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検索対象: 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ
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1. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

分布域の東北縁にあたる。よく茂った暗 い林にすみ、林床におりて木の実や種子 など植物匪の餌を、細いくちばして拾い あげてたべる。樹上の枝に枯れた小枝て、 巣をつくり、一腹に 2 卵を産む。 生息数は多くはないが、飛んて、いる姿 オオアカゲラは全長約 28 センチのキ をよく見かける。生息状況はまだよくわ ツッキて、、ユーラシア大陸の亜寒帯南部 かっていない から温帯地方の山地に広く分布し、針葉 ( 長谷川博 ) 樹と落ム葉樹とカ鯤交する原生林に生 息する。東アジアて、は樺太やウスリー地 方、中国東北部、朝鮮半島、中国東南部、 台湾、奄美大島以北の日本列島に分布し、 繁殖している。オーストンオオアカゲラ は奄美諸島特産の亜種て、、本屮 N の亜種と 比べ、羽色が本に濃く暗色て、、特に雨 覆羽先端の白紋は消失した。奄美以南て、 南西諸島には特産種、特産亜種に分類 りゆうきゅう は、琉球列島特産のノグチゲラが中部 される鳥類が数多く生息している。南西 工剏招こ生息し、小型のコゲラが中部・南 諸島は過去に海進と隆起という地史的変 部求に生息するだけて、、ほかにキツツ 化を経験した。海進の日罸 & には島の山項 キ類はいない 部だけが海上に残され、そこに小集団が 奄美大島て、はスダジイ ( イタジイ ) ・タ 隔離され、種がさまざまな程度に分化し プノキ・アカガシなどの照葉樹原生林に ていったと考えられている。 生息している。近年、こうした原生林が伐 特産種は 7 種て、、分類学的取り扱いに 採され造林事業がイされるようになっ もよるが、特産亜種は 27 種が記録されて た。それによって営巣や採食に適した林 いる。特産亜種のうち南方系のものは 8 が減少している。個体数も減少したと推 種て、、それらの亜種分化の程度は低い 測されるが、上肆交のための資料はない 旧北区系の特産亜種は 19 種て、、日本本土 この島特産の種や亜種を保護するために の亜種に比べて体色が濃いか、からだ ( お は、天然ー矍区の面積を拡大することが もに翼長 ) が小さいか、あるいはこれら両 必要て、ある。 方て、特徴づけられるものが多い。奄美大 鳥の亜種名は、明治期に日本て、重加勿標 島のオーストンオオアカゲラ・オオトラ 本を収集した外国人、アラン・オースト ッグミ、中部以南のリュウキュウオオコ ンにちなんて、いる。 ノハズクは、顕著に亜種分化した例て、あ ( 長谷川博 ) トラッグミは全長約 30 センチの大型の ッグミて、、ユーラシア東部の亜寒帯、日 本列島、ヒマラヤ高地の林て、繁殖し、冬 季には暖かい地方に渡る。よく茂った林 に生息し、地止て、ミミズや昆虫を採食す る。日本列島て、も南西諸島、伊豆・小笠 全長約 25 センチの小型のハトて、、イン 原諸島を含めて各地に広く分布してい ドから東南アジア、ニューギニアから オオトラッグミは奄美大島特産の亜種 オーストラリア北部まて広く分布する。 りゆうきゅう 日本て、は琉球諸島南部、石垣島以西の て、、本州産の亜種と比べてからだがやや 大きく、尾羽は 12 枚て本州産のものより 島じまに分布している。 こはこの種の オーストンオオアカゲラ 指昭和 46 年 5 月四日 所 ( 鹿児島県 ) からふと オオトラッグミ 指昭和 46 年 5 月四日 所 ( 鹿児島県 ) あまみ リュウキュウキンバト 指昭和 47 年 5 月日 所 ( 沖縄県 ) 112 ・鳥類

2. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

布するべンガルヤマネコの亜種に分類さ れると考えるネコ窄研究者も多く、この 点についても今後の課題として残されて ( 花井正光 ) ッシマヤマネコ 指昭和 46 年 5 月円日 所 ( 長崎県対馬 ) 対馬にのみ生息する野生ネコて、、東ア ジアに広く分布するべンガルヤマネコの 一亜種て、ある。ッシマヤマネコと同一の 亜種は朝鮮および中国東北部にも分布す るとされているが、両者の間にさほどの 本り、トに四国、ル、トに広く分布するホン 類似性がないことから、同一亜種に分類 ドテンの亜種に分類される対馬の特産亜 することを保留すべきだとの説もある。 雄の体長は 60 ~ 65 センチて、イエネコ 種て、ある。日本列島と対馬の成立は地史 的年代を異にするものの、島嶼化した後 より一回り大きく、耳の先端が円味をお び、耳に大きな白い模様があるなどの特 の時間経過はいすれも長い。ッシマテン の亜種分化は、日本本土との隔離によっ 徴をもつ。生息状況についてのいくつか てもたらされたものと考えられる。対馬 の報告によれば、局戸廂勺て、はあるが島の には、ツシマヤマネコやチョウセンイタ ほば全域にわたって分布していることが チのように大陸と同一の重丿ル重が分布す 石忍されている。夜間に活動するのがふ つうて、モグラやネズミといった小型哺 る一方て、、日本本土に共通する重丿種や 大陸および日本本土の両方にまたがって 孚顱をおもな餌として捕食するほか、季 分布する動種も現存している。さらに、 節によって鳥類、両生・爬虫類、昆虫類 ッシマテンのように対馬て分化した重加勿 なども食べている。出産期はふつう初夏 種がこれに加わって、対馬の動物相を複 の年 1 回て、、一腹の産仔数はほとんどの 場合 2 頭て、ある。 雑なものにしている。 ッシマテンは島の全域に分布してい 対馬は日べ毎の西端にあって、本土よ り朝鮮半島に近い。日本列島と同様、か て、生息数もッシマヤマネコに上交して はるかに多いとみられている。森林を生 っての大陸が後に島嶼化した地史をもつ 息場所としているが、集落周辺にも生息 対馬て、あるが、その成立が日本本土より していて、ときにはニワトリを捕食する も新しい年代て、あったことに基因して こともあるほどて、ある。夏毛と冬毛の色 か、この島には大陸と共通した重丿犲勿種が 少なくない。ッシマヤマネコはその代表 調がに異なる特徴をもつ。夏は背と ともいえる重丿て、重 ) 肋地理学 - 上 . の価値 Ⅲ則が黒褐色て腹部は黄褐色て、あるのに 対し、冬は頭部が灰白色のほかは黄褐色 は大きい 現在、ツシマヤマネコの生息数につい となる。 イリオモテヤマネコ 丘の特徴として、ツシマテンの交通 ての詳しい調査はないが、地元研究者に よる推定て、は 250 ~ 300 頭の報告がある。 事占ヒの増加が注目される。昭和 56 年以 降 3 年間て、は年平均 15 例ほどの報告が 糸が心配されるまて、に減少していない ある。死亡報告のない場合も相当数ある としても、匠の急激な人工造林の増加 と考えられ、交通事故による死亡の増大 による生息環境の変化が絶滅をもたらす 可能性も大きく、生態調査にもとづいた は、ツシマテンの保護にとって注意を 保護対策を急ぐ必要性が指摘されてい 払っていく必要のある問題て、あろう。 ( 花井正光 ) ( 花井正光 ) ッシマテン 昭和 46 年 6 月 28 日 所 ( 長崎県対馬 ) 前肢 肢 水中を泳ぐ ときの体形 カワウソ はちゅう ッシマテン ( 雄 ) 夏毛は顔の毛が全体に黒い。 冬毛はロもとと鼻の部分が 黒く、鬚部は灰白色となる。 イエネコ ッシマヤマネコ ネコの瞳の形 ( 明るい場所で ) 哺乳類・ 35

3. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

本にはオオコウモリ属 2 種が現存してい ることになる。 オオコウモリ類は新大陸を除く或の および亜滞に広く分布し、 38 属約 150 種が知られている。オガサワラオオコ 沖縄島の東方、太平洋の深海底上にあ ウモリとクビワオオコウモリが属するオ る大東諸島はサンゴ環礁が隆起してて、き オコウモリ属には約 65 種が含まれてい た島て、、日本て、は数少ない海洋島て、ある。 るが、日本産 2 種の生息地はいずれも分 大東諸島に分布するダイトウオオコウ 布の北限にあたっている。 モリは、クビワオオコウモリが地理的に 小笠原て、は、本種が果実を食べたり爪 変異した亜種のひとって、、同諸島に古く て傷をつけたりすることから、天然記念 からすみついてきた唯一の哺乳類て、あ 物に指定するまて、にかなり多くのオオコ ウモリが捕隻され、生息数カ墸しく減少 る。クビワオオコウモリは、このほかに も、八重山諸島て、ヤ工ヤマオオコウモリ、 した。昭和 57 年 ( 1982 ) に環境庁の手て、実 沖縄群島て、オリイオオコウモリ、吐剌 施された南硫黄島の調査て、およそ 500 列島て、エラブオオコウモリと三つの亜種 頭ほどが生息していることが観察されて に分化しており、このうち工ラブオオコ いる。 ( 花井正光 ) ウモリが、やはり天然記念物に指定され ている。 頭胴長が 200 ミリほどあって、雌雄と くびわ もに淡黄色の頸輪がはっきりしている。 植物食て果実類や木の若芽をおもな餌に して、ふつうは夕刻から活動を始める。 バナナやパパイヤの果実を食べることが あって、有害動物と目されることもある。 オオコウモリ属に属する長列島産の 近年、生息数の減少が心配されている。 とから クビワオオコウモリの一亜種て、、吐Ⅱ剌 ( 花井正光 ) くちのえらぶ 列島のうちのロ永良部島と宝島に分布し ている。 オオコウモリ属を含むオオコウモリ科 は、アフリカ・アジア南部・オーストラ リア・インド洋および太平洋の諸島など の滞および亜滞に分布しているが、 ェラブオオコウモリの生息地はオオコウ モリの分布北限にあたるわけて、、その点 て、注目されている。 太平洋上の海洋島からなる小笠原諸島 いおう 豆同長は 195 ~ 210 ミリて、、翼を広げる および硫黄列島に産するオオコウモリ属 パパイヤを食う くび けいぶ と 90 センチ前後になるが、オオコウモリ の一種て、、頸部に黄味を帯びた明瞭な頸 オガサワラオオコウモリ の仲間のうちて、は中型の大きさて、ある。 輪がなく、ほば全身に銀白色の毛が散生 種名にふさわしく頸部に幅広い淡黄色の する。同長は約 220 ミリて、ある。 くびわ 頸輪がある。ロ永良部島には多数生息し オガサワラオオコウモリは、列島 ていて、栽培されている果実類に食害が に分布し、エラブオオコウモリ・オリイ みられるほどて、あったが、瓰丘て、は著し オオコウモリ・ダイトウオオコウモリ・ く減少しているとされる。 ( 花井正光 ) ヤェヤマオオコウモリの 4 亜種を含むク ビワオオコウモリとは別の種て、あり、日 ダイトウオオコウモリ 指昭和 48 年 6 月 2 日 所 ( 沖縄県大東諸島 ) 子供を抱く ェラブオオコウモリ とから 工ラブオオコウモリ 指昭和 50 年 2 月ロ日 所 ( 鹿児島県 ) オガサワラオオコウモリ 指昭和 44 年 4 月日 所 ( 東京都小笠原村 ) 46 ・哺乳類

4. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

カワウソ 指昭和 39 年 6 月 27 日 ( 天 ) 昭和 40 年 5 月に日 ( 特天 ) 所 ( 高知県 ) 特別天然記念物 こうかく れたものと考えてよさそうて、ある。 り、急激な或絶威が各地て、ひきおこさ じてカワウソの生活を破壊することにな が、餌動物の減少と生活環境の分断を通 堰堤の建設などて、大きく変貌したこ えんてい もおよぶという。河川の自然環境が各種 く、外国て、の観察て、は川沿いに 10 キロに するが、 1 頭あたりの行動圏はかなり広 少は決定的な餌不足となる。単独て、生活 性をもっカワウソにとって、餌重丿の減 巧みな泳ぎて、魚や甲殻類を捕食する食 因を求める考え方が一ヨ勺て、ある。 あったが、広域にわたる糸色威から他に原 ウソの減少をもたらした大きな原因て、 して各地て活リ隻が行われたことも、カワ 衣料素材としての良質な毛皮を目的に の生存カ寉認されているにすぎない。 四国の一部の沿岸部と河川て、わずかにそ あることをあげねばならない。現在は、 う、他にあまり例のない悲劇の持ち主て、 んどの或から姿を消してしまったとい 治日罸にに滂咸し、昭和に入る頃にはほと たって分布していたにもかかわらず、明 手がいない水棲ロ孵し類て、、ほば全国にわ 景としては、生活の上て、実質的な競争相 カワウソが天然記念物に指定された背 記念物に指定された。 とを示す、いわば生きた化石として天然 動犲勿相がユーラシアとつながりをもっこ が分布していたと考えられ、日本の哺乳 本て、も北海道とそれ以外のル或に 2 亜種 広域種て、、多くの亜種が分化している。日 ユーラシア大陸のほば全域に分布する に適した形態を最大の特徴としている。 て上下に扁平な長い尾をもち、水中生活 手足の指の間にみずかきがあり、先半分 長さが 80 センチ、尾の長さ 50 センチて、、 カワウソはイタチ科に属し、頭と胴の 34 ・哺乳類 ( 花井正光 ) 向島タヌキ生息地 指大正年 2 月 24 日 所山口県防府市向島 闇防府市 ほうふ にしきやま し、キツネ同様、いぜん馴染み深い獣と りながらも、人里に接した山中にも分布 島のように一部の或て、絶滅しそうにな とが知られている。ホンドタスキは、向 下て、は、侵入動の景彡響を受けやすい ' ような閉鎖環境て、、重丿効相も単純な条件 ことは十分あり得ることて、、とくに島の が捕食動効として野生孵 L 類を ) 石自する 機となったものと考えられている。野犬 加は昭和 25 年の本土との間の架橋が契 キの捕食カ甘商されているが、野犬の増 少傾向の原因として、野犬による仔ダヌ 近年における向島のタヌキの著しい減 るにすぎないまて、にいたっている。 48 年にはせいぜい 10 頭ほどと推定され 委員会が実施した調査て、は 200 頭、昭和 に減少し、昭和 39 年 ( 1964 ) に防府市教育 推定されていたという。その後はしだい た大正 15 年 ( 1926 ) には、生息数 2 万頭と タヌキが生息し、天然記念物に指定され こにはタヌキの一亜種て、あるホンド 植材木て、被われている。 が形成されているが、大部分は常糸喇ム葉 なっている。北海岸と山麓の一部に集落 錦山があり、海岸からすぐに急斜面と る。島のほば中央に標高 354 メートルの 形に近い面積約 8 平方キロの小島て、あ 向島は、防府市の南海岸に臨む、長方 なっている。 ( 花井正光 ) イリオモテヤマネコ特別天然記念物 脂昭和 47 年 5 月日 ( 天 ) 昭和 52 年 3 月日 ( 特天 ) 所 ( 沖縄県 ) する。東アジアー帯に分布するべンガル 南部の八重山諸島の西表島にのみ分布 いりおもてじま として発表されたヤマネコて、、工剏長列島 昭和 42 年 ( 1967 ) にネコ科の新属新種 ヤマネコよりも原始的な形質を有し、最 も原始的なヤマネコとされる南米チリ産 のチリヤマネコに似ていることから、島 嶼化する以前の古い時代の遺留種、いわ ゆる生きた化石として注目されている。 イリオモテヤマネコは、島の海岸部に 点在する集落とその付近の耕地を除くほ ば全域に分布している。西表島は平地が 少なく、全島が山地から成っているとみ てよいが、湿潤な亜滞性気候に支えら れて、シイ・カシ・タブノキなどが優占 する常ム葉材木が発達していて、その 大部分が現在まて温存されている。イリ オモテヤマネコはこの森林の中の低地や 平坦部の湿地をよく利用している。その ほか、森林に接して所々に出現する草原 や水田跡の湿地も好んて刮用しているこ とが観察されている。これらの場所を主 な採食場所にあてながら、オオクイナ・ カルガモなどの水鳥を多く食べている が、昆虫、両生・爬虫類、孵し類などを も含む多様なメニューをもつ捕食重丿効と しての地位にある。 本種の生態についてはまだ初期段階て、 の野外調査しかなく、繁殖、行動、土地 利用など生活様式の大部分が解明されて いない。昭和 50 年 ( 1975 ) 頃より西表島て、 ばくや も農耕地や牧野の造成が急漣に進むよう になって、イリオモテヤマネコの生活環 境の破壊が生息数の減少につながる危険 性を孑商する声が高くなってきている。 こうした状況にあって、適切な保護対策 を施すための指針を得ることを目的に 昭和 57 年より環境庁が生態調査を開始 している。また、増殖の助長を目的に、 同じく環境庁により、ニワトリを餌にし た給餌も実施されている。しかし、ヤマ ネコの生活史や生息数の増減傾向が解明 されないままて、の給餌は、逆効果につな がる面も予想されることから、この保護 対策については疑間視する向きが多い なお、イリオモテヤマネコは一属一種 の新種として発表されたが、天然記 ] 勿 に指定されている対馬のツシマヤマネ コを亜種として含む、東アジアに広く分 はちゅう

5. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

原諸島の彝島列島・父島列島・母島列島・ 硫黄列島に広く分布し、亜常純ム葉 植抃木に数多く生息していた。その後、数 が急減し、現在て、は父島や母島およびそ の付属島に少数が生息しているにすぎな くなってしまった。丘の調査によって も多くは観察・確認されていない 全身黒色て、、頭部に赤紫色、体に緑色 小笠原諸島には、以前にこれより少し の光沢をもつ全長約 40 センチの大型の 大型の小笠原諸島特産種のオガサワラカ ハトて、、台湾近辺の島嶼から北に南西諸 ラスノヾトが生息していた。この種は、明 島、本州中部以南の暖流毎岸や島嶼、朝 治 22 年 ( 1889 ) 以降 1 羽も発見されず、す 鮮半島南部の島嶼、伊豆・小笠原諸島に て、に糸色威したと考えられている。この原 分布する。日本列島のま寺産種て、ある。 温暖な地方の海岸や島嶼のヤブッパ 因は、人間によるま献殳と鳥のすみかて、あ キ・シイ・タブノキなどの照葉植抃木に る原生林の減少とて、ある。地上性捕食獣 ( ネコやイヌ ) の移入を禁止し、原生林を 年中生息し、木の実を食べる。特にツバ 保存しないかぎり、アカガシラカラスノヾ キの実を好み、実がなるころには多くの トも小笠原から姿を消すことになる。 個体が樹上に集まっているのが観察され る。そのほかの時には地上に降りて餌を ( 長谷川博 ) さがしている。照葉樹の枝の茂みやシイ やタブノキ、モチの老木の洞に小枝を粗 く組んて、巣をつくり、ただ 1 卵を産む。 メグロ みくら みやけ 伊豆諸島の御蔵島や三宅島、青ヶ島な 囮昭和 44 年 4 月に日 ( 天 ) ど照葉樹の原生林が残されている地域て、 昭和 52 年 3 月日 ( 特天 ) はその数は多いが、一冫知木や造オ也には 所 ( 東京都小笠原村 ) 少ない。分布或の各地て、、照葉柆材木が 失われる傾向にあり、個体数および分布 域の減少が懸念されている。 ( 長谷川博 ) カラスパト 指昭和 46 年 5 月円日 所 ( 三重県・和歌山県・長崎県・ 鹿児島県 ) いおう メジロ 目の周囲が白い 特別天然記念物 メグロ 目の周囲が三角形に黒い 小笠原諸島て、繁殖する ( かってした ) 虍島類は、移入種を除いて合計 16 種て、、 そのうち 4 種が特産種、残りの 12 種のう ちほとんどが特産亜種て、ある。特産種の うちオガサワラマシコ・オガサワラガビ チョウ・オガサワラカラスパトはすて、に 糸色威し、メグロだけが生き残った。特産 の亜種も 2 種糸威した。 メグロは、 1930 年代まて、、小笠原諸島 日本列島準特産種て、あるカラスパト 北部の聟島列島にかなり多く生息してい たが、匠まったく観察されず、すて、に は、形態的特徴から 3 亜種に分類される。 それらはい諸島南部の石垣島・西表 糸色威したと考えられる。現在ては南部の よなぐに 島・与那国島に分布するヨナクニカラス 母島とその付属島て、ある向島に生息す バト、小笠原諸島のアカガシラカラスパ るのみて、ある。小笠原特産鳥類のうちて、 ト、それ以外の地域の基亜種カラスパト も最も分化の進んた霾て、、近縁なが 近くに分布していないため、類キ報係を て、ある。 生物地理学的に孑侖することカイきず、 このアカガシラカラスノヾトは頭の上が ぶどう 葡萄色に似た赤褐色て、あるため、この亜 どの科に含めるかまだ定説がない。現在 種名がつけられた。 1930 年代まて、は小笠 は、舌の形態から、一応、ミッスイ科に アカガシラカラスパト 指昭和 44 年 4 月に日 所 ( 東京都小笠原村 ) いりおもて 104 ・鳥類

6. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

哺乳類 " 孵し類の動物は 27 件が指定されており、日本の風上がはぐくんて、きた日本固有の動物が多い。カモシカは特別天然 己念物に指定されているが、高地 ~ の森林伐採が進むにつれて生息地が脅され、同時に植林事業との間に問題が おこっている。 = ホンザルは世界のサル類て、もっとも緯度の高い地域に生息するサルて、あるが、給餌による家畜化の間 題と畑作との摩擦の課題がある。彼らの生活環境の保全と人間生活との折れ合いを真剣に考えなければならない 一三ロ 0 て、ふつう樹木の葉や枝の先端を摘みと 推定されるぐらいに回復した。捕獲が抑 るように引きちぎって食べる。上あごの 制されたことが、個体数増加と分布域の 門歯と犬歯がないためて、、食み跡がふぞ 拡大をもたらした主要因て、あるが、その しよっこん ろいになることから、その食痕は見分け ほかに、大面積にわたる急激な人工造林 やすい。繁殖は年 1 回て、、 11 月ないし 12 の拡大の景彡響も小さくないと考えられて 月に交尾期を迎え、約 215 日の妊娠期間 いる。 カモシカが天然言己ま物に指定されたの の後、初夏に出産する。また、一腹の産 或を定めずに特別天然記勿として は、昭和 9 年 ( 1934 ) て、ある。当時、かっ 仔数は 1 頭て、あることが確認されてい 保護されてきたカモシカて、あるが、食害 めす て本州・四国・九州の山岳に広く分布し る。雌は生後 2 歳半て性成熟をとげ、そ 間題の広域化をきっかけに、今日て、は、 ていたカモシカが、森林伐採と舌リ隻の影 の後は栄養条件などによって支配される 保護』或を定めてカモシカの保存を図る 響て著しく減少し、分布が局地的に限定 が、毎年連続して繁殖することもて、きる 方策售備されつつある。これに対し、 されてきたことを背景としての指定て、 らしい。カモシカは単独か親仔の家族を 森林が木材生産やその他の締斉行為だけ あった。指定後もカモシカ生息状況は好 単位として、一定の行動範囲 ( 行動圏 ) に に利用されるのて、なく、野生動物の保護 まばろし 転することなく、「幻の動物」などとよ 定着して生活することが多いが、きまっ に重点をおいた土地利用のしかたが本格 ばれるほどて、あり、昭和 30 年 ( 1955 ) には た行動圏をもたずに暮らす個体も少なく 的に定着する契機となることへの世論の 特別天然記勿に指定された。 ことが観察されている。 期待は大きい ( 花井正光 ) カモシカは、ウシ科カモシカ属に分類 カモシカは中部地方以東の東日本の山 され、この属にはほかに東南アジアのス 地帯や亜高山帯に広く分布するが、古く マトラカモシカおよび台湾のタイワンカ から肉や毛皮を得るための主要な鼡獣 モシカが含まれている。台湾のカモシカ て、あった。アオジシ・カベジシ・クラシ を日本のカモシカの亜種とする考え方も シ・ニクなどカモシカの地方名は実に多 あって、両者を区別する和名としてニホ く、各地て、貴重な資源重丿肋として捕獲さ ンカモシカが定着している。 れ続けてきたことがうかがえる。西日本 カモシカは日本特産の重勿て、あり、東 て、は中国地方て、かなり古い日罸 & に姿を消 南アジア的要素の " 橳 L 類相が日本にも入 し、四国・九リ、トに、もその分布は著しく限 りこんて、いることを証する遺留型動肋と られており、紀伊半島て、は生息地が孤立 して、日本列島成立の地史にとつで してしまっている。 自鋤面値の高い重勿て、ある。また、原始的 しかしながら東日本て、は、中部地方の な形態を留めている重加勿て、あるとされ、 一部や東北地方て人工林の幼齢木やオ也 かってアジアを中心にユーラシア・北ア に接した畑の竹物に対する食害が、昭和 メリカに種分化をともないつつ分布を拡 50 年 ( 1975 ) 頃から目立ちはじめ、大きな 大して、今もあちこちに生き残っている 社会問題となるまて、にいたっている。か カモシカ類の一種と考えられ、進化史の って幻の重丿肋といわれたほど生息数の少 面からも貴重な重加勿て、ある。 なかったカモシカも、昭和 53 年 ( 1978 ) の カモシカは森林を生息場所にしてい 環境庁の調査て、はおよそ 7 万 5000 頭と 16 ・哺乳類 カモシカ 指昭和 9 年 5 月一日 ( 天 ) 昭和 30 年 2 月日 ( 特天 ) ( 青森県ほか 29 都府県 ) 特別天然記念物 は 眼下腺 皮膚のひだ眼下腺の開口部 ほにゆう カモシカの眼下腺と腺 眼下腺からは、腐敗臭を伴う透明な液 体を分泌する。それは空気にふれると 白濁して固まる。カモシカはその分泌 物を岩角や樹幹にこすりつける。おそ らく、ホームレンジのサイン・ポスト のひとつであろう。蹄間腺の機能はよ くわかっていないが、眼下腺と同様の はたらきをしているらしい。

7. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

て、およそ 100 羽が生息していたと推定さ コウノトリ れている。当時、おもな繁殖地は、日べ毎 昭和 28 年 3 月引日 ( 天 ) とよおか 側の豊岡盆地周辺の丘陵て、、 24 巣が営ま 昭和引年 7 月円日 ( 特天 ) れ 33 羽の雛が巣立った。しかし、その後、 所 ( 兵庫県 ) 丘陵の樹木が伐採され低湿地が開拓さ 置兵庫県 れ、生息適地が減少して数は少しずっ コウノトリの仲間は大型の鳥て、、おも 減っていった。昭和 32 年 ( 1957 ) には福井 おばま に滞から亜滞の湿地や草地に生息す 県の武生と小浜て、 1 巣ずつ新たに発見さ る。夏季、ユーラシアの温帯域から亜寒 れ、小浜て、は雛が巣立った。豊岡て、は昭 帯南部にまて渡って繁殖するようになっ 和 35 年以降、また福井て、は昭和 40 年以 たのは、コウノトリとナベコウの 2 種て、、 後、雛は育てられなくなってしまい、成 ほば同緯度地帯て、繁殖している。しかし 鳥の数は少しずつ確実に減少していっ この 2 種はおたがいに生息場所が異な た。 り、ナベコウはどちらかというと森林性 この間、昭和 33 年には人工繁殖副画が て林のなかにある湖沼や湿地の近くて、生 決定され、翌年、豊岡に飼育舎が建設さ 活するのに対し、コウノトリは低地の れた。昭和 40 年 2 月に豊岡て一つがいが 捕らえられ、飼育舎に収容されたが、ま 広々とした湿地を好む。 ナベコウはユーラシア大陸中緯度帯に もなく死亡した。体内には水銀が高濃度 広く分布し、東アジアて、は中国東北部や に蓄積し、農薬に犯されていたことが判 ウスリー地方て、繁殖し、中国南部に渡っ 明した。その後、中国大陸のコウノトリ て越冬する。コウノトリは生息に適する が昭和 43 年に収容され、昭和 45 年には大 湿地がユーラシア中部の中緯度帯にない 陸から武生に飛来した雌が捕らえられ、 ため、とびとびに分布し、極東アジアの また豊岡に残った最後の野生島が保護さ 中国東北部やウスリー地方、也方、 れ、人工飼育下て、の繁殖が開始された。 日本列島の一帯に隔離されて生息してい しかし、人工繁殖て、増やした鳥を野外に くちばし る。ョーロッパ産のものは嘴が赤くシュ 放すまて、には至っていない バシコウと呼ばれるが、極東の集団はそ 日本て、繁殖する野生のコウノトリは消 れより体が大きく、嘴は黒色て、、分化が 滅してしまった。しかし、毎年 1 ~ 2 羽 進んて、いるため独立の種とみなす研究者 が大陸から日本各地に飛来する。大陸て、 もいる。この分化は洪積世後期におこっ はソ連極東地方の沿海州日本海沿岸地 方、ハンカ湖、ウスリー川、アムール川 たと孑則されている。 明治前、コウノトリは日本全国に広く 中・一ド流域、ゼヤ川、樺太南部の低湿地 分布し、繁殖していた。江戸市中の大寺 て繁殖し、中国東北部の低地湿地帯て、も 院の堂の屋上や屋根に木の枝を積み重ね 繁殖している。これらは冬季、暢子江下 て大きな巣をつくっていたことが記録さ ~ 或から福建、台湾に渡って越冬する。 れている。しかし、明治になって狩猟が この移動の途中、まれに日本に飛来する と考えられている。 - ヨ殳人に解禁されると、大型て、白くすぐ ( 長谷川博 ) に目にとまるコウノトリは、トキやツ ル・ガン・ハクチョウ類とともに甜隻さ れ、急激に数が減った。明治 37 年 ( 1904 ) この時は にやっと銃猟が禁止されたが、 すて、にごく少数がごく限られた或に生 き残るだけになってしまっていた。これ は、ほかの大型鳥類て、も同じだった 昭和 5 年 ( 1930 ) の初めころには、全国 特別天然記念物 ひな 雌の誘い 雄の求愛 雄同士の攻撃 異性への誇示 シラサギのディスプレイ こうせきせい サギ ツ丿レ コウノトリ 飛翔のかたち トキ 鳥類・ 55

8. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

西方面に分布を拡大した。東ヨーロッパ、 中央ョーロッパと進み、 1960 年代半ばま て、にはイギリス全土に広がった。そして 亜寒帯南部にあたるスカンジナビア半島 南部に入り、さらに北に分布を拡大する 日本列島の特産種て、、周年生息する。 形勢にある。この急激な分布拡大は、穀 本に赤褐色て、あることからこの名前が 物生産のための耕地面積の増加と人間の つけられた。コッコは鳥を意味する。全 居住地拡大にともなっておこった。 尺腕骨筋 掌骨筋 長約 23 センチ、ツグミの仲間て、ある。 ューラシア東部て、は、中国大陸、朝鮮 縫匠筋 伊豆諸島のうち最北の大島と最南の鳥 半島に分布し、日本て、は関東平野の一部 島をのぞく 9 島て、繁歹直する。大島には秋 腸脛骨筋 に局地的にとぎれて分布していることか 冬にみられ、本州南部て、もごく稀に観察 ら、その起源についていくつかの仮説が されることがある。南西諸島北部の屋久 提出されてきた。大別すると、「移入言 島て、は、山地て、少数が繁殖していた。し と「残存説」の二つになる。前者は、江戸 かし、そこて、の現状は明らかて、はない 日に中期に中国大陸から飼い鳥として移 おそらく、以前には、日本本土の西南部 入し、放し飼いした結果、関東地方に定 に広く分布していて、何らかの原因て本 着したというものて、ある。後者は、古文 土の集団が消滅し、伊豆諸島と屋久島に 献を裏付けにして、日本に農耕が始めら 離れて分布するようになったと考えられ れて以降、中国大陸から自然に分布を拡 る。分類学的検討はまだ充分にされてい 大し、江戸時代半ばまて、には、関東地方 からふと ないが、本州中部以北から樺太、千島列 以西の冬李無積雪地方にかなり広く分布 島て、繁殖するアカハラにごと考えら していたが、その後、何らかの原因て、関 れる。アカハラは、冬季、日本列島の南西 東平野の一部に生き残ったとする考えて、 部から台湾、中国南部、フィリピン群島 ある。今のところどちらにも決め手がな に移動する。 く、日本のシラコバトの起源論はまだ決 伊豆諸島て、はスダジイやタブの照葉樹 着がついていない 林に多く、三宅島より南て、はオオバヤシ それはさておき、シラコノヾトは戦後の ャプシなどの二冫知木にもすむ。海岸近く 混乱期に食糧として捕らえられ、関東平 こしがや から山地まて、さまざまなタイフ。の林にす 野各地から姿を消し、一時は埼玉県越谷 んて、いる。地上をはねて前進し、昆虫や 付近にわすか 60 羽ほどが残るまて、に減 ミズ、小重丿肋を食べる。また木の実を 少した。昭和 31 年 ( 1956 ) に天然記念物に もよくたべる。低木の枝上や、シイ・タ 指定されて保護された結果、個イ櫢は増 プの同、崖地のたなの上に皿形の巣を 加し分布域も拡大している。現在は、関 っくり、 4 ~ 6 月に 1 巣 3 ~ 4 卵を産む。 東平野に広く分布し、越谷付近て、はごく さえずりはアカハラよりも短くてにごっ ふつうに見られ、最も多いハトて、ある。 ている。 ( 長谷川博 ) 農耕地や草地て子を拾い、付近の屋敷 林や社寺林、竹やぶて休息し、営巣する。 近年、養理昜に入って、こばれ落ちた飼 料をついばむようになり、電線や人家の 屋根に立てられたテレビ・アンテナなど の上ても休息し、建物のすき間に巣をつ くるものもて、てきた。人間との摩擦が生 じ、その対策が検討されている。 ( 長谷川博 ) アカコッコ 昭和 50 年 2 月ロ日 所 ( 東京都・鹿児島県 ) 背側尺掌骨筋 ニ頭膊筋 三頭膊筋 大胸筋 前脛骨筋 腹筋 腓腸筋 腸腓骨筋 上膊骨の断面 ( 内部は中空で 多数の筋かいがはいっている ) 上膊骨の中にも 気のうがある 気のう 気のうは、飛行中の体熱 の放射にも役立っている 飛翔のための鳥類特有の 体のつくり 鳥類・ 101

9. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

カササギ生息地 大正に年 3 月 7 日 所福岡県山門郡・三潴郡 佐賀県佐賀市・佐賀郡・多久市・小 城郡・武雄市・三養基郡・神埼郡・ 鳥栖市・杵島郡・鹿島市・藤津郡 福岡県・佐賀県 カササギは暖帯から寒帯まて、、ユーラ シア各地および北アメリカ西部に広く分 布する。草地や藪、農耕地などの開けた 場所て、高木の林が斑状に分布する環境に 生息し、開けた林やイ対也、本家部、果 樹園、公園、集落の近くなどて、もみられ る。東アジアて、は中国大陸、朝鮮半島、 台湾に分布しているが、日本て、は九州北 西部の農村集落の周辺にのみ生息する。 なぜ局地的に分布しているのかは明ら かて、はないが、豊臣秀吉カ嘲鮮に侵攻し た時代に、肥前佐賀と筑後柳川の城主が 朝鮮半島から持ち帰って放島して以後、 野外に住みついたためといわれている。 しかし、長いあいだ分布域が変化しない 理由など、わかっていないことが多い 佐賀平野て、はクリークの多い水田地帯 の集落て樹上に営巣する。樹木が利用て、 きない地域て、は電柱や鉄塔に巣をかけ る。枯オ・材支を多量に運び集め、球形の大 きな巣をつくり、側面に巣口をあける。 1 巣 5 ~ 6 卵を産む。群れ生活をし、巣 もお互いの近くにつくる。日本て、局地的 に分布するだけて、あることと、移入され 野生化した鳥類だと考えられることから 所 ( 東京都・鹿児島県・沖縄県 ) 脂昭和 50 年 6 月 26 日 イイジマムシクイ 天然記念物に指定された。 ( 長谷川博 ) みくら 島、青ヶ島て、は生息密度が高く、照葉樹 る。伊豆諸島の南部、特に三宅島、御蔵 だけて、繁殖が知られている特産種て、あ チしかない。世界中て、、日本の伊豆諸島 小型のムシクイて、、全長は約 11.5 セン 林から一冫知木まて広く分布している。し かし、北部て、は、利島を例外として数は 少ない 夏季に渡来して、照葉樹林や二冫知木て、 繁殖し、冬季にはフィリヒ。ン方面に渡る。 その途中、伊豆半島や南西諸島て、も観察 される。 本土に分布する家のムシクイ類セン ダイムシクイ・メポソムシクイ・エゾム シクイなどとくらべて、この種はいくっ かの異なった生態自寺徴をもっている。 本土のムシクイ類が地面のくばみに球形 の巣をつくるのに対し、この種はそれと は別に、地上 1 ~ 3 メートルの枝や、 老木の砿同中にも巣をかける。つまり、 営巣場所をひろげていると言える。また、 ほかのムシクイ類は一腹に 4 ~ 6 卵を産 むが、この種は 3 ~ 4 卵と少ない。さら に、さえずりにも違いがある。この種独 自の鳴き声のほかに、センダイムシクイ やメポソムシクイの特徴をも含んて、い る。また、地鳴きはむしろ工ゾムシクイ に似ていると思われる。イイジマムシク イは、島嶼型の特徴をもった種と言うこ とがて、きる。 はむら 葉群のあいだを忙しく動きまわり、昆 虫をよく食べる。ほかに植物の種子や実 を食べることがある。 こし ( 長谷川博 ) 越ヶ谷のシラコパト 指昭和引年一月日 所 ( 埼玉県 ) シラコバトは、全長約 32.5 センチて、キ ジバトよりやや小さく、尾は長めて体は ほっそりとしている。羽色は全体に淡く、 そのためこの名前がつけられたと思われ この種は、ユーラシアの暖温帯から亜 熱帯域に分布し、低・高木が生育する、 広びろとした乾燥↓或に周年生息する。 しかし、ユーラシア西部て、今世紀に入っ てから、、異変、、が起こり、小アジアから北 100 ・鳥類

10. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

ライチョウ 特別天然記念物 指大正に年 3 月 7 日 ( 天 ) 昭和 30 年 2 月日 ( 特天 ) 所 ( 富山県・長野県・岐阜県 ) 置富山県・長野県・岐阜県 88 ・鳥類 はくさん たけ やけ おん ひうち い。富士山は水河期以後にて、きた山て、あ いたというが、現在て、は確認されていな や蓼科山、八ヶ岳にも以前には生息して たてしな いる。これらから離れた山塊て、ある白山 と、中部日本を横断する高山に繁殖して 嶽山・中央アルプス駒ヶ岳・南アルプス 焼山から南に、北アルプス・乗鞍岳・御 のりくら 日本列島て、は、日本海に近い火打山・ ことによる。 たため、高地にのみ小集団がとり残され の後温暖な気候が回復して氷河が後退し 氷河期に南に分布を拡大したものの、そ 地にとび離れて分布している。これは、 日本列島の中部山岳地方など温帯域の高 ヨーロッパのヒ。レネー山脈やアルプス、 アリューシャン列島に分布し、一部は リカの極北ツンドラ帯から亜寒帯山地、 候に通芯した種て、、ユーラシア・北アメ このうちライチョウは、最も寒冷な気 を集めてきた。 組織が著しく異なるため、研究者の注目 種もある。家な種て、ありながらも社会 型が進み、非常に派手な求愛行動をする に関連して体の大きさや羽の色の性的二 のまて、あり、きわめて多様て、ある。これ 数の雄が多数の雌と交尾する乱婚的なも ばれる集団求愛場をつくって、そこて、少 夫一妻から一夫多妻、さらにレックとよ これらライチョウ類の婚姻には、 た地方まて、はいり込んて、いる。 木の散在する半砂漠など、さらに乾燥し がみられる。北アメリカて、は大草原や低 林に、それぞれの生息場所を代表する種 針葉樹極相椒針葉と落葉広葉樹の混交 じる草地、開けた針葉樹林とそのオ家部、 のツンドラから、寒冷な地方の低木の混 られている。ユーラシアて、は極北や高地 にすむ地上性の鳥て、、あわせて 16 種が知 ライチョウ類は北半球の寒冷地や森林 るため、分布していない ライチョウは、一年中、高山の森林限 界より上部のハイマッ帯や高山植物群落 のなかにすみ、おもに植物質の餌をとる。 夏季、当本に茶褐色て、黒斑のある目立た ない羽毛にかわる。ハイマッ帯やお花畑 て植物の芽や葉、実を食べ、時どき昆虫 をも捕らえる。冬季には全身白毛の羽毛 になり、小集団て、生活する。雪の下に穴 を掘って風雪をしのぎ、晴れたおだやか な時、雪上に出て、雪の少ない部分てハ イマッ群落内の常緑小低木の葉や芽、コ ケ類をついばむ。日本の鳥類のうち、もっ とも厳しい自然のなかて生活する鳥だと いえる。 ライチョウは一 -- ・夫ー - ・一妻て、、繁殖期に雄 は広い縄ばりをかまえる。雄の数は雌の 約 1.5 倍多いため、あぶれる雄がて、てし まう。 5 ~ 6 月にハイマツの根もとの地 面にくばみをつくって、高山植物の葉を 敷いて巣とし、そこに 5 ~ 10 卵を産む。 一腹卵数は雌カ喰べる植物の栄養状態と 深く関連していて、年によりあるいは地 方により大きく変化する。雌だけが抱卵 し、雄は巣の周辺て警戒にあたる。約 25 ひな 日て、孵化する。その後、雌は雛をつれて 歩き世話をし、雄は家族群を保護する。 春先の植物の栄養状態は孵化した雛の生 残率にも景彡響をおよばす。 8 月には縄ば りは解消され、小さな群れて生活するよ うになる。 信、 l'l ライチョウ生態研究グループの精 力的な調査によると、日本にはおよそ 1200 つがいが生息していて、あぶれ雄を 含め約 3000 羽がいると推定されている。 このうち約 5 分の 1 が南アルプスに生息 している。近年、ライチョウのすみかて、 ある中部山岳の高山への登山者がふえ、 これにともなって登山道が整備され、山 小屋が建設され、ゴミの廃棄量もふえた。 ライチョウの数は、ずっと昔と上肆交すれ ば、こうした自然環境の変化によって少 しずつ減っていることは間違いないが、 いまのところは、明らかな影響を受けて はいないようて、ある。 ( 長谷川博 )