岩波新書新赤版一〇〇〇点に際して びとつの時代が終わったと言われて久しい。だが、その先にいかなる時代を展望するのか、私たちはその輪郭すら描きえてい ない。二〇世紀から持ち越した課題の多くは、未だ解決の緒を見つけることのできないままであり、二一世紀が新たに招きよせ た間題も少なくない。グロ ーバル資本主義の浸透、憎悪の連鎖、暴力の応酬ーー世界は混沌として深い不安の只中にある。 現代社会においては変化が常態となり、速さと新しさに絶対的な価値が与えられた。消費社会の深化と情報技術の革命は、 種々の境界を無くし、人々の生活やコミュニケーションの様式を根底から変容させてきた。ライフスタイルは多様化し、一面で は個人の生き方をそれぞれが選びとる時代が始まっている。同時に、新たな格差が生まれ、様々な次元での亀裂や分断が深まっ ている。社会や歴史に対する意識が揺らぎ、普遍的な理念に対する根本的な懐疑や、現実を変えることへの無力感がひそかに根 を張りつつある。そして生きることに誰もが困難を覚える時代が到来している。 しかし、日常生活のそれぞれの場で、自由と民主主義を獲得し実践することを通じて、私たち自身がそうした閉塞を乗り超え、 希望の時代の幕開けを告げてゆくことは不可能ではあるまい。そのために、、 もま求められていることーーそれは、個と個の間で 開かれた対話を積み重ねながら、人間らしく生きることの条件について一人ひとりが粘り強く思考することではないか。その営 みの糧となるものが、教養に外ならないと私たちは考える。歴史とは何か、よく生きるとま、、 , も力なることか、世界そして人間は どこへ向かうべきなのか こうした根源的な問いとの格闘が、文化と知の厚みを作り出し、個人と社会を支える基盤としての 教養となった。まさにそのような教養への道案内こそ、岩波新書が創刊以来、追求してきたことである。 岩波新書は、日中戦争下の一九三八年一一月に赤版として創刊された。創刊の辞は、道義の精神に則らない日本の行動を憂慮 し、批判的精神と良心的行動の欠如を戒めつつ、現代人の現代的教養を刊行の目的とする、と謳っている。以後、青版、黄版、 新赤版と装いを改めながら、合計一一五〇〇点余りを世に問うてきた。そして、いままた新赤版が一〇〇〇点を迎えたのを機に、 人間の理性と良心への信頼を再確認し、それに裏打ちされた文化を培っていく決意を込めて、新しい装丁のもとに再出発したい と思う。一冊一冊から吹き出す新風が一人でも多くの読者の許に届くこと、そして希望ある時代への想像力を豊かにかき立てる ことを切に願、つ。 三〇〇六年四月 )
そのときにのみ、「地震がもたらしたのは、日本の破滅ではなく、新生である」ということが できるだろう。 からたに ・こうじん一九四一年生。評論家。『世界共和国へ』『世界史の構造』他
態で、将来について明確に予測することは不可能である。しかし過去の経験に照らせば、三・ 一一後の日本をわずかだけ垣間見ることは可能なはずだ。 二〇一一年の地震、津波、原発危機は、それを経験した人々の心に、直接・間接を問わず、 計り知れない影響をもたらした。その意味では、日本は元の姿に戻れない。また過去の大災害 と同様に、被害に対する反応が単純かつ一方向的なものになるとも思えない。 なかには信仰に救いを求めようとする人も現れるだろう。防御的なナショナリズムに走る 人々も登場することだろう。内向きの姿勢が強まり、外部世界に対する ( とりわけ、最大の競争 相手である中国に対しての ) 恐怖心が煽られる可能性も否定できない。それは、一九二三年の大 量殺人をもたらしたほどのゼノフォビア ( 外国人恐怖症 ) ではないかもしれないが しかし、阪神・淡路大震災のケースと同様に、瓦礫の中から善意が芽生える大きな可能性も ある。繰り返すが、日本の多くの人々は、行政は被災者たちを救わなかったと考えている。自 分たちがして欲しいときに、政府は自分たちを救済してくれないのではないかと思い始めてい る。そうした中で、普通の、一般の、それまで知り合いでもなかった人々が力を合わせ、被災 者の行方不明となっている縁者や友人を探したり、被災者の世話を焼いたり、必要な物資の支 援を行ったり、と大きな役割を果たしてきた。
