うらどめ 冫浦畠冫毎序 囮昭和 3 年 3 月 27 日 所鳥取県岩美郡岩美町 闇岩美町 名勝 くけ 潜 指 置島根町 所島根県八束郡島根町 昭和 2 年 6 月図日 尸 ど くけどはな 名勝 東は兵庫県境から西は網代にいたる海 岸を浦富海岸という。おもに花崗岩、流 紋岩からなる基盤が日本海の荒浪に侵食 されて、複雑な海岸線を形づくっている。 浦富海岸の中て、も浦富町から西が変化 島、西蓬茉島、千貫松島などと呼ばれる せんがんまっ に富んて、おり、絶景とされている。菜種 ほうらい と 定されているほか、その海岸美から名勝 海食地形の典型として天然記念物に指 流紋岩の珍しい鍾乳石がみられる。 しようにゆうせき 木兎島の龍神洞が名高い。龍神洞には りゆうじんどう 花崗岩からなる宮島、蓬茉島のほか、 岸は遠浅て海水浴が盛んて、ある。 映えてまことに美しい。東部浦富湾の海 し、絶壁がそびえ、洞門、洞窟が白砂に どうくつ 姿の美しい花崗岩からなる岩島が点在 にも指定されている。 た 多古の七ツ穴 指昭和 7 年 7 月 23 日 所島根県八束郡島根町 島根町 ( 品田穣 ) たこのはな 島根半島の最北の突端を、多古鼻と言 ぎようかい しゅうかい う。集塊岩と凝灰岩が互いに層をなす おきどまり 岬て、、沖泊から瀬崎にいたる海岸は、長 さ 400 メートルにわたって高さ約 50 メー トルの断崖が続く。その下部に 4 個の洞 穴が 9 個の洞口を開いて並んて、いる。 9 個のうち、海上から一度に見える洞 口が 7 洞て、あるところから七ツ穴と呼ば れている。 日本海窈良による侵食現象として天 然記念物に指定されたものて、ある。 ( 品田穣 ) 潜戸鼻半島の先端に位置する。玄武岩 ぎようかいしつしゅうかい の溶岩および凝灰質集塊岩よりなる 断岸の下に海食洞門があり、これを新潜 戸と呼んて、いる。また、その南の海食洞 窟を旧潜戸と呼ぶ。洞門は長さ約 200 メートルにおよび、波が静かな時は洞ロ から舟て、入ることが出来る。内部は広く、 かつ高くなっており、しかも明るく、水 も澄んて、いる。旧潜戸の洞窟は、入り口 の高さ約 10 メートル、内部はしだいに 幅・高さとも少なくなり、形成途上にある きさかいひ ことをうかがわせる。また、枳佐加以比 めのみこと 売命が金の弓矢て、射通してて、きた穴だ という伝説も伝わっている。 沖合いには、馬島、桂島、黒島、窓島 等の小島がある。窓島には、その名の示 すように、海食により窓のあいた洞門が びようぶ ある。また、陸ーヒには玄武岩岩脈が屏風 きつりつ のように屹立する。この他、「御産湯の井」 おうけっ と呼ばれる海成甌穴もある。いずれも、 海食作用の結果生成されたものて、、景観 にも秀れており、名勝に指定されている。 ( 品田穣 ) たなべききようがん 田辺の鬼橋岩 指昭和年に月ロ日 所和歌山県田辺市神子浜 闇田辺市 みこのはま 田辺市神子浜下浜田の神楽神社境内に ある。 高さ 12 メートル、幅 4 メートル、長さ 16 メートルの天然橋て、、第三紀の砂岩層 どうくっ が海食によって洞窟を生じ、さらに貫通 して洞門となった後、 ~ ル面の相対自氏 下て、陸ー E のものとなったと考えられる。 鬼橋岩の下を道が通って天然橋となって はくらく おり、剥落その他て、急漣に危険な状態と なったため、田辺市て、は防護網や防護柵、 42 ・海食
