様に比較すれば、新たに面目を改めて、善に進みたりと云ふも可なり。然るに、我が国の事態を 前年に比すれば、更に困難にして、一層の憂患を増すとは、果して何等の箇条を指して、何等の ただ 困難事を憂ふることなるや、之れを質さゞる可からず。按ずるに、此の困難事は我が祖先より伝 にわか 来のものに非ず、必ず近来俄に生じたる病にて、既に我が国命貴要の部を犯し、之れを除かんと とうてい して除く可からず、之れを療せんとして医薬に乏しく、到底我が国従来の生力を以て抗抵す可か らざるものならん。如何となれば、依然たる日本国にして、旧に異なることなくば、之れに安心 す可き筈なれども、特に之れを憂ふるは、必ず別に新たに憂ふ可き病を生じたるの証なり。世の 識者の憂患する所も、必ず此の病に在ること断じて知る可しと雖ども、識者は此の病を指して何 と名づくるや。余輩は之れを外国交際と名づくるなり。 ( 文二四〇ー二四一頁、全一九二ー一九三頁 ) 「都て事物を論ずるには : ・ : 」以下の個所は、テキストでは「聊か平生の所見を述べざるを 得ず」以下に改行せずにそのままつづいていますが、内容的にいえば明らかにここで段落を改 めるべきです。「都て事物を論ずるには : 右に掲げたテキストは以下の意見の序論としてきわめて重要ですが、語句的にはとくに注釈 の必要はないでしよう。要するに今の日本は、国民は荷をおろした気分になっているけれど、 実は困難な状況にあるのだ、けれども、ただ大変なのだ、とさわぐだけではなくて、困難な状 すべ ・ : 」と大上段にかまえて議論をはじめます。 いささ こうてい 246
だようなほとんどアナ 1 キズムに近い文明の至極の段階から見れば、かえって国の独立などは それに到達するための手段、しかもずっと下位に列する手段として位置づけられるでしよう。 現にまさに同じ個所で、福沢は、 なお 人或は云はん、人類の約束は唯自国の独立のみを以て目的と為す可からず、尚別に永遠高尚の極 もと に眼を着す可しと。此の言真に然り。人間智徳の極度に至りては、其の期する所、固より高遠に わずか して、一国独立等の細事に介々たる可からず。僅に他国の軽侮を免かる、を見て、直ちに之れを 文明と名づく可からざるは論を俟たず : ( 文二五九頁、全二〇七ー二〇八頁 ) と、本章の冒頭で行なった保留を重ねて強調しております。にもかかわらず、国の独立が目的 で、文明は手段だ、というのは「本書開巻の初に、事物の利害得失は、其のためにする所を定 ここでの「議論の本位」か めざれば談ず可からずと云ひしも : : : 」云々といっているように、 ら出ている命題にほかなりません。結尾部のなかに本書導入部の動機が反覆されているわけで す。これが文脈的理解が必要な第二の意味合いです。「故に此の議論は : : : 」以下くどいほど に「今の世界の有様を察して、今の日本のためを謀り、今の日本の急に応じて説き出したるも の」云々と「今の」を頻発しながら、議論の本位を限定しているのです。 ただ 292
なりゆき ら眩惑して益 ~ これを弄ぶの弊もあらん、或は又、政府一家の成行にて、擅権に非ざれば事を行 ふ可からざるの勢ひもあらんと雖ども、此の一般の人民にして平生の教育習慣に絶へてなき所の ただ ものを、唯政府の地位に当ればとて、頓に之れを心に得て事に施すの理は、万々ある可からざる なり。 ( 文一八五頁、全一四八頁 ) 右の「権を恣にするは有権者の通弊」だというのは、前章のイギリス革命のところにも出て きた福沢得意の命題ですね。そこから「 : : : 勢ひもあらんと雖ども」までは右の文では留保の 意味になっています。