そのためには、民主党政権は環境エネルギーに関して、二〇〇九年総選挙マニフェストに立 ち返り、再生可能エネルギーの固定価格買取制度の導入、キャップ・アンド・トレード方式の 排出量取引、地球温暖化対策税等によるエネルギー転換政策の実施に向けた体制を早急に構築 すべきだろう。 まず何より、電力会社の地域独占のあり方を見直し、発電と送配電を分離することが必要と なる。それによって発電は自由化し、送配電に関しては国有化の可能性を含めて統合的運用の 枠組を導入するのである。これによって、再生可能エネルギーの固定価格買取制度ははじめて 有効性を発揮する。もちろん同時に、原子力安全・保安院や原子力安全委員会の独立性を確立 するだけでなく、既存の危険な原発については浜岡原発だけにとどまらず、一時停止しても総 点検し、再稼働に際しては安全投資を惜しまないことが不可欠だろう。 そのうえで、震災復興に際して、ガレキと化した東北の街々を、防災を加味したうえで世界 最先端の「スマートシティ」にする町作りを目指すのだ。その一方で、東京など都市では、学 校・病院などの公共施設や商業ビルは断熱化を行い、エネルギー自給を義務づける。住宅は太 陽光発電を設置したりピーク時に対応しやすいコージェネレーションにしたり、あるいは への転換を進めたりすることで、世界一の省エネ都市を目指すのである。
り・・に、も ? 木い 人生に深く刻まれた「人間的な痛み」は、道路が復旧しようと、街にビルが建ち並ばうと、 それで和らぐ類のものではない。むしろ、復興に向けた社会的気運が高まるほどに、自らの胸 の内とのギャップに苦しむ人が増えていくものだ。 被災地の復興には、個々人が背負わざるを得ないそうした「痛み」から、遺族一人ひとりが、 それぞれのペースで回復していくための社会的支援が不可欠である。 ところが、既存の復興スキームには、そうした視点がない 「心のケアが大事」という一般 論はあっても、復興の柱は社会経済的基盤の回復に偏っており、これでは戦後日本の「奇跡的 な復興」が陥ったパラドックスを繰り返すことになりかねなし : 「社会的な利便性や効率性」 と「個人的な人間性」とを同じ天秤に乗せて、目には見えない「人間的な痛み、や「生きる意 味」を切り捨ててきた結果、目に見えるあらゆるものが装飾された「世界がうらやむ豊かな社 会」が実現したが、そこに生きる人間が幸福感を持てずにいるというパラドックスである。 その極みが、世界屈指の経済大国である日本が、世界屈指の自殺大国でもあるという事実。 東日本大震災の犠牲者を超える三万人もが、日本では毎年、自殺で亡くなっているという現実 116
今回の大惨事からの回復を目指すためには、自国内のみならず地域的な協働が不可欠である。 今までのところ、望ましい反応がみられている。韓国は震災後にいち早く支援の手を差し伸べ た国の一つだった。数年前に大規模地震に見舞われた中国も、迅速かっ惜しみない支援を申し 出た。オーストラリアやアメリカもまた、長年のこの地域のパートナーとして、被災直後から 支援に乗り出している。 こうした支援は、有効なものであると同時に、日本の人々の感情に配慮したものでなければ ならない。そうでないと、日本社会に存在するナショナリズムの排外性を、危機ゆえに増幅さ せる危険をはらんでいる。 これほど大規模な自然災害は、日本を取り巻く地域、さらには世界全体に大きな影響を与え る。東日本大震災は、単なる日本における災害ではなかった。東アジアの災害であり、世界の ーバル化した世界の中の日本で生活しているのは、日本人だけではな 災害である。また、グロ い。日本には二〇〇万人を上回る外国人居住者が生活しており、そこには一二〇万人を超える 韓国・朝鮮や中国の人々、約一万人のオーストラリア人も含まれている。それらの人々も、 一一の影響を甚大に被った。 危機的状況が続く福島第一原発はまた、地球温暖化への対応に取り組んでいる地球全体が直
三月一一日の地震のあと原発事故が判明して以来、世界が変わってしまった。そのころ友人 にメールを送ったとき、「ではまた、お会いしましよう」と書いたあとに、「もし東京があった ら」とつけ加えたのだった。そう書きながら、驚いてもいた。自分の生涯でそんな一言葉を口に する機会があるとは思わなかったのである。私は原発に関する本以外に何も読めなくなった。 この状况に対応するような言葉をどこにも見いだせなかったのだ。 ふと、長く読んでいなかった戦後文学のことを思い出した。たとえば、武田泰淳や坂口安吾。 彼らの小説やエッセイは、大日本帝国が滅んだあとの上海や空襲で焦土と化した東京を舞台に している。そこではめったに起こらないような出来事が日常的にあり、ふつうなら問われない ような壮大な問いが問われる。人間存在とは何か、世界には意味があるのか、というような。 地震前の日本では戦後文学はまったく読まれなくなっていた。それは時代にそぐわなくなって 原発震災と日本 柄谷行人
