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検索対象: 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ
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1. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

第【第 を第う 3. を々 ・、ないをイ : ' を物朝、 0 北浜の大カヤノキ ( 静岡 ) 川合氏宅の庭 にあるカヤの大木。根張りが広く、樹勢は盛 んて、ある。 たきのや 0 建屋のヒダリマキガヤ ( 兵庫 ) 故北垣国 がいかく 道氏の旧邸内にある。種子は楕円形て、、外殻 が左巻きの波紋になっている。 だえん 、ゞレ、笋 . ゞゞ 0 果号寺のシブナシガヤ ( 三重 ) 樹高約 21 メートル、直径約 83 センチメートルの高木て、、毎 0 名古屋城のカヤ ( 愛知 ) 戦災て、半分以上 年多くの実をつけている。種子の特徴から「はちのこ」とも土地て、は呼ばれている。 焼けたが、現在は樹勢を回復している。 ひおき たかくらじんじゃ ①熊野のヒダリマキガヤ ( 滋賀 ) 熊野に 3 本①日置のハダカガヤ ( 兵庫 ) 種子に堅い内 ①高倉神社のシブナシガヤ ( 三重 ) 樹高約 しゅひ あり、ヒダリマキガヤが珍種て、あることから種皮の殼がなく、薄い渋皮だけの種子が実る 21 メートル、直径約 80 センチの高恥境内の その発見地が指定された。 のてハダカガヤといわれる。 竹ャプにあり、毎年多くの実をつける。 くまの 第をを をト 叫いき す、 常緑針葉樹・ 165

2. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

雨乞のイチョウ 指昭和 43 年Ⅱ月 8 日 所宮城県柴田郡柴田町槻木入間田雨乞 置柴田町 柴田町雨乞の雨乞屋敷加藤鶴治氏宅前 にあり、愛宕山 ( 海抜 291 メートル ) の南 側山腹 ( 海抜 160 メートル ) の台地の南端 斜面に生育している。樹高 31 メートル、 胸高直径 3.5 メートル、樹冠の広がりは にゆうちゅう 約 200 平方メートルて、ある。乳柱の発 達も著しく、長さ 3.5 メートル、直径 45 セ ンチに達するものがある。雄株て樹勢が 盛んて、、樹形も良い。宮城県内のイチョ ウは、雌雄両株が指定されている。この イチョウは斜面の上端にあり、土壌侵食 や強風による售が考えられるのて、、そ の対策が必要て、ある。 せんばん 千本イチョウ 指昭和 6 年 2 月 20 日 所千葉県市川市八幡 葛飾八幡宮 * ( 内藤俊彦 ) 国電総試線の本八幡駅から北へ数分歩 いたところ、葛飾八幡宮の境内にある。 古くは、『江戸名所図経や『下総名勝図 絵』などにも記されている名木て、ある。 当時はかなりの遠方からも目立ったのて、 あろう。 主幹は昔の落雷のため地 - ヒ 6 メートル のところて折れているが、その外側を多 数の支幹がとり囲み、それらが一大樹形 を作り上げている。千本イチョウの名は これから起こったと思われる。樹高は約 24 メートル、直径は約 3.5 メートル。植擱合 は 1000 年と伝えられるが、実際はそれよ り少ないて、あろう。 八幡宮の神木とされ、周囲は石柵て、囲 まれて保護されている。市川市のほば中 心にあり、付近に高層ビルが建ってきて、 さすがの大木も遠くからは目立たなく なってきた。 78 ・落葉広葉樹 ( 岩瀬徹 ) しらはたやまはちまんぐう 白旗山八幡宮のオハッキ イチョウ 囮昭和 4 年 4 月 2 日 所茨城県水戸市八幡町 白旗山八幡宮 * 水戸市の中心部よりやや西北、白旗山 八幡宮の境内にある。社殿の刺則に茂る 1 本のイチョウて、、胸高直径約 6 メート ル、樹高約 35 メートル、根回りは約 9.5 にゆうちゅう メートルもある。幹には多数の乳柱が 垂れ下がり、枝張りもいい。オハッキイ チョウとしては最大の巨樹といわれてい るが、現在て、も樹勢は良い イチョウの雌株の老樹には、正常の種 子の他に種子が葉の上にて、きるものがあ り、これをオハッキイチョウと呼んて、い る。八幡宮の個体もオハッキイチョウな のて、学術」 : 有益なものとして指定を受け た。植描合については 400 年とも 600 年とも こんりゆう いわれている。八幡宮建立が宝永 4 年 ( 170 の、それ以前には寺院があり、その 時すて、に存在していたものだという。 ( 鈴木昌友 ) わさだ 海岸ぞいの早田の集落から東へ約 1.8 キロメートル入った丘陵の南面に植えら れたイチョウて、、 2 株あるがどちらも葉 の主脈に雌花を生じ結実するいわゆる おはつき 「御葉付」という奇形木て、ある。とくに東 側の 1 株が指定木になっている。根回り は 3.8 メートル、根元から 2 本に分かれ、 それぞれの幹の周囲は 2 メートルあり、 そこから多くの枝を出し、本として盃 状をなし、高さおよそ 15 メートノレて、ある。 今から 60 年ほど前に、東田川郡朝日村 熊出の佐藤兵助氏の所有するよく結実す るイチョウから接ぎ穂をもらって、接ぎ 木したものて、、親木が正常な結実だけて、 あるのにこのような奇形木が生じたとい 早田のオハッキイチョウ 指昭和 26 年 6 月 9 日 所山形県西田川郡温海町早田河内

3. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

つる性酥 つる性樹木には、アケビやキヅタなどがあるが、なかて、もフジは最も大きく生長する。野生のフジには、平地に広く見 る。指定樹になっているのは、花ぶさの長く垂れるノダフジの系統て、ある。 られるフジレダフジ ) と、主として西日本の山地に見られるヤマフジとがある。この両種は、つるの巻き方が反対て、あ 牛島のフジ うしじま 特別天然記念物 指昭和 3 年一月田日 ( 天 ) 昭和 30 年 8 月 22 日 ( 特天 ) 所埼玉県春日部市牛島 小島すい子 埼玉県にはフジの名所が多い。県の天 然記 ,CVJJ に指定されているフジの名木と ひさいず こしがや しては久伊豆ネ土 ( 越谷市 ) 、青葉園伏 こつばだ 宮市 ) 、骨波田長泉寺 ( 児玉郡児玉明、菖 蒲ネ土 ( 南埼玉郡物市町 ) などがある。 なかて、も群を抜いた見事なフジカ吽島の フジて、ある。このフジは紫フジの巨木て、、 園芸品種のなかて、は日本一て、ある。植擱合 約 1200 年、幹は中心部が枯れているが、 根元からのびた 10 本ほどの幹が、複雑に からみあっている。全体の根回りは 9.2 メートル、藤棚の枝張りは東西約 34 メー トル、南北約 14 メートルに及んて、いる。 樹齢は 1000 年とも 1200 年ともいわれ、 5 月中旬に開花する。花の最盛期には花ぶ さの長さ約 2.7 メートルにも達し、その 華麗さは実に見事て、ある。弘法大師の御 手植えとも伝えられている。 ( 永野巌 ) たきまえふどう 滝前不動のフジ 指昭和引年 6 月田日 所宮城県柴田郡川崎町支倉滝前 佐藤庄治 宮城県の中部、川崎町支倉字滝前の佐 藤正治氏方の守護神不動明王を祭る神社 に生育するフジの大木て、ある。 こには 3 本のフジがあり、それぞネま高 25 メー トル、胸高直径 90 センチ、樹高 26 メート はせくら ル、胸高直径 40 センチおよび樹高 28 メー トル、胸高直径 48 センチて、ある。植擱合は 400 年以 . E と推定されている。フジの樹下 を流れる細い渓流沿いに、小さな滝があ り、滝前という地名が発生したといわれ フジはつる性の植物て、あり、他の樹木 にはい登って行くものて、ある。現在もス ギにはい登っているが、フジが繁茂しす ぎると、スギが枯死する恐れがあるのて、、 フジの枝の管理が必要て、あろう。また、 周囲の水田などて使用される農薬による 影響も考えられる。 ふじしま 藤島のフジ 指昭和ロ年に月図日 ( 内藤俊彦 ) いちのヘ づや このフジは一戸町小鳥谷にあり、わが 国のフジの中て、は第一イ立の巨木といわれ ている。もともと、このフジはすぐ隣の カッラの大木にからみついていたものて、 あるが、カッラが老齢のため、フジの重 さに耐えかねて、支枝が折れてしまい 現在て、は鉄骨のヤグラとパンザマスト ( 鉄板てて、きた組立式の電柱のような相 とに支えられている。 昭和 44 年 ( 1969 ) の言れ則によれば根回 りは 3.6 メートル、樹高は 20 メートル、樹 齢は数百年とみられている。現在、幹や 主枝の内部はかなり腐っており、幹など は七つに割れている。しかし、樹皮に近 い部分はまだ元気て、、樹勢は非常に盛ん つる性樹木・ 181 所岩手県ニ戸郡一戸町小鳥谷 一戸町

4. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

いを 、 : をを新い ①竹崎のカッラ ( 島根 ) 高さ 30 メートルあ まり、大小多数の支幹からなる。カッラとし ては、この地方て、も稀な巨樹て、ある。 0 糸井の大カッラ ( 兵庫 ) 糸月 = 渓谷の奧に ある樹齢 1000 年あまりと推定される大カッ ラ。ひこばえの太いものは直径 50 センチ、小 さいものて、は 10 センチほどのものまて、林並 する。 たけざき + るれ すっ 幹に隹 , 幹て 艮稀 島力は のと のの う一本ラ 7 ッ 0 下合瀬の大カッラ ( 佐賀 ) 北山ダム山中 にあり、カッラの巨木としては全国屈指のも のて学術的価値が高い。 の西のカッラ ( 福岡 ) 桂谷という渓谷 の急斗面に立つカッラて、、樹齢は 1000 年を超 えるといわれる。この木は雄株て、ある。 しもおうせ

5. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

た巨大なものて、ある。自生していたもの どうがた 堂形のシイノキ のうち、この 1 本だけが残されたものて、 指昭和田年 8 月 24 日 あろうが、孤立した木のためか樹高より 所石川県金沢市広坂 2 丁目 は枝張りの方が大きく、本としてやや 置石川県 へんべ、、 扁平な丸い樹形を保っている。老植忙、あ 石川県庁玄関前左右に 1 対のスダジイ るため、幹に空洞が多いが、まだ樹勢も よく、日本的な巨樹として指定された。 の老樹が立っている。以前の報告て、は左 あが 付近の住民からは御神木として崇められ 側のものが右側のものより大きいように 記されているが、現在、言れ則してみると、 ている。 ( 越智春美 ) 両者ともに高さ 12 メートルは可り 12 メー トル、地上 1 . 2 メートルの幹囲 7.5 メー トルて、、ほとんど同大のようにみえる。 この両樹はもと、加賀騒動て、有名な大 つきでんぞう 槻伝蔵の屋敷にあったものを移植したと いわれるが、「堂形のシイノキ」と呼ばれ るようになった理由は、旧藩時代に このオガタマノキは、国鉄長崎本線小 の地を堂形といっていたことによるもの 長井駅の近くを、多良岳に源を発して流 て、あろう。 れる長里川の上流の、河口から 2 キロ ( 里見信生 ) メートル余りの所の里道の脇にそびえて いるが、自然のものと思われる。 この木は指定前、幹の途中から切られ、 所有者の建築材に使われたという。その 切り口から伸びた十数本の芽が生長して 林立し、木全体の格好が複雑て、ある。 根元近くの幹囲は 9 メートル余りも うらやす 国鉄山陰本線浦安駅からバスて、南方に あって、オガタマノキの日本一の巨樹と みやば 行き、約 30 分て、宮場に着く。その近くの 思われる。 春日神社境内の南向き糸斗面に立つ。胸 この樹上には、ムクノキ・エノキ・ク 高直径約 3 メートル、地上 1 . 8 メートル スドイゲ・ツルマサキ・オオイタビ・イ の所から出た太枝の根元て、も直径 1.3 ~ タビカズラ・イヌビワなど十種余りの樹 2 メートル、樹高 15 メートル、枝張りは 本が着生している。しかし樹勢は極めて 東西 28 メートル、南北 22 メートルといっ 旺盛て、ある。 ( 外山三郎 = 長崎 ) こながい 小長井のオガタマノキ 指昭和 26 年 6 月 9 日 所長崎県北高来郡小長井町 おお ニ一 ほうき 伯耆の大シイ 指昭和に年 4 月ロ日 所鳥取県東伯郡東伯町宮場宮内家敷 置春日神社 * 袋果 雌しべ 雄しべ オガタマノキ 94 ・常緑広葉樹

6. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

げば きそがわづつみ かりやど 木曽川堤 ( サクラ ) 狩宿の下馬ザクラ 特別天然記念物 脂昭和 2 年 8 月Ⅱ日 脂大正Ⅱ年田月に日 ( 天 ) 所愛知県一宮市浅井町・北方町・葉栗 昭和 27 年 3 月 29 日 ( 特天 ) 闇愛知県 所静岡県富士宮市狩宿 間富士宮市 愛知県西北部、江南市草井から下流一 きたがた 宮市北方町にわたる木曽川堤の両側約 8 このサクラは、富士山を正面に仰ぎ、 キロメートルにわたって、明治 18 年 立派な構えの旧家 ( 井手家 ) を後にして、 絵のような風景の中に立っている。そこ ( 1885 ) にサクラカ財直樹された。 やわせ は広々とした富士山麓の南西の一隅にあ 苗木は中島郡矢合 ( 現、稲沢市矢合町 ) たる。このサクラはヤマザクラて、、樹齢 産のものて、、当初は 1800 本。重はエド 800 年以上の非常に古いものとされる。頼 ヒガン・シダレザクラを主とし、少数の とも 朝下馬ザクラ、駒止めザクラ、駒繋ぎザ ヤマザクラとサトザクラを混じえていた クラなどと呼ばれるが、それはこのサク という。 ラが建久 4 年 ( 1193 ) 、源頼朝が富士の巻 イ尹勢湾台風の被害と老木て、本尠ヒのもの き狩りのとき、馬をつないだ枝が活着し がて、て、現存は 555 本となり、下流の一宮 たものと伝えられることによる。 市側のものが残っている。目通り直径 30 かっては目通り幹囲約 8.5 メートル、 ~ 40 センチのものがあり、場所によって 高さ 35 メートルもある大木て、あったが、 は見事な花のトンネルとなる。 近年台風のため傷められた。現在、直立 上記のように本数が減少したが、堤防 する高さ数メートルの幹と横に伸びるや 保全の立場から補植が許されない。それ や大きい幹があるのみて、ある。花は 4 月 て、昭和 47 年 ( 1972 ) 以来、施肥、剪定、 10 日頃に咲き、初めは淡紅色て、のちに白 消毒 ( 年 3 回 ) などの手入れて、樹勢保持 色となる。花は大きく、直径 3 センチに に努め、 こ数年来効果をあげている。 なる。花房は長く、約 4.5 センチとなる。 ( 倉内一二 ) サクラの周囲を柵て、囲う他、シロアリの 駆除、施肥を行っている。 ( 近田文弘 ) 名勝 こうなん し せんてい 木曽川堤 ( サクラ ) 各務原市 岐阜県 羽島用水 新 木笠松町 乙 ) 川島町一 サイクリン 「河田 一宮市 浅井町 江 愛知県 落葉広葉樹・ 35

7. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

をいま 暴い . いましみず 0 石徹白のスギ ( 岐阜 ) 今清水神社跡に数 本のスギと共に生育する巨樹。樹高 25 メート ル、幹の周囲 14.5 メートル。幹が太いのて、古 くから「十二抱えのスギ」と呼ばれている。 0 月瀬の大スギ ( 長野 ) 大小 2 本が根元て、 合体したような形をしたスギの巨恥 1 6 0 0 ~ 1800 年を経た古木といわれ、谷間にあるた めに、雪や台風の被害をほとんど受けていな くづはちまんぐう めおと 0 久津八幡宮の夫婦スギ ( 岐阜 ) 八幡宮 の境内にある雌スギ、雄スギの 2 株て、ある。 樹高は雌スギが約 25 メートル、雄スギが約 26 メートル、スギの巨木として有数なもの。 褝昌寺の大スギ ( 岐阜 ) 樹高約 40 メー トル、幹の周囲約 10.3 メートル、幹に直径 2 メートル余もあるこぶがある。幹の上部に 6 本の大枝が出ている雄大な樹形て、ある。 ①加子母のスギ ( 岐阜 ) 池ノ森の地蔵堂の 裏に立っスギの巨木。樹高約 37.5 メートル、根 回り 17.3 メートルて、、岐阜 . 県下のスギて、は 4 番目に大きなスギて、ある。

8. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

羽黒山のスギ並木 はぐろさん 特別天然記念物 指昭和 26 年 6 月 9 日 ( 天 ) 昭和 30 年 8 月ロ日 ( 特天 ) 所山形県東田川郡羽黒町手向 闇出羽三山神社 * め、その上に植えて本望を達したと伝え ーっーっに法華経を一字ずっ書いて埋 ら平らな石を集めて塩水て、きよめ、その ついだものて、、二の坂のあたりは祕日か の思わしくない場所て、は何度となく植え 76 ) の業績が高く詔襾されている。生育 羽黒山中興の祖て、ある天宥別当 ( 1600 ~ てんゆう 樹におきかえられたものて、ある。中て、も のものは永年にわたる先覚達のカて精英 せいえい を越している。しかし、現存する大部分 メートル近いものは、少なくとも 500 年 坂あたりの目通り幹囲 4 メートルから 6 生のスギもたくさんあったはずて、、三の て、、ブナやナラの広葉樹にまじって天然 われたスギの生育には最商地て、もあるの と昼なお暗いうっそうたる自然林におお 十数本は失われている。羽黒山はもとも 数 585 本て、ある」とあるが数次の風害て、 1 メートルを越えるもの 140 本に及び総 「最大のものは直径 1.3 メートル余、直径 随身門の近くに建ててある説明板には なスギの並木て、ある。 が、その両側にならぶ直幹天をつく見事 の石のきざはして、登るのて、有名て、ある の参道は、 300 メートルの高さを 2446 段 項の三山合祭殿まて、の 1.7 キロメートル 出羽三山神社社務所前の随身門から山 上 1.5 メートル ( 目通り ) の幹囲は 10 メー トルて、、高さは指定当時は 45 メートルに および、山形県下最高を誇っていた。 昭和 7 年 ( 1932 ) 11 月、落雷て、火を発 し地元民の必死の消火活動によって焼失 をまぬがれたが、昭和 32 年 ( 195 の 12 月 の台風によって、ついに主幹はおよそ 24 メートルの高さて折損してしまった。し かし巨樹としての偉容は未だ失われず樹 ねぎわ 勢は盛んて、ある。根際の南面には空洞が しようし 開口しているが、そこには山神の小祠が 祭られている。 はぐろさんじじ 羽黒山の爺スギ ( 結城嘉美 ) 指昭和 26 年 6 月 9 日 所山形県東田川郡羽黒町手向羽黒山 闇出羽三山神社 * 羽黒山参道ぞいの国宝「五重塔」のそ ばにそびえるスギの巨樹て、、根回り 10.5 メートル、目通り幹囲 7.8 メートル、直幹 て、高さおよそ 42 メートルにおよぶ。古く はこの付近に、これに並ぶもう 1 株「婆ス ギ」があったというが、明治 35 年 ( 1902 ) の暴風て太い方が倒れ細い方が残った。 そのどちらが爺て、どちらが婆かとなると 人によってさまざまて、言義がくりかえさ れたが、残った方を「親スキ」というこ とて結着をつけたと伝えている。それが 指定の際は「爺スギ」て、登録されたもの て、、樹勢は未だ壮者をしのぐものがあり、 樹容はまことに壮大て、ある。 ( 結城嘉美 ) ばば ている。 くまのじんじゃ 熊野神社の大スギ 指昭和 2 年 4 月 8 日 ( 結城嘉美 ) 所山形県鶴岡市水沢熊野前 闇鶴岡市・熊野神社 熊野神社社殿の背後にあるスギの老巨 樹て、、王ル也て、は「田川の大スギ」または 「石山の大スギ」と呼んて、いる。 根元の北側は 1.2 メートルほど高く、 その高地面て、の回りは 15 メートル、その 130 ・常緑針葉樹

9. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

おおやまずみじんじゃ 大山祗神社のクスノキ群 指昭和 26 年 6 月 9 日 所愛媛県越智郡大三島町宮浦 間大山祇神社 * 瀬戸内海にうかぶ大三島は、観光地と して知られている。 この大山祇神社は 古い歴史を持ち、昔は水軍の、のちには 海上安全の守護神として崇拝されてい る。奉納されている多くの武具や一人相 撲の神事も有名て、ある。この神社の境内 には、多数のクスノキがある。神社の由 緒とも考え合わせて、古く植えたものて、 あろう。根回りの最大のものは 20 メート ルに達し、目通り幹囲が直径 30 センチを こすものは、 40 本近く数えられる。 クスノキは日本の南部て、は神社に植え られることが多いが、クスノキ林になっ ゆい 新居浜一宮神社のクスノキ群 指昭和 26 年 6 月 9 日 所愛媛県新居浜市一宮町一丁目 一宮神社 * 大三島町の大山祇神社のものととも に、愛媛県に知られる群生したクスノキ て、、両者は同時に天然記勿に指定され 一宮神社の参道沿いと社殿の周囲に は、総数 90 本のクスノキがある。その半 数以上は、胸高直径が 30 センチ、最大の ものは 3 メートルに近い いはまいつくじんじゃ おおやまずみ まいの美しさは、」工業都市新居浜にうる うに多数の本にかこまれた社殿のたたず しかし、植えたものて、あっても、このよ この神社のクスノキは自生て、はない ているところは珍しい かわたな 川棚のクスの森 指大正Ⅱ年田月に日 ( 山中二男 ) おいを与えている。 加茂の大クス ( 山中二男 ) 特別天然記念物 昭和 32 年 7 月引日 ( 名称変更 ) 所山口県豊浦郡豊浦町川棚小野 箇豊浦町 ほくろく 立石山の北麓の台地を遠望すると、あ たかも森と間違えるほどに生育した 1 株 のクスノキの巨木がある。まるて、森のよ うに見えることから「クスの森」という 名前がつけられた。この巨木は樹高は 21 メートルだが、目通り幹囲 9.5 メートル、 途中から分かれた主枝は 18 本もあり、枝 張りの最大のものは長さ 27 メートルも ある。葉の茂りの先端を結んだ樹冠キ彡 て、は、その外周が 180 メートルにもなる。 ル、トにはもっと幹囲の大きいクスノキ があるが、特異な外形を持っ点て診木て、 ある。この幹の途中て、分枝した姿は伝説 やまたのおろち 上の丿はと「八皮丿はと」を思い起こさせる。 樹勢が旺盛なことと、周囲が静寂なこと もあって不気味なくらい生気に満ちた巨 指大正年田月 20 日 ( 天 ) 昭和引年 7 月円日 ( 特天 ) 所徳島県三好郡三加茂町加茂 三加茂町 樹形のよいクスノキの代表的な古木 て、、徳島県は池田町に近い吉野川南岸の、 あわかも 阿波加茂駅の北東にある若宮神社のそば に見られる。 根回り約 20 メートル、地上 5 メートル まて、のところて幹から 12 本の枝を出し、 高さはほば 25 メートルに達する。 このクスノキも、落雷により害を受 けたことがあるが、周囲の水田を買いと り、上を入れるなどして、特別天然記念 物となった・占木の樹勢の回復につとめて いる。 だざいふじんじゃ 太宰府神社のクス 指大正Ⅱ年 3 月 8 日 所福岡県太宰府市太宰府 闇太宰府天満宮 * ( 山中二男 ) 木て、ある。 102 ・常緑広葉樹 ( 中越信和 )

