結びーー「緒言」と本書の位置づけ 文明論と文明発達論 緒言というのはたいていの著述の場合に、全体が完成してからあとに書かれるものですが、 福沢の場合もそうです。「緒言」の最後に、「明治八年三月二十五日、福沢諭吉記」とあるのは まさにこの書の完成時期ーー・文字通り最後の日ではなくとも、実質的に書き上げた時期ーーを 「示しています。福沢研究者にはよく知られていることですが、明治八年四月二十四日付島津祐 位太郎宛書簡に「拙著文明論の概略、此の節脱稿、出版は今三、四ヶ月も手間取り候に付」云々と 書あるのも一つの裏付けになります。そこでこの「緒言」は、福沢が筆をおろしてから何度も推 敲を重ね、ほば一年にして成「た稿をあらためて全体的に見わたして、それに適合するように 緒書かれたもの、という推定ができます。私たちが「緒一言」をはじめに読まないで、一応全部を 読了したあとにこれをとり上げるのも、そういう推測にもとづいております。 びですから全巻を読了したあとでは、たとえば冒頭の「文明論とは人の精神発達の議論なり」 結 にはじまる、文明論を定義する一段などは、これにはじめて接する場合よりもはるかに容易に、 303
わる、この秩序の構成単位は何か、それを組織化するグロ ーバルな計画が提示されたか、と問 うならば、残念ながら答えは否というほかありません。 こうした矛盾をもっとも集中的に露呈しているのが西欧的帝国主義の打倒をもっとも声高に 叫ぶ社会主義国家群と、いわゆる発展途上国から成る「第三世界」です。彼らは事情と時代の ズレこそあれ、まさに 日本を含むーー「西欧的帝国主義」による侵略と搾取の対象となっ た経験をも「ており、それだけに「先進諸国家」にはヒステリックにさえひびく「解放」の叫 びも、歴史的には当然であり、心理的には十分理解されます。けれどもその彼らが帝国主義反 対を唱えるときの概念枠組が西欧的国家体系のそれを根本的に超え出ていないこともまた否む べからざる現実です。国籍とか領土とかのカテゴリーはむろんのこと、領海・領空といし 海の自由といも 、内政不干渉の原則といい いずれも西欧型の主権国家を前提として、その利 害から歴史的に編み出された原則です ( しかも皮肉なことにワン・ワ 1 ルドの事実的形成に比 例して、各主権国家によ「てますますふみにじられている原則です ) 。しかも社会主義世界も 第三世界も対外的主張に際しては、こうした原則の引用を躊躇しません。いなむしろ「祖国の 神聖な領土」というような言葉をとりわけ厳粛な調子でロにするのが、こうした国家群です。 い「たいマルクス・エンゲルス・レーニンのどの文献に「神聖なる領土」というような言葉を 発見できるでしようか。それどころか「プロレタリアートに祖国な」とは有名な共産党宣一言 300
諸原則をグロ 1 。ハルに延長したものにすぎないのです。共通の見えない歴史的文化的靭帯を基 しまや異質的な宗教、異質的な世界観、異質的な生 礎とした西欧的国家体系の「地球化」は、、 活様式をその内部にかかえこんだ「世界秩序」に変貌したのです。ワン・ワールドの形成の楯 の反面が、なんら暗黙の共通了解のない原子化された国家もしくは国家群相互間の地域的武力 衝突の激化であり、このワン・ワ 1 ルドの警察的機能を実質的に執行しているのは、、相も変ら ず主権国家を組織の構成単位としている国際連盟や国際連合ではなくて、米ソーーそれ自体主 権国家の一員にすぎない の超大国であり、実質上は彼等を主導とする「国際的制裁」に秩 序維持が依存しているところに、現代世界の「構造」的矛盾が象徴されていることはいまさら ~ 喋々の要はないでしよう。 形 この世界秩序の構造的変化は福沢の予想をはるかにこえたものでした。