爬虫類 爬虫類はヘビ・トカゲ・カメ類などの仲間のことて、ある。浦島太郎を思わせる大型のウミガメ類が上陸し、卵を産める ような海岸は、日本て、は極端に少なくなってきているのが現状て、ある。ウミガメの産卵地として指定されているのは 2 件だ が、他にも好適な海浜がないわけて、はない。これらの海岸もカメの安泰な産卵地として守り続ける必要があるだろう。沖 縄には固有のリクガメが生息し、特異なものとしては「岩国のシロへビ」が指定されている。 日本のウミカメ べっこう 1 シーズ 砂をかけて産卵地点を隠してから海へ戻る。 1 頭の雌は 2 ~ 3 週間おきに 卵し、 12 固前後のことが多い。適切な砂浜を選び、肢て穴を掘って産卵した後、再び アカウミガメは沖合いて、交尾し、雌だけが上陸して産卵する。 1 度に 60 ~ 34 固を産 域て、の主要な産卵地なのて、、特にその保護は国際的にも責任が大きい の北限の茨城県、日本海岸の北限の石川県にまて産卵場がある。日本は西部太平 ~ 翁毎 アカウミガメは最も高緯度地方に分布の中心をもっウミガメて、、日本て、も太平洋岸 八重山・屋久島に産卵上陸し、世界て、の産卵北限て、ある。 の油が緑色を帯びていることに由来する。食料としても重要て、ある。日本て、は小笠原・ オウミガメは古くから正覚坊の名て、親しまれている。アオウミガメの名は、このカメ しようかくばう こはこの種の産卵場分布の北限に近い。ア て、ごくわずか繁殖しているに過ぎない タイマイは、鼈甲原料として使われる。帯性のウミガメて、、日本て、は八重山諸島 やえやま 地の一矍は単なる国内的な問題にとどまらない くなってきており、国際的な保言難カ物となっている。資源としても重要なのて、、産卵 はアカウミガメ・アオウミガメ・タイマイの 3 種て、ある。ウミガメ類はどれもが少な タイマイの 5 種の海棲カメが発見されている。そのうち、日本に上陸して産卵するの 日本の近海て、はオサガメ・アカウミガメ・オリープヒメウミガメ・アオウミガメ・ く、カメ類の生息に好適な条件を具えて 日本産の他のカメは、すべて中国大陸 等に同一種が分布しているが、ニホンイ シガメは唯一の日本固有種て、ある。本 州・四国・九州とその属島とに分布し、 古い日罸弋に祖先種が日本にやってきて、 日本て、分化したものらしい。元来は けいりゆう 渓流等の澄んだ水を好むようて、、クサ ガメやミシシッヒ。アカミミガメ等よりも 水質の汚染に弱く、数が減りつつある。 かわって勢力を拡げ、少なくとも大都市 付近て、は最も普通のカメになりつつある のが、北米原産て、瓰丘帰化したミシシッ ピアカミミガメて、ある。飼いきれなく なって放すのが原因なのて、、自然保護の ためにも慎みたい おおはま ( 千石正一 ) ンに何回か産卵する。 おまえざき 御前崎のウミガメ およびその産卵地 脂昭和 55 年 3 月 6 日 所静岡県榛原郡御前崎町 御前崎町 約 2 キロの御前崎海岸一帯に、毎年 6 月から 8 月にかけて約 100 頭のアカウミ ガメが産卵のため上陸する。御前崎には 「カメの枕の屯という言い伝えがあ り、ウミガメは大漁の神とされていた。 なお、ウミガメは産卵時に涙を流すとい われるが、これは涙て、はなく、常時分泌 ( 千石正一 ) しているものて、ある。 18 ・爬虫類 ( 千石正一 ) 見島のカメ生息地 指昭和 3 年 9 月 20 日 ( 天 ) みしま いけ 模は小さいが水田と溜め池が非常に多 て、、「片くの ~ に特に多い。