そういう傾向が政府にあると前提しても、平生の教育習慣に全くないも というのが彼の言いた 国のが、政府の役人になったからといって突然に出てくるものではない、 いところです。ここでも「平生の教育習慣」を非常に重視しているということが大事です。 府第五章の終りにもう一遍戻りますと、そこに人間の智恵は一夜の間に急に成長するものでは なく「習慣に由て用ふるに非ざれば功を成し難し」とありました。また「日本人が無議の習慣 日に制せられて、安んず可からざるの穏便に安んじ、開く可きのロを開かず、発す可きの議論を 発せざるを驚くのみ」とありました。これを改めなければ日本の独立が危い。国内の抑圧にた オレは関係ないね、 いして「澹泊なる者」は外圧にたいしても「亦澹泊ならざるを得ず」 という態度になる。この性格は天然の欠点ではない。習慣によって失われたものだから、習慣 もてあそ とみ せんけん
第一条今の世に人民同権の説を唱ふる者、少なからずと雖ども、其のこれを唱ふる者は、大概 皆、学者流の人にして、即ち士族なり、国内中人以上の人なり、嘗て特権を有したる人なり、嘗 て権力なくして人に窘しめられたる人に非ず、権力を握て人を窘しめたる人なり。故に其の同権 かっか の説を唱ふるの際に当りて、或は隔靴の歎なきを得ず。譬へば自から喰はざれば、物の真味は得 て知る可からず、自から入牢したる者に非ざれば、牢内の真の艱苦は語る可からざるが如し。今、 国仮に国内の百姓町人をして智力あらしめ、其の嘗て有権者のために窘しめられて骨髄に徹したる 国憤怒の趣を語らしめ、其の時の細密なる事情を聞くことあらば、始めて真の同権論の切なるもの を得べしと雖ども、無智無勇の人民、或は嘗て怒る可き事に遭ふも、其の怒る可き所以を知らず、 な ~ わら つまびらか 或は心に之れを怒るも、ロに之れを語ることを知らずして、傍より其の事情を詳にす可き手掛り えんまん 甚だ稀なり。加之、今日にても、世の中には、権力不平均のために、憤怒怨懣の情を抱く者、 ただ 必ず多からんと雖ども、明らかに之れを知る可からず。唯我が輩の心を以て其の内情を察するの の理由は人民同権論者が「其の論説に就き未だ深切なる場合に至らざることなり」。ここで「深 切なる」というのは問題を論理的かっ経験的につきつめてトコトンまで考える、という意味で す。第二の理由は、まだ外国交際の経験が浅いためにその恐るべき害悪の側面を知らないこと に帰せられます。まず第一の理由。 しかのみならす くる たん たと みす 263
外国交際を最大病患というけれども、なまじ開国をしておいて独立の心配をするのは自分で病 気を求めておいて自分で心配をしているようなものだ、思いき「て「無病の時に返るに若かず」 という対応の仕方がつまり「鎖国復活論」の論旨です。 こういう対応の仕方にたいして、福沢が単に、鎖国しろなどといっても、すでに外国に国を 開いた現在いまさら無理だ、事実上できないじゃないか、という既成事実の現実論でもって答 えないで、もっと突込んでお前さんのいう「独立」とは一体何なのか、本当にそれが独立なの か、という独立本質論でもって応じているのは面白いと思います。 独立とは独立す可き勢力を指して云ふことなり。偶然に独立したる形を見て云ふに非ず、我が日 本に外人の未だ来らずして国の独立したるは、真に其の勢力を有して独立したるに非ず。 ( 中略 ) 之れを譬へば、未だ風雨に逢はざる家屋の如し、其の果して風雨に椹ゅ可きや否は、嘗て風雨に 逢はざれば証す可からず。 ( 中略 ) 風なく雨なくして家屋の存するは勿論、如何なる大風大雨に逢 きつりつ ふも屹立動かざるものこそ、真に堅牢なる家屋と云ふ可けれ。余輩の所謂、自国の独立とは、我 あたか が国民をして外国の交際に当らしめ、千磨百錬、遂に其の勢力を落さずして、恰も此の大風雨に 椹ゅ可き家屋の如くならしめんとするの趣意なり。何ぞ自から退縮して古に復し、偶然の独立を 僥倖して得意の色を為さんや。 たと 284