六連島の雲母玄武岩 昭和 9 年一月 22 日 所山口県下関市六連島 下関市 六連島は下関港の西北西約 5 キロメー トルの海中にあり、第三紀層とそれを貫 げんぶ いて噴出した玄武岩からなっている。 玄武岩は灰黒色、多孔質て、ある。その こうげき 孔隙は火山ガスが放出された跡て、ある。 くろうんも その孔隙の中に約 4 ミリの黒雲母の板状 結品が多数て、きている。玄武岩の孔隙中 に黒雲母が形成されることは、きわめて 珍しい例て、、玄武岩の組成がアルカリに 富んだものて、あることを示している。ま たその結品作用の条件も特異て、あったこ かくせん とが推定される。黒雲母の他にも角閃石 ( へスチングサイト ) の 2 ~ 3 ミリの針状 むつれじま 結品が見られる。 きぬ まるがめ 絹島および丸亀島 指昭和年 2 月日 大内町 所香川県大川郡大内町 ( 黒田吉益 ) にぶうましの 絹島は大川郡大内町丹生、馬篠漁港の 沖約 700 メートル、丸亀島はこの絹島の 北東の方向約 1200 メートルにあって、大 内町の北山海岸からわずか 400 メートル めんしま 離れた花崗岩の島、女島に連なって位 置している。 二つの島はともに周囲が急峻な海食崖 せつり て、、とくに北面は柱状節理が発達した一 十数メートルにも及ぶ垂直な断崖となっ ちみつ ている。岩石は黒っほ。い緻密な、斑品の 目立たない玄武岩質安山岩 ( 屋島と同じ 古銅輝石安山岩・譴岐岩 ) て、、その産状の 特徴として、四角形の切り口を見せる柱 状節理があたかも何百本もの角材を横に 積み重ねたごとく、また四角な : イオの多 数の断面を思わせるような見事な景観を 呈している。まわりの海食崖には、断層 帯や節理面等が波て侵食された海食洞が 幾つか見られる。柱穴と呼ばれる最大の ものは海面て、幅 2.5 メートル、高さ二十 数メートル、島の項ー E にも達している。 丸亀島の南面には、基盤の花崗岩の上 に不整合の関係て、、この玄武岩質の冫疑灰 岩から溶岩流へ移行する累層が重なって いるのが観察される。 ( 山田幹夫 ) 岩石・鉱物・ 157
海食 かいしよくがい 海岸の岩盤は打ち寄せる波浪によって削られ、海食崖をはじめ種々の海食地形をつくる。岩盤を構成する岩石の質 に差があるために、また岩盤にて、きた割れ目・断層などの弱い部分が徐々にえぐり取られるために洞穴がつくられること が多い。これも海食地形の特徴て、ある。その指定地は、河食による渓谷美に対応する変化に富んだ海岸地形や海食 がんばん 甌穴群のほか、海食洞、天窓洞、潮吹洞など 23 ヵ所て、ある。 おうけつ てんそうどうしおふきどう ほとけうた 仏宇多 ( 仏ヶ浦 ) 囮昭和年 4 月 23 日 圃青森県下北郡佐井村 闇農林水産省 * しもきた 名勝 碁石海岸 指昭和に年 6 月日 所岩手県大船渡市末崎町 置大船渡市 おおふなと いし 名勝 下ノ崎 福浦崎 福浦 牛滝 34 ・海食 下北半島西海岸のほば中央部、佐井村 うしたきふくうら の牛滝と福浦崎との間の侵食海岸をい おそれざん う。下北半島には有名な霊場「恐山」が あり、この仏宇多とともに、往時の山中 他界の思想を読みとることがて、きる。 仏ヶ浦は、延長 1.5 キロ、幅 200 メート ていせんだんがい ルの海岸て、、汀線と断岸の間は白砂の浜 をなし、その中に高さ 60 ~ 90 メートルの ぎようかい りゆうもん 流紋岩質緑色凝灰岩からなる奇岩が られつ 羅列している。 雨食を受けやすい岩質のため、強い縦 溝が印象的て、、宗孝蚰勺な荘厳さを人々に 感じさせたとしても不思議て、はない。奇 岩の一つ一つに仏像や仏具にちなんだ名 れんげ がつけられている。十三仏、蓮華岩、如 らい 来ノ首、香大尸岩、五百羅漢などがある。 