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検索対象: 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道
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1. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

知多新四国八十八カ所霊場 第 1 番清凉山曹源寺 ( 曹洞宗 ) 第番尾風山泉蔵院 ( 真言宗 ) 第 2 番法蔵山極楽寺 ( 浄土宗 ) 第番井際山如意輪寺 ( 真言宗 ) 第 3 番海雲山普門寺 ( 曹洞宗 ) 第町番井際山持宝院 ( 真言宗 ) 第 4 番宝龍山延命寺 ( 天台宗 ) 第番禅林山良参寺 ( 曹洞宗 ) 第 5 番延命山地蔵寺 ( 曹洞宗 ) 第番護国山吉祥寺 ( 曹洞宗 ) 第 6 番万年山常福寺 ( 曹洞宗 ) 第番鶴林山大御堂寺 ( 真言宗 ) 第 7 番彼岸山極楽寺 ( 曹洞宗 ) 第番鵺林山野間大坊 ( 真言宗 ) 第 8 番上世山伝宗院 ( 曹洞宗 ) 第番鶴林山密蔵院 ( 真言宗 ) 第 9 番浄土山明徳寺 ( 浄土宗 ) 第番鶴林山安養院 ( 真言宗 ) 第川番福聚山観音寺 ( 曹洞宗 ) 第番亀嶺山海潮院 ( 曹洞宗 ) 第Ⅱ番光明山安徳寺 ( 曹洞宗 ) 第番曇華山法山寺 ( 臨済宗 ) 第貶番徳応山福住寺 ( 曹洞宗 ) 第番祥雲山瑞境寺 ( 曹洞宗 ) 第番板嶺山安楽寺 ( 曹洞宗 ) 第番乳売山報恩寺 ( 曹洞宗 ) 第凵番円通山興昌寺 ( 曹洞宗 ) 第番金光山来応寺 ( 曹洞宗 ) 第番龍溪山洞雲寺 ( 曹洞宗 ) 第番万年山玉泉寺 ( 曹洞宗 ) 第番鳳凰山平泉寺 ( 天台宗 ) 第圓番大光山安楽寺 ( 曹洞宗 ) 第番樫木山観音寺 ( 浄土宗 ) 第引番御嶽山高讃寺 ( 天台宗 ) 第番開運山光照寺 ( 時宗 ) 第番御嶽山洞雲寺 ( 浄土宗 ) 第四番前明山光照院 ( 浄土宗 ) 第番補陀落山大善院 ( 真言宗 ) 第番万松山龍台院 ( 曹洞宗 ) 第番世昌山宝全寺 ( 曹洞宗 ) 第幻番天龍山常楽寺 ( 浄土宗 ) 第番神護山相持院 ( 曹洞宗 ) 第番御嶽山大日寺 ( 浄土宗 ) 第聞番八景山中之坊寺 ( 真言宗 ) 第番意竜山蓮花院 ( 浄土宗 ) 第番松尾山一一一光院 ( 時宗 ) 第番慶亀山徳正寺 ( 曹洞宗 ) 第番龍王山宝蔵寺 ( 真言宗 ) 第 % 番法輪山円観寺 ( 天台宗 ) 第番宝苑山慈光寺 ( 臨済宗 ) 第 % 番龍華山彌勒寺 ( 曹洞宗 ) 第間番摩尼山地蔵寺 ( 真言宗 ) 第番天竜山誓海寺 ( 曹洞宗 ) 第番金照山大智院 ( 真言宗 ) 第番浄光山永寿寺 ( 浄土宗 ) 第番白華山慈雲寺 ( 臨済宗 ) 第四番大悲山正法寺 ( 天台宗 ) 第番雨宝山正法院 ( 真言宗 ) 第番宝珠山医王寺 ( 真言宗 ) 第番雨宝山密厳寺 ( 真言宗 ) 第引番宝珠山利生院 ( 真言宗 ) 第番雨宝山誕生堂 ( 真言宗 ) 第番宝珠山宝乗院 ( 真言宗 ) 第間番雨宝山如意寺 ( 真言宗 ) 第番宝珠山北室院 ( 真言宗 ) 第行番雨宝山浄蓮寺 ( 真言宗 ) 第番宝珠山性慶院 ( 真言宗 ) 第爲番宝泉山福生寺 ( 真言宗 ) 第肪番神光山成願寺 ( 曹洞宗 ) 第四番白泉山妙楽寺 ( 真言宗 ) 第番天永山遍照寺 ( 真言宗 ) 第番海嶋山栖光院 ( 曹洞宗 ) 第番魚養山大光院 ( 真言宗 ) 第番巨渕山龍蔵寺 ( 曹洞宗 ) 第番龍門山正法寺 ( 曹洞宗 ) 第番雨尾山観福寺 ( 天台宗 ) 第番金剛山医徳院 ( 真言宗 ) 第番待暁山彌勒寺 ( 真言宗 ) 第鬨番普門山影向寺 ( 曹洞宗 ) 第番瑞雲山玄猷寺 ( 曹洞宗 ) 第料番松原山西方寺 ( 浄土宗 ) 第番慈悲山清水寺 ( 浄土宗 ) 第番瑞岸山天龍寺 ( 曹洞宗 ) 第番大悲山観音寺 ( 真言宗 ) 第番大慈山岩屋寺 第番鷲頭山長寿寺 ( 臨済宗 ) ( 尾張高野山宗 ) 第圏番瑞木山円通寺 ( 曹洞宗 ) 第料番管生山大宝寺 ( 曹洞宗 ) である。先端に国の天然記念物に指定されている墓がある。隣接して、頼朝によって建久元年 だいぼう 「ウバメガシの群生地」がある。 九し創建された野間大坊 ( 五十一番 ) があり、義 えとき 西海岸に回ると愛知県随一の漁港豊浜港がある。 朝暗殺の模様を語る絵解がなかなかおもしろい。野 あじのすむすさ もち 沖合漁業を中心とし水揚げ高も多い。「味乃住渚沙 間の東の内扇地区には正月に餅を食べない風習が残 そう のいりえのありそまつあおまっこらはただひとりのみ 乃入江荒磯松、我乎待児等波但一耳」と万葉の相 っているが、これも義朝が空腹のあまり餅のできあ もんか おこわ 聞歌にもうたわれ、古い歴史を残す集落である。山がるのを待ちきれず、手づかみで強飯を食べたこと いわや 海地区の岩屋寺 ( 四十三番 ) には国指定の「金銅法からきているといわれている。 ぐ だいぞうきよう よう一よう とこなめ 具類」「大蔵経」があり古い営みを示す静かな札所 北の常滑市は窯業の大産地である。高い煙突が でもある。 林立し、古くから常滑焼として全国に名をはせてい うつみ 内海地区は、愛知県下有数の海水浴場で、夏とも る。知多郡の丘陵部一帯は常滑層の粘土を用いた焼 なれば、さしもの広大な白砂青松の砂浜は、若者のき物が有名で、鎌倉期の古窯跡が無数にひろがって おのうら 青春賛歌でいつばいになる。隣接する小野浦 ( 美浜おり、常滑市陶芸研究所には、古窯の発掘品が常設 のまみはま あの こさっこうさん 町 ) は、内海、野間 ( 美浜町 ) とともに尾張廻船の展示されている。阿野地区にある古刹高讃寺 ( 六十 寄港地である。開国の陰の力となったモリソン号事一番 ) は、県指定の文化財が寺宝として保存される 件の主人公の音吉、岩松、久吉は、この小野浦の水古い歴史を刻む静かな寺である。 おわり 夫たちである。良参寺 ( 四十八番 ) には、宝順丸の 常滑市の北端、大野地区の海岸は尾張藩主の潮湯 遭難によって死亡した一四人 ( 三人を含む ) の墓石治場として古くから有名であったが、この世界最古 が残されており、参詣者、研究者などが跡を絶たな の海水浴場も近年の名古屋南部臨海工業地帯造成の ゝ 0 影響を受けて見るかげもない。 知多市には一四もの霊場がある。漁業や農業中心 歌 世界最古の海水浴場 の小村が合併して市制をしいた新しい市だが、近年詠 きよもり へいじ る 野間は、平治の乱で清盛に敗れた源義朝が伊勢よ は名古屋港域の一部として、また名古屋市のべッド れ おさだただむね 流 り逃れ来て、長田忠致に湯殿で暗殺された地であタウンとして著しい人口増加をみた。民俗資料館は 路 おおみどう こだち 多 る。大御堂寺 ( 五十番 ) には、「小太刀の一本さえ当地方最新のもので、国の民俗資料として指定され あれば」と無念の憤死をとげた義朝の霊をとむらうている打瀬漁関係の民俗文化財は一見の価値があろ ほろ・きよういんとよノ かのように木太刀にかこまれた宝篋印塔の義朝の とよはま うたせ よりとも けんきゅう