それから第二には、現実には右の史観といろいろな形で結びついて現われる、俗に言う治乱 興亡史観の批判です。世の中が治まったり乱れたりするプロセスを、治者が興ったり亡びたり する、いわば波動の曲線として見る。誰にも面白いお話になるわけですが、これをもっと面白 おかしくなく言えば、易の哲学にある「治窮まれば乱れ、乱窮まって治まる」という見方にな ります。これは、中国古典の根本にある哲学で、江戸時代の歴史意識の中でも非常に大きな比 重を占めています。たとえば頼山陽の『日本外史』などは、こういう見方で武家政治の興亡を えがいたわけです。それから第三に、伝統史観として重要なのは、大義名分史観と勧善懲悪史 観です。この後の二つはいずれも歴史を道徳的鏡として見るわけです。そうして鏡に映った歴 史を通じて大義名分を顕彰する。水戸学派の『大日本史』の歴史観に代表されるような見方で す。もちろんさきの治乱興亡史観にも、そこに名分論が結びついている場合が多いので、この 論第二も第三もはっきりとは分けられません。 方いずれにしても歴史を道徳的な鏡にする考えはどうしても、個人の行動が中心になり、しか 史 もその個人というのは治者です。それでこの三つの史観は各々が連動関係にあるといえます。 明 文 もしそれを全部一つの命題に凝縮するなら、天下の指導者の徳の善悪によってーーあるいは治 講 者の賢愚さまざまの生き方によって、天下は乱れたり治まったりするということになります。 第 この命題を歴史的条件を通じて論証しようとするわけです。つまり、立派な君主が上におれば
小林高四郎 ヨーロツ。ハとは何か増田四郎ジンギスカン 世界史 ス。 ( ルタとアテネ太田秀通中国現代史〔改訂版〕岩村三千夫 ヒンドウ 1 教と 橋ロ倫介 イスラム教 荒松雄十字軍 金達寿 朝鮮 飯沼二郎 イギリスとアジア加藤祐三風土と歴史 泉靖一 インカ帝国 森島恒雄アメ 中世ローマ帝国渡辺金一魔女狩り カ人民の歴史上・下ヒ 小林・雪山訳 ソプ 西部開拓史 猿谷要フランス革命上・下 小場瀬・渡辺訳アメリカ黒人の歴史本田創造 現代史の幕あけ河野健二 フランス革命小史河野健二 ベスト大流行 村上陽一郎ナポレオン 井上幸治 フレームアップ 小此木真三郎 ル レーニンとシ革命 岡稔訳 よコンスタンティノ 1 プ 書ル千年 渡辺金一第二次世界大戦前夜笹本駿二 笹本駿二 波フ , トボ 1 ルの社会史忍足欣四郎訳 = 10 , 。 ( インドとイギリス吉岡昭彦 ラティモア 平野義太郎監修 中国 カ 修訳 歴史とは何か 清水幾太郎訳 歴史の進歩とはなにか市井三郎中国の歴史上・中・下貝塚茂樹 貝塚茂樹 ウエルズ孔子 世界史概観上・下 長谷部・阿部訳 金谷治 子 世界の歩み上・下林健太郎孟 貝塚茂樹 ナイルに沈む歴史鈴木八司諸子百家 吉川幸次郎 インド文明の曙辻直四郎漢の武帝 ( 1986.1 )
第四と第五の両章で智徳を論じている仕方に、かりに実質的な題をつけるとすれば「社会の 法則と文明史の方法を論ず」ということになるでしようね。つまり、歴史をどうやってつかま えていくかということです。いや、歴史をつかまえるという言い方はちょっと広すぎます。 『概略』の全部が歴史をつかまえているにはちがいないのですから : むしろここで直接に 扱うのは、歴史へ接近していく伝統的思考法への批判です。従来の歴史へのアプローチの仕方 にはどういう問題があったか、というところからして、伝統的歴史方法論への批判がこの二つ の章で展開されるのです。そのあと、こんどは歴史の中で智と徳とがそれぞれどういう役割を 占めているかという問題が、あらためて第六章「智徳の弁」で論じられる こ、つい、つ構成に なっているのです。 そこで、この第四と第五の二つの章は、歴史の方法論が論じられているという意味では非常 に重要です。方法論とい「ても、アカデミックな、大学の歴史学科でやるような抽象的な歴史 学方法論ではなくて、きわめて具体的な歴史的事例に即しながら、当時の状況の中で、従来支 配的であった史観を批判していくのです。 福沢が批判の対象としている伝統的史観とは何か。先取りして言うならば、一つは英雄史観、 あるいは治者史観といってもいいのですが、つまり、個々の英雄、個々の治者が歴史を動かし ているという見方です。
