地下水 - みる会図書館


検索対象: 日本の天然記念物 6 地質・鉱物
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1. 日本の天然記念物 6 地質・鉱物

士山の湧泉群 初泉とは、地ド水が自然に地表や地中の洞穴ⅵ可川・ あり、昭和 30 年イ鷺麦半頃から涸渇する期間が長くなった。 沼・海などて、湧出するものと定義されている。富士山麓の 南麓吉原よ或は、約 2 キロにわたって富士瀋岩の下部か 湧泉群は、初泉の数と湧出量の多さから、わが国て、は第一 ら湧出する。長学寺・医王寺・大六天神・玉泉寺・鑑石 級のものて、ある。冨 l: 山に湧泉が多い理山として降水量が 園等の湧泉があり、その湧出総量は毎秒約 4 立方メート 多いことがあげられ、特に東斜面から南斜面にかけての多 ルて、ある。 雨 : 曵と初泉の分布とが一一・ - ・致する。 富士宮・芝川地域には湧玉池のほか淀師・猪之頭・ 西麓 初泉の位置と量は地質構造と関係が深く、富士山は第三 白糸ノ滝等の大規模な湧泉があり、その湧出量は毎秒約 系を基盤に火山が二段に前なる構造て、、古富士の火砕降ード 4 立方メートルて、ある。 おしの 物が不透水層となり、その下部のスコリア層に多量の地下 北麓忍野八海・月江寺等の湧泉は標高 800 メートル以上 水が賦存する。富上山体には初泉は少なく、谷を埋めた新 にあり、他のよ或に比べて湧出する標高が高く、その湧 期富信容岩のに多く分布する。初泉の中て最も標高の 出量は毎秒約 4 立方メートルて、ある。 問いものは、富士宮ロ登山道二合Ⅱ付近 ( 1620 メートル ) に ある。多くは 1000 メートル以下て、あり、 500 メートル以下に 湧出量は、工業・農業用水の需要カ塙まった昭和 25 年頃 なると特に多くなる。 から 40 年代にかけて、地下水開発が高まるとともに減少し たが、 50 年代になって地ード水の孑和 lk 規制や使用方法の合理 東麓三島付近の初出煢は毎秒約 16 立方メートルあり、わ 化が進み、山も広湧泉が復活するところが出てきた ( 主な湧 が国最大て、ある柿Ⅲ川のほか水泉園・菰池・小浜池等が 泉地は 115 ページの分布図を参照 ) 。 ( 月 : 野盛夫 ) 鍾乳洞内に地下水系が発達している。間 歇冷泉の地下にも空洞があって地下水が あてつ 流れていることは確かて、ある。『阿哲郡 誌』には、「空洞にたまった地下水が一定 量に達すると、サイフォンの原理て噴出 する」との説明がある。ほかに空洞内に たかはし 高梁川の支流、佐伏川の上流右岸に ある石が水門の役割を果たし、水圧に あって、地元て、は潮滝と呼んて、いる。石 よって石が動き、たまった水が流出する 灰岩の岩壁に洞孔があって、 こから 1 という説もある。しかし、草間冷泉の間 日に 4 回、約 6 時間の間隔て、平時の 10 ~ 歇性の理山としては物足りなく、今後の 15 倍の水が流出し、約 50 分後に平時の流 研究が期待されていたが、残念ながら近 出量にかえる。流出量は、雨の後には 70 年は間歇 1 生がなくなってしまった。 ~ 80 倍になることもあったといわれる。 ( 渡部景隆 ) かんけっせん 間歇泉は温泉て、は各地にあり、宮城県の おにこうべ 鬼首の間歇泉は国の天然記念物に指定 されている。しかし、冷泉て、間歇的に湧 出量が変わるものはきわめて珍しく、 間歇冷泉の機構はまだよくわかっていな 草間台は石灰岩台地て、鍾乳洞が多く、 くさま かんけつ 草間の間歇冷泉 指昭和 5 年 8 月 25 日 ( 天 ) 昭和 32 年 7 月引日 ( 名称変更 ) 所岡山県新見市草間 闇新見市 也下水 出 ロ 草間の間歇冷泉噴水原理想像図 地下水の流入量は B ・ E からの流出量 よりも多いが、 A からの流出量より少 ないものと仮定する。地下水が b 面ま でたまると B からの流出が始まり、さ らに a 面まで増えると A からも流出か 始まる。逆に C 面まで減水すると流出 量は減り、 d 面まで減水するとさらに 少量となる。 ( 「阿哲郡誌」より ) しゆっ 地下水・湧泉・ 1 19

