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検索対象: 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ
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1. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

写真撮影・提供 落葉広葉樹 白山神社のヒトッパタゴ / 服部政信 ( E) / オオムラサクラ / 森田敏隆 大村神社のオオムラサクラ / 矢野豊 知足院ナラヤェザクラ / 小原直久 三隅大平サクラ / 神山典之 37 ・白子不断ザクラ / 絵門仁 見の大ザクラ / 森田敏隆 36 ・常照寺の九重ザクラ / 木村敬之 木曽川堤 ( サクラ ) / 服部政信 狩宿の下馬ザクラ / 大貫茂 33 ・臥竜のサクラ / 森田敏隆 村田功雄囿 中将姫誓願ザクラ / 大貫茂囲 / 32 ・霞間ケ渓 ( サクラ ) / 八木下直 揖斐ニ度サクラ / 大貫茂 素桜神社の神代サクラ / 栗田貞多男 29 ・根尾谷淡墨ザクラ / 森田敏隆 近藤宏二国 28 ・山高神代ザクラ / 梅沢篤之助田 / 梅護寺の珠数掛サクラ / 中俣正義 25 ・松月寺のサクラ / 森田敏隆 極楽寺の野中ザクラ / 中俣正義 オオシマザクラ / 木原治 大島のサクラ株 / 大貫茂 24 ・小木の御所ザクラ / 大貫茂 石戸蒲サクラ / 石川正司 三波川のサクラ / 大橋治三 21 ・桜川のサクラ / 村田功雄 20 ・金剛サクラ / 大貫茂 大戸のサクラ / 村田功雄 17 ・馬場サクラ / 大貫茂 16 ・三春滝サクラ / 森田敏隆 伊佐沢の久保サクラ / 大貫茂 吉田範雄国 南谷のカスミザクラ / 柏倉信吉田 / 15 ・竜谷寺のモリオカシダレ / 大貫茂 14 ・角館のシダレサクラ / 千葉克介 13 ・盛岡石割ザクラ / 矢萩和己 44 ・幸神神社のシダレアカシデ / 大橋治三田 / 安下庄のシナナシ / 竹重満憲 月潟の類産ナシ / 中俣正義 41 ・藤川天神の臥竜梅 / 熊副穣 湯ノ宮の座論梅 / 日永典生 余田臥竜梅 / 神山典之 高岡の月知梅 / 大橋治三 40 ・朝鮮ウメ / 大貫茂 丸林正則 ( 科 中川賢俊国 ロ大屋の大アベマキ / 桑原英文 津島の大ムク / 服部政信 勝源院の逆ガシワ / 八木下弘 甲西の大カシワ / 飯島志津夫 ニ見の大ムク / 山田隆造 椋本の大ムク / 小原直久 東内のシダレエノキ / 八木下弘 東根の大ケヤキ / 大橋治三 48 ・高瀬の大木 ( ケヤキ ) / 吉田範雄 原町の大ケヤキ / 藤重朋紀 馬場大門のケヤキ並木 / 中川賢俊 49 ・文下のケヤキ / 吉田範雄 鵜川神社の大ケヤキ / 大橋治三 御岳の神代ケヤキ / 八木下弘 練馬白山神社の大ケヤキ / 八木下弘 松之山の大ケヤキ / 中俣正義 64 ・木部の大センダン / 大橋治三囿 / 鎮西村のカッラ / 長峰重良 下合瀬のカッラ / 長峰重良 竹崎のカッラ / 竹重満憲 61 ・海潮のカッラ / 佐々木紀夫 60 ・糸井の大カッラ / 木本義一 赤津のカッラ / 吉田範雄 盛岡市門 / 大貫茂 盛岡市肴町 / 北條光陽 都南村滝源寺 / 森田敏隆 57 ・シダレカッラ 羽吉の大クワ / 中俣正義 56 ・薄根の大クワ / 片貝一郎田 / 八木下弘国 下野八幡宮のケヤキ / 森田敏隆 妙見の大ケヤキ / 森田敏隆 竹の熊の大ケヤキ / 中島七光 野間の大ケヤキ / 小原直久 八代の大ケヤキ / 桑原英文 根古屋神社の大ケヤキ / 岩田恒雄 53 ・上野原の大ケヤキ / 森田敏隆 三恵の大ケヤキ / 飯島志津夫 52 ・専福寺の大ケヤキ / 大橋治三 大貫茂囿 中釜戸のシダレモミジ / 中村秀雄 / 南花沢のハナノキ / 木本義一 65 ・北花沢のハナノキ / 木本義一 近藤誠宏囿 白山神社のハナ / キ / 森田敏隆 ( / 琴平町の大センダン / 桑原英文 野神の大センダン / 八木下弘 竹重満憲囲 73 ・実相寺のイチョウ / 大貫茂 72 ・苦竹のイチョウ / 佐藤精一 仁井田のヒロハチシャノキ / 岡崎禎広 太宰府神社のヒロハチシャノキ / 井上泰次 69 ・脇谷のトチノキ / 前佛勇 熊野の大トチ / 服部政信 畑上の大トチノキ / 桑原英文 利賀のトチノキ / 前佛勇 68 ・萬徳寺の大ヤマモミジ / 木本義一 76 ・雨乞のイチョウ / 大貫茂 法量のイチョウ / 吉田範雄 長泉寺の大イチョウ / 吉田範雄 イチョウの種子 / 川村貞一 千本イチョウ / 八木下弘 白旗山八幡宮のオハッキイチョウ / 村田功雄 早田のオハッキイチョウ / 太田威 オハッキイチョウの種子 / 吉田範雄 77 ・善福寺のイチョウ / 八木下弘 杉森神社のオハッキイチョウ / 木本義一 上日寺のイチョウ / 木本義一囲 / 前佛勇囿 80 ・八木沢のオハッキイチョウ / 飯島志津夫 了徳寺のオハッキイチョウ / 木本義一 本国寺のオハッキイチョウ / 若林賢明 竜蔵寺のイチョウ / 西谷友一 飛騨国分寺の大イチョウ / 小林隆 上沢寺のオハッキイチョウ / 若林賢明 菩提寺のイチョウ / 竹重満憲 84 ・平石の乳イチョウ / 八木下弘 下の城のイチョウ / 森田敏隆 85 ・下野八幡宮のイチョウ / 森田敏隆 去川のイチョウ / 森田敏隆 下田のイチョウ / 甲田智之 有田のイチョウ / 矢野豊 乳保神社のイチョウ / 高寺志郎 田原のイチョウ / 鶴野孝典 100 ・川棚のクスの森 / 大橋治三 薫蓋クス / 桑原英文 清田の大クス / 小原直久囲 / 服部政信囿 阿豆佐和気神社の大クス / 阿部司郎 96 ・葛見神社の大クス / 八木下弘 神崎の大クス / 斎藤尚義 杉桙別命神社の大クス / 森田敏隆 93 ・府馬の大クス / 斎藤尚義 永利のオガタマノキ / 森田敏隆 オガタマノキの種子 / 矢野豊 小長井のオガタマノキ / 長峰重良 伯耆の大シイ / 江角隆明 92 ・堂形のシイノキ / 八木下弘 神明社の大シイ / 小原直久 河原の大カシ / 西谷友一 89 ・共和のカシの森 / 八木下弘 88 ・称名寺のシイノキ / 八木下弘 常緑広葉樹 本庄のクス / 長峰重良 大谷のクス / 岡崎禎広 湯蓋の森 ( クス ) 衣掛の森 ( クス ) / 長峰重良 101 ・太宰府神社のクス / 林重信 新居浜一宮神社のクスノキ群 / 岡崎禎広 加茂の大クス / 大橋治三 森田敏隆 (ä 大山紙神社のクスノキ群 / 岡野巧三田 / 川古のクス / 森田敏隆 105 ・隠家森 / 長峰重良 1 図・清武の大クス / 森田敏隆 45 184 ・

2. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

熊野速玉大社のナギ 指昭和年 2 月田日 所和歌山県新宮市上本町 置熊野速玉大社・ しんぐう くまのはやたまたいしや 昭和 15 年 ( 1940 ) に天然記勿に指定 記念に平重盛が植えたものと伝えられて 平治元年 ( 1159 ) に社殿落成に際して、 性というのも神木ならて、はということ おり、偶然とはいえ数株すべてが同一の も、このナギの性はすべて雄株とされて と考えられている。合着したものとして ら、 1 株て、はなく、数株が合着したもの 軸をなす主幹がないことなどの諸条件か 社のナギの幹には縦溝がみられ、かつ中 がナギとしては最大て、あること、速干神 かった幹囲 3.94 メートルのナギの朽株 きゅうしゅ トルある。奈良市春日大社の境内て、みつ り幹囲約 4 . 45 メートル、高さ約 17.6 メー 木がある。根回り約 5 . 45 メートル、目通 鎮座する熊里玉大社の社頭にナギの巨 新宮駅の北西 1 キロメートルのところに 熊野三山の一、新宮市新宮、紀勢本線 はくび しようやま 国鉄伯備線の生山駅前からバスて、日 南町多里まて、行き、そこから西北に分か れ、上萩山集落の手前から林道や歩道を 経て登る船通山 ( 標高 1142.5 メートル ) の南斜面、標高約 1000 メートルの所にあ る。指定当時はイチイとされたが、葉の つきかたから判断すれば、キャラボクと 見るのが正しい。この地点の上方には南 西に走る尾根があり、やや凹地になった 小さい谷の頭部て、、冬の強風がさけられ、 また雪の吹きだまりとなるため、主幹を 直立させたキャラボクが生じやすい所て、 ある。 指定されている「イチイ」は、胸高直 径約 0.7 メートル、高さ 5 メートルのや や南に傾くが直立した古木て、ある。上方 が本ヒや折損してしまった主幹をもつ。 現在残っている主幹の上部の枝は貧弱て、 ねぎわ ある。根際から 0.5 メートルまて、のとこ ろから南方に出た横枝 ( 主なもの 8 本 ) が 18 ~ 21 メートルにも達し、ほば南方に 緩斜面を這い下りるように地表面を覆う 姿は実に壮観て、ある。地元の人はトガ ( 栂 ) の大木として珍重している。 