ほうめい 仏ヶ浦て、もっとも有名なものは鳳鳴山 て、、かっての海食洞の天井が落ちたもの と考えられる。 60 メートルの長さにわた って岩壁の間に三百畳敷きといわれる白 砂が敷きつめられたようになっており、 その左側壁下方には不老の滝と呼ぶ清泉 が湧き出ている。土地の人々はここを極 楽浜と呼び、ここの白砂を持ち帰ると天 罰を受けるという言い伝えがある。 ( 品田穣 ) こうろ 大船渡湾の湾ロ近くて、、南へのびる末 さき 崎半島南端部付近を碁石海岸とよんて、い る。付近は中生代白亜紀の砂岩と頁岩と の互層より成り、これが海食作用を受け て、海食岸・洞穴・洞門・沖加欠穴・岩礁 などの複雑な海食地形を示している。ま た背後の陸地は、アカマツ・クロマツの 自然林やハマハイビャクシン・ハマナス 等の直物群落におおわれ、複雑な海 食地形とよく調和して、優れた景観を織 りなしている。 碁石岬西側の碁石浜て、は、黒色頁岩の レンズ状の礫が堆積し、あたかも黒色碁 石を見るようて、ある。旧藩政時代に藩主 伊達公に碁石として献ーヒしたことから、 碁石海岸の名が生じたといわれている。 ( 村井貞允 ) けつが人 しおふきあな 崎山の潮吹穴 昭和年 9 月 7 日 ( 天 ) 昭和 32 年 7 月引日 ( 名称変更 ) 所岩手県宮古市鍬ヶ崎 闇宮古市 日出島の対岸、日出島集落のやや北方 の海岸にある。付近の地質は、白亜紀宮 古統下部の礫岩より成る。この礫岩中に せつり 上する節理面に沿って波食が進み、海 さきやま れきがん
た出崎は島になることはなく、現在のよ うな半島状を呈するようになった。縄文 海侵以後、白浜はしだいに発達し 0 餠則 に前進し、半島部て、の水の運搬カカ渺の 堆積をさまたげて黒磯は保存されてい ( 首藤次男 ) 指昭和 33 年 3 月日 斑島玉石甌穴 まだらじまたまいしおうけっ 間小値賀町 所長崎県北松浦郡小値賀町 45 年には長崎県の天然記念物にも指定さ 島の北西部の「ノにもあり、昭和 石甌穴は、斑島の北東 6 キロの宇久町寺 磨作用を続けているという。類似する玉 動きにより、玉石が穴の底を転動し、削 ると、亀裂から浸入するはげしいルの 信仰されている。満潮時に大時化て、もあ 光りをし、土地の人から「玉石様」として 礫が坐る。その表面はよく削磨されて黒 さくま は直径約 40 センチの玄武岩の球状の円 の深さは 2.5 メートルにも達する。底に 80 ~ 90 センチの深い円筒状に刻まれ、そ 玄武岩中の亀裂が交差する所て、、直径 されている。 にある玉石甌穴が国の天然記勿に指定 くつかの甌穴があるが、北東端の玉石鼻 おうけっ する溶岩の波食台上には、波食によるい は玄武岩溶岩て構成される。海岸に露出 た凝灰角礫岩が分布するが、島の大部分 ぎようかいかくれき により結ばれた。島の南西部には成層し 属島て、あり、本島とは昭和 53 年に斑大橋 方に接する東西・南北共に約 1.5 キロの 斑島は、五島列島北部、小値賀島の西 りゆうせんじまかたしま 龍仙島 ( 片島 ) 指昭和田年 8 月 27 日 所熊本県牛深市牛深町 牛深市 うしぶか あまくさ 名勝 天草半島牛深港の南西 6 キロの沖合い れきがん にある孤島て、、第三紀の砂岩・礫岩の互 層からなっている。層面を横切って 明瞭な節理、断層が発達している。この ため、層理面、節理面、小断層面に沿っ だんがい て侵食がすすみ、多くの断崖、石柱・石 どうくつ 門、洞窟が形成されている。なかには、 龍女宮と呼ばれる洞窟や、マタグラ岩と 言われる石柱があり、奇勝として古くか ら親しまれてきた。 