路 - みる会図書館


検索対象: 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道
168件見つかりました。

1. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

日本磅野道ーーー -- -- 全 8 巻 ( 書名と責任編集者 ) ・印既刊 / 〇印は次回配本 第 1 巻風かけるみちのく仲野浩喆渡辺信夫 奥州街道羽州街道会津街道浜街道 学習学児玉幸多 第 2 巻江戸への道 東海道日光道甲州路水戸・佐倉道大山道 第 3 巻雪の国北陸木下良 北国路越後路能登路三国街道千国街道 ・第 4 巻山なみ遙か歴史の道翳林英夫 信濃路木曾路伊那路美濃路飛騨路 〇第 5 巻京への道諸矗原田伴彦 若狭路近江路丹波路大和路伊勢路紀州路 第 6 巻夢誘う山陽山陰大響谷口澄夫 山陽道吉備路安芸路出雲路長門路 第 7 巻海光る瀬戸内・四国山本大 遍路道金毘羅参詣道土佐路瀬戸内の海路 第 8 巻日燃ゆる九州 九州大学 助教授丸山雍成 筑紫路日向路薩摩路長崎路唐津街道 ( 56 年 4 月刊行 ) 著者代表ーー林英夫 編集者 株式会社日本アート・センター 東京都千代田区神田神保町一ー一五 電話ー東 ~ 足・ 2 9 4 ・ 3 8 91 郵便番号 101 発行者ーーー堀内末男 発行所 株式会社隹木英社 東京都千代田区一ッ橋二ー五ー一〇 電話ー販売部東京・ 2 3 8 ・ 2 7 81 出版部東京・ 2 3 0 ・ 6 3 81 郵便番号 101 印刷所ー - ー。ー共同印刷株式会社 製本所 中央精版印刷株式会社 製本には十分注意していますが、落丁・「乱丁の際はおとりかえ いたします・ ◎集英社 Printed in Japan 日本の街道 4 山なみ遙か歴史の道 昭和五十六年二月八日 第一刷発行 昭和五十六年一一月二十一日第三刷発行 03 幻ーロ 6004 ー 30

2. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

日本の街道 4 集英社 山なみ遙か歴史の道 信濃路木曾路伊那路美濃路飛騨路

3. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

山なみ遙か歴史の道 Ⅱ集英社 信濃路木曾路伊那路 美濃路飛騨路 日本の街道 ・全巻内容 * 印は既刊 第 1 巻 / 風かけるみちのく 第 2 巻 / 江戸への道 第 3 巻 / 雪の国北陸 * 第 4 巻 / 山なみ遙か歴史の道 第 5 巻 / 京への道 第 6 巻 / 夢誘う山陽山陰 第 7 巻 / 海光る瀬戸内・四国 第 8 巻 / 日燃ゆる九州 ケース表長野県北安曇郡白馬村より 北アルプスを望む 同裏木曾路妻籠宿付近の一里塚 カバー表木曾路馬籠宿付近一石栃の 石畳道 同裏信濃路下諏訪宿の旅籠 定価 1 , 800 円 0321 ー 176004 ー 3041

4. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

木曾路はすべて山の中で そば ある。あるところは岨づた いに行く崖の道であり、あ るところは数十間の深さに 臨む木曾川の岸であり、あ るところは山の尾をめぐる 谷の入口である。一筋の街 道はこの深い森林地帯を貫 していた。 ( 島崎藤村『夜明け前』より ) 木曾路の石置き屋根ーーー - 木 曾・伊那・飛騨地方の民家独特 の屋根て、ヒノキ、サワラな どの皮て屋根をふき、風圧に 耐えるため重い石を来せる。 木曾路鳥居峠ーーー奈良井と藪 原の間にあり信 / 農川上流と木 曾川の分水嶺てある。昔は木 曾路第一の難所てあったが、 今は自然歩道になっている。 木曾馬籠と恵那山 - ーーー馬 籠から十曲峠を越えると 美 / 農路に入る。南に堂々 たる恵那山を仰ぎ、木曾 路の終わるのを知る。 立 ~ 【等斗 - ーをい

5. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

晃寺街道の宿宮川清治 浄土への熱い想い 小路健 旅籠の格子の陰にーー木曾路の宿 木曾の山とナカノリさん生駒勘七 峠を越えた娘たちーー出稼ぎのみち野支街道上條宏之 0 カラー・伊那路 / 三州路の祭り 0 木の国めぐる中馬の道ーーー伊那街道吉永昭 三州路の民俗谷川健一 里人の苦楽を刻む路傍の碑ーー 知多路に流れる御詠歌ーー新四国巡礼の道河合克巳 窯煙一千年ーー " 瀬戸ものあふるさと出川直樹 0 カラー・飛騨路 / 飛騨高山の祭り / 関ヶ原の戦 0 信長・秀吉・家康 : 武将たちの遺したもの林英夫 日の流れに暮らしをかけて高牧實 東海道の船みち・海上七里川合彦充 匠たちと合掌づくりーーー飛騨の文化と風土葛谷鮎彦 飛騨路の荷背負人〃ポッカ〃稼業吉岡勲 神に祈り祭りを踊るーー郡上街道の人びと道下淳 152 147 160 104 129 124 13 6 164 154 1 19 1 12

6. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

をを、第をイ引 旅籠の格子の陰に木曾路の宿 霧「木曾路はみな山中なり」 むかし江戸と京都をむすぶ幹線道路は、東海道と 中山道だった。多くの大河を越えて太平洋岸沿いに 走る東海道とちがって、中山道のほうは、主として えんえん 山地を蜿蜒とのび、六九の宿駅を連ねていた。 木曾路とよばれるのは、そのうち一一宿にあたる 八〇キロメ 1 トルあまりの間をいう。しかしときに は、中山道全域を木曾路とよぶこともあった。たと えば貝原益軒著『木曾路之記』 ( 宝 '$ 六年ー 九ー ) 、秋里籬 とう ずえ ナいさいえいせん 島著『木曾路名所図会』 ( 経 g ー ー ) や、斎英泉と あんどうひろしげ 安藤広重の合成に成る『木曾海 ( 街 ) 道六十九 次』などがそれで、このように街道の一部の名称 が、全体の意味にも用いられる例はほかにない。そ れほど木曾路は、中山道きっての特殊な区域であ り、印象ぶかいところだったといってよかろ一つ。 にえかわ 木曾十一宿とは、ヒゝ 」カら贄川 ( 板橋宿から ゃぶはらみやこし あげまっ 以上を上四宿〈かみ ししゅ / 、、〉とい、つ ・藪原・宮ノ越 ( ) ・福島・上松・ すはら のじりみど のつまご 須原 ( 以上、中三宿〈な ) ・野尻・三留 ( 富 ) 野・妻籠・ まごめ さんきん 馬籠の圷四宿〈し ) で、西国大名の参勤交代の道 小路健 国文学者

7. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

カラー・信濃のうた 0 カラー・随想 歳月堀多恵子 中山道井出孫六 0 街道小史山峡のみち中山道林英夫 街道地図仲野浩 0 カラー・中山道信濃路 / 善光寺への道 / 善光寺 / 中山道木曾路 0 武人興亡夢のあとーー信濃の古城をめぐる江崎俊平 光と風の道しるべーー、信濃路の宿場と人びと富岡邦子 フォトグラフ信濃の石仏大護八郎 目次 0 60 46

8. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

第気 ~ ンツクク 逋想 作家 江戸日本橋を起点として、板橋から江戸をあとに した中山道は高崎を経て碓水上下にさしかかれば、そ しなのし あさま こはすでに信濃路であった。右に浅間の噴煙をのぞ みながら沓掛をすぎ追の ~ 佰をあとにすれば、道は ちくまかわ やかて北国街道と袂をわかち、やがて千曲川を渡り、 もちつき 望月の宿へと延びていく。 わだ 和田峠で日本の屋根をこえたかにみえる中山道の きそし 行く手には、まだ山また山の木曾路がのこっている。 ま ) ) め つま ) 一 みのし 馬籠、妻籠をかけくだって中津川から美濃路に入れ は、ようやく道は平坦となり、あとは一気に東海道 おうみ くさっ と合する近江の草津宿まで、旅人の足は軽やかに運 んでいったにちかいない 全長一二九里、その間に六七の宿場が中山道に貫 かれていた。わたしは、いっかその一二九里の道を 自分の足で歩きとおしてみたいものと思いなから、 いまだその願いを果たせずにいる。 とはいえ、中山道は鉄道と幹線道路に綴蝕され、 いまでは信濃路にわすかに往時のおもかげをとどめ ているにすぎないといってよいたろう。 わたしはこの夏、信濃路にのこる幾つかの宿場の おもかげを探し歩くことに数日をついやした。古い 家並みもさることながら、わたしはそれまではとん ど顧みることのなかった道端の野仏に、街道がいき ついていた頃のおもかげを見いだして、すっかり魅 ほっこく うす なかつがわ

9. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

中山道木曾路 にえかわ 中山道の洗を経て贅川から、奈良井、藪原、宮ノ越、 一。田島、上松、彡 頁原、野尻、三留野、妻籠、馬籠の木曾 路となる。奈良井を過ぎると難所で聞こえた鳥居峠で、 この峠を越えるとお六櫛で有名な藪原を経て、宮ノ越、 そして福島に入る福島の関所は江戸と京の中問にあ たることから、ことのほか厳しかった。福島と上松の 間に御嶽山に登る道があり、それを過ぎると難所、木 曾の棧があった。妻籠、馬籠は島崎藤村の夜明け前 の舞台。木曾十一宿は山の道であり、樹木のふるさと であった。 木曾路の碑ーー中央本 線の贄川駅の北桜沢に 立っ碑て、「是より南 木曾路」とあり、往時 の旅人は山道に入る心 構えをした。 奈良井宿 「奈良井 千軒」といわれるほど 栄えた宿て、「猿頭 ( さ るがしら ) 」をつけた軒 の低いニ階家が、連子 格子とともに往時を偲 ばせる。 イ 2

10. 日本の街道4 山なみ遙か歴史の道

飛騨路 第 ) 一、二 ~ を第をイ 一第いま 飛騨路の冬 - ーー飛騨は美′農より冬が 早い。稲城を見上げる道祖神にも、 ノ 29 豊年を知らせる雪がふりそそぐ。