王位継承法によって >< という人が位に即くと、たまたまがという国の君主だったというこ とがあるわけです。あくまで < という国の王位継承法によっているのだけれども、ヨーロ、 では王室同士がよく結婚関係で結ばれるので、そういうことは起りえたのです。たとえば、イ エリネックの挙げている身上連合の例は、イギリスとハノ 1 ヴァとの関係とか、オランダとル クセンブルグの関係などです。「物上連合」については、ここで福沢は例に出していませんが、 二つの国が条約を結んで一つの君主を戴くという場合で、ノルウ = ーとスウ = ーデンとの間に その例がありました。 ここで福沢が言いたいのは、いずれの連合にしても一国の国体は変らないのだということで 禺然の結果、あるいは条約上のとりきめで両方が す。そうしてこの場合「政統」も変らない。イ 同じ君主を戴いているだけです。 血 こうして福沢は、国体、政統、血統という三つの類似した観念をあげ、この三者を区別した 殖上で、それらの関係を考えようとします。歴史をみるといろいろな類型の組み合せが出てきま す。血統は変らないけれど政統を改めた例があり、また政統は変「たけれど国体は変らない例 国 もある。後者についてはフランスがいい例で、王様の首はギロチンにかけたけれども、共和国 になっても依然フランス人がフランスを治めている以上、福沢の定義する国体は変らないこと 第 になります。ただ「政統」が百八十度変っただけです。そして最後に、血統を改めないのに、 185
レジテイミスム なお、フランス革命のあとに正統主義というイデオロギーが勃興し、これが近代における政 治的正統の直接的語源ですが、その場合の「正統」は、正統性の狭い意味の解釈だとギゾーは 右につづく個所で述べています。フランスにおける正統主義というのは、ナポレオンが倒れた あと、フランスの旧体制における統治者であったブルポン王朝をまた復興させようという主張 ロ ツ。ハの旧体制にすべて適用しようとメッテルニ で、「ウィーン会議」では、この考え方をヨー ヒなどが努力します。ギゾーはこの「正統主義」を正統という考え方の一種とみて、もっと広 しいますーー・一 い意味で政治的正統性の問題を考えようとしているわけです。ギゾーは、こう、 いかなる権力 切の権力の起源には区別なしに力が存在する、つまり暴力が存在する。しかし、 も暴力の産物として考えられるのを許そうとはしない。「打ち克ち得ない本能によって、諸々 マイトライト の政体は、暴力は権原ではないこと、カは正義ではないこと、もし暴力よりほかの基礎をもた ないとすれば、その政体には完全に権利が欠けている、ということを、警告されて知っており ます」 この考え方はヨーロツ。ハ近代の政治思想の最も主要な旋律の一つです。御承知のように、ル ソーの社会契約論の最初から出てくる命題の一つは、カは権利を生まないということです。事 実上の力関係からは権利という規範関係、法的関係は生まれない。力は権利を生まないという ことは、カは法を生まないということと同義です。よく Might is right 「カは正義なり」と言 タイトル
第 6 講文明と政治体制 実であります。従って、文明の原理と、文明を促進した諸の事実が目に見える場合ならば、 どこにおいても我々は、そのために払った代価の高さを見逃すのであります」 もます。叙述の似てい 福沢もまた、「文明は恰も倉庫の如し」のたとえのあと、次のようにい、 る点に注意して下さい 人間の事物、或は嫌ふ可きものと雖ども、苟くもこの文明を助くるの功あれば、これを捨て、問 なお はず。譬へば内乱戦争の如き歟。尚甚しきは独裁暴政の如きも、世の文明を進歩せしむるの助け あら とが となりて、其の功能、著しく世に顕はるゝの時に至れば、半ばは前日の醜悪を忘れてこれを咎む あたか るものなし。其の事情、恰も銭を出して物を買ひ、其の価、過当なりと雖ども、其の物を用ひて 、、ゝロ . ーレ 0 便利を得ること大なるの時に至れば、半ばは前日の損亡を忘る、カ女 ( 文五二頁、全三九頁 ) こう述べるとき、直接に福沢の念頭にあるのは、他の著述をも参照して見ると、どうもフラ ンス革命のようです。 ( ギゾーの場合は、むろんそうでしよう。 ) フランス革命におけるジャコ バン独裁の恐怖政治は実に惨憺たる有様であったことを、福沢は早くも『西洋事情』で紹介し、 その後もいろいろな個所で述べているのですが、同時に、後世からみると、結局フランス革命 は人類の自由と平等のために画期的な出来事であったことになり、そのプロセスでおこなわれ なか 219
