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検索対象: 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ
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1. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

執筆者一覧 ( 50 音順 ) 赤坂猛 北海道生活環境部自然保護課 東滋 京都大学霊長類研究所助教授 石塚和雄 山形大学教授 井手正弘 鹿児島県出水市役所 岩野泰三 日本野生生物研究センター 遠藤公男 動物作家 柿沢亮 山階鳥類研究所 加藤陸奧雄 東北大学名誉教授 柴田敏隆 山階鳥類研究所 竹内敏信 写真家 竹下信雄 日本鳥学会幹事 田附治夫 山口大学教授 田名部雄一 岐阜大学教授 千葉彬司 大町山岳博物館 中村一恵 神奈川県立博物館 中村司 山梨大学教授 長谷川博 東邦大学助手 蜂谷剛 福島大学教授 花井正光 文化庁文化財保護部記念物課 平林国男 大町山岳博物館 正富宏之 専修大学北海道短期大学教授 松井保 鳳来寺山自然科学博物館 松浦信夫 日本大保存会東京支部顧問 山口健児 全国日本鶏保存会長

2. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

局限された森 天然記ま物に指定された 6 上或のニホンサルのうち、咼 がぎゅう みのお 崎山・箕面山・臥牛山・幸島の四つは、都市近郊に孤立し た低山地や島に隔離されて残った群れて、ある。生息地の周 辺は耕地や人里、造オ也などて、囲まれ、指定当時にはいず れもただ 1 群が生息するだけて、あった。うち三つの群れは 餌づけ直後の指定て、あって、当時は餌づけイコール保護の 考えが単純にもてはやされていた。生息地として指定され た森林は破壊を免れたが、サルの方は人工給餌によって好 転した栄養条件のもとて、、森林が養い得る枠とは無関係に 個体数が増え続けた。 近畿以西の低山帯の照葉樹林は、古代から人間活動によ る破壊の歴史をもつ。ただ、広葉樹の二冫木が薪炭林とし て維持されてきたところて、は、サルは生存を続けた。むし ろ、このような林に頼っていたニホンザルの群れは多かっ た。房総半島山地の広い或に連続して多くの群れが残っ た原因は、ここカ陏数の木炭生産地帯て、あったことにある。 このように、連続した天然林の中て、いくつもの群れカ五 いに相接して分布するというのが、ごく近年まて、ニホンザ ルが保ち続けた本来の姿て、あった戦後の石油エネル ギーへの全面的転換 ( エネルギー革命 ) と拡大造林政策て、、 広葉樹をまじえた天然林が、急激な勢いて、スギ・ヒノキ・ カラマツの人工林に置き換えられ始めるまて、は。東北地方 などのように狩猟王が相対的に高く、すて、に全面的に穫り つくしが進行していたところもある。 皮肉な言い方になるが、ニホンザルの天然記念物に指定 された或は、この怒濤のような変化のなかて、、小さな天 然林の、、島、、を、この国の森林としては例外的に厳しい規制 を伴って、保存する役割を果たした。さきに見たように ホンザルの本来の姿を代表しえず、生息地としてはもとも と不十分て、不自然なものて、はあったが、サルがすむ森は、 都市近郊に自然度の高い森林のプロックを保全するという 貴重な役割を果たした。 のっと いま、指定の本来の趣旨に則って、残されたすみか、、の 中て、ニホンザルの群れを保護管理しようとする努力カけ られている。それは苦渋に満ちた困難な仕事だが、サルに とって本来必要なことは、より広い或て生息環境の回復 がはかられることてある。すみかの森林の、、島がもう少し て、も大きければ、問題の解決はよほど楽になるて、あろう。 豊かな天然林が連続して残る或は、もはや残り少なく なった。たとえば屋久島西海岸斜面て、は、群れの密度は高 いものの、イ聞の増加率カ岻く、年 3 パーセントほどて、 ある。森林が大規模に破壊される前には、たいへんな高い 密度て、すんて、いたサルが、島の周囲の耕地に侵出して農作 物を荒らすことはなかったという。このような条件のもと て、は、サルの個体数は森の収容力に見合って一定程度に保 たれていたと考えられるふしがある。 ( 東滋 ) サギなども生息している。天然記念物に 指定されているニホンザルの生息地は全 国に 6 ヵ所あるが、幸島がもっとも早く 指定され、今日まて、島の自然はよく保存 されている。 昭和 27 年 ( 1952 ) に、京都大学霊長類研 究クンレープの手て、、日本て初めて餌づけ が行われた。ニホンザルの生態研究を目 的としたこの餌づけ法は、以後のニホン ザルおよび霊長類の研究を支える大きな 基盤となった。ニホンザルの「イモ洗い 文イとともに、幸島とそこにすむサル の名は広く世界に知られているが、イモ &i ルに浸して食べる新しい文化が群れ に波及する様子の発見は、餌づけによる 研究成果のひとって、あった。昭和 43 年 ( 1968 ) には京都大学霊長類研究所の附 属研究施設も開設され、ニホンザルの野 外フィールドとして活発な研究活動力 続されている。 しかしながら、研究には画期的な方法 となった餌づけも、サルの個体数を著し へし、カ { 、、 く増加させるという弊害を招き、幸島て、 も問題となった。その数が野生の群れて、 観察される個体密度の 10 倍以上におよ ぶにいたって、幸島における適正な個体 数は 70 ~ 100 頭との推定にもとづき、近 年て、は給餌を制限することて、繁殖を抑制 する方法が実行され、成果が得られつつ ある。 ( 花井正光 ) 哺乳類・ 31

3. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

て、その適切な保護管理が強く望まれて ( 花井正光 ) たかさきやま しもきた 下北半島のサルおよび 高崎山のサル生息地 サル生息北限地 隔昭和 28 年Ⅱ月図日 所大分県大分市大字神崎 囮昭和 45 年Ⅱ月Ⅱ日 大分市 所青森県下北郡脇野沢村・佐井村 べつぶ 高崎山は、別府湾に面した海抜 628 メ みのおやま ートルの孤立峰て、項上から北と東に伸 下北半島の西北部と西南部の 2 ヵ所に 数群のニホンザルが生息している。下北 びるキ尾根はともに幾本かの枝尾根に分 半島のサルとその生息地は、ニホンザル かれて、いずれも海岸に落ちている。北と 東の主尾根に挟まれて海に面した 116 へ の分布北限て、あると同時に、世界のサル 類の分布からみてももっとも高い緯度に クタールほどの斜面は、深い常繍ム葉樹 大阪の中心から近く、滝と紅葉の名勝 位置していることから、積雪地にすむ「北 の森林におおわれていて、古くからニホ て早くから親しまれてきた箕面山には、 ンザルの生息地として知られていた。 限のサル」として海外にも広く知られて 古くからニホンザルが生息していた。昭 昭和 28 年 ( 1953 ) 、山麓にある寺院の境 和 29 年 ( 1954 ) 、宮崎県の幸島や大分県の 西南部の生息地には海岸に接して 3 群 内て、餌づけが行われるようになったが 高崎山のサルの餌づけを先例として、箕 付近の畑イ信勿への食害防止と観光客の誘 の遊重が或が隣り合ってあるが、このうち 面山て、も餌づけが行われた。約 70 頭の群 致を意図してのことて、あったという。著 一番南の群れだけが餌づけされており、 れがこの時の餌づけ対象て、あったとされ 下北 A 群の名て呼ばれている。半島西南 名な観光都市、別府が目と鼻の先にある ている。 くそうどまり ため、手近に野生のニホンザルが観察て、 端の脇野沢村九艘泊地区て、昭和 38 年 大阪府下て、も、大正日にまて、は泉北お ( 1963 ) に給餌が始まったとき、 A 群は 15 きるようになると多くの見学者が訪れる よび泉南地区にもニホンザルが分布して 頭だった。ブナを主体にところどころヒ ようになり、高崎山自然動効園の名は世 いたが、昭和 30 年頃まて、に、箕面山を残 バが群生する下北の森林が、伐採と跡地 に広まった。瀬戸内海国立公園に編入さ して他はことごとく消滅したことカ靃忍 への人工造林て、大きく変貌したのもこの れたのは昭和 31 年 ( 1956 ) て、あった。 されている。明治年間に府立箕面公園と 頃て、あった。地兀の人達による給餌は、 餌づけが群れのサルを著しく増やす現 なって自然に近い植生がよく保存されて サルの斉と同時に農イ乍物に対する食害 象は高崎山て、も例外て、なく、当初 220 頭 きたことと、奧山が国有林て、占められる 防止の両方て効を奏した。天然記勿に て、あったのが、昭和 54 年 ( 1979 ) には 2002 部分が多く、里山ほど人為が加わらな 頭にまて増加し、この間、 6 回におよぶ 指定された昭和 45 年 ( 1970 ) には 42 頭に かったことが、箕面山のニホンザルの生 群れの分裂を経て、現在は 3 群が認めら 増加していた。 存に一尉章を与えたに違いない 西北部の山中にも 3 群が生息してい れている。高崎山のサルの最大の特徴は、 サルが容易に見学て、きるようになると て、昭和 48 年 ( 1973 ) には京都大学霊長類 群れの規模の大きさにあるといえよう。 訪れる人も増え、餌づけにより生息数も 研究所の研究林が設定されている。しか 丘て、は、生息地の森林がサルの影響て、 増加した。しかし、その一方て、箕面山 しながら、西南部よ或て、も同じて、あるが、 植生に変化を生じてきており、生息場所 の生息地て、は交通事占ヒにあうサルが少 現在て、も森林の伐採や植林は続けられて としての劣悪化が懸念されている。 なくない。また、サルが人に危害を加え いて、自然林の縮小による生息地の悪化 カロリーの低い餌を少量給餌するなど ることも多く、給餌への依存度が他の餌 が懸念されている。 して、増殖率の抑制を図る対策がすて、に づけ群より高いなど、自然環境の少ない 一方、「北限のサル」のシンポルともい とられており、総イ聞櫢が減少してきて 都市部に近いところて、の特徴と考えられ うべき下北 A 群は、昭和 52 年 ( 1977 ) には いる。しかし、適正な生息数まて減らす る現象が顕著て、ある。 100 頭をこえ、群れが分裂し、農イ信勿被害 には、十分な調査研究に基づく管理引画 この好ましくない事態に対処するた 或カ昿がるなど新たな局面を迎えてお が必要て、あり、この面て、の取り組みが課 め、昭和 52 年 ( 1977 ) に研究者を中心にし り、科学的な研究に基づいた保護管理の 題となっている。 た箕面山猿調査会が結成され、サルの遊 必要生が強 <i 甜商されている。 ( 花井正光 ) 高崎山は、宮崎県の幸島と相前後して 重が或を奧山に強制的に移動させ、人との 餌づけされたことにより、初期のニホン 接触を避けさせる一方、給餌量の減量に ザル研究に重要なフィールドを提供し、 より増加率を抑制するなどを内容とした サル学に多くの成果をもたらした。日本 保護管理方策が実行されつつあり、その の霊長類学にとってのいわば記念碑とし 成果カ硼待されている。 ( 花井正光 ) 哺乳類・ 27 箕面山のサル生息地 脂昭和引年に月 28 日 所大阪府箕面市箕面 もみじ 、ゆニ一一 わきのさわ

4. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

0 幸島サル生息地 ( 宮崎 ) 幸島は亜 帯性の海岸樹林がしげる周囲約 4 キロ メートルの小島て、島内には古くから野生 のサルが生息し、猿島ともよばれている。 幸島の全景。 たかごやま 0 高宕山のサル生息地 ( 千葉 ) 8 群カ寉認 されており、房総半島の代表的サルの生息地 となっている。 0 牛山のサル生息地 ( 岡山 ) 臥牛山は びっちゅう 備中松 L 助 ; として亦にも指定されている。 ばうそう 幸島のサル ニホンザルの社会を調べる目的 て、、日本て最初に餌づけされた記 念碑的な群れ。餌のサツマイモを : ルトに浸して食べる行動が、群れ のサルの間に波及するのが観察さ れ、「イモ洗い文化」として世界に 広く知られることとなった。ま た、ニホンザルの社会を解明する うえて、、初期の日本のサル学に大 きく貢献した。現在て、は、京都大 哮長業 f 究所の研究施設も開設 されていてヾ多くの研究者に格好 のフィールドを提供している。 哺乳類・ 29

5. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

( 川、ツ 画が先駆となって、全国に波及すること を願う関係者は多い。 ( 花井正光 ) たかごやま 高宕山のサル生息地 指昭和引年に月 28 日 ( 天 ) 昭和 33 年 6 月に日 ( 地域一部追加 ) 所千葉県富津市・君津市 置富津市・君津市 臥牛山のサル生息地 高宕山は、房総半島中央部の丘陵地帯 昭和引年に月 28 日 きみつ ふつつ にあって、千葉県富津市と君津市を画す 所岡山県高梁市内山下 南北に伸びる主不泉とそこから派生する 闇高梁市 幾本かの枝尾根からなる山系の中心に位 置する標高 315 メートルの山て、ある。房 臥牛山 ( 標高 478 メートル ) は瀬戸内海 たかはし 総丘陵には高い山こそないものの、河川 に注ぐ高盟日の或に位置して、その による侵食を激しく受け、地形は急峻て、 左岸に山腹を落とし、市街地にも接して 起伏に富んだ複雑な形状となっている。 いる。ほば全域がアカマツを混じえた常 全般に人の手カ功日わった森林が多く、コ ム葉樹林て、おおわれており、自然林が ナラやクヌギを主体にした落ム葉植抃木 よく保存されている。この山の項には近 の二冫木が森本直生の大部分を占めてい 世の山城として著名な松山城跡があっ る。もとの自名直生て、あるシイ・タブノ て、史跡に指定されている。 キなどの照葉樹林はほとんどなく、これ 昭和 30 年 ( 1955 ) に餌づけが行われた 時点て、は、 1 群 120 頭ほどのニホンザル らの植重は落葉樹林に混じっているのが 現況て、ある。 が生息し、約Ⅲ平方キロの遊重が或をもっ 高宕山を含む房総丘陵には、ニホンザ ていたとの報告がある。 ルの群れが遊重ル或を一部重ねながら謝妾 120 頭という群れの構成頭数は、 ニホ ンザルて、は中規模の大きさて、あり、各地 して連続的に広がっていて、 30 群以七が 石忍されている。