いや、福沢だけでな の 国くて十九世紀の思想家でこうした巨大な変貌を予見したものは、国家主義者はもとより、平和 国主義者、国際主義者、社会主義者にいたるまで、誰一人としていなかった、といってもいいす 権ぎではないでしよう。国家主権の絶対性への批判、いな進んで「世界国家」の提唱もくりかえ し行われました。それは福沢のいう「結構人の議論」だけでなくて、人間性への深い洞察をふ 講 くんだ宗教家や哲学者によっても強調されてきました。けれども、果して然らば西欧的国家体 系の地球大への拡大にかわって、どういう 具体的な世界秩序の構想があったか、主権国家にか 299
体系の黄昏を告げる鐘でもあったのです。第一に、もっとも誰の目にも顕著な事実として、世 界秩序における新たな覇者として登場した二大強国ーーー米国とソ連ーーはたんに地域的に、狭 義の「西欧」の外に位置しただけでなく、ともに巨大な「連邦」として、これまで西欧諸国家 に妥当したような国家平等原理になじまないような、いわばそれ自体一つの新しい秩序単位 世界のなかの世界ーーーをなしております。しかも、第二にそのうちの一つ、ツア ト・ロシアの呼びおこした「プロレタリア革命」は、一世紀ちょっと前のフランス革命に輪を かけたような普遍主義的な「マルクス主義」のイデオロギーを通じて世界に伝播し、主権国家 内部の階級対立にとどまらず、西欧的国家体系の外周をなして来た植民地の反帝革命 ( 国際的 階級闘争 ! ) の火種となりました。歴史の皮肉はそれにとどまりません。ウイルソンの提唱し た「民族自決主義」の世界的普及は結果としては、い まや百数十国におよぶ世界秩序の構成単 位へのワン・ワールドの原子的分裂をもたらしたのです。かっての西欧的国家体系は各主権国 家への分裂にもかかわらず、共通の古典、共通の世界宗教、共通の法源 ( ローマ法やゲルマン 法 ) といった靭帯への暗黙の了解によって結ばれていました ( ですから今日の・ 0 はまったく 新しい共同体ではなくて、いわばシャルマーニ大帝時代への「復帰」の意味をも帯びている わけです ) 。ところが、十九世紀末から顕著になったワン・ワールドへの動向というのは、テク ノロジーの発達といった一応価値中立的な要因を別とするならば、実はこの西欧的国家体系の 298
「昨日怒りし事も今日は喜ぶ可きものと為り : : : 」以下は、何か万事めでたしめでたしという 感じで、これまでの福沢の鋭いイデオロギー批判に新鮮さを覚えた人も、あるいは最後に至「四 て腰くだけという感想を抱かれるかもしれません。最後がめでたしめでたしの言葉で終るとこ ろは晩年の『福翁自伝』もそうで、そういうところに福沢の根本的にオプテイミスティックな 性格が現われている、とも見られます。しかし一筋縄では捉えられない福沢のことです。この 一見平凡で、またあまりに話がうますぎる結尾の背後に何があるのか、どうして自国の独立へ の。ハセティックな激情に満ちた結章が、政治的思考の常識を提示することで終っているのか、 その判断は読者の方々にお任せするとして、ここでは福沢が悲願とした主権的国民国家の形成 という課題が、今日の世界においてもつ意味と限界についての私の考えを最後につけ加えて、 この注釈を終ることにいたします。 『概略』の最終章は、前述のように「西欧的国家体系」への日本の自主的な加入を課題とし ていました。そうして福沢にとっては切迫した課題であったものを、近代日本はともかくも実 現し、前述のように・シ 1 マンののべた意味で、日本は「西欧的国家システムへのもっと も最後の附加」となることに東アジア唯一の国家として成功しました。けれども歴史の逆説は まさにここにも作動したのです。日本が明治一ばいの時期を費してようやく一人前の主権国家
