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検索対象: 「文明論之概略」を読む 上
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1. 「文明論之概略」を読む 上

第 5 講国体・政統・血統 本位の儒教の考え方がそれで、福沢が力をこめて批判するにもかかわらず、そういう「お上」 の政治に世の中のことをすべて期待する風潮は非常につよく、儒教がかっての力を失った後も 衰えていないのです。 ただ福沢の考え方は、反政治主義ではありません。文学、芸術、商売などと並んで、政治は 人間精神の中に一つの重要な場所を占める活動ですから、政治的関心は非常に大事なのです。 反政治主義は、政治を人間活動の不可欠の一部として積極的に位置づけ、同時に限界づけるこ とを知りませんから、一朝、事あるときには、政治活動が全面に氾濫し、しかも自分は反政治 のつもりですから、非常な自己偽瞞におちいります。福沢はその意味では、反政治主義という より、反政治万能主義というべきでしよう。 213

2. 「文明論之概略」を読む 上

ぞれの人間に宿「たものが「本然の性」です。君臣の倫が人の天性に根ざしているとすれば、 これはアプリオリなものですから、もう動かしようもない、絶対的に信奉しなくてはならない 天理ということになります。ですから君臣関係が、世の便利になるかどうかを基準にして、も いいのだということを一『〕うためには、まずその前提として、それがアプリオ し不便なら変えて リなものではなくて、後天的なものなのだということをどうしても証明しなくてはならない。 君主関係が先天的なものだという、江戸時代を通じて根強く支配していた考え方を、どうして も真先に打破していかなければならないのです。 実際に、五倫五常というものを哲学的に基礎づけたのが朱子学ですが、さかのばると、非常 に古い原始儒教からある考えです。したがって、「孔子もこの惑溺を脱することができなかっ ゞ、、。結局、周の天子を助けて政を行なう た」というわけです。孔子の行なったことを見る力もも 制か、あるいは周の王朝が衰えると、自分を用いてくれる君主ならばだれにでも仕えるかどちら し」い、つのは、 治かで、いずれにしろ君主に仕えて己れの政治的理想を実現する以外に方法がない 君主制というものは絶対的、先天的なものであって、それ以外の政治形態は考えられない。た 明 文 から、君主に頼るほかなくなる。その結果、「実」よりも君臣という「名」にとらわれることに マルクスか 5 いなる。福沢はそこで、「名」をはがして「王様は裸だ」というイデオロギー暴露 第 ブルジョア社会にたいして行なった批判様式ですねーーそれと同じ試みを行なうのです。同時

3. 「文明論之概略」を読む 上

朗読文五六頁一三行ー五七頁八行全四二頁一六行ー四三頁九行 政府の体裁における名と実 都て世の政府は、唯便利のために設けたるものなり。 ( 文五六頁、全四二頁 ) この一句は非常に重要な命題の一つです。福沢の政治論の基本命題です。おそらく今の私た ちがたいへんな想像力を駆使しなければわからないような、当時としてはショッキングな命題 だったはずです。今日ではだれでもこの程度のことは言うでしようが、これが書かれたのは、 お上というものは絶対であり、お上の有難い御恩のおかげで、私ども庶民は安穏に生活できる のだという考え方が、ほとんど疑いもされずに通用していた時代です。君臣の義は五倫の筆頭 に位し、それは人の天性であると朱子学が教えていた。それだけでなく、幕府のことを公儀と おおやけ いうように、公というのが政府であった。そのように政治権力が絶対視されていた時期に、こ れは非常に大胆な命題であったわけです。けれども福沢は、返す刀で、前にも申しましたよう に、自由民権論のラディカリズムとしてやがて登場する政治至上主義をたたくのです。この命 かみ すべ ただ 238

4. 「文明論之概略」を読む 上

たといえば、これはある特定の歴史的時代の事件だけになってしまう。しかし、福沢の見方で 行けば、特定のイデオロギ 1 内容の問題とは次元がちがって、どんな内容の思想であれ、他の 思想に対する自由と寛容という問題にまでひろがるのです。一三九頁にあげたテキストの中で 「此の交際の仕組を破るものあれば、事柄の良否に拘はらず、其の結果は必ず人心に自由の風 を生ずべし」と、わざわざ、事柄の良否に拘わらず、・と断っているのは、、、 し力に←催沢が田相の 自由の問題を深くとらえているか、を示しております。 -z—リ・ . ヒ また脱線になりますが、フリ ハイエクという経済学者がいます。だいぶ以前に、 この人の『隷属への途』という書物 ( F. Hayek, The road to serfdom, 1944 ) を読んでいたら、 こういうところが非常に印象に残りました。 ハイエクいわく、ヒトラーは自分たちナチこ そが本当の民主主義者だ、今、民主主義者だといっている連中はみなニセ者だといった。また ナチは、自分たちこそ本当のナショナリストだ、他のナショナリストと言っている連中はいか さまだといった。同様にナチは、自分たちこそ本当の社会主義者で、社会民主党や共産党の社 会主義は欺瞞だ、といった。自分たちこそ本当のキリスト者た、とさえいった。たた一つ彼ら これだけはいわなかっ がいわなかったのは、「自分たちこそ本当のリべラルだ」ということ た、というのです。非常に鋭い見方です。ハイエクは社会主義を否定していたので、左翼から は評判のわるい経済学者ですが、そこのところは、ナチズムの、あるいは広く全体主義という 144