学の一般的学風からかけ離れていたことを物語っております。ですからオックスフォ 1 ド大学 の著名な歴史家、ウィリアム・スタップス (William Stubbs) は、ヾックルの著が刊行されたと き、「私は歴史哲学というものを信じない。したがって私はバックルを信じない」と言ったので す ( ・・グ 1 チ『十九世紀における歴史及び歴史家』より再引用 ) 。 ところが福沢が生きていた幕末維新の知的状況はどうでしはうか。歴史学と他の学問領域と の間のギャップどころか、ガリレオ、ニ 1 トンの物理学、アダム・スミスの経済学からケト レーの統計学にいたるまで、おしなべて近代科学の方法が驚倒すべき新知識だったのです。か に福沢が英米のもっと正統的な歴史書を読んだら、むろん西洋の歴史の情報は豊富に学んだ でしようが、、、ハックルの『文明史』に示されているような社会と歴史の法則的な把握の方法か ら受けたようなショックは感じなかったでしよう。つまり福沢にとっては、社会の構造認識 そこに作用している一定の定則性 ( re 一 ar 一 t 一 es ) をとらえるという方法自体が、歴史叙述 において個人や指導者を中心におくよりも、全般的な「衆心」の向う傾向とその作用に注目す る方法と同様に、おどろくほど新鮮に映じたわけです。福沢が慨嘆するとすれば、他の分野の 科学の発達に比べて歴史が立ちおくれている、という点ではなくて、およそ自然にせよ社会に せよ歴史的継起にせよ、ヨ 1 ロ ツ。ハの「近代科学」一般のめざましい発展にたいする、アジア の社会科学と歴史学一般の立ちおくれ、という事態でした。このことはのちの知性と徳性の問
サイエンス バックルも福沢も、歴史叙述を一つの「科学」に高めることに関心があり、その場合、過去 ツ。ハで急速に発達した自然科学における「法則発見」の方法がモデルに なっている点も同じです。けれども バックルが嘆いているのは、物理学や化学だけでなく、政 治経済学、統計学、そうした学問対象はいずれも人間の気風に影響する重要な状況を形成して おり、それぞれの領域で、個別的事実から出発して、そうした個別的事実を支配する諸法則を 発見する成果がすでにあがっているのに、そうして右の諸科学の対象が歴史を構成する重要な 要素であるのに、歴史の研究において、右の諸領域の方法と成果を総合する努力がほとんど見 出されない、 ということです。他の学問領域ではデータを集めて、帰納法によってそれから一 般的命題をひき出す努力 ( つまり generalization) が当然と思われているのに、歴史家は相変ら ず個別的な事件や人物の話を叙述して平然としており、多少書物を読んだだけで歴史家として の 通用している、といって嘆いております。これは前講でもちょっと触れたことですが、ハ、 す かルには、歴史学と他の学問諸領域とのギャップを埋め、そのギャップから生ずる両者の間の相 。ヾックルは一一囲ではヴィクト という問題意識があるのです 甦互不信を何とかして打開したい、 リア時代精神の代表者にはちがいないのですが、他面では同時代の学問、とくに歴史学ではむ ・セラーになり、すく 8 しろ異端に位置します 。ヾックルの文明史が当時、知識層の間でベスト さまドイツで翻訳が出るほど反響を呼んだのは事実ですが、反響をまきおこすこと自体が、史 二、三世紀の間にヨーロ
せっしやくわん さらにつづけて、維新の志士たちが、山陽の『日本外史』を読んで切歯扼腕した、楠正成に 対する朝廷の扱いについて論じていきます。 にったよし あしかがたかうじ 史に云く、後醍醐天皇、北条氏を減し、首として足利尊氏の功を賞して諸将の上に置き、新田義 貞をして之れに亜がしめ、楠正成以下勤王の功臣は之れを捨て、顧みず、遂に尊氏をして野心 を逞しふせしめ、再び王室の衰微を致せりとて、今日に至るまでも、世の学者、歴史を読みて此 の一段に至れば、切歯扼腕、尊氏の兇悪を憤りて、天皇の不明を歎ぜざる者なし。蓋し時勢を知 らざる者の論なり。 ( 文八二頁、全六三頁 ) 建武中興において、足利尊氏にたいする功賞を過褒であったと断じた最初の史書は、同時代 もの『神皇正統記』ですが、新井白石も『読史余論』で、ヨリ明白に楠正成を第一の功臣とし、 か新田義貞これにつぐと論じています。幕末尊王論に大きな影響のあ「た頼山陽の『日本外史』 史はなお激越で、おそらく直接に福沢の念頭にあ「たのは、この『外史』でしよう。それを読ん で切歯扼腕して口惜しがる態度をまた福沢が、ここで嘲弄的に述べて、「時勢を知らざる者の 論」として一蹴しているのです。幕末勤王論者だけでなく、明治末期からの国体論者も、いな、 私が助手時代に聴講した平泉澄教授の「日本思想史」の講義でも、「天皇の不明」とはけっして さだ たくま くすのきまさしげ しゅ
題を論ずる段になって、道徳の点ではアジアは西洋にまさるとも劣らないのだ、問題は知的活 動の停滞性にある、とくりかえし強調していることとも深くかかわっております。ですから当 面の論点に即していうならば、社会における個別的事件の構造的な関連づけ ( 理論 ) と、歴史に おける因果連関の把握 ( 歴史 ) とは、福沢においては二にして一なる問題でした。「近因」と「遠 因」という言葉の用法についても右の点を看過すると、正確に認識できないでしよう。 私たちが歴史について近因とか遠因とかいう場合には、文字通り時間的な距離の問題であっ て、べつに近因よりも遠因の方がヨリ重要で、歴史認識としてョリ価値が高いとは必ずしも考 えません。