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検索対象: 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか
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1. 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか

収納庫の扉からホースが飛び出した。そのたびに学生たちが泣き叫んだ。床に伏せて、両手を 羽のように広げて学生を抱きしめながら、学生たちが母を思、つように、私も娘を思った。よ、つ やく大きな揺れが収まった瞬間、六階から降りてきた教員が防火扉の陰から声をかけた。「一 緒に降りよう」。そして、足早にキャンパス広場へと向かった。続く余震、降り出す雪、文化 財である旧修道院の屋根から落ちたレンガ、ひび割れた地面、体も心もふるえながら、学生た 子ちひとりひとりの無事を確認した。外は次第にタ闇に包まれた。 由 交通遮断、断水、停電、ライフラインが断たれたという情報がもたらされ、帰宅手段のない 学生を短大に泊めることが決まった。あっという間にガソリン供給の道も断たれ、保護者の迎 恍えもすぐには期待できなかった。学生ホールに身を寄せて、頻繁にくる余震のたびに窓やドア 続を開けては身構える夜を過ごした。急遽ホールに置かれたテレビから流れる津波被害、ライフ ライン情報、福島第一原子力発電所炉心溶融 : : : 希望を語るべき学び舎に絶望を予感させる映 体像が青白く光った。短大に学ぶ学生には、宮城県出身者や浜通り出身者もいる。 夜を徹して保護者の迎えが続いた。高速道路の閉鎖やガソリン供給の困難さを思うと、どれ 性ほどの時間をかけて来たのかと、家族の絆を思った。一方、電話も通じず、家族の消息すら掴 女 めぬままに朝を迎えた学生もいた。一人暮らしのアパートが罹災した学生もいた。電気はつく 131

2. 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか

り・・に、も ? 木い 人生に深く刻まれた「人間的な痛み」は、道路が復旧しようと、街にビルが建ち並ばうと、 それで和らぐ類のものではない。むしろ、復興に向けた社会的気運が高まるほどに、自らの胸 の内とのギャップに苦しむ人が増えていくものだ。 被災地の復興には、個々人が背負わざるを得ないそうした「痛み」から、遺族一人ひとりが、 それぞれのペースで回復していくための社会的支援が不可欠である。 ところが、既存の復興スキームには、そうした視点がない 「心のケアが大事」という一般 論はあっても、復興の柱は社会経済的基盤の回復に偏っており、これでは戦後日本の「奇跡的 な復興」が陥ったパラドックスを繰り返すことになりかねなし : 「社会的な利便性や効率性」 と「個人的な人間性」とを同じ天秤に乗せて、目には見えない「人間的な痛み、や「生きる意 味」を切り捨ててきた結果、目に見えるあらゆるものが装飾された「世界がうらやむ豊かな社 会」が実現したが、そこに生きる人間が幸福感を持てずにいるというパラドックスである。 その極みが、世界屈指の経済大国である日本が、世界屈指の自殺大国でもあるという事実。 東日本大震災の犠牲者を超える三万人もが、日本では毎年、自殺で亡くなっているという現実 116

3. 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか

しかし、考えてみると、原発に関して無関心・無気力となったのは、必ずしも個々人のせい ではない。 一九八〇年代以後、反原発の運動が急激に消えてしまったのは、原発推進者側がメ ディア、大学、地方自治体、労働組合などを抑え込んでいったからである。それは個々人の原 発に抵抗する気力を萎えさせた。これは原発に限定される問題ではない。反原発運動を消滅さ せたものは、もっと根本的に日本社会の変容なのである。 日本には八〇年代にいたるまでさまざまな「中間勢力」が残っていた。中間勢力 ( 中間団体 ) とは一八世紀フランスで、モンテスキュ 1 が貴族や教会を指して呼んだ概念である。それらは 前近代的 ( 封建的 ) な勢力ではあるが、絶対王政が専制化することを防ぐ役割をしている、とい うのである。日本の場合、中間勢力とは、労働組合、大学、部落解放同盟、創価学会などだっ 行たといってよい。それらが八〇年代から九〇年代にかけて、急激に抑え込まれたのである。そ きゅうだん れらは時代遅れで腐敗した非能率的な集団として糾弾された。そのような非難は、ある意味で 日もっともなところがあり、抵抗することが難しかった。 災たとえば、国鉄の民営化がなされた。それが狙ったのは、実際は労働組合運動の解体であっ 発た。それは日教組や部落解放同盟の抑え込みに及んだ。さらに、二〇〇〇年代に入って国立大 学も民営化された。国立大学はそれまで文部省から相対的に独立した「自治」をもっていた。

