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検索対象: 「文明論之概略」を読む 上
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1. 「文明論之概略」を読む 上

第 5 講国体・政統・血統 本位の儒教の考え方がそれで、福沢が力をこめて批判するにもかかわらず、そういう「お上」 の政治に世の中のことをすべて期待する風潮は非常につよく、儒教がかっての力を失った後も 衰えていないのです。 ただ福沢の考え方は、反政治主義ではありません。文学、芸術、商売などと並んで、政治は 人間精神の中に一つの重要な場所を占める活動ですから、政治的関心は非常に大事なのです。 反政治主義は、政治を人間活動の不可欠の一部として積極的に位置づけ、同時に限界づけるこ とを知りませんから、一朝、事あるときには、政治活動が全面に氾濫し、しかも自分は反政治 のつもりですから、非常な自己偽瞞におちいります。福沢はその意味では、反政治主義という より、反政治万能主義というべきでしよう。 213

2. 「文明論之概略」を読む 上

のよ、つにむかし かに大きくギゾーから暗示を得ているかがお分りになるでしよう。ヨーロ、 からさまざまな政体の変革を経験してこないと、こういう「問い」は起ってきません。幕藩体 制が崩壊して新政府ができたことは日本歴史上の大変革なのですが、それを考える際にも、福 沢はヨ 1 ロ " ハの学問から政体の変革ということを学んだわけです。彼だけでなく、当時の指 導的な知識人はみんなそうです。中国からきた観念ですと、政治形態では郡県と封建と二つし かない。郡県というのは秦以後の政治形態です。周の「理想的な」封建制度が崩れて戦国時代 になったのを秦の始皇帝が統一して郡県制を布いた。だから中国の伝統的な政治形態の議論は ツ。ハでは古典 郡県か封建かということです。いずれも君主を戴いた形態です。ところがヨーロ ローマ時代までに、共和政とか、貴族政とかいろいろな政治形態をすでに経験し、これが政治 形態の区別の引照基準になりました。日本はこういうョ 1 ロツ。ハ的な政治形態の区別を、幕末 になって福沢の『西洋事情』や加藤弘之の『立憲政体略』などによって知るわけです。 ただ、いろいろな政治形態の区別は知られていないけれども、権力は純粋暴力の上に築くこ とはできないという観念は伝統的に存在していた。儒教的な徳治主義もそうです。たとえば、 家康が「馬上をもて天下を得給ひしかども、 ( 中略 ) 馬上をもて治むべからざるの道理」を早く から会得して聖賢の道を尊信した、と『徳川実記』に出てきます。暴力で天下はとれても暴力 だけで統治はできないということです。「剣をもって立つ者は剣によって減ぶ」という句が、イ 180

3. 「文明論之概略」を読む 上

義もキリスト教も回教もそうです。そこで何がそのドグマの正統な解釈であるかということが オーソドキシーの問題です。ただ、キリスト教の場合でいえば、正統と異端という問題は、キ リスト教の教義をめぐって、いずれが本当のキリスト教であるかの争いですから、必ずしも政 治とは関係はありません。オーソドキシ 1 の立場から、それと背反した教えを「異端」とする。 これがヘテロドキシーあるいはヘレジーです。本当の教えに対して、その「外」 ( へテロ ) にあ る教えです。 もちろん、キリスト教の場合でも、教会と政治権力とがからみ合ってきますから、結局は政 治思想の問題にもなってくるのですが、儒学とちがうところは、儒学のドクトリンは、内容そ のものが治国平天下という政治思想だということです。ですから何が本当の古代聖人の教えで あるか、何が唐虞三代の道であるか、ということは、何が政治の本筋であるかという問題と内 面的な連関があることになります。儒学の言葉でいえば、聖人の道が失なわれれば天下が乱れ るのです。だから必ずしも政治を中心課題としないキリスト教史において、たとえばプロテス タントとカトリックとがどちらがオーソドックスであるかとい、つ問題とはど、つしてもちがって きます。もちろんキリスト教でも結局は政治と関係してきますが、本来的には、人間の究極的 な救済の問題です。「わが王国はこの世のものにあらず」とイエスがいうのはそれを示してい ます。ところが儒学の治国平天下は、本来政治哲学の問題なのです。そうすると、そこでは、 176

