ならず、それを問わないのは、いつならいいかということがいえないからで、この判断は非常 に難しいところです。一軒一軒確かめてまわることは現実には不可能です。 この度の津波注意報に、私が妻を連れて一時避難するといったら、周囲は「奥さんは私たち があずかりますから独りで行ってらっしゃい」。私は「夫婦は一心同体だ」と言い放ち、みん 夫な黙りました。こりや手がつけられないと思ったのでしよう。ほんとは担当医の承諾とか外出 井届けとか何とかがいるんでしようね。「二時間したら帰る」といったら、「たしかに二時間後で いすよ」といわれました。自宅のテレビでゆっくり事態を確かめ、きっかり二時間後に戻りまし 行 え 考後になって「津波てんでばらばら」と三陸でいうことってこれかと思いました。足並みを揃 てえ、隣人の合意を求めてはおられないのがよく分かりました。必す、あの防潮堤で大丈夫とい にう人がいたり、大事なものを取りに戻る人がいるでしようから。 害 災私は大阪湾で東北の津波から逃げた、たぶん、ただ一人の人間でしよう。実際に津波は起こ 東ったけれど八〇センチぐらいだったそうです。しかし、チリの地震で東北が被害をこうむった 北こともあるので、私はとにかく確率のゼロに近い方へ走りました。高台の自宅だからこそ冷静 にテレビを見られたのは疑いなく、私の落ちつきには大いに貢献したでしよう。 、」 0
政府に対して事業主の雇用維持に対する支援とともに、弾力的な労務管理の容認を求めた。そ れに向けて緊急対応として復旧・復興にかかる業務や計画停電への対応のために、 ① 36 協定の時間外限度基準ーーー労使協議の上、時限的 ( 当面、一 5 二カ月程度 ) に一定の限 度超過を認める、②トラック運転手など自動車運転手の労働時間規制ーー労使協議の上、時限 的 ( 当面、一 5 二カ月程度 ) に規制を緩和する、③有給休暇の時季変更権の行使ーー労使協議の 美 麻上、時限的 ( 当面、一 5 二カ月程度 ) に一定の制約緩和を認める、 る 紳など 0 規制緩和を求めて〕る。有期働契約など法規制 0 検討が行われて〔る課題に 0 〔ては、 す「震災の影響を十分見極める必要」があるとして、審議を延期するなど、慎重かっ柔軟な対応 構を求めている。 をしかし、まずは被害を受けた一人ひとりが、地域や職場を復興に導く主人公であり、何より もそうした人間に対する支援が復興への鍵となる。家族を失いながら回復のために限界に挑戦 イする人々が、これまで厳しい現実に立ち向かいながら築いてきた社会関係や人間の創造性、問 ラ の題解決力を遺憾なく発揮できるようにすることが不可欠である。そのためにも労働者のライフ 働ラインである雇用を確保し、医療・介護・福祉などのセイフティーネットや自治体の機能を強 5 化するなど、ソフト面でのインフラ整備が急がれる。被災地域においては高齢化の進行ととも
さらに一日も早い被災者の「住まい」の回復に向けて国、政府は行動を起こせ、と。 そして〔ま、苛酷な避難所生活 0 なか、日を追 0 て「被「関連死」がふえる。津波などによ る低体温症、肺炎などの呼吸器疾患、心筋梗塞などの循環器疾患・ 被災地で身を削って献身する人びと、おびただしい数のボランティア、社会連帯のたいせつ なこと、もはやここに繰り返すまでもない。被災者に寄り添う人びとの心が被災者を救う。 たが、これからの時間、国は、政府は被」者に対して真に公的支援の手を差し伸るだろう か。そう再び問わねばならない。私たちは巨大複合災害から人びとの命を救う国、政府の意 思と行動をこそ、厳しく見つめ、促しつづけなければならないと考える。 繰り返す。「一定の環境条件を満たした住居に住む権利は、人間として最も基本的な生存権」 と定めた国連人権規約・第一一条 ( 「社会権」規約 ) の遵守を日本政府に厳しく求めつづけなけれ ばならない それあって初めて個人の連帯、奉仕、善意の意思は真に輝きを増すはずである。
