年 - みる会図書館


検索対象: 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ
187件見つかりました。

1. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

べている。 け根に雄花、その先端に雌花をつけるが、 マツは縁起のいいものの代表のひとつ このクロマツは反対て、、新枝のつけ根に て、、・月共が生まれると「松柏如茂」と書 雌花、先端に雄花をつけるという変わり いた紙に - 月共の名前をかき氏神様におま ものて、ある。しかも雌花が多数集まって いりをするし、竹と梅を加えた「松竹梅」 っくため、成熟するとマッカサ ( 球果 ) の取り合わせは歳寒三友と呼ばれ、古く がくつつき合ってパイナッフ。ル状にみえ から画題として用いられている。また、 る。このような異常な花をつける現象は マツは日本庭園美の特色のひとつを作っ 毎年すべての枝に発生するのて、はなく、 てもいる。 数年あるいは十数年おいて偶発的に、し この舞鶴マツは、万休院の 2 世の住職 かも散発的に発生する。 康頼が植えたものと伝えられ、約 400 年 宝珠マツはツッジ類が植えられている ぐらいの擱合といわれる。本州南部に多 庭にあり、手入れがよく、マツの樹勢は くみられたマックイムシの被害が拡がっ すこぶる良好て、ある。 ( 菅原亀悦 ) てきており、舞鶴マツもこの害をうけた が、薬剤を撤布したり、虫のついた枝を 焼却したりして駆除につとめ、今日に 至っているが、さらに十分な保護管理が 大切て、ある。 ( 中沢敬止 ) ばんきゅういんまいづる 万休院の舞鶴マッ 指昭和 9 年一月 22 日 所山梨県北巨摩郡武川村三吹 置万休院 * ・武川村 むかわ 山梨県北巨摩郡武川村の万休院境内入 しもの めおと 下野の女夫マッ り口にある。根回り 3.7 メートル、目通り 指昭和 6 年 7 月引日 幹囲 3.3 メートル、樹高 8.8 メートルのア 所岐阜県恵那郡福岡町下野 カマツの名木て、ある ( 山梨県『山梨の文 闇福岡町 イオ』昭和 46 年 ) 。支カ哂の方に大き 福岡町下野山林の傾斜地にあり、根兀 く張り出し、さらに枝が傘状にいくつも の西側は低くなっている。このマツはほ 重なりあうように出て、樹形が美しく、 とんど同じぐらいの大きさの 2 株のアカ 鶴が舞っているようなのて、、舞鶴マッと マツが下部て、接着し、さらに地上 9.3 名づけられた。「地上九尺 ( 約 3 メートル ) メートルの所て、南から出た枝が北のもの にて第一枝を出しさらに六つの大枝を四 ゆちゃく に癒着したものて、ある。接着した根兀の 方に拡げ」「枝上枝を重ねている」 ( 山梨県 幹の周囲は約 3.9 メートルある。分かれ 『山梨県名木誌』昭和 5 年 ) と記され ている北側の株は根回り 1 . 8 メートル、 ていたが、現在て、は、地止約 2 メートル 南側の株は根回り 2.2 メートルある。 のところから折れて、西の方に太い枝を このマツは 2 本の木がならびつづき、 出している。枝張りは東へ 2.6 メートル、 もくめ 木目がいっしょになった、いわゆる連理 西へ 16.5 メートル、南へ 6 メートル、北 をなしたものの典型的なマッとして貴重 へ 8.8 メートルと広がっている ( 山梨県 なものて、ある。しかし、片方のマツが昭 『山梨の文イオ』昭和 46 年 ) 。 和 56 年ごろから衰弱しはじめたため保 アカマツは比車知勺にどんな上地にも生 護対策が講じられている。 ( 南川幸 ) 育するものだが、「峰の松」といわれるよ うに、乾燥して日照のよいところによく 生育する。アカマツはどこて、も ( 海岸近 くにはクロマツが ) みられるのて、、「日本 は松国なるべし・・・・・・」と志賀重昻は明治 27 年 ( 1894 ) 刊『日本風景論』の中て述 アカマツの一生 雌花 イメ - ク・房ん市し ラ名′ 雄 花 雄しべ 雌しべ 胚珠 受粉 花粉葯 ハ、種子 れんり 球果 発芽 常緑針葉樹・ 123

2. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

てんじん 0 天神の大スギ ( 高知 ) 天満宮の境内にそびえるスギの老大衣樹齢は 800 年とも 1000 年ともいわれ、幹の下部が硝ヒして、一部にー もあるが樹勢は盛んて、ある。オオバヤドリギが寄生していることて、も珍しい。 おおたま ひこさんおに ①手野のスギ ( 熊本 ) 高さ約 47 メートル、 ①大玉スギ ( 山口 ) 飛竜八幡宮に隣接する ①英彦山の鬼スギ ( 福岡 ) 1200 年とい 堂々とそびえ立つ樹勢盛んなスギて、ある。 山林中にある、球形の枝張りのスギの巨木。 われ、樹高約 40 メートルの巨大なスギ。 第イイえ、を 常緑針葉樹・ 149

3. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

将軍スギの名は、 11 世紀末、この地て輓 年をすごしたとったえられる前陸奥鎮守 たいらのこれもち 府将軍平維茂にちなんだものて、、この 杉は維茂の遺骸を葬るときに、標木とし て植えたと伝えている。樹下には江戸初 みかげ ほしなまさゆき 期に、会津藩主保科正之が建てた御影石 の「余吾将軍維茂墓碑」がある。第二室 戸台風 ( 昭和 36 年 ) て、中央の大枝幹 1 本 が折損した。昭和 41 年 ( 1966 ) 7 月 27 日 の水害て、も根回りに被害があった。昭和 44 年 ( 1969 ) かっての会津藩の整備にな らい、手入れと環境整備がおこなわれた。 これもち ( 野田光蔵 ) 指昭和に年 4 月ロ日 虫川の大スギ むしかわ 本樹は県内てはもちろん、全国て、も有 のといわれている。 の大雪て、、大枝が折れたために生じたも いているが、これは安政年間 ( 約 130 年前 ) 地ー絲勺 6 メートルの所に、大きな穴があ 方約 12 メートルに達している。幹の西側 方約 13 メートル、南方約 8 メートル、北 トル、枝張りは東方へ約 14 メートル、西 目通り幹囲 16 メートル、樹高は約 30 メー 保護してきたものて、、樹齢 1000 年以長 木として、土地の人々が古くから大切に 木て、ある。当地方の糸真守白山神社の神 の東方、白山神社の境内にあるスギの巨 保倉川、小黒川の合流点に近い沢田地区 頸城首の終点浦川原駅より東行し、 白川神社 * 所新潟県東頸城郡浦川原村虫川 境内には 3 株の巨杉があり、地上 1.5 メートルの幹囲は、それぞれ 8.8 、 7.2 、 6.7 メートルて、ある。その最大のものが天 然記念孑刎旨定木て、、参道の西側に位置し、 高さ約 45 メートル。地上約 4.8 メートル て、 2 幹に分かれ、東西に並立直生し、東 側の幹囲は 5.1 メートル、西側の幹囲は 5.8 メートルとなっている。 昭和 22 年 ( 194 の 10 月、石川県に行幸 された天皇陛ー。ドが、 27 日、雨天にもかか わらず、御自身て傘をおさしになって御 覧になられたことから、「天覧の大杉」と 称せられている。 昭和 58 年 ( 1983 ) 5 月 21 日、第 34 回全 国植樹祭において、天皇陛下に御手まき いただいたスギの種子は本樹より採集さ れたが、まことに因糸点架いことといえよ ( 里見信生 ) てんじんしや 脂昭和年Ⅱ月日 天神社の大スギ ( 野田光蔵 ) される。適切なる保護方策カ嘯感される。 ているため、車の排気ガスの影響が懸念 れる。また交通量の多い国道 18 号に面し や樹勢がおとろえているように見受けら は 800 ~ 900 年と推定される。タト観て、はや から 2 本の幹枝がわかれ出ている。植合 ルあって地上より 7.6 メートルのところ 通り幹囲約 9 メートル、高さ約 30 メート 木中特に巨大て、、根回り 17 メートル、目 的大きな木がある。この大スギは境内並 た一 - ヒ越地方て、は珍しいイヌザクラの上交 どが、かなりの密度て生育している。ま あって目立っており、スギ・ハリギリな している。附近にはカエデの大木が数本 号線沿いの天神社の境内の中央部に位置 妙高温泉から歩いて 10 分ほど、国道 18 闇天神社 * 所新潟県中頸城郡妙高高原町関川 黒部川扇状地の末端には、海抜 20 メー トル以下の一帯に、黒部川の冷たい伏流 水が湧き出る無数の泉がかっては存在し た。泉から流れる川の蛇行に沿ってスギ の天然林が存在し、沢スギ林と呼ばれて いる。その . 、な也環境は旧河道とみなされ る砂礫地帯にあり、表土は砂土か砂壌土 て、、その深さも 20 ~ 30 センチ余りしかな く浅い 沢スギは、その性質の点て、は日べ毎沿 岸の多雪地帯に多いアシウ ( オ ) スギ ( 富 山県て、は俗称タテヤマスギとも呼ばれ わぎわ ほうが る ) と同じて、幹の根際より萌芽した幼 条が雪の重みて倒れ、曲がった部分から 発根する伏条現象を示す。 林内は湿潤て、、分布北限のマンリョ ウ・カラタチバナ・オモト・トキワアケ ビなどの暖温帯の種や、山地性のキン コウカ・オオバツッジ、好湿性のギボウ シラン・サワギキョウ・ノハナショウブ・ モウセンゴケなど、豊富な植物相をもっ すぎさわ 杉沢の沢スギ 指昭和 48 年 8 月 4 日 所富山県下新川郡入善町吉原 ふくじよう た群落から成る。 数の大樹て、ある。 かやの 栢野の大スギ 指昭和 3 年Ⅱ月 30 日 菅原神社ネ 所石川県江沼郡山中町栢野町 ( 野田光蔵 ) ( 河野昭一 ) 常緑針葉樹・ 139

4. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

円、大正 14 年 ( 1925 ) 2 月 4 本・ 2900 円、 とある。現在は目通り幹囲 3 メートル以 上のもの 58 本、そのうち 6 メートル以 のものは 6 本しかなく、全くいたましい 景観となっている。 慶長 4 年 ( 1599 ) に、朝鮮出兵の戦勝 記念として、島津義弘が植えさせたもの と伝えられ、 800 本ほどを植えこんだと いる。 このスギの由来は、はっきりしないが、 もともと 2 本植えたいわゆる夫婦杉て、、 いつのころかそのうちの 1 本が枯れたも のて、、この集落の名もこの夫婦杉による ものという。 十数年前に、このスギの樹上に落雷が あった。幸いにして木の先端が二つに裂 けた程度て、すんだ。そこて、昭和 51 年 ( 1976 ) 8 月に裂けたところに鉄の輪を はめ、さらに高さ 37 メートルの避雷針を とりつけた。樹勢は盛んて、ある。 ( 外山三郎 = 長崎 ) 置田尻町 所宮城県遠田郡田尻町大貫 指昭和引年 7 月 26 日 祗劫寺のコウヤマキ ぎこうじ 直径約 1.6 メートルて、あり、樹形もコウ 劫寺のものは、樹高約 29 メートル、胸高 胸高直径 1 メートルに達するという。祇 ある。自生のものて、は、樹高 30 メートル、 北限は阿賀野川流域の新潟、福島県境て、 コウヤマキは日本特産の植物て、、自生 ヤマキのキ致を良く表し、まれに見る巨 木て、、樹勢も盛んて、ある。 このコウヤマキは、宮城県の北部、加 護坊山 ( 海抜 224 メートル ) の北斜面て、、 海抜 50 メートルの傾斜地に生育してい る。自生北限地以北に植栽されたものと して、その生育状況から見ても、学術ー - ヒ の価値が高い。 かんせんじ ( 内藤俊彦 ) いわれる。 やむら ( 外山三郎 = 宮崎、南谷忠志 ) 八村スギ 指昭和田年 6 月 7 日 所宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良十根川 間十根川神社 * 国道 265 号線から約 1 キロメートル離 れた十本日神社境内の社殿西側に立って いて、一名を「十根のスギ」という。樹 高は 54 . 4 メートル、根回りは約 19 メート ル、目通り幹囲が 13.3 メートルあり、ま た枝下地面の全周囲を測定すると実に 100 メートル近くになる。幹の西北側に空 洞はあるが、樹勢は大変盛んて、、植擱合 800 年と推定されている日本屈指の大スギて、 ある。 伝説によると、元久年間 ( 1204 ~ 1206 ) 、那須大八郎宗久力辣頁朝の命を受け とうばっ て、平家の残党討伐のため椎葉に来た折 に植えたものだということて、ある。また 八村スギとは、十榔日神社を 100 年ほど 前まて、八村大明神と呼んて、いたことに由 来した名て、ある。 ( 外山三郎 = 宮崎、荒木徳蔵 ) しいば めおとぎ 女夫木の大スギ 指昭和 50 年 6 月 26 日 所長崎県諫早市小川町 間諫早市 この大スギは、国鉄長崎本線諫早駅の 南東 6 キロメートルの所にある小さな集 めおとぎ 落、女夫木の跚旁にそびえている。目通 り幹囲 9.2 メートル、高さ 31 メートル。ス ギの巨植寺有の美しい樹形て、堂々として いさはや 甘泉寺のコウヤマキ 指昭和 47 年 5 月 26 日 所愛知県南設楽郡作手村鴨ヶ谷門前 間甘泉寺 * スギ科の常緑針葉高木て、、樹皮は赤褐 色、縦に長くさけ、はげ落ちる。葉は細 長い糸鼾彡て、厚く、 15 ~ 40 本カ陣侖生してい る。日本特産て、ある。 本樹は胸高幹囲 6.3 メートル、根回り 6.8 メートル、樹高約 20 メートル、枝張り 30 メートルの大樹て、、樹齢 400 年をこえ るものと推定される。樹皮にウチワゴ ケ・ノキシノブ、とくに上部にはセッコ クなどが多数着生生育しており、樹勢は 盛んて、ある。 コウヤマキの果実 ( 倉内一二 ) 常緑針葉樹・ 155 / ク

5. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

名を杉沢の大スギとしたと伝えられる。 根回り 22.60 メートル、目通り幹囲 12. 60 メートル、樹高は実に 50 メートルに及 ぶ。地上 9 メートルのあたりから幹は数 本に分かれている。植擱合は約 1000 年と推 定されるが、樹勢はなお盛んて、、老樹に ありがちな枯れ枝、幹の腐朽などはほと んど見当たらない 普通大木といわれるものて、も、樹高は せいぜい 30 メートル前後といったとこ ろて、あり、 50 メートルというのは群を抜 いている。低いところに立っているため、 遠くからみるとあまり大木の印象はない が、樹下に立って仰ぐと、その迫力は、 木に魂があるのて、はないかと感じられる ほどて、ある。事実、地元の人々はこの木 に御幣を捧げ、神木として崇敬している。 この木が女身に変じておイ尹勢参りをした という伝説もある。また樹皮は安産のお 守りとして霊験あらたかて、あるともいわ れている。 この木は畠のなかにあって、土壌はか なり肥えており、これが木の肥大化をま ねいたものと思われるが、それにしても これほどの木が落雷にも遭うことなく生 育を続けて来たことは異例て、あろう。今 後とも健全な生長を祈りたい。 ( 樫村利道 ) 八幡宮 * 所茨城県高萩市安良川 指大正ロ年に月 9 日 安良川の爺スギ あらかわじじ 枯れているのが目立つ。指定当時から先 勢はややおとろえが出はじめ、先端部の メートルの所から太い枝が出ている。樹 メートル、樹高約 35 メートル、地上約 3.6 1 株のスギの巨樹があり、胸高直径約 10 八幡宮の拝殿に向かって左側の後方に 近は周囲一帯の宅地化が進んて、いる。 る。近くには小前バス停があり、最 ロメートルの所に安良川の八幡宮があ 国鉄常磐線の高萩駅から山側へ約 4 キ 端は枯れていたようだが、その部分が大 きくなり出している。よく、対をなすス ギの老木に爺スギ、婆スギと名付けるが、 こて、は指定当時も爺スギだけ。しかし 周囲のスギの木立に守られて、その中て、 爺スギは風当たりをさけながら生き続け るて、あろう。 安中原市のスギ並木 脂昭和 8 年 4 月日 あんなかはらいち ( 鈴木昌友 ) もっと小さいて、あろう。 道路敷はもと並木敷より約 1 メートル ほど低いところにあったが、天明 3 年 ( 1783 ) の浅間山の噴火により、この付 近に積もった軽石を道路敷に捨てたもの と思われる結果が土壌調査て、わかった。 これが最近の交通量の増加と荷重によ り、しめつけられ、水、酸素の通過が断 たれ、糸畊艮の発育を著しく悪くしている。 一酸化炭素や亜硫酸ガス排出量等か ら、決定的な本幇員要因は見出だされない が、並木敷の巾が狭く、日光のスギ並木 のように樹下に若いスギやその他の植物 が全くなく、狭くとも森林の連続という 形態が欠けている。やはり日常の手入れ と、地元の人々の保護に対する関心が必 昭和 42 年 4 月 3 日 ( 一部解除 ) 所群馬県安中市原市 置群馬県 高崎から石貶欠峠を越える国道 18 号線 の安中原市に、国道と平行にはしる旧中 山道があり、その缶勺 1 キロメートル がスギ並木て、ある。かっては 18 号線沿い にも並木があり、幕末の天保年間には、 両街道合わせて 732 本のスギを数えた が、現在は旧道のみとなった。その本数 も昭和 8 年 ( 1933 ) 当時 321 本あったもの が、現在は 24 本を残すのみとなり、近々 また伐採の予定があると聞く。もはや並 木としての価値は失われたと思われる。 昭和 45 年 ( 1970 ) 、馬県林業試験場が スギ並木の歴史や、実態を総合的に調査 したことがある。その調査結果はつぎの ようになる。 植栽年代については、一里塚が築造さ れた慶長 9 年 ( 1604 ) とする説と、大阪 落城の元和元年 ( 1615 ) とする説がある。 さらに西彳騰己行によれば、安中藩主板倉 重形が天和 ( 1681 ~ 1684 年 ) から貞享 ( 1684 ~ 1688 年 ) にかけて植栽したとい う説もある。昭和 45 年 ( 1970 ) の調査中、 伐採木 8 本の年輪を数えたが、 170 ~ 320 て、 280 前後が最も多かった。このことか ら、板倉重形カ埴えた以前にすて、にいく らか植えられたこととなり、その後伐採 や、補植が行われたと思われる。 樹高は最高 41 メートル、平均 31 メート ル、胸高直径て、の測定は最咼 5.9 メート ル、平均 2.8 メートルあったが現在は うすいとうげ 要なのて、はなかろうか。 さかさ 逆スギ 指昭和に年 4 月ロ日 ( 安盛博 ) 八幡宮の境内にある。 2 株のスギは東 西に並び、根元て、相接着している。西の ものを男衣東のものを女木といい、男 木の方が大きく、高さ 33 メートル、目通 り幹囲 10.9 メートル、根回り 16.2 メート ルて、ある。女木は高さ 28 メートル、目通 り幹囲 7.26 メートル、根回り 12.6 メート ルて、ある。この 2 株は本財妾しているため に、枝はいずれもタ齟に伸びるが、枝が さかさ 斜め下に垂れているのて、、逆スギの名が つけられたのて、ある。この 2 株の老杉が 高く並び立つ姿はまことに壮観て、ある。 みなもとのよしいえ 源義家が康平 5 年 ( 1062 ) の奥州征 伐の折、戦勝祈願のためにこに亶を 設けて、しめ竹 ( しめ縄を張るために立 てる竹 ) の代用にスギの苗 2 本を植えた のがこれて、あると言い伝えられている。 このことから推定すると擱合は 900 年余 となるが、現在の生長から見ればやはり これに近い植擱合て、あると考えられる。 ( 久保田秀夫 ) 所栃木県那須郡塩原町中塩原 闇八幡宮 * 常緑針葉樹・ 135

6. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

回復を期待したい。推定樹齢は約 400 年 えいめいじ 永明寺のキンモクセイ 指昭和に年 6 月日 所群馬県邑楽郡邑楽町中野 置永明寺 * る。樹勢は旺盛て、あるが、樹下に落葉を 敷くなど保護策がとられている。 ( 近田文弘 ) 往至森寺のキンモクセイ 指昭和 2 年 4 月 8 日 所愛媛県西条市飯岡 往至森寺 * 香りの強い花の咲くキンモクセイは、 よく庭に植えられ、普通は小高木か低木 状て、あるが、ときには大きなものもある。 このキンモクセイは、往至森寺の門の 外にあって、根回りほば 4 メートル、地 上 1 メートルあまりのところて、、 4 本の 枝に分かれている。 台風の被害を受けたこともあるが、高 さ約 16 メートルにまて、生長していて、 10 月の花のころには、匂いが遠くまて達す おしもりじ とされている。 ふみようじ ( 安盛博 ) 永明寺の山門を入った左手にある。昭 和 41 年 ( 1966 ) 、台風により根ごと倒れた のて、引き起こされた。このときには根回 りは 4 . 7 メートル、地上 1.3 メートルのと ころて、幹囲 3.4 メートルあり、その上か ら 2 幹に分かれ、それぞれ周囲 2.5 メー トル、 1 . 7 メートルあった。しかしその後 腐朽が入り、樹勢は回復するにいたらな かった。現在はわすかに生き残った下部 しんしようそうせい から新梢が叢生しているものの、昔の面 影は全くなく、回復の見込みはない 幸い永明寺て、、地際部に盛り土をし、 ひこばえを発根させて取り木をし、 2 代 目を作った。これが現在樹高 2 メートル 近くに生長している。同様な目的て群馬 県林業試験場て、は、昭和 50 年 ( 1975 ) よ り 5 ヵ年にわたり、県内の国・県指定樹 木のほとんどについて 2 代目育成の事業 を行い、場内に保存している。 ( 安盛博 ) 三島神社のキンモクセイ 指昭和 9 年 5 月一日 所静岡県三島市大宮町 2 丁目 三島大社 * 三島大社は国鉄三島駅の東南約 1 キロ メートル、市彳也の只中にあってこんも りと繁る森に囲まれている。三島大社の キンモクセイは、この森の中央部、本殿 近くに立っ半球状の樹冠を持っ巨木て、あ る。樹高 15 メートル、目通り幹囲が約 4 メートルあり、幹は地 - 勺 1 メートルの 所て、大きく二つに分かれる。枝は四方に 広がって密に葉をつけ、その先は垂れ下 がる。雄株て、ある。 このキンモクセイはウスギモクセイと 呼ばれるものて、、花色はやや淡い黄色て、 ある。 9 月上旬から中旬にかけ一度開花 し、 9 月下旬から 10 月にかけて再び開花 する性質がある。合は 1200 年といわれ 118 ・常緑広葉樹 じぎわ みしまじんじゃ るという。 けぞうじ けぞうじ 置華蔵寺 * 所群馬県伊勢崎市華蔵寺町 指昭和に年 6 月日 華蔵寺のキンモクセイ ( 山中二男 ) 華蔵寺公園の東隣にある天台宗華蔵寺 の境内にある。目通り幹囲 2.8 メートル、 樹高 10.6 メートルもあって全国的にも 珍しい巨木て、あった。 10 月初旬の満開期 には黄赤色の花が一面に咲き、その香り は 4 キロメートルの遠方にも及んだとい う。しかしこの樹は、その後 2 度の台風 に遭っている。昭和 41 年 ( 1966 ) には根 こそぎ倒れたのて、、起こして施肥などの 手当てが施され、樹勢が一は回復した。 が、昭和 57 年 ( 1982 ) 2 度目の台風に遭 い、 3 本に分岐していた主幹の 1 本が、 は 3 分の 2 ほどになった。残された樹の 20 メートル、南北 15 メートルあった樹冠 ほとんど根元から倒れた。そのため東西 普明寺のキンモクセイ 指昭和 2 年 4 月 8 日 所佐賀県鹿島市古枝久保山 闇普明寺 * 普明寺は佐賀鍋島藩鹿島支藩の是寺 て、あり、三大稲荷の一つとして知られる 祐荷神社から約 1 キロメートル離れ たところにある。 本樹はキンモクセイの雄株て、、同寺本 堂前の広場の東側にある。根元は直径 6.7 メートルの円形に石て、囲まれ、高さ 50 センチの盛り土がなされている。 盛り土上 70 センチの高さの幹囲が 5.5 メートル、そこから 3 本の支幹に分かれ ていたのが、昭和 51 年 ( 1976 ) の台風 17 号によってそのうちの 1 本が折損した。 残る 2 幹の幹囲は 1 メートルの高さて、 2.5 メートルと 1.95 メートル。さらにそ の上から次々に分枝し、 5 メートルの高 さて、の分枝数 9 本。樹高 16 メートル。枝 張りは南北 16 メートル、東西 18 メートル て、枝葉は傘形に広がり、南側は地上 1 メートルまて枝が垂れているが、北側は 9 メートルまて、はげ上がっている。 昭和 51 年の台風て、全体力んだため、 きんばく 昭和 54 年 ( 1979 ) に鋼線て枝幹を緊縛し、 また支柱をたてるとともに根元にも防護 柵を設けて保護したのて、、樹勢はほば回 復してきている。 普明寺のキンモクセイは、同寺の開山、 けいがん 桂厳褝師が元禄年間 ( 1688 ~ 1704 ) に佐 やまと だいがんじ 賀郡大和町の大願寺にある 2 樹のうち の 1 樹を移植したものと伝えられる。大 願寺はその後廃寺となったため、残され た 1 樹は本尠ヒして今はない。 キンモクセイは中国原産て広く庭園樹 とされるが、一殳には小高木となるもの て、、本樹のごとき巨樹はきわめてまれて、 あり、注目される。 ( 貞松光男 )

7. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

イチョウー - ーー一生きている化石植物 イチョウは裸子植物の一系統て、、現在は 1 科 1 属 1 種だけて、あるが、中生代にはお おいに栄えた。その地質時代 ( およそ 1 億年ぐらい ) からの特徴を保ち続けているの て、、生きている化石植物ともいわれる。自生は中国の一部のみに確認されている。古 い時代に日本にもたらされ、各地に広まった。神社や寺の境内には、巨樹が多い。雌 木・雄木は別て、ある。 は雄株て、ありながら、枝の一部に雌花を つけるという変わりものて、ある。主な枝 ほうき は幹の 3.5 メートルの高さから箒状に張 りだしている。そのうち南東に伸びてい る 1 本のなかほど ( 地上より高さ 11.9 宮城野の一隅に生育するイチョウの大 メートル ) にある小枝は雌花を開き、果 木て、、樹高約 35 メートル、胸高直径約 2.5 実をブドウの房状に数房つける。このよ メートルて、あり、樹齢約 1000 年と言わ うに ーカ所の小枝のみが突然変異に にゆうちゅう れている。雌株て、無数の乳柱が垂下し よって性の転換を行っている例は極めて 珍しく、学術上価値が高い。 ているが、最大の孚は主は北側にあり、そ の太さは周囲約 1.6 メートルに達し、下 なお、指定当時から約 45 年も経ってい 端は地中に入り、支柱の形となっている。 るにもかかわらず、この小枝の長さは約 現在の東北大学理学部て植物学を講じて 50 センチメートルと短く、生長が極めて いた、ハンス・モーリッシュ教授によっ 遅いのも不思議な点て、ある。 ( 菅原亀悦 ) て初じめて世界の学会に紹介された。 ちちいちょう 昔から乳銀杏または姥銀杏と言われ、 ちょうせんじ 長泉寺の大イチョウ 樹下に祭られた銀杏姥神には、乳の出な 指昭和 6 年 2 月 20 日 い婦人の参拝が多いという。イチョウの 所岩手県久慈市門前 孚は主を参拝することて、、乳が出るという 間長泉寺 * 迷信から、乳柱が切り取られているもの もある。瓰丘は市彷地化が進み、住宅が 久慈市街の北方約 1 キロメートルの丘 密集した結果、自動車の排ガスも増加し 陵地帯の南斜面にある長泉寺山門をくぐ て、樹木にとっての環境が悪化している。 ると、すぐ左手に大イチョウがある。 のイチョウは指定当時は樹高約 37 メー ( 内藤俊彦 ) トルもあり、日本一のイチョウといわれ ていたが、昭和 22 年 ( 194 のと、同 23 年 実相寺のイチョウ の台風やその他の強風によって、主幹や 指昭和年に月図日 主枝が折れて往時の姿が失われている。 所岩手県ニ戸郡一戸町一戸大沢 この木の幹は地際から二つの主幹とな 置実相寺ネ り、さらにこれらは 8 本の支幹に分かれ ているが、たびかさなる強風によって下 このイチョウは実相寺の山門をくぐっ 部て折れ、ただ 1 本の支幹を残すのみと てすぐ左手にあり、樹高は約 21 メートル、 なった。しかし、この木は樹勢がすこぶ 目通り幹囲は 3.38 メートル、樹齢は約 る良好て、残った 1 本の支幹や再生した 270 年と推定される。イチョウは一般に雄 しじよう 枝条によりうっそうとおい茂っている。 の株と雌の株とに別れているが、この木 にがたけ 苦竹のイチョウ 指大正年田月 20 日 所宮城県仙台市銀杏町 開花時の雄株 雄しべ 開花時の雌株 うば イチョウ 雌しべ じっそうじ じぎわ 74 ・落葉広葉樹

8. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

つる性酥 つる性樹木には、アケビやキヅタなどがあるが、なかて、もフジは最も大きく生長する。野生のフジには、平地に広く見 る。指定樹になっているのは、花ぶさの長く垂れるノダフジの系統て、ある。 られるフジレダフジ ) と、主として西日本の山地に見られるヤマフジとがある。この両種は、つるの巻き方が反対て、あ 牛島のフジ うしじま 特別天然記念物 指昭和 3 年一月田日 ( 天 ) 昭和 30 年 8 月 22 日 ( 特天 ) 所埼玉県春日部市牛島 小島すい子 埼玉県にはフジの名所が多い。県の天 然記 ,CVJJ に指定されているフジの名木と ひさいず こしがや しては久伊豆ネ土 ( 越谷市 ) 、青葉園伏 こつばだ 宮市 ) 、骨波田長泉寺 ( 児玉郡児玉明、菖 蒲ネ土 ( 南埼玉郡物市町 ) などがある。 なかて、も群を抜いた見事なフジカ吽島の フジて、ある。このフジは紫フジの巨木て、、 園芸品種のなかて、は日本一て、ある。植擱合 約 1200 年、幹は中心部が枯れているが、 根元からのびた 10 本ほどの幹が、複雑に からみあっている。全体の根回りは 9.2 メートル、藤棚の枝張りは東西約 34 メー トル、南北約 14 メートルに及んて、いる。 樹齢は 1000 年とも 1200 年ともいわれ、 5 月中旬に開花する。花の最盛期には花ぶ さの長さ約 2.7 メートルにも達し、その 華麗さは実に見事て、ある。弘法大師の御 手植えとも伝えられている。 ( 永野巌 ) たきまえふどう 滝前不動のフジ 指昭和引年 6 月田日 所宮城県柴田郡川崎町支倉滝前 佐藤庄治 宮城県の中部、川崎町支倉字滝前の佐 藤正治氏方の守護神不動明王を祭る神社 に生育するフジの大木て、ある。 こには 3 本のフジがあり、それぞネま高 25 メー トル、胸高直径 90 センチ、樹高 26 メート はせくら ル、胸高直径 40 センチおよび樹高 28 メー トル、胸高直径 48 センチて、ある。植擱合は 400 年以 . E と推定されている。フジの樹下 を流れる細い渓流沿いに、小さな滝があ り、滝前という地名が発生したといわれ フジはつる性の植物て、あり、他の樹木 にはい登って行くものて、ある。現在もス ギにはい登っているが、フジが繁茂しす ぎると、スギが枯死する恐れがあるのて、、 フジの枝の管理が必要て、あろう。また、 周囲の水田などて使用される農薬による 影響も考えられる。 ふじしま 藤島のフジ 指昭和ロ年に月図日 ( 内藤俊彦 ) いちのヘ づや このフジは一戸町小鳥谷にあり、わが 国のフジの中て、は第一イ立の巨木といわれ ている。もともと、このフジはすぐ隣の カッラの大木にからみついていたものて、 あるが、カッラが老齢のため、フジの重 さに耐えかねて、支枝が折れてしまい 現在て、は鉄骨のヤグラとパンザマスト ( 鉄板てて、きた組立式の電柱のような相 とに支えられている。 昭和 44 年 ( 1969 ) の言れ則によれば根回 りは 3.6 メートル、樹高は 20 メートル、樹 齢は数百年とみられている。現在、幹や 主枝の内部はかなり腐っており、幹など は七つに割れている。しかし、樹皮に近 い部分はまだ元気て、、樹勢は非常に盛ん つる性樹木・ 181 所岩手県ニ戸郡一戸町小鳥谷 一戸町

9. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

とによって天然記 ; ま物に指定されている が、それぞれに固有の名称と歴史を持っ 点て、、仏教の歴史と関わって未深い。 最大の太さ ( 目通り幹囲 11 メートル、高 さ 36 メートル ) を持つ「開山杉」は、宝亀 2 年 ( 771 ) 、開山広智菩薩のお手植えに なると伝えられる。また、「頼朝杉」 ( 目通 り幹囲 9.7 メートル、高さ 36 メートル ) は 源頼朝によって植えられたものと言われ る。なお、最も樹高の高いものは「一本 杉」て、、高さ 45 メートルて、ある。擱合は 800 年から 1200 年と推定される。 ( 近田文弘 ) 置旭町 所愛知県東加茂郡旭町 指昭和円年 6 月 26 日 杉本の貞観スギ すぎもとじようがん じようがん 877 ) と伝えられ、創建当時社頭に植えら 神明神社の創建が、貞観年間 ( 859 ~ 加塩の集落からも、その威容が遠望され て、あり、樹勢なおおとろえず、榊野や東 根回り 14.5 メートルの県下最大のスギ る巨木て、ある。胸高幹囲 11.7 メートル、 神社参道入り口、階段の左手前にそびえ 旭町のほば中央に位置する杉本の神明 れたというのて、この名がつけられた。 ( 倉内一二 ) みようけん 指大正年に月 9 日 妙見の大スギ なぐさ ル、植約 1500 年という巨木て、ある。 局 45 メートル、目通り幹囲 11.09 メート この大スギは名草神社境内にあり、樹 置名草神社 * 所兵庫県養父郡八鹿町妙見 股に分岐している。この 2 本が同大に伸 地 - 7 メートルのところて、、幹が二 びているのて夫婦杉の名がある。当地は 大雪があるだけに、分岐した上部を鎖て、 とめるなどの一隻が加えられているが、 昭和 54 年 1 月の大雪て、、参道側に伸びた 直径 40 センチの主枝が折れている。 神社を中心として 300 年生のスギの木 立が並び、背後の国宝三重の塔とともに 調和がとれ、名草神社の参拝者に自然の 美しさ、荘厳さを感じさせている。 当地方のスギ材は美しい光沢があり、 材質が強く「妙見杉」の名て、全国に知ら れている。 ぶさ 八ツ房スギ ( 室井綽 ) 囮昭和 7 年 4 月 25 日 所奈良県宇陀郡菟田野町佐倉 桜実神社 * うだたかき 八ツ房スギは、古事記の「宇陀の高城 しぎわな に鴫罠張る・・・・・・」の伝説て、知られる宇陀 さくらさくらみ の高城、菟田野町佐倉の桜実神社の境内、 社殿ロ妾した東の高台にある。数本の 巨幹が、あるものは上方に、あるものは 斜め上方に、あるものは水平に伸びて立 ちあがるなど、複雑な形状を描いている。 これは 1 株のスギが多岐したものて、はな く、樹幹の状況から、大小 6 株のスギの 幹の基部が互いに癒着したものと考えら れる。このうち最大のものは根回り約 8 . 4 メートル、その他の株の根回りは 1 メートルから 4 メートルあり、 6 株の全 周囲は約 13.5 メートルに達し、高さは約 20 メートルて、ある。 -- ヨ殳にスギは直幹て、あるが、八ツ房ス ギは幹の接着によって珍奇な形態をとっ ている。学術 -- ヒ重要なものて、あるのて、、 天然記念物に指定された。なお、昭和 54 年の台風て、中央の 1 幹が倒れたが、樹勢 ゆちゃく はなお旺盛て、ある。 ( 菅沼孝之 ) 常緑針葉樹・ 147

10. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

はるなじんじゃ 榛名神社の矢立スギ 指昭和 8 年 4 月日 所群馬県群馬郡榛名町榛名山 榛名神社 * 榛名町上室田から榛名湖畔に登る道路 の 8 合目付近に榛名神社がある。入り口 の鳥居から登る沢沿いの参道周辺は樹木 がうっそうと茂り、ヒノキ・サワラ・ア スナロ・モミ・トチなどや、大きなスギ が幾本も立ち、豊かな自然が心をなごま せてくれる。約 1 キロメートル登ると、 どんな旱魃にもかれたことがないという 湧水を過ぎて、やがて左側に大きなスギ が二股になって立っている。 このスギはあたかも 2 本が合着したよ うに見えるが、 1 株が分岐したものだろ うとされている。目通り幹囲 9.4 メート じぎわ ル、地際部から 9 メートル上て二股に分 かれ、支幹の基部は、それぞれ 5 メート ル、 7 メートルとなっている。樹高は 50 メートルて、枝振りが見ごとて、あり、樹勢 は盛んて、ある。またこのスギは「信玄矢 立スギ」ともいわれ、永禄 6 年 ( 1563 ) 、 武田信玄が当社に祈願して、箕輪城を陥 れることがて、きた。そのお礼の参拝の際、 この樹の下に弓矢を置いたのて、この名が あるという。昭和 57 年の台風て、かなり傷 ( 安盛博 ) やたて かんばっ ほうき 箒スギ 指昭和 9 年 3 月 26 日 所神奈川県足柄上郡山北町三保箒沢 間山北町 さかわ 箒沢ゆかりの箒スギは酒匂川上流、河 内月佑岸の急詳地 ( 西丹沢バス停すぐ、 海抜 500 メートル ) にそびえ立っている。 樹高 45 メートル、目通り幹囲 10 メート ル、根回り 18 メートル ( 神奈川県教育委 員会、昭和 47 年 12 月の説明て、、県下 ーの巨樹とされている。幹は太く、樹皮 も色よく、細枝の一部が折れてはいるが 健在て、ある。樹上には着生蘭や小低木も 着生している。近くにヤブッパキやヒノ 138 ・常緑針葉樹 キ・スギの若木をしたがえ、林床にジャ ノヒゲ・ティカカズラ・キヅタなどが生 育し、この場所が常ム葉植材或て、ある ことを示している。谷側が垂直に近い石 垣て、土どめされており、また立入防止の 金糸が設けられるなどして丿虱至姉勺にや や問題がある。箒スギと同程度のスギが かって生育していたが、明治 41 年 ( 1908 ) に伐採されたという。 きよすみ 清澄の大スギ 指大正年に月 9 日 ( 奧田重俊 ) 所千葉県安房郡天津小湊町清澄 清澄寺 あわあまっ 国鉄外房線の安房飛尺て下車、駅前 から清澄ゆきのバスて、終点まて、ゆく。 こは房総の名山、清澄山の一角て、ある。 歩いて間もなく、日蓮 - ヒ人ゆかりの清澄 寺に着く。仁王門をくぐって進んだ正面 に「大スギ」はそびえている。 樹高約 45 メートル、胸高幹囲約 15 メー トル。スギの巨樹は各地にあるが、その 中て、も第一級のものて、あろう。寺て、は「千 年杉」と呼んて、いるが、実植合は四百余年 と推定される。台風て、大枝が折れ、やや 樹形が変わっている。 清澄山一帯は東京大学の演習林となっ ており、これによって自然の保全がなさ れ、千葉県下て、もっともすぐれた植物相 や重丿ル 'J 相が保たれている。 ( 岩瀬徹 ) しようぐん 将軍スギ 指昭和 2 年 4 月 8 日 所新潟県東蒲原郡三川村岩津 置三川村 白崎駅からバスて約 10 分、平等寺境内 本堂東にある本県屈指のスギの巨木て、あ る。樹高約 50 メートル、目通り幹囲約 13. 5 メートル、根元から東へ 1 本の大枝がて、 ている。樹勢はきわめてさかんて、ある。