4. 「文明論之概略」を読む 上

ることです。政治的こま、ゝ 。 ( し力に王朝が変っても、その底にある「社会の構造」ーー福沢の言う 「交際の仕組」は変らない。それが変らないかぎり、至尊と至強の合一という支配の。ハターン も変らないから、自由が芽をふく余地がないというわけです。 この場合、孔孟の教えは聖人の教え、つまり徳治です。徳治とは道徳による支配だから、政 治と道徳との分離がありえません。聖人というのは単なる徳のある人という意味ではなくて、 政治的支配者です。天下の政治は支配者が同時に道徳的に完璧な人である場合に最もよい政治 ができ、最もよい社会になるというのが、簡単に言えば、孔孟の教えの基本になっている。こ れが聖人による統治です。一見非常に結構なようだけれど、自由はそこには原理的にない、 ハの進歩をもって 生れが中国の停滞のもとなのだと、すぐ後で言います。この反対側にヨーロ、 間きて、日本はちょうどその中間にある。こういう、 位置づけが出てきます。 の 論 争 事 朗読文三四頁一四行ー三六頁一三行全二五頁二行ー二六頁一二行 多 由 ・目 精神的権威と政治的権力 講 第 我が日本にても、古は神政府の旨を以て一世を支配し、人民の心単一にして、至尊の位は至強の いにしえ 149

5. 「文明論之概略」を読む 上

或は事実に妨げなくば、之れを改めざるも可なり。 ( 中略 ) 随て之れを試み、随て之れを改め、千 百の試験を経て、其の際に多少の進歩を為す可きものなれば、人の思想は一方に偏す可からず。 ( 文六四頁、全四八ー四九頁 ) 以下がこの章全体の結論になります。文明が土台であって、政治は文明の関数にすぎないの だ、ということです。政治は人間活動の中の一カ条にすぎないとは、福沢の根本の議論です。 儒教主義を彼が最も攻撃するのは、最後は必らず政治ーーーっまり治国平天下に行きついてしま うからです。全てが結局、自分が政治権力を得るか、あるいは仁君にしし 政治をしてもらうか どちらかに問題が集中してしまう。そういう政治主義ともいうべき惑溺と彼は生涯闘おうとし だから、右の本文の最後に出てくる「人の思想は一方に偏す可からず」は、前にも申しまし たように、決して左右の両極を排すという意味ではない。単一の説を絶対化してはいけな、、 楯の裏側を同時に見なくてはいけな、、 という戒めとの関連で言うわけです。この文にすぐっ しやくしやくぜん づいて「綽々然として余裕あらんことを要するなり」というのがそれです。精神的に余裕が あるとは、ウェ ー的に言えば、距離をもって見るということです。対象から距離をもっ . て、 余裕をもって見ることによって、対象のカゲの面も見えてくる。そうでないと、対象にぞっこ んいかれてしまうか、あるいは、全然ソッポを向いてしまうか、どちらかに、つまり、どちら 270

6. 「文明論之概略」を読む 上

はないから権力の根拠づけになりえます。だから「正当」という字を用いると、倫理上の正当 性とまぎらわしくなるので、政治学ではふつう政治的正「統」性と書きます。福沢の作ったこ の訳語を使えば、ポリティカル・レジティマシーは「政統」と一語で表現され、倫理的正当性 との区別が明らかです。 この語が廃語になったのを残念に思う理由はもう一つあります。私が、何十年も前からテー マにしていることの一つは、中国史における「正統論」とオーソドキシーという意味の正統と いったいどういう関係にあるかということです。ふつう今日、正統というとオーソドキシーの 訳語として用いられます。政治的正統性、政治上のいろんな制度なり政治構造なりが自分を単 ツ。ハでいえば、 純な暴力以外の基礎に基礎づける仕方、つまり福沢のいう「政統」はヨーロ orthodoxy ではなくて、 legitimacy( 英 ) 、 Legitimität( 独 ) 、一ég 三 m 一 té ( 仏 ) の方に当ります。 他方、中国の宋の時代に欧陽脩・司馬光・朱熹などによって盛んに論じられた「正統論」と い」、つ、つ 関係になるか。直接の問題としては、中国の正統論はレジティマシーの方に当るわ けです。というのは、それは歴史的問題として呉・蜀・魏の三国のうちどれが漢の王室の「正 さんだっ 統な」継承者であるかという問題だからです。この正統に対立する歴史的な言葉は「簒奪」一 なります。 usurpation です。本筋の継承者でないのに権力を奪いとるのが簒奪です。この王 朝の正統論をめぐって、さきほどのような宋学者が盛んに論陣を張った。ですから中国ではた 174

