歴史 - みる会図書館


検索対象: 「文明論之概略」を読む 上
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1. 「文明論之概略」を読む 上

流をなしましたので、私は、文明史的思想史ないし文明論的思想史から、近代日本における思 想史的叙述がはじまっている、というのです。必ずしも、この『概略』だけではないのです。 二、三例を挙げますと、まず田口卯吉の『日本開化小史』があります。「文明」というのは c 一 v 一・ lization の訳ですし、「開化」は enlightenment あるいは Aufklärung です。だから「文明」と いったり「開化」といったりするのですが、『日本開化小史』はやはりそういう観念でもって日 本の昔からの歴史をふりかえって見た最初の本です。これもお手本がなくてよくここまで書い ヾックルも日本については全然ふれて たと思われる傑作です。当り前のことですが、ギゾーもノ ¯TT ーーノ これが明治十年にはじまって十五年に完結しますが、同じころ、 いないのですから : 藤太という人の『日本文明史』が明治十一年に出ています。それから明治十三年に渡辺修次郎 のの『明治開化史』。十七年に、改進党のイデオローグである藤田茂吉の『文明東漸史』。これも る たいへんな名著で、日本近代史のなかでは古典の名に値します。ヨーロツ。ハ文明が日本にやっ 論 てきたということで「東漸」の歴史になるのですが、蘭学の高野長英・渡辺華山あたりから説 め きはじめ、広い意味において文化接触として思想史というものを理解しています。そのほか、 の 何 物集高見『日本文明史略』 ( 明治十八年 ) など、いちいち挙げませんが、文明史と名のる書物はこ 講 の頃少なからず出ています。だいたいギゾ 1 やバックルを読んで、そういう目で日本文明を振 第 り返ったらどうなるか、ということで書かれたものです。

2. 「文明論之概略」を読む 上

て歴史が有意味に進行する。この摂理史観を世俗化すると、進歩史観になる、というわけです。 さて、進歩史観を構成する第二の契機が、歴史的発展の観念です。発展というのは、 Devel- opment といっても、ドイツの Entw 一 ck 一 ung で申しましても、固くつつまれていたものが開 かれる、ほどけてひろが 0 てゆく、という意味ですね。そういう歴史の「発展」の観念は、ヘ ーゲル、マルクス、歴史学派など、つまり十九世紀の広い意味での発展段階説がこれに入りま す。これは、ちょっとみると啓蒙の進歩観と同じようですが、ちがっている。というのは、一 定の歴史の段階の中に内在しているある契機が発展して次の段階が生まれるという考え方がそ こにあるのです。内在的歴史観というべきものですね。たとえば、マルクス主義的発展史観で 、は、封建社会の中に資本主義をはぐくんでゆく因子があ 0 て、それがしだいに伸びて、封建制 はを内側から崩していって、結局資本主義社会になる。その資本主義社会のなかに社会主義社会 歩を生む因子がしだいに歴史的に成熟していく、と見ます。だから、完成状態の方から逆算して の歴史を区切っていくのと、ちょっと考え方がちがうわけです。 文 第三の契機となるのが「進化」です。さきほども触れましたが、ダーヴィンの「種の起源」 洋 西 の説が、ダ 1 ヴィニズムとして一般化し、俗流化して社会的ダーヴィニズムにまで拡張されて 3 きます - 。 第 この三つが交りあうわけ 十九世紀の終りになると、歴史の進歩観といわれるもののなかに、