2. 日本の天然記念物 6 地質・鉱物

ふじのみやせんげん わくたまのいけ 0 湧玉池 ( 静岡 ) 富士宮の浅間神社境内 にあり、水屋の下の円形の池からは富士山か らの地下水が湧き出ている。近年、湧水量が やや少なくなった。特別天然記念物。 しらいと 0 白糸ノ滝 ( 静岡 ) 日の河岸岩壁をつく 第み る溶岩流の間から、富士山から伏流した地下 水が流れ落ちる。大小数百の滝が 150 メート ルにわたって並ぶさまは壮観て、ある。 の草間の間冷泉 ( 岡山 ) 石灰岩の岩壁 に洞孔があり、盛時は 1 日に 4 回、約 6 時間ご とに平常の 10 ~ 1 音の地下水が流出した。 らくじゅえん ①楽寿園 ( 静岡 ) 富士山からの地下水の湧 泉て、ある。名勝にも指定された日本庭園の中 に、小浜池を中心に複数の池が並んて、いる。 はま

3. 日本の天然記念物 6 地質・鉱物

日本の温泉 日本の温泉法て、は、温度は 25 度 C 以上と定められている 物起源の地層が温泉母岩になっている温泉が、意外に多い が、温度の低い鉱泉て、もイオン・化合物・放射性ラドン・ グリーン・タフ』或などの単純泉に近い温泉にはこの例が ラジウム塩などが一定量以上含まれていれば温泉として扱 多い。この温泉母岩の地質時代は新第三紀て、、 1000 万年前 しんとう うことになっている。地質学的には、地表から地下へ滲透 内外て、ある。さらに古い温泉母岩には花崗岩がある。常磐 した水が地熱て、温められ、周囲の岩石や堆積物と触れ合っ 地方の湯本温泉や常磐ハワイアンセンターがこの例て、、常 て種々の化学成分が溶けこんて、湧出するものが「泉だとい 磐炭田て、深さ 1000 メートルものボーリングが基盤の花崗 うことになる。 岩に当たると型昜が湧出することて、わかった ( この花崗岩 火山地方て、は噴気口から高温のガスの噴出がみられる は 7000 万年前くらいにて、きた深成岩て、ある ) 。なお、温泉水 が、多量の地下水がないと温泉にはならない。噴気の多い の方は 14C ( 炭素の放射匪同位体 ) による年代が 1 万年前 火山よ或て、温泉のあるのは、近くに湖があったり直・一ドによ の値を示し、古い海水と地下水とが混じったものとわかっ い透水層があったりして地下水が供給される条件を備えて た。このように、温泉の正体をつきとめることは、なかなか いるからて、、高温の噴気が多くてもこれを人工的に温泉に むずかしい かんけっ するのは容易なことて、はない。地熱発電て、も同じことが言 温泉て、特殊な湧出機構をもつものに間歇泉があるが、噴 える。熱の高いところが見つかっても、地下水が継続的に 気の圧力が低下するとその機能は衰える。また、温泉水に 供給されないと効率のよい地熱発電はて、きない 含まれるよ夋分や石灰分などが温泉華として沈澱する場合 温度の高い温泉は火山上或に多くみられる。火山は第四 がある。天然記念物に指定されている温泉は、間歇泉と温 紀の火山活動によるものて、あるが、日本にはそれより古い 泉沈澱物に関連するものに限定されている。 ( 渡部景・隆 ) 新第三紀の火山活動よ或もあり、 この火山活動による噴出 との合流点まて、と、同合流点から湯の沢 魚而状珪石は直径 1 . 5 ~ 4 ミリの魚卵の りゆうじよう の左岸沿いに蛇の湯の滝に至るまて、の河 ような粒状体て、、無色か白色のものが 岸沿いの幅 30 メートルの区域が、指定地 多いが、灰色や赤色を帯びたものもある。 域となっている。 粒状体は強く結合しているものと、容易 ゆうしゆっ 付近には舮斤に温泉が湧出し、温泉水 に一粒ごとに分離するものとがあるが、 ちんでん はたはた から沈澱した大小のドーム状や鍾乳壁状 形状が鯔の卵に似ているのて、プリコ の石灰華が見られる。中て、も「天狗の湯」 石ともいう。鱚状珪石は微小な石英や岩 ちんでん 石灰華大ドームは、わが国における噴泉 石片を核として温泉水から沈澱したもの ドーム中最大のものて、、これを正面から て、、その成分はシリカ ( Si02 ) て、ある。魚而 せっとう 見ると截頭円錐形を成し、高さ 17.6 メー 状珪石がもっともよく分布する場所は珪 トル、下底部の直径約 25 メートル、また 華の北端て、、珪華にはさまれて三層の魚面 その項部はほほ。平坦て、、直径は 7 メート 状珪石が存在する。 ルて、ある。これが河岸にそそり立つ様は 珪華も温泉孔の周囲に沈澱した温泉沈 偉観て、ある。 鬮勿て、、その成分はシリカて、あり、無色 ( 村井貞允 ) か白色て、不透明なものが多い。また、し ばしば「木の葉石」と呼ばれるブナノキや いんこん クリなどの葉片の印痕を産する。この地 ゆうしゆっ 帯は、かって温泉の湧出が盛んて、、多く の珪華や魚而状珪石を沈澱し、数イ固の大き な噴泉塔を形成していた。 ( 林久人 ) 温泉現象・ 123 鰤状珪石および噴泉塔 脂大正ロ年に月 9 日 所秋田県雄勝郡雄勝町 闇農林水産省 * 状珪石の粒状体

