上沢寺のオハッキイチョウ 指昭和 4 年 4 月 2 日 所山梨県南巨摩郡身延町下山上沢 置上沢寺 * みのぶ 山梨県身延町下山の上沢寺境内にあ り、身延山参詣の人々の見物て、賑わって いる。身延町の本国寺や山の神社、その イ頁本寺、常福寺など身延町付近にオハ ッキイチョウが多い。「オハッキ」は「御 ぎんなん 葉付」て、、葉の上に結実 ( 銀杏 ) を生す さか るからて、ある。また「逆さ」イチョウや にちれんしよう 「毒消し」イチョウとも呼ばれ日蓮上 人の伝説と関連する。 イチョウはケヤキとともに大木にな る。戦前て、はあるが、東京市公園課て調 査したところによると、目通り幹囲 3 メートル以上の大木が 679 本あり、その うちイチョウは 122 本、ケヤキが 101 本 て、、イチョウが最も多かった。 このオハッキイチョウは、巨木て、ある とともに形態学的にも未深いものて、、 天然記念物として早くから指定されてい る。これは根回り 6.4 メートル、目通り幹 囲 6.3 メートル、樹高 22 メートルの大き なものて、ある。「逆さ」イチョウとは下枝 が垂れ下がっているからて、ある。身延町 付近にオハッキイチョウの多いのは、上 沢寺からひろまったと考えられている 仕原敬二『樹木大図説 I 』 ) 。その他に鳥 取県にもあり、外国て、はイタリアのフィ レンツェ植物園にもある。 イチョウは裸イ・植物て、雌雄異本俶花は 雌・雄花とも 4 月に短枝上の葉の間につ く。花粉は心皮につき、 9 月になって受 精し、 10 月に種子となる。身延町のオノ、 ッキイチョウの実は、 9 月頃に熟し始め 10 月には落ちる。これは明治 29 年 ( 1896 ) 9 月に平瀬作五郵が発見し、植物学上重 要な発見として世界の植物学者から注目 された。 普通のイチョウは、雌花が長枝先端に 2 個っくが、オハッキイチョウは葉の縁 辺につく。八木沢のオハッキイチョウは 雄株て、、葉辺に葯をつける。 82 ・落葉広葉樹 じようたくじ 公孫樹と書くのは、公孫の代まて、にな らなければ結実しないということからき ている。またそれだけに、雌株と雄株と の見分けカ嘆隹しく、昔からいろいろの説 がある。 苗木の時代に雌株は、雄株にくらべて 小さいこと、雄株の枝は立ち雌株の枝は 横にひろがる傾向をもっこと、雄株の葉 は雌株の葉より切り込みが多いか、深い こと、雄株の葉は雌株よりも早く落ちる こと、などて、ある。しかし、これらはい ずれも科学的なものて、はない また、 どうしてオハッキイチョウの葉 の糸霾墅に胚珠や葯がつくようになったか については、老木となるとかかる現象を あらわすのて、あろうという報告がある ( 向坂直海 : 植物学雑誌 41 巻 483 号 ) 。こ れに対して石原初太郎は、①若い木て、も オハッキイチョウの現象がみられるこ と、②樹勢の旺盛なものほどオハッキ現 象があること、などをあげて反論してい る ( 山梨県『山梨県名木誌』昭和 5 年 ) 。 またこのイチョウの全部がオハッキ種子 になるのて、はなく、正常の種子 7 に対し てオハッキ種子 3 ぐらいの割合て、ある。 ちち また乳と呼ばれるものが垂れ下がってい る。 オハッキイチョウと日蓮上人との伝説 は、上人の身替わりとなって死んだ白い 大を供養するため、いつも手にしていた イチョウの杖をその塚の墓標としたとこ ろ、不思議なことに、この杖から根が生 え枝を伸ばし、今日のような大木となっ たというものて、ある。樹齢は 700 年とい われる。 またオハッキイチョウは、枝が下がっ ているのて逆さイチョウとも呼ばれ、ま た葉は毒消しの霊薬といわれ「毒消し」 イチョウともいわれている。このオハッ キイチョウの実も、普通と違い丸くはな く、少し小型て、犬の牙の形をしている。 