その特異な景観から名勝にも指定され ている。 やかたいし 屋形石の七ツ釜 脂大正図年 10 月 8 日 ( 品田穣 ) れた。 ( 鎌田泰彦 ) 所佐賀県唐津市湊町屋形石 置唐津市 げんかいなだ 七ツ釜は、玄界灘に面した屋形石とい う集落にある。玄武岩の柱状節理および 板状節理が玄界灘の荒波をうけて侵食さ れ、七つの海食洞を形成している。写真 て、見るように高さ 40 メートルに達する 柱状節理が、上部て、は断面の直径 15 セン チほどて斜めに、下部て、は 30 センチほど て、直立している。 この柱状節理の節理面にそって海食が すすみ、しだいに洞穴がうがたれたもの て、、大きな洞て、は間ロ 3 メートル、高さ 3 メートル、奧行きも深く、満潮時には 小舟て洞内を進むことのて、きるものもあ る。また南端の海食洞は、貫通して石門 を形成している。 柱状節理の整然とした美しさと海食洞 の変化に富んだ地形は、代表的な天然記 ; ま物の一つと言えよう。 ( 品田穣 ) 海食・ 51
おとも 水面付近にて、きた空洞から、地表面に通 小友町の東端て、、南東に伸びる小半島 ずる穴を生じたものて、ある。 の突端部に蛇ヶ崎があり、岬の先端には みぎわ 鶴島・亀島などの島々カ徹在している。 沖加欠き穴は汀から約 10 メートルの距離 おおふなと にあり、海水面上の高さは約 5 メートル これらは下部白亜系の大船渡層群の砂 けつがん て、ある。穴ロの大きさは長さ 2.5 メート 岩・頁岩からなるが、堅硬な岩石が波食 ばうすい かいしよくがい ル、最大塩 65 センチて、紡錘形を成すが、 を受けて急峻な海食崖を形成し、風化 下方へしだいに狭く、三角形に変わる。 侵食に対する抵抗力の差や断層などて、変 噴出する海水の高さは、 : 良の高低に 化に富む景観を生じることになった。魔 どうくつ よって著しく変化するが、波の高いとき の瀬の大洞窟・かわうそ穴などの海食洞 や鶴島・亀島と岬との間には狭い水道が には 30 メートル以 E にも達し、壮観て、あ る。沖加欠き穴はあちこちに見られるが、 あるが、その水道の側面には二つ並んだ 崎山の沖加欠き穴は特に規模が大きい 潮吹き穴があって、波の去来にしたがっ てノ主を高く吹き上げる。 ( 村井貞允 ) 突端部からの眺望にも優れ、左に碁石 海岸、右に広田半島を望む景勝の地と なっている。我が国に多い海食地形の代 表的なものの一つといえよう。 はくあ いし じやさき 蛇ヶ崎 囮昭和Ⅱ年に月日 所岩手県陸前高田市小友町 闇陸前高田市 ( 山田弥太郎 ) 大船 渡 市 末崎町 0 門之浜湾珠 蔵 小友町 ヾ海馬島 碁石海岸 陸前高ー ~ 田市 ヶ崎角岩岩脈崎 ケ ′碁石海岸 午代島 碁石岬 飛磯岩 大野湾 広田町 0 。 0 。 青松島。 ぐ。 0 広田崎 椿島ウミネコ繁殖地 海食・ 35
( 11 ) 展望地点 も変化していく一時点の姿て、ある。これには、主体 は第四紀後半の条件に強く規制されたものて、、今後 地質構造や地形が形成されてきた。現在の自然環境 もって自然環境が何度も変わり、その過程て、複雑な 日本列島は古生代中期 ( 約 4 億年前 ) からの歴史を それ以前の自然現象とに二大別て、きる。 列島の地史に関連する地質が反映した第三紀および る第四紀の自然現象と、その基盤となっている日本 する。「地質鉱物」は、現在の自然環境を強く規制す こて、は全体に通じる性格と特徴を述べておくことに 各項目については本文中て、概説することとし、 的に働く営カからみると 2 面がある。 いるものが 11 件ある。これらは渓谷・海岸等、局所 ている。