5. 「文明論之概略」を読む 上

最晩年にな「て書いたのが『女大学評論ーー新女子大学』 ( 明治三十二年刊 ) です。そこでの主張 は、維新当初から説いているのです。「何卒、男大学といふものを著し、男子を責め候様いたし 度」と明治三年二月の九鬼宛書簡にのべています。もちろん福沢の一夫多妻批判や男女平等論 についても、ないものねだりとする余地はあります。けれども、政治思想においては福沢より ラジカルな自由民権論者も、植木枝盛はもとより、中江兆民も、婦人論においては福沢ほど徹 底していません。 どうして福沢が、日本における一夫多妻制と、家庭における男性の女性支配、あるいは妾帯 などについて早くから批判をもったのかは、さかのぼれば『西洋事情』外篇にその批判の原則 があり、必ずしもミルを読んで初めても「た考え方とはいえません。けれどもいずれにしても ミルの『婦人の隷従』から深刻な、また持続的な示唆を受けたことだけは確かです。 ミルはテイラー夫人との二十年にわたる恋愛関係をスキャンダルにされて、 制御承知のように、 ルのグループである哲学的急進派の仲間たちからも絶 治社交界から村八分の目にあいました。ミ 交される。ヴィクトリア時代ですから男女関係は非常に厳しいのです。そういう非常に苦い個 明 文 人的経験がある。結局、何十年かのち、テイラー夫人の夫が亡くな「てようやくテイラー夫人 いと正式に結婚する。だからミルの婦人解放論は、ただ抽象的な議論ではなく、彼の生涯と不可 第 分なのです。 267

6. 「文明論之概略」を読む 上

示唆を受けたミルを通じて、福沢は、この明治七、八年の段階ですでに将来の議会政治につい て、醒めた判断を学んでいるのです。「公議輿論」がもっとも斬新な思想であった当時の日本 で、「世論の圧制」の恐ろしさ ( ミル『自由論』 ) や多数決制の不合理な側面を知ってしまってい る。こういうことは他にもいろいろあります。社会主義運動の発生とか、将来どうなるかとい う大体の方向が、先進国をみるとわかるわけです。これは必ずしも好ましい結果だけをもたら すわけではない。ある意味では近代化について非常にシニカルになります。まだこれから近代 化しようという矢先に、近代化の暗黒面をも見てしまうということになる。たとえば支配層が 早熟に労働運動や社会主義運動への対策を明治時代から考えている、というのも、同じ現象の あらわれです。福沢の『民情一新』 ( 明治十二年 ) などにもそうした早熟的な、よくいえば予言的 な認識が出ています。 制 なお、細かいことになりますが、このミルの説の紹介は、『概略』の、現存する初稿にはあり 体 治ません。あとになって挿入されたものです。 代議制における多数決の現実を述べたあと、デモクラシーだと戦争はなくなるという考えに 明 文 対して、ほとんど同時代に近い南北戦争の例がでてきます。南北戦争にしても、原因となった 講 動機は決してわるくはない、善なる動機から非常にわるい結果が生じてくるという歴史の皮肉 第 が、福沢らしい面白い文章で書いてあります。こういう歴史の見方はのちの第六章にも出てき 263