聖教の論も、儒説も仏説も、攘夷のテロリズムさえも、むしろ「楯の反面」としてのプラス面 を見て組み合わせれば、「用法如何」によっては「最後最上の大目的」のために活かせるのだ、 という議論が展開されます。現下の最後最上の大目的は自国の独立です。ですから「最後最 上」といっても、それはここでの「議論の本位」に制約され、けっして窮極目的ではありませ ん。これは結局はビスマルクのいう「可能性の技術」 (KunstdesMögIichen) としての政治的思 考の常識をのべたものです。「物の軽重」とか「事の緩急」とかが最後まで強調されるのもその ためです。 むろんこの個所にも当時の士族の出処進退について「一身と、議論と、其の出処栄枯を共に ~ する者あり」といったような痛烈な批判的警句も出てきますが、全般的にいえば鋭い舌鋒は背 かレレヴァンス 形後に退いています。「此の術は果して此の目的に関係あるもの歟 ( 関連性の問題 ) 、若し関係あ 国らば何れの路よりして之れに達す可きもの歟 ( 迂路か近路かの問題 ) 、或は直に達す可き歟、或 民あいだ は間に又別の術を置き此の術を経て後に達するもの歟 ( 直接的方法か間接的方法かの問題 ) 、或 いすれ か 権は二の術あらば孰か重くして先なる可き歟、孰か軽くして後なる可き歟 ( 方法の優先順位の問 題 ) 」 ( 文二六四頁、全二一二頁 ) というようなことは具体的実践に際してはきわめて困難な思考で 講 すけれども、いずれも政治的に成熟した思考の常識ですから、抽象的命題としてみれば平凡で 第 あって鬼面人をおどろかすようなところはどこにもありません。それどころか、文の結びの か か か か 295
此の今の字は、特に意ありて用ひたるものなれば、学者等閑に看過する勿れ。本書第三章には、 文明は至大至洪にして人間万事皆これを目的とせざるなしとて、人類の当に達す可き文明の本旨 ただ を目的と為して論を立てたることなれども、爰には余輩の地位を現今の日本に限りて、 ( 中略 ) 唯 自国の独立を得せしむるを目して、仮に文明の名を下だしたるのみ。故に今の我が文明と云ひし は文明の本旨には非ず、先づ事の初歩として自国の独立を謀り、其の他は之れを第二歩に遺して、 他日為す所あらんとするの趣意なり。蓋し斯の如く議論を限るときは、国の独立は即ち文明なの。 文明に非ざれば独立は保つ可からず。 ー二六二頁、全二〇九ー二一〇頁 ) ( 文二六一 へ 成 形 、う「事の初歩」と「第二歩」との区別は、まさに第九章において「権力の偏重」を説 の 国くときの言葉と用法 ( 本書第十六講 ) とに対応しております。自国の独立は文明の本旨から見れ にわか 国ば「事の初歩」にすぎないから、「学者遽に之れを見て文明の本旨を誤解し、之れを軽蔑視して 権其の字義の面目を辱しむる勿れ」ということになるわけです。よく冒頭に仰々しい「方法論」 を掲げて、肝腎の本文の叙述には一向にその方法論が活きていない「学術書」がありますが、 講 福沢の『概略』はちょうどその逆です。結章が鮮かに第一章「議論の本位を定る事」に立ちか 3 第 えり、そのことによって第三章の「文明の本旨を論ず」と第九章および第十章が方法的に関係 」こ まさ
だようなほとんどアナ 1 キズムに近い文明の至極の段階から見れば、かえって国の独立などは それに到達するための手段、しかもずっと下位に列する手段として位置づけられるでしよう。 現にまさに同じ個所で、福沢は、 なお 人或は云はん、人類の約束は唯自国の独立のみを以て目的と為す可からず、尚別に永遠高尚の極 もと に眼を着す可しと。此の言真に然り。人間智徳の極度に至りては、其の期する所、固より高遠に わずか して、一国独立等の細事に介々たる可からず。僅に他国の軽侮を免かる、を見て、直ちに之れを 文明と名づく可からざるは論を俟たず : ( 文二五九頁、全二〇七ー二〇八頁 ) と、本章の冒頭で行なった保留を重ねて強調しております。