4. 日本の天然記念物 6 地質・鉱物

いる。水圧の強い淡水が鍾乳洞内のパイ 風連洞窟 フ袱の亀裂を通って湧出する途中ぞ海水 指昭和 2 年 4 月 8 日 面下の空洞を通るため、空洞の中て海水 所大分県大野郡野津町 が約 4.5 倍の地下水にうすめられ、これ 置野津町 が咼いところからパイフ袱の亀裂を流下 大野川の支流野津川の石灰岩渓谷にあ する地下水におされて湧出するのが塩川 る。約 100 メートルの高さを距てて旧洞 の水だと推察されている。 ( 渡部景隆 ) と新洞と二つあるが、一ヨ殳に公開されて いるのは高い方の旧洞て、ある。 丿乢里鍾乳洞のある石灰岩体は秩父古生 層て、、石炭紀後期の示準化石フズリナ ( 大 型有孔虫 ) を多産する。この石灰岩は一ヨ殳 に泥質の不純物が少なく白色て、、洞内は きれいて、ある。鍾乳洞は長さ約 420 メー トル、入り口から S 字型に続いていて、 せきじゅん 鍾乳石・石筍・石柱などが見事に発達し ている。 ふうれん . 一了ぞク 海面 淡水 汽水 汽水 石灰岩 土・分の ある水 石灰岩 石灰岩 \ ちちぶ ななおれ 七折鍾乳洞 指昭和 8 年 2 月 28 日 所宮崎県西臼杵郡日之影町 間日之影町 日之影町徳富地区南部の山地中腹にあ る。本洞と支洞の二つの鍾乳洞からなり、 ( 品田穣 ) 総延長は約 140 メートルて、規模は大きく せきじゅん ないが、鍾乳石・石筍・石柱などが多数あ ほうかい る。なお、菊花状をなす方解石の針状結 品の放射品群を有することも鍾乳洞て、は 珍しい ( 品田穣 ) 塩川の塩水湧水構造 340 潮 300 奠 260 22 0 180 6 1 水位 ( 巴 60 5 9 6 24 1 8 1 2 日 1 3 日 時問 ( 時 ) 潮位と塩川湧水の水位との関係 6 1 しおかわ 塩川 水位 ( 巴 囮昭和 47 年 5 月馬日 所沖縄県国頭郡本部町 60 2 ロ塩素イオン濃度 ( % ) もとぶ 本部半島西海岸の新里集落の東方にあ 柘の滝鍾乳洞 る幅 2 メートル、長さ約 100 メートル、水 指昭和 8 年 2 月 28 日 深 30 センチくらいの小川て、あるが、かな 所宮崎県西臼杵郡高千穂町 りの塩分を含む点て特異なものとして指 置高千穂町 定された。 たかちは 本部半島の主部は本り、 l•l の西南日本外牆 柘の ~ 重乳洞は高千穂町の南 4 キロに の秩父帯の延長にあたり、いわゆる古生 ある丘陵をつくる石灰岩体の中にある。 層の石灰岩が多く、雨水が石灰岩の亀裂 八つの鍾乳洞からなり、最下位の 8 号窟 ゆうすい しんとう から地下に滲透して、海岸或て、湧水と が一・一番大きい せきじゅん 洞内には鍾乳石・石筍・石柱などが多 なっているところが多い。したがって、 地下には多くの鍾乳洞があると推定され 降 い。中には、鍾乳洞の壁面に、上に石筍 量 る。聊日も鍾乳洞からの湧水に由来する や石柱をのせた棚板状の礫層が残ってい ものて、、湧出量が毎秒 100 リットルを越 るところがある。これは、鍾乳洞の床に 日 え、本部半島て、は第 1 級の湧水て、あるの 堆積した礫層が石灰分て、固められて石 に塩分を含むことから、「本部七不思議」 筍・石柱が形成された後に、地下水系が 変化して水位カ氏ードし、現在の鍾乳洞の の一つとされている。 塩川の水は海水が約 4.5 倍の淡水にう 底まて、溶食され、もとの鍾乳洞の底の一 すめられたものて、、カルシウム分だけが 部が側壁に棚のような形て、残った珍しい 海水における含有率より多い。これは鍾 例と考えられる。 ( 品田穣 ) 乳洞の石灰分が溶けていることを示して っげたき 1 8 24 6 1 2 1 2 日 1 3 日 時間 ( 時 ) 塩川湧水の水位と塩分濃度との関係 降雨量 5 4 3 2 ロ塩素イオン濃度 ( % ) 800 7 5 600 70 水位 ( 巴 400 水位 6 5 60 200 潮位 つ」 潮位 ( 巴 1 OO 5 2 0 2 5 30 9 月 1 0 月 1 974 年 水位と潮位ならびに塩分濃度の日変化 ( 資料提供沖縄県教育委員会 ) 82 ・石灰岩地形

