な対立者となったことには、こういうわけで必然的な理由があったわけだが、それはまた、 アクション ・ペインティングがそれに対抗して現れる次の芸術世代に対して、明確な芸術 的メッセージを発信したからこそ生じえた世代交代劇だったといえるのである。このこと は、一九七〇年代以降の世界の美術界に、五〇ー六〇年代に生じたこのような芸術思想上 の鮮明な対決というものがほとんど見られなくなり、それにともなって、強力な運動の出 現もあまり見られなくなってしまったという事態を考えれば、一層深い意味を帯びてくる ことのように思われる。 そしてそのような事態を招来した一因は、ほかならぬポップ・アートそのものの中にも 潜んでいただろう。というのも、このきわめて「アメリカ的」な絵画思想は、その成立と 発展自体のうちに、商業主義という恐るべき陥し穴にみちた現代的条件と密接に結びつい た諸要素を持「ていたからである。シルク・ = クリー , 的な複製技法を用いて何点でも生 産されうる同一のイメ 1 ジに、多少の変化と綾をつけただけで、仰天するほど高額の「作 術 芸 品」が誕生してしまうようなばかばかしい事態がそこから生まれた。 ただしそのようなことが可能であるのは、、 うまでもなくその作者が社交界においても 161
関係を発見し、社会集団的な記号、言葉、概念、慣習のような、秩序をもった意識的世界 を構成していった。魔術は、宗教、科学、芸術などに分化していったのである。 しかし、芸術そのものは、この発生状態における原始的、魔術的なるものの世界から無 縁になることはできなかった。じっさい、高度に文明の発達した現代にあっても、人類は その存立をおびやかすさまざまな脅威に立ちむかうにあたって、一方では宗教や自然科学 に精神的、物質的な支援を求めるとともに、他方では、広い意味で芸術的といっていいさ まざまな人間的営みに心の安定を求めてゆく。その心の動きには、古代人が魔術に傾倒し たのと相似たものが少なからず見出されるのである。 3 近代社会と芸術 味芸術の歴史は人類の世界観の変革の歴史と無関係にあるものではない。その意味では、 の中世末にコペルニクスが強大な教会権力の圧力にもかかわらず、天動説に抗して地動説を 芸 主張し、ついに勝利をおさめたことは、象徴的な意味をもっていた。人間という地上的存 在は、神とその代行者たる教会の真理の単なる影であり、本質的に不完全なものである、
/ はじめに 絵を見ることが好きな人はたくさんいる。というよりも、すべての人は絵を見ることが 好きだ、といった方が一層正しいだろう。その絵は決して、美術館にかかっている名画と か画集に掲載されている現代や古代の絵に限らない。むしろ、それらの絵は地上にありと あらゆる絵の総量からすれば、何十万分の一、何百万分の一にすぎない。 崩れ落ちた壁の残骸の上にさえ、私たちは子供や大人が釘や棒切れで引っ掻いた絵や文 字の痕跡を見出す。ひと夏、地上のあらゆる海岸の湿った砂浜で描かれては消えていく絵 は、いったいどれほどの数にのばるだろうか。ポンペイ最後の日に、市民たちが突如襲い かかってきた猛烈な噴火後の熱砂と砂礫に刻一刻うもれてゆき、一日もたたないあいだに すべての人の生活が、その時そのままの状態で地下に没してしまったとき、彼らの家の壁 にかかっていたモザイク画や、男性の秘所をかたどって作ったユーモラスな形態の蠍燭た てや、飾りのついた寝台やは、そのまま遺跡としてかたまってしまったが、今日、発掘さ