にもかかわらず、国の独立が目的 で、文明は手段だ、というのは「本書開巻の初に、事物の利害得失は、其のためにする所を定 ここでの「議論の本位」か めざれば談ず可からずと云ひしも : : : 」云々といっているように、 ら出ている命題にほかなりません。結尾部のなかに本書導入部の動機が反覆されているわけで す。これが文脈的理解が必要な第二の意味合いです。「故に此の議論は : : : 」以下くどいほど に「今の世界の有様を察して、今の日本のためを謀り、今の日本の急に応じて説き出したるも の」云々と「今の」を頻発しながら、議論の本位を限定しているのです。 ただ 292
第十九講の冒頭で申しましたように、国の独立が目的で文明は手段だ、という総括の前半部 分は文脈的理解がとくに必要な個所です。それは二つの意味でいえます。一つは目的と手段と の多層的連鎖関係ということです。それはこの個所では紡綿と製糸と織綿と衣服と防寒のそれ ぞれの段階での手段ⅱ目的関係を例として説明されていますが、私が講義でよく出す例でいえ ばこうなります。東京駅にタクシ 1 で行くというときは、東京駅へ行くことが目的でタクシー は手段となり、新幹線にのって大阪へ行くというときは、大阪へ行くことが目的で、東京駅に 行って新幹線にのることが手段となる。さらに何のために大阪へ行くか、それは商用だ、と、 うことなら、商用が目的で大阪へ行くことが手段です。目的手段の連鎖関係とはそれを指し へます。よくマキアヴェリズムのことを「目的のために手段を選ばず」と俗にいいますが、本当 形のマキアヴ = リ的思考は、も「とも適合的な手段をえらぶところにある点は別としても、目的 国のために手段を選ばないやり方は、右のような目的手段の連鎖関係に盲目な結果、恣意的に 国或るレヴェルで線をひいて或る目的を絶対化し、それがヨリ上級の目的にとっては一つの手段 的 権にすぎない たとえば革命も絶対目的であるはずがありませんー・・ーことが視野に入ってこな いのではないでしようか。福沢が「此の幾段の諸術、相互に術と為り又相互に目的と為」るこ 講 とを、この時点でハッキリ認識していたことは驚嘆に値します。ですから、国の独立が目的だ、 1 、則に読ん というときも、その目的はけっして絶対化されません。文明は手段だ、といっても一
のです。 目的としての日本の独立 前述したように本章の結論的な総括は、当時の国内国際状況にたいするさまざまな意見や所 論を次々と批判したのちに、「然らば則ち之れを如何んして可ならん。云く、目的を定めて文明 に進むの一事あるのみ。其の目的とは何ぞや。内外の区別を明らかにして我が本国の独立を保 っことなり。而して此の独立を保つの法は文明の外に求む可からず」 ( 文二五八頁、全二〇七頁 ) にはじまり、以下全巻の末尾にいたる文章です。けれどもこの結尾の一部はこれまでに抜き出 ~ して論じましたし、またこの総括全体がいままでこの章だけでなく、本書の全体にわたって論 形じてきたテ 1 ゼのくりかえしです。 国本書全体をソナタ形式の構成として考えれば、巻之一の第一章が導入部、第二、三章が主題の 国提示部に当り、巻之二 ( 第四、五章 ) から巻之三 ( 第六章 ) を経て巻之四の第七章までが、さまざま 権な形での主題の展開部です。第八章以下が前述のように、本書全体の大結尾に当るわけです力 そのなかの第八章と第九章は主題の変形された再現部とも見られるでしよう。そうして最後の 講 第十章が狭義の結尾部を構成しますが、このコ 1 ダのなかにはさらにこれまでの動機の音型が 9 第 くりかえし登場します。とくに右の総括の前半部においてです。したがってここは。ハラグラフ ほか