどれくらい生き延びられるだろうか。「タ鶴」 はないが、群れから離れて暮す 1 羽のタンチョウを終日観 の与ひょうのように、開発という金にまどわされ、ツルの 察していると、鶴女房の幻想が、むしろ現実味を持つよう 営みに無遠慮に踏みこむ愚をわれわれは行っているのて、は にさえ思えてくる。 ないか。近い将来、「ちょうど 1000 年目て、す」などと、澄ま この鶴民話の主人公がタンチョウならば、それは北海道 して種の絶威を宣告する事態を、決して招いてはならない から渡ったツルかもしれない。かっては、本州へかなり移 動したと思われるが、今はほとんどの個体が道東に留まり、 ( 正富宏之 ) 松花江 スンガリ川 ) カ 中国 、 4 北卓 非武装地帯 、 3 韓 ー 3 国後島 -28 鳥類・ 71
コブハクチョウ 全体にオレンジ色 オオハクチョウ 全体の半分以上が黄色 コハクチョウ 黄色の部分は全体の半分以下 ハクチョウのくちばし ハクチョウ類の渡来 北半球の極北部ツンドラ帯には、北極をとりまくようにコハクチョウが繁殖する。 ユーラシア大陸て、は、それより南の亜寒帯の広い範囲て、、オオハクチョウが繁殖する ( これに対応して北アメリカて、はナキハクチョウが分布する ) 。分布域が部分的に重 なっているが、それより南の冷温帯て、はコフン、クチョウが局地的に繁殖する。コハク チョウは体が最も小さく、全長約 120 センチて、オオハクチョウは約 140 センチ、コプ ハクチョウは 152 センチと大きくなる。 ハクチョウ類は冬季に南に渡って越冬する。東アジアに渡来するハクチョウ類はソ 連のタイミル半島・中央シベリア高原以東て、繁殖する集団だと考えられている。日本 列島、朝鮮半島、中国南西部がそれらの渡来地て、ある。コブハクチョウは朝鮮半島に 少数渡来し、日本には時どき渡来する ( 各地て畤どき観察されるのは、飼育中のもの が逃げて群れにまじったり、半野生化したものて、ある ) 。 丘、日本に渡来するオオハクチョウの数は約 1 万羽て、、コハクチョウは約 5000 羽 お て、ある。オオハクチョウの渡来地としてよく知られているのは、北海道の風蓮湖と尾 だいとうむつ ひょうこ さがた 岱沼、陸奧湾の大湊・小湊、伊豆沼、新潟県の瓢湖・佐潟などて、ある。コハクチョウ なかのうみ は福島県の内陸にある猪苗イ月や島根県の中海が渡来地として有名て、ある。コハク チョウはオオハクチョウよりも早く北海道に渡来し、寒さが増すにつれて西日本まて、 越冬地て、はつがいあるいは家族群を単位として群れ生活をしている。水生植物を食 、内湾のアマモを好んて食べる。近年、各地てハクチョウ類への餌づけが行われる ようになった。現在よく知られている越冬地のなかには、餌づけの結果ハクチョウ類 の数が増えたところもある。しかし、基本的には生息地全体を保護することが必要て、 ふうれん いなわしろ ある。代表的な越冬地は天然記念物に指定されて保護されている。 ( 長谷川博 ) 猪苗イ胡は日本のルト湖て、は琵琶湖に つぐ大湖て、、湖面の標高は 514 メートル、 福島県の中央部に位置し、日本列島の内 陸部にある。この標高の高さと内陸部に あるという条件から、ハクチョウ類の渡 来地としては特異な士或て、ある。 ハクチョウ類の渡来は古くから知ら れ、昭和 20 ~ 24 年頃は一時とだえたが、 その後ふたたび渡来を見、現在て、は平均 700 羽前後を数えている。コハクチョウが 多く、オオハクチョウもまじる。