人物で語る 砂川一郎 宝石は語る 米沢富美子 自然科学 物理人門上・下 崎泉 動物園の獣医さん 日本の地震災害伊藤和明 職業としての科学佐藤文隆 コマの科学 戸田盛和 宇宙人としての生き方松井孝典 宇宙論への招待佐藤文隆 物理学とは 朝永振一郎 私の脳科学講義利根川進何だろうか上・下 河田惠昭 津波災害 内山龍雄 ペンギンの世界上田一生相対性理論人門 高木貞治近代日本 高瀬正仁 数学の父 宇宙からの贈りもの毛利衛人間であること 時実利彦 岡潔数学の詩人高瀬正仁木造建築を見直す坂本功人間はどこまで動物か高木 ' 孝訳 太陽系大紀行 沼田真 野本陽代市民置 ~ 者として生きる高木仁三郎植物たちの生 偶然とは何か 竹内敬子の目科〔子のこころ長谷川眞理子アラビア科学の話矢島祐利 書ぶらりミク。散歩田中敬一地震予知を考える茂木清夫科学の方法 中谷宇吉郎 波超ミク。世界 ~ の挑戦田中敬一水族館のはなし 貝塚爽平 堀由紀子日本の地形 岩 近藤宣昭 冬眠の謎を解く 丸山茂徳 生命と地球の歴史 数学の学び方・教え方遠山啓 磯﨑行雄 人物で語る化学人門竹内敬人 佐々木カ数学人門上・下遠山啓 科学論人門 ダーウインの思想内井惣七 遠山啓 摩擦の世界 角田和雄無限と連続 宇宙論人門 佐藤勝彦 檜山義夫 野幹雄釣りの科学 孤島の生物たち タンパク質の一生永田和宏 武谷三男編 大地動乱の時代石橋克彦原子力発電 池内了 疑似科学人門 日本列島の誕生平朝彦物理学はいかに 火山噴火 鎌田浩毅 創られたか上・下石原純訳 服部勉 大地の黴生物世界 数に強くなる 畑村洋太郎 吉田洋一 5 零の発見 栽培植物と農耕の起源中尾佐助 (S)
及することが不可欠である。賠償責任はこうした検証の上にはじめて成り立つ。委員会は、事 故の直接的な原因だけにとどまらず、これまでの経済産業省における原発依存のエネルギー 電力行政に関しても検証の対象とすべきだろう。もちろん賠償を実行していくには、土壌汚染 も含めて放射線量の詳しい調査体制も整えなければならない。 子こうした過程を踏まえて、復興のべースとなる今後のエネルギーをどうするべきかについて 根本的な方針を示さなければならない。原発事故の日本経済に与える影響は深刻だ。農産物だ 計けでなく、部品サプライヤ 1 の問題で工業製品の輸出減少が起きており、さらに輸出に際して 復放射線検査を要求されるようになっている。原発事故処理に時間をとっている間に、他国の企 し 業にマーケットを奪われていくだろう。ずるずるとデータのかさ上げを続けて世界の不信を買 新 っているかぎり、日本に来る外国企業もなくなるだろう。安全性を無視して、この間「原発推 進による削減」を声高に言ってきた経済産業省および財界中枢の電力会社は責任重大で で 側ある。 す早急に、自己改革のために必死に取り組んでいる姿を世界に発信できなければ、日本製品の 戻安全性や品質への信頼は決定的に壊れていくに違いない。二度と同じ間違いを犯さない仕組み を構築するために、大胆なエネルギー転換が必要となってくる。 227
しかし環境研究者としても環境団体の活動においても、これまでは、自然災害から地域のく らしを守るという視点は弱かった。そのことを真摯に反省したい。持続可能な社会というとき 非日常的な自然災害からくらしを守るという観点は弱かった。今後は、災害に強い、安 ・安全な地域づくりという意味をも含めて、持続可能性を論じていかなければならない リケーンや台風の巨大化が予想されて 地球温暖化の加速とともに洪水の増大が予想され、 いる。災害からの新生、地域再生は、世界的なモデルとしての意義を持ちうる。再生可能エネ ルギーや地域資源を活用したエコ・コミュニティづくりこそ、世界的な牽引役になるだろう。 太陽、風、樹木、波力、家畜の糞尿、これらを有効に活用した、都市や石油資源に依存する 司のではない、自立的で、エネルギー自給的なコミュニティの建設をめざしたい。農林漁業と親 公 和的なエネルギー供給、エネルギー利用から、再出発と新生を考えていきたい。一過的なもの にとどまらない社会的連帯、パプリックな価値の再評価、廃墟からのふんばりの中に、光明を 新見出していきたい。 の ら はせがわ・こういち一九五四年生。東北大学大学院教授。環境社会学、社会運動論。環境 廃 「」理事長。『環境運動と新しい公共圏』『脱原子力社会の選択』他。 261