しかし福沢はここの場合でも、次章で維新の変革をのべる場合でも、遠因をつかま えることがヨリ大事であり、ヨリ深い認識に達するという立場で考えております。特殊から普 遍へ、という「一般法則化」 (generalization) の程度がヨリ高度な条件がすなわち「遠因」に当 の もるわけです。 バックルも、往々誤解されているほど、素朴に自然科学的方法を社会現象に機械的に適用し 動 を ようとしているのではありません。彼は社会現象が純粋な自然現象に比べてはるかに性質が複 史 歴 雑であり、一方、精神自体の運動と、他方、自然と精神との相互的な働きかけによる相互的な 講 「変容」という一一重のプロセスから成っていることを指摘し、「科学としての歴史」の困難性 第 を、 ( イ ) 歴史の観察が偏見や情熱によって支配されがちなこと、 ( ロ ) 物理現象のような「実験」
かに性格的な親和性があります。けれども、「一般理論」はまさに自然的質からいえば福沢か ら遠かったがゆえに、福沢はそれを深刻な衝撃として受けとめ、日本の現実に立ち向う知的道 具として活用したわけです ( なお ' 、ヾックルのいわゆる「自然の一般的様相」と文明との相関に ついての考察を福沢が無視した点については、後章の解説の際にあらためてのべます ) 。 朗読文七六頁一五行ー七九頁八行全五九頁一行ー六一頁二行 英雄と時代の気風 これまでは、大量観察、つまりスタティスティクという新しい学問による考え方で、まず社 会における法則性ということを一般的に説いてきました。結局、狙いは文明の進歩を説くこと にあるわけですから、歴史を動かすものは何か、という歴史の理論にだんだん話の筋をもって いって、それを具体的な例で説明するのです。歴史を動かすものが何であるか。英雄豪傑であ るかというと、必ずしもそうではない。そうではないというと言いすぎですが、そういう 個人 の力には限界があるという。では、どういう意味で限界があるのか、という問題が、ここか らの議論になります。これは今でもよく言われる、歴史における個人の役割の問題になるわけ です。
世の中は治まり、不徳不肖な君主がおれば世の中は乱れることになります。中国の「正史」に おいて一貫して陰に陽にあらわれている考え方です。 そして、それはまた、現実に福沢の目の前にある歴史叙述でした。それを目の前において、 これと対決しながら、新しい歴史の見方を展開することになります。 バックルの『イギリス文明史 ところで、前にも触れましたように、 ここで福沢は、ヾックルの『イギリス文明史』を大き く下敷にしてきます (Henry Thomas Buckle, The history 0f civilization in England, 2 Vols, 1857 年 1861 , London. 福沢手沢本は一八七〇年アメリカ版 ) 。もちろん、文明論全体でいえば、 ギゾー ミルとかいろいろな下敷があるわけですが、この歴史方法論と智徳の区別 論ではーー原典の章でいえば、第四、五、六章はーーほとんどバックルに依拠し、ギゾーは第 八章でまた使われるようになります。 ・、、ヾックルの『イギリス文明史』の内容と比べ ただ、あらかじめ結論的なことを申します力ノ てみますと、福沢は、ヾックルを根本的に下敷にしていながら、採るべきは採り、捨つべきは 捨つ、で決して、、ハックルの演繹的な適用ではないのです。あくまでも、日本というコンテキス トの中で、概念道具として、、ハックルの歴史理論を使っている。その使い方の見事さにも注目し
の次第を記したるなり。 ( 文七一頁、全五四頁 ) ここで「偶然の勢」というと、ではそれは規則性も何もなく無茶苦茶ということかと、この 文のすぐ後で問いがあって、そうではないことを述べるのですが、「偶然の勢に乗じて」という 表現は、ただの偶然のチャンスというようにとられがちです。けれどもここでは、「幼にして大 志あり」の「大志」が初めから定まっている途を歩んで自らを実現していった過程であるとい う見方に対して、そうではなくて「偶然の勢」に乗じただけだ、と言っているのです。今日の 言葉に言い直せば、その時々の状況に対応して、といった意味になるわけで、必ずしもわれわ れが日常いう意味で偶然のチャンスといっているのではありません。 歴史叙述の批判方法を福沢がどこから得たか、は彼自身明らかにしておりませんが、 論ギゾーの『文明史』第六講に、中世の教会の歴史的発展をのべた個所に、きわめて類似した伝 方統的歴史家にたいする批判があります。文章が長いので、たんに比較という目的のために要点 史 をつまんで訳してみます。 明 文 「われわれは動もすれば共通の大きな誤りに陥りがちですーーそれは数世紀の距離を隔てた クロノロジー 講 過去を見る際に精神的な年代記を忘れがちだ、ということです。われわれは ( 中略 ) 歴史という 第 クロムウエルでも、 ものは本質的に継起的なものであることを忘れがちなのです。誰でもよい やや