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検索対象: 「文明論之概略」を読む 上
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1. 「文明論之概略」を読む 上

独立の気風ということです。 試みに告ぐ、天下の士人、忠義の外に心事はなきや。忠義も随分不可なるに非ざれども、忠を行 はゞ大忠を行ふ可し。皇統連綿を保護せんと欲せば、其の連綿に光を増して保護す可し。国体堅 固ならざれば血統に光ある可からず。前の譬にも云へる如く、全身に生力あらざれば眼も光を失 ふものなり。此の眼を貴重なりと思はゞ、身体の健康に注意せざる可からず。点眼水の一品を用 ふるも、眼の光明は保つ可きものに非ず。此の次第を以て考ふれば、西洋の文明は、我が国体を 固くして兼ねて我が皇統に光を増す可き無二の一物なれば、之れを取るにて何ぞ躊躇すること をせんや。断じて西洋の文明を取る可きなり。 ( 文四四頁、全三二ー三三頁 ) 亡くなった竹内好さんは福沢の思想には反対ですけれども、福沢の文章には美しい決断のひ びきがある、と言っています。具体的には「脱亜論」の一文を指していて、『概略』ではありま せんが、たとえば、前の段の「此の時に当りて、日本人の義務は」にはじまって一気に述べて きて、最後に「断じて西洋の文明をとるべきなり」と結ぶところなどは、朗読してごらんなさ 実にリズミカルです。段々と調子が切迫して来て、最後に、「断じて西洋の文明を取るべき なり」でス。ハッとおとす。そこに一つの決断のひびきがいきいきと感じられます。 こころ たとえ 196

2. 「文明論之概略」を読む 上

ことを「偶然の事情に由て」と表現しているわけです。なお、右の「平気」というのは、現在 の用法とちがい、「冷静に心を保って」という意味です。「天理」という朱子学の用語を逆手に とっているところに注意して下さい。君臣の義とは、この偶然の事情によって生じた関係、約 束事である。君臣関係の約束事は、歴史的社会的諸条件によってできたものだ。もしそれが後 天的にできたものとするなら、君臣の義なるもの、つまり君臣の間の情宜とか、君の仁とか臣 の君への忠とか、そのような君臣関係における道徳は、その便・不便を論じないわけにはい、 ない。先の「都て世の政府は唯便利のために設けたるものなり」に対応して、ここで君主制の 変革の可能性を説くわけです。これだけとれば驚くべきラジカルな議論です。君主政体絶対の とし、つ 時代に、君主政体もまた便なるか不便なるかを問うて、不便ならそれを変革してもいし 結論をひき出しているわけです。 制 体 政事物に就て便不便の議論を許すは、即ちこれに修治改革を加ふ可きの証なり。修治を加 ~ て変革 明す可きものは天理に非ず。故に、子は父たる可からず、婦は夫たる可からず、父子夫婦の間は変 文 革し難しと雖ども、君は変じて臣たる可し。湯武の放伐、即ち是れなり。或は君臣席を同じふし 講 て肩を比す可し。我が国の廃藩置県、即ち是れなり。是れに由て之れを観れば、立君の政治も改 第 む可からざるに非ず。唯之れを改むると否とに就ての要訣は、其の文明に便利なると不便利なる すべ ただ 251