またこ れらとともにマガモ・カルガモ・コガモ・ オナガガモ・ホシハジロ・キンクロハシ ロ・ヒドリガモ・スズガモなどのカモ類、 いなわしろ 猪苗代湖のハクチョウおよび その渡来地 囮昭和 47 年 2 月 9 日 所福島県耶麻郡猪苗代町 まれにはヒシクイの渡来を見ることもあ る。その他カイップリ・カワアイサ・サ すいきん ギ類など水禽類も多数観察される。 指定地周辺は水田地帯て、、湖岸を国道 49 号線が走っていて良好な環境とはいい がたいが、猪苗代町て、は白鳥を守る会を きゅうじ 組織し、給餌活動を続けている。例年 10 たいりゆう 月中旬ごろより翌年 4 月初旬まて、滞留 する。近年、崎川浜て標識による調査を 実施した結果、猪苗イ月に渡来するもの とやのがた のうちには、新潟県鳥屋野潟をへて来る あぶくま もの、福島市内の阿武盟日に現れるもの などがあり、しだいに渡来経路および活 動範囲が明らかにされつつある。 ( 蜂谷剛 ) こみなと 小湊のハクチョウおよび その渡来地 特別天然記念物 指大正Ⅱ年 3 月 8 日 ( 天 ) 昭和 27 年 3 月 29 日 ( 名称変更 ) 昭和 27 年 3 月 29 日 ( 特天 ) 64 ・鳥類
ト、ヾ、さ ソテグロヅル ふ、、い 、、い、ヾい マナヅル 曰ヾ、 クロヅル ナベヅル カナダヅル 山口県熊毛町八代にはナベヅルが、鹿 児島県出水市・高尾野町・野田町には 上の 5 種類のツルが渡来する 八代のツルおよび その渡来地 指大正年 3 月 3 日 ( 天 ) 昭和 30 年 2 月日 昭和 30 年 2 月日 昭和 32 年 7 月引日 特別天然記 - へ物 ( 名称変更 ) ( 特天 ) ( 名称変更 ) 熊毛町 所山口県熊毛郡熊毛町 くまげ ( 長谷川博 ) 給餌がおこなわれている。 ている。ここて、もツル監ネ斤が設けられ、 羽になり、その後 70 ~ 100 羽に落ちつい 減ってしまった。昭和 42 年 ( 1967 ) には 65 った。しかし、戦争の混乱て、その後数が に増え、昭和 15 年 ( 1940 ) には 350 羽にな 年 ( 1925 ) には 150 ~ 160 羽、その後もさら 息していた。明治末期には 50 羽、大正 14 たという。明治初年ごろには約 30 羽が生 また、他所から捕獲に来る人をも排除し せて、ツルの捕獲を戒め、保護につとめた。 禁が解かれたが、この或て、は申し合わ ルが渡来していた。明治になって狩猟の ここには、少なくとも江戸日罸 & からツ 田に小群て、飛んて、行き、そこて、ねぐらを る水のはった水田跡や草のない平らな水 食し、夕方、谷筋の奧まったところにあ こともある。盆地の湿田や水田て、採 の数は例年 70 ~ 100 羽て、、年によって少 2 月末に北に帰ってゆく。渡来するツル はナベヅルて、、毎年 10 月 20 日ごろ来て、 のツル渡来地て、ある。ここに渡来するの 320 メートルの盆地は、本州て、ただひとつ 山口県の東南部、熊毛町八代の海抜 鹿児島県のツルおよび か 昭和 34 年 6 月 3 日 ( 一部解除 ) 昭和 28 年Ⅱ月図日 ( 名称変更 ) 昭和 27 年 3 月 29 日 ( 特天 ) 昭和 27 年 3 月 29 日 脂大正田年 3 月 3 日 ( 天 ) その渡来地 特別天然記今物 ( 名称変更 ) 置出水市・高尾野町・野田町 野田町 所鹿児島県出水市・出水郡高尾野町・ ル、 l•l 南西部、八毎に面する鹿児島県 いずみ 出水の湿地帯には、毎年およそ 8000 羽の ツルが渡来し、越冬している。