指定されているのは雄株て、あるが、付 近には数本の主幹の直立した若木があ せんつうざん 船通山のイチイ 指昭和 32 年 7 月 27 日 所鳥取県日野郡日南町上萩山滑 日南町 なんたり 金沢家の系図によると、その祖先が寛延 2 年 ( 1749 ) 、邸外に諏訪ネ上を奉祀した とき、神木として大切に保存、尊敬して きたものて、、明治 40 年 ( 190 の、ネ上が村 内の赤城神社に合祀された時、金沢氏が 境内を買い求め、それ以来管理してきた。 目通り幹囲 7.6 メートル、根回り 13.2 メートルあり、樹高は 25 メートル、樹冠 の幅は 17 メートルある。樹幹に見られる 幾本もの縦すじは自然に耐えた苦難と貫 禄を示しているように思える。 10 月頃には、樹冠 -- ドー面に落ちたカヤ の実から、独特の野生の香が立ちこめて いる。かっては 4 石 ( 720 リットル ) も採 れ食糧にしたり、油をしばったりしたも のて、あるが、今は落ちるにまかされてい る。 おばら ( 安盛博 ) された。 うしくば 牛久保のナギ 指昭和年に月図日 所愛知県豊川市下長山町 闇熊野神社 ( 菅沼孝之 ) り、雌株もまじっている。 よこむろ 横室の大カヤ 指昭和 8 年 4 月ロ日 ( 越智春美 ) 小原のヒダリマキガヤ 指昭和ロ年田月図日 所宮城県白石市小原湯沢 間白石市 白石市の南西、国道 113 号から南に 入った、七ケ宿街道の七宿駅の一つ下戸 沢の旧分校跡にある低い石垣の上に生育 している。樹高約 18 メートル、胸高直径 80 センチ、推定推合は約 200 年て、ある。 樹皮は著しくねじれ、枝は垂れ下がり、 葉の形は大きく、一見して普通のカヤと 区別される樹形をしている。仮種皮や種 たてじま 子の表面に左巻き、時に右巻きの縦縞が ある。種子はカヤの中て、は大形て、あり、 果核の最大のものは、長さ 4.27 センチ、 幅 1.66 センチの記録がある。ヒダリマキ ガヤは個イ櫢も少なく、分布上も特筆す 暖地性常緑の裸子植物て、マキ科に属す る。直立性の高木となり、樹皮は紫褐色 て、、枝分かれが多く葉が密生する。葉は 細い楕円形て、先はにぶくとがり、長さ 6 センチ、幅 2 センチくらいて、、平行に葉 脈が走り、対生している。本樹は目通り 幹囲 3.5 メートル余、樹高 15 メートルて、、 地上 4 メートルのところて、 2 支幹に分か れている。樹冠のひろがりは 10 メートル ( 倉内一二 ) 162 ・常緑針葉樹 所群馬県勢多郡富士見村横室東沢ロ 置富士見村 国道 17 号線の前橋市街北寄りを東へ 入ると金網て、囲まれた一角があり、大き なカヤが中央に立っている。 この所在地は旧家金沢賢氏の所有地 て、、居宅の東方諏訪神社跡の広場て、ある。 べきものて、ある。 ( 内藤俊彦 )

3. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

す 「直ぐの木」考 スギはわが国特産の柆重て、あり、本州から四国・九州に わたる広い範囲に分布し、日本人の生活に、最も深いかか わりをもった木て、あることはよく知られている。日本人の 美意識のうえて、はマツやサクラ・ウメなどは、たしかに重 要て、あるが、建築用材を中心とする日本人の生活史として 見るとき、スギ・ヒノキ・ケヤキなど、いすれも重要な役 割を演じてきたのて、ある。 なかて、もスギはヒノキにかわる樹木として最重要視され てきた。スギの語源は「直ぐの木」に由来するといわれる ように、直立して生長し、しかも、その生長は早い。用材 としての量産が可能て、あり、使いやすく丈夫て、もあるとい う建築材として理想の樹木て、あった。 その結果、日本各地にスギの美林が誕生した。京都の北 山スギはあまりに有名て、あるし、秋田スギ・吉野スギ・豊 後スギなど、名のとおったスギの美林は、山林に働く人々 が、親から子へ、そして孫へと、何代にもわたって、文字 やまいらがわたま どおり、わが子を育てるように、長い年月にわたって根気 よく面倒をみてきた愛情の産物なのて、ある。その意味て、は、 スギの美林は単純なる自然林て、はなく、人工林なのて、ある。 しかし、現代の状況はそのスギの美林を荒廃寸前の危機 に直面させている。後継者難と経済生との二つの壁に直面 しているのだ。 スギの美林を見た眼からすると、御神木などの形て残る 巨樹・名木といわれるスギの形態はあまりに異様て、ある。 すぎさわ しようぐん 新潟県の「将軍スギ」、福島県の「杉沢の大スギ」、岐阜県 すぎ の「石徹白のスギ」、高知県の「杉の大スギ」などは、なか て、も、きわだって特徴のある巨木て、ある。 整然と造林されたスギと、これら天然記念物のスギと、 どういう関係にあるのか。前者は、いってみれば規格品、 人間て、いえばサラリーマン、後者は、アウトサイダーかも 知れぬが、強烈な個性を有するスギなのて、あって、この双 方ともに、この世は必要としているのて、ある。 ( 牧野和春 ) 山五十川の玉スギ 指昭和 26 年 6 月 9 日 所山形県西田川郡温海町山五十川碓井 熊野神社・ 数十段の石のきざはしを登った山腹に 熊野神社の社殿がある。その上をおおう 1 本のスギの樹冠が均整のとれた半球状 をなしているのが遠望される。そのため にいつのころからか「玉スギ」と呼ばれ るようになった。 根回りが 19 メートル、目通り幹囲が 10 メートル、枝張りは東西 35 メートル、南 ーー 36 メートル、高さおよそ 33 メートルに およぶ巨に、ある。 地面に露出する巨大な根部が四周をは い、そのたくましさに驚かされる。また 拝殿の下を走るものは殿舎を傾けるため 絶えず補修しなければならないという が、近ごろ樹勢やや衰えをみせている。 ( 結城嘉美 ) ばば すわじんじやじじ 諏訪神社の翁スギ媼スギ 指昭和に年に月幻日 所福島県田村郡小野町夏井町屋 諏訪神社善 国鉄磐越東線の夏井駅のすぐ北にある 諏訪神社の参道をはさんて、立っている 2 本のスギの巨木て、ある。社に向かって右 側 ( 東側 ) に立つものを翁スギ、反対側 のものを媼スキという。翁スギは根回り 10 . 6 メートル、目通り幹囲 9.2 メートル、 高さは 48 . 5 メートルある。また媼スギは 根回り 10.85 メートル、目通り幹囲 9.5 メートル、高さは 47.8 メートルある。 2 本の樹の間隔は根元て、 1 . 37 メートルあ り、この間を参道が通じている。 2 本と も幹は真っすぐにのび、上方て、二つの樹 冠が接している。ともに単木としても屈 指の巨木て、あるが、その 2 木が相対して 立っている様は見事なものて、ある。 ( 樫村利道 ) 常緑針葉樹・ 131 ばば

4. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

回復を期待したい。推定樹齢は約 400 年 えいめいじ 永明寺のキンモクセイ 指昭和に年 6 月日 所群馬県邑楽郡邑楽町中野 置永明寺 * る。樹勢は旺盛て、あるが、樹下に落葉を 敷くなど保護策がとられている。 ( 近田文弘 ) 往至森寺のキンモクセイ 指昭和 2 年 4 月 8 日 所愛媛県西条市飯岡 往至森寺 * 香りの強い花の咲くキンモクセイは、 よく庭に植えられ、普通は小高木か低木 状て、あるが、ときには大きなものもある。 このキンモクセイは、往至森寺の門の 外にあって、根回りほば 4 メートル、地 上 1 メートルあまりのところて、、 4 本の 枝に分かれている。 台風の被害を受けたこともあるが、高 さ約 16 メートルにまて、生長していて、 10 月の花のころには、匂いが遠くまて達す おしもりじ とされている。 ふみようじ ( 安盛博 ) 永明寺の山門を入った左手にある。昭 和 41 年 ( 1966 ) 、台風により根ごと倒れた のて、引き起こされた。このときには根回 りは 4 . 7 メートル、地上 1.3 メートルのと ころて、幹囲 3.4 メートルあり、その上か ら 2 幹に分かれ、それぞれ周囲 2.5 メー トル、 1 . 7 メートルあった。しかしその後 腐朽が入り、樹勢は回復するにいたらな かった。現在はわすかに生き残った下部 しんしようそうせい から新梢が叢生しているものの、昔の面 影は全くなく、回復の見込みはない 幸い永明寺て、、地際部に盛り土をし、 ひこばえを発根させて取り木をし、 2 代 目を作った。これが現在樹高 2 メートル 近くに生長している。同様な目的て群馬 県林業試験場て、は、昭和 50 年 ( 1975 ) よ り 5 ヵ年にわたり、県内の国・県指定樹 木のほとんどについて 2 代目育成の事業 を行い、場内に保存している。 ( 安盛博 ) 三島神社のキンモクセイ 指昭和 9 年 5 月一日 所静岡県三島市大宮町 2 丁目 三島大社 * 三島大社は国鉄三島駅の東南約 1 キロ メートル、市彳也の只中にあってこんも りと繁る森に囲まれている。三島大社の キンモクセイは、この森の中央部、本殿 近くに立っ半球状の樹冠を持っ巨木て、あ る。樹高 15 メートル、目通り幹囲が約 4 メートルあり、幹は地 - 勺 1 メートルの 所て、大きく二つに分かれる。枝は四方に 広がって密に葉をつけ、その先は垂れ下 がる。雄株て、ある。 このキンモクセイはウスギモクセイと 呼ばれるものて、、花色はやや淡い黄色て、 ある。 9 月上旬から中旬にかけ一度開花 し、 9 月下旬から 10 月にかけて再び開花 する性質がある。合は 1200 年といわれ 118 ・常緑広葉樹 じぎわ みしまじんじゃ るという。 