3. 「文明論之概略」を読む 上

いわゆる 答て云く、是れ所謂片眼を以て天下の事を窺ふの論なり。文明の物たるや、大にて重なるのみ また あに 制 体 ならず、亦洪にして且っ寛なり。文明は至洪至寛なり。豈国君を容る、の地位なからんや。国君 かか 斑も容る可し、貴族も置く可し、何ぞ是れ等の名称に拘はりて区々の疑念を抱くに足らん。「ギゾ ばくし 明 ー」氏の文明史に云へることあり。立君の政は、人民の階級を墨守すること印度の如き国にも行 文 はる可し、或は之れに反して、人民、権を同じふし、漠然として上下の名分を知らざる国にも行 講 あたか はる可し、或は専制抑圧の世界にも行はる可し、或は開化自由の里にも行はる可し、君王は恰も 第 一種珍奇の頭の如く、政治風俗は体の如し、同一の頭を以て異種の体に接す可し、君王は恰も一 この第二の議論は、ある特定の政治形態、政治制度、あるいは政治思想といってもいいでし うが、そういうものを文明と同一化する誤謬です。文明の本旨が上下同権、つまり平等だか ら、政治形態でいうなら必ず共和制になるべきだ、君主制と文明とはそもそも相容れないので ( なも力という疑問です。 それに対する答は、前に出た「物の貴きに非ず、其の働きの貴きなり」の命題の一つの適用 になるわけです。文明であれば上下同権だ、上下同権なら必ず共和制でなければならない、し たがって共和制という政治形態が文明なのだ、と短絡するのは、やはり一つの惑溺になるわけ です。 うかが 235

4. 「文明論之概略」を読む 上

きなくなります。 最終の章を先取りして一節をあげてみます。 なお 人、或は云はん、人類の約束は唯自国の独立のみを以て目的と為す可からず、尚別に永遠高尚の まこと もと 極に眼を着す可しと。此の一一 = ロ、真に然り。人間智徳の極度に至りては、其の期する所、固より高 遠にして、一国独立等の細事に介々たる可からず。僅に他国の軽侮を免かる、を見て、直に之れ を文明と名づく可からざるは論を俟たずと雖ども、今の世界の有様にて、国と国との交際には、 うかっ 未た此の高遠の事を談ず可からず、若し之れを談ずる者あれば、之れを迂闊空遠と云はざるを得 いとま ず。殊に、目下、日本の景況を察すれば、益よ事の急なるを覚へ、又、他を顧るに遑あらず。先 づ日本の国と日本の人民とを存してこそ、然る後に爰に文明の事をも語る可けれ。国なく人なけ れば、之れを我が日本の文明と云ふ可からず。是れ即ち余輩が理論の域を狭くして、単に自国の 独立を以て文明の目的と為すの議論を唱ふる由縁なり。 ( 文二五九頁、全二〇七ー二〇八頁 ) 「人、或は云はん」は、キリスト者など宗教家の批判を意識しているのでしようが、ともか くここは、第二章の「西洋の文明を目的とする事」と非常に調子がちがっているでしよう。自 国の独立が失なわれる、植民地化の一歩手前にあるのだという危機感があふれ出している。国 ただ ますます わずか 118

5. 「文明論之概略」を読む 上

でもなく、先の「片眼を以て」云々と連動しているわけです。両眼でなくて片眼で見る。メダ ルの片方だけ見てはいけな、。 この章の終りにも出てきます。「人の思想は一方に偏す可から ず」と。これは政治とは社会の、人間活動の中の一ファンクションにすぎないのだ、という主 張の文脈の中で、だから政治一偏倒になってはいけな、、 ということなのです。左右両極を排 して中庸を唱える、といった意味での「一方に偏す可からず」ではありません。 こうして福沢は「立君も必ず不便ならず、共和政治も必ず良ならず」の具体例をあげます。 オーストリー やイギリスの君主制がいいからといって、清国のそれも、 し」い、つ、わ↓丿こよ、ゝ ない。アメリカの共和制をよろこぶからといって、では共和制なら何でも、 もも力といえば、そ も・カ事 / し フランスやメキシコの共和制に傚うわけには、ゝ ない。問題は政治の体裁では ないのだ。福沢が現代に生きていたとしたら、ここでおそらく社会主義国家という名にとらわ れてはいけないと言うでしよう。 政は其の実に就て見る可し、其の名のみを聞きて之れを評す可からず。政府の体裁は必ずしも一 よろ 様なる可からざるが故に、其の議論に当りては、学者宜しく心を寛にして、一方に僻すること勿 る可し。名を争ふて実を害するは、古今に其の例少なからず。 ( 文五七頁、全四三頁 ) なら かん ていさい へき なか 242