海食もこの性格をもち、名勝に指定されて 占めるものが多く、 21 件中 13 件が名勝にも指定され 以上のうちて、、河食には渓谷美がかなりの比重を 湧泉も訂村旨定されている。 ゆうせん 立つものて、、石灰岩地形が 2 Ⅱ村旨定され、地下水と 台地や地下水に溶食された石灰岩体内の鍾乳洞も目 よる水の循環は風化・侵食のもとになるが、石灰岩 盤の風化過程を示すものがある。太陽エネルギーに 食地形を主とし、風化・風食 8 件には風の侵食や岩 然現象て、、河食 21 件、海食 23 件、水河遺跡 2 件は侵 て生じる風化・侵食・運搬作用が主体的に働いた自 る。地表に一方的に到達する太陽エネルギーによっ 第 1 には、外因的営力が主体的に働いたものて、あ よりはやや広域指定のものが多い。指定は昭和 10 年 頃まて、の制定初期のものが多い。河食て、は指定後ダ、 ムの構築などによって河況がかわり、渓谷美が減少 しているものが少なくない やかまおうけつ なお、特別天然記念物は、河食 1 件 ( 八釜の甌穴 けんこく 群 ) 、水河遺跡 1 件 ( 薬師岳の圏谷群 ) 、石灰岩地形 2 わくたまのいけ 件 ( 秋吉台と秋芳洞 ) 、湧泉 1 件 ( 湧玉池 ) を数える。 その第 2 は、内因的営力が主体的に働いたものて、 ある。地球内部のエネルギーによる火山活動・温泉 現象、地震現象に関連するものて、、火山 8 件、溶岩 じゅけい 洞穴・溶岩樹型 17 件、温泉現象 9 件、地震とこれに よる地盤の隆起・沈降 7 件が指定されている。これ は火山国・地震国としての特徴的自然現象を対象と したものて、、特別天然記念物は、火山 2 件 ( 昭和新 げとう 山と焼走り溶岩流 ) 、温泉現象 4 件 ( 夏油温泉の石灰 おにこうべかん しらほね 華、岩間の噴泉塔群、白骨温泉の噴湯丘、鬼首の間 品泉 ) 、溶岩洞穴・溶岩樹型 3 件を数える。この中 て、、昭和新山の成長過程 ( ミマッダイヤグラム ) は世 界的に知られる著名なものて、ある。なお、名勝の指 定は 3 件て、ある。 これらのうち、温泉の噴泉塔、間歇泉などは昭和 10 年以前に指定され、いまや全く噴湯を見ることが て、きなくなったものもある。 上記のうち、火山の溶岩流や火山体は第四紀の火 山活動によるものて、あるが、他の大多数のもの、河 食・海食などの構成岩石は第四紀以前の日本列島の 地史の過程て、形成された硬い岩石て、ある。この観点 から地質を主とする自然現象としてまとめた。岩 やけはし
須佐湾 指昭和 3 年 3 月 5 日 所山口県阿武郡須佐町 間須佐町 名勝 プ ホルンフェルス断層 海苔石・ 黒島 ツ・ 雄島 ( 天島 ) 観 0 岩 弁 須佐湾 屏風岩 松島。 佐 山口県阿武郡の須佐湾一帯は、おほ、れ らんすい 谷を中心とする典型的な沈水海岸から成 り、その風光明媚な景観と地質学的・岩 石学自勺価値によって、昭和 3 年 ( 1928 ) に 国の名勝および天然記念物に指定され た。指定区域は須佐湾を中心に、南西部 せざき の金井崎から北東部の瀬先に至る海岸部 ( 約 18 キロメートル ) て、ある。湾内は小島 や入り江に富み、波静かな内海的風光を 示すが、湾外て、は海食岸や海食洞が発達 する長門北浦らしい男性的な景勝が展開 し、対照的て、ある。 地質は中生代白亜紀後期の流紋岩質や かさい 石英安山岩質火砕岩類から成る阿武層群 ふくが 福賀累層が基盤として南西部に広く発達 けつがん し、それを新第三紀の礫岩・砂岩真岩 から成る須佐層群カ坏整合におおって広 がっている。