この島は規 ているカメはニホンイシガメとクサガメ こに分布し の生物相が遺存している。 よって島となった。したがって、本リ、 N 系 て、あったが、第四紀に日本海の沈降に メートルて、ある。もともとは本州の一部 て、、周囲 18 キロ、最高地点の標高は 175 見島は萩市の北約 45 キロにある孤島 闇萩市 所山口県萩市見島 昭和 32 年 7 月引日 ( 名称変更 ) 大浜海岸のウミガメおよび その産卵地 指昭和 42 年 8 月田日 所徳島県海部郡日和佐町 日和佐町 大浜海岸は太平洋に面した約 500 メー トルの砂浜て、、毎年夏には数十頭から百 数十頭のアカウミガメが産卵上陸する。 朝堤や沿岸道路の建設等て産卵に適し ひわさ た砂浜が減少したため、日和佐町て、は保 護刹列を作成し、監視と保護を行ってい る。なお、ともにウミガメの産卵地とい うことて、、同町はオーストラリアのケア ンズと姉妹都市関係にある。 ( 千石正一 )
監修 加藤陸奧雄 東北大学名誉教授 沼田眞 千葉大学名誉教授・日本植物学会会長 渡部景隆 筑波大学名誉教授 畑正憲 作家・日本自然保護協会理事
昆虫類 昆虫類は節足動物の中て、大きな部分を占めている。日本は自然環境が豊かて、、植生の変化に富んて、いるのて、、昆 虫類も豊富て、ある。昆虫類て次然記念物に指定されているものは 33 件あるが、なかて、も北海道の高山蝶 5 件、小笠 原固有の昆虫 10 件は注目すべきて、あろう。またセミの発生地が 4 件、ゲンジボタル発生地が 10 件みられるが、これ らはその昆虫が日本人の美意識や心情と深く結びついてきた歴史をふまえたものといえよう。昆虫類は概してか弱い生き 物て、ある。生活環境の破壊はすぐさま彼らの生存をおびやかすことになる。生存を保障する対策カまれる。 ヒメチャマダラセセリ 指昭和 50 年 2 月日 所 ( 北海道 ) 鱗翅目セセリチョウ科チャマダラセセ リ亜科に属する小形の蝶て、、本種の属す る D. g 属は北半球中・北部に種が多 いが、日本産は本種とチャマダラセセリ の 2 種のみて、ある。翅の開張は 20 ミリ内 外。表面は黒褐色て、小形の白点をちりば め、これらは前翅て、は互い違いにほぼ 3 列に、後翅て、は 2 列に配列される。翅の 裏面は淡い緑褐色、表面によく似た白斑 をあらわす。翅の縁毛は白黒の莫橋 チャマダラセセリに似るが小形て、、前翅 表面の基部後丘くに 1 白斑を、タ彖部 の後方に 2 ~ 3 個の白斑をあらわし、後 翅裏面は赤褐色味を帯びない。和名は小 形のチャマダラセセリ ( 茶褐色て、まだら 模様をもっセセリチョウ ) の意味て、ある。 ゴイシッパメシジミと同様に、日本か ら最も新しく ( 1973 年 ) 発見された蝶の 1 種て、、国外て、はヨーロッパから中国東 北部、朝鮮半島にわたるユーラシア大陸 の北部に広く分布しているが、日本て、は 北海道の日高山脈南端部のアポイ岳とそ の近くの山地に限られている ( 十勝支庁 おす 三国峠て、の 1 雄の言求があるが、その後 再発見されていない ) 。この或は高度は 低い ( 700 ~ 800 メートル ) が、文岩地帯 て、あることも一因となって、高山性お花 畑が上し、本種はこのような草原に生 息している。 成虫は年 1 回、 5 月中句 ~ 6 月中句に 44 ・昆虫類 りんし 発生し、高山性草原 ( 標高 600 ~ 700 メー ひしよう トル ) の地お丘くを活発に飛翔し、アポイ アズマギク・チングルマ・サマニュキワ リ等の花蜜を吸う。