ピカソ - みる会図書館


検索対象: 抽象絵画への招待
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1. 抽象絵画への招待

ば作者自身とも、知り合うことになるから、おのずともっと広い範囲の作品にも目が届く ようになって、いつのまにかいつばしの収集家になっているということになる。世間で大 コレクターで通っている入々の中にも、このようにして収集を開始した人は少なくない。 ここで問題をもう少し拡大してみたい。 私は今、美術品を買う人は、作品を買うと同時に、実は作者をも買っているのだと書い た。それを象徴的に示す言い方として、たとえばこういう慣用的な言い方がある。 もピカソが一点入ったそうだ」 「今度何のなにがし美術館にい、 「ふーん。なかなかやるね。高いもんだろうね」 「そりや、もう。何しろ一九〇七年のものだそうだからね、大したものさ」 「や、ほんとうかい。そりや一度ぜひ見にいってみなくちゃ」 このような会話は、ある程度現代美術に関心をもち、知識もある人々の間でなら、いっ 默 とかわされても不思議ではない性質の会話である。その特徴のひとつは、ビカソという名前 をいうだけですでにある程度まで話は通じているということ。つまり、ビカソの何という 題の、どういう 主題・構図の絵であるかについては、この種の会話ではあまり問題になら 121

2. 抽象絵画への招待

とびきり有名なスー ここでもまた、 ー・スターであるような場合である。皮肉なことに、 人々はある作品一点のかけがえのない優秀性によってよりは、その作者の虚名によって、 途方もない値段のついた絵を買うのである。しかし、「ビカソを一点買う」という場合と、 「ウォーホルを一点買う」という場合とでは、同じように作者の名前を買うといっても、 その名前の内容は大いに異なっているだろう。ピカソの名は芸術家個人を示すが、ウォ 1 ホルの名はむしろ現代大量消費文明の偶像的存在を指し示すものだといっていいからであ アメリカに例をとって芸術と社会との関りを見てみると、以上のような局面が浮かびあ がってくるということができるであろう。 162

3. 抽象絵画への招待

オランダに生まれ、若いときピカソの影響を強く受けた画家らしく ( 彼はシルレアリス ムの影響をほとんどまったく受けつけなか 0 た ) 、こういう態度においてもビカソと相通 じるものを多分にもっていた。 一方、たとえば白髪一雄は、床にキャンバスを拡げ、その上に絵具を盛り、キャンバス 上方に張った綱で身を支えながら、はだしの足で縦横無尽に絵具を踏みつけつつ絵を描く 方法を発明したが、この場合には、描く行為はむしろ全身の筋肉と神経が参加して生み出 す恍惚たる瞬間のめくるめく連鎖となり、日本の武道と舞踏の合体を思わせるものとさえ なったのである。 静的な書法 「静的」とも 、、、「動的」という。しかしこの分類は一応の形態的分類にすぎないのは いうまでもない。 「絵画は、何よりもまず詩的経験なのだ。それは暗喩であって、説明によって解明され るようなものではない。絵の上では、人がそれに賦与するさまざまの意味が形づくられ、

4. 抽象絵画への招待

ル・プランシ = のように生き、考える人だったなら、たとえ彼の描いたリンゴが十倍 も美しくとも、彼はけっして私の関心をよび起さなかっただろう。われわれの心をひ くのは、セザンヌの不安である。セザンヌのほんとうの教え、ゴッホの苦悩、それは まさしく人間のドラマだ。それ以外はうそっぱちさ。」 このような思想は、、 うまでもなく、五官にただ快く囁きかけるだけに終始するていの 「美」の達成を目的とするもの、それが美術であるという漠然たる常識をおびやかすだろ う。それは作品を、その作者の存在全体の、生きる根拠と意味をたえず問いかけるものと してとらえる考え方を示している。それは、さきにふれた中井正一の言葉を借りれば、 「躍進的不断の瞬間の持続における決意的不安」としての自己の軌跡を、作品のうちにき ざみこんでゆくという考え方でもあるだろう。ピカソの創始した立体派絵画は、造形的観 点からいえばきわめて分析的、解剖学的、つまり知的な外貌をもっていたが、これを内面 的に見るなら、ビカソが上述のようにセザンヌ的「不安」、ゴッホ的「苦悩」に大きな価 値を見出していたことは、忘れることのできない意味をもっていよう。 大切なのは、つくられた「もの」そのものではなく、つくる芸術家の「人間」であると

5. 抽象絵画への招待

画家トマス・べントンに師事したが、リべラ、オロス 0 、シケイロスらメキシコ画家の壁 画に強い感銘を受け、ついで「ゲルニカ」のピカソ、シルレアリストのミロ、 エルンストらに影響された。マッソンやエルンストの自動描法の方法は、「自由」の造形 的表現という点でとりわけ彼に強い刻印を残したように思われる。しかし、さらに注目す べきことは、一九四〇年代初期の彼の作品にしばしばあらわれる、インディアンのトーテ ムから影響された一種兇暴に原始的なイメージであり、また情欲や残忍性を強く暗示する、 ギリシア・ローマ神話から得たイメージであって、それらプリミティヴなイメージが、シ = ルレアリスムやビカソの影響と混合して、土俗的生命力にみちた不思議な画面を形づく 「ている。ゴーキーの場合同様、ここにもおそらく集団的な無意識記憶のイメージ化とい う問題がある。 ポロックは実際、ユングの深層心理学や、ダーシ ー・トンプスンの『生成と形態につい て』のような本から、彼なりの仕方で多くの示唆を受けているといわれる。 「孤立したアメリカ絵画という考えは、ちょうど、純粋にアメリカ的な数学とか物理学 を作るという考えがばかげているように、ばかげている」と、すでに一九四四年に彼はい