けぞうじ けぞうじ 置華蔵寺 * 所群馬県伊勢崎市華蔵寺町 指昭和に年 6 月日 華蔵寺のキンモクセイ ( 山中二男 ) 華蔵寺公園の東隣にある天台宗華蔵寺 の境内にある。目通り幹囲 2.8 メートル、 樹高 10.6 メートルもあって全国的にも 珍しい巨木て、あった。 10 月初旬の満開期 には黄赤色の花が一面に咲き、その香り は 4 キロメートルの遠方にも及んだとい う。しかしこの樹は、その後 2 度の台風 に遭っている。昭和 41 年 ( 1966 ) には根 こそぎ倒れたのて、、起こして施肥などの 手当てが施され、樹勢が一は回復した。 が、昭和 57 年 ( 1982 ) 2 度目の台風に遭 い、 3 本に分岐していた主幹の 1 本が、 は 3 分の 2 ほどになった。残された樹の 20 メートル、南北 15 メートルあった樹冠 ほとんど根元から倒れた。そのため東西 普明寺のキンモクセイ 指昭和 2 年 4 月 8 日 所佐賀県鹿島市古枝久保山 闇普明寺 * 普明寺は佐賀鍋島藩鹿島支藩の是寺 て、あり、三大稲荷の一つとして知られる 祐荷神社から約 1 キロメートル離れ たところにある。 本樹はキンモクセイの雄株て、、同寺本 堂前の広場の東側にある。根元は直径 6.7 メートルの円形に石て、囲まれ、高さ 50 センチの盛り土がなされている。 盛り土上 70 センチの高さの幹囲が 5.5 メートル、そこから 3 本の支幹に分かれ ていたのが、昭和 51 年 ( 1976 ) の台風 17 号によってそのうちの 1 本が折損した。 残る 2 幹の幹囲は 1 メートルの高さて、 2.5 メートルと 1.95 メートル。さらにそ の上から次々に分枝し、 5 メートルの高 さて、の分枝数 9 本。樹高 16 メートル。枝 張りは南北 16 メートル、東西 18 メートル て、枝葉は傘形に広がり、南側は地上 1 メートルまて枝が垂れているが、北側は 9 メートルまて、はげ上がっている。 昭和 51 年の台風て、全体力んだため、 きんばく 昭和 54 年 ( 1979 ) に鋼線て枝幹を緊縛し、 また支柱をたてるとともに根元にも防護 柵を設けて保護したのて、、樹勢はほば回 復してきている。 普明寺のキンモクセイは、同寺の開山、 けいがん 桂厳褝師が元禄年間 ( 1688 ~ 1704 ) に佐 やまと だいがんじ 賀郡大和町の大願寺にある 2 樹のうち の 1 樹を移植したものと伝えられる。大 願寺はその後廃寺となったため、残され た 1 樹は本尠ヒして今はない。 キンモクセイは中国原産て広く庭園樹 とされるが、一殳には小高木となるもの て、、本樹のごとき巨樹はきわめてまれて、 あり、注目される。 ( 貞松光男 )

5. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

みなみこま みのぶ 山梨県南巨摩郡身延町下山本町の本 国寺境内にある。このオハッキイチョウ も上沢寺にあるものと同じて、、根回り 7 メートル、目通り幹囲 5.3 メートル、樹高 25 メートルて、ある。一説によると約 700 にちれんしようにん 年前の弘安 5 年 ( 1282 ) 、日蓮上人がこ の寺て、宿泊した時に植えたものといわれ る。上沢寺のオハッキイチョウと同じ位 の樹齢日則されている。 指定樹には、イチョウによくみられる ちち 「孚凵が垂れ下がっている。乳は『牧野 日本植物図鑑』のイチョウの説明て、は「気 根」としている。イチョウが雌雄異株の ため、孚と関係づけて雌株に生すると いわれることがあるが、これは誤りて、あ る。明治 28 年 ( 1895 ) 藤井賻士がこれを 研究し発表している。これは組勺にみ ると不定芽の場合と、発育を害された短 枝と、それから発生した潜芽とによる場 合がある。この形成は、いすれも局部的 かじよう な栄養の過剰と、局部的な圧力の減少に よるものといわれる。垂れ下がった乳は、 地中に入ると根のような作用をする。乳 の内部はやわらかく、て、んぶんが多く貯 えられている。乳の大きさて有名なのは 千葉県勝浦町高照寺にあるものて、、乳の 直径が 1 メートル以止もあるという。乳 はむしろ雄株に多いこともある。 本国寺の由来記によると、日蓮ト人の 弟子の下山兵庫助光基が開基し、日浄上 人を開山の祖としている。 このオハッ キイチョウも上沢寺と同様に境内にあり 柵を設けて保護されている。 ( 中沢敬止 ) せんが りようとくじ 了徳寺のオハッキイチョウ 指昭和 4 年に月ロ日 所滋賀県坂田郡米原町醒井 了徳寺 * さめい 国鉄醒ケ井駅の南東 500 メートルほど に位置する了徳寺境内の西隅に生育して いる雌株のイチョウて、ある。