帝や、ゲルマン蛮族のローマ侵入の例を出してくるのです。右の「戦争に由て」云々もギボン にありますが、要するに政統と倫理的正当性との、問題としての区別がちゃんと意識されてい ることが分ります。 このあと、福沢は、同じ君主制の下でも「政統」はいろいろ変るのだと言ってイギリスの例 を挙げています。名誉革命のウィリアム王を「ヰルレム」と書いていますが、これはウィリア ムがオランタからきたからオランダ語の発立日にしこ。、 オカった、として一応分りますが、「古仏蘭西 にてカラウヒンジャの諸君、仏王に臣とし仕へて、其の実は国権を握りたるが如し」と、カロ ンゲル朝までカラウヒンジャとオランダ語に近い表記をしているのは、やはり福沢の蘭学の 「地金」が出たのでしよう。まあ、それはたいしたことではなく、要はカロリンゲル朝が、ち ようど日本の藤原氏の皇室におけるように、初めはフランス王の臣下だったのですが、しだい に実権を握っていった。だから、政治の本筋は変ったわけです。にもかかわらず、フランスの これを見ても、「政統の変革は国体の存亡に関係するものに非 「国体」が変ったとはいえない。 ず」という。この後の命題が福沢がいいたい点です。 前述のように国体というのは、福沢によれば、自分の国の人民が自分の国の政治をとること でしよう。ですから、君主が政治をとっていたのが、例えば共和政治になったところでそれは 自国の人民が政治をとっている点においては、王様によって治め 国体の変革には関係はない。 182
〈コンスチチュ ーショナル・モナルキ〉と云ふ。現今欧羅巴の諸国、此制度を用ゆるもの多し」 『西洋事情』では、こうした政体の紹介のあと、イギリスの政治は非常に奇妙なもので、君 主を戴いていても実際は共和政治に似ているとしています。「英国の政治は三様の政治を混同 せる一種無類の制度なり」という。つまり上院をみると貴族政治のようである。国王をみれば 君主政治のようでもある。しかし、下院が大きな権限を持っていることをみれば共和政治のよ うでもある、というわけです。これは国法学や政治学でいえば m 一 xedgovernmen ( ーー混合政 体ーーを意味します。 『西洋事情』では、さらに続いて、『概略』のここでの議論に関係する紹介が出ています。 「又、立君独裁と称する政治にても、事実にて生殺与奪の権を一人の手に執るものなし。 ロシア 魯西亜皇帝の如き人民の之れを尊仰すること神の如しと雖ども、尚ほ一人の私意を以て国政を 専らにすること能はず。又、共和政治と雖ども、或は有名無実なるものあり。千八百四十八年 フランス オーストリヤ 仏蘭西の共和政治は、其の法律の苛酷なること、当時立君独裁と称したる墺地利よりも尚ほ甚 し」 スの「ポリティカル・エコノミ 右の紹介は、福沢が何からとったのか、おそらくチェンヾ ー」 (Chambers' EducationaI course. political economy for use in schools, and for private instruction, 1856 ) からだと思われます。福沢はそれを持って帰ってきています。フランスの ヨーロッパ ノ 240
た残虐非道は忘れられてしまうということを、ここでは述べています。フランス革命の例だけ ではないでしようが、こうした文明の進歩の逆説の一つとして、福沢の念頭に、ジャコバン独 裁、テロルの支配があったことは確かだと思われます。 朗読文五二頁一三行ー五五頁二行全三九頁一二行ー四一頁一〇行 四つの社会状態 これにつづいて、「今、仮に数段の問題を設けて文明の在る所を詳にせん」として、以下四 段に分けて述べているところは、これほどやや丸写しに近い個所は珍らしいくらいに、ギゾー の文明史に拠っています。前にも申しましたが、ここは文明の歴史的な発展段階を述べている のではありません。非歴史的にさまざまのケースを併列して、こういう社会は文明といえるか、 言えないだろうと、一つ一つ「消去」していって、最後に文明を定義するという、いわば消去 法のやり方なのです。 ギゾーのヨーロツ。ハ文明史の第一講には、四つの仮定が、福沢の四つのケースとほとんど同 じままで出てきます。「仮説」 (hypothöses) という表現をわざわざ用いていることでも、これら の類型が、歴史的発展を示しているのではないことがよく分ります。 つまびらか 220