3. 「文明論之概略」を読む 上

ある思考の底流に乗って水勢を増し、滔々として私たちを押し流します。そこで古典の古典た る所以をきわ立たせるためには、現代流行していない古典、もしくは不評判なテーマに関わる 古典を例にとるのがかえって適切だ、というのが私の考えです。 いうまでもなく、『文明論之概略』の学問的研究のためには、維新直後の時代的背景とか、福 沢が依拠した・ バックルや・ギゾーとの関連とか、さらに福沢の全生産とその思想の歴史 的変遷とかいう問題のなかで、この書物を位置づけることが必要です。けれどもここでは、あ くまで古典から学ぶための一つのサンプルとしてこの書物をとりあげるわけで、したがってそ 、つ . 、つ - 歴史的背景のせんさくを一まずヌキにして、読者とともにじかに原典にぶつかって行く ことにします。 古典にたいするこうした「直接の」対面という仕方には、しばしば歴史学者の側からの強い 抵抗があります。およそ時代の歴史的諸条件の十分な理解なしにどうして福沢の書物と思想と を語れるのか、という疑問が、歴史家のほとんど間髪をいれない反応です。商売柄もっともで あり、また古典の歴史的理解のためにはもちろんのこと、古典の内容の解釈のためにもそうし た知識があるに越したことはないでしよう。 けれどもサンプルを変えて、たとえば『論語』とか、プラトンの『国家』といった思想的古 典をとってみると、歴史的諸条件とか社会的基盤とか言っても、それほどはっきりしたもので

4. 「文明論之概略」を読む 上

ないことが分ります。春秋戦国時代の中国とか、紀元前四世紀ごろのギリシャの都市国家につ いて、現存の史料でどこまで経済的基盤とか支配関係の実態が解明されるでしようか。孔子や プラトンの生涯さえ不明なことが多いのです。にもかかわらず、『論語』にしろ、プラトンの対 話篇にしろ、格別立入った歴史的基盤を問うことなしに何千年も読まれ、語りつがれ、そうい う仕方で影響を与えてきたのは厳然たる事実です。アテネの民主政は奴隷制のうえに立ってお 現代民主政とはまったく「歴史的条件」がちがうにもかかわらず、プラトンやアリストテ レスは、ヨ 1 ロ、 ハでもアメリカでも、デモクラシーを論ずる場合に相変らず引照基準になっ ています。第一、「古典的」思想家自体が、彼らと時代を隔て、産地も異った古典と取り組むこ とで自分の考えを練り上げてきました。・・ルソーは彼より一世紀前のイギリスの歴史 的社会的条件などということをヌキにして・ホップスと直接に対話し、ルネッサンス・イ タリ 1 の政治的状況について特別に史料のせんさくをしないでマキアヴェリの命題から学んだ 学にちがいありません。どうして同じような、敢えていえば超歴史的な ( 正確にいえば長歴史的 な ) 学び方が福沢についてできないのでしようか。 私の先生で、数年前に故人とな「た南原繁という学者がいます。南原先生と話をしていて談 古 たまたま『論語』に及ぶと、先生は「あの人はね」云々というのです。「あの人」というのはむ 序 ろん孔子のことです。けれども「あの人はね」といわれると、何か孔子が同じ町内に住んでい

5. 「文明論之概略」を読む 上

序論で、この書物を歴史的状況の中におくよりはむしろ、この古典とわれわれがじかに直接 対話するつもりで読んで行きたいと申上げましたが、それでもやはり、ある程度は歴史的背景 のなかで考えてみないと分りにくいところも出てくるかと思います。 そこで、福沢が、なぜ「議論の本位を定る事」というのを冒頭においたか、これはたた伊達 ま、このことを、歴史的 前置きをしたのではないということは、前にも申しましたが、い な状況、つまり幕藩体制の崩壊という歴史的文脈の関連でみてみたいと思います。 ずっと二世紀半もの長い間つづいてきて、当然と思われてきた体制、それが目の前に瞬時に 轟然としてくずれ落ち、幕府と藩の社会体制が瓦解したあとの状況をまず想像してみることが 必要です。ただ、政治的権力の変革というだけのことではないのです。同時にそこに、ペ の来航以来の怒濤のような西洋文明の侵入が伴います。しかも「西洋」というのはキリスト教か る ずら大砲・鉄道・電信にいたるまで、何もかも一緒になった容姿で入「てくるわけです。ガラガ ラと古い建物が崩れた瓦礫の上に、横から怒濤のように西洋文明が入ってくる。公権的に信じ め られていた価値体系は急速に崩壊したのだけれど、人間のものの考え方は、そう一朝一タに変 の 何 るものではないでしよう。そこで、非常に大きな人心の動乱が起きる。それもイデオロギーの 講 対立とかいった狭い意味だけではとらえられない。昨日まで通貨のように通用していたフレー 第 ム・オヴ・マインドというか、ものを考える概念の枠組や尺度そのものが根本から揺さぶられ さだむ