7. 「文明論之概略」を読む 上

たがってそこから卓抜な応用能力が生まれます。 キソーは、霊界の 近代ヨーロツ。ハ文明の多様性とその諸要素の闘争状態の由来については、・・ 権力と現世の権力、神政政治、君主政治、貴族政治、共和政治などの共存と対立抗争、あるい は自由、富、権勢など諸価値の対立抗争など、いろいろ挙げています。しかし、当面この。ハラ グラフに関連していえば、教会に代表される霊的な権力と国家の俗的な権力という二元的対立 が大事です。福沢はこれを古代王朝にたいする中世武家政治の台頭に読みかえたのです。 、ギソーよ、、 します。「遂に教会は、社会にとって重大な意味をもっ企てを開始しました 私がいうのは、俗権と霊権との分離ということです。この分離こそ良心の自由のただ一つの本 ッ 0 、、、、 ノカこれがためにあれほど長いあい : 良心の自由の原理は、ヨーロ 生当の源泉であります。 邯だにわたって闘い、そのためあれほど苦しんだものであり、また、それが一般に支配すること 論あのように遅く、その勝利は多くの場合に聖職者の意に反したものでありましたが、どんなに 事逆説的にみえようとも、この良心の自由の原理が、まさに俗権と霊権との分離という名におい てョロツ。ハの幼年期に作用したのです」 ( 第二講 ) と。 由 ・目 ここで大事なことは、俗界の権力と霊界の権力とが分離したことにより、形而下の権力は、 講 という根本原理が形成され 聖なるもの、あるいは信仰や真理に対して権力も勢力ももたない、 第 たことです。それは、そもそも教会が、国家に対して独立していなかったならばできなかった。 151

8. 「文明論之概略」を読む 上

いう生生しい実例から出てくるのです。 ギゾーにおける政治的正統 この段から、国体とよく混合される、国体に似た観念の検討に入るわけですが、まず、政治 的正統性の問題です。この議論は、ギゾーが『文明史』の第三講で、「あらゆる制度において正 統性が見出される」「では、政治上の正統性とは如何なるものか」を論じていますが、そこから 正統性という言葉と観念を採ったと思います。それで、ここでもギゾーが言っていることを一 応紹介しておきますと、福沢の言わんとするところがいっそうはっきりするかもしれません。 ギゾーは次のように言っています。「ヨーロッハ文明のこれらさまざまの要素、即ち神政的、 君主政的、貴族政的、民主的要素が、我こそヨーロツ。ハ社会を最初に占有した者だということ 血を証明しようと互いに努力するときに、その狙いとするところは何でありましようか。それは 統自分のみが正統性を要求できるという主張を確立したい欲求以外の何ものでありましようか。 フランス語原文は la légitimité politique) はあきら 体政治上の正統性 (political legitimacy 国 かに、由緒の古さと永続性とに基づく権利でありまして、そのことは、時間的に先んじている 5 ということが権利の源泉として、権力の正統性の証拠として援用されるという単純な事実から 第 明白であります」 169

9. 「文明論之概略」を読む 上

ことを「偶然の事情に由て」と表現しているわけです。なお、右の「平気」というのは、現在 の用法とちがい、「冷静に心を保って」という意味です。「天理」という朱子学の用語を逆手に とっているところに注意して下さい。君臣の義とは、この偶然の事情によって生じた関係、約 束事である。君臣関係の約束事は、歴史的社会的諸条件によってできたものだ。もしそれが後 天的にできたものとするなら、君臣の義なるもの、つまり君臣の間の情宜とか、君の仁とか臣 の君への忠とか、そのような君臣関係における道徳は、その便・不便を論じないわけにはい、 ない。先の「都て世の政府は唯便利のために設けたるものなり」に対応して、ここで君主制の 変革の可能性を説くわけです。これだけとれば驚くべきラジカルな議論です。君主政体絶対の とし、つ 時代に、君主政体もまた便なるか不便なるかを問うて、不便ならそれを変革してもいし 結論をひき出しているわけです。 制 体 政事物に就て便不便の議論を許すは、即ちこれに修治改革を加ふ可きの証なり。修治を加 ~ て変革 明す可きものは天理に非ず。故に、子は父たる可からず、婦は夫たる可からず、父子夫婦の間は変 文 革し難しと雖ども、君は変じて臣たる可し。湯武の放伐、即ち是れなり。或は君臣席を同じふし 講 て肩を比す可し。我が国の廃藩置県、即ち是れなり。是れに由て之れを観れば、立君の政治も改 第 む可からざるに非ず。唯之れを改むると否とに就ての要訣は、其の文明に便利なると不便利なる すべ ただ 251

10. 「文明論之概略」を読む 上

第 6 講文明と政治体制 前章の続きに従 ~ ば、今こゝに西洋文明の由来を論ず可き場所なれども、これを論ずる前に、先 づ文明の何物たるを知らざる可からず。 ( 文五〇頁、全三八頁 ) 西洋文明の由来については、のちの第八章で述べるわけです。ここでは前章の続きとして、 そもそも文明とは何であるかを問題にし、文明と政治との関係をよく認識しないとどういう盲 ションにつ 点が出てくるか、ということを論じて、それから政治的惑溺の具体的なヴァリエー いて述べていく、という順序になります。 朗読文五〇頁一二行ー五二頁一二行全三八頁一行ー三九頁一一行 複合概念としての文明 第 , ハ講文明と政治体制 第三章「文明の本旨を論ず」 215