上巻を読んだのが明治十年七月と自署されています。福沢が、その本のどこに線を引いている かを見ると、どういうところに注意をして読んだかがわかってたいへん面白いのです。 トクヴィルは、判事として十九世紀初めにアメリカへ旅行して初めてアメリカのデモクラシ ーなるものを実際に観察します。デモクラシーという一一 = ロ葉は、当時まだヨーロ ツ。ハではそれほ ど一般には使われていない。アメリカははじめから平等に力点が置かれています。そこで、 「デモクラシー・イン・アメリカ」という題になるわけです。ヨーロ ツ。ハはすでにフランス革 命を経ているのですが、 トクヴィルはアメリカで「抗し難い民主主義的革命」と「諸条件の平 等」がもたらす現実の結果、そのヨーロノ ハとのちがいを見て、一種のカルチア・ショック を受けます。彼の書物には、その平等社会のいいところと悪いところとが実に冷静に観察され ていて、今日でも新鮮さを失っていません。ですからトクヴィルは、大衆社会の予言者などと いわれ、この書物は、現代でもアメリカ研究の古典とされています。 福沢は、のちには直接にトクヴィルを読み、過度の中央集権の弊害などについても学びます が、『概略』では、ミルを通じて「多数の圧制」についての醒めた見方を早くから獲得していた のです。 多数決制の現実 260
朗読文四〇頁一四行ー四一頁一〇行全二九頁一七行ー三〇頁一〇行 血 統君主の血統 い血統については、福沢が最も力をこめて言「ているところです。伝統的国体観念の中核をな 国 してきたのが皇統連綿でしよう。前に出てきた言葉でいえば一系万代です。 ( ついでにいえば、 講 大日本帝国憲法の「万世一系」という表現は幕末国体論にもあまり見かけません。 ) けれども、 第 福沢の定義によれば、君主血統の連続性は国体とは関係ないのです。 られようが議会による統治であろうが同じだというわけです。「自国の人民にて政を施すの間 は国体に損することなし」です。かって合衆政治であったオランダが今は君主制になっている ことも、フランスが革命前後に、くるくる政体が変ったことも、いずれも「国体は依然として 旧に異ならず」である。そして、「国体を保つの極度」っまり、国体を保つか保たないかのギリ ギリの限界は何かといえば、「他国の人をして政権を奪はしめざるの一事」にあることを、ここ で改めて念を押します。 これで国体に似た観念の一つ「政統」を述べたわけですが、次にもう一つの観念「血統」に 移ります。 183
る知識人に課せられるわけです。これは日本だけではなく朝鮮や中国にも共通しています。文 化接触というのは、たんに歴史的に伝統文化がどう内在的に変るかという問題ではなくて、 わば水平的な横の文化圏の問題ですね。その点では、東アジアだけではなく、ロシアもそうで ツルゲ 1 ネフ以下、十九 ハの田舎ですから : す。ロシア自身が後進国で、いわばヨーロソ 世紀ロシアのインテリゲンチャも多かれ少なかれ、やはりフランスなど先進国の文化をとりつ ぎ、伝播する役目を担っています。 もわゆる「鎖国」 これは「後進」国の場合に一般的に = = ロえるのですが、とくに日本の場合は、、 という条件がありました。鎖国といっても完全に閉されていたわけではなく、長崎の出島を入 ロとしていろいろ接触はあったわけですが、しかし、言うまでもなく、安政の開国とともに、 これまでとは比較にならない新しい時代に突入するのです。生活様式・制度から思想に至るま で、これまでまったく未知の文化が怒濤のように押し寄せてくる時代、そこから出てくるいろ これは現在でも続いている問題だと思 いろな問題を知識人が解釈していかなければならない。 います。 というのは、私も学者のはしくれですから、よく文学者からからかわれるのです。日本の学 者というのはヨコのものをタテにしただけーーっまり横文字を読んで、それを日本に紹介した だけーーーじゃないかと。たしかにそのとおりです。しかし、ヨコのものをタテにするというの
テムの発展は前者に当り、個人の信仰、品性、知性の向上は後者に当ります。内面生活の進歩 もます。ュマニテという表現はきわめてフランス的です をユマニテの進歩と発展とギゾーはい、 から、ヘンリ 1 訳では、ヒーマニティという一一 = ロ葉もたまには使ってはおりますが、それを人 しいかえております。それを 間の精神と能力の発展とか、人間の使命の発展とか、いろいろと、 また福沢は、「心を高尚にする」という、いわば俗な言い方をします。禅坊主みたいな表現です が、福沢には、個々人よりは「衆心の発達」、つまり大衆の精神生活の向上がいっそう大きな意 味があったのです ( 『緒言』冒頭参照 ) 。 もしそうなら、人間は蟻や蜜蜂になってしまう、 ただ、物質的な安楽だけが文明ではない、 とつぎに言っているのは、やはりギゾーが出している例です。さりとて、「心を高尚にするのみ を以て文明と云はんか」とつづけて、論語に出てくる顔淵を出してくるのは、むろん福沢が自 しくら精神は高 ただ陋巷にいて水を呑んでいるだけでは、、 分で考えた例です。顔淵のように、 というわけです。 尚でも文明とはいえない、 このように福沢は、ほとんど全面的にギゾーに拠っている個所でも、具体例は日本人に分り やすいものに言いかえています。ただ、現代のわれわれにとっては、内容的には元のギゾーの ものを読むほうが、原意は正確に分るようです。 ついで、つぎのように断じます。 228