7. 「文明論之概略」を読む 上

った言葉で、「経」の反対概念です。経に対して権といいます。いろいろな使われ方があります が、一つだけ例を挙げますと、「春秋公羊伝」 ( 桓公十一 ) に「権とは経に反し、しかるのちに善 有るものなり」とあります。一般化しているのはこの定義です。経は常道です。永遠の道だか と ら常道なのです。全ての人が則るべき規範であり、ふつうの場合は経でなければならない。 ころが、ある非常事態には「常道」に反して、非常手段を用いるけれども、それが結果におい ては経と同じような善い作用をする。それが権道というわけです。この「経」と「権」との関 係をめぐって儒者のあいだにやかましい議論があります。孟子離婁篇にある、嫂が溺れかかっ という節 たときは、「男女親授せず」という常道に反して、直接手をとって救い上げてもよい の解釈から発し、政治思想としては、例の湯・武の暴君放伐を「権道」として肯定するかどう かをめぐって争われます。まあ、当面の問題としては、経権論はどうでもよいことで、福沢は 血政府の第一段階で、政府本来の目的とは関係なく、いろいろと権力を虚飾するのを、ここで権 統道というのです。権は「かり」とも訓読しますので、仮方便というほどの意味にもなります。 い政府がそういう虚飾を用いるのは、人民が「禽獣世界を脱して漸く従順の初歩を学ぶ」段階 国 はやむをえないけれども、そのうちに、権力を有する者が、その権力に溺れて何のために権力 を行使するのかを忘れて、これをほしいままにする。そうなると権力が自己目的化し、虚が実 第 のように通用しはじめると福沢はいっています。ここで「従順の初歩を学ぶ」というのは、今 かり あによめ 201

8. 「文明論之概略」を読む 上

一八四八年の共和政治とは、二月革命のあとの共和制です。それは非常に苛酷であって、オ 1 ストリーⅡ ハンガリー帝国のフランツ皇帝の政治よりもその苛酷さが甚しい。オースト丿 ハンガリ 1 帝国は政治形態からいえば立君独裁たけれども、フランスの共和政より実際の政治 の働きはずっと寛大だったというのです。『西洋事情』の外篇巻之二に、より詳しく出ています。 ついでに申しますと、やはり『西洋事情』の初篇のさきの個所につづく部分では、アメリカ 合衆国について「純粋の共和政治にて、事実人民の名代人なる者相会して国政を議し、毫も私 なきは亜米利加合衆国を以て最とす」と述べています。この段階では福沢はまだアメリカのデ しいましたのは、その後、といっても数年 モクラシーを非常に理想化していました。「まだ」と、 ののちですが、この『概略』を書くころ以後は、ミルやトクヴィルを読んで、もっと距離を置 いた目でアメリカ民主政治を見るようになります。 制 さて、この節にもどって、こういうわけだから、君主政治だとか共和政治だとか、その体裁 体 治だけを見ていいとかわるいとかはいえない。「唯一方に偏せざるを緊要とするのみ」。この「一 方に偏」すという表現をここの文脈をはずしてこれだけをとれば、、ゝ し力にも左の両極に偏し 明 文 ないで中道をとれ、といったような意味に解されやすい。この種の古典を読むときの一つの心 6 がまえとして一般に言えることですが、ある命題は必らず全体の文脈の中で理解されなければ 第 も・ ( 十 / も この命題など、とくにいい例だと思います。「一方に偏」するとは、ここでは一 = ロうま ただ みようだいにん ′」う 241

9. 「文明論之概略」を読む 上

とさきに強調しながら、ここでは「各国互ひに数歩の前後あるのみ」と言う。西洋と日本の落 差は、現実政治をとれば、たいしたことではないのです。ですから、ここでは一方で、第三講 で先取りして引用しておきましたように、「文明の極度」として、ほとんどアナーキズムと同じ 命題を出し、その同じ命題の楯の反面として、現実は『覚書』でいう「コンディショナル・グ あるいはこの章で出た言葉で言えば、「帯患健康」ーーの比較にすぎないのであっ とい、つことになります て、健康と不健康との対比の問題ではない、 こういうクールな現実認識が、最後の第十章「自国の独立を論ず」の章で出てくるような、 日本のおかれた状況に対する非常に。ハセティックな危機意識と結び合わさっている。そこのと ころが、福沢のおどろくべき精神の強靱さだと思うのです。 272

10. 「文明論之概略」を読む 上

種と唱ふるもの、即ち是れなり。自由同権の気風に乏しからずと雖ども、之れを文明開化と云ふ 可きや否。 ( 文五四頁、全四〇ー四一頁 ) 「自由同権の気風に乏しからずと雖ども」とは少々皮肉な言い方ですが、ある意味では非常 に自由なのだけれども、蓄積がなく、したがって進歩がないから、これは文明開化といえない ということになるわけです。ギゾ 1 が次の段でいう言葉に従えば、境遇が改善され改良されて いくことがない。原始的自由のままにとどまるというのが、この第四のケースになります。 文明の定義 この四つのケースを全て否定した上で、では何をさして文明と名づけるのか、と最後に定義 制をします。 治 政 文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云ふなり。 明 文 ( 文五四頁、全四一頁 ) 講 これをもとのギゾーの言葉でいえば、人間の外的な条件の発展と、内面生活 ( つまり人間性 ) 第 の進歩、この両方を伴なうのが文明なのだということになります。物質的環境や社会的なシス いなや ュマニテ 227