6. 「文明論之概略」を読む 上

リフォーム 再形成する努力と結びつくのですが、「典範」が身に着いていないところでは、反形式主義はい ップ礼讃としてあらわれる、というちがいはあります。同 とも手軽な衣がえ、もしくはストリ ノが比較的に定着する基盤があ じ日本の歴史のなかでも、さきほど申した「経典」というコトヾ った江戸時代において、国学運動という思想的にも学問的にももっとも実り豊かな「形式への 反逆」が生れたのはゆえなしとしません。しかし、それがまさに「からごころを清く去る」と 、外来精神の排除と不可分に結びついていたのは御承知のとおりです。 以上は、古典離れの二契機のうちの「典」離れの文化史的背景ですが、「古」離れーーっまり 最新流行主義ーーもまた長い由来があります。それは右にのべた日本の歴史過程と、一見矛盾 しているようで、実は表裏一体の関係にあるのです。つまり、古代以来、日本が「先進国」 しうまでもなく、明治以前は中国、それ以後は欧米諸国ーー・・に追いっき追いこすために、時代 の先端を行く文化や制度を吸収してきた歴史的習性に根ざしていて、「今時の若い者」どころ ぶ 学か、戦後に限「た現象ではありません。さきほどの「典範」としての中国文化や欧米文化も、 すくなくも摂取した当時の意識からいえば、伝統文化としてでなく、最新モデルとして輸入さ ら れたわけです。私は数年前に、日本の歴史意識の。 ( ターンの一つとして、不断に移ろい行く 古 「いま」がその都度、視野の拠点となる「現在中心」志向を挙げたことがありますが、思想か 序 らステレオ装置にいたるまでの新製品好みもまた、戦後の状況におけるそうした。ハターンの変

7. 「文明論之概略」を読む 上

た残虐非道は忘れられてしまうということを、ここでは述べています。フランス革命の例だけ ではないでしようが、こうした文明の進歩の逆説の一つとして、福沢の念頭に、ジャコバン独 裁、テロルの支配があったことは確かだと思われます。 朗読文五二頁一三行ー五五頁二行全三九頁一二行ー四一頁一〇行 四つの社会状態 これにつづいて、「今、仮に数段の問題を設けて文明の在る所を詳にせん」として、以下四 段に分けて述べているところは、これほどやや丸写しに近い個所は珍らしいくらいに、ギゾー の文明史に拠っています。前にも申しましたが、ここは文明の歴史的な発展段階を述べている のではありません。非歴史的にさまざまのケースを併列して、こういう社会は文明といえるか、 言えないだろうと、一つ一つ「消去」していって、最後に文明を定義するという、いわば消去 法のやり方なのです。 ギゾーのヨーロツ。ハ文明史の第一講には、四つの仮定が、福沢の四つのケースとほとんど同 じままで出てきます。「仮説」 (hypothöses) という表現をわざわざ用いていることでも、これら の類型が、歴史的発展を示しているのではないことがよく分ります。 つまびらか 220

8. 「文明論之概略」を読む 上

が並立したことに中国の歴史との決定的なちがいがあったとして、自由の発展可能性をそこに みる見方もそれと関連しています。 朗読文二四頁一行ー二五頁一六行全一六頁七行ー一七頁一六行 野蛮と半開 よわい さて、本文に即して申しますと、第二章では、「文明の齢」として、野蛮、半開、文明のそれ ぞれについて説明を加えております。これも一種の発展段階説ですが、そういったものが出て くるのはここだけではありません。同じ章の少しあとに、草昧の時代、尚武の風俗、多事の世 界といった形で出てきますし、また、第三章の初めの方にも、「今仮に数段の問題を設けて、文 明の在る所を詳にせん」として、四段に分けて説明するところが出てきます。ただし、第三章 の場合は、歴史の段階ではなくて、一種の類型論です。文明との対比で、文明とはいえないケ ースをいわば非歴史的に列挙しているのです。 さて、野蛮、半開、文明という、この分け方は、ヨーロツ。ハ十八世紀に一般的な文明史の公 式みたいなもので、とくに特色はないのですが、その中味の説明となるとたいへん福沢的です。 そういう説明を、福沢が何かを下敷にしたという形跡は明らかではありません。それだけに、 102

