ーヨ 1 クなどの東部 とはちがい、太平洋岸に住 ッヾ、、こ亠ノ ルむ画家は、ヨーロ ワ でなく、アジアに眼を向け 四ンざるを得ない。そこで「東 人ケ洋人が私の絵に対してアメ 一すリカ人や = 1 。 ' 。 ( 人同様 水術 潜美に深い理解を示したとして ッ ヌルも、少しもおどろかない」 ゼヒという自負の言葉も出てく るわけだ。彼の画面を覆う カリグラフィ 微細な記号の集団は、みごとな筆づかいで描かれたトビ 1 独自の〈書〉といえるかもし れない。それらは密集する形態でありながら、同時に光り輝く空間にまで昇華しきってい
ルらと多くの共通性をもつが、 彼らの抽象画は、たとえばモ 人ンドリアンやファン・ドウス プルフらオランダ人の幾何学 的抽象の純粋な主知主義とは 線きわめて異質である。オラン 吃 ダ人たちが自然の対象の再現 和から出発して、次第に形態の 津きびしい純化、知的抽象に達 するのに対し、彼らは自然に 対する感覚的、感性的な感動を、知的純粋化や構成にうったえず、じかに造形的表現に移 そうとするからである。 対象を図式化したり様式化したりすることがない。いわば、幾何学的ではなく、詩的な 抽象へのアプローチであって、これはまさにフランスの風土から生まれたものだといって
2 の叢書の本は古書店で見てもすぐに目にとまる 装幀が好ましいものだった。もちろん私は戦後 になってそれらを目にしたのだが、装幀の絵は 人すべて棟方志功という力強い描線をもった木版 個 画家 ( 棟方自身は板画といっていたが ) 一人によ るものだ「た。ふくよかな菩薩顔の女性たちの、 腕豊かな胸乳、あらわなふとももが、作者の純情 しと熱情をこよなく伝えて張りのある絵を生み出 亠よ 傷していた。 郎柳宗悦の民芸の理想を実作者として支えたの 太 いうまでもなく、浜田庄司、河井寛次郎、 本 岡 富本憲吉、 チらの陶芸家と並 んで、棟方志功および芹沢銈介という二人の偉 大な平面の作家だったが、印刷図案家として出 169
発当時起こった、トルコ人 によるアルメニア人への迫 害をのがれ、一家は故郷を 一捨てた。十六歳のゴーキー ヨ一は、妹と二人で、すでに渡 ジニ米していた父のあとを追っ ン鰤て移民船に乗った。 ゴーキーの絵を眺めてい フム コイると、彼のこういう出身が ンおのずと思い浮かぶ。これ ポゲ は決して都会人の描いた絵 ではない。自然への郷愁をさそう甘美な情緒、古風で素朴な土の雰囲気。どこからか悲哀 をおびた民謡の調べが聞こえてきそうな地方色、風土性。彼がいかにピカソやミロの影響 を受けていようと、そこにはまぎれもない故郷の牧歌的自然の記憶がある。ゴーキーの絵
岩の大移動、透明な陥し穴、 リリカルな色彩の歌を感じとり得るような画面。そこでは観 る者自身、絵の中にまきこまれ、一本の線、多色の色彩の交響に共鳴し、律動することを 誘われているのである。何ひとっ特定の対象や現象を再現せず、しかもあらゆる細部にお いて、その絵以外の何ものでもない絵。 そのためにこの種の絵は必然的に大画面を指向し、そのためにまた、この種の絵は、観 る私たちの中に、包みこまれるような不思議に触覚的な感覚をよびさます。 これを画家自身の信条にもう一度戻していえば、 「私は観る人に何も要求しない。 一つの絵を『提出する』だけだ。観る人はこの絵の 自由にして必要な解釈者なのだ。観る人のここでの姿勢は、世界における彼の全般的 な態度に『依存』し、かっ『呼応』する。絵は単に画家を丸ごとまきこんでしまうだ けでなく、観る者をもまきこむ。しかも最大限に激しくまきこんでしまう。」 ポロックがいってもおかしくない言葉である。しかしこれは、彼とは随分作風の違うフ ランスの抽象画家、ビエール・スーラージ = がある時語った言葉なのである。