上沢寺は、全国の愛大家からは「大の お寺」といわれ大の供養も行っていると 柵を設けて保護され、寺の境内て、ある はいしゅや つえ きば ため管理も十分のようて、ある やぎさわ 。 ( 中沢敬止 ) 八木沢のオハッキイチョウ 指昭和年 7 月に日 所山梨県南巨摩郡身延町上八木沢宮前 置宮ノ前神社 * ・上八木沢区 みなみこま みのぶ 山梨県南巨摩郡身延町上八木沢の山 の神社境内にある。根回り 4 . 1 メートル、 目通り幹囲 2.9 メートル、樹高 25 メート ル ( 秋山植救子『山梨県巨樹名木誌』昭和 49 年 ) の大きさのものて、ある。身延町に はオハッキイチョウが多くみられるが、 これは雄株のものて、ある。日本て指定さ れているイチョウの雄株はこれだけて、あ る ( 山梨県『山梨の文イオ』昭和 46 年 ) 。 オハッキイチョウは葉の上に葯をつける ものて、ある。しかし全部葉上に葯をつけ るのて、はなく、普通の雄花もみられる。 八木沢のオハッキイチョウは伝えられ るところによると、約 200 年前に植えら れたものという。周囲が、水田と民家に はさまれ環境はよくない。国指定天然記 ] 勿の標識が立っているだけて、、八木沢 地区の人て、も知らない人が多い この雄株は、富士川をはさんて上沢寺 や本国寺、さらに常福寺 ( 身延町指定天 然記勿のオハッキイチョウ ) など雌株 と盟目対している。花粉がとんて、いき、 雌株の結実に関係しているのて、あろうと 考えられている。 こは寺の境内などと 違い、神社の境内とはいえ社務所に常時 宮司もいない神社なのて、、保護管理が大 切て、あろう。 ほんごくじ ( 中沢敬止 ) 本国寺のオハッキイチョウ 指昭和 4 年 4 月 2 日 所山梨県南巨摩郡身延町下山本町 本国寺 *
生育のしかたをするこのウメは、天然記 ; 勿にふさわしい珍木・巨木て、ある。 ( 中越信和 ) ちょうせん 朝鮮ウメ 指昭和ロ年 9 月円日 所宮城県仙台市古城 2 丁目 置法務省 * 文禄 2 年 ( 1593 ) 、伊達政宗が文禄の役 たかおかげつちばい 高岡の月知梅 の時、朝鮮から持ち帰り、若オ戈苑内に 指昭和田年に月 24 日 植えさせたと伝えられるウメて、ある。現 所宮崎県東諸県郡高岡町高浜梅元 在のものは接ぎ木によったものて、、政宗 置高岡町 の贈ったものの 2 代目て、あるといい、樹 齢約 200 年とされている。 大淀川の堤防にほど近い高浜集落の一 ふるじろ 仙台市古城 2 丁目の宮城刑務所内にあ 部に約 2 ヘクタールの梅園があって、現 がりゆうばい る臥竜梅て、、通称「朝鮮ウメ」の名て、知 在この梅園には独立株になったものが約 られている。樹高約 9 メートル、幹囲は最 64 株ある。これらは、約 200 年前ほどは 1 大 1.7 メートルて、、枝は東西に 17 メート 株のウメて、あったというが、枝が地面を ル、南北に 22 メートルほど広がっている。 はって根を出し、上に枝を伸ばして四方 ひとえ 花は遅咲き、白色一重の大輪て、香りが高 に広がって行ったようて、ある。したがっ て、幹が地をはうように伸びたものが多 く、果実は大きい。 近年、次第に樹勢が衰え、花数も少な く、直立するものは少ない。地をはった 株の根兀の最も大きいものは約 2 メート くなり、昔日の面影がなくなっている。 このウメの系統を維持するために、接ぎ ルある。 木による育苗を、積極的に行う必要があ 明治時代中頃まて、は原株が残っていた そうて、あるが、今はその位置を示す石碑 ( 内藤俊彦 ) だけが立っている。花は白色、八重咲き の大輪て、、花びらは 25 ~ 30 枚あり、毎年 げつちばい 2 月 11 日ごろ満開になる。