幼虫の食草はバラ科 のキンロバイ、稀に同科のキジムシロも 食う。母蝶は食草の葉裏に 1 個ずっ産卵 し、幼虫は食草の葉を綴って粗い巣を作 さなぎ り、この中にひそむ。蛹て越冬する。 世界的には珍しい種て、はないが、わが 国て、唯一分布しているアポイ岳周辺は、 本種の生息環境となる高山性草原が狭い 或にしか発達していない。乱獲によっ て糸威することが予想されるのて、、不耐旨 定の天然記念物にされた。 ( 三枝豊平 ) キイロウスパアゲハともいう。鱗翅目 アゲハチョウ科ウスパアゲハ亜科に属す るやや大形の蝶て、ある。本種の属する 川 s / 属は、主にユーラシア大陸 中・北部高地の乾燥地に生息し、一部は 北米にも分布し、日本にも本種のほかに ウスノヾアゲハ・ヒメウスノヾアゲハの 2 種 を産する。いずれも翅形は円味が強く、 後翅には尾状突起を欠き、鱗粉の密度が 低く、半透明の感じをあたえる。本種本 属としては例タ勺に翅が淡黄色て、、翅脈 ウスパキチョウ 指昭和 40 年 5 月に日 所 ( 北海道 ) りんし く糸剥られた顕著な赤紋をあらわす。翅 翅の中央部、前縁中央部、肛角部近くに 4 条、後翅には 1 条の暗色条があり、後 は細く黒色、翅の基部は暗色、前翅には 開張 50 ~ 60 ミリ内外、和名は翅が半透明 て罇い感じをあたえることと、黄色の地 色にもとづく。 国内て、は北海道中央部の大雪山系や石 おとふけ 狩岳・音更山・ヨ - ・勝岳・富良野岳等の約 1500 メートル以止の高山帯に分布する。 がんれき 生息場所は高山帯の主に岩礫地帯。成虫 は年 1 回夏季に発生し、 7 月中句が最盛 期となる。成虫はお花畑や岩礫地の上を やや高く活発に飛翔し、イワウメ・ミネ ズオウ・エゾノッガザクラ等の花蜜を吸 う。卵は主に食草の周囲の礫の下面等に 1 個ずっ産み付けられ、年内に 1 齢幼虫 が完成するが、そのまま卵内にとどまっ て越冬し、翌幇ヒし、唯一の食草て、あ るコマクサ ( ケシ科 ) の若芽を摂食する。 成長した幼虫は黒褐色て、黒毛を密生し、 つばみ 花や蕾も好んて、食い、しばしは礫の上て、 日光浴をしている。夏の終わりには老熟 まゆ して、礫の下面等の凹みに褐色の繭を営 ようか んて蛹化し、そのまま 2 年目の冬を越し、 3 年目の初夏に羽化してくる。 本種は日本産蝶類の中て、は最も寒帯的 な種の一つて、、分布も北海道中央部の高 山帯に局限された極めて貴重な種て、あっ て、天然記念物に指定されている。本種 の生息地はいずれも生息環境が十分保全 されており、大雪山系て、は、広発生 量も増加しているという。 ( 三枝豊平 ) ダイセッタカネヒカゲ 指昭和 40 年 5 月に日 所 ( 北海道 )
尾瀬にみられる貴重植物 ` 至仏山 見本園山ノ鼻山ノ鼻田代 川上川 上田代 上ノ大堀川 西 尾瀬ヶ原の展望 た ノサワトンボ、・ヤチランなどを産する。 オゼヌマスゲ・ミヤマホタルイ・ミクリゼキショウ・オゼ ソノヾタマミクリ・ホロムイソウ・ホソノヾノシノヾナ・ヒロノ、 ノオ・コツマトリソウ・コタヌキモ・ヤチコタヌキモ・ホ チッポスミレ・スギナモ・ヒメッルコケモモ・ヤナギトラ なャチスギラン・ヤチャナギ・クロバナロウゲ・オオバタ ・オゼニガナ・オゼザサ・オゼイヌノヒゲ、分布上重要 には特産種て、あるシロノヾナヒメシャクナゲ・オゼヌマアザ り、太い地下茎が横に伸びる特徴がある。このほか湿原内 称する尾沖第与産種て、ある。茎や葉裏にビロード状の毛があ 見されたハクサンタイゲキの変種て、、オゼヌマタイゲキと 草がみられる。