な意味も、上述のことと関連して理解することができよう。セザンヌは写生をきわめて重 んじ、自然から学ぶことをつねに心がけた画家だが、その彼が、このような、抽象絵画の 基礎ともいうべき思想を表明していることは興味がある。この考えは、いわば自然を解読 するためのセザンヌ流の問いだったということもできるだろう。ゴッホやゴーギャンの場 合にも、絵画は造形的諸問題の追求の場であると同時に、おそらくそれ以上に、魂の叫び をいかに解放し、救済するかの方法追求の場であった。十九世紀末の同時代人であるかれ ら三人によって明確に提出されたこの問題意識は、二十世紀美術にそのまま受けつがれた。 ピカソが批評家クリスチアン・ゼルヴォスに語った次の言葉は、その端的なあらわれであ ろう。 「。ハルテノン、ヴィーナス、ニンフ、ナルシス、こんな美はうそっぱちさ。美の規範 味 をあてはめたからといって芸術ができあがるものではない。芸術は、本能や知性が、 意 の規範とは関係なしに感知することのできるものだ。女を愛するのに、男は物差しで女 のからだを測りはしまい。 人は欲望によって女を愛するのだ。 ( 中略 ) 大切なのは、芸 術家のつくったものではなく、芸術家の人間なのだ。セザンヌがジャック・エ
/ はじめに 絵を見ることが好きな人はたくさんいる。というよりも、すべての人は絵を見ることが 好きだ、といった方が一層正しいだろう。その絵は決して、美術館にかかっている名画と か画集に掲載されている現代や古代の絵に限らない。むしろ、それらの絵は地上にありと あらゆる絵の総量からすれば、何十万分の一、何百万分の一にすぎない。 崩れ落ちた壁の残骸の上にさえ、私たちは子供や大人が釘や棒切れで引っ掻いた絵や文 字の痕跡を見出す。ひと夏、地上のあらゆる海岸の湿った砂浜で描かれては消えていく絵 は、いったいどれほどの数にのばるだろうか。ポンペイ最後の日に、市民たちが突如襲い かかってきた猛烈な噴火後の熱砂と砂礫に刻一刻うもれてゆき、一日もたたないあいだに すべての人の生活が、その時そのままの状態で地下に没してしまったとき、彼らの家の壁 にかかっていたモザイク画や、男性の秘所をかたどって作ったユーモラスな形態の蠍燭た てや、飾りのついた寝台やは、そのまま遺跡としてかたまってしまったが、今日、発掘さ
して、全身でもっと 遠くを見ることを思 裸 の いだすのだ。」 ン コ これらの言葉は、巨 大で深い自然というも 女 のに向きあったとき一 る す 人の画家が感じる怖れ 散蔵 と祈りの複合した想念 人 ヌ個 の、まことに簡潔で美 ヾしい描写であるように 思われる。かってドイ ツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスは『断章』の中で、「すべての見えるものは見えないも のに、聞こえるものは聞こえないものに、感じられるものは感じられないものに付着して いる。おそらく、考えられるものは考えられないものに付着しているのだろう」と、無気 物、 1 ご第 112
は「理想的形態の研究」にほかならない。 この区別は、美術における「フォルム」と、私たちが日常触れるあらゆるものがそなえ ている「形」との区別に類推できる性質のものではないかと思う。 ギリシア人は人間の肉体の表現を通して、彼らのいだく根本的な理想を目に見えるもの にしようとした。「神的」なものは彼らにと「ては「数」の世界と密着していたから、人 体の理想的形態とは、幾何学的原理にもとづく構造でなければならず、そこから、秩序と 調和の理想的形態であるアポロン像が男性裸体像の典型として生まれた。また欲望の昇華 の結晶として、ヴィーナス像のはてしない洗練が生まれた。それらと並行して、キリスト 教的裸体像が、その禁欲的原理の介在のためかえってなまなましいダイナミズムを発揮し つったちあらわれた。こうして、ケネス・クラークの本では、「カ」、「悲劇性」、「陶酔」 と、つ 、裸体像の最もめざましい理想的諸性質が丹念に跡づけられ、近代以後の「自己目 的としての裸体像」にいたる。 私はここで、二十世紀が裸体像を含めて一般に人間像を描いた絵画の衰退の時代である という、すでに多くの人が指摘している事柄について思いを及ばさずにはいられない。肖
彼は、あらゆる人々に精神 4 的な覚醒をもたらそうとする シュルレアリストの目的は賞 当、獄賛すべきものであ。たといい の つつ、しかし現代のように頽 ン イ廃した時代にあっては、この ス讃えるべき目的も、かえって レ 美術を堕落させる結果を招く だけだろうとして、上のよう ザ人なことをい 0 たのである。 マ マザ 1 ウエルは、クリフォ プ、 ド・スティル、ジャクスン・ポロック、アーシル・ゴーキー、アドルフ・ゴットリー マーク・ロスコその他と同様、第二次大戦中にアメリカにどっと流れこんだシュルレアリ スムの影響を深く受けた画家たちの一人であり、中でもおそらく最も知的包括力と学識に 工