ームス・ディーン同様、自動車事故で死んだからである。自殺か事故死かわからないとこ ろまでディーンの場合と似ているが、彼は死んだとき四十四歳、ゴーキーも死んだとき四 十四歳だった。 4 新しき世代の誕生 このようにして、一つの時代にアメリカという特定の土地で生じた多様な個性たちによ る芸術的創造力の沸騰と形成作用、そしてやがて生じる避けられないその崩壊現象という ものを通観してみると、そこには現代社会における創造行為が背負わざるをえないある種 の根本的な困難が、ひとつのモデル・ケ 1 スを通じて透けて見えてくるような気がする。 この時代の芸術家たちは、社会秩序の変動が急激でなく、芸術家一人一人の着実な個人的 成熟の比較的容易だ。た時代の芸術家たちに較べ、一般的にい。て、いわゆる「生き急 ぎ」の制作を強いられ、またそれゆえに、「死に急ぎ」の英雄主義の誘惑にもたえず見舞 われる傾向をもっていた。 多くの画家たちは、自分の作る作品一点一点の完璧性よりも、みずからの「生き方」の 152
/ 「ピカソを一点買う」 この章では、前章までの叙述とは異なった角度から、現代の抽象絵画、またひろく現代 芸術一般と社会との関係について考えてみたい。つまり、内側からでなく外側から現代芸 術なるものを見た場合、どんな局面が新たに見えてくるだろうか、ということである。 話を少しくだけた話題から始めてみたい。 私たちは画廊その他で絵とか彫刻とか焼き物とかを見て、それがどうしても欲しいと思 うことがある。つまり収集したいと思う。ところがこれが、はじめのうちはひどく難しい / . し . し まず心理的な一種のおびえがある。 、くらぐらいするのだろうか。誰に値段をた ずねればいいのだろうか。額縁なども一緒につけて売ることになっているのだろうか。支 払いは少しは待ってもらえるのだろうか。月賦など申し入れたら一ペんにはねつけられる のではなかろうか。何しろこんなに立派な美術品で埋まっている画廊なのだ、収集する人 たちはみな自分よりずっと金持ちの連中ばかりだろう : 118
あとがき 岩波新書が初めてカラー ・ペ 1 ジをつけた特別版を出すことになり、本書の執筆依頼を 私が受けることになった。ここで主として対象とした種類の現代の抽象絵画は、美術界に 関りをもつ人からすれば、ある意味でとうに過ぎ去った話題という風に見られるだろう。 他方、ふだん現代美術に慣れ親しんでいるわけではない人にとっては、耳新しい名前が相 次いで現れる、もの珍しい本ということになるだろう。それが本書のおかれた位置である ことを十分に承知した上で私はこの本を書いた。どのような意図のもとに書いたかについ ては、本文を読んでいただけばわかることだから、ここではふれることをしない。 私はこの主題については今までにもいろいろな機会に文章を書いてきたので、本書は当 然、現在の時点におけるそれらの一つのしめくくりとしての意味を持っている。特に、か って書いた『躍動する抽象』 ( 講談社刊「現代の美術」第八巻、一九七一 I) は本書とも深い 5 関係がある。そこでとりあげた画家や絵画思想についての考えを、本書ではいくつかのよ 亠の」がさ
わば最も尖鋭に浮きあがらせた点で、現代の形而上学や哲学や詩学、また深層心理学と共 通の問題を美術もかかえていることを明確に示した。そしてそれゆえに、 この時代の絵画 は多くの人々の思想的関心をひきつけることもできたのである。 動勢と細部 デ・クーニングが一九五〇年代に描いた「女」のンー 、丿ーズは有名である。しかし私たち は、彼の人物像の中に古典的な意味での人物像を見ることはできない。女の肉体はたえず 周囲の空間に浸透されている。輪郭そのものが流動し、女がいかなる性質の空間に位置し ているのか、しかとっかむことができない。女の側からいえば、彼女をとりまく環境その ものの正体がよくわからないのだ。しかし環境の側にいわせれば、そもそも現代社会にお いて、人間の個別性を真に識別させる絶対にたしかな指標などないではないか、というこ とになろう。ここに、現代生活を特徴づけている混沌たる速度の中に放り出された人間、 およびその肉体の命運の、暗喩的な意味を読みとることもできるだろう。 デ・クーニングの女は、彼が描く風景と異質のものではない。両者はどこかで混ざり合