昭和 22 年 ( 194 のに古沢潔夫氏によって発 よい湿性草地に高さ 40 ~ 80 センチのタカトウダイに似た スプーン状のサジバモウセンゴケもみられる。日当たりの ある。なお本種とモウセンゴケとの自然交雑種に、葉形が する稀品て、ある。隔離分布型の南限種として貴重な植物て、 み入った早田文蔵博士が発見し、日本て、は北海道のみに産 よぶ。明治 31 年 ( 1898 ) に植物学者として初めて尾瀬に踏 た花序の最項部に 1 花ずつ上向きに咲き、次第に先端にお ゴケカ硴開く。白色の径 8 ミリ内外の 5 弁花て、、先が巻い ~ 20 センチのヘら状の葉を直立させるナガバノモウセン キ致がある。ほば同じ頃に高層湿原の小凹地には、高さ 10 水河期残存の貴重植物て、、楯形の本頁工色て、ある点に た。尾瀬のほか山形県月山のみに隔離分布する日本固有の がっさん ( 195D に原寛博士によってネムロコウホネの変種とされ 12 年 ( 1937 ) に三木茂博士カ斤種として図説し、昭和 26 年 3 センチの花が水面から突き出て咲く。この植物は、昭和 代・中田代の夏雲を浮かべたやや深い池に、黄色の径 2 ~ まず尾瀬ヶ原て、の筆頭はオゼコウホネて、あろう。上田 物など貴重な植物が生育している。 その他多数の日本固有種・高山植物・蛇紋岩植物・食虫植 じゃもんがん の中に特産種 7 種、原産種 36 種、南限種 6 種、北限種 1 種、 尾瀬にはシダ以上の高等植物だけて、約 800 種を数え、そ 中田代 しぶつ 竜宮 沼尻川 下田代 燧岳′ 東 見晴らし 至仏山は日本屈指の高山植物の宝庫て、ある。オゼソウは 昭和 4 年 ( 1929 ) に原寛博士が発見、翌年に中井猛之進博 士が新属辛重として発表、分類学上話題を呼んだ。日当た りのよい湿性草地に群生する高さ 10 ~ 15 センチの、一見ス ゲに似るが、実は黄緑色の径 5 ミリほどの小花を糸羽大につ けるユリ科の植物て、ある。至仏山と谷川岳のみに産する古 い起源をもつ文岩残存植物て、ある。アルプスの名花工ー デルワイスに近いホソバヒナウスユキソウも至仏山と谷川 がんれき 岳の岩礫地にみられる文岩変形の高山植物て、ある。昭和 3 年 ( 1928 ) に武田久吉博士によって発見された。茎項に 放射状にひろがる星形勲章状の部分は花びらて、はなく総苞 葉て、、本当の花は中央の黄色の部分て、ある。丘話題になっ た植物にジョウェッキバナノコマノッメがある。従来至仏 山と谷川岳のタカネスミレとケタカネスミレ ( 檜山庫三氏 命名 ) を高橋秀男氏が再検言寸した結果、花や葉の特徴からキ バナノコマノッメに近いタイプと判断、昭和 46 年 ( 1971 ) に新たに文岩変形植物として発表した。 至仏山の山体上部は超塩基性岩て、ある文岩からなり、 カトウハコペ・マルバメギ・クモイイカリソウ・ウラベニ ダイモンジソウ・ジョウシュウアズマギク・シブッノガリ ャス・シブツアサッキ・ムラサキタカネアオヤギソウなど の蛇紋岩植物がみられる。また工ゾノヒメクラマゴケ・コ ケスギラン・アオチャセンシタ・タカネナデシコ・コノヾノ ツメクサ・キンロノヾイ・カラフトヒメシャクナゲ・アオノ ツガサクラ・タカネシオガマ・エゾウサギギク・ジョウシュ ウオニアザミ・ミネハリイ・タカネクロスゲ・チシマアマ ナなど、分布上の稀品や重要種が数多くみられる。 ひうち 燧ヶ岳は形成カ噺しい山のため至仏山ほど特色のある植 物は少ないが、コマクサ・アラシグサ・ミヤマッポ、スミレ・ トウヤクリンドウ・キヌガサソウなどは注目したい 燧ヶ岳山麓ブナ林内には古い型のトガクシショウマ、尾 瀬沼周辺には特産種オゼトウヒ、分布上の重要種チシマザ クラを産することも特記しておきたい ( 宮前俊男 ) 天然保護区域・ 115