このオハッ キイチョウはイチョウの葉に現れる奇形 の一つて、、葉縁に多いものは 5 個、普通 は 1 ~ 2 個の小形て、、長楕円形または細 長い種子をつける。天然記念物として昭 和 4 年 ( 1929 ) 12 月に指定された当時は、 目通り幹囲約 2.5 メートルて、あったが、 現在て、は約 4.1 メートルほどに生長して いる。高さは約 18 メートルけ也上約 8 メー トルのところて被分かれし、垂れ下がっ た小枝が目立ち、樹勢はきわめて盛んて、 ある。オハッキイチョウの葉は、葉に 叉分枝の葉脈が発達し、葉 - ヒに種子また ゆうずいやく は雄蕊の葯がついてシダの葉に似た形態 を示す。現在は一ヨ殳に見られない先祖の 形質が偶然のように出現する「先ネ用区り」 の現象て、ある。 りゆうぞうじ 竜蔵寺のイチョウ 指昭和ロ年 7 月幻日 ( 小林圭介 ) 所山口県山口市吉敷上滝 山口市 湯田温泉の西方山麓の竜蔵寺に 1 株の イチョウの巨木がある。この巨木の樹高 は約 50 メートル、目通り幹囲 6.7 メート ル、根回り 9.7 メートルて、、近くに比 べるものがないほど高い木なのて、、秋の 黄葉は数キロメートル先からもはっきり と遠望て、きる。 この株はしなやかな樹形からもわかる ように雌株て、あり、毎年たくさんの種子 をつくる。地上 7 メートル付近から四方 に大きな横枝が伸びていて、その枝張り は各方面に約 20 メートルにもおよぶ。ま ちち た、枝からは 12 本の乳が垂れ下がり、根 元には後から生じた樹高 9 メートルのひ こばえがある。このイチョウの推定合 は 850 年て、あり、役の行者が植えたと伝 えられている。近くの観音堂も行者の開 基という。 ひだこくぶんじ 闇国分寺 * 所岐阜県高山市総和町一丁目 指昭和 28 年 3 月引日 飛騨国分寺の大イチョウ ( 中越信和 ) このイチョウは国分寺の境内にあっ て、樹高 37 メートル、幹の周囲約 10 メー トル、枝張りは南側約 14 メートル、西側 約 11 メートル、東側約 10.1 メートル、北 側約 9 メートをある雄株て、ある。イチョ ちち ウは老木になると、幹枝から乳といわれ る気根を下垂させる。この木も多数の乳 柱を垂れ、樹勢が盛んて、ある。 この大イチョウにまつわる伝説は二つ しようむ ある。ひとつは聖武天皇の天平 9 年 ( 73 の ぎようきばさつ に、行基菩薩が天皇の命を受けて国分寺 こんりゆう を建立した時に植えたというものて、あ る。またもうひとつの伝説は、賢かった ばかりに実の父親の手にかかった、かわ いそうな八重菊にちなむ物語て、ある。い ずれにせよこの大イチョウは、由緒ある 国分寺の優美な建造物と調和して、今日 もたくましい生命力を秘めて高山の澄ん だ空に静かにそびえている。 ( 南川幸 ) ばだいじ 岡山・鳥取県境の那岐山の山腹に法然 しようにん 上人ゆかりの菩提寺があり、その境内 に雄株のイチョウの巨木がある。このイ チョウの樹高は 42.5 メートル、目通り幹 囲 11 メートル、根回りは 11.8 メートル て、、地 3 メートルほどから分かれた幹 は、林を思わせるほど壮大て、ある。 ちち 主幹からは多数の乳が垂れ下がってい てこの木の特徴となっている。最大の乳 は長さ 2.38 メートル、太さ 1.72 メートル れんぎ もある。当地て、はこの乳を連木と呼ぶが、 これは摺子木の方言て、あり、イチョウの 乳からのイメージとしては妙を得てい る。推定樹齢 800 年のこのイチョウの巨 木は、いまもなお樹勢が盛んて、、その特 異な外形とあわせて見事な名木て、ある。 ( 中越信和 ) ちゅう 菩提寺のイチョウ 指昭和 3 年一月絽日 所岡山県勝田郡奈義町高円 奈義町 なぎ ほうわん 落葉広葉樹・ 83

6. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

25 メートル、幹の周囲 14 . 5 メートルて、、 幹の上部から約 30 本ほどの太い枝が上 に向かって伸びている。このスギは、 12 人ほどかからなければ抱えることがて、き ないほどの大スギということて、、古くか ら「十二抱えのスギ」と呼ばれており、 昭和 32 年 7 月日本の代表的なスギとし て、国指定の特別天然記勿にされた。 このスギにはひとつの伝説がある。元 たいちょう 正天皇の養老元年 ( 717 ) に泰澄大師が 修業のため白山 ( 海抜 2702 メートル ) 登 山を試みた。麓から相当高くまて、登った 後、とある所て、杉の杖を上につきさし清 水を探していると、 1 匹の大熊があらわ れた。