6. 「文明論之概略」を読む 上

ころか、議論すればするほど、たがいの立場は遠く隔たってしまう。 ここで、古風家と新説家のたとえにつづいて、また酒のたとえが出てきます。福沢は大の酒 好きですから、自然に比喩にもそれがあらわれるのでしよう。 爰に酒客と下戸と二人ありて、酒客は餅を嫌ひ、下戸は酒を嫌ひ、等しく其の害を述べて其の用 を止めんと云ふことあらん。然るに、下戸は酒客の説を排して云く、「餅を有害のものと云はヾ、 我が国数百年来の習例を廃して、正月の元旦に茶漬を喰ひ、餅屋の家業を止めて国中に餅米を作 ることを禁ず可きや、行はる可からざるなり」と。酒客は又、下戸を駁して云く、「酒を有害のも のとせば、明日より天下の酒屋を毀ち、酩酊する者は厳刑に処し、薬品の酒精 ( アルコール ) には 甘酒を代用と為し、婚礼の儀式には ( 再会を期待できないときにおこなわれるような の みすさかすき る水盃を為す可きや、行はる可からざるなり」と。期の如く異説の両極相接するときは、其の いきおい 論勢必ず相衝きて相近づく可からず、遂に人間の不和を生じて世の大害を為すことあり。天下古 め今に其の例少なからず。 の ( 文一八ー一九頁、全一二頁 ) 何 講 例が卓抜で面白いでしよう。今の日本でも、元号の一世一元制を廃止すれば、日本の古きょ 第 き伝統が全て失われるとか、軍拡反対といえば、敵が上陸してきて恋人や女房を強姦しても指 かく ーー丸山 )

7. 「文明論之概略」を読む 上

を察すると云ふに異ならず」 つまり価値判断には時と場所とをよく考えよ、ということですから、右にのべた冒頭の命題 の一つの変奏であり、これまた、それだけ見れば実に陳腐で当り前のことを言っているようで す。江戸時代の儒者がいくらも似たような命題を言っていますし、政策には時節と場所という というのは、歴代の政府が外交論議などの 具体的状况をよく考えなさい、空想論はいけない、 場合に何かというと持ち出す説教です。けれども、何だ、例の「現実的有効性」の議論だな、 と即断するまえに、右の段につづく以下の文章に目をとめて下さい いわゆる 「所謂時来れりと称するものは、多くは真の時機に後れたる時なり。食事の時は飯を喰ふ時 なり、飯を炊くの時は其れ以前になかる可からず。飯を炊かずして空腹を覚へ、乃ち時来れり と云ふと雖ども、其の時は炊きたる飯を喰ふ可きの時にて、飯を炊く可き時には非ず。又、眠 むさぼ を貪りて午前に起き、其の起きたる時を朝と思ふと雖ども、真の朝は日の出の時に在りて、其 学の時は睡眠の中に既に過ぎたるが如し。故に場所は撰ばざる可からず。時節は機に後る可から ざるなり」 ( 傍点丸山。以下同様 ) 。 ら 福沢のいう時節の選択が、時節に追随し、周囲の状況に順応するだけの「天下の大勢」主義 古 とはおよそ逆の、困難な課題を提起していることは、くだくだしく説明するまでもないでしょ 序 う。 ( 後の講で再説します ) 要するに、早合点を抑制して、あくまで全体の文脈のなかで命題の意 すなわ おく