4. 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか

私は神戸の人間である。 しかし、阪神・淡路大震災の一報は、埼玉県の司法研修所で聞いた。テレビ画面に映し出さ れる慣れ親しんだ地元の惨状を見て、何とも一言えない罪悪感に襲われた。本来、神戸の人間な のだから、震災の苦しみを共に味わうべきなのに、一人だけ遠く離れた場所で傍観していてい いのだろうか、そんなもどかしさが拭えなかった。あのとき何も出来なかった : 、その感情 が、私がその後一 , ハ年にわたって災害復興に関わり続ける、大きな動機になっている。 そして、もう一つ感じたことは彼我の差である。関東で暮らす周囲の人々にとって、やはり 阪神・淡路大震災は他人事でしかなかった。しかし、神戸の人間にとっては、テレビ画面の中 の惨憺たる風景は我が事である。他人事として受け止めるか、我が事として受け止めるかによ って、こんなにもモノが違って見えることに驚いた。三人称でモノを見るのは簡単だ。できる 法は人を救うためにある 津久井進

5. 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか

核エネルギーは地震や津波以上のカタストロフィーともなり、人類が作ったのです。日本は広島か ら何を学んだのでしよう。 日本が広島から学んだものとして私にいえることは、あの極大の悲惨に抗して人間が生き延 びたこと、そして死んだ人間の、その死への抗い方、生き残った者らの悼み方、記憶の仕方を つうじて、それが人類の威厳を示している、ということです。私らは日本語の文学においてそ れをいくらかなりと表現しえたと思います。 日本は、広島から核エネルギーの生産性を学ぶ必要はありません。つまり地震や津波と同じ、 あるいはそれ以上のカタストロフィーとして、日本人はそれを精神の歴史にきざむことをしな ければなりません。広島の後で、おなじカタストロフィーを原子力発電所の事故で示すこと、 それが広島へのもっともあきらかな裏切りです。ビキニの水爆実験の被爆者大石氏も、私らの 同時代の最良の理論家だった加藤周一氏も、原子力発電所の廃止を主張しています。加藤氏は、 原爆と、人間が制禦することのできなくなった原子力発電所を同じものとみなします。まだ破 局が起らないうちの両者を、千年前の古典、清少納言の『枕草子』を引用して、「遠くて近き もの」と呼びました。 敗戦から六〇年以上が経過し、日本は当時の約束を忘れつつあるようです。憲法のうたう恒久

6. 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか

だ ( 日本の自殺率は、米国の二倍、英国の三倍 ) 。しかも、若年世代三〇代、三〇代 ) の死因一位が自 殺で、内閣府の調査によると、「今まで本気で自殺したいと考えたことがあるか」との問いに 「はい」と答えた割合が最も高かったのが三〇代で二八 % 、次いで二〇代で二五 % にのばって いる。日本の将来を担う存在から「この社会は生きるに値しない」と、三行半を突き付けられ ているわけだ ( これは、より深刻な少子化の原因にもなっていく ) 。 人が生きる意味を見いだせない社会になってしまうのでは、それは復興ではない。 之 今後こうしたパラドックスに陥らないためには、「人間生を犠牲にした利便性や効率性の追 康 清求は結果的にはペイしない」と、社会全体で自覚すること。そして、「社会経済的基盤の回復」 だけでなく「人間的な痛みからの回復」を、復興スキームの柱に据えることである。 め の 遺では、そもそも「人間的な痛みから回復する」とは、どのようなことを言うのか 結論から一言えば、「大切な人が亡くなった現実 ( 喪失体験 ) を自分の人生の一部として受容し、 亡その上で、故人との新たな関係性の中で、その人らしい人生を歩んでいけるようになること」 を 族だと私は考えている。 家 遺された人の中には、「あの時ああしていれば」という後悔や、「救えなかった自分が悪いん 117