9. 「文明論之概略」を読む 上

観です。日本だけでなく、啓蒙時代には洋の東西を問わずそうです。いわゆる「進歩の思想」 (idéedeprogres) です。十八世紀から十九世紀にかけてのヨーロツ。ハ文明史というのは、進歩 史観と不可分なのです。日本では自由民権思想以降ずっと、マルクス主義に至るまで、広い意 味で、進歩の思想といえます。文明の進歩という観念は、プラス・シンルになったり、マイ ナス・シンポルになったりしますね。現在はどうもマイナス・シン、ボルの方が論壇では盛んな ようですけれど、ともかく、維新直後の思想状況を理解するためには、いや大きく言えば現代 をも含めて近代日本全体を理解するためにも、非常に重要ですし、この点でも議論の混乱があ ると思いますので、歴史の進歩観というものについて、ここでちょっと補足しておきたいと思 います。 何 くつかの思想の流れが、歴史 とい、つのは、ヨーロ ツ。ハを見ますと、必ずしも同じではないい 歩の進歩という考えのなかに合流して、進歩観というものが形成された。この観念の歴史的発展 のについては、数多くの研究がありますが、たとえば簡単な概説として、ビアリ (). B. Bury) の 文 Theideaofprog 「 e0S)ト03きド】 920 があります。この本に対していろいろ批判はありますが、 西 細かい点を気にしなければ、進歩の思想の発展と構成要素が手際よく語られています。 講 一つの流れは、十八世紀啓蒙の進歩観です。「理性の時代」という別名をもっ十八世紀に形成 第 された進歩観で、これが狭い意味での「進歩の思想」です。これを代表する最も有名な古典が、

10. 「文明論之概略」を読む 上

です。生物学的Ⅱ有機体的な進化の理論、啓蒙思想のなかにあった完成思想と結びついた進歩 の思想、それから、ヘルダ 1 、ヘーゲルの歴史哲学からマルクスに受けつがれ、さらにのちの ドイツ歴史学派に受けつがれていくような発展の思想。起源も考え方も必ずしも一致しないこ の三つの思想が、合流して、歴史的進歩観といわれるものを形成してくるわけです。 日本の場合でいいますと、これらのうち、「発展」という考え方は、入ってくるのがいちばん きびす 遅れます。まず啓蒙の進歩の思想、それから踵を接するように、スペンサ 1 やドイツのヘッケ ルなどに代表される進化の理論が移入され、その二つが合流して自由民権期の日本の進歩思想 になります。十八世紀の啓蒙思想と十九世紀のダーヴィニズムとは相容れないところがあるの ですが、日本にはほとんど一緒になって入ってきて、まじりあって進歩思想を構成する。 スペンサーは、一方では進歩思想として自由民権論の武器になりますが、ところが、やがて ソーシアル・ダ 1 ヴィニズムのなかにある適者生存の論理が、現実権力の正当化や帝国主義の イデオロギーとして用いられます。人種闘争のなかで優越した人種が勝ち残っていくというこ とで、強者の権利あるいは帝国主義の合理化の武器になるのです。日本の訳語では "survival of the fittest" が「優勝劣敗適者生存」であり、これは明治十年代のはじめに加藤弘之が言い 出したのです。加藤弘之は『国体新論』 ( 明治八年刊 ) のころのラジカルな民権論から急激に転 向し、スペンサーやヘッケルを使って、優勝劣敗適者生存の論理で、自然法的な天賦人権論の 100