月知梅の名は 旧藩主が命名したものて、ある。 ( 外山三郎 = 宮崎、荒木徳蔵 ) よたがりゆうばい 余田臥竜梅 指昭和 8 年 4 月ロ日 所山口県柳井市余田 置柳井市 ひとえ 赤子山の斜面中腹にある小輪一重の白 みやざろんばい 湯ノ宮の座論梅 こうがく 梅て、紅萼のウメ老忙、ある。この木の最 囮昭和田年に月 24 日 大の特徴は、支幹が斜上し途中から逆に 所宮崎県児湯郡新富町湯之宮 地面に向かうことと、着地したところか 間新富町 ら上部に再び枝を出すことて、、名前の臥 りゆうばい 湯ノ宮神社の北側にあり、 1 株から繁 竜梅もこれからつけられた。 主幹は台風て倒木枯死したが、支幹が 殖してて、きた約 20 アールの梅林て、ある。 四方に伸びている。母株の根回りは推定 原木は梅林の東部にあり、株の元は周囲 5.5 メートル、支幹の枝張りは東に 8.5 2.5 メートルある。長い年月の間に枝は四 方に広がり、横たわるように地につき、 メートル、西に 6.3 メートル、南に 7.8 メートル、北に 11 メートルて、、低地の北 根を生じて自活し、新しい株となる。や 側によく伸びている。各支幹の枝は毎年 がて親木との関係が断たれ、間の幹は朽 ちて消える。現在、大小合わせ 60 株があ 早春に着花し、この花火のように咲くウ とびうめ り、別株のように見えるが、もとは 1 株 メを飛梅と呼ぶ。直立する樹木が多いな て、、この繰り返しにより繁殖したものて、 かて、、ちょうどオランダイチゴのような 42 ・落葉広葉樹
ツ毳を , ほんごくじ ①本国寺のオハッキイチョウ ( 山梨 ) 本堂 前の広場に立ち、樹齢は 700 年に近い。根元か にうちゅう らのひこばえは多いが、乳柱は少ない。上の 写真はオハッキイチョウの青い実、下は全景。 「を沢等のオ , 、ツキイチョウ」とともに、霊 樹として保護カ功日えられている。 りようとくじ 、ツい当 0 了徳寺のオハッキイチョウ ( 滋賀 ) 了徳 寺境内の西の一隅に立っている。下の写真は その種子 ( 銀杏 ) 。 ぎんなん 0 竜蔵のイチョウ ( 山口 ) 樹高約 50 メー トルの雌株のイチョウて、毎年たくさん種子 をつくる。推定樹齢 850 年といわれる巨木て、、 役の行者カえたと伝えられている。 0 八采沢のオハッキイチョウ仙梨 ) 宮ノ 前神社境内にある雄株て、、オハッキイチョウ の雄株が天然記念物に指定されたものはこ れだけて、ある。 0 響提等のイチョウ ( 岡山 ) 熱大ゆか りの寺て、その境内にある雄株のイチョウの 巨木て、ある。推定樹齢 800 年、樹勢は盛んて、 特異な外形とともにイチョウの名木てあると いわれる。 ①飛騨国分善の大イチョウ ( 岐阜 ) 国分寺 境内の中央に立っており、樹勢旺盛、イチョ ウの巨木として著しいものて、ある。雄株て、あ ぎんなん るが、極小の銀杏を生ずる奇形樹て、ある。 三 : 第ナ ①上沢等のオハッキイチョウ ( 山梨 ) 本堂 の北方に立っているイチョウて、、「逆イチョ ウ」または「毒消イチョウ」の名て古くから 知られ、霊樹としてイされてきた。 さかさ 落葉広葉樹・ 81
こ朴、 を ~ ノ、 ! 駐 : 。ー第蕚に 004. こ、を , 3 ミこ 0 いを第、 : レい . 薹第ご一こ・だ : : し声みい 三そを当れ・ 第い けを 第ざゞを イチョウ イチョウは裸子植物の一部門て、ある。裸子 植物の大部分を占めているのは、マツ・スギ・ ヒノキなどの針葉樹類て、ある。イチョウはこ れと異なり、葉カ呼たくて広く、落葉性て、あ る。ー - ・ - 搬の落ム葉樹とは系糸剏勺に別て、ある が、便旺 - ヒここに含めた。 