6. 抽象絵画への招待

ヌやピカソを買うのではなくなったのである。 ということは、社会と芸術家との関係が、自分の欲する主題を欲するような形で描くよ うに要求する注文主と、その要求に忠実に応える者、という明確な絆によってつながれる ものではなくなったということである。近代社会が教権の圧力や要求にさからい、おのれ 自身を独立させてきたのと全く同じ理屈によって、芸術家は。ハトロンから、さらには社会 から、おのれ自身を独立させてきたわけである。これが、「キュビスム時代のピカソを一 点買う」という現代的な表現の成立する現実的背景だった。 2 「号いくら」の思想の意味 以上に見てきたこととの関連において、もう一度絵を買う話題に戻ってみる。 多少とも美術に関心がある人なら、絵が「一号いくら」という単位で売買されることが あることを知っている。もっとも、この単位に基づく売買は、今日ではあまり意味のある ものとも思われない場合も多いから、実際にはそれほど決定的なものではない。しかし、 同一作者の場合、絵のサイズの大小が価格の高低と比例しているのは、例外的な場合を除

7. 抽象絵画への招待

じつつある出来事のような臨場感をもって描くことを、。ハトロンから求められたし、それ に応えるべく全力をあげて仕事した。技法の発達も、当然それに伴って生じたが、第一に 重要なのは、「何を」描くかということであって、「 いかに」描くかはそれに必然的に付随 してくる第二の関心事にすぎなかった。 ピカソをめぐる先の会話は、これらの点に関して力点の置き方が明らかに変化したのち の時代の会話なのである。 一言でいえば、「主題」から、画家個人の独特な「スタイル」へ、関心が移ってきた。 これは、別のいい方でいえば、絵に対する人々の関心事が、画家の奉仕する大義 ( それは 同時に、絵の注文主あるいは一般大衆の大義でもあった ) のよりすぐれた表現を求めると いうことではなく、むしろ画家自身の自己表現の成果をリンゴやヴァイオリンの画面のう 代ちに見るということの方へと移ってきたということである。「セザンヌを一枚買う」とか、 と「ピカソを一枚買う」とかいういい方は、一人の芸術家の思想表現や生き方のスタイルそ 芸 のものをも買うということを潜在的には意味していた。つまり、画面に描かれているリン ゴがえもいわれず美しいからとか、裸婦が無上に美しいからとかいうだけの理由でセザン 123

8. 抽象絵画への招待

ぜ感動的か。そこに椅子や靴が描かれてい るからでもなければ、激烈な線、熱した色 人彩のゆえでもない。ゴッホの苦悩が私たち を感動させるのだ。 ピカソの言葉は、 つまりそういう意味であろう。 「生き方」へのこのような注視と関心は、 一 2 人間というものを、環境に対して不断に闘 いをいどみ、環境を変化せしめることによ 元 って自己の変化を実証してゆく存在とみる 、、一平人間観と、密接にむすびついているものだ 雄ろう。つまりこれは、画家の描く行為を、 髪美とか醜の観点からでなく、倫理の観点か ら見るという態度に通じるものであった。 デ・クーニングは、、かにもゴッホと同じ

9. 抽象絵画への招待

/ 「ピカソを一点買う」 この章では、前章までの叙述とは異なった角度から、現代の抽象絵画、またひろく現代 芸術一般と社会との関係について考えてみたい。つまり、内側からでなく外側から現代芸 術なるものを見た場合、どんな局面が新たに見えてくるだろうか、ということである。 話を少しくだけた話題から始めてみたい。 私たちは画廊その他で絵とか彫刻とか焼き物とかを見て、それがどうしても欲しいと思 うことがある。つまり収集したいと思う。ところがこれが、はじめのうちはひどく難しい / . し . し まず心理的な一種のおびえがある。 、くらぐらいするのだろうか。誰に値段をた ずねればいいのだろうか。額縁なども一緒につけて売ることになっているのだろうか。支 払いは少しは待ってもらえるのだろうか。月賦など申し入れたら一ペんにはねつけられる のではなかろうか。何しろこんなに立派な美術品で埋まっている画廊なのだ、収集する人 たちはみな自分よりずっと金持ちの連中ばかりだろう : 118

10. 抽象絵画への招待

発当時起こった、トルコ人 によるアルメニア人への迫 害をのがれ、一家は故郷を 一捨てた。十六歳のゴーキー ヨ一は、妹と二人で、すでに渡 ジニ米していた父のあとを追っ ン鰤て移民船に乗った。 ゴーキーの絵を眺めてい フム コイると、彼のこういう出身が ンおのずと思い浮かぶ。これ ポゲ は決して都会人の描いた絵 ではない。自然への郷愁をさそう甘美な情緒、古風で素朴な土の雰囲気。どこからか悲哀 をおびた民謡の調べが聞こえてきそうな地方色、風土性。彼がいかにピカソやミロの影響 を受けていようと、そこにはまぎれもない故郷の牧歌的自然の記憶がある。ゴーキーの絵