編集協力 ( 順不同 ) 全林野写真サークル全国協議会 滋賀県立琵琶湖文化館 広島市安佐動物公園 鳥羽水族館 日本自然保護協会 日本鳥学会 山階鳥類研究所 名古屋女子大学生物学研究室 東京都立大学理学部自然史研究室 名古屋大学教養部生物学教室 九州大学教養部生物学教室 日本野鳥の会 蒲郡郷土民俗資料館 鹿児島県立博物館 日本野生生物研究センター 東京水産センター 鹿児島市平川動物公園 名張市赤目サンショウウオセンター ポンカラーフォト工イジェンシ 国立科学博物館 佐賀屋 春日大社 ン・六 , / ヾ、ノ 野生圏 MO フォトス 柳田親則 山本桂子 茂木恒夫 小川巌 水向芳章 木下陽一 竹内敏信 白水隆 中村守純 茂木恒夫 キュウフォトインターナショナノレ ク ネイチャーフォトライプラリー ネイチャープロダクション 新潟県自然保護課 上野村教育委員会 日高営林署 尾鷲営林署 今市営林署 大根占営林署 丹渓 フォトライプラリー明星 芳賀フィルムライプラリー タンジフォトライプラリ オリオンプレス ひまわり J 0 小黒企画 光陽フォトオフィス 北海道撮影社 アニマルフォト 笠岡市役所 三原市教育委員会 長門市教育委員会 豊田市教育委員会 日和佐町企画観光課 美郷村役場 白浜町教育委員会 野母崎町観光商工課 喜多方市教育委員会 松前町教育委員会 日高町教育委員会 川内村教育委員会 松尾村教育委員会 大館市教育委員会 いわき市教育委員会 勝山市教育委員会 飯山市教育委員会 御前崎町教育委員会 大和村社会教育課 岡崎市教育委員会 山東町教育委員会 近江町教育委員会 京都市文化財保護課 茂原市教育委員会 竹富町教育委員会 弟子屈町教育委員会 日高町教育委員会 宇奈月町教育委員会 立山町教育委員会 大野市教育委員会 高知市教育委員会 院内町教育委員会 湯布院町教育委員会 大和村教育委員会 字検村教育委員会 住用村教育委員会 文化庁文化財保護部記念物課 ・参考文献 『天然記念物事典』 ( 第一法規 ) 『史跡名勝天然記念物指定目録」 ( 第一法規 ) 環境庁編「日本の重要な植物群落』 ( 大蔵省印刷局 ) 「全国遺跡地図』 ( 国土地理協会 ) ・作図・製図 浅井粂男 木村図芸社 さくら工芸社 ・地図製作 単至 日本工房 白砂昭義 ・写植 ナグ ・ 169
日本の天然記念物 動物Ⅱ 天然保護区域
ほんがんしようず 0 本願清水イトヨ生息地 ( 福井 ) 体長約 50 ミリ、緑褐色て、背には 3 本のとげがあり、 腹面は銀白色を呈する。湧水の減少に伴い、 保護対策が講じられている。大野市は陸封型 のイトヨ分布の南限にあたる。 0 アユモドキ ( おもに滋賀・岡山 ) ドジョウ 科に属し、日本固有種とされる。黄褐色また は茶褐色て、幼魚期には横斑が現れる ( 写真 ) 。 成魚は 100 ~ 150 ミリ。生息場所の破壊によ ひん り、絶滅の危機に瀕している。 ネコギギ ( おもに愛知・三重 ) 昭和 32 年に 発見された日本固有種て、ギキ科に属する。体 長 70 ~ 100 ミリ、やや黄味を帯びた茶褐色て、、 背びれと胸びれに鋭いとげを持つ。 ・。いら 1 多を