この地方 にツルが来ることは 1700 年ごろから知 あらさき あくわ られ、出水の荒崎のほか、近くの阿久根 にも渡来していた。 この一帯に渡来するツルはナベヅルと マナヅルがおもて、、このほかにクロヅル やソデグロヅル・カナダヅル・タンチョ ウ・アネハヅルの記録がある。毎年、 10 月中旬に渡ってきて、 3 月下旬まて、滞在 する。 ナベヅルはユーラシア東北部のバイカ ル湖付近やモンゴル北部、アムール川中 ~ 或、中国東北部、ウスリー地方の湿原 て繁殖し、冬季に中国揚子江下 ~ 或や朝 鮮半島、ル、 l'l の出水や山口県熊毛町八代 に渡って越冬する。出水には丘 7000 羽 をこえるナベヅルが訪れ、貢毛には 70 ~ 100 羽が渡来している。大陸や朝鮮て、の現 状はじゅうぶんに調査されてはいない が、よ厩長十 . に生息するナベヅルの大部分 が出水に集中しているのて、はないかと推 測されている。 また、マナヅルもユーラシア東北部の 湿原地帯て繁殖し、モンゴル東北部から アムール川中流、ウスリー地方に分布す る。冬季には撈子江下流域や九リ、トに渡り、 湿地帯て、生活する。出水への渡来数は最 近 1000 羽をこえた。 ツルの仲間も、明治になってから狩猟 が一ヨ殳人に解放された結果、舌リ隻されて 咸した。昭和 15 年 ( 1940 ) には出水地方 て、ナベヅル約 3500 羽、マナヅル 500 羽が 渡来していたが、戦中戦後の混乱期のあ との昭和 25 年 ( 1950 ) 前後にはナベヅル が 200 ~ 300 羽、マナヅルが 20 ~ 30 羽渡来 するだけになってしまった。その後、昭 和 34 年 ( 1959 ) に出水の荒崎て、人工給餌 が始められ、渡来数は着実に増加して いった。そのころナベヅル 375 羽、マナヅ ル 45 羽て、あったが、昭和 45 年 ( 1970 ) には ナベヅル 2072 羽、マナヅル 257 羽に、さら に昭和 55 年 ( 1980 ) にはナベヅル 427 芻ヨ、 マナヅル 1318 羽が数えられるほどに 74 ・鳥類
日出島クロコシジロウミッパメ 繁殖地 指昭和田年に月 24 日 所岩手県宮古市鍬ヶ崎 宮古市 ウミスズメ類は、北半球北部の沿岸域 に分布する海鳥て、、人間の手によって絶 滅させられたオオウミガラスをふくめ、 世界て、 23 種が知られている。その多くは クロコシジロウミッノヾメは、全長約 20 亜寒帯海域、特にべーリング海沿岸の小 センチの小型の外洋性海鳥て、、太平洋と 島て、繁殖する。日本て、は 14 種が記録され、 大西洋の暖海に分布する。まず大西洋か 7 種が繁殖している。 らみると、マデイラ諸島・ベルデ岬諸島・ カンムリウミスズメは、全長約 24 セン アセンション島・セントヘレナ島など大 チの小型の鳥て、、他種とちがって日本列 洋のただなかにある島々て、繁殖し、太平 島近海の亜熱帯日或だけに分布する日 洋て、はガラパゴス諸島・ハワイ諸島、そ 本特産種て、ある。暖海性のウミスズメは、 して日本列島の日出島などの繁歹耐也が知 アホウドリの求愛のダンス 他に 2 種、日本とは太平洋の対岸にあた られている。日出島はこの種の繁殖分布 るカリフォルニア半島、カリフォルニア なっている傾斜地に植生を回復し、地面 域の最も北に位置し、世界的にみて貴重 湾に分布している。世界的にみても特異 を安定させ、営巣場所を供給して産卵数 な営巣地と言える。この島は本り、 l'l の陸地 な種と言える。 