じっそうじ ① 0 実相寺のイチョウ ( 岩手 ) 実相寺境内 にあり、兀来雄株て、あるが、枝の一部に雌花 ( 写真下 ) をつけることて、知られている。 にがたけ 0 苦竹のイチョウ ( 宮城 ) 宮城野の一隅に 生育するイチョウの大木て、、樹齢約 1000 年と にゆうちゅう いわれている雌株て無激の乳柱が垂下し、 最大の乳柱は下端が地中に入り、支柱の形と なっている。 0 長泉等の大イチョウ ( 岩手 ) 本堂の西方 に立つ雄株の大イチョウて、、日本のイチョウ としては最大のものといわれている。 0 法薑のイチョウ ( 青森 ) 善正寺跡に立 ており、樹齢 800 年以上と推定される巨大な 雄株のイチョウて、ある。
、ど : 、ツみ を、こ : くこイ・ . ソ” . チャノキ 日本原産の常緑低木て、、暖かい 地方の山に自生していることもあ る。葉は互生て、、浅い切れ込みを 持ち、表面には光沢もあり、初冬 に白い 5 弁花を咲かせる。チャノ キとは、日本人が毎日飲むお茶の 原木のことて、ある。古くから各地 て作られているが、部也によっ て、多少靺や香りが異なっている。 その味の違いは、その生産地の特 徴として販売されている。チャは、 暖かい地て、栽培すれば収穫も多い ため、プラジルなど外国て、の生産 が、日本の業者によって、大規模 に行われている。 民間薬としても古くから利用さ れており、出がらしを煮つめ、そ の汁をかぶれの治療などに用いて 0 野の大チャノキ ( 佐賀 ) 茶の産地嬉野、虚勠歳山の東斜面の畑 ( こあるチャノキの巨恥 現在 8 株からなる集合体のようになっている。 8 支幹のうち、もっとも多い枝をもつものは じぎわ 地際部て、 16 本を数える。樹勢は旺盛、嬉野茶の発祥にかかわる由緒ある名木て、ある。 0 竜華善のソテッ ( 静岡 ) 栽植ソテッの巨 樹中て最大のもの。 1 株の雄株て、、根兀から数 本の太い枝に分かれ、それがさらに分枝して 数十本となり、大きなャプのようて、ある。 4 、ーを つねかみ 0 常神のソテッ ( 福井 ) 東恒三氏の庭にあ る雌手根元から 8 本に分かれ、 1 本をのぞ く他のすべてが直立するソテッの巨イ、 0 能満等のソテッ ( 静岡 ) 雄株のソテッ。恐 竜の首を想わせる大枝が雄大な樹形をつくる 日本有数の巨樹て、ある。 0 国寺のソテッ ( 大阪 ) 境内中央付近に 植えられている。大小取り混ぜて百二十数本 からなる大きな株て、、高さは約 5 メートル。 しんまち 0 新町の大ソテッ ( 静岡 ) 蜂温泉正木家の 庭にある。中央の主幹は直立して 10 メートル に達する。樹齢約 800 年、樹勢は旺盛て、ある。
第対いい きをを . 、ツを、・彎 をい ツ 3 響を らい「い、ゞを当 0 一ッ ー当 いミこ ひのみさき 0 日御碕の大ソテッ ( 島根 ) 福性与の庭園 内て、保護管理されている雄株のソテッ。樹齢 は 300 年以上と推定され、全国て、も屈指の巨 樹て、ある。 0 誓願等のソテッ ( 香川 ) 海岸近くの与に ある雌株のソテッ。根兀から 5 本に分かれ、 局さは 2 メートル以 E ある栽培のソテッて、あ る。四国の我植ソテッの代表的なもの。 3 門し 0 広沢尋のソテッ ( 佐賀 ) 多数に分枝し、そのほとんどが地面に横臥し、先端部は上に向け て葉をつけている。昭和 52 年頃突見状のような樹形に変わった。今て、は主幹部を見分ける ことがて、きないが、ソテッには珍しい主幹を持つ巨樹て、ある。 ①大野下の大ソテッ ( 熊本 ) 蘇鉄秀夫氏宅の前庭にある雌床擱合は 700 年以上といわれ、 蘇鉄の姓を名のっていることて、わかるようにソテッは先祖から伝えられているという。 しようくじ ①松屋寺のソテッ ( 大分 ) 根元はなかば盛 上て、かくれ、数本の枝からさらにその基部 から副根を出して上中に達している。相当古 い雌株のソテッて、ある。 おおのしも 0 馬を 3 のを