さらに、これらの地層を貫 こうやま はんれい いて斑糲岩類が北部の高山 ( 532 . 8 メー トル ) を中心に露出している。この斑糲 へいばん がんしゅ 岩体は餅盤状ないし岩株状 ( 長径約 3 キ ロメートル ) の形態を示し、結品分化作 用を示す複合岩体として有名て、ある。 斑糲岩体に接する須佐層群は、接触変 成作用を受け、幅 600 ~ 700 メートル私 ! 度 の接触変成帯を形成している。その内帯 ( 約 150 ~ 200 メートル ) は典型的なホル ンフェルスになっているが、は彳田 くろうんも な黒雲母や白雲母などカ在する硬化し た真岩あるいは黒雲母真岩て、ある。観光 たたみいわせんじようじき 地として名咼い畳岩や千畳敷は、この 外牆の最外側部に位置し、砂岩・頁岩の互 層から成る灰白色と黒色の縞 f 期譱をなす 美しく雄大な海食岸て、ある。 ( 西村祐二郎 ) れきがん おうみしま 青ラ毎島 指大正年 10 月 20 日 所山口県長門市仙崎・通 間長門市 名勝 せんざき 青海島は仙崎湾をへだてて横たわる東 西に細長い島て、、周囲約 34 キロ、面積は さどおき 日本海側て、は佐渡・隠岐に次いて、大きい 0 島の地質は、主として上部白亜系の阿武 おうみ 層群青海累層 ( 石英安山岩質から流紋岩 きようかい 質凝灰岩 ) によって構成されるが、南部 かんもん および東墻部には下部白亜系の関門層群 が、北西端には白亜紀末期の花崗岩が、 たかやま また、高山など数カ所の高所には鮮新世 から更新世の玄武岩がそれぞれ点在分布 する。 おおひび また、島には大日比から紫津浦をとお る北東から南西方向への顕著な断層があ り、この断層線によって島は東西にほぼ 二分されている。外海に面する北側の海 岸は、日本海の荒波をうけて海食が進み、 壮麗な造形美を刻んて、いる。すなわち、 北西端て、は花崗岩を刻んて、竹の子岩・平 けたいおうごん 家台・黄金洞が、北東端て、は海中から鉛 きつりつ びようぶ 直に 80 メートル山乞立 : する屏風岩が、また、 ちみつ 北部て、は、緻密な流紋岩質凝灰岩の節理 ながはまぐんどう に沿って刻まれた海食洞群 ( 長浜同 ) や がいせん どうもんたいもんしまみ 洞門 ( 大門・島見門・豈肋定門など ) 、さら ぐんしよう に堅硬な岩質部が群礁として林立する らかん 十六羅漢など、名勝・天然記念物の名に ふさわしい多彩な海食地形が、神秘的な 海のさにふちどられて連続する。 しづがうら いわ 間倉敷市 所岡山県倉敷市下津井六ロ島 指昭和 7 年 7 月 23 日 ( 松里英男 ) 象 . かせるべきかて、話題をよんだ。 ( 品田穣 ) 旧した方がよいのか、それとも自然にま う。描丘、鼻が若十折れて、接着剤て復 の一つになった代表的なものといえよ とから、訪れる人に親しまれ郷上の誇り 化の不思議が愛らしい象の形を刻んだ によって象の形をなしている。自然の風 トルの花崗岩て、あるが、選択的な波食等 田之浦海岸の巨岩て、ある。高さ 8 メー たのうら 46 ・海食
0 橋統岩 ( 和歌山 ) 海食により石柱となて並立した被岩の岩礁。残された橋脚のような量観からこの名がついた。屏風岩と同じ成因。 ①白羡の泥岩岩脈 ( 和歌山 ) 砂岩層の中 にした垂直の割れ目の中へ、地中から礫 を含んだがはいりこんて、凝結したもの。 ①鳥彙半島の泥岩岩脈 ( 和歌山 ) 海食台上とその背後の海食崖を貫いた、数百条におよぶ さいせつ 岩脈。幅 200 ~ 300 メートルて、 1.5 キロ以 E に広がる日本て、最大規模の砕屑岩の岩脈群て、ある。