5. 日本の天然記念物 6 地質・鉱物

昭和新山の誕生 昭和 18 年 ( 1943 ) 12 月 28 日、突如、有珠山周辺に強い地震 が起こって住民を驚かした。噴火前に必ず地震のあること を知っている者は、避難を始めた。地震は続き、翌年 1 月 初旬より東麓柳原集落がその中心となり、隆起や地割れ、 さらに地震断層を生じて、家屋の破損や地ード水の不足カ墸 しくなってきた。 4 月頃から変動の中心は北に移動し、 6 月にはフカバ集落の畑地が著しく隆起し、無数の地割れに 貫かれ、地下から突き上げるような強震がドンという音と ともに感ぜられた。これは最初火山の中心を上昇したマグ マが、東麓の地下に移動したことを示している。有珠山の マグマは夋分 70 パーセント前後の石英安山岩質て、、現在 活動している火山て、は最も * 占性の強い部類て、ある。地殻内 湯沖力の際にも孑亢が強く、地震カ頭火に先駆けて起こる。 地震開始後半年、 6 月 23 日、畑地の割れ目から白煙が上が がんれき り、泥水や岩礫を噴出する爆発が始まった。規模の大きい かんけっせん 間歇泉の如き水蒸気爆発て、あった。 フカバには 18 度 C の湧泉があり、以則にサケやマスの孵 かば 化場があった。明治 43 年 ( 191 のの有珠山北麓の噴火後、湧 泉は昇温して 40 度 C になり温泉宿も出来たが、その彳霽品 とうや して元に戻った。湧泉は洞爺湖面より低く、湖の滲透水が 地下水となり、北麓の火口群東端の熱によって温められ、 伏流してフカバに湧出したものと思われる。畑地を隆起さ せたマグマの頭部は地下水によって爆発を誘発されたが、 7 月 2 日以降は強大となり、火山灰・火山岩礫を大量に噴 出し、 10 月末まて、に 13 回の著しい爆発が繰り返された。 うして合計 7 個の爆発火口が半環状に排列した。この間、 地震も陶起も続いて、海抜 150 メートルの畑地は 300 メート ルの饅頭形隆起山塊 ( 屋根山 ) に変わった。 11 月初旬、火口 見禰の大石 火山・ 99 を買った男」として世界的に有名になった。昭和新山をわ 特な人がいた。その上地に昭和新山が誕生し、彼は「火山 噴火の始まったヒ壁難したフカバ住民の上地を買った奇 賁出の塔状の火山岩尖に近い がんせん 現れ溶岩円項丘となるが、機構上、モンプレー火山の 1902 に珪酸分の高い有珠山の溶岩は、ほとんど固化して地表に ント前後の輝石安山岩質の火山は爆発的活動をなす。さら 52 パーセント以下の玄武岩質て、は証川生は強く、 60 パーセ 態はマグマの粘性の大小によることが最も多く、珪酸分が 山は山麓に噴出した寄生火山て、ある。火山の活動型式や形 はすて、に大有珠・小有珠の 2 溶岩円項丘があったのて、、新 昭和新山は戦後になって命名された。有珠山項火口内に れた。 町民第 1 号の栄誉に輝いたが、昭和 52 年に 89 歳て、亡くなら その業績は、北海道新聞文化賞・吉川英治賞・壮暼町名誉 そうべっ 者があった。三松ダイアグラムて有名な三松正夫て、ある。 のスケッチを加え、学界に偉大な貢献をした民間の火山学 火山の変化を地震開始以来毎日熱じ、に観察記録し、多数 の山が目標をえることを恐れたのて、ある。 