イチョウー - ーー一生きている化石植物 イチョウは裸子植物の一系統て、、現在は 1 科 1 属 1 種だけて、あるが、中生代にはお おいに栄えた。その地質時代 ( およそ 1 億年ぐらい ) からの特徴を保ち続けているの て、、生きている化石植物ともいわれる。自生は中国の一部のみに確認されている。古 い時代に日本にもたらされ、各地に広まった。神社や寺の境内には、巨樹が多い。雌 木・雄木は別て、ある。 は雄株て、ありながら、枝の一部に雌花を つけるという変わりものて、ある。主な枝 ほうき は幹の 3.5 メートルの高さから箒状に張 りだしている。そのうち南東に伸びてい る 1 本のなかほど ( 地上より高さ 11.9 宮城野の一隅に生育するイチョウの大 メートル ) にある小枝は雌花を開き、果 木て、、樹高約 35 メートル、胸高直径約 2.5 実をブドウの房状に数房つける。このよ メートルて、あり、樹齢約 1000 年と言わ うに ーカ所の小枝のみが突然変異に にゆうちゅう れている。雌株て、無数の乳柱が垂下し よって性の転換を行っている例は極めて 珍しく、学術上価値が高い。 ているが、最大の孚は主は北側にあり、そ の太さは周囲約 1.6 メートルに達し、下 なお、指定当時から約 45 年も経ってい 端は地中に入り、支柱の形となっている。 るにもかかわらず、この小枝の長さは約 現在の東北大学理学部て植物学を講じて 50 センチメートルと短く、生長が極めて いた、ハンス・モーリッシュ教授によっ 遅いのも不思議な点て、ある。 ( 菅原亀悦 ) て初じめて世界の学会に紹介された。 ちちいちょう 昔から乳銀杏または姥銀杏と言われ、 ちょうせんじ 長泉寺の大イチョウ 樹下に祭られた銀杏姥神には、乳の出な 指昭和 6 年 2 月 20 日 い婦人の参拝が多いという。イチョウの 所岩手県久慈市門前 孚は主を参拝することて、、乳が出るという 間長泉寺 * 迷信から、乳柱が切り取られているもの もある。瓰丘は市彷地化が進み、住宅が 久慈市街の北方約 1 キロメートルの丘 密集した結果、自動車の排ガスも増加し 陵地帯の南斜面にある長泉寺山門をくぐ て、樹木にとっての環境が悪化している。 ると、すぐ左手に大イチョウがある。 のイチョウは指定当時は樹高約 37 メー ( 内藤俊彦 ) トルもあり、日本一のイチョウといわれ ていたが、昭和 22 年 ( 194 のと、同 23 年 実相寺のイチョウ の台風やその他の強風によって、主幹や 指昭和年に月図日 主枝が折れて往時の姿が失われている。 所岩手県ニ戸郡一戸町一戸大沢 この木の幹は地際から二つの主幹とな 置実相寺ネ り、さらにこれらは 8 本の支幹に分かれ ているが、たびかさなる強風によって下 このイチョウは実相寺の山門をくぐっ 部て折れ、ただ 1 本の支幹を残すのみと てすぐ左手にあり、樹高は約 21 メートル、 なった。しかし、この木は樹勢がすこぶ 目通り幹囲は 3.38 メートル、樹齢は約 る良好て、残った 1 本の支幹や再生した 270 年と推定される。イチョウは一般に雄 しじよう 枝条によりうっそうとおい茂っている。 の株と雌の株とに別れているが、この木 にがたけ 苦竹のイチョウ 指大正年田月 20 日 所宮城県仙台市銀杏町 開花時の雄株 雄しべ 開花時の雌株 うば イチョウ 雌しべ じっそうじ じぎわ 74 ・落葉広葉樹