地 岸 の 本 中性海岸は、堆積物によりデルタカイきたり、火山カ頭 海岸は、海岸地形やこれをつくっている岩石などによる 火したり、新しい断層がて、きたりして、これらが ~ ルと接 自然の造形の美しさて、人々の眼や心をひきつける。 りゆうき したものて、、隆起・沈降には関係ないものをいう。沈毎 海岸地形は、ふつう沈毎岸・隆起海岸・中性海岸に分 岸は、陸地が相対的に沈降してて、きた海岸て、ある。陸地に けられる。海面は矢麒月間には一定の高さを保っているが、 刻まれた谷と山がちの半島が交互にあらわれる屈曲のある 長年月の間には高さが変動する。水河時代の最終水期には 海岸線をつくり、原地形と沈降量に対応して、リアス式海 多量の大陸水河のため海に注ぐ水が少なくなり、海面が 岸や多島海カイきる。中性海岸・沈毎岸には国の天然記 100 メートルも低下したとみられる。これは 1 万年より前の ] 勿に指定されたものはなく、指定されたものは隆起海岸 ことて、ある。逆に温かい気候になると大陸水河が溶けて海 の性格が顕著なものばかりて、ある。 面が高くなる。現代はこのような時期に当たる。海岸に面 海に面した陸地には海食によって海食崖がて、きていき、 した陸地カ坏動て、あるとすれば、海面が低下すると陸地は 遠浅の海底の岩石は長波により平らに削られていく。この 隆起し、逆に海面が高くなれば陸地は沈降する。これらの かんけつ 或が隆起すると海面上に海食台があらわれ、間歇的に何 現象は海面が基準になるのて、、日本列島を見渡せばどこの 回も隆起すると何段もの海岸段丘がて、きることがある。 海岸にも一様におこるはずて、ある。しかし、現実には、沈 のような海食作用によるキ未な目立っ地形は隆起海岸に集 毎岸もあれば隆起海岸もあり、中性海岸もある。これは、 中してみられるのて、、天然記念物とともに名勝にも指定さ 海面の変動よりも、限られた↓或の陸地の方の変化が大き れているものがある。 ( 渡部景隆 ) ことを示唆している。 鉛直性の小孔からしぶきを噴き上げる現 りゆうぐうしおふき 龍宮の潮吹 象て、あるが、風もなく波もほとんど目立 昭和 9 年 8 月 9 日 たない静かなときて、も、開口部から 1 ~ 所山口県大津郡油谷町 2 メートルの高さの噴肭見象が断続的に 置油谷町 観察される。吹き上げるときのゴーゴー つおう という音は、巨大な獣の荒い息づかいの 龍宮の潮吹は津黄集落からおよそ 500 ようにも聞こえる。波が大きいとき、と メートル北西、赤茶けた火山岩からなる くに冬の季節風て海が荒れるときの朝 海食崖にある。海食崖は海面から約 10 は予想外に高く、すさまじい、といわれて メートルの切り立った崖て、潮吹きの穴 いる。この付近一帯の火山岩は安山岩て、、 は海面から約 1 メートルの高さの平坦部 その噴出時期は、新第三紀中新世前期に に開口する。開口部は、縦 1 メートル、幅 ひおき 堆積した日置層群によって不整合におお 20 センチ程度の小孔て、、その縦方向は波 われていることなどから、古第三紬斤 の進行方向とほば一致する。 この沖加欠 世のころて、あろうと考えられている。 きは言ルトが海面付近の水平生小洞内に ( 田附治夫 ) 流入するときに洞内の空気が圧縮され、 名勝 海食・ 47