と経済の原理が闊歩した。過酷な津波の災害から辛うじて生き残った人びとに生活再建の希望 なきまま時は過ぎていく。 現地で懸命に救助活動に当たる警察、消防、行政の人びともまた被災者である。介護に当た る医師、看護師たちの献身と善意だけが限度ギリギリの生命の危機を支えた。傷ついた被災者 が親族の遺体を探し回る : これからの時間、国は、政府は真に「公的支援」の名にふさわしい救済の手を差し伸べるで あろ、つか 阪神・淡路大震災とその後の長い経験に照らして、「公的支援、の手はついに「来ることが なかった」現実を示しておかなければならない 克阪神・淡路大震災において露呈したように、政府、公がなすべきをなさぬまま、災害で人間 納生存の基盤を失ったものに対して自助、自立が求められた。 街の風景、マクロの数字からだけではとらえ切れない「格差」「貧困」「社会的孤立」が見舞 のっている。再起に至らず、挫折を余儀なくされ、景気回復などとは無縁の被災者。震災がなけ れば平穏に余生を送ることができたはずの高齢者が、孤独死のリスクのなかにいまも置き去り V11
全防災都市の色刷りの図面が披露されました。山中を走らせても乗る人がいないでしよう。平 行鉄道はところどころ被災したけれども、あみだクジ方式で乗り換え乗り継ぐ便がありました。 完全防災都市のほうもなるほど震災にはよいけれど、この要塞みたいな町に誰が住みたくなる でしようか。震災後二カ月では、識者もこういう反応になるのです。こういう時期を必ずとお るものかもしれません。ある意味では周辺被災地のもう一つ外回りの被災地です。 私は時々一日か二日、外部に当たる東京や九州に出ました。友人と談笑して、外からみたら どう見えるかを考えました。こういうことは、視野が狭くならないために必要だったと今でも 思います。今回まず自宅に走ったのも同じことです。 私は一度兵庫県知事を訪問しました。「叩かれてさんざんだよ」と消耗しておられて、予定 時間より長く話し込まれました。ご本人も、最初は京都あたりが震源地だと思われたそうです ( 文責筆者 ) 。少し茶目っ気のあるネクタイを進呈して引き揚げました。 私がいいたいことはただ一つ、今度の大震災では東京が中間地帯に入ってしまったことが最 大の問題ではないかということです。実は東京もある意味では被災していて、その自覚がない だけ難儀であるという見方があるかもしれません。 東京の議論の中には、中流で馬を乗り換えることの是非もあります。準備された別の馬があ
ているだろうか。一六年を見つづけた筆者はそう問わずにいられないいまもって私たちの国 こ、つした日本社会の は、人間の基本的な生存権を保障する社会、政治の構造になっていない。 欠陥が . 災害のたびに浮き彫りにされてきた。阪神・淡路大震災から今回の巨大複合災害に至る 「変わらぬ日本社会」像を前に、そう問わずに済ますことはできない。国と社会のあり方を根 源的に問い直すときがきている。 巨大複合災害の発生直後、筆者はレギュラーをつとめるラジオ番組 ( 「ビジネス展望」三 月一五日 ) を通じて、阪神・淡路大震災での自らの体験に照らして三つを呼びかけた。 まず、何にもまして一人ひとりが「生き抜く」と心に叫び、気力を呼び戻して欲しい、と。 人 0 ぎに大きな災害では必ず被「弱者が生まれる。高齢者、病に伏して〔た人びと、障害をも 克つ人びと、幼い子どもたち : ・ 彼らが避難所での生活を余儀なくされるとき、想像を絶する こ、政府、行政は全力を挙げるべきだ。 納苦しみが始まる。被災弱者の支援、救済。 そして被災者が必要とする物資・サービスの中身は時間の経過とともに刻々と変わる。初期 の段階ではライフライン ( 水道、電気、ガスなど ) の途絶で被災者の日々は苛烈なものとなる。食糧、 水 ( 飲料水、トイレ ) 、二つの「いりよう」 ( 医療と衣料 ) を届ける。心のケアが欠かせない
佐藤学 荒涼たる被災地の風景は、三月一一日午後二時四六分直後の出来事に対する想像力を超越し てしまう。東日本大震災は子どもたちや教師たちにも甚大な被害をもたらした。四月一一一日時 点で文部科学省が掌握した被害の実態は、死者五二二人 ( 岩手七〇、宮城三八〇、福島七〇、東京 二、行方不明は岩手七〇、宮城一三四、福島一二一 l) 、負傷者二三四人であり、幼稚園から大学までの 校舎など一万二九四の文教施設に流失、全焼、倒壊、半倒壊、外壁の亀裂などの被害が発生し た。三月二七日時点で一七五一校が休校措置をとり、四一五校が地域住民の避難先となった。 他の都道府県の公立学校において受け入れられた被災地の子どもの数は八九四三人にのぼった ( 四月一五日時点 ) 。唯一の幸いは、地震の発生が午後一二時前という時間帯であったため、ほと んどの子どもが学校にいたことだろう。もし修学時間帯以外の時間であったなら、学齢児童や 学生の死者は数千人に達していただろう。それでも、津波に襲われた宮城県石巻市では、園児 教育にできること、教育ですべきこと 189