大師は驚いたがその熊は襲ってく る様子がない。不思議に思ってその熊を 眺めていると、熊は手招きをして大師を 案内する。おそるおそるついて行くと、 しばらくして熊はすわった。大師は付近 を見るとそこには清く冷たい湧水が流れ ていた。大師はこの湧水て、のどを潤した あと、熊の案内て、白山の項上まて、登った。 ところがその帰り道ひと休みした場所へ 置いてきた杖を取りに行ったところ、つ きさしてきた杖がいつの間にか根づいて 抜けなくなっており、仕方なくそのまま にして下山した。このスギがそれから生 長を続けて今の大スギになり、清水も態 清水と呼ぶようになったという。 この石徹白からの白山道は、泰澄大師 が開いたといわれ、これが事実とすれば、 石徹白のスギは、 1260 余年の昔植樹され ことになり、ゆうに 1000 年以上厳しい 白山の風雪に耐えている。 ( 南川幸 ) 加子母のスギ 指大正ロ年に月 9 日 所岐阜県恵那郡加子母村小郷 闇加子母村 池ノ森にある地蔵堂の裏側の空地に立 っスギの巨木て、、樹高約 37.5 メートル、 根回り 17.3 メートル、胸高幹囲 11.2 メー トルあり、岐阜県下のスギて、は 4 番目に 大きなスギといわれている。 ふもと 平安時代末期から鎌倉時代の初期の僧 もんがくしようにんぎようきぼさつ 文覚上人は行基菩薩の手になる地蔵尊 を奉じて加子母にきたが、まもなくこの 地て淋しく亡くなった。その後「鉢木」 の話 ( 佐野源左衛門常世が、寒夜に秘蔵 の盆栽の枝を切り、旅の僧 -- ーー実は北条 時頼ーー -- - をもてなしたのが縁て、、本領安 堵と鉢の木にちなむ三箇庄を与えられ る、という能楽 ) て有名な北条 5 代目の 執権日頁が出家し、僧衣をまとい、ひそ かに諸国をめぐり歩いて世の中の様子や 人々の暮らしむきを見てまわった。その 折にこの地を訪れ、文覚 - :. 人が志半ばに ばだい して亡くなったことを聞き、その菩提を 弔うために 1 株のスギを植えたのがこの 木て、あると伝えられている。 ( 南川幸 ) っきぜ 根羽村 所長野県下伊那郡根羽村月瀬 指昭和円年Ⅱ月日 月瀬の大スギ の結集によって保存されてきたという。 伐採言 1 画が出ても、そのたびに月瀬区民 密着して崇拝されてきた御神木て、ある。 い伝えが古くからあり、或の人たちに 大事変の前兆には大枝が折れるなどの言 に苦しむ人が祈願するとよくなるとか、 の 1 本が残されてきたものて、ある。虫歯 木が何本もとり囲んて、いたが、そのうち 昔は、用冊材土の社叢としてスギの大 しやそう の被害もほとんど受けていない る。また、谷間て、あるために、雷や台風 多く、スギの也て、あることがうかがえ 雨地帯て、あって、スギの植林がたいへん 間雨量が 2000 ミリメートルを越える多 多く樹勢も盛んて、ある。この周辺は、年 目通り幹囲は約 14 メートル、大きな枝も 2 本が根元て、合体したような形をして、 をはさんだ対岸に立っスギの巨大小 て、国道 153 号線から根羽川 ( 矢作川一 長野県の南端、愛知県境の近くにあっ 1600 ~ 1800 年も経た古木といわれてい るが実柆擱合は不明。昭和 56 年に指定解除 しんめいぐう ( 本尠ヒ ) となった神明宮の大スギ ( 大町 市、目通り幹囲約 9 メートル ) は、伐採 した結果、幹が空洞のため推定擱合て、は あるが 800 年と計算されている。この根 元は同地に保管され、幹の輪切りは大町 山岳博物館に展示されている。 ( 和田清 ) くづはちまんぐう 久津八幡宮の夫婦スギ 指昭和 3 年Ⅱ月 30 日 所岐阜県益田郡萩原町上呂 久津八幡宮 * 夫婦スギとは久津八幡神宮の境内にあ る雌スギ、雄スギの 2 株のスギて、ある。 雌スギは社殿の西北にあって樹高約 25 メートル、根回り 12.05 メートル、胸高幹 囲 8.98 メートル。枝張りは、西約 11 メー トル、南約 9 メートル、北約 7 メートル、 東約 5.5 メートル。雄スギは社殿の北方 にあって、樹高約 26 メートル、根回り 11.95 メートル、胸高幹囲約 11 メートル。 枝張りは、東約 9.20 メートル、西約 8.5 メートル、南約 7.5 メートル、北約 6.5 メ ートルある。両スギともにスギの巨木と して有数なものて、、樹勢はきわめて旺盛 めおと て、ある。 せんしようじ 禅昌寺の大スギ 指昭和 4 年 4 月 2 日 ( 南川幸 ) 所岐阜県益田郡萩原町中呂 置萩原町・褝昌寺 高山本線禅昌寺駅北側の萩原町中呂に ある臨済宗妙心寺派褝昌寺の本堂の北方 観音堂の裏側に立っている。 樹高約 40 メートル、幹囲約 10.3 メート ル、幹の北側の地上 1.6 メートルのとこ ろに直径 2 メートル余もあるこぶが出来 ている。幹の上部に 6 本の大枝を出した 雄大な樹形のスギの巨木て、ある。 ( 南川幸 ) 常緑針葉樹・ 143

7. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

ニ見の大ムク 指昭和 32 年 5 月 8 日 所奈良県五條市ニ見 4 丁目 奈良県五條市二見 75 の足立登氏宅の 庭園内にある。かなり広い庭て、あるが、 ムクノキが大きすぎるのて狭く感じるほ どて、ある。二見の大ムクは、指定当時の 高さは約 30 メートルあったが、地上 7 メートルあたりて、分岐したうちの、最も よく伸長した幹が台風て折損し、現在の 高さは 21 メートル、地上 1 . 5 メートルの ところの幹囲が約 8 メートルある。主幹は 空洞となり樹勢はやや衰えている。 このムクノキ、この地方の手まり歌に 「二見辻々、馬場だらけ、ムクノキ裸て、 飛んて、出た、つかんて、ほうるは堀政・・・・・・」 と歌われ、親しまれていた。ムクの大木 として代表的なものて、あるのて、、天然記 果実 ムクノキの花と果実 つの まり、ついに現在の村落が上したとも を慕って、いつの間にか多くの民家が集 格ある姿は遠くよりも目立ち、この名木 また、この地にそびえるムクノキの風 いかといわれる。 名まえもこの剥くにちなんだものて、はな 工の研磨に用いられている。ムクノキの 面の珪酸を含む刺毛を利用して角や骨細 けいさん その材は器具・建築自材に、葉の表 暖帯から亜に分布する落葉高木て、、 め、朝鮮・台湾・中国 ( 山東省以南 ) の 雄花 雌花 ( 1347 ) 、備前守平長義が築いた小田島城 キの巨樹て、ある。この地は正平 2 年 市立東根小学校校地の一隅にあるケヤ の本丸の跡といわれ、 めつきおっき こに雌槻・雄槻 ] ま物に指定された。 椋本の大ムク 指昭和 9 年一月 22 日 所三重県安芸郡芸濃町椋本 間芸濃町 むくもと ( 菅沼孝之 ) いわれる。 東内のシダレエノキ 指大正 9 年 7 月ロ日 ( 天 ) ひがしうち ( 南川幸 ) 芸濃町椋本の南側、町の高台が安麗日 の沖積地へうつる斜面の中ほどにそびえ るムクノキの巨樹て、ある。樹高は約 26 メートルて、、枝張りをみると東西約 25 メートル、南北約 21 メートルほどの広が りをもつ。明治 3 年 ( 1870 ) の台風て、ひ どく痛められ、幹が半分ほど腐ったと土 地の人が語っている。 本田博士の『大日本老樹名木誌』には、 わが国に残されているムクノキのうち、 椋本のムクノキは最大のものて、、台風や 落雷などて被や幹が多明鬲められてはい るものの、風格のある見事な姿の老大木 て、ある、と述べられている。 ムクノキは関東地方以西の日本をはじ 昭和 32 年 7 月引日 ( 名称変更 ) 所長野県小県郡丸子町東内新屋 幹の上部カ墸しく曲がり、多数の枝が 糸のように垂れた珍木て、あったが、現在 は本尠ヒし、解除申請中て、ある。 ( 編集部 ) ひがしね 東根の大ケヤキ 特別天然記念物 指大正馬年田月 20 日 ( 天 ) 昭和 32 年 9 月Ⅱ日 ( 特天 ) 昭和 32 年 9 月Ⅱ日 ( 地域指定 ) 所山形県東根市元東根本丸 ( 小田島城 置東根市 * 2 株の大ケヤキが残されていたが、明治 18 年 ( 1885 ) に雄槻が枯れ、残った雌槻 がこの大ケヤキて、あると伝えている。 土際の周りは 24 メートルにおよび 1 . 5 メートルほど根上がりになっていて、交 錯した根部が露出している。根幹の境の 周りは 16 メートル、さらに 1.5 メートル 上部の幹囲が 12.6 メートルて、ある。主幹 は 5 メートルの高さて、直上部を失って大 きく二股に分かれ、西南側のものはやや 直上し東側のものは 3 枝に分かれ、とも に天空をおおい、高さおよそ 28 メートル に達する。主幹は大空洞て、南北に開口し 通り抜けが自在て、あり、中は畳 2 枚を敷 くほどの広さて、、古くは乞食が寝とまり していたといわれ、たき火をした跡が 残っている。 以前はこの大枝の下に小較のイ篥場 があったが、 10 年ほど前の全面改築にと もなって、大ケヤキ周辺がよく整備され、 数十センチの土盛りて、露出した根部をお おうなど保全につとめた結果、樹勢は一 層盛んとなり枝葉が繁ってその重みて、空 洞化した大枝が落下したり、分橋点に亀 れつ 裂が入るなどの事故もあり、対策に腐心 している。植擱合は 1000 年を越すものと推 定され日本最大ともいわれている。 ( 結城嘉美 ) っちぎわ 落葉広葉樹・ 47