のつ 太木 っ乳う有 賀ん崎イ ・内る た田地あ ①宅て ウる 内かての な境幹しう有 チて少 の。とけ希 樹大 土う神て イ出が のん枝い「のし し J ゅ乳し」 論垣株さ太 , ウ ~ 授樹 が : 立徳チつの イよウ え〕屹 ( こ直チに柱チ 俗ちイ ム具 。搴やチカなあ ~ 土て」るる 高 引るれて 新のし畤 去幹力」あばの に、ら尊 てがの の 高き ひらいし にゆうちゅう 0 平石の乳イチョウ ( 高知 ) 乳柱という気 根の多いイチョウの古木として代表的なも ほこら の。雄株て、、樹齢は 800 年ぐらい、幹の元に祠 カ際られ、古くから乳の信仰があったらしい。 しものはちまんぐう 0 下野八幡宮のイチョウ ( 宮崎 ) 神社の境 内にある雄株のイチョウて、、樹勢はきわめて 盛ん。イチョウの巨木の一つて、ある。 0 下田のイチョウ ( 熊本 ) 下田氏所有のイ チョウの老樹。 500 ~ 600 年前のものといわ きんなん れ、そばに来歴を記した銀杏樹碑がある。 第霪 , / 第を 3 を , 。 , 桑気第 , 第・第朝 ・を三 : いをイ = 、 をの , ま第気、餒第を、 2 、第を朝番 な : い第に て算・三 : 物こ 、第をドを 第をす 第ツに第こ ありた
みなみこま みのぶ 山梨県南巨摩郡身延町下山本町の本 国寺境内にある。このオハッキイチョウ も上沢寺にあるものと同じて、、根回り 7 メートル、目通り幹囲 5.3 メートル、樹高 25 メートルて、ある。一説によると約 700 にちれんしようにん 年前の弘安 5 年 ( 1282 ) 、日蓮上人がこ の寺て、宿泊した時に植えたものといわれ る。上沢寺のオハッキイチョウと同じ位 の樹齢日則されている。 指定樹には、イチョウによくみられる ちち 「孚凵が垂れ下がっている。乳は『牧野 日本植物図鑑』のイチョウの説明て、は「気 根」としている。イチョウが雌雄異株の ため、孚と関係づけて雌株に生すると いわれることがあるが、これは誤りて、あ る。明治 28 年 ( 1895 ) 藤井賻士がこれを 研究し発表している。これは組勺にみ ると不定芽の場合と、発育を害された短 枝と、それから発生した潜芽とによる場 合がある。この形成は、いすれも局部的 かじよう な栄養の過剰と、局部的な圧力の減少に よるものといわれる。垂れ下がった乳は、 地中に入ると根のような作用をする。乳 の内部はやわらかく、て、んぶんが多く貯 えられている。乳の大きさて有名なのは 千葉県勝浦町高照寺にあるものて、、乳の 直径が 1 メートル以止もあるという。乳 はむしろ雄株に多いこともある。 本国寺の由来記によると、日蓮ト人の 弟子の下山兵庫助光基が開基し、日浄上 人を開山の祖としている。 このオハッ キイチョウも上沢寺と同様に境内にあり 柵を設けて保護されている。 ( 中沢敬止 ) せんが りようとくじ 了徳寺のオハッキイチョウ 指昭和 4 年に月ロ日 所滋賀県坂田郡米原町醒井 了徳寺 * さめい 国鉄醒ケ井駅の南東 500 メートルほど に位置する了徳寺境内の西隅に生育して いる雌株のイチョウて、ある。このオハッ キイチョウはイチョウの葉に現れる奇形 の一つて、、葉縁に多いものは 5 個、普通 は 1 ~ 2 個の小形て、、長楕円形または細 長い種子をつける。天然記念物として昭 和 4 年 ( 1929 ) 12 月に指定された当時は、 目通り幹囲約 2.5 メートルて、あったが、 現在て、は約 4.1 メートルほどに生長して いる。高さは約 18 メートルけ也上約 8 メー トルのところて被分かれし、垂れ下がっ た小枝が目立ち、樹勢はきわめて盛んて、 ある。オハッキイチョウの葉は、葉に 叉分枝の葉脈が発達し、葉 - ヒに種子また ゆうずいやく は雄蕊の葯がついてシダの葉に似た形態 を示す。現在は一ヨ殳に見られない先祖の 形質が偶然のように出現する「先ネ用区り」 の現象て、ある。 