2 現代の抽象絵画 れる。都市環境の中の魂の渇きを、痛いほどわれわれに感じさせるところに、現代の抽象 絵画にあらわれる都市の様態の一つがあるだろう。そういう渇きは、幻想的な傾向の強い ウィリアム ・バジョーツの絵では、たとえば死滅したポンペイの挽歌のような形をとって 逆説的に姿をあらわし、都市風景を描きつづける女流ヴィエイラ・ダ・シルヴァでは、都 市の軽やかな浮揚の夢となって、現代の都市空間にひそむ詩と変貌をうたうのである。 幻自然の変貌 バゼーヌの『今日の絵画に関する覚書』 ( 一九四八 ) の中に次のような一節がある。 「真の感受性の働きはじめるのは、画家が、樹の渦巻と水の皮が親類であり、石と画 家自身の顔とが双子であることを発見するときである。こうして世界がしだいに凝縮 してゆくとき、外観の雨のうしろに、彼の真理であり同時に字宙の真理である、本質 的な偉大な記号のかずかずが首をもたげるのを彼は見るのだ。」 「画家は時折り、特殊化された目とその歯車止めを、すなわち樹や顔をとらえようと 躍起になっている、あまりに明澄、あまりに主知化されたその目を忘れるがいも 111
岩波新書新版の発足に際して 岩波新書の創刊は、一九三八年十一月であった。その前年、すでに日中戦争が開始され、日本軍は中国大陸に侵攻し、国内もまた 国粋主義による言論統制が日ましに厳しさを加えていた。新書創刊の志は、もとより、この時流に抗し、偽りなき現実認識、冷静な科 学精神を普及し、世界的視野に立つ自主的判断の資を国民に提供することにあった。発刊の辞は、 : .r 今茲に現代人の現代的教養を目的 として岩波新書を刊行する」とその意を述べている。一九四四年、苛烈な戦時下にあって、岩波新書は刊行点数九八点をもって中絶の やむなきにいたり、越えて四六年、三点を発行したのを最後に赤版新書は終結した 9 一九四五年八月、戦争は終った。日本の民衆が、敗戦による厳しい現実を見据え、新たな民主主義社会を築き上げてゆくためには、 自主的精神の確立こそ一層欠くべからざる要件であった。出版という営みを通じて学術と社会に尽すことを念願とした創業者遺志を 継承し、戦時下の岩波新書創刊の趣意を改めて戦後社会に発展させることを意図して、・ - 一九四九年四月、岩波新書は、装を新たにして 再発足した。「現代人の現代的教養」という辞は、この青版新書において、以前にもまして積極的な意味を賦与された。幸いに博く読 者に迎えられ、本年四月、ついに青版新書は刊行総点数一千点を数えるに至った。創刊以来四十年の歳月を通じて、多数の執筆者が協 力を吝しまれず、広汎な層に及ぶ読者の支持を得た結果である。 戦後はすでに終焉を見た。一九七〇年代も半ばを経過し、われわれを囲繞する現実社会は混迷を深め、内外にかって見ない激しい変 動が相ついでいる。科学・技術の発展は、文明の意味を根本的に問い直すことを要請し、近代を形成してきた諸の概念は新たな検討 を迫られ、世界的規模を以て、時代転換の胎動は各方面に顕在化している。しかも、今日にみる価値観は、余りに多層的であり、多元 的であるが故に、人類が長い歴史を通じて追究してきた共通の目標をすら見失わせようとしている。 この機において、岩波新書は、創刊以来の基本的方針を堅持しつつ、ここに、再び装いを改めて、新たな出発をはかる。ニ十世紀の 残された年月に生き、さらに次の世紀への展望をきりひらく努力を惜しまぬ真摯な人々に伍して、現代に生きる文字通りの新書として、 その機能を自らに課することを念願しつつ、この新たな歩みは始まる。 赤版・青版の時代を通じて、この叢書を貫いてきたものは、批判的精神の持続であり、人間性に第一義をおく視座の設定であった。 いま、新版の発足に当り、今日の状況下にあってわれわれはその自覚を深め、人間の基本的権利の伸張、社会的平等と正義の実現、平 和的社会の建設、国際的視野に立っ豊かな文化創造等、現代の人間が直面する諸課題に関わり、広く時代の要請に応えることを期する。 読者諸賢の御支持を願ってやまない。 ( 一九七七年五月 ) ィー
一一現代の抽象絵画