人は少なかった。近くに室蘭製知斤の軍需施設があり、火 平洋戦争中のため幸首が制限され、調査研究者以外訪れる 伝えられ、特別天然記念物に指定された。世紀の事件は太 この活動型式と火山形態は世界的に稀なものとして広く て溶岩円項丘となったのて、ある。 年 9 月末、 407 メートルに達して止まった。新溶岩が上昇し に囲まれた中心より黒い岩峰が現れ、日々成長して昭和 20 ことを示す資料として、たいへん貴重て、 ほどの巨石が予想外の遠距離に運ばれた メートル、高さ 3.03 メートルあり、これ の大きさは、長さ 9.39 メートル、幅 6.06 山項部からの : 糸巨離は約 5 キロ、岩 ばれたものて、ある。 ( 石川俊夫 ) が子のごとく愛した三松正夫 ( 愛山 ) その人て、ある。 脂昭和田年田月 3 日 所福島県耶麻郡猪苗代町 間猪苗代町 いなわしろ 猪苗代湖の北部にある大石て、ある。 ばんだい この大石は、明治 21 年 ( 1888 ) の磐梯山 の爆発の際、山項部の火冂壁にあった輝 がんかい 石安山岩の岩塊が、爆裂火口から南方に 向かって流れ出た泥流によって山麓に運 せき さんろく ある。 ( 品田穣 )

6. 日本の天然記念物 6 地質・鉱物

地下水・湧泉 しんとう 富士山麓て、は豊富な湧き水が見られる。これらは富士山体に降った多量の雨や雪が地下に滲透し溶岩流に沿っ ゆうしゆっ て流下して山麓部て、湧出するものて、日本て、は他に例のない現象て、ある。富士山という巨大な水がめを供給源とし かんけつ ているからて、ある。池状のもの、滝になって湧き落ちるものなど 4 例が指定されている。このほか、鍾乳洞から間歇的に 湧きあがる草間の冷泉が特殊例として指定された。 こんと湧き出しているのを見ることがて、 きる。また、池の水面には富士山の姿が 映し出され、特有の趣をかもし出す。 忍野盆地がかって湖底て、あったこ けいそう は、表層の堆積物から淡水生珪藻や珪藻 土があることから知られる。富士山の新 富士山東山麓の忍野盆地に点在する八 期溶岩の下の不透水性火山泥流の上を流 つの池状泉を総称して忍野八海という。 下した地下水が、溶岩流の末端近くにあ 銚子池・出口池・湧池・菖蒲池・濁池・ る忍野盆地の凹所から湧水となって湧き 鏡池・お釜池・底無池がそれて、ある。 出るのは、その頃のなごりと考えられる。 れらは、一帯に広がっていた河跡湖が干 ゆうすい 近年、付近の開発に伴い、野趣カ墸しく 上がり、その後に湧水の多い凹地が池と して残ったものて、、田の中の火山砂臻て、 減少した。 ( 渡部景隆 ) て、きた崖の下などから、澄んだ水がこん おしのはつかい 忍野八海 囮昭和 9 年 5 月一日 所山梨県南都留郡忍野村 山梨県 さんろく 山梨県 河い 月江寺 御泉端・ ・馬返 西既 本柄、 西 00 奮工山 37 ・猪之頭 上野 棚頭・ ・須走 上小林・ 柴怒田・ 中畑・ 神奈川県、 . 白、滝 弁当場・ ・子 須山 中清水・ 岩波・ 青見・湧玉池 中里 ~ ー愛鷹山 景ヶ 浅間神社滝川 丸池 駿 河湾 ・柿川 1 Okm 富士山麓の主な湧泉地 ( 井野盛夫による ) 地下水・湧泉・ 115