右の如く、外国交際は我が国の一大難病にして、之れを療するに当りて、自国の人民に非ざれば、 頼む可きものなし。其の任、大にして、其の責、重しと云ふ可し。即ち此の章の初に云へる「我 が国は無事の日に非ず、然も其の事は昔年に比して更に困難なり」とは、正に外国交際の此の困 なげう 難病のことなり。一片の本心にて私有をも生命をも抛っ可き場所とは、正に外国交際の此の場 所なり。然らば即ち、今の日本人にして安んぞ気楽に日を消す可けんや、安んぞ無為に休息す可 めいぶん けんや。開闢以来、君臣の義、先祖の由緒、上下の名分、本末の差別と云ひしもの、今日に至て は、本国の義と為り、本国の由緒と為り、内外の名分と為り、内外の差別と為りて、幾倍の重大 を増したるに非ずや。 ( 文二五五ー二五六頁、全二〇五頁 ) トリック・ヘンー ここで私がハ 丿ーの「われに自由を与えよ、然らずんば死を与えよ」を例に 出して説明した、前出の個所三一七頁 ) が、「此の章の初に云へる」云々としてリフレインされ ていることがよくお分りになると思います。君臣上下の個別的・人格的な「モラル・タイ」か ペイトリオティズム ら一般的な「愛国心」へのきりかえです。そうしてそのあとに例として、薩摩の島津氏にた いする日向の伊東氏の「宿怨」ならびに、ナポレオン大帝から蒙った恥辱にたいするプロシア の報復 ( 普仏戦争 ) の例を出して以下のように続けます。 いすく まさ 274
若し其の見込なくば、世界中に国を立て、政府のあらん限りは、其の国民の私情を除くの術ある 可からず。其の私情を除く可きの術あらざれば、我れも亦、これに接するに私情を以てせざる可 からず。即ち是れ偏頗心と報国心と異名同実なる所以なり。 ( 文二五五頁、全二〇四頁 ) あくまで天地の公道対「私情」 ( 別名報国心 ) の二元的緊張であり、国際社会への権力政治的対 策応をあくまで「私情」あるいは「私の情実」に発するものと見て、それ以上には評価しない、 対醒めた認識がここにあります。ですから「理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のた の 々めにはイギリス、アメリカの軍艦をも恐れず」という『学問のす、め』のテーゼが、実はここ とでは変奏曲を奏でているとも見られます。その意味でこの二元的緊張は、現代の政治家などが 空 真 よくいう「建て前はそうだけれども現実は : : : 」云々という、現実主義の枕一言葉にすぎない「建 的 精て前」論とは質的に異なります。天地の公道を「此の説真に然り」というとき、福沢は天地の 後公道に精神的にコミットしているのです。それはこの章のあとの部分で、文明と独立との関係 ただ なお 新をのべる段になって、「人類の約束は唯自国の独立のみを以て目的と為す可からず、尚別に永遠 高尚の極に眼を着す可し」云々の説 ( 文二五九頁 ) にたいして「此の言真に然り」といっているの 講 四と全く同じ精神です ( 両者の肯定的表現がほとんど同じなことに注意して下さい ) 。天地の公道 にたいする国家実存理由、あるいは文明の普遍性にたいする自国の独立の「特殊主義」は福沢 239