あおしま けやおおと 青島の隆起海床と奇形波食痕 芥屋の大門 指昭和引年 3 月 3 日 指昭和 9 年 5 月一日 所福岡県糸島郡志摩町 所宮崎県宮崎市折生迫・内海 間宮崎市 げんかいなだ 宮崎市の南、青島の周囲と日南海岸戸 芥屋の大門は玄界灘にのぞむ志摩半島 でさき 崎鼻から巾着島まて、の海岸に、俗称「鬼の の北西端、出崎にある。糸島地方に広く 洗濯板」と呼ばれる波食台が分布する。 分布する、糸島型花崗岩と呼ばれる花崗 せんりよく かんらん の特徴的な波食台の代表が青島て、、国の 閃緑岩は、所どころて、橄欖石玄武岩に 天然記念物に指定されている。 貫かれている。玄武岩溶岩カ頭出したさ がんけい 青島の中央部には亜物生植物の繁茂 いの火道を埋めて固まったもの ( 岩頸と する丘があり、十潮時には幅 100 メート 呼ばれる ) が、まわりの岩石が侵食に ルほどの低平な洗濯板状の波食台が海面 よって除かれたため露出したものが芥屋 上に現れる。洗濯板は沖の方に傾く薄い の大門て、ある。 砂岩と泥岩のリズミカルな互層が厚く重 玄武岩には直径およそ 30 センチ、主と なり、上が平らに侵食されたものて、ある。 して六角の柱状節理が海面下から海抜 洗濯板の畦の部分は砂岩、溝の部分は泥 65.5 メートルの項上まて、逆扇型にみご 岩て、ある。 とに発達している。北側に向いて海食て、 て、きた洞穴があり、その入り口て、は幅 8 この、ほかには例のない侵食地形の成 因は、次のように考えられる。第 1 は、リ メートル、高さ 5 メートルほどの大きさ ズミカルな砂岩と泥岩の互層が何百枚も て、ある。奧に向かって幅は急にせばまり、 堆積したこと。第 2 は、その後、互層が 入り口から 15 メートルて、幅 3 メートル 沖へ傾きながら起し、浅い海底て、長波 程度となっている。それから先はごくわ ずかせばまりながら、入り口から 70 メー に削られて平坦化するとともに、泥岩が 砂岩よりも軟らかいのて、泥岩の部分が溝 トルの末端にいたる。玄武岩には柱状節 となり、砂岩カ溿となって浅海て、洗濯板 理のほか板状節理も発達するため、波風 ほうらく 状になる侵食作用が進んだこと。第 3 に の作用て、大小の岩塊として崩落しては波 最後にこのよ或がわすかに起し、浅海 と沿岸流て運ばれ、大門の東と南西にそ の波食台が干潮時には海面上に出るよう れぞれ約 1 キロにわたって黒饑をつくっ れきけい になったことて、ある。 ている。大門から遠ざかるほど礫径が明 鬼の洗濯板の砂岩を観察すると、堆積 らかに細粒となっているが、南西側て、は 面に乾裂と思われる四角や六角の割れ目 東側にくらべて礫が大きく、黒磯が消え があるといわれ、水中地すべりによる小 る所て、も径 40 ~ 70 センチ程度て、ある。黒 しゅうきよく 褶曲もあって、互層が堆積したときに 磯の東西は花崗岩起源の白砂て、埋められ は一部水面上に出たことがあったり、水 るかたちて、急に終わっている。 底て、地すべりが起こる程度の傾斜地て、 現在の海岸線の背後には約 3 万年前に あったりしたことを示唆する。また泥岩 形成された古砂丘が発達しており、その 頃、出崎は島て、あり、幾を形づくって には泥灰岩の団塊があって、波食からと いる玄武岩の大礫・巨礫が現在の高沖泉 り残されているのが見られるという。 より上まて分布しているのて、、これは海 ( 渡部景隆 ) 水準の高かったこの時期のものと考えら れる。その後、最終水期に海面がおよそ マイナス 60 メートルまて低下し、出崎は 広い平地にそびえる小丘となった。その じようもんかいしん 後の縄文海侵によっても黒磯て、囲まれ ロ江田川 青島亜熱帯性 植物群落 島堀切峠 ール の国 港 戸崎 青島の 隆起海床と 奇形波食痕 日向灘 日南海岸濯 港 内 あせ 、イッコ 生地 内海の 0 アコ がんかい 50 ・海食