このような広域の連続 の大きさの異なる群れとの上交研究の対 分布は、現在の日本て、は他に例が少なく、 象として、京都大学霊長類研究グループ 房総丘陵て、はひとつの群れが 80 ~ 200 頭 のメンバーによって、社会構造に関する と野生のニホンザルとしては大きいこと 調査研究が継読的に実施されてきた。 と併せて、上肆交研究の対象として学術的 臥牛山自然重丿園の名て現在も一一殳に 価値は高い。天然記念物に指定されてい 公開されているが、瓰匠て、は群れの個体 るよ或は、高宕山を中心に南北 4 キロ、 数が増加し、 250 頭ほどに達している。 東西 2 キロの細長い丘陵て、、昭和 58 年 ( 花井正光 ) ( 1983 ) の時点て、 8 群の行動域を含んて、 いることが判明している。 高宕山のサル生息地は、昭和 55 年より 開始された農イ信勿被害に対する総合防除 こうじま 幸島サル生息地 の試みの成りゆきて、注目されている。農 指昭和 9 年一月 22 日 耕地とサルの行或の徹底した隔離を追 所宮崎県串間市市木 い上げ作業や電気柵て、図るとともに、針 串問市 葉樹林の広葉植抃木への転換や、サルの好 む餌植物の植栽により生息地の環境改善 幸島は、宮崎県南端の都井岬に近く、 陸地から 300 メートルほどしか離れてい を行い、土地の収容力に適した群れおよ ない、周囲約 4 キロのさほど大きくない び頭数のイ隻管理を総合的にめざそうと するものて、ある。野生ニホンザルと人間 島て、ある。ほば全島が常ム葉樹林て、お が共存て、きる方策を探ろうとするこの計 おわれ、ニホンザルのほかタヌキ・ノウ がぎゅうざん シカ 哺顱の足あと 30 ・哺乳類

6. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

編集協力 ( 順不同 ) 山階鳥類研究所 鹿児島県立博物館 鹿児島市平川動物公園 日本自然保護協会 日本大保存会 日本大保存会高知支部 秋田大保存会 日本野鳥の会 日本野生生物研究センター 島津観光株式会社磯庭園 日本鳥類保護連盟 日本鳥学会 プロダクション未来 ジャノヾック 野生圏 MO フォトス 新峰社 堤恭彦 古木誠 中井春治 門田忠夫 浦田明夫 木下陽一 川井和則 浜富雄 嶋崎淑彦 嘉納辰彦 砂川菊子 吉行端子 石塚彬丸 ポンカラーフォトェイジェンシー キュウフォトインターナショナル 宮古市教育委員会 釜石市教育委員会 羽幌町教育委員会 北上町教育委員会 いわき市教育委員会 岩泉町教育委員会 出水市教育委員会 岩国市教育委員会 豊浦町教育委員会 防府市教育委員会 石川県教育委員会 厚岸町教育委員会 大館市教育委員会 J O 東北カラーエイジェンシー オリオンプレス ひまわり 小黒企画 光陽フォトオフィス フォトライプラリー明星 アニマノレフォト ネイチャーフォトライプラリー ネイチャープロダクション 下田村教育委員会 猪苗代町教育委員会 美濃市教育委員会 尾上町役場 上屋久町教育委員会 根室市教育委員会 北海道教育委員会 竹富町教育委員会 浦和市教育委員会 奈良県教育委員会 奈良市教育委員会 鹿児島県東京観光物産事務所 文化庁文化財保護部記念物課 ・参考文献 「天然記念物事典』 ( 第一法規 ) 「史跡名勝天然記念物指定目録コ ( 第一法規 ) 『全国遺跡地図』 ( 国土地理協会 ) ・作図・製図 浅井粂男 木村図芸社 さくら工芸社 ・写植 ナグ

7. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

琉球列島中最大の島て、ある沖縄本島北 ゃんばる 部の山原とよばれる山地・丘陵地帯は、 山・川・森林があり、多様な自然景観を なし、重丿の種類の最も多い或て、ある。 昭和 56 年 ( 1981 ) 11 月 13 日、山階鳥類研究 所の山階芳麿と真野徹は、この山原或 に生息するクイナ科の新種を、ヤンバル クイナと命名して記載・発表した。庇特 は全長約 30 センチて、、嘴と脚はあざや かな赤色、背面は暗いオリープ褐色、顔 から喉は褐色て、、眼のわずかうしろから 白色の帯線がのびている。首から胸、腹 は黒色に白色の細い横縞がある。体重は 約 430 グラムて、ある。新種として発見さ れたばかりて、、この種の生息状況や生物 学的特性はまだくわしく調査・研究され ていない。これまて、に得られた知識をま とめると、およそ次のようになる。 分布域は沖縄本島北部の山原とよばれ る或て、、亜滞の湿潤な常ム葉材木 や混交林に生息し、高度 15 メートルから 400 メートルて淆忍されている。立ち木密 うつべ、、 度が高く、樹冠カ閉し、林床にも植物 が密に生育する谷や沢ぞいの或とその 斜面に多いようて、、明るいところには めったに出てこない。時に、農耕地のそ ばの林にも出てくることがある。 この鳥の最大の特徴は飛翔力のない とて、、移動はもつばら歩行によっている。 林床や湿地て、、落ち葉や腐植土を嘴て、は ねのけ、掘り、ひそんて、いるミミズや昆虫 の幼虫などの土壌重丿を捕らえ、地表の カタッムリ・トカゲ・カエルなどをも捕ら える。また、草にとまっている昆虫やバッ タにとびついて捕らえることもある。時 には農場に出てきて家畜用飼料をも食べ る。力は強く、 1 ~ 1.5 メートル飛び あがることがて、き、夜間は樹上にねぐら をとる。走る時や跳ねる時に翼を使って バランスをとっている。繁殖生態につい ャンバルクイナ 指昭和 57 年に月絽日 所 ( 沖縄県 ) やましな くちばし のど 108 ・鳥類 ひな てはまだ研究が充分にされていない。雛 の目撃や幼鳥の死イ材合得記録から推測す ると、 4 ~ 8 月に繁殖し、ひとつがいは 3 ~ 4 羽の雛を育てる。 家関イ系も今後の研究て、明らかにされ よう。既知の種て最も近縁だと考えられ るのは、フィリヒ。ン・セレベス・ニュー ギニア西部などに分布するムナオビクイ ナて、ある。それよりもャンバノレクイナの ほうカ觜と脚が大きく、翼と尾は短い 特に、飛翔と関係の深い初列風切最外羽 は短い。おそらく、ムナオビクイナ型の 祖先が湯冽島に分布を拡大し、その後 とうしよ 隔離されて狭い島嶼て、の地ーヒ生活に通芯 し、飛翔力を失い、歩行力を増大させた ものがヤンバルクイナて、あろうと考えら れる。 生息個体数も未調査て、ある。ャンバル クイナは、夕方、よくとおる声て何羽か が鳴きあう。確認地点の数と鳴きあって いる羽数からおおまかに推測すると、少 なくとも 100 羽は生息しているが、 1000 羽以上はいない ということになる。も しそうなら、ごく狭い範囲に少数生息し ているにすぎず、種の糸色威の危険生は高 生息地て、ある沖縄本島北部丘陵地帯て、 は、近年、急誣に開発が進み、単一植抃重 の造杁林道建設、ダム建設、牧草地の 拡大がおこなわれ、ヤンバルクイナのす みかて、ある湿潤な常純ム葉樹原生林がっ ぎからつぎに消失している。また、マン グースやネコなど地上性捕食獣が人間に よって持ち込まれ、野生化している。林 道建設により U 字形側溝が延び、そこに 雛が落ち込んて死亡する事故も増えてい る ( U 冓はヤンバルクイナだけて、なく、 どの地方て、も地 - ヒ性小動肋にとって脅威 て、ある ) 。 この 400 年の間に地球上て、約 80 種の鳥 類が糸色成した。そのうちクイナ類は 11 種 にもなる。大部分は、島にすみ、ごくわ ずかの飛翔力しかない種て、あった。 した事実は、特別な保護をしないかぎり、 ャンバルクイナの将来はきわめてあやう ことを示す。生息地て、ある常ム葉樹 い 林を広範囲に保存し、地上性捕食獣の移 入を規制し、野生化を阻止し、たとえば 道路の側溝の改良などもふくめて綿密な 保護画を実施することが、ヤンバルク イナの保護に必顎て、ある。また、その生 物学的諸要求を知るため、継続した調 査・研究が必要て、ある。 ノクチゲラ ( 長谷川博 ) 特別天然記念物 脂昭和 47 年 5 月日 ( 天 ) 昭和 52 年 3 月日 ( 特天 ) ( 沖縄県 ) 沖縄本島特産のをヒ特類としては、ノ グチゲラとごく丘発見された辛后重ャン バルクイナの 2 種が生息する。どちらも ゃんばる 北部の山地・丘陵地の、通称山原とよば れる湿潤な照葉樹原生林に生息してい ノグチゲラは全長約 31 センチて、、やや 大型のキツッキて、ある。全体に赤味が かった黒褐色て、翼の先に白紋がある。 分類学上は、現在、 1 属 1 種て、、非常に 特殊な鳥とされているが、それは、ノグ チゲラの類縁関イ系を決定する明確な特徴 が見出だされていず、どの属に含めてよ いか確定しがたいためて、ある。丘の研 究によると、ヤマゲラ属およびそれに く近い工ビチャゲラ属やタケゲラ属に近 糸ごあると考えられている。 ヤマゲラは全体に黄緑色て、、ユーラシ ア大陸に広く分布し、東アジアて、はウス わっている。アオゲラは日本列島特産種 ャマゲラとごく近縁なアオゲラがおきか 列島のうち、本州から奄美大島まて、は、 あまみ 東南アジア・台湾に分布している。日本 リー・樺太・北海道・朝鮮半島・中国・ つる 近縁だとするなら、ヤマゲラ型祖先が琉 もし、ノグチゲラがヤマゲラ属とごく とまって植物の実を食べることがある。 し、アリ・シロアリ類を捕らえ、細い蔓に て、、開けた場所に住み、よく地七て、採食

8. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

に対してきわめてもろくくずれやすい ' 分類されているが、今後、行動や生能 とは、ほかの島だけて、なく、小笠原諸島 あるいは骨格など内部形態の研究が進め から姿を消した生物をみてもわかること ば、これが変更される可能性もある。と て、ある。イ也域からの生物の移入を厳重 にかくきわめて特異な鳥て、ある。 に禁止し、島の生物群集全体を保護する 海岸から丘陵上部まて広く分布し、亜 ことが必要て、ある。また、小笠原諸島の 帯常ム葉樹の天然林から伐孑尉也の林 生物相について継続して調査研究を行 縁部、二冫知木など、いろいろのタイプの い、変化を監視する必要がある。 林にすむ。この種はまた、実に多様な採 食方法を用いて、地上から樹冠部まて、い しようか ろいろの部分を利用し、昆虫や漿果、実 などを餌とする。林床をはねて移動し、 地面から昆虫を捕らえ、樹の幹を垂直に 登って割れ目にいる昆虫を舌て、ひき出し て食べ、細い枝先にぶらさがって葉の裏 や間にいる虫を捕らえたりする。また、 くちばし ノスリは翼開長 1.2 ~ 1.4 メートルの 枝先の木の実を嘴て、くわえてはずし、 中型のタカて、、ユーラシアの温帯から亜 太く安定した枝に止まってから脚て、おさ 寒帯に広く分布し、繁殖する。冬季には えてついばみ、ギンネムのさやにぶらさ 暖地に渡る。日本て、は低い山から山地の がって嘴をすき間に入れて開き、中に潜 林て、繁殖し、その付近の草地や農耕地、 んて、いる昆虫の幼虫をひき出して食べる 放牧地など開けた場所てンド栫 I 類や爬虫 こともある。このように特異な採食行動 類を捕らえる。大きな樹の枝や岩場の棚 をもつ鳥は、日本て、は他にいない の上に営巣し、 1 巣 3 ~ 4 卵を産む。 繁殖生態はまだじゅうぶんには調査・ 大東諸島と小笠原諸島には、渡りをし 研究されていない。産卵は 4 ~ 6 月ころ ない島嶼集団が生息している。それらは て、、一腹 2 卵のことが多い。季節に乏 形態的にも異なることから特産亜種に分 しい亜熱帯海洋島て、は降雨によって生物 類され、それぞれ、ダイトウノスリ、オ の繁殖活動が活発になることが多い。メ ガサワラノスリと呼ばれる。オガサワラ グロもそうした変化に対応して繁殖する ノスリは小笠原諸島の父島と母島に生息 と考えられる。繁歹 i 堋にも採食縄ばりを し、本土の亜種と比較して羽色は淡色て、、 持たず、巣やねぐらのごく近くを防衛す 体は少し小さい。丘陵部に発生する斜面 るだけて、ある。雌個劦力して雛に餌を運 かっしよう 上昇風を利用して滑翔しているのがよ び、巣立ち後もかなり長いあいた帯鳥に く見られるが、個イ櫢は多くない。生活 給餌する。夜間、枝上て、雌雄 2 羽が体を 史や繁殖生態、採食生態、個体数の現状 くつつけてねぐらをとる。 など、まだよくわかっていない 小笠原諸島が日本に返還されて間もな 小笠原諸島は大洋島て、あり、海によっ い昭和 44 年には、母島に 3000 ~ 4000 羽の て大陸や本島からド色されているため数 メグロが生息すると推定された。丘、 多くの特産種や特産亜種が分化した。 同一方法による推定は試みられていない れらのうち、人間が住みつくようになっ が、島て、人間の居住地が拡大し、道路が てから、すて、に数種が糸色威した。ノスリ 延長されて生息環境が変化した結果、か は広い行動囲をもつのて、、オガサワラ なり減少したものと推測される。小笠原 ノスリを保護するためには、好適な生息 諸島は、工諸島とならんて、、日本が世 地を広く保存する必要がある。 界に誇りかっ保存すべき生物進化の実験 場て、、メグロは小笠原諸島を代表する生 かくらん 物て、ある。島の生物相が外部からの攪乱 ( 長谷川博 ) オガサワラノスリ 囮昭和 46 年 5 月円日 所 ( 東京都小笠原村 ) ミスナギドリ 全体に細長く、特 に基半部が長い。 ノスリ 全体に幅広で長い。初 列風切羽 ( 矢印 ) を使っ て上昇気流に乗る はちゅう キジ 速い羽ばたきで短 い距離を飛ぶ ツ / ヾメ 先端部が長く、長距 離飛行に適している 代表的な翼の形 ひな ( 長谷川博 ) 鳥類・ 105

9. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

2 枚少なく、鳴き声 ( さえずり ) がはっき ルリカケス いりおもて り異なる。南西諸島南部の西表島や台 指大正田年 3 月 3 日 湾には、からだの小さい亜種コトラッグ 所 ( 鹿児島県 ) ミが生息している。繁殖や生態について 置鹿児島県 はほとんど調査されていない。他の特産 りゆうきゅう 琉球諸島北部の奄美大島には、特産 種・特産亜種の場合と同様、照葉樹原生 林の保存がオオトラツツミの保護につな の生物種や亜種が多く生息する。ルリカ ケスもここだけに繁殖する特産種て、、世 ( 長谷川博 ) がる。 界的な珍種て、ある。以前には徳之島に生 息していたというが、丘はまったく観 察されていない 名前のとおり、頭・翼・尾がルリ紫色 て、、背と腹は赤栗色の美しい鳥て、ある。 全長は約 38 センチあり、カケスよりも大 きい。スダジイ ( イタジイ ) やタブノキの よく茂る亜滞照葉樹原生林にすみ、大 木の同や幹のすき間に営巣し、 1 巣に 4 ~ 5 卵を産む。近年、本家部や開墾し た畑地、集落の周辺て、見られることが多 くなり、人家のすき間に巣をつくる例も 出てきた。これは原生林の伐採にともな う変化だと考えられている。 1900 年代の初めから 20 年代まて、、婦人 帽の装飾用にルリカケスの羽毛が珍重さ れ、多数捕獲されて欧米に輸出された。 0 また生物標本としてもかなりたくさん捕 獲された。近年、生息地て、ある照葉樹林 が伐採されて営巣に適した大木も減少し たため、個体数が減少している。 この種の生態や行動、生活史はほとん ど研究されていない。また、生息価 If 櫢 の概数も調査されてはいない。早急に調 査・研究し、分類学的な検討をすること も必要て、ある。奄美大寺産種や特産亜 種 *ef 隻するため、おもな生息地は天然 ー矍区域に指定されている。この面積を 拡大し、各地に配置することが必要て、あ ( 長谷川博 ) あまみ 南西諸島の鳥類分布 ・種子島 カラスイ、。、 アカヒゲ ・屋久島 アカヒゲ , 、カラスパ第ト、 ・吐﨟列島 中ヒ ・奄美大島 アカヒゲルリカケネ オーストンオオアカゲチ オオトラッグミ ・徳之島 アカヒゲ ルリカケス ( ? ) ・沖縄島 アカヒゲカラスパ、 ャンパルクイナ ノグチゲテ、 ・座間味島 カスを、 慶良間列島 ・小浜島、 天然記念物に指定されている鳥類 のうち , 南西諸島に生息・分布す るものを図示した。カラスパトは 亜種カラスパトとヨナクニカラス バトを含めて , 生息の記録のある 島をあげている。リュウキュウキ ンバトは便宜上 , キンバトと表示 ( 編集柳澤紀夫 ) ・尖閣諸島 ーを・を。アボウドリ ・鳩間島 キンパト ・西表島 アカヒケ。カラス / 、ド カンムリワみ。キンパ下 ・竹富島 ・黒島 , キンバト ・与那国島 。、キンパト アカヒケ カラス , 、ト、・仲の神島海鳥繁殖地 ( カツオドリ。にセグロアジサシマミジロアジサシ カンムリワシ - グロアジサシオオミズナギドリなど ) キンみ、 ・宮古島 カラスパト ・石垣島 アカヒケカラスパト カンムリワシキンパト 200km 0 鳥類・ 113

10. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

ニホンザルの生態 ニホンザルは、霊長目オナガザノ斗マカク属に分類される日本固有の動物て、ある。 マカク属は、サル類の中て最も分布域の広い属て、あり、中国・東南アジア・インドお よび北アフリカに分布している。食べ物を一日勺に溜めておくことのて、きる頬ぶくろ と左右に分かれた尻だこ、 10 センチほどの短い尾、交尾期には鮮やかな紅色になる顔 こうがん や尻、睾丸などは、ニホンザルの形態上の特色て、ある。 ニホンザルはヒマラヤにすむハヌマン・ラングールと共に、積雪地にも生息する例 の少ないサルて、あり、またサルの中て、は世界て最も北に位置している。ニホンザルの 分布域の北端 ( 青森県下北半島、北緯 41 度 20 分 ) は、同時に世界のサル類の分布域の最 北限て、ある。ニホンザルが最初に天然記勿に指定されたのは、宮崎県幸島 ( 昭和 9 年 ) て、あった。またここて、ニホンザルの研究が昭和 20 年代の初めに開始された。それ以 来、 30 年間以上にわたって継続された研究によって、ニホンザルの群れの構造や生態 について数多くの知識カ啾みあげられてきた。 ニホンザルの群れは、 2 頭以上のオトナオスと多数のオトナメスとコドモからなる 社会構造をもち、オトナオスには順位があり、メスとコドモはその母系ごとにまとまっ ていること、ほとんどのオスのコドモは、 3 歳まて、に生まれた群れを離れること、オ トナオスは一つの群れに数年間留まると再び群れを出て行くことなどが明らかとなっ た。また、芋洗いなどに見られる新しい採食行動の拡大などのサルの文化的行動は、 ーヨ殳にもよく知られている。 ニホンザルは、鹿児島県屋久島から下北半島に至る九州・四国・本州とその周辺の 島々に広く分布している。また、農耕よの低山から標高 2000 メートルの高山まて、、 亜滞林から冷温帯林まて、を含む多様な環境下に生息している。ニホンザルの食物と なる植物の種の数は 200 種以上に達するが、亜寒帯林の木を好まない傾向があり、東北 地方て、は亜寒帯林にはニホンザルは生息していない ニホンザルの群れの大きさは、野生状態て、は約 20 頭から 200 頭以内て、あるが、餌づけ された群れて、は、大分県高崎山の場合のように、 1000 頭をこえることがある。 1 群の 年間の行動囲は 1 平方キロ ( 屋久島西海岸 ) から 20 平方キロ ( 下北半島 ) て、あり、 1 日 に移動する距離は最大て、 3 ~ 4 キロて、ある。 1 日の移動距離は冬には短くなる傾向が あり、気温がごく低い場合や吹雪の時には、ほとんど移動しなくなる。 ニホンザルによる農作物に対する害は昭和 40 年代に全国各地て、発生し、近年に至っ てとくに関東以西て、深刻な間題となっている。このため、天然記念牛刎旨定或を中心 に、サルの管理に向けて被害防除の総合的対策が立てられるようになった。 ( 岩野泰三 ) 見はり 供リーダー 物ス メ , と子供ー・解 い .. チプリーダー : 見はり ほお 呑いオス 若いオス・ . ニホンサルの社会 中心部にリーダーと強い雄、赤んばう と子供、次に若い雌と子供、外側に若 い雄と見はりの順に構成される。 26 ・哺乳類