朗読文一七一頁一一行ー一七四頁八行全一三六頁一六行ー一三九頁四行 キリスト教の興起と隆盛 こうして私たちはようやく、先にとばした一段もふくめて、キリスト教の興起と教会の強大 化の意義にふれる順序になりました。 まず「封建割拠」にすぐっづく文章を読んでみましよう。 右の如く封建の貴族独り権を専らにするに似たれども、決して此の独権を以て欧羅巴全洲の形勢 ろうらく を支配するに非ず。宗教は既に野蛮の人心を籠絡して其の信仰を取り、紀元千百年より二百年代 に至りては最も強盛を極めり。蓋し其の権を得たる由縁を尋ぬれば、亦決して偶然に非ず。抑も かがや 人類生々の有様を見るに、世体の沿革に従ひて或は一時の栄光を耀かす可し、力あれば以て百万 の敵を殲す可し、才あれば以て天下の富を保つ可し、人間万事、才力に由りて意の如くなる可き に似たりと雖ども、独り死生幽冥の理に至りては一の解す可からざるものあり。此の幽冥の理に しゅうごう 逢ふときは、「チャーレマン」の英武と雖ども、秦皇の猛威と雖ども、秋毫の力を用ふるに由な ちょうろたん 、悽然として胆を落し、富貴浮雲、人生朝露の歎を為さゞるを得ず。人心の最も弱き部分は正 つく きわ もつば また そもそ
我が日本も、外国の交際にては、未だ伊東氏及び孛国の苦を嘗めたることなしと雖ども、印度 其の他の先例を見て之れを戒むること伊東氏の如く、又孛国の如くせざる可からず。或は元旦一 度に非ずして、国民たる者は毎朝相戒めて、外国交際に油断す可からずと云て、然る後に朝飯を 契するも可ならん。是に由て考ふれば、日本人は祖先伝来の重荷を卸して、代りの荷物を得ざる に非ず、其の荷物は現に頭上に懸りて、然も旧の物より幾百倍の重さを増して、正に之れを担ふ ただ 可きの責に当り、昔日に比すれば亦、幾百倍の力を尽さゞる可からず。昔の担当は唯窮屈に堪ゅ るのみのことなりしが、今の担当は窮屈に兼ねて又活なるを要す。人民の品行を高くするとは、 即ち此の窮屈なる修身の徳義と、活々地の働きとに在るものなり。 へ 成 ( 文二五六ー二五七頁、全二〇五ー二〇六頁 ) 形 の 家 にはじまる「外国交際」の総論を一く ここまでが「以上記す所のもの果して是ならば : : : 」 国 国くりにしたものです。右の荷物の比喩も本章冒頭のくりかえしです。「国民たる者は毎朝相戒 権めて」云々はすぐ前に出た、伊東氏の群臣が元旦ごとに登城して薩摩の仇敵を忘れるなといっ て、それから正月の賀の宴を張った、という例を受けているものですが、ちょうど仏壇の前で 講 毎朝念仏を唱える習慣のように、国民は毎朝に、「外国交際に油断すべからず」と相戒めて、そ 第 といっているのは、たとえ比喩にしても、福沢の危機感の熾烈 れから朝食に向かうのがい プロシア まさ 275
によ「て変えていくほかはない。「習慣を変ずること大切なりと云ふ可し」と結んでいました。 だからこそ福沢は、政治よりもむしろ平生の日常生活における習慣の養成を重視するのです。 彼が教育教育とやかましくいうのも、学校教育だけでなく、。 ティスカッションの場をさかんに していくとか、社会的レヴ = ルの教育でも、いろいろな方法があるわけですが、ともかく、習 慣を変化させるということに彼の処方箋の根本があります。それは、政治が社会をつくるので はなく、逆に社会が政治を作るのだ、という彼の持論と対応しております。 さて、権力の偏重ということが、「全国人民の気風」であ「て、それが西洋諸国と日本との根 本的なちがいを生んでいる、というわけですが、そのちがいの原因は何かということで、ここ で一つの説を紹介しています。 アジア せんけん 西人の著書に、亜細亜洲に擅権の行はる、源因は、其の気候温暖にして土地肥沃なるに由て、人 ロ多きに過ぎ、地理山海の険阻洪大なるに由て、妄想恐怖の念、甚しき等に在りとの説もあれど も、此の説を取りて直ちに我が日本の有様に施し、以て事の不審を断ず可きや、未だ知る可から ず。仮令ひ之れに由て不審を断ずるも、其の源因は悉皆天然の事なれば、人力を以て之れを如何 なりゆき ともす可からず。故に余輩は唯、事の成行を説きて、擅権の行はる、次第を明らかにせんと欲す るのみ。