0 アサギマダラ北海道て、はまれだが日本全 上に分布する。紫や白色の花を好む。丘、 長距離の渡りをすることが分った。寿命が長 0 シロオビヒカゲ熱帯アジアには広く分布 しているが、沖縄て、は西表島・石垣島に生息 する。竹淋に産する。 0 イワカワシジミ幼虫はクチナシの果実を 食べる。実をつけるクチナシの多い戸ごけ局 ↓勺に産する。 はね コノハチョウ翅の裏面は枯れ葉模様て、あ るが、表面は鮮やかにいろどられている。森 林内のひらかれた明るい環境を好む。写真下 は植夜を吸うコノハチョウ。吸汁中は下向き に翅を閉じてとまることが多い を第言をし を・を はわ ぐ 0 シロオビアゲハエ剏衣列島以南に分布し、 沖縄て、はもっとも普通に見られる。ハイビス カスやランタナなど各種の花に好んて、集ま ミー物計ー 0 カバマダラ奄美大島・沖縄本島・八重山 諸島に分布。食草はガガイモ科のトウワタ。 明るい環境を好む。
上の有益生もからんて、、家の守り神とし 甲長 10 ~ 13 センチて、、物本にごっごっ て大事にされてきたことが、白化個体群 としており、古武士のような印象をえ の成立と維持の主要因らしい るが、実際にたいへん古いタイプの重勿 現在、保存施設を設けて増殖に力が入 て、あり、沖縄島北部等が、非常に古く他 かくぜっ れられているが、奇形の発生率が正常の 或からド色された陸塊て、あることの証 はんりくせい やえやま 体色のアオダイショウよりも高いようて、 拠ともされる。 j 家なカメは中国南部や 沖縄県の八重山群島に産する半陸棲の ある。近系交配の結果らしい。野外の個体 マレーシア等にしかいない。分布上或が カメて、、森林の周辺に多く、やや湿った は、宅地化等によって特に幼蛇の食餌動 飛び離れていること自体、これらのカメ 場所にいる。甲羅が丸く盛り上がってお 物が減り、少なくなっている。 ( 千石正一 ) が、それらの陸地が分断されるより前の り、腹部の甲がちょうつがいて、前後の 2 大昔に、広く分布していたことをしめし 部分に分かれ、タ攵に襲われたときに、 ている。現在、ほそばそとその余命をつ 頭や尾・肢をひっこめ、折り曲げた腹甲 ないて、いるのて、あり、いわば生きた化石 て、箱のように蓋をしてしまうのが和名の ともいえるて、あろう。 由来て、ある。 けいりゆう はんりくせい 半陸棲て、、山地の林内・渓流の近く等 同じ種は中国や台湾にもいる。また、 の陰湿な場所に暮らす。雑食匪て、ある。 同様な構造が腹部にある「箱ガメ」はア やえやま 沖縄県の宮古群島と八重山群島とに分 方言て、はヤンノヾノレガーミイ・ヤマガメ等 ジアにもいくつかの種類がいるが、セマ 布する。全長 40 センチに達する日本最大 と呼ばれる。古くは肉や甲が薬にされて ルハコガメはそれらの中て、、最も陸て、生 のトカゲて、しかもその大きさは日本の いた。現在は大巾に数が減っている。古 活するのに適している。しかし、リクガ となき トカゲ類中て、は群を抜いている。日本産 くは渡名喜島等 ( も分布していたらしい メて、はなく、水に入ることは出来る。 のトカゲは大半が全長 20 センチ以下て、 が、島の面積が小さいのて、糸色威したもの ミズ・昆虫等の重勿や植物の果実を食べ あるし、キシノウ工トカゲは体型も太い と思われる。日本産のカメて、は糸色成の恐 動肋の死体が落ちていればそれを掃除し のて、より巨大に見える。ただし、世界中 れが最も高い不頁て、あろう。 ている。つまり、手に入るものなら何て、 ( 千石正一 ) を見わたせば、この種より大きいトカゲ も食べる雑食性て、ある。 