7. 日本の天然記念物 6 地質・鉱物

しらいと 白糸ノ滝 指昭和Ⅱ年 9 月 3 日 所静岡県富士宮市原・上井出 富士宮市 ゆうせん 名勝 冫谷 : 石・ 0 ・古富士冫尼流 0 白糸ノ滝は、富士山麓の湧泉のうちて。 湧出量が多いことて、知られる。富七山腹 の水が、約 1 万年則に活動した現在の富 士山の噴出物の間匿し、約 2 万年前 しゅうかい の占富士火山の噴出した集塊質火山泥 流の上面を流れ、芝川の侵食のためにて、 きた壁面部から地下水となって流出 ばくふ し、瀑布をなしている。 瀑布の高さ 20 メートル、幅 150 メート ルの全面に、数百の大小の滝が並び落ち、 その量は、 1 日当たり約 13 万立方メート ルに達し、富士山西麓の湧泉の中て、は最 大て、ある。しかし昭和 58 年 5 月に台風の ため樹本が倒れ、滝伺・近の侵食が進み景 観が変わりつつある。 また、芝川の本流は白糸ノ滝の東て、分 かれ、音無しの滝 ( 音止めの滝ともいう ) となっているが、山も広地震と台風の影 響て、河岸の岩が崩れ、沁に落ちた岩石 がたまり、滝の形状は大きく変わった。 ( 井野盛夫 ) 屋と呼ばれる建物の下の、円形の池から 湧出している。この池は下流の神Ⅲ川よ り一段咼くなっているため、近年は湧水 量が少なくなり、昭和 30 年に 1 日当たり 約 40 万立方メートルあった湧水は、現在 約半分に減少している。水温は年間を通 して 14 ~ 15 度 C て、、池には鱒の姿が見ら れる。湧池付近には一 E 水道水源や工業 用の井戸があり、 1 Ⅱ当たり約 2 万 5000 並方メートルが揚水されているが、現在 は県の地ード水の採取に関する条例によっ て新規の孑和反は制限されている。 白糸ノ滝断面図 118 ・地下水・湧泉 ( 月 : 野盛夫 ) 名勝 楽寿園 指昭和 29 年 3 月 20 日 所静岡県三島市一番町 間三島市 * らくじゅえん 湧玉池 わくたまのいけ 特別天然記念物 指昭和円年Ⅱ月 7 日 ( 天 ) 昭和 27 年 3 月 29 日 ( 特天 ) 所静岡県富士宮市大宮町 間浅間神社 * 社の境内の東側に位置する湧玉池は、水 富士宮市街の中心にある富士宮浅間神 せんげん の量の多いことて、知られている。 忍野八海などの例とともに、湧玉池もそ おしのはつかい の楽寿園、清水町の柿田川、山梨県側の らくじゅえん が初泉となって豊富に湧き出し、三島市 ゆうせん ない。しかし、裾野の暑き部て、は地下水 ばしく、雨水も地下ロ匿して表流水は 富士山の山腹や裾野の一帯て、は水がと 楽寿園は、明治 22 年、小松宮の別邸と して設けられたが、戦後、三島市の所有 となり一般に開放されている。園内には はま 日本庭園の小浜池があり、はやの瀬、せ ゆうすいち りの瀬などの湧水池が並んて、いる。 富士山から噴出した溶岩は、富士山南 あしたか 東斜面を舌状に愛鷹山、箱根山の谷あい を埋めて、東海道本線三島駅付近にまて、 達しているが、この溶岩中には連続した 空洞がて、きていて、この中を地下川と なって地下水が流れている。この一部が 小浜池等に湧出し、泉をなしていたが、 かっ 昭和 37 年に 5 日間涸渇したのを始めと して、年々涸渇する期間が長くなり、現 在は冬期の 1 月から 3 月にはほとんど湧 水を見ることがなくなった。昭和 37 年当 時の豊水期には 1 日当たり 39 万立方メー トルの水が湧出していたが、現在は 7 万 立方メートルと減少している。園内には 縄状やパン皮状などの三島溶岩が天烈ま 林とともに保存されている。 ( 井野盛夫 )

