鹿児島県 - みる会図書館


検索対象: 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ
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1. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

大の み美ラ 児オ ドの スイ オé 0 島亜 0 オオトラッグミ ( 鹿児島 ) 罨業大島だけに すみ、全長 30 センチと日本産ッグミのなかて、 は最たトラッグミの亜不軋写真は鹿児島県 立博物館の剥乳 りゆうきゅう 0 リュウキュウキンパト ( 沖縄 ) 琉球列島 南西部の島々に分布する盟滞系の美しい小 あまみ のルリカケス ( 鹿児島 ) 奄美大島だけに生息 する世界的な重。頭や翼、尾が濃いるり色 をしており、きわめて美しい。 ( 写真上下 )

2. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

ゞ、 あまみ 0 アマジクロウサギ ( 鹿児島 ) 原始的なウサギて、あるムカシウサギ亜科に属し、「生きた化石」といわれる。奄美大島と徳之島だけに産する。 あまみ 島・徳之島・沖縄本島北部の原生林にごくわずかに生息する。 ①陟ネズミ ( 鹿児島・河劇 ) 背面が針のような毛て、おおわれた、わが国固有のネズミ。奄美大 0 ケナガネスミ ( 鹿児島・河劇 ) わが国のネズ ミて、は最も大きく、長い尾と鋭い爪のついた 大きな足をもち、樹一ヒ生活に通芯している。

3. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

、きとよばれる長鳴性に優れ、他の日本鶏のうち とうてんこう おながどり 0 東天紅鶏 ( 高知 ) 尾長鶏と同じく高知県て作りだされた鶏肌その姿の美しさとともに て、もとくに名を知られてきた。尾は長く、の羽色と黒色の胸部もあいまて、観賞の眼をいそうひきつけている。 さつまどり じとつ 薩摩鶏 ( 宮崎・鹿児島 ) 体型はきわめて大きく、尾もふさふさと長く美しい。江戸時代に じとつ ①地頭鶏 ( 宮崎・鹿児島 ) 「地頭子」とも表 闘鶏用に作り出された鶏だが、いまて、は観賞用に飼育されている。剣付鶏ともよばれる。 己される。脚が短いのが特彳瓦 1 三目

4. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

ト、ヾ、さ ソテグロヅル ふ、、い 、、い、ヾい マナヅル 曰ヾ、 クロヅル ナベヅル カナダヅル 山口県熊毛町八代にはナベヅルが、鹿 児島県出水市・高尾野町・野田町には 上の 5 種類のツルが渡来する 八代のツルおよび その渡来地 指大正年 3 月 3 日 ( 天 ) 昭和 30 年 2 月日 昭和 30 年 2 月日 昭和 32 年 7 月引日 特別天然記 - へ物 ( 名称変更 ) ( 特天 ) ( 名称変更 ) 熊毛町 所山口県熊毛郡熊毛町 くまげ ( 長谷川博 ) 給餌がおこなわれている。 ている。ここて、もツル監ネ斤が設けられ、 羽になり、その後 70 ~ 100 羽に落ちつい 減ってしまった。昭和 42 年 ( 1967 ) には 65 った。しかし、戦争の混乱て、その後数が に増え、昭和 15 年 ( 1940 ) には 350 羽にな 年 ( 1925 ) には 150 ~ 160 羽、その後もさら 息していた。明治末期には 50 羽、大正 14 たという。明治初年ごろには約 30 羽が生 また、他所から捕獲に来る人をも排除し せて、ツルの捕獲を戒め、保護につとめた。 禁が解かれたが、この或て、は申し合わ ルが渡来していた。明治になって狩猟の ここには、少なくとも江戸日罸 & からツ 田に小群て、飛んて、行き、そこて、ねぐらを る水のはった水田跡や草のない平らな水 食し、夕方、谷筋の奧まったところにあ こともある。盆地の湿田や水田て、採 の数は例年 70 ~ 100 羽て、、年によって少 2 月末に北に帰ってゆく。渡来するツル はナベヅルて、、毎年 10 月 20 日ごろ来て、 のツル渡来地て、ある。ここに渡来するの 320 メートルの盆地は、本州て、ただひとつ 山口県の東南部、熊毛町八代の海抜 鹿児島県のツルおよび か 昭和 34 年 6 月 3 日 ( 一部解除 ) 昭和 28 年Ⅱ月図日 ( 名称変更 ) 昭和 27 年 3 月 29 日 ( 特天 ) 昭和 27 年 3 月 29 日 脂大正田年 3 月 3 日 ( 天 ) その渡来地 特別天然記今物 ( 名称変更 ) 置出水市・高尾野町・野田町 野田町 所鹿児島県出水市・出水郡高尾野町・ ル、 l•l 南西部、八毎に面する鹿児島県 いずみ 出水の湿地帯には、毎年およそ 8000 羽の ツルが渡来し、越冬している。この地方 にツルが来ることは 1700 年ごろから知 あらさき あくわ られ、出水の荒崎のほか、近くの阿久根 にも渡来していた。 この一帯に渡来するツルはナベヅルと マナヅルがおもて、、このほかにクロヅル やソデグロヅル・カナダヅル・タンチョ ウ・アネハヅルの記録がある。毎年、 10 月中旬に渡ってきて、 3 月下旬まて、滞在 する。 ナベヅルはユーラシア東北部のバイカ ル湖付近やモンゴル北部、アムール川中 ~ 或、中国東北部、ウスリー地方の湿原 て繁殖し、冬季に中国揚子江下 ~ 或や朝 鮮半島、ル、 l'l の出水や山口県熊毛町八代 に渡って越冬する。出水には丘 7000 羽 をこえるナベヅルが訪れ、貢毛には 70 ~ 100 羽が渡来している。大陸や朝鮮て、の現 状はじゅうぶんに調査されてはいない が、よ厩長十 . に生息するナベヅルの大部分 が出水に集中しているのて、はないかと推 測されている。 また、マナヅルもユーラシア東北部の 湿原地帯て繁殖し、モンゴル東北部から アムール川中流、ウスリー地方に分布す る。冬季には撈子江下流域や九リ、トに渡り、 湿地帯て、生活する。出水への渡来数は最 近 1000 羽をこえた。 ツルの仲間も、明治になってから狩猟 が一ヨ殳人に解放された結果、舌リ隻されて 咸した。昭和 15 年 ( 1940 ) には出水地方 て、ナベヅル約 3500 羽、マナヅル 500 羽が 渡来していたが、戦中戦後の混乱期のあ との昭和 25 年 ( 1950 ) 前後にはナベヅル が 200 ~ 300 羽、マナヅルが 20 ~ 30 羽渡来 するだけになってしまった。その後、昭 和 34 年 ( 1959 ) に出水の荒崎て、人工給餌 が始められ、渡来数は着実に増加して いった。そのころナベヅル 375 羽、マナヅ ル 45 羽て、あったが、昭和 45 年 ( 1970 ) には ナベヅル 2072 羽、マナヅル 257 羽に、さら に昭和 55 年 ( 1980 ) にはナベヅル 427 芻ヨ、 マナヅル 1318 羽が数えられるほどに 74 ・鳥類

5. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

艮県と山口県て、かなり古くから飼育 土佐のオナガドリ 特別天然記念物 されてきた、黒い羽色をした中型の鶏て、 囮大正に年 3 月 7 日 ( 天 ) ある。長鳴性のあることや尾羽が長く伸 昭和 27 年 3 月 29 日 ( 名称変更 ) びる形質をもっていることから、小国鶏 昭和 27 年 3 月 29 日 ( 特天 ) 所 ( 高知県 ) の系統て、あるとされているが、その成立 置南国市 過程についてはよくわかっていない。同 じ地方に白柏、赤柏と呼ばれる近縁の 鶏種も飼育されていたが、現在て、はほと 日本に現存する在来鶏は 30 種をくだ らないが、このうち世界的にももっとも んど姿を消したらしい ( 花井正光 ) おながどり 有名な鶏種が尾長鶏て、ある。高知県て江 戸時代には成立していたこの鶏は、その とうてんこう 東天紅鶏 尾カ墸しく長く、ときに 12 メートルにも 指昭和Ⅱ年 9 月 3 日 たっすることがある。 ( 高知県 ) 尾羽は生えかわる ( 換羽 ) のがふつうて、 置高知県 あるが、突然変異によって獲得された、 換羽せずに伸び続ける性質が人為的に固 尾長鶏とともに高知県て作りだされた 定された結果、著しい長尾性が作りださ 鶏として、他の多くの在来鶏のうちて、も れたものて、ある。 とくに名の知られた鶏種て、あって、江戸 長い尾を途中て損うことなく伸ばし続 時代には成立していたとされる。 けるには、飼育者側の工夫が不可欠て、 ときと称される長鳴性において在来鶏 あった。止箱と称される飼育器の考案が のうちて最も優れており、ひと声が 25 秒 その最たるものて、あろう。 1 羽のみを収 にもたっすることがあるという。ときの 容し、自由な動きを極端に抑制すること 長い鶏を選抜して育種を重ねた結果作り のて、きる止箱による飼育法の改良が、鶏 だされたものて、、海外においてもこの例 の育種と相まって今日の尾長鶏を作りだ はなく、大いに注目される鶏種て、ある。 したのて、ある。 また、この鶏は尾が長く、赤笹の羽色も また、交配時には尾の損傷をまぬがれ 手伝って観賞の眼をいっそうひきつけて ないのて、、繁殖にはあらかじめその兄弟 いる。この長尾性は尾長鶏とも共通して 鶏を用意することなどの配慮も欠かせな おり、両鶏種が近糸ご、尾長鶏の祖先て、 い。このような一連の飼育技術を要する ある可能性カ甘商されている。 ことから、他の鶏種と異なり、その飼育 なお、雄のときの長さはかなり高い遺 は一部の或て、伝統的に継承される傾向 伝性を示すことがわかっている。 を強めることとなっている。高知県南国 ( 花井正光 ) 市にその大半が現存することから、やや 広域て、はあるが指定名称に或名が付さ れているのて、ある。 ( 花井正光 ) じとっ かんう 餌入 ( 水入・餌入 ) 止まり木 引出式 E00 、【 とばそ とめばこ 18cm 正面図 80.3cm 右側面図 尾長鶏の止箱見取図 あかざさ なんこく 地頭鶏 昭和田年 8 月 24 日 所 ( 鹿児島県 ) 闇鹿児島県 ふつう、リ師頁子」とも書かれる、鹿児 島・宮崎両県て作りだされた鶏種て、短 い脚が牛て、ある。地鶏系統の鶏との見 方もあるが、その起源はよくわかってい くろかしわ 黒柏鶏 囮昭和 26 年 6 月 9 日 所 ( 島根県・山口県 ) 闇島根県・山口県 154 ・鳥類

6. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

編集協力 ( 順不同 ) 山階鳥類研究所 鹿児島県立博物館 鹿児島市平川動物公園 日本自然保護協会 日本大保存会 日本大保存会高知支部 秋田大保存会 日本野鳥の会 日本野生生物研究センター 島津観光株式会社磯庭園 日本鳥類保護連盟 日本鳥学会 プロダクション未来 ジャノヾック 野生圏 MO フォトス 新峰社 堤恭彦 古木誠 中井春治 門田忠夫 浦田明夫 木下陽一 川井和則 浜富雄 嶋崎淑彦 嘉納辰彦 砂川菊子 吉行端子 石塚彬丸 ポンカラーフォトェイジェンシー キュウフォトインターナショナル 宮古市教育委員会 釜石市教育委員会 羽幌町教育委員会 北上町教育委員会 いわき市教育委員会 岩泉町教育委員会 出水市教育委員会 岩国市教育委員会 豊浦町教育委員会 防府市教育委員会 石川県教育委員会 厚岸町教育委員会 大館市教育委員会 J O 東北カラーエイジェンシー オリオンプレス ひまわり 小黒企画 光陽フォトオフィス フォトライプラリー明星 アニマノレフォト ネイチャーフォトライプラリー ネイチャープロダクション 下田村教育委員会 猪苗代町教育委員会 美濃市教育委員会 尾上町役場 上屋久町教育委員会 根室市教育委員会 北海道教育委員会 竹富町教育委員会 浦和市教育委員会 奈良県教育委員会 奈良市教育委員会 鹿児島県東京観光物産事務所 文化庁文化財保護部記念物課 ・参考文献 「天然記念物事典』 ( 第一法規 ) 「史跡名勝天然記念物指定目録コ ( 第一法規 ) 『全国遺跡地図』 ( 国土地理協会 ) ・作図・製図 浅井粂男 木村図芸社 さくら工芸社 ・写植 ナグ

7. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

、 1- 物 4 はちじよう・まみ ①アカコッコ ( 東京・鹿児島 ) 八丈暠や一 宅島、青ヶ島など伊豆諸島南部に一年中生息 する、日本固有の鳥。 やけじまあおしま 0 カササギ生息地 ( 福岡・佐賀 ) カササギは、豊臣秀吉の朝魚殳のとき藩主が持ち帰ったことから繁殖したといわれ、佐賀平野一帯だけにす はくはん む。カラスより小型て、尾が長く、黒い翼には白斑があり、たいへん美しい。また高木に球形の巣 ( 写真右 ) をつくることても知られる。 ①イイジマムシクイ ( 東京・鹿児島・沖縄 ) ウグイス科に属する日本固有の鳥。生息地は離島 よなくに にかぎられており、伊豆諸島て、繁殖し、冬は沖縄・宮・与那国などて、越冬する。 ①越ヶ谷のシラコバト ( 埼玉 ) 淡い灰褐色の 小型のハトて、、越谷市の雑木林などにすむ。

8. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

つる、植林されたスギの新芽や樹皮も食 アマミノクロウサギ特別天然記念物 べることが確認されており、一時その食 指大正田年 3 月 3 日 ( 天 ) 害が問題視されたことがある。天敵とな 昭和 38 年 7 月 4 日 ( 特天 ) る捕食動肋は分布していないが、野生化 所 ( 鹿児島県 ) したノイヌとノネコが天敢の役割を果た 鹿児島県 していることは十分に考えられる。もと 耳と後足が短く、前足の爪がよく上 もと天敵としての捕食重丿をもたないア している姿は、ふつうに見かけるウサギ マミノクロウサギにとって、野生化した のそれとは明らかに違っていることは、 これら家畜の脅威は無視て、きないもの 初めて見る人て、も気づくはずて、ある。ア て、、保護管止の重要な間題点となって マミノクロウサギは、島嶼を除いた全国 いる。 の山地や平地に広く分布しているノウサ 森林資源の開発による生息適地の縮小 ギとは全く異なる系統に属している。 から、生息数の著しい減少が心配され、 とくの あまみ 国際自然保護連合 ( IUCN ) が発刊してい 工剏衣列島北部の奄美大島と徳之島だけ る "RED DATA BOOK" に絶滅に瀕 に生息するこのウサギは、たがいに遠く している重加勿として記載されたことがあ 隔たって分布する中南米のメキシコウサ ギと南アフリカのアカウサギの 2 種とと もに、ムカシウサギ亜科に分類される。 昭和 51 年 ( 1976 ) に鹿児島県が実施し その特異な分布て、国際的に注目されてい た調査て、は、奄美大島て、の推定生息数が ることが、特別天然記念物の指定理由て、 1000 以上 1 万以下と報告され、絶滅の危 もある。この仲間は、古いタイプの重丿肋 険匪はひとまず否定されている。奄美大 が遺存的に生き残ることの多い島と高山 島て、は北東部の一部の或を除いたほば 地帯とに分布すること、生態や形態の面 全域て、生息するとみられているのに対 て、も原始的な性質を留めていることか し、徳之島て、は姿を確認した人の数も著 ら、その名のとおり現生のウサギ類のう しく少なく、生息数の減少が心配されて ちもっとも古い系統とみられ、いわば生 いる。 ( 花井正光 ) きた化石として重要視されている。 アマミノクロウサギは、シイやカシが 繁茂する森林に生息し、日中は巣穴て、す ごし夜間に活動することが多いらしい が、その生態はまだよくわかっていない 巣穴は、強い爪て地下にトンネルを掘る ほか、岩のすき間にて、きる穴や同も利 用している。出産も巣穴て、おこなわれる 一腹の仔数はふつう 1 仔て、、毛の生 えない未上な発育段階て生まれる。哺 奄美大島・徳之島・沖縄島に限って分 布する大型のネズミて、、背面に平たくて 育期間はその分だけ長くなるが、 こうし た繁歹直様式は穴居性て汐攵からより安全 堅い針状の毛をもっことからこの和名が にのがれることがて、きることと無関係て、 つけられた。シイやカシの大木がある森 林にすみ、夜間にドングリ類その他の樹 はない 食性は植物食て、、草本て、はススキ、木 木の種子を食べること、巣穴は樹の根の 本て、はイヌビワ・アカメガシワ・シイの すき間に土穴をほってつくられること、 ほか多くの樹木の若芽や樹皮、果実など 一腹の仔の数は 5 ~ 10 頭て、あることな どが観察されている。また、ケナガネズ が観察されており、木本値物により多く 依存しているらしい。サツマイモの葉や ミほどて、はないが、樹上を利用すること 門歯 前臼歯 臼歯 ネズミの門歯 ー対の門歯は頭蓋骨に深く入り 込んでいて、一生のび続ける。 エナメル質 ゾウゲ質 とネズミの門歯 人間の門歯 ネズミの門歯のエナメル質は、 その前面だけにある。 トゲネズミ 指昭和 47 年 5 月日 所 ( 鹿児島県・沖縄県 ) あまみ ほ いく 38 ・哺乳類

9. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

①オガサワラオオコウモリ ( 東京 ) 小笠原諸島の特産種て、、南硫黄島て、多数みられる。 0 ダイトウオオコウモリ ( 沖縄 ) 南北両大東島だけにすむオオコウモリ。日中はビロウなどの樹 - E に群れをなしてぶらさがり、夜 ~ 龕力する。 だいとうじま ①工ラブオオコウモリ ( 鹿児島 ) 平川重勿公園。 二、 7 、 44 ・哺乳類

10. 日本の天然記念物 1 動物Ⅰ

尾長鶏の飼育 世界に誇る土佐のオナガドリも、江戸日罸にの末期まて、は きた。 昔は家の軒に止まり木を置いて飼ったと伝えるが、大正 唯もその存在を知らなかった。 とめばこ 期になると、尾羽の伸長を助長するために「止箱」という工 江戸日罸にの諸大名は、徳川幕府の制度として、隔年に所 夫した飼育装置を使用するようになり、一段と尾羽が伸び 領地より江戸へ出府しなければならなかった。この参勤交 たという。現在の「止箱」は、高さ 1.7 メートル、幅、奧行き 代は、石高に応じた供を揃えた大行列て註復するのて、ある。 とも鶏 1 羽を入れる程度の縦長の木箱て、、その上部に鶏を 大行列の先頭には、どこの大名とすぐに分かる派手な飾り 止まらせて給餌・糸トの設備をつけて飼い、鶏の尾羽は後 鞘を付けた長槍を立てて進んだのて、、各大名は競って、目 方に長く垂らしたままて、、伸びるにつれて緩く巻いて箱の を惹くように虎や豹の皮まて飾りつけたが、多くは鶏の尾 下部に懸け、損傷しないようにして大切に飼育してゆくの 羽を飾った鳥毛鞘の長槍が用いられていた。その中て、、土 やまのうち て、ある ( 154 ページの図参照 ) 。 佐藩山内侯の鳥毛槍は群を抜いて豪華だったのて、、人々 また箱の中の鶏はあまり運動をさせないものて、あるが、 の評判を集めたという。土佐藩の鳥毛槍は尾長鶏の尾羽て、 ひとく 軽い運動をさせる時は庭に出し、飼い主は長い尾を手に巻 飾ったものて、あったが、土佐藩は尾長鶏の存在を厳に秘匿 いて持ち、後から随って歩き、尾の損傷を防ぐのて、ある。 して、鶏はもちろん、卵さえ藩外へ持ち出すことを厳禁し、 このように飼育すると、尾羽は換羽せずに毎年 1 メートル 犯す者は打ち首の刑にしたという話さえ伝えられている。 くらいずっ美しく伸びてゆく。 近年に至って尾羽の長さが 12 メートルに達する尾長鶏 尾長鶏を解説した外国書の中には、毎日絶えず尾を軽く も作られたが、昔からこのように尾羽の長い鶏が飼われて 引きつづけて長くするとか、特殊な方法て、尾羽を接ぎ合わ いたわけて、はない。古言剥こよると、天ー刹寺代の尾羽の長 せるとか誤記されたが、今て、は海外て、も「ヨコハマ」と名を さは 2 メートルほどと推定され、明治時代て、は 3 メートル つけて、尾長鶏を愛養している。明治の初めに横浜港から くらいが -- ヨ殳て、あったが、大正期以降には急に長くなり、 ョーロッパに輸出されたからて、ある。 ( 山口健児 ) 昭和に入って、 7 メートルを越す鶏も現れるようになって 11 一口 こくだか ざや ひょう かんう 』師頁鶏のような短脚の鶏は、跳び上が さつまどり 薩摩鶏 ることがて、きず、田畑に放し飼いしても 指昭和田年 8 月 24 日 稲や支の穂を荒らされる心配もなく、む 所 ( 鹿児島県 ) しろ雑草や害虫を食べてくれるなど益に 間鹿児島県 なるところが大きく、農家て、は重宝がら とうけい れたという。よ加頁鶏に」家の短脚種て、「地 江戸日罸 & に鹿児島地方て、闘鶏用に作り すり」と呼ばれた鶏カ本県て、も作りだ だされた鶏て、あるが、現在て、はもつばら されるなど、かっては各地て、短脚の鶏が 観賞用として飼育されている。 見られた。 体つきがきわめて大きく風貎も勇まし ( 花井正光 ) いが、さらに脚に鉄製の剣をつけて闘鶏 けんつけどり にもちいた。この鶏を別名「剣付鶏」と呼 んだのはこのためて、ある。 ( 花井正光 ) ふうばう 鳥類・ 155