りゆうぞうじ 竜蔵寺のイチョウ 指昭和ロ年 7 月幻日 ( 小林圭介 ) 所山口県山口市吉敷上滝 山口市 湯田温泉の西方山麓の竜蔵寺に 1 株の イチョウの巨木がある。この巨木の樹高 は約 50 メートル、目通り幹囲 6.7 メート ル、根回り 9.7 メートルて、、近くに比 べるものがないほど高い木なのて、、秋の 黄葉は数キロメートル先からもはっきり と遠望て、きる。 この株はしなやかな樹形からもわかる ように雌株て、あり、毎年たくさんの種子 をつくる。地上 7 メートル付近から四方 に大きな横枝が伸びていて、その枝張り は各方面に約 20 メートルにもおよぶ。ま ちち た、枝からは 12 本の乳が垂れ下がり、根 元には後から生じた樹高 9 メートルのひ こばえがある。このイチョウの推定合 は 850 年て、あり、役の行者が植えたと伝 えられている。近くの観音堂も行者の開 基という。 ひだこくぶんじ 闇国分寺 * 所岐阜県高山市総和町一丁目 指昭和 28 年 3 月引日 飛騨国分寺の大イチョウ ( 中越信和 ) このイチョウは国分寺の境内にあっ て、樹高 37 メートル、幹の周囲約 10 メー トル、枝張りは南側約 14 メートル、西側 約 11 メートル、東側約 10.1 メートル、北 側約 9 メートをある雄株て、ある。イチョ ちち ウは老木になると、幹枝から乳といわれ る気根を下垂させる。この木も多数の乳 柱を垂れ、樹勢が盛んて、ある。 この大イチョウにまつわる伝説は二つ しようむ ある。ひとつは聖武天皇の天平 9 年 ( 73 の ぎようきばさつ に、行基菩薩が天皇の命を受けて国分寺 こんりゆう を建立した時に植えたというものて、あ る。またもうひとつの伝説は、賢かった ばかりに実の父親の手にかかった、かわ いそうな八重菊にちなむ物語て、ある。い ずれにせよこの大イチョウは、由緒ある 国分寺の優美な建造物と調和して、今日 もたくましい生命力を秘めて高山の澄ん だ空に静かにそびえている。 ( 南川幸 ) ばだいじ 岡山・鳥取県境の那岐山の山腹に法然 しようにん 上人ゆかりの菩提寺があり、その境内 に雄株のイチョウの巨木がある。このイ チョウの樹高は 42.5 メートル、目通り幹 囲 11 メートル、根回りは 11.8 メートル て、、地 3 メートルほどから分かれた幹 は、林を思わせるほど壮大て、ある。 ちち 主幹からは多数の乳が垂れ下がってい てこの木の特徴となっている。最大の乳 は長さ 2.38 メートル、太さ 1.72 メートル れんぎ もある。当地て、はこの乳を連木と呼ぶが、 これは摺子木の方言て、あり、イチョウの 乳からのイメージとしては妙を得てい る。推定樹齢 800 年のこのイチョウの巨 木は、いまもなお樹勢が盛んて、、その特 異な外形とあわせて見事な名木て、ある。 ( 中越信和 ) ちゅう 菩提寺のイチョウ 指昭和 3 年一月絽日 所岡山県勝田郡奈義町高円 奈義町 なぎ ほうわん 落葉広葉樹・ 83
尾崎小ミカン先祖采 ( 大分 ) ミカン畑の中にある四十余本の小ミカンの老樹。ほとんどが おおひび おうみ 0 大日比ナッミカン原樹 ( 山口 ) 青海島の 上際て、分岐し、屈曲して斜め上に向いている。これらの幹は原木から出て繁殖したものと田 海岸近くの西本氏宅に植えられている。この ィじ、 われる。来歴ははっきりしないが、旧藩時代に培養上の保護をうけたものの遺木と考えられ 株は最初の株のひこばえだったといわれる。 る。甘くて美味て、長期の貯蔵に耐える。 1704 年に海岸に流れ着いた果実からとれた 種子を播いて育てたのが起源といわれる。 っちぎわ いばく 、第、当ら ち一い 【第・一は。 -. ト川 1 員い 3 - ・を消一を - ト一ま・・旅・う第 3 ご )