8. 日本の天然記念物 6 地質・鉱物

る堆積古環境の復原を試み、秋吉石灰岩は生物礁複本と して石炭紀前期から二畳紀後期に生成した環礁て、あり、そ の後、古生代末から三畳紀初期にかけての秋吉造山運動に しゅうきよく よって、北から南へ褶曲運動を伴いながら北半部の石灰 岩が大きく褶曲逆転し、南半部の原地堆積石灰岩上に押 し被せたものと結論した。 秋吉石灰岩は東西約 17 キロ、南北約 7 キロ、標高約 350 メートルの典型的なカルスト地帯を形成しており、地下に は 250 以上の石灰洞群が知られている。カルスト地形と石 灰洞の研究は明治 39 年 ( 1906 ) の山崎直方に始まり、大正 11 たきあな かげきよ 年 ( 1922 ) に滝穴 ( 秋芳洞 ) と景清穴が、翌年、大正洞と中尾 洞が国の天然記念物に指定され、秋芳洞はその後特別天然 記 ; ま物に指定されている。 石灰洞窟 ( 鍾乳洞 ) の形成は石灰岩層中の断層系列に関係 が深く、小沢儀明 ( 1925 年 ) も秋吉台の地史と地形と地下水 の関連性に着目し、大正洞と鹿ノ井手洞の地下水の連性 を論じている。戦後は、洞窟学に対する研究も地下水学や 関連科学の進展に伴い急漣に進展している。とくに色素な どの追跡調査を含め、洞窟の水系群が次々と明らかにされ ている。その一部を紹介すると、秋吉台の北部洞窟群を形 成する景清洞ー大正洞ー鹿ノ井手水系、南東部の白魚洞ー 葛ケ穴ー秋芳洞水系などが色素追跡により相互の連結性が 証明されている。・変、断層系列群の解析、各洞窟水系の 集水域・流出量などの調査により、成因言勺洞窟学および カルスト地形学が発展するものと期待される。 ( 太田正道 ) 秋吉台の地下水系 ぐ大田 一石灰岩 非石灰岩 凹地帯 - 地下水系 水流の方向 於福 、秋吉 美ネ尓 秋芳洞の断面図 海抜縦断面図 1 5 0 2 ー崩落岩塊 ー [ ユ - 支洞 マな・砂礫層 つ新爪岩石段丘 ・ - ( ・石灰生成物 ノッチ ( 藤井・杉村・野島 , 1973. よリ作図 ) 1 OOm 130 黄金柱 / 須尓山 \ ( 黒谷支洞 ) , 宵の明星 井 紫雲台 1 1 0 O 洞ロ 長 ) 90 皿 70 140 0 50m 横断面 ( 右側か左岸側 ) 須弥山 黄金柱 千畳敷 1 2 0 高機敷 琴ケ淵 百枚皿 1 OO 広庭 長淵 80 石灰岩地形・ 71