からごく近い宮古湾にあり、この点も他 これまて、に知られているこの鳥の繁殖 を増加させること、生育したススキ株に よって抱卵中の親島や小さい雛が冬の季 の営巣地と比べて特異て、ある。 地は、黒潮に磯を洗われる東九州 ( 宮崎 ) 、 節風から守られ、卵の事占ヒや雛の死亡 日出島の周囲は切り立った崖となって 南四国 ( 高知 ) 、紀伊半島 ( 三重 ) 、伊豆半 を減らし、雛の生産数の増加をはかるこ いて、そのすぐ上部はゆるやかな傾斜地 島の中の小島や伊豆諸島の島々、また対 となり、落ム葉樹が樹冠を形成し、林 馬或の男女群島、北ル玄界灘、若 とて、ある。 床はオオノヾジャノヒゲて、おおわれてい この結果、期待された成果が得られ、 狭湾に浮力。ぶ小島や能登半島沖の七ツ島 る。クロコシジロウミッノヾメは、おもに 産卵数も巣立ち雛数も増加した。昭和 57 て、ある。 ー 58 年期には、 67 つがいが産卵し 34 羽の この部分の地面に穴を掘って巣をつく 春 3 ~ 4 月に、島の周囲にて、きる岩場 1 卵を産み、雌雄交代て、抱卵する。 雛が巣立ち、雛をのぞいて約 150 羽が観 の石のすきまや、その上部の草地の穴の り、 察された。この間、昭和 46 年 4 月に、かっ 育芻は夏から秋にかけてて、、親島は日 奧に枯れ草をしいて巣とし、親島は体重 ての繁殖地て、ある尖閣列島南小島て、 12 ~ 変かなり暗くなってから島に帰り、未 の 2 ヾーセントにもあたる大きな卵を 2 羽の庇島が再発見され、 55 年 3 月には 35 明まオ音いうちに海に出てゆく。 個産み、雌雄交代て、抱卵する。孵化した 羽の生息カ寉認された。しかしここて、の 1960 年代半ばには、日出島て、おおよそ 雛は長くて数日巣にとどまるが、餌を与 繁殖は未確認て、ある ( 昭和 58 年覡在 ) 。 2 万 5000 つがいが繁殖していると推定 えられることはない。まもなく親島に導 洋上て生活している若い個体を考慮に されたが、 1970 年代初期には、 1 万羽弱と かれて海に泳ぎ出て、餌となる動効プラ 入れて総数をおおまかに推定すると、鳥 ンクトンや仔稚魚の豊富盟或に移動す 推定された。しかし、その後くわしい現 島に少なくとも 200 羽、尖閣列島には約 状調査は行われていない。営巣地て、は、 る。このように繁殖習性も特異て、ある。 50 羽、合わせて 250 羽以となる。現在繁 ドプネズミによって食害されたと考えら 近年、スポーツとしての海釣りが盛ん 殖の石信忍されている唯一の場所て、ある鳥 れる成特の死体や、卵の殻がたくさんみ になり、無人島や離島て、も磯釣りカ哘わ けねん つかっていて、ネズミによる被害が懸念 島て、火山噴火がおこらないかぎり、アホ れるようになった。これにより、カンム ウドリが糸誠の危機を脱する可能は高 リウミスズメの営巣場所が荒らされ、繁 されている。 ( 長谷川博 ) い。種の保護のために当面必要なことは、 殖活動もしばしば妨害されるようになっ 鳥島て雛をて、きるだけ多く巣立たせるよ た。海岸の油汚染の防止とともに、 う凵お 1 画を推進すること、その基礎 した直接的影響からも充分に保護される となるアホウドリの繁殖と生態の調査を 必要がある。 ( 長谷川博 ) 行うこと、尖閣列島南小島のアホウドリ を定期的に継続調査すること、て、ある。 ( 長谷川博 ) ひな カンムリウミスズメ 脂昭和 50 年 6 月 26 日 所 ( 東京都・静岡県・三重県・ 福岡県・沖縄県 ) 鳥類・ 139