7. 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか

てゼロになったと思い込みがちだが、一度でも被災地に分け入った者ならば、そこに地域のつ ながり ( 地縁コミュニティ ) 、土地・海とのつながり ( 先祖代々の生業 ) が強固に残っていることを 2 知る。それはテレビには映らないが、明らかに人間同士、また人間と土地や海を強固に結び付 けており、仮設住宅を建てるまでの一時でさえ、人々をその場から引き離すことを困難にして いる。私が出会った陸前高田市のある人物は、津波で流された街の中心地に住んでいた人だっ たが、彼は市役所機能が移転している高台のエリアに移住することを「街の人間がこんなとこ ろには住めない」と拒否していた。街の中心部から高台エリアまでは車でわずか一〇分。彼も また、土地に強く結び付けられた人物だった。それは、首都圏で転居を繰り返してきた私には 理解できない心性だが、間違いなくそこにある。 家族・地域・企業すべてがそうであるように、コミュニティには構成する諸個人の生活を支 え合う側面と同時に、異質な諸個人、また諸個人の異質性を排除する側面がある。コミュニテ イ内部の信頼感の高さは、コミュニティ外に対する信頼感の低さと比例する。「みんな家族み たいなもんだから」というコミュニティリ 1 ダーの断定の下、避難所に間仕切りか作られない、 福祉避難所がほとんど活用されない、障害者や外国人の話が出てこなし本 , 、、目変わらずデマが流 れる、といった諸事象は、地縁コミュニティにさまざまな課題があることを示している。しか

8. 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか

塩崎賢明 東日本大震災は今なお進行形であり、復旧・復興は緒に就いたばかりで、今後長期にわたる ことが予想されるが、しかし、被災者にとってはできるだけ早く、住まいと仕事を確保し、生 活の再建、地域の復興を果たすことが必要である。 住宅復興の目標は、 ) しうまでもなく、被災者が安定した暮らしを営むための住まいと住環境 を取り戻すことである。その際、安全で快適な建物が不可欠であるが、ハコモノとしての住宅 さえ確保できればよいというものではなく、そこで営まれる暮らしが本質的な目標である。 復興には住宅だけでなく、生活を支えるさまざまな施設や暮らしを分かち合う人間関係の回 復か欠かせない。近所づきあい、親戚、友人などとの人間関係 ( コミュニティ ) は生活を成り立 たせている重要な要素である。住宅復興は、住宅と生活施設、コミュニティの回復、被災者の 暮らしの再建を第一義的な目標としなければならない これからの住まいをど、つするか

9. 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか

原則①環境を変えない 原則②生活習慣を変えない 原則③人間関係を変えない 原則④食事、排泄、入浴こそ大切に 樹 春原則⑤個性的空間づくり 原則⑥一人一人の役割づくり る す原則⑦一人一人の関係づくり 呈 露 ( 拙著『痴呆論』雲母書房、一一〇〇四年。「認知症」というコトバがまだなかった頃に出版し、私はあ 護 えて改題しないで版を重ねている。 ) 介 の そこれらの原則は、私たち介護職の現場での苦い経験から生み出された。 つまり老人は、入院や施設入所といった機会に環境を変えられてしまう。それだけならまだ 害しも、それに伴って人間関係を喪失し、食事、排泄、入浴といった長年の生活習慣が断念され てしまう。さらに役割を失い、個別の空間さえ許されない。そうするとまず老人の生活意欲が

10. 大震災のなかで : 私たちは何をすべきか

文明の転換期 ( 池内了 ) こそが火急の場合に有効なのである。そしてそれは、地産地消を促し、地域のつながりの回復 に , も〔じる。「ローカルに生ご、グロ 1 バルに考える」という精神は、小型化・分散化・多様 化の技術でこそ実現できるのである。そのような技術体系への転換こそ、文明の形態を転換さ せる根源になるのではないだろうか 人間が関与する限りは失敗やミスがあり、甘い想定に振り回されることもある。寺田寅彦が シニカルになったように、人間の行動には完全はありえない。しかし、私たちの身近な生き様 を見直す中で、現代文明の異様さを疑い、生活スタイルを変えることが求められていると思う。 寺田寅彦にもし限界があったとすれば、文明の転換まで構想しなかったことではないだろうか。 それは彼が生きた時代には不可能なことであったのだが、現代を生きる私たちが本格的に挑む べき課題と言えないだろうか。 いけうち・さとる一九四四年生。総合研究大学院大学教授。宇宙物理学、科学・技術・社会論。 『疑似科学入門』他。