は全長 3 メートルのコモドオオトカゲを 森林の開発によって生息域が狭めら まいきよ はじめとして、枚挙にいとまがない。 れ、また舌リ隻によって数が減っている。 キシノウ工トカゲという和名は、人名 カメは水辺にいて、水中に逃げ込めば人 いわくに 岩国のシロへビ に由来する。胴は長く、四肢が短い。全 間には簡単にはつかまらないが、この種 指昭和 47 年 8 月 4 日 ばうすい 体として紡錘形の体つきて、、頭の先端が のように陸に棲むカメは、発見されれば、 所 ( 山口県岩国市 ) 尖っている。成熟したオスて、は、特に工 まず確実に捕らえられてしまう。生きた 岩国市 はくせい ラが張っていて、頭が大きくなる。これ ものがオモチャとして、また剥製がみや は顎の筋肉の上と関係があり、オスど シロへビは、アオダイショウの色素が げ物として売られているのは、大変に残 うしは繁殖期に咬み合う闘争をする。 消失して白化したものて、ある。このよう 念なことて、ある。 ( 千石正一 ) 繁殖期には両顎部が赤くなるため、大変 な白化は他の蛇、もしくは他の重丿肋にも たくましい感じになる。体表に強い光沢 突然変異て、ときどき生じるが、岩国のシ があるのて、、脂に満ちあふれていると ロへビは個体群そのものが白化型によっ いった意味の「アンタ、一タヤー」という て構成されている珍しい例て、ある。この 方言がある。 背景には、地元の人が、アオダイショウ 本種をふくむスジトカゲ属は、若い間 は殺してもシロへビは殺さない という じんいとうた は尾の青いものが多く、同じ種て、も別種 一種の人為淘汰を長年にわたってくり返 と思うほど色が違う。また、種間の区別 してきたことがある。 は難しい。若い個体は、同じ或に棲む アオダイショウは、元来、人家付近に 沖縄県の三つの島 ( 沖縄島・渡嘉敷島・ イシガキトカゲと似ており、よほど慣れ 多く棲み、ネズミ等を常食としているた 久米島 ) だけに分布し、しかも山地に限っ た人て、ないと区別て、きない ( 千石正一 ) めに、人間によるこのような影響を受け て生息している。昭和 48 年 ( 1973 ) 12 月 18 やすかったと思われる。体色が神聖なも 日に沖縄旨定の天然記念物となり、昭 のを思わせ、またネズミを駆除する実際 和 50 年に国指定となった。 セマルハコガメ 指昭和 47 年 5 月日 所 ( 沖縄県 ) キシノウ工トカゲ 指昭和 50 年 6 月 26 日 所 ( 沖縄県 ) 一口田一一 とが はんしよく リュウキュウヤマガメ 指昭和 50 年 6 月 26 日 所 ( 沖縄県 ) 爬虫類・ 19
とイトヨの生息が困難になるため、地下 がる水の澄んだ用水路に見られる。護岸 く 水を汲みあげて給水するなど、イトヨの の石垣や岩場の間をすみかとしている。 保護がなされている。現在、大野市て、は かって多くみられた琵琶湖て、は、干拓に ばつばん イトヨの抜本的な保護対策を検討中て、、 よる内湖の消失や湖岸の改修て著しく数 近いうちにその刈策が講じられる予定て が減少している。淀川一或にすむアユ かせんしき ある。なお、本願清水のある糸魚町には モドキについても、河川敷の池 ( ワンド ) 「イトヨを守る会」が結成されるなど、市 が埋め立てられ、糸色威の危機に瀕してい 民の関心は高い。 る ( イタセンパラの項参照 ) 。 ( 加藤文男 ) アユモドキの減少には水質の汚濁のほ か、河川や湖岸の改修による生息場所の 破壊が大きな原因となっている。