震災から二カ月半を経てなお一一万人もの人びとが生活再建を果たせず避難所に置き去りに されている。すでに記した。 「一定の環境条件を満たした住居に住む権利は、人間として最も基本的な生存権」と国連人 権規約・第一一条 ( 「社会権」規約 ) は定めている。この精神も条約も日本では遵守されることが なかった。阪神・淡路大震災の被災地ではいまも真の復興は成っていない。 一六年前から今日をたどり直さねばならない。 多くの先進国、とりわけ北欧の国では、人が生きゅくのに必要な居住空間を保障することを もって国の責任とする。だが、阪神・淡路大震災のとき、日本にはこの制度はむろんのこと概 念さえなく、市民自ら立ち上がり、市民・議員立法を求めるなどの行動を起こすまで、被災者 を救済する法律は何ひとっ存在していなかった。 当時の首相は国会で「自然災害等によって生じた被害に対して〔国は〕個人補償をしない、自 助努力によって回復してもらう」 ( 一九九五年五月一九日、参議院予算委員会 ) と明言した。 今回、阪神・淡路大震災に学んだはずの被災者救援体制は、ごく限られた数の「福祉避難 所」 ( 身体や心に障害を持つ人びとを受け入れる避難所 ) 設置にとどまった。地震動乱期に入ったとさ れる日本列島。そのうえでほとんど無策、無防備のまま、もう長い時間、弱者切り捨ての政治
で制作ディレクターとして働いていたときに、阪神・淡路大震災に遭っている。人生で二回も 大震災を経験したと苦笑する小田は、こういうときは初動が大切、特に水や電気、ガスなどラ イフラインに関する情報提供を続けることが大事だと主張した。 仙台メディアセンターの村瀬誠センター長は振り返る。 「自分たちに何ができるか、真剣に考えました。地上波で放送されているのは、被災地の悲 惨な映像ばかり。「被災地の外にいる人々に見せるための衝撃的な映像を集めることはしない で、被災者が生きていくために必要な情報を届けよう ! 」と決めました」 明ライフラインの情報を中心に、被災者が求めている情報を正確に放送し続けることが重要だ 宗 林と判断したのだ。給水の場所・時間、支援物資の受け取り方、ガソリンスタンドや小売店の営 若 ドノスや鉄道の運 業時間、病院や診療所・薬局の営業時間、保育所や幼稚園が開いている時日 役行情報、道路の情報、被災者受け入れ住宅の情報等。どれも正確で信用できるものでなければ レならない。いろいろと調べた上で、仙台市が市民のために毎日発信している災害復旧情報、記 テ 着者発表資料を基本とし、市内の店舗からの情報や全国の自治体の情報を取材して加え、生活支 衂援情報として提供することにした。 仙台市災害対策本部が毎日発信している「市民の皆さまへの仙台市からのお知らせ」はファ 103
夜搬送され、仙台や郡山に届けられた。筋ジストロフィー患者のいる施設からは、「水洗トイ レが使えず、全員おむつで対応しているが、どの店にも売っていない」との訴えがあり、東京 の医療店を探し回って、翌日にはおむつ九〇〇〇枚を届けた。 国や公共機関の被災者支援は「平等な」支援を目指す。各自治体で倒壊家屋全戸に対し見舞 金各五万円が分配されるし、日本赤十字社に集められた募金は有識者委員会の配分方式に従っ て、顔の見えない支援となって届く。ただ、倒壊家屋の持ち主の安否もわからず、避難先も発 見できない状況では、自治体窓口に募金が滞り、今困っている相手になかなか届かない難点が ある。 一方、非政府組織 ( ) は、障害者や高齢者など、すぐに助けたい相手に絞り、そのニー ズに合う支援を行う。たとえば、 <<æoo ( 筋萎縮性側索硬化症 ) や筋ジストロフィーなど二四時間 介助が必要な呼吸器の利用者がいる。今回も、電気が止まったため家族が一一四時間交代でアン ビュ ーバッグ ( 人工呼吸器 ) を押し続けているという情報があり、緊急に介助者を派遣した。一一 四時間対応の介助者派遣の必要も考えれば、上限がある「平等な」支援では、障害者のニーズ に対応できない。女性の障害者には女性介助者を、といった配慮も必須だ。特殊な医療器具や 大量の燃料の至急な調達も「平等」ではできない。何が緊急不可欠かは、同じ器具を必要とす