10. 日本の天然記念物 5 植物 Ⅲ

幹に空洞は全く無く、樹勢は旺盛て、ある。 ( 近田文弘 ) たきのや 建屋のヒダリマキガヤ 指昭和 26 年 6 月 9 日 所兵庫県養父郡養父町能座 ヒダリマキガヤは、初代北海道開拓長 官、京都府知事をつとめた故北垣国道氏 の旧邸内にある。 樹高 35 メートル、根回り 14 メートルの 巨木て、地 4 メートルのところて二股 し、枝を四方に伸ばしている。樹勢はき 針葉樹 ( 裸子植物 ) イチイ科に属し、 わめて良好て、秋には多くの種子をおと 名古屋城本丸の南西部にある。指定時は し、それを炒ると格別の味がある。地方 根回り 8.7 メートルにおよぶ大木て、あっ の人びとは好んて食べ、この木を「カヤ たが、昭和 20 年 ( 1945 ) 5 月、城ととも ノキサン」と尊称している。 に戦災にあい半分以 .- ヒ焼けた。現在は樹 カヤの種子は楕円形て、長さ 3 センチ、 勢を回復し、新しい幹や枝をさかんに伸 直径 1 ~ 2 センチ、普通はタ殳に直線の ばしている。 筋がある。ところが、このカヤは珍しく 名古屋城造営以前からあったと想像さ 左巻きの波紋になっているのて、、ヒダリ れ、築城のとき、家がこの樹下て、指図 マキガヤの名がある。但馬 ( 今の兵庫県 ) をしたという伝説が伝えられている。 には雪が多く、樹幹が二股しているあた ( 倉内一二 ) りて、雪の重さにより裂ける心配があり、 鎖て、数カ所とめるなど手厚い保護カ功日え られている。 ( 室井綽 ) やじよう 名古屋城のカヤ 指昭和 7 年 7 月 25 日 所愛知県名古屋市中区本丸 間名古屋市 きたはま 北浜の大カヤノキ 指昭和 29 年 3 月 20 日 所静岡県浜北市本沢合 果号寺のシブナシガヤ 囮昭和 7 年 7 月 25 日 所三重県上野市西山 置果号寺 このシブナシガヤは果号寺の境内の東 この大カヤは、ようやく山間部を抜け 北隅にある、樹高約 21 メートル、直径約 た流れが遠り羽灘に向かってゆったりと下 83 センチメートルの高木て、今も毎年多 る、天竜川のほとりにある。この木は、 水田や畑に囲まれた農村の風景が家並み くの実をつけている。 伊賀 ( 今の三重県 ) 地方や大和 ( 今の の多い市街地に変わりつつある中にすっ 奈良県 ) にはカヤの古木を多く見かける くと立っていて、遠方からも良くわかる。 はいにゆう が、これはカヤの胚乳に油脂分が多く含 全国有数のカヤの巨木て、、目通り幹囲 まれるのて、その油を絞り取って、食用 10.9 メートル、高さ 24.5 メートル、枝張 に供するため植えられたものて、ある。 りは東西 21.5 メートル、南北 25.5 メート ねぎわ 伊賀にシブナシガヤのあることは、宝 ルという見事なものて、ある。幹は根際て 暦年間 ( 1751 ~ 1764 ) に書かれた『三国 急に広くなり、上部は高さ 15 メートルく 地誌』や嘉永 2 年 ( 1849 ) に刊行された らいまて、直立して、多くの枝を出す。幹 当時の代表的な博物学書て、ある小野蘭山 の上の方は約 8 本に分かれており、下方 の『本草目啓蒙』の嘉永版の巻 37 、第 から出る枝は地上に垂れ下がっていて、 6 枚の裏に「一種しぶなしガヤアリ、し コンクリートの支柱て、支えられている。 166 ・常緑針葉樹