9. 日本の天然記念物 6 地質・鉱物

大滝根山カルスト台地東側のドリーネ を吸い込み穴として、台地の地下を通っ て西側中腹に開口する鍾乳洞て、ある。 川の水がドリーネに直接流入している ため、洞内は鍾乳洞としては珍しいほど 水量が多く、急流をなし、ところどころ おうけっ に甌穴や滝を形成している。また、水流 によって侵食がすすむ一方て、今なお炭酸 ちんでん 石灰の沈澱がおこなわれ、鍾乳石等を生 成しており、いわば生きている鍾乳洞て、 ある。昭和 2 年 ( 1927 ) に発見された後 も、水量が多いなど入洞が困難て、あった せきじゅん こともあり、鍾孚・石筍・石柱・石幕 かんけつ ゆうすい 石灰岩洞穴から間歇的に湧水する草間 にいみ の間歇冷泉がある、新見市草間にある。 指定名称からは想像て、きないが、石灰 洞穴の天井の一部が崩れ落ちて門状の天 然橋をつくったものて、、 25 メートルほど 離れて南北に 2 門ある。南のものは洞門 の幅 14 . 6 メートル、高さ 27.3 メートル、 長さが 30 メートルほどあるが、北のもの はこれよりやや小さい 秋芳洞 あきよしどう ( 品田穣 ) 特別天然記念物 などの保存がよい あっかどう 安家ラ同 指昭和 50 年 2 月 7 日 所岩手県下閉伊郡岩泉町 ( 品田穣 ) 地下水面 110 70 ( m ) 150 利游ラ発達 ( 1973 年・藤井ほか ほかによる ) 110 70 ( m ) 150 約 2 万 2000 年前 110 じ 70 ( m ) 150 110 70 ( m ) 、 1978 年・ ) 可野 北上山地の北部、安家川沿いにあり、 古生代二畳紀のものと考えられる石灰岩 中にある。延長約 8 キロ、地層面に沿っ せつり た洞と、断層および節理に沿った洞の 2 不頁の洞が組合わさった鍾乳洞て、ある。 発見カ噺しいうえ未公開部分が多い ともあって、洞内は自然のままの状態が せきじゅん 保存され、典型的な鍾乳石・石筍のほ か、洞穴重勿としてホラアナゴカイ・ム カシェビなどの地下水重勿のほか、微小 巻貝のミジンツポが発見されている。 岩泉湧窟が豊富な地下水をもっ流れ型 て、あるのに対し、安家洞は水溜り型て、あ る。洞穴重勿の性格が異なる二つの鍾乳 洞が近接して存在していることは珍し い。安家洞は、水溜り型て、あるだけに汚 染に弱く、保護 - E 、充分な注意が必要て、 ある。 らしようもん 羅生門 闇新見市 所岡山県新見市草間 指昭和 5 年 8 月 25 日 ( 品田穣 ) 指大正Ⅱ年 3 月 8 日 ( 天 ) 大正年 9 月 3 日 ( 名称変更 ) 昭和 27 年 3 月 29 日 ( 特天 ) 所山口県美祢郡秋芳町 闇秋芳町 しゅうほうひろたに 秋芳町広谷に開口する古くより知ら れた石灰洞て、、洞ロて地下水が滝となっ たきあな て流出するのて、、古くは滝穴と呼ばれた。 大正 15 年 5 月、この地を探勝された当時 あきよしどう 皇太子だった現天皇陛ー - ドが秋芳洞と命名 され、同年 9 月に改称された。 秋芳洞は、入洞て、きる範囲の延長が約 1.5 キロに及ぶわが国最大の石灰洞て、、洞 の最大幅 100 メートル、空洞の容積 42 万 立方メートルと概算される。つねに相当 量の流水のある地下川型の横穴て、ある が、洞内は淵あり、急流あり、山あり変 化に富んて、いる。標高 80 メートルの洞ロ を入り、ほば北に進み約 700 メートルの ひろにわ 広庭付近より、流水は北東方向となり約 ことふち 500 メートルて琴ケ淵に達する。ここの標 高は 112 メートルて、、洞窟は水没してい る。広庭付近より北西には昭和 38 年に開 くろたにしどう 発された黒谷支洞 ( 標高 115 ~ 120 メート ル ) を通り、約 300 メートルて、終わるが、 人工トンネルて湫吉台上の矢ノ穴ドリー ネに出ることがて、きる。 せきじゅん 秋芳洞は鍾乳石、石筍、石柱などの石 灰生成物も豊富て、、石灰華て縁どられた 階段状の池をなす「百枚皿」は特筆すべ きものて、ある。 ( 河野通弘 ) 石灰岩地形・ 69

10. 日本の天然記念物 6 地質・鉱物

を」な莠峰 岩 あ : 0 当をり第 ちんでん しおかわ ゆうすい ①塩川 ( 沖縄 ) 幅 2 メートル、長さ 100 メートルほど窈ルカ鯤じった壇の小川。地下の鍾同からの湧水て、、本部半島西海岸に通じている。 もとぶ