本種の 保護にあたっては、人工増殖の成功例も 報じられてはいるが、天然水域の水質保 持、石組み護岸などを用いた生息場所の 保護カ坏可欠て、ある。岡山県下て、は財団 法人淡水魚保護協会と地元保護団体によ ネコギギはナマズ目ギギ下に属する純 る保護活動が進められている。 淡水魚類て、、或を限定しない不旨定の 天然記念物て、ある。 ( 君塚芳輝、林公義 ) 日本産の淡水魚の中て、は近年 ( 昭和 32 年 ) になって発見されたものて、、最初ギギ モドキと呼ばれ、その後、和名はネコギ 本願清水イトヨ生息地 ギに改称された。全長 70 ~ 100 ( まれに 囮昭和 9 年 5 月一日 140 ) ミリて、、日本産のギギのなかまて、は 所福井県大野市糸魚町 最も小形不屯体色はやや黄色味をおびた 大野市 茶褐色て、、幼魚て、は明瞭な暗色斑が認め いとよ ゆうすい 産卵期になると、雄 られるが、成魚て、は不明瞭となる。背び 指定地は、大野市糸魚町の湧水が出る はジグサグに動いた り体をゆすって、雌 れと胸びれには強い棘 ( とげ ) があり、 長方形の池 ( 約 13 アール ) て、、市内を流れ を誘う。それを見て 誤って刺されると痛い。詳しい生態、産 雌が近よってくる。 る小川の水源地となっている。水温は 13 卵習性は不明て、ある。 ~ 15 度 C て、 pH は 6.0 ~ 7.0 、クロモ・ ネコギギは日本固有種て、、愛知県豊川 クリ・バイカモなどの水草がみられる。 から三重県五十鈴川にかけての伊勢湾 本願清水のイトヨは陸封型て、、体長約 流入諸河川から言当求されている。河川の 50 ミリ、背中に普通 3 本のとげがある。 上 ~ 或から或上部の石や岩の下にす 体色は緑褐色て、、腹面は銀白色て、ある。 み、主に夜間に行動する。本種は国内て、 産卵期の雄は眼と背側が青色、のどから の地理的分布も狭く、同一河川内て、の生 腹部にかけては鮮紅色となり、鮮やかな こんいん 息域 (i 藩呈分布 ) も限られている。近年て、 婚姻色をしめす。普通 1 年て成熟し、産 はダム建設や河川による生息場所の 卵期は 4 ~ 10 月 ( 最盛期は 5 、 6 月 ) て、 破壊、採石や生活用水の流入などによる ある。砂泥地に巣を作って産卵し、雄は 水質汚濁の危険性が高まっている。 その巣と孵化した仔魚を保護するという 特異な習性をしめす。陸封型イトヨは、 ( 君塚芳輝、林公義 ) 青森・福島・栃木・福井の各県に分布し、 大野市のものはその南限にあたる。 近年、大野市の地下水位が低下し、本 願清水の湧水が特に秋から冬にかけて涸 かっ 渇するようになった。湧水が出なくなる 彡イ弩ニ′′ ミヤコタナゴの産卵行動 雄は産卵管を長く・のばした雌を守りな がら、マッカサガイに近づく。雌は貝 の出水管の位置を、中から出る水流に よって確かめ産卵管を入れる。口をあ け、ひれを広げて放卵すると、体を動 かしすばやく産卵管を引き抜く。その 問後ろに待機していた雄は、貝の入水 管の上に放精する。精子は入水管から 貝のえらの中に入り、卵子と結びつく。 ひん ネコギギ 指昭和 52 年 7 月 2 日 所 ( 愛知県・三重県 ) イトヨの求愛行動と産卵 ほんがんしようず 0 ツ ' 雄は砂泥底の巣に雌を 誘導する。巣は雄が水 草の切れ端を集めて作 っておいたものである 雄 巣に入った雌の体を、雄がつついて産 卵をうながす。卵に放精して完了。雄 は卵が孵化して、稚魚が泳ぎはじめる まで巣を守る 魚類・ 35