8. 「文明論之概略」を読む 上

或は事実に妨げなくば、之れを改めざるも可なり。 ( 中略 ) 随て之れを試み、随て之れを改め、千 百の試験を経て、其の際に多少の進歩を為す可きものなれば、人の思想は一方に偏す可からず。 ( 文六四頁、全四八ー四九頁 ) 以下がこの章全体の結論になります。文明が土台であって、政治は文明の関数にすぎないの だ、ということです。政治は人間活動の中の一カ条にすぎないとは、福沢の根本の議論です。 儒教主義を彼が最も攻撃するのは、最後は必らず政治ーーーっまり治国平天下に行きついてしま うからです。全てが結局、自分が政治権力を得るか、あるいは仁君にしし 政治をしてもらうか どちらかに問題が集中してしまう。そういう政治主義ともいうべき惑溺と彼は生涯闘おうとし だから、右の本文の最後に出てくる「人の思想は一方に偏す可からず」は、前にも申しまし たように、決して左右の両極を排すという意味ではない。単一の説を絶対化してはいけな、、 楯の裏側を同時に見なくてはいけな、、 という戒めとの関連で言うわけです。この文にすぐっ しやくしやくぜん づいて「綽々然として余裕あらんことを要するなり」というのがそれです。精神的に余裕が あるとは、ウェ ー的に言えば、距離をもって見るということです。対象から距離をもっ . て、 余裕をもって見ることによって、対象のカゲの面も見えてくる。そうでないと、対象にぞっこ んいかれてしまうか、あるいは、全然ソッポを向いてしまうか、どちらかに、つまり、どちら 270

9. 「文明論之概略」を読む 上

味をつかもうという用意が、古典を読む場合には、ことさら大事なのです。 「全体の文脈」などといえば、全体を読まないでは一章節の意味も分らないことになるでは ないか、と反論される方があるかもしれません。実は、まさにそのとおりなのです。『文明論之 概略』の冒頭に「議論の本位を定る事」を力説した深い意味は、この章だけを読んでも容易に つかめません。むしろ第十章つまり結尾の「自国の独立を論ず」を読んでから、あらためて第 一章に戻ると、その議論の趣旨がヨリ鮮明に浮び上ってきます。文章自体が意識的に対応させ られています。 「本書開巻の初に、事物の利害得失は其のためにする所を定めざれば談ず可からずと云ひ も、蓋し是れ等の議論に施して参考す可し」 「故に又前説に返りて云はん。国の独立は目的なり、今の我が文明は此の目的に達するの術 なり。此の今の字は、特に意ありて用ひたるものなれば、学者、等閑に看過する勿れ。本書第 三章には、文明は至大至洪にして人間万事皆これを目的とせざるなしとて、人類の当に達す可 き文明の本旨を目的と為して論を立てたることなれども、爰には余輩の地位を現今の日本に限 りて、 ( 中略 ) 唯自国の独立を得せしむるものを目して、仮に文明の名を下したるのみ。 ( 中略 ) 蓋し斯の如く議論を限るときは、国の独立は即ち文明なり。文明に非ざれば独立は保つ可から ず」 ( 第十章 ) けだ まさ

10. 「文明論之概略」を読む 上

然り而して、人の安楽には限りある可からず、人心の品位にも亦、極度ある可からず。其の安楽 まさ と云ひ高尚と云ふものは、正に其の進歩する時の有様を指して名づけたるものなれば、文明とは 人の安楽と品位との進歩を云ふなり。又この人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なる が故に、文明とは結局、人の智徳の進歩と云ふて可なり。 ( 文五四ー五五頁、全四一頁 ) で福沢は、ギゾ この最後の一句ーーー「文明とは結局、人の智徳の進歩と云ふて可なり」 ーとバックルとをやや強引に結びつけているのです。智徳の進歩、とくに智の進歩という要素 を強く打ち出してくるのはバックルです。このバックルの「智」に、儒教の道徳中心の人生観 に対立する福沢の主知主義が共鳴盤を提供するわけです。それで、このあとずっと、第七章ま 制でギゾ 1 よりもむしろバックルに依拠することになります。 。ヾックルよりやや早い。十九世紀 治ギゾーは十八世紀の啓蒙主義の真只中に生長した人です まで生きていますが、精神としては十八世紀の人であり、そこにおけるユマニテは産業革命以 明 文 ヾックルは完全に産業革命のイン。ハクトを受けている。産業革命によ 前のものです。他方・ 6 る生活環境の激変、機械および技術の進歩による社会の急激な変化が、バックルの史観を大き 第 く支配しています。 ( 『資本論』も同様です。 ) 逆に言うと、その契機はギゾーにはなく、あくま 229